10月30日の説教要旨

使徒言行禄14:19~28

「二人は・・・伝道所を力づけ、『私たちが神に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。」(14:21~22)

パウロとバルナバは、一緒に福音宣教の旅を続けて来ました。アンティオキアを出発して地中海を船で渡りキプロス島に行き、また船に乗ってペルゲという港町についてから、ピシディア州のアンティオキア、イコニオン、リストラと、町々で福音を語って来ました。今のトルコにある町々です。

福音を語りながら、二人はいろんな体験をしました。福音を受け入れてキリスト者になる人もいれば、福音を信じられないユダヤ人たちから、「聖書を冒涜している」と迫害されたりもした。

リストラの町では足の不自由な人を癒したことで、二人は地上に現れた神ではないかと礼拝されそうになりました。そうかと思うと、後から追いかけてきたユダヤ人たちから石を投げられ半殺しにされました。

いろんな苦難や迫害にあっても、二人はキリストの使徒としてイエス・キリストの福音を伝えることを止めませんでした。20節を見ると、パウロたちに教えを求め従う「弟子達」が出来ていたということがわかります。迫害の中にあっても、キリストに従おうとうする「弟子達」が形成されていったのです。

パウロとバルナバは、ここから自分たちの宣教の拠点・出発地であるアンティオキアに戻ることになります。二人は、アンティオキアまで自分たちがこれまで福音を語って来た町々を順に辿りながら戻って行くことにしました。わざわざ、自分たちを追いかけて石を投げた人たちがいる町々へともう一度戻って行くことにした、というのだ。

なぜそんな危険なことをしたのでしょうか。それぞれの町には、パウロとバルナバに向かって石を投げてくる人たちがたくさんいるのです。

パウロたちは、それでも危険を冒しながら、自分たちが福音を伝えた町々を巡り、小さなキリスト教会を励ましつつ群れの中から長老を選び、任命し、体制を整えながら、アンティオキアへと戻って行きました。

私たちは考えさせられると思います。なぜパウロたちはそんな危険を冒したのでしょうか。そして、なぜ1世紀の小さな教会は、迫害の中にあっても福音を捨てなかったのでしょうか。

あれほど弱く、小さなキリスト教会が、なぜすぐになくなってしまわなかったのか・・・

なぜ、石を投げられる小さな群れが、地中海周辺で信仰を捨てずに成長していったのか・・・

詳細は分かりません。

しかし、一つ間違いなく言えるのは、それら一つ一つの小さなキリスト者の群れが、キリストへの信仰を通して、数えきれないほどの奇跡を見ていた、ということです。「自分たちが信じているイエスという方は本当にキリストであり、神の子だ」と思わせられることが、彼らの信仰生活の中で見せられたからこそ、信仰を捨てなかったのでしょう。そうでなければ、石を投げられるような信仰を、血を流してでも命がけで守るなんてことはなかったはずです。

地中海全域にできた小さなキリスト教会の群れは、キリストへの信仰を守り、その信仰が何年も、何十年も、何百年もの時を経て、世界へと広まっていくこととなりました。

キリスト教信仰を持つと何か得になることがあって、信仰が大きな利益につながるとか、いうのであればわかります。しかし、そうではありませんでした。

使徒言行禄を見ると、パウロたちが石を投げられたり、教会が迫害されたりしています。キリストを信じるということは、なんの得にもならない、損ばかりする信仰のように思えます。

しかし、それでもキリスト者たちは、キリストへの信仰を捨てなかったのです。なぜでしょうか。信仰の苦難に勝る信仰の恵みを知っていたからです。

そのことは、パウロという人を見るとわかります。教会を迫害したサウロが、キリストの使徒パウロとなりました。考えられないような変化です。パウロが自分で頑張って自分をそのように変えたのではありません。迫害者である自分をキリストが見出し、許し、召し出してくださった、パウロはその恵みの奇跡を体験したからです。ステファノに石を投げる集団の中にいたサウロが、使徒パウロとしてステファノと同じ立ち位置に身を置くようになりました。そして生涯、イエス・キリストの名のために石を投げられる場所に身を置き続けたのです。

パウロは自分の意志でキリストの使徒になろうとしたのではありません。天からのイエス・キリストの声を聞いて自分が行くべき道が示されたのです。キリストを信じることで、分かりやすく、この世の富が増えるとか、地上の栄達が手に入る、ということではありませんでした。キリスト教信仰とはそういうものではありません。

パウロは何度も何度も迫害されました。それでも、パウロはキリストを伝えることをやめませんでした。なんとかキリストの許しの恵みに応えようとしたかったのでしょう。彼は「福音を伝えないことは私にとって不幸なのです」と後に手紙の中で書いている。

それと同じことが、キリスト者一人一人に起こって、私達は今ここにいるのでしょう。今教会はここまで歩んできました。パウロと同じように、私たちもキリストの許しを知り、その恵みに応える者として、この場へと召されています。

私達は、「なぜキリストを信じ続けるのか」と聞かれても、答えられないのではないでしょうか。言葉で全て説明できるようなものではなく、言葉にできないような何かをそれぞれが見せられたから、キリストを信じているのではないでしょうか。

