MIYAKEJIMA CHURCH

9月25日の礼拝案内

次週礼拝(9月25日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:コリントの信徒への手紙1 1:1~3

 交読文:詩編11編

 讃美歌:讃詠546番、19番、280番、294番、頌栄543番

【牧師予定】

◇9月19日(月)~25日(日) 夏休み

9月24日(土) 東京神学大学にて 「青年の集い」で証

9月25日(日) 藤盛勇紀牧師による説教(三宅島伝道所)

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

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9月18日

使徒言行禄12章

「主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである」(12:23)

旧約聖書の「コヘレトの言葉」の中に、有名な言葉があります。

「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」

人間の知恵を超えた神の摂理・神のご計画を言い表した言葉です。

神が「時」を備え、人間の知らないところで全てを導かれていることがよく描かれているのが、創世記のヨセフ物語でしょう。

ヨセフは、12人の兄弟の中で、父親の愛情を一身に集めていました。そのことで、他の兄弟たちから疎まれ、ヨセフは最後には奴隷として売られてしまいます。売られた先でヨセフはエジプト王ファラオの夢の解き明かしをして、エジプトの宰相となりました。やがて、エジプトに飢饉が起こりますが、ヨセフに神から与えられた知恵によってエジプトは豊作の間に食料を貯蔵し、その飢饉を乗り切ることが出来ました。その飢饉の中で、ヨセフは、エジプトに食料を求めてやってきた兄弟たちと再会し、家族と和解して、共に生きるようになった、という話です。

ヨセフはその人生の中で、数多くの山と谷、喜びと苦しみを体験しましたが、最後にはエジプトの民が飢饉から救われ、自分の兄弟たちとも再会することができました。全ての山と谷・喜びと苦しみは、「神が備えられた時」へと向かう過程だったのです。

ヨセフは、自分を奴隷に売ろうとした兄弟たちにエジプトで再会した際、こう言いました。

「神が私をあなたたちより先におつかわしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」

「あなたがたは私に悪を企みましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」

私たちは聖書を読んでいて、「本当に神は働いていらっしゃるのだろうか」、と思える場面がいくつもあります。特に、神のために働いている預言者たちや、キリストの使徒たちが苦しむ姿を見ると、そう思うのではないでしょうか。

私たち自身も、神を信じているにも関わらず様々な苦難に直面する時、「神を信じているのになぜこんなに辛いことが起こるのだろうか、神を信じる意味とは何か」と考えてしまうでしょう。

しかし預言者やキリストの使徒たちは、直面する苦難にも関わらず、それでも神への信頼を捨てませんでした。そしてその信頼の先で何かを見せられたのです。「神は悪を善に変えて救いをもたらされた」というヨセフの言葉の意味を、私たちも日々の信仰生活の中で考えなければならないと思います。神が備えられた「時」ということについて、考えていきたいと思います。

今日私たちが読んだのは、イエス・キリストの使徒、ヤコブがヘロデによって殺されてしまった、という場面です。ヤコブを殺し、ペトロも殺そうとしてヘロデは、最後には神によって打たれ、死んでしまいます。

ヤコブは、元はガリラヤの漁師で、ヨハネの兄弟でした。ガリラヤで漁師をしていた時、イエス・キリストがそこを通り、「私に従いなさい」と召し出された人です。イエス・キリストの12弟子の中でも、主イエスと一番長く時を過ごした人です。

ここに出てくるヘロデは、イエス・キリストがお生まれになった時に殺そうとしたヘロデ大王の孫にあたる人で、ヘロデ・アグリッパという人でした。洗礼者ヨハネを殺したヘロデ・アンティパスの甥でもあります。暴君の血を引いていた人だ、と言っていいでしょう。

さて、ヘロデ・アグリッパは、なんのためにヤコブを殺したのでしょうか。ヤコブが殺されたのは、大飢饉が起こった時でした。食べ物が少なくなり、政治に対して、権力者に対して人々の不満が高まっていました。そういう時に、ヘロデはヤコブを殺し、そして次にペトロを見せしめにして殺そうとしていました。

