MIYAKEJIMA CHURCH

5月28日ペンテコステ礼拝の案内

次週 礼拝(5月28日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄20:17~35

 交読文:詩編17:1~5

讃美歌:讃詠546番、15番、181番、185番、頌栄544番

【報告等】

◇次週はペンテコステ礼拝です。聖餐式があります。礼拝後、愛餐会があります。

【牧師予定】

◇5月30日(火) 赤羽会館にて 東京教区総会

◇6月13日(火) 富士見町教会にて

 伊豆諸島伝道委員会・三宅島伝道所支援委員会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:Continue reading

5月21日の礼拝説教

使徒言行禄20:13~24

「今、私は霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるのか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(20:22~23)

パウロはエフェソに二年間留まり、ティラノという人が持っていた会堂で、毎日イエス・キリストの福音を語り伝えてきました。彼は、「エルサレムに行き、その後、ローマに行かなくてはならない」、という使命感を抱くようになっていました。

パウロが、まさにこれからエフェソを離れてエルサレムに行こう、という時に、エフェソの町の中で暴動が起こりました。アルテミスの女神の神殿の模型を作って利益を得ていた銀細工師が、パウロが「手で造ったものは神ではない」と言っているのを聞いて人々を煽り、エフェソの教会、パウロに対する暴動を起こしたのです。

エフェソの町の書記官が、この騒動を収めました。「訴え出たいことがあれば、正式な訴えを法廷に出しなさい。創でなければ、暴動の罪に問われる恐れがある」と言われて人々が解散するとすぐに、パウロは弟子達に別れを告げてヨーロッパのマケドニア州へと出発しました。自分がこれ以上エフェソに留まっていたらまた暴動が起こり、キリスト教会が危険にさらされることを憂慮したのでしょう。

パウロはギリシャから舟に乗ってエルサレムに向かうつもりでしたが、そこでもユダヤ人からの妨害があり、計画を変えて、陸路を行くことにしました。パウロは、自分の旅に同行していた人たちを先に行かせ、一人フィリピに残り、フィリピ教会の人たちと除酵祭・過越祭を祝いました。

今日私達が読んだのは、その後のことです。

除酵祭・過越祭が終わってエルサレムへと向かうパウロは急いでいました。

16節 「できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである」

パウロとその仲間たちは、途中のアソスという港町で、合流し、パウロも船に乗りました。当時は今のように、定期航路船が出ているわけではありませんでした。商人たちの貿易船に載せてもらう、という形で海を進んでいたのです。載せてもらっているので、当然自分たちの都合で急いでもらうことはできません。商人たちの商売に合わせて、船は港から港へと進んでいきます。

船はミレトスの港に寄港しました。どうやら、少し長くここで船は停泊することになったようです。パウロはその時間を使って、ミレトスの港からエフェソに人をやり、エフェソ教会の長老たちを呼び寄せました。

これが、パウロとエフェソ教会の長老たちとの最後の別れとなります。

パウロは、これがエフェソ教会の長老たちに会える最後の機会になることを聖霊を通して知っていました。その最後の機会に、パウロは何を伝えたのか。パウロが一人の牧会者として、二度と会うことの無い信仰の友たちに、何を伝えたのか、そのことに注目したいと思います。

パウロはこれまで、教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せてきました。これは、ユダヤ人の会堂での組織の在り方、つまり、イスラエルの組織運営を踏襲したものです。エフェソ教会は、12人ほどの小さな教会でしたが、群れの運営を中心的に担う長老が任命され、信仰生活を営んでいたのです。

パウロはエフェソ教会の長老たちに、自分の使徒としてのこれまで働きがどういうものであったのかを話しました。

18節以下 「アジア州に来た最初の日以来、私があなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。」

パウロは、「試練の中で、主に仕えて来た」と言っています。「エフェソ教会の人たちのために」ではなく、「主にお仕えしてきた」と言っています。エフェソ教会の長老たちは、自分たちがパウロと過ごした日々を思い出して、パウロの言葉を頷きながら聞いたでしょう。

