9月26日の説教要旨

マルコ福音書13:14~23

「主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主はご自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである」(13:20)

「神殿はやがて崩れることになる」という主イエスの言葉を聞いた弟子達は、「それはいつ起こるのですか。どんな徴があるのですか」と聞いてきました。この主イエスの神殿崩壊預言は、この時から40年後の紀元70年に、現実のものとなります。紀元66年、ユダヤ人はローマ帝国への反乱を起こし、73年までその戦いは続きました。それはユダヤ戦争と呼ばれています。

紀元70年、ローマ軍はエルサレムを占領し、神殿と都の大部分を破壊します。エルサレムの陥落は、ユダヤ人側の負けを決定づけるものでした。エルサレムを失った後、ユダヤ人たちは、最後にはマサダという要塞にこもり、ローマ軍に包囲され、悲惨な最期を遂げることになります。

「素晴らしい建物ですね」と弟子達は神殿を見て感動していましたが、既にこの時、主イエスは40年後の、ローマに包囲され、破壊されていくエルサレム神殿が見えていらっしゃいました。

「この神殿は完全に崩れるだろう」という主イエスの言葉に驚いた弟子達は「そのことはいつ起こるのですか」と聞いてきました。主イエスは、神殿崩壊という衝撃的な出来事が、いつ起こるのか、それにはどんな兆しが見えるのか、ということを弟子達にお話にはなっていません。

主イエスが弟子達におっしゃったのは、「その時がどれほど恐ろしく、混乱しようとも、その時に見聞きするものによって惑わされてはいけない。あなたがたの信仰が揺らがないようにしていなさい」ということでした。エルサレム神殿が崩壊する時、それがどれほど恐ろしく、切迫したものか、ということを主イエスは包み隠さず弟子達にお教えになっています。

「その時が来たら、躊躇せずに逃げなさい」

「屋上から下に降りたり、家の中にあるものを取り出す暇もない、畑にいても上着を取りに家に帰る時間すら惜しんで逃げなければならないようなことが起こる」

「身重であったり、乳飲み子を抱えていたりすることですら苦しみになるだろう、もしそれが冬であればさらに苦しみは増すだろう」

このようなことをおっしゃいました。

そして、「神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来る」とまでおっしゃっています。大事なことは、それがいつ起こるのか、ということではなく、それ以上に、そのような苦難を信仰を抱いて乗り越えなければならない、ということでした。

弟子達は、そして当時のユダヤ人にとって、エルサレム神殿が崩れるなどということは考えられないことでした。エルサレムは神の都であり、神に守られているから不滅だ、と信じていたのです。

BC167年に、アンティオコス・エピファネスというシリアの王が、エルサレム神殿の財宝を奪い取り、神殿の中に偶像の像を立てようとしたことがありました。ユダヤ人たちはこれに反発して、シリアを相手に戦いました。エルサレム神殿は神の家なのです。ユダヤ人は神のために戦い、勝利しました。

このことから、「エルサレムは神の都であるため、負けることはない。エルサレム神殿は神の家であるため、異邦人によって破壊されるなどということはない」という思いがユダヤ人の間で強くなりました。

弟子達は、主イエスの言葉を聞いた後でも、「神殿が崩れるなど、信じられない」と心の内では思っていたでしょう。だからこそ主イエスは「一切のことを前もって言っておく」と、包み隠さずお話しなさったのです。

神の子イエス・キリストが神殿の崩壊を預言される、ということは、それは間違いなくそうなる、ということです。ではなぜ神殿は壊れるのでしょうか。私達がこれまで読んできたように、もう神殿は祈りの家ではなく、強盗の巣となっていたからです。神殿の境内で商人が商売をしたり、神殿に献金した弱いやもめが破産したりしてしまうようなことになっていました。弱い者たちが見向きもされていない、神の教えである律法が守られていない神殿は、神ご自身の手によって滅ぼされるのです。

神殿崩壊預言をしたのはイエス・キリストが最初ではありません。旧約の預言者たちの中にも、エルサレム神殿の崩壊を預言した人はいました。ミカや、エレミヤがそうです。

紀元前6世紀、エレミヤはエルサレムの滅びを預言しました。エルサレムが堕落していたからです。エレミヤはエルサレム神殿に入って来る人たちに言いました。

「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、空しい言葉により頼んではならない。・・・神の神殿に来て『救われた』というのか。お前たちは、あらゆる忌むべきことをしているではないか。この神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。その通り。私にもそう見える、と主は言われる」

エルサレム神殿に来て、形だけ礼拝するだけで、寄留していた外国人、孤児、寡婦を大切にせず、異教の神々を礼拝していた人たちに向かって、エレミヤはそのように言いました。「主の神殿」という言葉の響きだけで自分の信仰は満たされていると満足している人たちに、エレミヤは神の怒りを告げたのです。

エレミヤの時代、イスラエルはバビロンという大きな国に降伏して、その支配下にありました。紀元前598年にイスラエルはバビロンに降伏し、バビロンはエルサレムの王を始め、国の指導者たちを自分の国へと連行して行きました。

