9月11日の説教要旨

使徒言行禄11:19~30

「弟子達はそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた」(11:29)

先週まで、ペトロとコルネリウスが神の導きの中で出会い、キリストを信じて神の言葉を求めたコルネリウスに聖霊が降った、という場面を見てきました。

その後、ペトロはエルサレムに戻ります。すると、エルサレムにいたキリスト者たちが、ペトロが割礼を受けていない異邦人を訪ねて、一緒に食事をした、ということを非難し始めました。

当時のユダヤ人にとって、外国人と交際することは律法で禁じられている、という理解がありました。「イスラエルの神を知らない異邦人と交際すると自分たちの信仰がけがれる」、という思いをもっていたのです。

ペトロ自身も、コルネリウスに会う前は、そう思っていました。しかし、ペトロは神が異邦人にも聖霊を注がれたのを見て、「神はユダヤ人だけをご自分の民として招かれている」という考えは間違っていることを知りました。

ペトロは、自分を非難するエルサレムの信仰者たちに、自分がどのようにカイサリアにいるローマの百人隊長コルネリウスのもとへと導かれたのかを語りました。そして言いました。「主イエス・キリストを信じるようになった私たちに与えてくださったのと同じような賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、私のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることが出来たでしょうか」

「その言葉を聞いて、人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を讃美した」、と書かれています。

ペトロはコルネリウスとの出会いを通して、「神は人を分け隔てなさらない。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられる」ということを学ばされました。

そして、そのペトロの証を通して、エルサレムのキリスト者たちも、神はユダヤ人であろうがユダヤ人でなかろうが、全ての人をお招きになっている、ということを学んだのです。

今日私達が読んだのは、エルサレムでユダヤ人キリスト者たちがそんなことを議論している間に起こったことでした。聖霊はエルサレムの外で大きな救いの業を進めていた。

「迫害を受けて散らされた人たちは、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」、とあります。ステファノの迫害をきっかけにエルサレムで迫害された信仰者たちは、追い散らされて、ユダヤから北の地域へと逃げていったようです。そしてその人たちは、逃げながらキリストのことを伝えていきました。

多くの人は、イエス・キリストの福音をその土地その土地のユダヤ人だけに伝えていたようです。しかし、一部の人たちは、エルサレムのずっと北にあるアンティオキアの町まで、ユダヤ人以外の、ギリシャ語を話す人たちにも福音を伝えました。

アンティオキアは当時の国際都市で、ローマ帝国の中で広く使われていたギリシャ語を話す国際人がたくさんいました。そのアンティオキアで、エルサレムから逃げてきた人たちからキリストの福音を聞いて、たくさんの人たちがイスラエルの神に立ち返っていきました。

私たちはここに福音の広まりの不思議を見ます。エルサレムのキリスト者たちが何か特別な宣教をした、というのではないのです。エルサレムでキリスト者たちが「異邦人にキリストの福音を伝えるべきかどうか」と議論していた間に、彼らの知らないところで福音は異邦人に広まっていたのです。

エルサレム教会が迫害を受け、それで散らされた人たちが、逃げながら「人々に語りかけ、福音を告げ知らせた」とありますが、ここでつかわれている「語り掛けた」というのは、「噂した・話題に上らせた」というような意味合いの言葉です。

異邦人にまで福音を伝えた人たちは、キリストを噂したのです。聖書の専門知識をもって解説していったのではありません。イエス・キリストに関して、そして自分たちが見た、キリストの使徒たちの業、聖霊によるしるしのことを、黙っていられなかったのです。

旧約聖書のエレミヤ書に、こういう言葉がある。

「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、私の心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃えあがります。押さえつけておこうとして私は疲れ果てました。私の負けです」

なぜ、イエス・キリストの福音が迫害を超えて広まったのでしょうか。なぜ福音が、エルサレムのユダヤ人からアンティオキアの異邦人にまで広まったのでしょうか。福音を広めていかれるのは、神ご自身だからです。

イザヤ書にこのような神の言葉が言われています。

「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種まく人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす。」

キリストの福音・神の招きを広めていらっしゃるのは、神ご自身です。エルサレムのキリスト者が頑張ったのでも、迫害から逃れた人たちが特別な宣教をしたのでもありません。

21節に「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち返った者の数は多かった」とあります。人々が頑張って新しい信仰者をかき集めたのではありませんでした。主が信仰者たちの証の業を助けていかれたのです。それによって、キリストを信じる人たちが教会へと導かれていきました。

さてエルサレム教会に「アンティオキアでキリストを信じる人が増えている」という噂が届きました。彼らは驚いたでしょう。自分たちが「神は異邦人も招いていらっしゃるのかどうか」を議論している間に、はるか北の国際都市、アンティオキアでたくさんの異邦人がキリストを信じるようになっていた、というのです。

エルサレムの信仰者たちは、使徒の中からバルナバを選び、アンティオキアへと様子を見に行かせました。「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」とあります。