パウロとエフェソ教会の人たちは、イエス・キリストを証言することに自分の生活を費やしてきました。それは、キリストのために苦しむ日々でした。たった12人ほどの小さな群れが、異邦人の町でキリストを信じて生きることがどんなに大変だったか、すぐに想像できるでしょう。パウロと諸教会のキリスト者は、「成功を共にした」のではありません。イエス・キリストのための苦しみを共にしてきたのです。

パウロはエフェソ教会の長老たちとキリストのための苦しみを共にしてきたことを伝えました。それは、キリストのための苦しみを、これからも担い続けるよう伝えるためでした。パウロは、「これから自分はいなくなるが、どんなことが行く手に待ち受けていようとも、キリストの道を行く自分に倣いなさい」と、エフェソの長老たちに伝えようとしたのです。

「私はいなくなるが、これからも苦しい道をそのまま行きなさい」というパウロの教えは、一見残酷にも聞こえます。しかし、それこそ、イエス・キリストがご自分に従おうとする人たちにお求めになったことでした。

「自分の十字架を背負って、私に従いなさい」

使徒言行禄には、キリストを知らない人たちに福音を伝える「福音宣教者」としてのパウロの姿が多く記録されています。しかし、ここでは、長老を任命し、その長老を呼んで信仰の励ましを伝える「牧会者」としてのパウロの姿を見ることが出来ます。

牧会者としてのパウロの実際にどんな言葉をもって教会を励ましたり叱責したりしたのか、ということは、新約聖書に入れられているパウロの手紙を見ればわかります。パウロはいろんな問題を抱えていた諸教会、ある時は叱責し、ある時は解決策を与えようとしました。

なんのためか、というと教会のキリスト者たちが、正しく信仰に留まるためです。パウロがあれだけたくさん手紙を書かなければならなかったほど、当時の教会は常に問題を抱え、迫害に苦しみ、忍耐の中で歩んでいたのです。

使徒言行禄のパウロの旅の記述を読むと、「励ます」と言う言葉が何度も出てきます。パウロは、これまでの宣教活動の中で、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、キリスト者たちを励ましてきました。なぜ教会には、キリスト者には「励まし」が必要だったでしょうか。皆、キリストへの信仰ゆえに、苦しんでいたからです。

パウロは、「なんとかしんどい思いをしなくて済むやり方はないか。教会が上手く世渡りができる上手いやり方はないか」などとは考えなかった。キリスト者の信仰生活は「逃げ隠れできない」ものだからです。

主イエスご自身がおっしゃっています。

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることが出来ない。・・・そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」

キリスト者は、隠れることが許されない光として生きることが求められているのです。

そのキリストの教えを踏まえて、パウロは呼び寄せたエフェソ教会の長老たちに「その苦難の生活を続けなさい」、と励ましました。パウロは、「エフェソの教会にはこんな問題があるから、こうして解決していきなさい」というような目先の、細かい指示を出しているのではありません。もっと根本的な、信仰の姿勢を言うのです。

イエス・キリストは弟子達におっしゃいました。

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」

パウロはキリストに従う苦難の中で、キリストが自分と共にいてくださっていることを何度も体験していきました。そして苦難の中に喜びを見出していきました。このことは、パウロだけではありませんでした。使徒言行禄5章の最後を見ると、ペトロたち、キリストの使徒が鞭打たれた後釈放された際、「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜」んだ、とある。

「キリストのために苦しむほどの者にされた喜び」を、キリスト者は信仰生活の中で知って行くのです。主イエス・キリストのための苦しみを共にする、ということが教会の喜びです。そこに信仰の不思議があります。 Continue reading

