5月14日の礼拝説教

使徒言行禄19:21~28

「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った」(19:21)

使徒言行禄を読むと、イエス・キリストの十字架と復活の後の二十数年間の福音の広がりの様子、教会の様子がよくわかります。ペトロやパウロといった、キリストの使徒たちの福音宣教の姿が記録されている。

ペトロもパウロも、後に教会に宛てて手紙を書き、その手紙が残されて新約聖書に入れられています。それらの手紙を見ると、当時の教会の内部の問題や、キリスト者としてのあり方について書かれています。「教会は全体でキリストの体を成しており、一教会、また一キリスト者はキリストの体の一部である」、ということが言われ、「キリストの体の一部として、聖く生きなければならない、世の誘惑に流されてはいけない」、と勧められています。

しかし、使徒言行禄では、教会の内部の問題や使徒たちがそれにどう対処したか、ということは書いていない。教会や使徒たちが「外からどう見られていたか」、ということの方に焦点を置いて記録しているのです。キリスト教会は、ある時は、ユダヤ人の信仰共同体の分派のように、ある時は、新しい哲学の学派のように、ある時は不思議な業をつかう新しい信仰集団のように見られました。

今日私たちが読んだところには、パウロがエフェソで感じていた召命と、パウロが伝えていた福音に対するエフェソの商売人たちの反発の様子が記録されています。パウロとエフェソ教会の人たちが、エフェソで女神の神殿模型を作っている職人たちから糾弾され、暴動に発展した、というところです。

私たちはこの事件を通して、今現在にまで続く、教会が向き合わなければならない問題を考えさせられることになります。

19:10にあるように、パウロはアンティオキアからエフェソに行き、そこで福音を語り続け、二年間滞在しました。パウロの福音宣教の中で、一つの町に二年間というのは一番の長期滞在です。パウロがエフェソで二年間福音を語り続けていたので「アジア州に住む者はユダヤ人であれギリシア人であれ、誰もが主の言葉を聞くことになった」と書かれています。

エフェソは、アジア州にある異邦人の大都市です。そのためエフェソ教会は異邦人主体の教会でした。パウロはエフェソのいるこの二年間にたくさんの手紙を諸教会に向けて書きました。それほど、各地の教会内部にいろんな問題が起こっていたのです。

たとえば、コリントの信徒への手紙などがそうです。「コリントの信徒への手紙」を見ると、コリント教会の内部で「私はパウロにつく」「私はペトロにつく」などといった分派争いがあったことがわかります。聖餐の儀式が乱れていたり、キリストの復活を信じない人がいたりして、コリント教会は内側にいろんな問題をはらんでいました。パウロ自身は、エルサレム教会のために献金を募っていて、コリントからそれをエルサレムへと持っていきたいと願っていた、ということもわかります。

しかし、使徒言行禄はこの時期にパウロがそのようなことで悩んでいた、というパウロの内面のことは記録していません。書かれているのはこの時のパウロ自身の召命・使命感です。

パウロは決心しています。

21節 「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心した」

「エルサレムに行く」、ということは分かりますが、「マケドニア州とアカイア州を通って」という計画には首をかしげます。東にあるエルサレムに行くために、西にあるマケドニア州、アカイア州を通っていく、という行き方です。パウロはエフェソのあるアジア州からヨーロッパ大陸に行って、エルサレムに向かう、という行き方を考えたのでした。

パウロは、自分がヨーロッパ大陸で関わった諸教会を一度訪れて、様子を見て、励ましてからエルサレムに戻ろうと考えたのでしょう。マケドニア州には、フィリピ、テサロニケ、ベレアの教会があります。アカイア州には、コリント、ケンクレアイ、そのほかの小さな町々の教会があります。全て、自分が設立に関わった教会です。そしてパウロは、これが最後の訪問になるであろうことも自分で分かっていました。

エルサレムに行った後のことについて、パウロはこう言っています。

「私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」

パウロは献金をエルサレム教会に届けてから、その先でローマに行くつもりでいるのです。「行くべき道・行かなければならない道」が、聖霊から既に示されていたようです。

23節に「この道」という言葉があります。

「この道のことでただならぬ騒動が起こった」

パウロが伝えるイエス・キリストの福音・教会が信じる福音のことを、使徒言行禄は「この道」という言葉で表現しています。ここで言われている「この道」は、単なる「道路」のことではありません。「神の召し応じた信仰者が歩む信仰の道」「キリスト者がキリストに召され、そこを歩むよう導き入れられた信仰の道」のことです。

パウロは「ローマも見なくてはならない」と言っています。この時のパウロにとっての信仰の道はローマへと至る道でした。使徒言行禄を最後まで読むと分かりますが、パウロは最後には実際にローマに行くことになります。

しかし、それは手放しでは喜ぶことが出来ない信仰の道でした。パウロはローマで逮捕され、捕らわれの身のまま福音を伝える、というところで使徒言行禄は終わことになるのです。

今エフェソにいるパウロにどこまで自分の将来が見えていたのかはわかりません。しかし、自分が神のために働き、キリストのために苦しむための道を行こうという決心を強く持っていました。

使徒言行禄9:15で神はおっしゃっています。

パウロは「私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどれだけ苦しまなければならないかを、私は彼に示そう」

パウロは自分に用意された信仰の道は苦しみの道であることを知っていて、ローマにまで行くことを決断したのです。

ヨハネ福音書の最後で、一番弟子のペトロが復活のキリストに召し出される場面がります。主イエスのことを三度「知らない」と言ったペトロは、復活の主から「私を愛しているか」と三度聞かれました。ペトロは「私はあなたを愛しています」と三度答えました。

