MIYAKEJIMA CHURCH

3月6日の礼拝案内

 次週礼拝(3月6日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:マルコ福音書15:21~32

 交読文:詩編8編2節~10節

 讃美歌:讃詠546番、83番、145番、507番、頌栄543番

【報告等】

◇次週、聖餐式があります。

◇3月5日(土) 役員会があります。

 【牧師予定】

◇3月8日(火) 18時より 富士見町教会にて東支区総会があります。

◇毎週土曜日は10~17時まで伝道所にいます。お気軽にお立ち寄りください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会  Continue reading

2月27日の説教要旨

マルコ福音書15:21~32

「兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴタという所に連れて行った。」(15:21-22)

イエス・キリストは鞭で打たれ、その後600人ものローマ兵たちから暴力をお受けになりました。いよいよ、ここからキリストの十字架刑が始まります。

十字架刑とはどのような刑だったのでしょうか。十字架に上げられる囚人は、十字架に釘で打ち付けられる前にまず鞭で打たれます。十字架刑を宣告されたイエス・キリストも、鞭で打たれました。

当時ローマ兵がつかっていた鞭の中には、痛みが増すように鞭の先にガラスや陶器の破片などがつけられたりしていて、肉をえぐるように作られているものもありました。むち打ちの段階で死んでしまう囚人も多くいました。

十字架刑は奴隷やローマに反乱を企てた暴徒のための処刑法でした。みせしめのための処刑法なので、すぐには囚人を殺しません。十字架に上げられた人は、十字架の上で何時間も、人によっては何日も苦しむことになります。

紀元前1世紀を生きたローマの文筆家のキケロは十字架について、「最も残酷で不快な処刑法」と記しています。

紀元1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは十字架による死のことを「最も哀れな死」と記しています。

囚人は自分が打ち付けられることになる十字架の横木を処刑場まで運ばされます。主イエスは、鞭打ちの刑と兵士たちからのリンチによって、もうご自分で横木を運ぶ力が残っていませんでした。

弱り切った主イエスの代わりに横木を運んだのは、キレネ人シモンという人でした。総督の官邸から外へと主イエスが引き出された時、偶然そこを通りかかり、無理やり主イエスの十字架の横木を運ぶようローマ兵から命じられたのです。

シモンが「イエスの十字架を運べ」と言われてどう思ったか、どんな気持ちで十字架を運んだのか、聖書には何も記されていない。しかし、書かれていなくても私たちはすぐに想像できるだろう。「無理矢理運ばされた」とあるので、当然シモンは喜んで運んだわけではありませんでした。

シモンにとっては、見ず知らずのナザレのイエスという犯罪人の十字架を無理やり背負わされた不運でした。犯罪人の十字架を運ばされるということはシモンとって不名誉極まりないことでした。「なぜ自分が」、と運の悪さを呪ったことでしょう。

しかし、このことは、のちにシモンの栄誉となりました。

聖書はシモンのことを随分詳しく記録しています。アレクサンドロとルフォスという二人の息子たちの名前まで書かれています。

マルコ福音書が記された1世紀の教会では、「あのアレクサンドロとルフォス」の父親という知られ方をしていたのでしょう。アレクサンドロとルフォスは、福音書が記された時代には教会の指導者として皆に名が知られていたのでしょう。だからこそ、マルコ福音書はシモンのことを「あの二人の父親であるシモンが」という書き方をしているのです。

シモンは、後に主イエスの復活を知り、自分があの時背負った十字架はキリストの十字架だった、ということを知ったのでしょう。自分の肩に重く食い込んだあの十字架の痛みは、キリストのための痛みだった・・・そのことがシモンの恥を信仰の誇りへと変えたのです。

シモンは自分の二人の息子たちに、あのイエス・キリストのゴルゴタの道行きの時の話を何度も話して聞かせたのでしょう。ゴルゴタまで、見ず知らずの囚人の十字架を運んだ、ということがシモンの信仰の誇りとなり、そしてそのことが、彼をキリストの証人へと変えたのです。

