2月12日の礼拝説教

使徒言行禄17:10~21

「『彼は外国の神々を宣伝する者らしい』という者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである」(17:18)

テサロニケの町でのパウロの福音宣教は一部のユダヤ人たちによって妨害され、キリストを信じた人たちにも害が及びました。9節にヤソンという人の名前が出てきます。この人は、パウロを捕えようとしていた人たちによってつかまってしまいますが、自分の身を犠牲にしてパウロの福音宣教を続けさせようとしました。ヤソンが捕らわれている間に、テサロニケの町にいたキリスト者の仲間たちが夜の闇に紛れてパウロたちをテサロニケから逃がし、ベレアの町へと送り出したのです。

パウロたちはベレアの町でも同じようにユダヤ人の会堂に入って福音宣教をしました。伝えたのは、テサロニケで伝えたのと同じことでした。

「メシアはかならず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」

「そのメシアは私が伝えているイエスである」

ベレアの人たちは、テサロニケの人たち以上に素直に、そして熱心にみ言葉を受け入れた、と書かれています。それだけではなく、自分たちが受け入れた福音がどれだけ確かなことなのか、毎日聖書を調べ続けた、とあります。

パウロが伝えた福音をベレアの人たちが信じたのは、それが聖書に基づいていたからでした。パウロは、ただ自分に起こった不思議な体験談を語ったのではありませんでした。ベレアの人たちは、パウロが体験したことを面白いから受け入れたのではありませんでした。パウロが伝えるイエスという人の十字架と復活が聖書に預言されていた神の救いと合致していたからです。

ベレアの人たちは、一つ一つ丁寧に聖書の言葉を確認しながら、イエスがキリストであることを受け入れていきました。そして「もっともっと」と、聖書の言葉とパウロが語る福音の内容を吟味していきました。

そのようにして、ベレアの町には、次第にナザレのイエスの十字架と復活を神の救いの御業として受け入れる人が増えていったのです。その人たちの聖書を求める姿が、新たにギリシャ人の上流婦人や男性も信仰へと導くことになりました。聖書を求める人たちの姿が、他の人たちに「聖書には何かがあるのではないか。自分も知りたい」と思わせていき、共に聖書を読むようになり、信仰へと導いて行ったのです。

最初にベレアに福音を伝えたのは、一人のユダヤ人、パウロでした。それを聞いた人たちは、聖書の言葉を熱心に求め、吟味していきました。そしてその人たちの信仰の姿が、人々を新しく信仰へと招き入れることになっていきました。

私達はここで、人をキリストへと招くものは何か、ということを考えることができるのではないでしょうか。ベレアの町でたくさんのギリシャ人を聖書の信仰へと導いたのは、福音を聞いて聖書を求めた人たちの信仰の姿でした。信仰者が聖書の真理を求める姿が、次の聖書を生みだすことになるのです。キリスト者が聖書のみ言葉を求める姿が、聖書の真理へと通じる道を示すことになるのです。

私たちは、ここに自分たちの礼拝生活、信仰生活の意義を見出すことが出来るでしょう。誰かをキリストの元へと導くには雄弁でなければならない、理路整然と聖書を説明できないといけない、自分が立派でなければならない、などと考える必要はないのです。それ以上に、私たちはキリストを求めることで、キリストを世に指し示すことになるのです。道を求める者、つまり、求道者として歩む足跡が、次の求道者のための道しるべとなっていくことになるのです。

一回一回の礼拝に向かう私たちの礼拝者としての姿が、日々の生活の中で人知らず祈る私たちの姿が、次の信仰者を生みだすことになります。そう考えると、私達の小さな礼拝がどれだけ多くの力をもっているのかがわかるのではないでしょうか。

テサロニケでの迫害から逃れてきたパウロたちは、ベレアで人々に福音が受け入れられ、根差していく様を見ました。しかし、それを見てゆっくり喜ぶ時間はありませんでした。テサロニケのユダヤ人たちがベレアにまで押しかけて来て、パウロの福音宣教を妨害したのです。

またパウロはすぐに逃げなければならなくなりました。ベレアのキリスト者たちがパウロをアテネの町へと逃がしました。今回は、パウロだけがアテネに先に逃げました。シラスとテモテと一緒に逃げるだけの時間もないほど、切羽詰まっていたということでしょう。パウロは一人でギリシャのアテネまで逃げて、そこでシラスとテモテが後から来るのを待つことになりました。

パウロの時代、アテネはギリシャ文化の中心でした。広いローマ帝国の中でも、様々な文化の交流地点になっていた国際的な町でした。

ユダヤ人であったパウロの目には、アテネは「偶像の町」として映りました。そもそも、守護神である女神アテネにちなんで名づけられた町です。「パウロは、アテネで二人を待っている間に、この町のいたるところに偶像があるのを見て憤慨した」と書かれています。

パウロは二人が追いつくまでの間、一人でもアテネの町で福音を語り続けました。ユダヤ人の会堂だけでなく、広場にも行って、そこに居合わせた人たちにイエス・キリストのことを伝えていきました。

有名な哲学者、ソクラテス以来、アテネの人々は広場で議論して来ました。パウロが広場に行くと、ストア派、エピクロス派の人たちがいた、ということが書かれています。これは、哲学の学派です。

広場にいた哲学者たちは、パウロが語るのを聞いて、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」とか、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言いました。