ヘロデがキリストの使徒たちを殺そうとしたのは、人々の恨みをキリスト者に向けようとしたからでしょう。

「この飢饉は、キリスト者たちのおかしな信仰のせいだ。民衆に食べ物がいきわたらないのは自分のせいではない」ということを演出しようとしたのです。実際、ユダヤ人たちはヤコブが殺されたことを「喜んだ」、とあります。

先ほど、神は「時」を備えていらっしゃる、ということをお話ししました。それでは、ヤコブが殺された「時」とは何だったのでしょうか。ヤコブの命は、どのように神によって用いられたのでしょうkじゃ。

以前ヤコブは、自分の兄弟のヨハネと一緒に、イエス・キリストに「自分たちを特別扱いしてほしい」「他の10人よりも高い地位につけてください」と抜け駆けしたことがあります。

そのさい、キリストは「あなたがたは、何を望んでいるのか、自分で分かっていない」とおっしゃって、「私の杯を飲めるか」とお尋ねになりました。二人は何も考えずすぐに「飲めます」と答えました。

キリストがこの時おっしゃった「私の杯」とは「受難の杯」でした。主イエスは、弟子達全員に「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである」とおっしゃいます。

キリストに従う、ということは、そういうことでした。この世の栄達に与ることではなく、神の救い御業のためにキリストのように痛みを負っていく、ということです。神の救いのために、身代金として自分の命を捧げたイエス・キリスト、そのキリストに倣う、ということです。

ヤコブは、イエス・キリストがおっしゃった「受難の杯」をここで受けました。ヤコブの命は、神によって天に収穫されたのです。

ヘロデは、ヤコブの死をユダヤ人たちが喜んだのを見て、次にペトロを捕えました。それは、除酵祭の時期でした。除酵祭・過越祭の時期は、裁判や処刑は行われません。祭りの時期が終わったら、ペトロを殺そうとヘロデは考えていました。ユダヤ人たちをもっと喜ばせて、飢饉の不満のはけ口にするつもりだったのでしょう。

ペトロが捕らえられたことで、「教会は彼のために熱心な祈り」を神に捧げました。ここで、聖霊の救いが与えられます。牢で眠っていたペトロを天使が起こして、そこから逃がしたのです。ペトロは、ただ天使の声に従って歩いて行きました。

ペトロにとっては「現実のものとは思えない」、幻を見ているような体験でした。全てが、ペトロの意志に関係なく、「ひとりでに」救いの道が拓かれていった、というのです。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門もひとりでに開き、気が付いたら、主の天使によって、解放の道が拓かれていたのです。

私たちは使徒言行禄を通して、神の力がいつでも信仰者の祈りを通して働いてきたことを見てきました。実際の私たちの信仰生活でも、祈りを通して働く力、私たちの言葉では説明できない力を感じることがあると思います。そのことは、祈り続けている人であれば、知っているはずです。私達が今日読んだ場面のペトロほど劇的でなくても、「神は、あの時、ああいう仕方で私の祈りを聞いてくださった」ということが、信仰者それぞれにあるはずです。

教会には祈りがあります。祈りは、信仰者に与えられた一番の恵みです。神は、預言者を通して「私を求めよ。そして生きよ」とおっしゃいました。それは、神を信頼して祈って生きる、ということです。その先で、私たちはキリストのように、誰かを神の元へと招くために命を使うことが出来るのです。

ヤコブを殺し、ペトロも殺そうとした暴君ヘロデ・アグリッパはどうなったでしょうか。ヘロデは、ペトロを逃がしてしまった番兵を殺すよう命じました。そしてユダヤからカイサリアへと下って行きました。カイサリアの町の人たちに対して何かの不満があったようです。

カイサリアの人たちはヘロデから食料を受け取っていたので、ヘロデの機嫌を損ねるわけにはいきませんでした。ヘロデにへつらって彼を神のように扱いました。人々がヘロデを神のように崇めたとたん、主の天使はヘロデを打ち、ヘロデは死んでしまったのです。

このヘロデの死に方は、旧約聖書のダニエル書の内容とよく似ています。バビロンの王、ネブカドネツァルは大きな金の像を作り、それを拝むように人々に告げました。ネブカドネツァルは、王宮の屋上を散歩しながら、「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、この私が都として建て、私の権力の偉大さ、私の威光の尊さを示すものだ」と言います。すると天から声が響いて、「ネブカドネツァル王よ、お前に告げる。王国はお前を離れた」と言われてしまうのです。

