1月29日の礼拝説教

使徒言行禄16:25~40

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」

私たちはここまで、ヨーロッパ大陸に渡って最初のフィリピの町で起こった出来事を読んできました。

使徒たちは、フィリピというローマの植民都市に入り、町の外にいた小さな祈りの群れにキリストの福音を伝えました。占いの霊に取りつかれていた女奴隷を、悪霊から解放しました。しかし、女奴隷に占いをさせて金を設けていた、奴隷の主人たちからパウロたちは恨まれることになってしまいました。

奴隷の主人たちはパウロたちを捕らえられ、町の役人たちにこう言って引き渡しました。

「この者たちはユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」

これを聞いて、町の高官たちはパウロたちを鞭打ち、牢に入れられてしまいます。

ローマ帝国はヨーロッパからアジアにかけて広がっていた巨大な帝国でした。フィリピの人たちからすれば、パウロたちはアジア大陸から海を越えてやってきて死者の復活を伝える怪しげなよそ者たちだったのです。しかも、奴隷の主人たちにとっては、金もうけ手段をつぶされてしまった、という恨みもあります。

パウロとシラスは、人間としての尊厳をはぎ取られ、監獄に放り込まれました。裸にされて鞭で打たれ、足枷をはめられ、一番奥の牢に入れられた、とあります。そして牢の看守は「厳重に見張るように」と、命じられました。

「一番奥の牢」、ということは、一番暑く、暗く、不快な部屋で、なにより、一番逃げにくいところに入れられた、ということです。

使徒たちは聖霊に導かれてヨーロッパ大陸まで渡って来たのに、迫害を受けることになりました。普通であれば、「どうして自分たちにこんなことが起こるのだろうか。自分たちは聖霊の導きに従ってヨーロッパ大陸へと来て、キリストの福音を伝えたのに、どうして牢屋に囚われることになってしまうのか」と怒ったり、嘆いたりするでしょう。。

しかし、私たちは、牢に囚われたパウロとシラスの姿に注目したいと思います。二人は牢屋の中で「讃美の歌を歌って神に祈っていた」、とあります。二人は神を恨むのではなく、このように牢屋に捕らえられるということすらも聖霊の導きの中にあることであり、自分たちは今神の御業の中にある、と信じて、神に感謝していたのです。

そして、「パウロとシラスが讃美の歌を歌って神に祈っていると、他の囚人たちはこれに聞き入っていた」と書かれています。パウロとシラスという二人のキリストの使徒が牢屋に囚われたことで、そこに居た囚人たち、そして看守たちが、神への讃美と祈りの言葉を聞くことになったのです。

使徒たちが牢屋に囚われたということは、神が牢屋の中にまで福音を運ばれた、ということでした。だから使徒たちは、自分たちが起こっているこの苦難も、福音の広がりの中で確かに用いられていること疑わず、喜んでいたのです。

パウロは後に、フィリピ教会の人たちに獄中から手紙を書きました。パウロはその手紙の中で、「私が監禁されているのはキリストのためである」と書いています。「兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音前進に役立ったと知ってほしい」と言うのです。

自分が牢屋に囚われることで、その牢屋にいる人たちが福音を知るきっかけとなっている、ということをパウロは喜んでいるのだ。ここでのパウロと同じ姿勢です。パウロの信仰の姿勢・神への感謝は、牢獄に囚われても変わりませんでした。神が今、自分の苦難を用いてくださっている、ということを信頼して常に喜んでいるのです。

私たちは辛いことがあると、すぐに信仰の意味を見失ってしまいます。神を信じているのに、なぜ自分に苦しいこと、辛いことが起こるのか、と誰でも考えるでしょう。

しかし、信仰というものは、本当は私たちに苦難の意味を教えてくれるものなのではないでしょうか。今、自分に与えられている苦難を、神が高いところで用いてくださっている、自分の今の苦しみは決して無駄なものではなく、神がご自分の計画のために用いてくださっている・・・そのことをと教えてくれるのが信仰ではないでしょうか。

何の迷いもなく、何の苦しみもなくキリストを信じ、礼拝をするようになった人などいないでしょう。もし御利益を求めて聖書を読むのであれば、誰でも教会で幻滅するでしょう。

イエス・キリストの十字架の苦しみを通して苦難の意味を考え、私たちをはるかに超えた神の恵みのご計画が不思議な仕方で示されるのを見ようとするのが私たちの信仰なのです。パウロがそうでした。シラスがそうでした。キリストの使徒たちは皆、そうでした。

パウロたちの苦難は不思議な仕方で用いられました。二人は牢の一番奥に入れられ、足枷を付けられていて何もできませんでした。讃美の歌と祈りの言葉を紡ぐしかなかった、その中で奇跡は見せられました。大地震が起こり、牢屋の戸が開いて、囚人の鎖も全て外れたのです。

これが、パウロたちの讃美と祈りに対する神の御業でした。神はキリストの使徒を見殺しにはなさいません。信仰者が、自分の力ではどうしようもない中で捧げる祈りに、神がお応えになったのです。

私たちは、この出来事の中に、自分たちの信仰生活を重ねて見たいと思います。足枷を付けられて、牢屋の一番奥に閉じ込められているように、私たちは自分の力ではどうしようもない状況に置かれることがあります。つまり、祈るしかない時というのがあるのです。

道がないところに、道を切り開くのは、最後は祈りなのです。信仰者の歩み、教会の歩みにおいて、道を切り開いていくのは結局は祈りなのです。聖書はそのことを私たちに教えてくれています。

