イザヤ書8:1~8
「主は私に言われた。『大きな羊皮紙を取り、その上にわかりやすい書き方で、マヘル・シャラル・ハシュ・バズ(分捕りは早く、略奪は速やかに来る)と書きなさい』と」(8:1)
アドベントに入り、イザヤ書を読んでいます。
紀元前734年、アラムと北イスラエル王国が、南王国ユダに攻撃を仕掛けてきました。アラムと北イスラエル王国は、南ユダ王国を無理やり反アッシリア同盟に加えようとしたのです。
南ユダ王国の王アハズは、結局アッシリアに助けを求めて生き延びようとしました。大国アッシリアの傘下に入るしか弱小国ユダが生きる道はない、と思ったのです。
ユダ王国全体が上から下への騒ぎとなってオロオロしていた王のところに預言者イザヤが来て、神の言葉を告げました。
「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。外国が攻めてきても、心を弱くしてはならない。神を頼りなさい」
アハズ王は預言者が伝える神の言葉を聞き入れませんでした。エルサレムの王宮にいた政治指導者たちは、「敵の軍隊が攻めてきているのに、静かに神に任せていよう、などと悠長なことは言っていられない」と思ったでしょう。
神に頼らず、神に背を向けたユダ王国がこれからどのような道を進むことになるのかをイザヤは預言しました。
「すぐに、アッシリアが攻めてきて滅びを体験することになるだろう」
今日私たちは、イザヤ書の8章を読みました。神への信頼を拒絶したユダへの滅びの預言の続きです。
先週読んだ7章は、アハズ王をはじめ、エルサレムの王宮にいる政治的指導者たちへのイザヤの言葉でしたが、ここは、ユダ王国の民全体に向かって明らかにされた神の言葉となります。
イザヤは神から「大きな羊皮紙にマヘル・シャラル・ハシュ・バズ」と書くよう命じられました。「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」という意味の言葉です。ユダ王国がこれからたどる運命を暗示しています。そしてその言葉が真実であることをユダ王国全体に示すために、イザヤはウリヤと、ゼカルヤという二人を証人として立てました。
イザヤは、この二人が見ている前で、「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」という言葉を書き、念を入れて「ユダはこれから分捕られ、略奪されることになる」ということを公に示しました。
なぜウリヤとゼカルヤという二人が特別にユダ王国の滅びの証人として選ばれたのでしょうか。
ウリヤはユダ王国の祭司でした。この人は、アッシリア帝国の傘下に入ると決めたアハズ王からの指示を受けて、祭司でありながらエルサレム神殿の中にアッシリアの神の祭壇を作った人です。
そしてゼカルヤは、神ではなくアッシリアを頼ろうと決めたアハズ王の義理の父にあたる人でした。
つまり、この二人は、率先してイスラエルの神に背を向けた人たちだったのです。神はその二人に、自分たちの決断によってユダ王国がどうなってしまうのか、ということを見届けさせようとなさいました。自分たちの罪の結果を見届ける責任を負わされた、ということです。
イザヤは、マヘル・ハラル・ハシュ・バズという滅びの言葉を書くよう神から命じられ、ウリヤとゼカルヤの目の前でそれを書きました。神は更にイザヤにお命じになります。その時期に生まれたイザヤの息子に「マヘル・ハラル・ハシュ・バズ」と名付けるようおっしゃるのです。イザヤは、「分捕りは早く、略奪は速やかに来る」という意味の名前を自分の息子につけなければなりませんでした。
イザヤは、羊皮紙に書き付ける文字を通して、自分の息子の名前を通してユダの滅びを皆に示さなければならなかったのです。
神は、イザヤに生まれたその子が「お父さん、お母さん」と言えるようになる前に、まずユダ王国を攻めてきたアラムと北イスラエルがアッシリア帝国によって滅ぼされることを示されます。そしてアッシリアの攻撃はそれだけに留まらず、次にユダにまで攻め入ってくることをおっしゃるのだ。