自分の権力、栄光に酔いしれ、自分がまるで神であるかのようにふるまったネブカドネツァルは、神からすべてを取り去られてしまうのです。

聖書は、私たちに、人間がいかに誘惑に弱いか、そして誘惑がどれほど恐ろしいものか、時代を超えて教えようとしています。人間が神になろうとすることほど魅力的で、同時に危険なことはありません。神になろうとする者は、破滅するのです。神に打たれるのです。

旧約聖書の箴言に「主を畏れることは知恵の初め。無知なものは知恵をも諭しをも侮る」という言葉があります。

ヘロデの死に方を通して、教えられることではないでしょうか。神を畏れる、ということこそが、初めに私たちが知らなければならないことだ、というのです。それこそ、聖書が創世記で一番初めに伝えていることです。

「これを食べると神のようになれる」と蛇から言われたアダムとエバは、「食べてはいけない」と言われていた実を食べてしまいました。そのことで楽園を失います。神を畏れる、ということを忘れ、自分が神のようになれる、と思い込んだ人間の末路を、創世記は一番初めに教訓として私たちに教えてくれています。

聖書を読みながら、キリストを信じるがゆえに殺されたヤコブやステファノを見ると、恐ろしく思います。しかし、一人一人の殉教者たちは、天の国を仰ぎ見ながら、その命を神によって収穫されました。キリストは、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」とおっしゃいました。

ヨセフ物語でヨセフが言ったように、神は、人が犯す悪を善に変えてくださり、御自分の招きの御業を進めていかれます。神は、この世でキリストのために働く者を、人の知恵を超えて、人の思いを超えて用いてくださるのです。信頼して、信仰の苦難の中にあっても、神の御業を待ち望みましょう。

9月18日の礼拝案内

次週礼拝(9月18日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄12章

 交読文:詩編11編

 讃美歌:讃詠546番、53番、225番、361番、頌栄543番

【牧師予定】

◇9月19日(月)~25日(日) 夏休み

9月24日(土) 東京神学大学にて 「青年の集い」で証

9月25日(日) 藤盛勇紀牧師による説教(三宅島伝道所)

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

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9月11日の説教要旨

使徒言行禄11:19~30

「弟子達はそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた」(11:29)

先週まで、ペトロとコルネリウスが神の導きの中で出会い、キリストを信じて神の言葉を求めたコルネリウスに聖霊が降った、という場面を見てきました。

その後、ペトロはエルサレムに戻ります。すると、エルサレムにいたキリスト者たちが、ペトロが割礼を受けていない異邦人を訪ねて、一緒に食事をした、ということを非難し始めました。

当時のユダヤ人にとって、外国人と交際することは律法で禁じられている、という理解がありました。「イスラエルの神を知らない異邦人と交際すると自分たちの信仰がけがれる」、という思いをもっていたのです。

ペトロ自身も、コルネリウスに会う前は、そう思っていました。しかし、ペトロは神が異邦人にも聖霊を注がれたのを見て、「神はユダヤ人だけをご自分の民として招かれている」という考えは間違っていることを知りました。

ペトロは、自分を非難するエルサレムの信仰者たちに、自分がどのようにカイサリアにいるローマの百人隊長コルネリウスのもとへと導かれたのかを語りました。そして言いました。「主イエス・キリストを信じるようになった私たちに与えてくださったのと同じような賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、私のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることが出来たでしょうか」

「その言葉を聞いて、人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を讃美した」、と書かれています。

ペトロはコルネリウスとの出会いを通して、「神は人を分け隔てなさらない。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられる」ということを学ばされました。

そして、そのペトロの証を通して、エルサレムのキリスト者たちも、神はユダヤ人であろうがユダヤ人でなかろうが、全ての人をお招きになっている、ということを学んだのです。

今日私達が読んだのは、エルサレムでユダヤ人キリスト者たちがそんなことを議論している間に起こったことでした。聖霊はエルサレムの外で大きな救いの業を進めていた。

「迫害を受けて散らされた人たちは、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」、とあります。ステファノの迫害をきっかけにエルサレムで迫害された信仰者たちは、追い散らされて、ユダヤから北の地域へと逃げていったようです。そしてその人たちは、逃げながらキリストのことを伝えていきました。