5月21日の礼拝案内

 次週 礼拝(5月21日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄20:1~20

 交読文:詩編17:1~5

讃美歌:讃詠546番、14番、177番、186番、頌栄544番

【牧師予定】

◇5月30日(火) 赤羽会館にて 東京教区総会

◇6月13日(火) 富士見町教会にて

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5月14日の礼拝説教

使徒言行禄19:21~28

「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った」(19:21)

使徒言行禄を読むと、イエス・キリストの十字架と復活の後の二十数年間の福音の広がりの様子、教会の様子がよくわかります。ペトロやパウロといった、キリストの使徒たちの福音宣教の姿が記録されている。

ペトロもパウロも、後に教会に宛てて手紙を書き、その手紙が残されて新約聖書に入れられています。それらの手紙を見ると、当時の教会の内部の問題や、キリスト者としてのあり方について書かれています。「教会は全体でキリストの体を成しており、一教会、また一キリスト者はキリストの体の一部である」、ということが言われ、「キリストの体の一部として、聖く生きなければならない、世の誘惑に流されてはいけない」、と勧められています。

しかし、使徒言行禄では、教会の内部の問題や使徒たちがそれにどう対処したか、ということは書いていない。教会や使徒たちが「外からどう見られていたか」、ということの方に焦点を置いて記録しているのです。キリスト教会は、ある時は、ユダヤ人の信仰共同体の分派のように、ある時は、新しい哲学の学派のように、ある時は不思議な業をつかう新しい信仰集団のように見られました。

今日私たちが読んだところには、パウロがエフェソで感じていた召命と、パウロが伝えていた福音に対するエフェソの商売人たちの反発の様子が記録されています。パウロとエフェソ教会の人たちが、エフェソで女神の神殿模型を作っている職人たちから糾弾され、暴動に発展した、というところです。

私たちはこの事件を通して、今現在にまで続く、教会が向き合わなければならない問題を考えさせられることになります。

19:10にあるように、パウロはアンティオキアからエフェソに行き、そこで福音を語り続け、二年間滞在しました。パウロの福音宣教の中で、一つの町に二年間というのは一番の長期滞在です。パウロがエフェソで二年間福音を語り続けていたので「アジア州に住む者はユダヤ人であれギリシア人であれ、誰もが主の言葉を聞くことになった」と書かれています。

エフェソは、アジア州にある異邦人の大都市です。そのためエフェソ教会は異邦人主体の教会でした。パウロはエフェソのいるこの二年間にたくさんの手紙を諸教会に向けて書きました。それほど、各地の教会内部にいろんな問題が起こっていたのです。

たとえば、コリントの信徒への手紙などがそうです。「コリントの信徒への手紙」を見ると、コリント教会の内部で「私はパウロにつく」「私はペトロにつく」などといった分派争いがあったことがわかります。聖餐の儀式が乱れていたり、キリストの復活を信じない人がいたりして、コリント教会は内側にいろんな問題をはらんでいました。パウロ自身は、エルサレム教会のために献金を募っていて、コリントからそれをエルサレムへと持っていきたいと願っていた、ということもわかります。

しかし、使徒言行禄はこの時期にパウロがそのようなことで悩んでいた、というパウロの内面のことは記録していません。書かれているのはこの時のパウロ自身の召命・使命感です。

パウロは決心しています。

21節 「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心した」

「エルサレムに行く」、ということは分かりますが、「マケドニア州とアカイア州を通って」という計画には首をかしげます。東にあるエルサレムに行くために、西にあるマケドニア州、アカイア州を通っていく、という行き方です。パウロはエフェソのあるアジア州からヨーロッパ大陸に行って、エルサレムに向かう、という行き方を考えたのでした。

パウロは、自分がヨーロッパ大陸で関わった諸教会を一度訪れて、様子を見て、励ましてからエルサレムに戻ろうと考えたのでしょう。マケドニア州には、フィリピ、テサロニケ、ベレアの教会があります。アカイア州には、コリント、ケンクレアイ、そのほかの小さな町々の教会があります。全て、自分が設立に関わった教会です。そしてパウロは、これが最後の訪問になるであろうことも自分で分かっていました。