バルナバは、「慰めの子」という意味のニックネームです。その名前通り、彼はアンティオキア教会に励まし・慰めを与えました。

アンティオキアに派遣されたバルナバがしたもう一つのことは、教会を迫害し、その後キリスト者へと変わったサウロを招くことだった。サウロは、以前エルサレムでキリストの弟子達の仲間に加わろうとしましたが、皆が彼を信じないで恐れ、受け入れませんでした。教会の迫害者として有名だったサウロはエルサレム教会に受け入れられず、故郷のタルソスにいた。

バルナバはサウロの信仰を覚えていたのでしょう。彼を見つけ出し、アンティオキアへと招き、キリストの宣教を共にしました。「バルナバとサウロは、1年間、アンティオキア教会で一緒に教えた」、とあります。

二人の使徒たちが力を合わせて福音を伝える中で、教会にとって、大きな変化がありました。「このアンティオキアで、弟子達が初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」とあります。

「キリスト者」は、「キリストに属する者」という意味の言葉です。バルナバとサウロから教えを受け、洗礼を受けた人たちは、「バルナバの弟子・サウロの弟子」と呼ばれたのではありません。「キリストのもの」と呼ばれるようになったのだ。

このように、国際都市のアンティオキアでキリスト者が増えてきたことで、ユダヤ人と異邦人という区別は教会の中で薄まって来ました。人々は、キリスト者となってイエス・キリストに結び付くことで、「キリストの下で」一つとなっていったのです。

そのように、アンティオキア教会が順調に成長しているところに、エルサレムから「預言する人たち」がやって来ました。その預言者たちの中の一人、アガボという人が、「大飢饉が世界中で起こる」と預言しました。

ヨセフスというユダヤ人の歴史家は、紀元46~48年にかけて飢饉があった、と書いています。預言者アガボが言った通り、約二年にわたって、飢饉が実際に起こったようだ。

飢饉の中で、教会はどうしたでしょうか。聖書にはこう書かれている。

「弟子達はそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たち援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた」

アンティオキアの異邦人教会が、エルサレムのユダヤ人教会に援助を届けた、というのです。

エルサレムとアンティオキアという二つの、異なる人種が集っている教会が、キリストを求める信仰の中で、互いに支えあうようになきました。福音の広がりと共に、人間が作り出した壁が少しずつ無くなっていったことが分かります。

エルサレム教会とアンティオキア教会、ユダヤ人教会と異邦人教会が、一つのキリスト教会として助け合うようになっていきました。このことは、遡ってみると、信仰者同士の出会いの積み重って出来てきたことです。

ペトロとコルネリウスの出会いがあり、バルナバのサウロへの招きがありました。

もし、ペトロが聖霊の導きを信じず、異邦人に会うことを嫌がってコルネリウスに出会わなかったとしたらどうだったでしょう。

もし、バルナバがサウロの信仰を忘れてしまったり、疑ったりして、サウロをアンティオキアに招いていなかったとしたらどうだったでしょう。

エルサレム教会とアンティオキア教会との出会い、助け合いはなかったでしょうし、そもそもアンティオキア教会が生まれることもなかったでしょう。

キリストを信仰する人同士が、民族や社会的な地位を超えて、聖霊に出会わされました。それが今、エルサレム教会とアンティオキア教会との結びつき・助け合いにまで大きく成長しました。

一人の信仰者が、もう一人の信仰者と出会うことで、何かが変わっていきます。何かが育っていくのです。自分という一人の信仰者が、他の誰か一人の信仰者と出会う時、そこには必ず聖霊の導きがあります。信仰者の意思をはるかに超えて、聖霊はそこに福音の種を蒔きます。私達が、キリストへの思いを同じくする誰かと出会う時、その時に蒔かれた福音の種は30倍、60倍、100倍に種と、神によって成長させられていくことになるのです。

パウロは後に、手紙の中でマケドニア州の諸教会がエルサレム教会のために献金したことを書いています。テサロニケ教会やフィリピ教会が、自分たちが極度の貧しさの中にあったにも関わらず、エルサレムのキリスト者たちのために献金を申し出てくれた、というのです。豊かな教会が余ったものを支援した、というのではありません。貧しい教会が、貧しい教会を支援していたのです。

当時のキリスト者たちは、そのようにして、イエス・キリストが罪人のために貧しくなってくださった、その姿に倣おうとしました。その信仰者たちの、小さな信仰の業の積み重ねの上に、今の私達の信仰生活があります。

そのことを思うと、私達の信仰生活は決して小さいものではない、と言っていいのではないでしょうか。一人のキリスト者として誰かと出会う時、また献金をする時、それがどんなに小さな出会いのように思えても、どんなに額の少ない献金であっても、そこに福音の種が蒔かれ、キリストのために貧しくなる私達の姿が、キリストを指し示すことになるのです。私達の今の小さな業が、次の教会の成長のために用いられていくのです。