多くの人は、イエス・キリストの福音をその土地その土地のユダヤ人だけに伝えていたようです。しかし、一部の人たちは、エルサレムのずっと北にあるアンティオキアの町まで、ユダヤ人以外の、ギリシャ語を話す人たちにも福音を伝えました。

アンティオキアは当時の国際都市で、ローマ帝国の中で広く使われていたギリシャ語を話す国際人がたくさんいました。そのアンティオキアで、エルサレムから逃げてきた人たちからキリストの福音を聞いて、たくさんの人たちがイスラエルの神に立ち返っていきました。

私たちはここに福音の広まりの不思議を見ます。エルサレムのキリスト者たちが何か特別な宣教をした、というのではないのです。エルサレムでキリスト者たちが「異邦人にキリストの福音を伝えるべきかどうか」と議論していた間に、彼らの知らないところで福音は異邦人に広まっていたのです。

エルサレム教会が迫害を受け、それで散らされた人たちが、逃げながら「人々に語りかけ、福音を告げ知らせた」とありますが、ここでつかわれている「語り掛けた」というのは、「噂した・話題に上らせた」というような意味合いの言葉です。

異邦人にまで福音を伝えた人たちは、キリストを噂したのです。聖書の専門知識をもって解説していったのではありません。イエス・キリストに関して、そして自分たちが見た、キリストの使徒たちの業、聖霊によるしるしのことを、黙っていられなかったのです。

旧約聖書のエレミヤ書に、こういう言葉がある。

「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、私の心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃えあがります。押さえつけておこうとして私は疲れ果てました。私の負けです」

なぜ、イエス・キリストの福音が迫害を超えて広まったのでしょうか。なぜ福音が、エルサレムのユダヤ人からアンティオキアの異邦人にまで広まったのでしょうか。福音を広めていかれるのは、神ご自身だからです。

イザヤ書にこのような神の言葉が言われています。

「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種まく人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす。」

キリストの福音・神の招きを広めていらっしゃるのは、神ご自身です。エルサレムのキリスト者が頑張ったのでも、迫害から逃れた人たちが特別な宣教をしたのでもありません。

21節に「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち返った者の数は多かった」とあります。人々が頑張って新しい信仰者をかき集めたのではありませんでした。主が信仰者たちの証の業を助けていかれたのです。それによって、キリストを信じる人たちが教会へと導かれていきました。

さてエルサレム教会に「アンティオキアでキリストを信じる人が増えている」という噂が届きました。彼らは驚いたでしょう。自分たちが「神は異邦人も招いていらっしゃるのかどうか」を議論している間に、はるか北の国際都市、アンティオキアでたくさんの異邦人がキリストを信じるようになっていた、というのです。

エルサレムの信仰者たちは、使徒の中からバルナバを選び、アンティオキアへと様子を見に行かせました。「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」とあります。

バルナバは、「慰めの子」という意味のニックネームです。その名前通り、彼はアンティオキア教会に励まし・慰めを与えました。

アンティオキアに派遣されたバルナバがしたもう一つのことは、教会を迫害し、その後キリスト者へと変わったサウロを招くことだった。サウロは、以前エルサレムでキリストの弟子達の仲間に加わろうとしましたが、皆が彼を信じないで恐れ、受け入れませんでした。教会の迫害者として有名だったサウロはエルサレム教会に受け入れられず、故郷のタルソスにいた。

バルナバはサウロの信仰を覚えていたのでしょう。彼を見つけ出し、アンティオキアへと招き、キリストの宣教を共にしました。「バルナバとサウロは、1年間、アンティオキア教会で一緒に教えた」、とあります。

二人の使徒たちが力を合わせて福音を伝える中で、教会にとって、大きな変化がありました。「このアンティオキアで、弟子達が初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」とあります。

「キリスト者」は、「キリストに属する者」という意味の言葉です。バルナバとサウロから教えを受け、洗礼を受けた人たちは、「バルナバの弟子・サウロの弟子」と呼ばれたのではありません。「キリストのもの」と呼ばれるようになったのだ。

