日本キリスト教団

三宅島伝道所へようこそ

「キリスト教会ははじめて、どうすればいいのかわからない」という方に、教会ではどんなことをしているのか、それにはどんな意味があるのかをご紹介いたします。

主日礼拝 毎週日曜日10時~11時
祈祷会  主日礼拝後すぐ
(礼拝出席者が共に祈ります)
牧師駐在日 土曜日10時~17時
(牧師が伝道所におりますので、お気軽にお越しください)

〇教会では毎週日曜日に礼拝をしています。三宅島伝道所の礼拝は毎週日曜日の朝10時から 始まり、約1時間で終ります。
〇礼拝は「週報」に印刷されている「礼拝式次第」にそって行います。
〇礼拝では聖書・讃美歌を使います。全て受付に備え付けがありますので、ご利用ください。
〇個別に牧師と話したいことなどがあれば、ご遠慮なくお声掛けください。

洗礼式とは⇒ 聖餐式とは⇒

Our Mission

礼拝式次第

前奏
礼拝は前奏によってはじまります。前奏では黙想して気持ちを整え、礼拝への心の備えをします。
招詞
神様がわたしたちを礼拝に招いてくださる招きの言葉です。司式者が、聖書の言葉を朗読し、招きの言葉としています。
頌栄
礼拝のはじめに歌われます。わたしたちを礼拝へと招いて下さった神様を讃美し、崇め、畏れを持って神様を敬います。
交読文
司会者と会衆が「交読文」を用い交互にみ言葉を読みます。
讃美歌
讃美とは、神様を讃える歌です。神様の偉大な力を信頼し、豊かな慈愛に感謝する私たちの気持ちを表すものですから、歌詞をよく味わいながら歌います。
祈祷
司式者が、悔い改め、感謝、賛美、導き、執り成しを祈ります。 祈りは神様との交わりであり、対話です。礼拝の中で牧師や司会者によって祈られる祈祷は、会衆一同に代わって祈られるものですから、私たちはそれをただ聞いているだけでなく、自分自身の祈りとして心の中で共に祈ります。最後に唱和する「アーメン」は、「本当にその通り」という意味です。
聖書朗読
その日の礼拝のなかで神様がわたしたちに語りかけてくださる神の言葉として朗読されます。 聖書はすべて神の霊感を受けて書かれた偽りのない神のことばです。
説教
牧師が先に朗読された聖書をときあかし、主の救いの業が、今生きるわたしたちに示されます。
祈祷
牧師が与えられた神の言葉に感謝して祈ります。会衆は心をあわせ、「アーメン」と祈ります。
讃美
説き明かされた、神の言葉に対し悔い改めと新しい服従の決心、感謝と祈りをもって讃美します。 説教の後の讃美歌はそのメッセージに合った曲が選ばれています。
聖餐
最後の晩餐の席で主イエスが「取って食べなさい」、「この杯から飲みなさい」と言われたことに基づいて行われるものです。そこで用いられるパンによって十字架の上で裂かれたキリストの体を、葡萄酒によって十字架上で流されたキリストの血を思い起こし、赦しと救いに感謝し、献身をするためです。信仰告白し、洗礼を受け、キリストと契約を結んだクリスチャンはどなたでも聖餐にあずかることが出来ます。
献金
献金は神様に対する感謝と献身のしるしとして献げられ、教会を維持し、活動を支えるために用いられます。それぞれが心に決めた金額を献金します。礼拝当番が「礼拝席上献金」袋を持ってまわってきますので自由にお捧げください。ご用意のない方はそのままでお待ちください。当番が感謝の祈りを献げます。
報告
教会からの大切なお知らせがあります。

頌栄
礼拝において恵みを与えてくださった神様への賛美と感謝をあらわします。
祝祷
礼拝の最後は神の派遣と祝福の言葉によって閉じられます。会衆は神の祝福の恵みによってそれぞれの新しい生活の場に遣わされます。
後奏
心を静めて後奏を聞き、神からの平安を受け止めます。また新しい一週間の生活に向けて出発します。 

主日礼拝とは

礼拝とは、人間が絶対者である神に出会い、崇敬の念を表現する行為です。「仕える」「平伏する」という言葉に語源をもっています。
 信仰生活とは、礼拝の生活です。神を拝み、神に仕える生活です。その生活の中心に「主日礼拝」があります。礼拝は、定められた時に神の御前に召し集められて行うもので、主日(日曜日)に全信徒が一か所に集まって行います。その集まりこそが教会です。 
旧約聖書の十戒に「安息日を心に留め、これを聖別せよ」とあります(出エジプト記20:8)。一週の最後の日、第七日目(土曜日)が安息日として守られていました。しかし、イエス・キリストが死人の中から復活して弟子達のもとに来られたのが一週の第一日(日曜日)であったことから、やがて日曜日は「主の日」と呼ばれるようになり、安息日にとってかわりました。キリスト教の主日礼拝はここに由来します。  
主日礼拝は、キリストの復活を記念する礼拝ですが、単なる過去の記念ではなく、復活されたキリストが今ここにいます、という確信と喜びをあらわすものであり、更に、私達もやがて復活してキリストの御前に集められ神と共に住む、という終わりの日の救いを望み見るものです。  
「神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ福音書4:24)とキリストはおっしゃいます。礼拝は自分の宗教心を満足させるためでも、形式や義務としてでもありません。主体的に神の招きに応答するものです。  