エルサレムに行った後のことについて、パウロはこう言っています。

「私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」

パウロは献金をエルサレム教会に届けてから、その先でローマに行くつもりでいるのです。「行くべき道・行かなければならない道」が、聖霊から既に示されていたようです。

23節に「この道」という言葉があります。

「この道のことでただならぬ騒動が起こった」

パウロが伝えるイエス・キリストの福音・教会が信じる福音のことを、使徒言行禄は「この道」という言葉で表現しています。ここで言われている「この道」は、単なる「道路」のことではありません。「神の召し応じた信仰者が歩む信仰の道」「キリスト者がキリストに召され、そこを歩むよう導き入れられた信仰の道」のことです。

パウロは「ローマも見なくてはならない」と言っています。この時のパウロにとっての信仰の道はローマへと至る道でした。使徒言行禄を最後まで読むと分かりますが、パウロは最後には実際にローマに行くことになります。

しかし、それは手放しでは喜ぶことが出来ない信仰の道でした。パウロはローマで逮捕され、捕らわれの身のまま福音を伝える、というところで使徒言行禄は終わことになるのです。

今エフェソにいるパウロにどこまで自分の将来が見えていたのかはわかりません。しかし、自分が神のために働き、キリストのために苦しむための道を行こうという決心を強く持っていました。

使徒言行禄9:15で神はおっしゃっています。

パウロは「私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどれだけ苦しまなければならないかを、私は彼に示そう」

パウロは自分に用意された信仰の道は苦しみの道であることを知っていて、ローマにまで行くことを決断したのです。

ヨハネ福音書の最後で、一番弟子のペトロが復活のキリストに召し出される場面がります。主イエスのことを三度「知らない」と言ったペトロは、復活の主から「私を愛しているか」と三度聞かれました。ペトロは「私はあなたを愛しています」と三度答えました。

それを聞いてキリストはおっしゃいました。

「あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」

聖書は、「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現わすようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである」と書いています。

主イエスはペトロの「死に方」をお示しになった、というのです。このやりとりがあって、主イエスはペトロに「私に従いなさい」とおっしゃいました。私たちにとって、「信仰」とは、キリストに信頼して、キリストがご用意くださる「死に場所」へと導いていただくことだと言っていいかもしれません。

私たちは「行きたくないところ」へと連れて行かれる、と言われています。実際、パウロはローマの牢屋へと続く道が示されています。それでもパウロはその「道」を行こうとしています。

これはペトロやパウロといったキリストの使徒たちだけのことではないでしょう。私たちもそうです。キリストに従う中で私たちは「行きたくないところ」へと連れて行かれることがしばしばあります。これまでの信仰生活を振り返って、「信仰ゆえの犠牲」がどれだけあったことでしょうか。

しかしそれでも、私たちは両手を伸ばして、聖霊の導きに身をゆだねます。私たちのために死んでくださったイエス・キリストの十字架を知っているからでしょう。そして復活の目撃者たちの証言を信じるからです。私たちのために命を投げ出し、死に打ち勝たれたキリストが私の名前を呼び、聖霊によって導いてくださっているという喜びがあるから、希望をもって、思いもよらない場所へと進むことが出来るのです。

パウロは「私はローマも見なくてはならない」と言っています。これは「ローマを『見なければならない・見ることになっている』」という言葉です。 Continue reading

5月14日の礼拝案内

 次週 礼拝(5月14日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄19:21~28

 交読文:詩編17:1~5

讃美歌:讃詠546番、13番、293番、365番、頌栄544番

【報告等】

◇5月13日(土)10時より 役員会があります。

【牧師予定】

◇5月30日(火) 赤羽会館にて 東京教区総会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

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5月7日の礼拝説教

使徒言行禄19:11~20

「悪霊は彼らに言い返した。『イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ』」(19:15)