「パウロが、イエスの復活について福音を告げ知らせていたからである」と聖書に書かれています。人々は主イエスの復活、死者の復活ということに躓いたのです。

パウロは「外国の神々の宣伝をする者らしい」と言われていますが、アテネでそのように言われることには特別な意味合いがあります。有名な哲学者ソクラテスは、「アテネの人が信じることができない外国の神を持ち込もうとした」という罪で処刑された。パウロがアテネの町でそのように言われることは、敵意をもって見られた、ということですし、下手をするとソクラテスのように殺されかねません。

パウロはアレオパゴスへと招かれました。それは会議や法廷が開かれた場所でした。パウロは公の場で語ることを求められたのです。それは危険なことでもありましたが、パウロはそれでもアレオパゴスでイエス・キリストの復活を語ろうとしました。敵意と嘲笑に囲まれた中でも、イエスという方の復活を語ることをやめなかったのです。

パウロはここまで、イエス・キリストの十字架と復活を語り続けてきた。そのことで迫害されながら次の町、次の町と流れて来ました。それでもパウロはイエス・キリストの受難と復活を語ることをやめませんでした。

パウロは、後に、コリント教会にこう書き送っています。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」

パウロは迫害を受け、何度も町から追い出されても福音宣教を諦めませんでした。迫害の中で宣教を続ける自分のために、神がいつでも「逃れる道」をお与えくださっている、ということを体験から知っていたからです。使徒たちの福音宣教は試練の連続だった。しかしテサロニケでも、べレアでも、パウロたちが宣教を続けられるよう、周りに助けようとするキリスト者たちが備えられていました。

試練の中で「逃れの道」のが与えられてきたパウロはそのことを伝え、コリント教会にこう言っている。

「私の愛する人たち、こういう訳ですから、偶像礼拝を避けなさい」

パウロは、「どんな苦難の中にあっても、耐えられない試練を神はお与えにならない、逃れの道も備えてくださる、だから偶像礼拝を避けなさい、神は信頼に足る方だ」と伝えるのです。

我々人間にとって、偶像礼拝ほど魅力的なものはないでしょう。自分の手で神を作ることが出来るのです。自分の願いを込めて、自分で形作ることが出来る・・・それは自分を神とすることでもあります。

聖書にあるように、私たちにとっての一番の誘惑は、自分が神になる、ということです。真の神を忘れ、自分中心に生きることしかできなくなった人間が行きつくところは、偶像を求める、ということではないでしょうか。

そのことがどんなに危険かことかを、パウロは知っていました。コリントの信徒への手紙の中で、パウロはこう書いています。

「もし、死者が復活しないとしたら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか』ということになります。」

イエス・キリストの復活がもしなかったとしたら・・・我々人間にとって、目の前にある快楽だけが全てになってしまう、明日のことにも希望をもてなくなってしまう・・・空しいのです。快楽による幸せは一瞬なのです。後には空しさが残ります。

パウロはその空しさからキリストは私たちを救い出してくださったことを伝えます。パウロはこう書いています。

「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」

キリストの復活は、我々にとって大きな意味がありました。イエス・キリストが「初穂」として復活なさった、ということは、それに続くものがある、ということです。つつまり、キリスト者です。キリスト者が、キリストの復活に続く者とされている、ということです。

復活が無ければ食べて飲もう、どうせ死ぬのだから、一瞬の快楽を求めようという空しい命になります。しかし今や、キリストの復活が、肉体の向こうにある永遠の命という希望を私たちに見せてくれているのです。

なぜ馬鹿にされながら、笑われながら、それでもパウロはイエスという方の十字架と復活を語ったのでしょうか。キリストの復活に、永遠の命を見たからです。

ルカ福音書に、「放蕩息子のたとえ」がああります。

ある息子が、父親から自分の相続できる遺産を先にもらって、家を出て放蕩の限りを尽くして身を持ち崩してしまいました。もうどうしようもないところまで落ちてしまった時、息子は、我に返りました。

「自分は父の家にいて全て満たされていたのに、なんでこんなことになってしまったのか」

息子が父親に謝ろうと家に戻ってくると、父親は喜んでこの放蕩息子を家に迎え入れた・・・こういうたとえ話です。

この息子は、はじめ、父の家に住んでいるということがどれだけ幸せなことなのか、見えていませんでした。父と共にいるということがどれだけ安全で、満たされたことなのかが分かっていませんでした。

私たちはこのたとえ話を聞いて、この息子のことを「愚かだ」と考えるでしょう。しかし、この息子こそ、神の前の私たちの姿なのです。

我々人間は、神に造られ、神がお創りになった世界に生かされていながら、「神と共に生きる」ことの大切さすぐに忘れ、偶像を作ってしまいます。

我々は、聖書を通して、命をつかさどる方にもう一度立ち返る必要があります。キリストに導かれ、神の元に立ち返った時に、そこで初めて、我々の目に世界は新しく映るのです。「我に返る」のです。

教会を迫害していたパウロは復活のキリストに声をかけられ、召し出されました。その時、パウロの目からうろこのようなものが落ちました。

我々キリスト者は、まだ目が鱗に覆われている人たちに、イエス・キリストを証しします。アテネでのパウロのように、死人の復活を信じている、永遠の命を信じていると言うと、笑われるかもしれません。しかし、キリストはそのことをご自分の命をかけて教えてくださいました。

だから我々も、永遠の命へと向かって希望をもって歩むことで、キリストの復活が真実であることを証しするのです。パウロが、キリストの使徒たちが、また教会が担って来たその使命が、今、私たちにその使命が託されているのです。