このように、国際都市のアンティオキアでキリスト者が増えてきたことで、ユダヤ人と異邦人という区別は教会の中で薄まって来ました。人々は、キリスト者となってイエス・キリストに結び付くことで、「キリストの下で」一つとなっていったのです。

そのように、アンティオキア教会が順調に成長しているところに、エルサレムから「預言する人たち」がやって来ました。その預言者たちの中の一人、アガボという人が、「大飢饉が世界中で起こる」と預言しました。

ヨセフスというユダヤ人の歴史家は、紀元46~48年にかけて飢饉があった、と書いています。預言者アガボが言った通り、約二年にわたって、飢饉が実際に起こったようだ。

飢饉の中で、教会はどうしたでしょうか。聖書にはこう書かれている。

「弟子達はそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たち援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた」

アンティオキアの異邦人教会が、エルサレムのユダヤ人教会に援助を届けた、というのです。

エルサレムとアンティオキアという二つの、異なる人種が集っている教会が、キリストを求める信仰の中で、互いに支えあうようになきました。福音の広がりと共に、人間が作り出した壁が少しずつ無くなっていったことが分かります。

エルサレム教会とアンティオキア教会、ユダヤ人教会と異邦人教会が、一つのキリスト教会として助け合うようになっていきました。このことは、遡ってみると、信仰者同士の出会いの積み重って出来てきたことです。 Continue reading

9月11日の礼拝案内

次週礼拝(9月4日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄11:19~30

 交読文:詩編11編

 讃美歌:讃詠546番、52番、224番、500番、頌栄543番

【牧師予定】

◇9月19日(月)~25日(日) 夏休み

9月24日(土) 東京神学大学にて 「青年の集い」で証

9月25日(日) 三宅島伝道所:藤盛勇紀牧師による説教

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主日礼拝 日曜日 10:00~11:

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9月4日の説教要旨

使徒言行禄10:34~48

「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました」(10:34)

ペトロとコルネリウスが、神によって出会わされた場面を読んでいます。この二人の出会いは、先週もお話ししたように、「ユダヤ人と異邦人の出会い」であり、「ガリラヤの漁師とローマの百人隊長の出会い」であり、当時では考えられないようなものでした。

それは、人間には作り出すことのできない、民族・社会的な地位を超えて「神が創造された出会い」と言っていいでしょう。

神はなぜこの二人を出会わせられたのでしょうか。一つの大きな真理を示されるためでした。それをここでペトロが言い表しています。

「神は人を分け隔てなさらないことが、よくわかりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」

このペトロの言葉を読むと、「神は人を分け隔てなさる」という思いがあった、ということがわかります。当時のユダヤ人たちは「イスラエルの神は、ユダヤ人だけをご自分の民とされた。ユダヤ人でない人たち・異邦人を受け入れられることはない。神は、ユダヤ人を他の民族とは区別して特別に思ってくださっている」という思いを持っていたようです。

実際に出会った二人の様子を見ていきたいと思います。

ペトロを迎えたコルネリウスは言いました。

「よくおいでくださいました。今、私たちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」

謙遜なコルネリウスの姿です。コルネリウスは、神の言葉を聞こうとして、今「神の前にいる」と言いました。実際彼は、ペトロの前にいます。

しかし、神の言葉を自分に伝えるペトロを前にするということは、コルネリウスにとっては「神を前にする」ということだったのです。

旧約聖書のイザヤ書に、へりくだる者への神の祝福の言葉があります。

「高く、崇められて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方がこう言われる。私は、高く、聖なるところに住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる」

まさに、コルネリウスは、「へりくだる霊の人」でした。ガリラヤの漁師であったペトロを迎えて、ローマの百人隊長であったコルネリウスがひざまずいたのです。当時の社会背景を考えると、コルネリウスの方が、はるかに強い身分にありました。ここに異邦人コルネリウスの信仰の姿勢が表れています。