聖書とは

「旧約聖書・新約聖書」の「約」は、契約の約です。つまり、聖書は、私達に対する神の契約書です。
聖書の前半にあるのが「旧約聖書」です。天地創造の出来事から始まります。神を裏切り、楽園から追放された人間を、神は出エジプトによって再び取り戻されました。
「主は彼らに語りかけて言われた。・・・『もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちは全ての民の間にあって私の宝となる。世界は私のものである』・・・(モーセは)「契約の書を取り、民に読んで聞かせた。
彼らが『私たちは主が語られたことを全て行い、守ります』と言うと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。『見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である』」(出エジプト記19~24章)。
 聖書の後半が「新約聖書」です。
イエス・キリストの誕生から始まり、この方が破たんしていた神と人間の契約関係を取り戻してくださった救い主であることの証言です。
 「(イエスは言われた)『この杯は、あなた方のために流される、私の血による新しい契約である』」(ルカによる福音書22:20)。
 「永遠の霊によって、ご自身を傷のないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです」(ヘブライ人への手紙9:14~15)
 旧約聖書は来るべきキリスト(救い主)を、新約聖書は到来したキリストを証言しています。その救い主こそ、ナザレ村出身のイエスであることを伝えています。
 イエス・キリストの生涯と死と復活は、人々をあらゆる形の奴隷状態から解放し、キリストの支配のもとに導く神の業です。


聖書によれば、歴史とはイエス・キリストにおいて完成する神の救いの歴史、「救済史」なのです。神が今も世の全ての人をご自分の下に取り戻そうと生きて働いてくださっていることを聖書は証言しています。

讃美歌とは

「のちの世代のためにこのことは書き記されねばならない。『主を賛美するために民は創造された』」(詩編102:19)
「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを極めつくし、神の道を理解し尽くせよう」(ローマの信徒への手紙11:33)
 讃美は私達の思いをはるかに超えた神を称えることです。礼拝の中で讃美歌を歌いますが、讃美は、生活の焦点を「私たち」から神に合わせます。
神を称えることは、この世界をお造りになり、統治される神の神秘への畏れと感謝をもって生きるべきであることを世に証しする業でもあります。
 「主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉と力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。」(ヨハネの黙示録4:11) 

祈りとは

祈りは神と信仰者との対話です。神に語りかけるだけでなく、神の言葉を聞くことでもあります。  
イエス・キリストは時に応じて自由に祈り、その後生涯において重要な決定をなす際にも必ず祈られました。

また、信仰者の祈りの模範として、「主の祈り」を弟子達にお教えになり、それが後に教会の祈りとなりました(マタイ福音書6:6~13、ルカ福音書11:2~4)。

キリストは、祈りの中に偽善のないこと、密室の祈りを重んじること、言葉数を少なくして自分の願いを既に神が知っていてくださることを覚えること、熱心に求めること、心を合わせて祈る教会を形成すること、常にイエス・キリストの名によって祈ることをお教えになりました。                           

献金とは

神から受けた恩恵に対して、感謝としてささげるものです。以下のような献金があります。
 ①月定献金(維持献金)
  教会員が月々、分に応じて一定額を約束してささげるもので、教会運営の基礎となります。
 ②礼拝献金(席上献金) 
礼拝の度にささげられます。
 ③特別献金
  会堂の建築、修理、特別伝道その他の目的にささげられるもの。また洗礼、結婚、誕生、故人を記念したり、クリスマス、イースターなどの教会暦にあわせてささげるもの。 

はじめての方へ

洗礼式とは

新たに信徒となって教会に受け入れられるための儀式です。 これは、「イエス・キリストを信じて、神から離れていた罪の自分に死に、これから神と共にある命を新たに生きる」という信仰を表明する儀式です。これによって「神は私の神となり、私は神の子となる」という契約が結ばれてキリスト者(クリスチャン・神の子)とされます。 洗礼をお考えの方は牧師にお声掛けください。..

聖餐式とは

当教会では、第一日曜日や教会歴で決められた日に「聖餐式」を行います。キリストが十字架にかけられる前の晩に弟子達ととられた「最後の晩餐」を思い起こす儀式です。 パンと葡萄酒はそれぞれ、私達の代わりに裂かれたキリストの肉と流してくださった血を表しています。キリストが十字架の上で肉を裂かれ、流された血によって、神との契約が立てられました。 聖餐式は契約の食卓です。洗礼によって神と契約を結び「神の子」とされた人(契約者・クリスチャン)がパンと葡萄酒(キリストの肉と血)をいただくことになります。 まだ洗礼をお受けになっていない方(未契約者)はパンと葡萄酒をお取りにならず、そのままお待ちください。洗礼へと導かれ、この契約の食事へと招かれることをお祈りいたします