実際の歴史は、その後、どうなったでしょうか。神がイザヤを通して示された通りになりました。確かに、アッシリアはユダを助けてくれました。ユダに向かって軍隊を向けていたアラムと北イスラエルを滅ぼします。しかし、アッシリアはその勢いでユダまで攻め入ってくることになるのです。
結局、ユダは、敵を自分の国へと導き入れたことになります。全て、神がイザヤを通しておっしゃった通りになりました。
私たちは今日、預言者の言うことを無視して神を信頼せず、アッシリアに頼り、アッシリアの神の祭壇を王国内に築いたユダに対して神が何をなさったのかを見ました。
神は、ご自分の民に、はっきりと滅びをお見せになりました。罪の先で待つものをお示しになったのです。預言者が神への裏切りによる滅びを預言し、その滅びは間違いなく起こることを、祭司と、王の義理の父をその証人に立てることまでして、示されました。
私たちは、人間の国・人間の支配がどれほどもろいのか、ということをここに見ます。イスラエルという小さな国がアッシリアとエジプトの間にあり、さらに周辺諸国との小競り合いを繰り返す中でどうやって生き延びてきたのか・・・それは、神への信仰でした。
神に頼ることでイスラエルは生き延びてきたのです。いや、神に生かされてきたのです。イスラエルが神の民である、ということはそういうことです。
イスラエルは、神の支配を求める民として世から召し出されました。そのイスラエルが、神を捨てて、人間の支配を求めたらどうなるか・・・。
神は、前もってそのことを、預言者と通してはっきりとお示しになりました。滅びをお見せになる神は残酷でしょうか。そうではないでしょう。少なくとも、神は預言者を通してイスラエルを滅びから救おうとなさいました。しかし、イスラエルは神の言葉に耳を貸そうとしなかったのです。
イスラエルは、神の前に、「知らなかった」とは言えないのです。必ず神は前もって預言者をお遣わしになり、ご自分の御心を示されるからです。イスラエルが滅びに向かおうとする時、神の支配から迷い出ていこうとする時、必ず前もって預言者をおつかわしになり、「その道に行けばあなたは滅びる。その先にあるのは死である。道を正しなさい。私の元へと戻ってきなさい」と警告なさいます。
人は神の言葉に耳を向けるのが下手です。イスラエルは目に見えるわかりやすい形での助けを求めました。それがアッシリアでした。
やがてユダ王国は、自分たちを助けてくれたアッシリアの軍隊によって国中を侵略され、エルサレムを包囲されてしまうことになります。皮肉なことではないでしょうか。
イスラエルの歴史は、神への裏切りの歴史と言ってもいいでしょう。出エジプトを終えて約束の地に入ったところから、イスラエルは神以外の支配者を求めてきました。外国を見て、「自分たちも、人間の王が欲しい」、と願いました。
神は預言者を通して、「あなたたちは人間の王の奴隷となる。あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。」と前もって警告なさいます。それでも、民は「人間の王を持ち、他のすべての国民と同じようになりたい」と言い張ったのです。
人間の支配はもろいのです。やがてイスラエルは南北に分裂し、北王国は金の子牛の像を作り、それを自分たちの神として民に拝ませるようになります。南王国もやがて堕落し、異教の神々に従いながら、エルサレム神殿でイスラエルの神を礼拝するようになっていきます。
神は、やがて預言者エレミヤを遣わされ、こうおっしゃいます。
「お前たちの先祖がエジプトの地から出たその日から、今日に至るまで、私の僕である預言者らを、常に繰り返しお前たちに遣わした。それでも、私に聞き従わず、耳を傾けず、かえって、うなじを固くし、先祖よりも悪い者となった。」
イスラエルは、北王国はアッシリアによって、南王国はバビロニア帝国によって滅ぼされてしまうことになります。
イスラエルの歴史から学びたいと思います。イスラエルは、神以外のものを求め頼ることで、何度も滅びを体験してきました。
パウロは、そのことを、手紙になかでこう書いている。 Continue reading →