コルネリウスは、自分よりも身分が低くても、相手が神の言葉を聞かせてくれる人であるならば、預言者を受け入れるように、キリストを迎え入れるように、ひざまずくのです。

そして、ペトロは、その「へりくだる霊の人」コルネリウスと、その家族や親せきの上に、聖霊が注がれるのを見ました。異邦人の上に聖霊が降るのを見たのです。

ペンテコステにはエルサレムでユダヤ人に聖霊が降りました。そして今、エルサレムの外で、異邦人の町カイサリアで、ローマ兵の上に聖霊が注がれるのを見ました。エルサレムだから、とか、ユダヤ人だから、とかいうペトロが自分で勝手に作り上げていた神の民の輪郭が今、崩されました。場所や民族を超えて、神はご自分を求める信仰者に聖霊を注がれるのです。

申命記で、モーセがイスラエルの民にこう言っています。

「あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく恐るべき神、人を偏り見ず、わいろを取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。」

その人が何人で、どれぐらい社会的な身分が高いのか、などということを神はご覧になっていないのです。人を偏り見ることなく、神はお招きになっているのです。

この出会いを通して、ペトロは、「異邦人と自分との間に壁を作っていた」、ということを見せられました。

ユダヤ人と異邦人との間の壁は、教会の中でも長い間存在しました。ユダヤ人と異邦人の間に、割礼を受けている人と受けていない人の間に、社会的な地位が高い人と低い人の間に、・・・教会の中でも、「私は誰々につく」というような派閥が生まれていきました。

律法の中で、「神は人を偏り見ることはない」と言われているにも関わらず、ペトロの時代のユダヤ人たちは、ユダヤ人たちは神から特別に見られていると思い込んでしまっていたのです。このユダヤ人の意識は、後々まで教会の中に問題を残しました。キリストの使徒たちには、そのような偏見との闘いもあったのです。

パウロも、手紙の中でペトロと同じことを言っています。

「神は、人を分け隔てなさいません」

「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」です。

なぜ、キリストの元に集まった人たち、教会の群れの中でそのような壁や溝が出来てしまうのでしょうか。人はなかなか「自分と自分以外の人」という思いを捨てきれないのです。

ルカ福音書の中に、「放蕩息子のたとえ」と呼ばれるたとえ話があります。家を出て放蕩の限りを尽くしてから帰って来た放蕩息子を父親が迎え入れ、その父の許しを理解できない兄が怒った、という内容のたとえ話です。

これは、実際にあった話ではなく、たとえ話です。イエス・キリストは、神がどれほど御自分の元から離れた罪びとを求めていらっしゃるか・戻って来た罪びとを喜ばれるか、ということを伝えていらっしゃいます。

しかし、普通に読むと、兄の主張の方が正しく思えるでしょう。

「なぜ弟を赦すのか」と、兄は父親を非難します。弟が家を捨てた時点で、兄と弟の間に壁が出来ました。

それは兄にとっては、なくすべきではない壁だった。

しかし、父は「弟が戻ってきたことを喜ぶべきではないか」とその壁を取り去ろうとした。

私たちがこの「弟」の方に自分の姿を重ねた時、このたとえ話を理解することが出来ます。許される価値のない罪びとを、神は愛し、許し、天の国へと招いてくださる、ということを。

このたとえの中で一番理解できないのは、放蕩息子が帰ってきたことをここまで喜ぶ父親の許しでしょう。なぜ許したのか。なぜ喜んだのか。なぜ怒らなかったのか。その許しが、あまりに深いので、私たちには理解できないのです。

「赦す」、ということには痛みが伴います。本当は、父親は怒って放蕩息子に「許さない」と言った方が楽だったはずです。息子が自分にしたことを全て許し家に受け入れる、ということは、怒りを全て自分が飲み込む、ということであり、それは痛みを伴うことでした。

イエス・キリストの十字架の痛みは、まさに、その許しの痛みでした。ご自分に向かって「イエスを十字架に上げろ」と叫ぶ人たちの代わりに、御自分が痛みを担われたのです。ご自分を侮辱する人たちを赦すために、主は十字架で苦み、死なれました。

「どうしてそんな人たちを赦すのですか」と、私たちは思うのではないでしょうか。しかし、キリストはおっしゃいます。「私の十字架、私の痛みによって、罪びとが私の元へと戻ってくる。それは喜びではないか」

私たちはどのようにして神との間にある壁を、また隣人との間にある壁を除くことが出来るのでしょうか。イエス・キリストを知ることだ。共にキリストの元に立つしかありません。 Continue reading