三度目の福音宣教の旅に出たパウロは、エフェソの町にやって来ました。ユダヤ人の会堂に入り「聖書に預言されていた通り、救い主が来た」と伝えましたが、なかなか受け入れられませんでした。困難を覚えながらも、パウロは結局2年間そこに滞在することになりました。「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた」とあります。このことで、エフェソの人たちはパウロと、パウロが伝える福音を知っていくことになりました。

今日私達が読んだのは、エフェソの町で、ユダヤ人の祭司長スケワという人の7人の息子たちが、主イエスのお名前を使って悪霊を追い出そうとしたけれども、逆に悪霊にやられてしまった、という場面です。

使徒言行禄はスケワのことを「ユダヤ人の祭司長」と書いていますが、「ユダヤ人の祭司長」はエルサレムにしかいません。恐らく彼は「各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たち」の中の一人で、エフェソのユダヤ人たちが、祈祷師スケワの癒しの力に尊敬を払い「ユダヤ人の祭司長」という呼び名で呼んでいたのでしょう。

古代の地中海沿岸の世界では、癒しを行う人たちがいました。スケワの息子たちもそうでした。彼らはパウロという人がイエスという名前をつかって多くの奇跡を行っている、という噂を聞いたのでしょう。パウロの真似して「イエス」という名前をつかって悪霊払いを試みました。

しかし、彼らは逆に悪霊にやられてしまうのです。「イエスのことは知っている。パウロのことも知っている。だが、お前たちは何者だ」と言われ、裸にされ、傷つけられてしまいます。このことを見ると、イエスというお名前は我々人間が安易に利用してはならないものだ、ということがわかる。

エフェソは古代において魔術書の生産地でした。この事件をきっかけに、エフェソの町で魔術を行っていた多くの人は、自分が持っていた魔術書を持ってきて、皆の前で焼き捨てることになりました。銀貨5万枚分にもなる魔術書が焼き捨てられた、と書かれています。

イエス・キリストのお名前を安易に利用した人たちが悪霊に痛い目にあわされたことで、主イエスのお名前が広まった、ということは皮肉なことです。しかしそのような人間の失敗を通しても福音は広まって行く、ということでしょう。

我々は今日読んだ出来事から問われています。キリストのお名前、つまりイエス・キリストという存在を我々自身をどう捉えているでしょうか。

イエス・キリストは、福音宣教の中で多くの癒しや悪霊払いの奇跡を行われました。そのたびに人々からいろんなことを言われました。皆、主イエスが行われる奇跡の力の源は何か、ということを知りたがっていたのです。

ある時、主イエスの悪霊払いを見た人たちが「あの人は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのだ」と言いました。しかし、主イエスは冷静にお答えになった。

「悪霊の力で悪霊を追い出すのであれば、それはサタンが内輪もめしている、ということになる・・・私が神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」

悪霊の力で悪霊を追い出すなどという馬鹿なことはありません。主イエスはご自分の業を「神の指」とおっしゃいます。悪霊に勝る力、悪霊を追い払う力をお持ちの主イエスがあなたのところに来たのであれば、それは神の国・神の支配があなたに及んだ、ということなのです。

主イエスは、加えてこうおっしゃっています。

「人の子の悪口を言う者は皆許される。しかし、聖霊を冒涜する者は許されない」

主イエスがもっていらっしゃる力の源、その権威の源である神・聖霊を冒涜する人は許されません。

私たちが聖書を読む上で一つ踏まえておかなければならないのは、当時の世界には主イエス以外にも奇跡を行う人がたくさんいた、ということです。使徒言行禄にも、何人も魔術師が登場します。

サマリアにはシモンという魔術師が魔術を行い、人々を驚かせていました。そこにペトロがやって来て人々に洗礼を授けると聖霊が降るのを見ます。シモンは、ペトロに金を払って、「私にも聖霊を授ける力を授けてください」と言いますが、「神の賜物を金で手に入れられると思っているのか」と叱られてしまいます。