それを聞いてキリストはおっしゃいました。

「あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」

聖書は、「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現わすようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである」と書いています。

主イエスはペトロの「死に方」をお示しになった、というのです。このやりとりがあって、主イエスはペトロに「私に従いなさい」とおっしゃいました。私たちにとって、「信仰」とは、キリストに信頼して、キリストがご用意くださる「死に場所」へと導いていただくことだと言っていいかもしれません。

私たちは「行きたくないところ」へと連れて行かれる、と言われています。実際、パウロはローマの牢屋へと続く道が示されています。それでもパウロはその「道」を行こうとしています。

これはペトロやパウロといったキリストの使徒たちだけのことではないでしょう。私たちもそうです。キリストに従う中で私たちは「行きたくないところ」へと連れて行かれることがしばしばあります。これまでの信仰生活を振り返って、「信仰ゆえの犠牲」がどれだけあったことでしょうか。

しかしそれでも、私たちは両手を伸ばして、聖霊の導きに身をゆだねます。私たちのために死んでくださったイエス・キリストの十字架を知っているからでしょう。そして復活の目撃者たちの証言を信じるからです。私たちのために命を投げ出し、死に打ち勝たれたキリストが私の名前を呼び、聖霊によって導いてくださっているという喜びがあるから、希望をもって、思いもよらない場所へと進むことが出来るのです。

パウロは「私はローマも見なくてはならない」と言っています。これは「ローマを『見なければならない・見ることになっている』」という言葉です。

イエス・キリストがご自分の十字架という宿命を弟子達にお話になった際にこうおっしゃいました。「人の子はかならず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちたちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」

主イエスは「私は十字架で殺されることに『なっている』。三日目に復活することに『なっている』」という言い方をされています。神のご計画なのだから、そうなっている、とおっしゃっているのです。

今、パウロはキリストと同じ言葉遣いをしています。

「ローマに行かねばならない。行くことになっている」

キリストが十字架へと祈りをもって進まれたように、パウロはローマで待ち受ける自分の受難へと進もうとしています。その歩みが神に用いられることを望んで。

旧約時代の預言者たちが、神の子イエス・キリストが、キリストの使徒たちがそうであったように、教会の歩みは逆風にさらされてきました。

パウロがエフェソを離れて、次の宣教に踏み出そうと決断した時、教会の福音宣教はエフェソの町の銀細工職人たちによって妨害されてしまいます。エフェソの銀細工師デメトリオという人は、教会の信仰を危険視しました。アルテミスという女神の神殿の模型を銀で造って巡礼者や観光客にそれを売って多くの利益を得ていたのに、「手で作った物は神ではない」という教会の信仰は、職人たちの利益にとって邪魔なものだし、アルテミスの女神の威光を失わせるものだ、と他の仕事仲間に告げました。このことが暴動へと発展していくことになります。

パウロが聖書を知らない異邦人の町々で伝えたのは、いつでも「神は唯一である。世界を、人間をお創りになった創造主はただお一人である」ということでした。真の神お一人をおいてほかに神はない、という福音は、偶像礼拝する人たちとって邪魔なものでしかなかったのです。

パウロはこの時期、コリントの教会にこう書き送っている。

1コリ8:4b~ 「世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、私たちは知っています。・・・唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、私たちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主イエス、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在しているのです」

この世界も自分も創造主によって造られたことを忘れないのはどれだけ難しいことでしょうか。我々の目を曇らせるものがどれだけたくさんあるでしょうか。目先の利益に、どれだけ我々の信仰が影響を受けることでしょうか。

教会のキリストへの信仰が、その町・社会の利益と相容れないということは歴史の中で繰り返されてきました。

パウロの旅の中でも、例えば、フィリピでも同じようなことがありました。占いの霊に取りつかれた女奴隷から悪霊を追い出した際、パウロは金もうけの手段をダメにされた奴隷の主人たちから訴えられてしまいました。

教会の歴史を見ると、教会の信仰と、人間にとっての目先の利益との間にはいつも緊張がありました。教会の信仰がその地域の利益に反するのであれば迫害されるのです。逆に、キリスト教信仰を取り入れた方がいいと判断されたら、利益のために利用されてきました。

イエス・キリストは弟子達に言葉を残されています。「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」「誰も、二人の主人に仕えることはできない。・・・あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」

教会は、地上の富と天の宝の間でジレンマを感じながら、キリストの言葉の意味を知っていくことになります。なぜ何の得にもならないような信仰を私たちは固く守っているのでしょうか。信仰が私たちのために地上の富、目先の利益を生みだしてくれるわけではありません。それなのに、なぜ私たちはキリストへの思いを捨てないのでしょうか。

私たちのために命を捨ててくださったキリストが「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」とおっしゃったからです。「そうすれば、必要なものは加えて与えられる」ことをその方が約束してくださったからです。私たちはキリスト後を行く中で、「本当に自分に必要なもの」を神が備え、与えてくださることの目撃者となります。

パウロはローマで困難があると知りつつ、ローマに行くことを決断しました。自分とって何の利益にもならないことです。ただ、神にとって益となることを貫こうとしたのです。

エフェソの信仰者たちは、この暴動の後も、キリストへの信仰を捨てずに地上の富以上に価値のある天上の富を見据えて神の道を歩み続けました。キリストの使徒たちは福音宣教の旅の先にある、天の宝を目指すことをやめなかったのです。

私たちが歩いているのは、まっすぐに天の宝に続いている道なのです。