パウロは、自分たちが福音宣教をした町々に一度戻って、それぞれの教会で長老を選び、「信仰に踏みとどまるように」、と励ましていきました。キリストを信じるようになること以上に、キリストを信じ続ける、ということが大変なのです。「信仰に踏みとどまる」ということが難しいのです。

ここで注目したいのは、パウロとバルナバは長老たちを任命したあと、「彼らをその信ずる主に任せた」とあることです。2人は、新しくできた教会に定住して、自分たちが責任をもってこれから福音を語り続ける、ということはしませんでした。彼らは、福音を伝え、キリストを信じる群れを作り、教会の体制を整えて、次の宣教の場所へと向かったのです。

キリストの使徒が最後の最後に教会に対してできたことは「主なる神に委ねる」ということだった。

26節にはパウロとバルナバが「成し遂げた働き」という言葉があります。2人は、キリストの使徒として、何を「成し遂げた」のでしょうか。

私達も考えたいと思います。一人の信仰者として、何をすれば「成し遂げた」と言えるのでしょうか。

ヨハネ福音書に、イエス・キリストが十字架で息を引き取られた際の、キリストの言葉があります。

「イエスは、葡萄酒を受け取ると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた」

キリストは死ぬ寸前に「成し遂げられた」と言われました。十字架の上でご自分の命をお捨てになることで、主は何を成し遂げられたのでしょうか。

主イエスはヨハネ福音書の10章でこうおっしゃっています。

「私は羊のために命を捨てる。私には、囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。私は命を、再び受けるために、捨てる」

主イエスは、「私は羊のために命を捨てる」とおっしゃいました。囲いに入っていない羊を羊飼いの下へと連れ戻すために、命をかける、というのです。それが主イエスが十字架の上で「成し遂げられた」ことでした。

主イエスは、ご自分の命を、羊を取り戻す身代金として支払われたのです。この世の罪びとにもう一度神の元へと戻るための道を切り開くためにご自分の命をかけられたのです。

パウロとバルナバが宣教の旅の中で「成し遂げた」ことは、それでした。彼らはキリストの使徒として、キリストの業に倣い、神の元へと立ち返る道を示していったのです。

キリストの使徒たちは苦しみました。何のために苦しんだのでしょうか。神の国に入るための道を人々に示すためです。

パウロとバルナバは自分たちが福音を告げ知らせてきた町々に引き返しながら教会を励ましてこう言いました。

「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」

何という言葉でしょうか。

「神の国に入る道は、楽に歩けるから、その道を選びなさい」と言ったのではありません。

神はパウロをキリストの使徒へと召し出す際に、こうおっしゃっています。「私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」

その通り、パウロは、キリストのため・神のために苦しむ道へと召されました。そして、教会の人たちに、「私と同じ道を行きなさい」と言うのです。

使徒とされたパウロは、苦しんだ。何度も迫害されました。しかし、パウロが不満だらけで信仰の道を歩んだか、というとそうではなかったのです。

パウロは後に、フィリピ教会にこう書いている。

「それにしても、あなたがたは、よく私と苦しみを共にしてくれました」

パウロとフィリピのキリスト者たちは、「キリストのために苦しむ」、ということを共に喜んでいたことがわかります。

パウロは、「福音を告げ知らせないなら、私は不幸なのです」と言っています。福音を告げ知らせることでパウロにはどんな幸せが返ってきたのでしょうか。大金持ちになって悠々自適に暮らした、というのではありません。

福音を告げ知らせることでどんなに迫害されたか、苦しんだかをパウロは手紙の中で書いています。しかしそれでも、「福音を告げ知らせないなら、私は不幸なのです」、と言うのです。

キリスト者たちは、なぜ苦しい中で信仰を捨てず、キリストの福音を伝え続けたのでしょうか。確信があったからです。彼らはイエス・キリストの復活を見たのです。だから、確信をもって、語り続けたのです。

ヨハネ福音書の中に、弟子達の足を洗われた主イエスのお姿が記されています。その際、主イエスは弟子達におっしゃいました。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。私の父の家には、住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなた方のために場所を用意したら、戻って来て、あなた方を私の元に迎える。こうして、私のいるところに、あなた方もいることになる。」

弟子達はそれを聞いたとき、主イエスがおっしゃることの意味が分かりませんでした。しかし、イエス・キリストが十字架で殺され、その後復活を見た時、彼らの道は定まりました。復活のキリストから、「私の証人となりなさい」と言われたのです。

彼らは、父なる神の家に自分の場所をキリストが用意してくださっていることを知りました。終わりの日にイエス・キリストご自身が、自分の名を呼んで迎えに来てくださることを知ったのです。本当に永遠の命が自分たちに用意されている、と分かったのです。

その彼らが、私達に、この聖書の言葉を、真理の証言として残してくれています。

1世紀の信仰者たちは、キリストが用意してくださっている永遠の命を見据えて、この世を生き抜きました。

イエス・キリストは十字架の上で「成し遂げられた」とおっしゃいました。私たちも、キリストの使徒たちや、キリスト者たちがそうしたように、神の国へと続く道を歩み抜く、ということを「成し遂げたい」と思います。

与えられたこの地上での命を通して、「成し遂げた」と言えるよう、キリストに向かって生きていきましょう。