出エジプト記に同じようなことが記されています。エジプトで奴隷とされていたイスラエルは苦しみの叫びを上げていました。神はその叫びを聞かれ、モーセを指導者として選び出し、イスラエルをエジプトから救い出されました。

イスラエルは、エジプトから脱出して、それで終わりはありませんでした。荒野を歩かなければならなかったのです。しかも。エジプトの軍隊が後から追いかけて来ました。イスラエルは海に阻まれてそれ以上進むことが出来なくなります。

前には海。後ろにはエジプト軍。イスラエルはどうしようもなくなりました。その時、人々はモーセに食って掛かります。「一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか」「荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです」

モーセは言いました。

「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」

イスラエルの人々は、海が割れるのを見ました。イスラエルは海の中にできた道を渡り、後から来たエジプト軍は水に飲みこまれました。エジプト軍は「神がイスラエルのためにエジプトと戦っている」、と言って恐れました。

前も後ろも、右も左も塞がれている時、私たちには、上が空いています。天が空いているのです。私たちは自分たちの叫びを、祈りを、天に向ける恵が与えられています。

フィリピの牢屋でも同じことが起こりました。牢屋に閉じ込められたパウロたちは、天に向かって声を上げたのです。神が、無力な信仰者のために祈りを聞き、地震を起こし、解放されました。神が信仰者のために戦ってくださったのです。

この地震の中で一番恐怖を感じたのは、牢屋の看守でした。パウロたちを逃がさないように、と厳しく命じられていた人です。地震によって戸が開き、囚人たちの鎖も外れたので、囚人たちを逃げてしまったと思い、恐ろしくなり、剣を抜いて自殺しようとしました。

それをパウロが止めます。

「私たちは逃げていない」

パウロとシラスはそこに留まっていました。逃げ出す絶好の機会だったのに、使徒たちは逃げませんでした。彼らは、この地震を、逃げ出すための機会ではなく、神の御業を告げるため・福音を告げるための機会としたのです。

看守は、二人の讃美と祈りの声、そして地震が起こっても逃げ出さなかった二人の姿勢に何かを見出して、救いを求めました。

「救われるためにはどうすべきでしょうか」

二人が言ったのは、「主イエスを信じなさい」、これだけでした。看守はパウロとシラスの傷を洗い、自分の家族もキリストの信仰に加わりました。

看守とその家族は「神を信じる者になったことを喜んだ」と書かれています。なぜ看守は喜べたのでしょうか。実際には、看守の問題は解決していません。牢屋の戸が開き、囚人たちの鎖が外れたということを、翌朝になったら責任を問われるでしょう。

しかし、看守は家族ともども、それ以上に、神を信じる者となったことを喜んだのです。看守と家族は、パウロたちに神がなさったことを見たからです。本当に恐れるべき方を知ったからです。

翌朝、町の高官たちは、パウロとシラスを釈放するよう言って来ました。なぜ高官たちの態度が変わったのかはわかりません。ここにも神の働きがあった、と考えるべきではないでしょうか。

さて、釈放されたパウロたちだったが、すぐにその場を立ち去りませんでした。パウロもシラスも、実はローマ帝国の市民権を持っていたのです。ローマの市民権を持っていると、裁判を公正に受ける権利があります。しかし二人は裁判もなしに鞭打たれ、牢屋に閉じ込められました。パウロはそのようなことをした町の高官たちに謝罪を求めたのです。

町の高官たちはこれを聞いて驚き、そして恐れました。彼らは向いてきてパウロたちに詫びを言い、町から出て行くように頼みました。

パウロとシラスは、釈放された後、フィリピ教会のリディアの家に行き、キリスト者たちに会い、彼らを励ましてから、次の町に出発しました。パウロたちが町の高官たちに謝罪を求めたのは、これからのフィリピのキリスト者たちのために、筋道を整えようとしたからではないでしょうか。公正な裁判も無しに教会が迫害されることがないように、町の高官たちに示したのだろう。

私たちはここまで、フィリピの町におけるパウロたち、キリストの使徒の姿を見て来ました。フィリピでの福音宣教は、「成功だった」、と言えるでしょうか。

町の外にイエス・キリストを知った祈りの群れが出来ました。そこからフィリピ教会が生まれ、成長していきます。使徒たちが牢に入れられることによって、囚人や看守が讃美と祈りの言葉を聞き、看守は神の御業を見て、家族と一緒にキリストを信じ、洗礼を受けました。そして、裁判も開かずにキリスト者を牢に閉じ込めた町の高官たちに謝罪をさせました。

これら一連の出来事を見て、パウロたちの宣教が「成功だったか失敗だったか」ということは安易に断定することはできません。ただ、確かに言えることは、パウロとシラスは福音の種をフィリピの町に残した、ということです。

華々しくはないかもしれません。町中で目立つことをしたわけではありません。町の外に小さな祈りの群にキリストを伝え、牢の中で神に救われた・・・それだけです。しかし、誰も気づかないような場所であっても、そこに確かに福音の種が落ちたのであれば、あとは神が成長させてくださるのです。

詩編139:4~6 「私の舌がまだ一言も語らぬ先に、主よ、あなたは全てを知っておられる。前からも後ろからも私を囲み、御手を私の上に置いてくださる。その驚くべき知恵は私を超え、あまりにも高くて到達できない」

パウロたちは、この詩人の言葉のような思いで、牢屋の中で讃美の歌を歌い、祈りつづけたのでしょう。私たちも、祈る前から私たちの心の声を聞いてくださる神に信頼して、苦難の中でも用いられる喜びを讃美したいと思います。