11月20日の説教要旨

使徒言行禄15:30~16:5

「パウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた」(15:38)

「異邦人キリスト者も割礼を受けなければ、神に受け入れられないのか」ということが、アンティオキア教会とエルサレム教会との間で議論になり、エルサレムで会議が開かれました。

この会議を通して、異邦人キリスト者は割礼を強要されることはない、一番大切なのは、イエス・キリストを信じる信仰である、ということがはっきりしました。

エルサレム教会の決定を聞いたアンティオキア教会の異邦人キリスト者たちは、皆喜びました。アンティオキア教会にまた平穏が戻ってきました。

その騒動があってから数日して、パウロがバルナバに言いました。

「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えた全ての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」

パウロは、バルナバと一緒に福音を告げてできた教会の人たちのことが気になっていたのです。バルナバも同じ思いだったので、一緒に旅に出ようとしました。しかし、ここで事件が起こります。

バルナバは「マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたい」とパウロに言いました。しかし、パウロはこれに反対しました。前回の福音宣教の旅で、マルコだけが途中で帰ってしまったからです。

マルコが途中で帰ったのは、やむを得ない事情ではなかったようです。宣教の途中で病気になってしまったとか、後に残してきた家族に何か問題が起こったとか、そういうことではなく、マルコは途中で気持ちが折れてしまったのでしょう。

パウロは、「福音宣教を途中で投げ出したような者をまた連れて行くべきでない」と言って反対しました。しかしそれでも、バルナバはマルコを連れて行くことを主張しました。バルナバは、まだマルコに期待していたのです。マルコがバルナバのいとこだった、ということもあるかもしれません。

とにかく、パウロとバルナバの間で意見が激しく衝突し、ついに二人は別行動をとるようになってしまいました。

使徒言行禄は、エルサレム教会とアンティオキア教会の間に起こった論争や、パウロとバルナバというキリストの使徒同士に起こった衝突をそのまま記録しています。教会は、穏やかに成長していったのではありませんでした。教会の中にはユダヤ人もいれば異邦人もいました。使徒たちの中にも、いろんな考え方がありました。当然衝突が起こります。異なった慣習、異なった意見が、教会の中にはたくさんあったのです。

しかし、そのような数々の衝突を超えて教会は成長していきました。使徒言行禄が描いているのは、そのことなのです。

復活のイエス・キリストを実際に見た人たちに聖霊が注がれ、教会が生まれました。しかし、教会が初めから静かに一致して何の問題もなく歩んで行ったか、というとそうではありませんでした。福音が広まるにしたがっていろんな問題が、衝突が、論争が起きました。しかし、それらを超えて神のご計画は進んで行く様子が記録されているのです。

決別したバルナバとパウロは、それぞれが別の人を連れて宣教に出かけることになりました。バルナバはマルコと一緒に宣教することになり、パウロはシラスという人と一緒に宣教することになりました。

使徒言行禄はこれからパウロに焦点を当てて、福音が広がっていく様子を描いていくことになります。もうバルナバもマルコも、この使徒言行禄には出てきません。

我々は少し、このことについて考えたいと思います。使徒言行禄がバルナバとマルコのことをもうこの後描かなくなったのは、二人の宣教がこの後失敗したからなのでしょうか。

そうではありません。

パウロから「宣教者としてふさわしくない」と言われてしまったマルコはその後どうなったのでしょうか。そのことが新約聖書の中に垣間見えるところがあります。後に、ペトロが書いた手紙の中にマルコの名前が出てくるのです。トロの手紙の最後、結びの文で、「マルコがよろしくと言っています」と一言書かれています。どうやらマルコは、後にペトロと一緒にキリストの福音宣教のために働くようになったようです。

マルコはパウロの一回目の福音宣教の旅の途中で心が折れて、途中で帰ってしまいました。そのことでパウロから「マルコは福音宣教に一緒に連れて行くべきではない」と判断されてしまいます。しかし、「マルコは信仰の失格者だった、落ちこぼれの使徒だった」、と言い切ってもいいのでしょうか。

少なくともバルナバはそうは思いませんでした。そしてマルコは、やがてペトロのそばに身を置いて、キリストのために働くことになったのです。

私たちは思い出したいと思います。リストの弟子達は皆、信仰の失格者、落ちこぼれの弟子でした。キリストの弟子は、キリストが逮捕された夜、全員がキリストを見捨てたのです。12人は誰一人「キリストの弟子」と呼ばれるのにふさわしくない人たちでした。その内の一人はキリストを裏切りました。また、他の一人は「私はナザレのイエスなど知らない」と三度繰り返しました。

しかし、キリストは彼らの弱さを全て前もってご存じで、それにも関わらず彼らをご自分の弟子とされたのです。キリストは「今日、あなたがたは私を捨てて逃げてしまう。しかし、復活した後、私はあなたを迎える。ガリラヤで会おう」と弟子達に前もっておっしゃいました。そしてイエス・キリストに従い切れなかった弟子達は、復活の主に、もう一度迎え入れられることになったのです。