エルサレムに残された人たちは、有力な指導者たちを失って自分たちはこれからどうなるのか、と不安になっていました。そのような中でエレミヤは厳しい預言をします。

「エルサレムはバビロニアによって滅ぼされる。それはイスラエルの不信仰に対する神の裁きだ。私達は神の裁きを従順に受け入れ、悔い改めなければならない」

当然、エレミヤは他の人々からは嫌われました。                                        

そういう時には、人々が喜ぶことを語る偽預言者が出てきます。ハナンヤという偽預言者がエルサレムの人たちに伝えます。

「大丈夫だ。二年たてば、バビロニアに奪われた財宝も、囚われた人々も戻って来る。」

しかし、エレミヤは、「神はそんなことをおっしゃっていない。エルサレムは、これまでの不信仰を神ご自身によって裁かれることになるのだ。神殿は破壊され、70年間囚われの身として苦しまなければならない」と伝えます。

実現したのは、ハナンヤの偽の預言ではなく、エレミヤの預言でした。紀元前587年、エルサレム神殿はバビロンの軍隊によって完全に破壊されてしまいます。偶像礼拝を続けて、イスラエルの神に背を向け、弱い人たちが虐げられていたエルサレムは、神によって裁かれる、という言葉は実現したのです。

主イエスは、今まさに弟子達に、エレミヤと同じことを預言なさっています。「前もって言っておく。強盗の巣となったこの神殿は崩れ去るだろう。」

そして主イエスは何度も繰り返して、「その時には惑わされるな」とおっしゃるのです。エレミヤの時代に偽預言者が出てきたように、神殿が破壊される時には偽預言者や、偽メシアが現れるからです。

混乱の時、苦難の時には、人間は弱いのです。すがれるものがあれば、何でもすがってしまいます。特にエルサレム神殿が破壊されるようなことがあると、もうすべてが終わりだ、と人々は思ってしまうのではないでしょうか。しかし、主イエスは前もって、「それは全ての終わりではない。信仰をもって苦難の時を乗り越え、その先で新しく生まれてくるものがある」ということをほのめかしていらっしゃいます。

主イエスはここで謎めいたことをおっしゃっています。

「主がその期間を縮めてくださらなければ誰一人救われない。しかし、主はご自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。」

分かりにくい言葉ですが、「その期間」というのは、苦しむ時間のことです。「ご自分のものとして選んだ人たち」というのは、神の民イスラエルのことです。神殿が破壊された時、イスラエルはもう終わりだ、と思った人もいたでしょう。しかし、イエス・キリストは、ここで弟子達に、信仰を捨てずに苦難の時を乗り越える神の民を、神はご覧になっている、ということをお示しになりました。

神の民は、神殿崩壊後も神の使命を担い、果たしていくことになります。神殿がなくなって、それですべてが終わり、ということではありません。そこから新しく何かが生まれてくるのです。主イエスは、それを「産みの苦しみ」という言葉で表現されています。

紀元前8世紀、神がイザヤを預言者として召された時、神はイザヤにイスラエルの滅びをお示しになりました。驚くイザヤに神はこうおっしゃいました。

「エルサレムは、犯した罪のために木が切り倒されるように滅ぶだろう、しかし切り株が残る。その切り株とは聖なる種子である」。

切り株から新しく芽が生えるように、廃墟のエルサレムからまた新しいイスラエルが芽生えてくる、とおっしゃったのです。エルサレムは、滅ぼされて終わりではありませんでした。それは新しいイスラエルの始まりでした。不信仰が取り除かれた後、イスラエルはそこから新しく生まれ変わっていく、とイザヤは示されたのです。

主イエスがここで弟子達におっしゃっているのは、イザヤ預言と同じことなのです。確かに、やがて神殿は壊れるだろう。しかし、神はご自分の民のために、苦難の時を縮めてくださり、廃墟のエルサレムからまた新しい信仰の民が生まれてくることになるのです。

エルサレム神殿が破壊されても滅びない神の民、それはキリスト教会でした。イエス・キリストを信じ、キリストの十字架と復活を宣べ伝えていた群れは、エルサレム神殿の崩壊だけでなく、その後の数えきれない苦難の時を乗り越えて福音を全世界に伝えて続けて来ました。

主イエスは弟子達に、「あなた方にはこの世で苦難がある」とおっしゃいました。苦難は、それは神殿が崩壊することだけではありません。戦争、飢餓、地震、偽預言者、偽メシア、迫害、誤った教え・・・キリスト従う私達に次々と苦難が襲ってきます。

しかし私達には拠り所があります。「勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」と主イエスはおっしゃいました。苦難に満ちているこの世にあっても、この方が私達の共に居てくださるのです。

キリストが弟子達におっしゃった言葉は、今のキリスト教会で信仰を抱いて苦難に耐えている信仰者一人一人を支えてくださいます。移ろいゆく世の中で、惑わされないように、キリストに向かって揺らがずに立ち続けていきましょう。