私たちにとっての信仰の誇りは何でしょうか。それは、私たちがどのようにキリストの十字架を担ったか、そして、今、私たちがどのようにキリストのために自分の十字架を担っているか・・・そういうことではないでしょうか。

私たちの信仰の誇りというのは、人から拍手をもらうような、人間としての誇りではありません。シモンはゴルゴタまで、人間として立派なことをしたのではありません。誰もが嫌がることを、偶然そこを通ったというだけで嫌々やらされただけです。

シモンは主イエスを見ても、メシアだとはわかりませんでした。言われたので、仕方なく運びました。信仰者としては褒められることではありません。ここにシモンの立派さなんてものはありません。むしろシモンの信仰の弱さ・霊的な弱さが現れています。

しかし、この不名誉が、キリストの十字架の意味を知った時に、名誉に変わるのです。キリストを恥としていた人が、キリストを誇りにするようになるのです。自分の霊の弱さが神の御業の中で用いられた、ということがシモンの誇りとなり、彼はキリストの証人となりました。

使徒パウロはコリント教会にこう書いている。

「私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱い時にこそ強いからです」

なぜパウロはこんなことを言ったのでしょうか。自分の弱さが神に用いられている、ということ、そして自分が自分の力で福音を伝えているのではないということを知ったからでしょう。

パウロは「私をもっと強くしてください、私の中から弱さをなくしてください」と祈りました。しかし、祈りの中で神から言われます。

「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ発揮されるのだ」

これを聞いてパウロは、強さを求めることをやめました。

「キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と言っています。

パウロは自分の弱さを聖霊がキリストのために用いてくださっていることを知ったのです。私たちの信仰の誇りは、私たちの人間的な弱さを通して生み出されていくものなのです。

イエス・キリストを見捨てた弟子達は、のちにキリストの証人として用いられることになった。弱い罪びとに過ぎなかった弟子達でした。その罪の弱さまでも用いられることになりました。

キリストの十字架を運ぶつもりなど全くなかった、田舎から出てきたキレネ人シモンがしたことが、のちに教会の中で記憶され、聖書の中に記録されることになりました。シモンはゴルゴタの道行きの中で、キリストをキリストとして見ることはできなかった、信仰的には弱い人でした。しかし、シモンのその弱さを通して神の御業は進んだのです。

さて、私たちが今日読んだキリストの十字架への歩み、そして十字架の上での死は、聖書が私たちに描き出す救いの歴史の頂点です。聖書は十字架の残酷さを詳細に描くよりもむしろ、キリストの十字架の意味を伝えることの方に重点を置いています。

キリストが没薬を混ぜた葡萄酒を差し出されてもお飲みにならなかった、ということ、そして兵士たちがキリストの服を分け合った、ということを記しています。それほど重要に思えないようなことを、聖書はわざわざ記録しています。これは何なのでしょうか。

没薬を混ぜた葡萄酒は、痛みを緩和させるためのものでした。しかしキリストはそれをあえて拒絶され痛みを全てお受けになる道を選ばれました。

そしてキリストは服を奪われ、裸で十字架へと上げられ、十字架の下ではその服を兵士たちがくじを引いて分け合った、ということが記されています。

なぜ聖書はそのようなことをわざわざ記録しているのでしょうか。十字架に向かわれる主イエスがお受けになった痛みはすべて聖書の言葉の実現であることを示そうとしているのです。

詩編69:21「嘲りに心を打ち砕かれ、私は無力になりました。望んでいた同情は得られず、慰めてくれる人も見出せません。人は私に苦いものを食べさせようとし、渇く私に酢を飲ませようとします」

詩編22:18「骨が数えられるほどになった私の体を、彼らはさらし者にして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く。」

メシアに与えられることになっている苦しみ、孤独、嘲りは全て預言されていました。福音書は、私たちに、旧約聖書を通して預言されていたことは全て、この方の十字架だった、と伝えているのです。 Continue reading