マルコのことを「宣教者として相応しくない」と言ったパウロだって、もとは教会を迫害した人でした。パウロは自分の手紙の中で書いています。

「私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でも一番小さなものであり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日の私があるのです」

マルコは、バルナバとパウロの宣教の旅に最後までついて行けなかったことを、負い目として感じていたのではでしょうか。信仰者として劣等感を感じていたのではないでしょうか。

しかしそれは、皆同じではないでしょうか。

神は、イエス・キリストに相応しいとは思えないような人をお選びになり、弱いまま用いられます。そう考えると、我々は、自分の信仰の姿勢を顧みて、「自分はキリストに相応しい人間かどうか」などと考える必要はない、ということがわかるのではないでしょうか。私達はただ、神はこのような私を愛してくださっている、ということを知り、感謝すればいいだけなのです。

さて、使徒言行禄は、意見が衝突したパウロとバルナバが、それぞれシラスとマルコを連れて二人一組になって宣教に出発したということを書いている。パウロもバルナバも、一人で行ったのではありませんでした。

キリストの使徒たちは、二人一組で福音宣教へと出かけて行ったのです。なぜでしょうか。イエス・キリストが弟子達を派遣なさる時に、そのようにされたからでしょう。

主イエスは弟子達を二人一組にして遣わされました。それぞれが、助け合い、励ましあって宣教を続けることが出来るように、という配慮ではないでしょうか。

イエス・キリストは、弟子達におっしゃっています。「あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、私の天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」

使徒たちがなぜ二人一組で福音宣教に出かけたのか・・・それはイエス・キリストの名の下に集う「共同体」として送りだされた、ということではないでしょうか。「個人」が派遣されたのではなく「共同体」が派遣されたのです。「二人で」キリストのお名前を伝える、そこにはイエス・キリストが共にいらっしゃる、ということでしょう。

私たちはなぜイエス・キリストの名のもとに集まり、教会という共同体の中で「共に」礼拝するのでしょうか。なぜ個々人で好き勝手に聖書を読んで、一人で好きなように神を礼拝する、ということをしないのでしょうか。キリストが私たちをそのようにお集めになり、そのようにこの世に遣わしていらっしゃるからでしょう。キリストはこの共同体と共に働かれた、だから福音は広まったのです。

このことは、私たちのように小さな群れであればこそ感じることではないでしょうか。イエス・キリストはおっしゃいました。

「あなた方の父は、あなた方に必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなた方の父は喜んで神の国を下さる」

主イエスは「小さな群れよ、恐れるな」とおっしゃいました。小さな群れは、確かに恐れてしまいます。不安になります。「これだけの人数で大丈夫なのだろうか。本当にキリストから託された福音を伝えていくことが出来るのだろうか」と考えてしまいます。

だからこそキリストは言ってくださいます。

「小さな群れよ、恐れるな」

「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」

二人一組でキリストに遣わされた弟子達、また二人一組で福音宣教へと向かったキリストの使徒たち・・・たった二人であっても彼らの働きは小さなものではありませんでした。キリストが共にいてくださったのです。

今の私たちのこの小さな礼拝も、本当は小さなものではありません。主の日に積み重ねるこの一回の礼拝が、この場所で、この町で、どれだけ大きな意味を持っていることでしょうか。

「あなた方の父は喜んで神の国を下さる」とおっしゃる、そのキリストの教えは、真理です。私たちはそのことの目撃者として、そして証言者として今ここに召されています。今ここに与えられる恵みをかみしめたいと思います。

さて、最後に、パウロが旅の途中でテモテという青年に会い、テモテに割礼を授けて自分の宣教の旅に同行させることにした、ということを見たいと思います。

私たちは、ここを読んで首をかしげるかもしれません。エルサレムでもたれた使徒会議で、「異邦人キリスト者に割礼は強要されない」と決まったのに、パウロはテモテに割礼を授けたのです。

パウロがテモテに割礼を授けた理由、それはテモテがユダヤ人だったからです。テモテの父はギリシャ人で、母がユダヤ人であった、ということが書かれています。母親がユダヤ人であれば、その子はユダヤ人なのです。して、ユダヤ人であれば、割礼を受けることは自然なことでした。

ここに、福音宣教に向かう者たちの姿勢が現れています。

パウロは後に手紙の中でこう書いている。

「私は、ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです・・・弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。全ての人に対して全ての者になりました。何とかして何人でも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、私が福音に共に与る者となるためです。」

パウロもテモテも、このように、福音を伝えるためにできることを全てやっていきました。

教会同士論争の中で、不思議と、信仰の秩序が整えられていきました。キリストの使徒同士が衝突した先で、テモテという一人の福音宣教者が召されました。

聖霊は不器用な人間の業を通して、そして人間の業を超えて働いてくださいます。一人一人がとるに足らない自分を用いてくださる神の恵みに喜びながら、与えられた場所で自分を差し出していきたいと思います。

小さな群れの小さな祈りの中に、キリストは共にいてくださいます。