キプロス島にも、パウロの宣教の邪魔をしたバルイエスというユダヤ人魔術師がいました。彼は目が見えなくされてしまったことが記録されている。

聖書は私たちにはっきりと、天からの力による御業と、人間の手による不思議な業を区別して示しています。そしてその力の源を見分けることを私たちにいつも求めているのです。

さて、スケワの7人の息子たちは、主イエスのお名前を持ち出して悪霊に立ち向かいました。聖書には、こう書かれています。

「試みに主イエスの名を唱えて『パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる』」と言った。

ここに、彼らの信仰の姿勢が現れています。彼らは、「試みに」こんなことをしてみたのです。自分がキリストに救われ、キリストに召され、用いられて悪霊に立ち向かったというのではありません。「パウロにできるのであれば、自分たちもイエスの名前を使って悪霊払いができるのではないか」、という思いでした。浅はかなスケワの息子たちは逆に悪霊に痛めつけられてしまいました。

この出来事は滑稽さを帯びた、笑い話のようにも読めるでしょう。しかし、スケワの息子たちと悪霊のやり取りの中に、私たちの信仰生活の本質が透けて見えます。

この悪霊の質問は、私たちにとっても重要な意味を持っているのではないでしょうか。スケワの息子たちは、「お前たちは何者だ」と悪霊から問われています。彼らは何と答えたでしょうか。何も答えていません。答えることができなかったのではないでしょうか。この時、悪霊が納得できるような答えができたら、悪霊は逃げ去って行ったかもしれません。

我々人間は常に悪霊から「お前は何者だ」と問われているのではないいでしょうか。「イエスのことは知っている。しかしお前は何者だ」、悪霊からそう聞かれて私たちはどう答えるでしょうか。

自分の名前を答えるでしょうか。

自分の社会的な肩書で答えるだろうか。

自分の家系図を持ち出すでしょうか。

悪霊がここで尋ねているのは、もっと霊的なことです。「お前は何者だ」とは、言葉を変えると「お前と神とどういう関係にあるのか。お前とキリストとの関係はどういうものか」ということです。我々はいつでも、神との関係、キリストとの関係を問われているのです。自分は神とどれぐらい近くにいるのか、今自分はキリストからどれくらい離れてしまっているのか・・・

実は、聖書が全体を通して私たちに問いかけているのはそれなのです。創世記の初めで、神は、御自分から身を隠したアダムとエバを「どこにいるのか」とおっしゃって探されたことが書かれています。「あなたはどこにいるのか」という神の声は、今も私たちに向けて発せられています。

「お前は何者だ」という悪霊の問いと、「あなたはどこにいるのか」という神の問いは、結局は同じことでしょう。我々キリスト者は、神との契約関係をいつでも問われているのです。本当に神の御前を生きているか、イエス・キリストの十字架の痛みに対して誠実に生きているか・・・。

パウロはどうだったでしょうか。

パウロは後に、手紙の中でこう書いている。

「思い上がることのないようにと、私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです・・・主は、『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」

「私たちは・・・宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために」

「このわたしには、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」

悪霊は、私たちに向かって「お前は一体何者か」と問いかけてきます。その問いを通して私たちが問われているのは、「あなたは誰のものなのか、あなたは誰に仕えているのか、あなたは誰の配の中に生きているのか」ということです。

私たちは「イエス・キリストだ」と答えるのです。「私はイエス・キリストのものであり、キリストに仕え、キリストの支配の中に生きている。私はキリストの器であり、私たちの弱さを通してキリストはご自分の栄光を示されるのだ」と。 Continue reading

5月7日の礼拝案内

次週 礼拝(5月7日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄19:11~20

 交読文:詩編17:1~5

讃美歌:讃詠546番、12番、316番、521番、頌栄543番

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◇次週、聖餐式があります。

◇5月6日(土)10時より 役員会があります。

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◇5月30日(火) 赤羽会館にて 東京教区総会

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4月30日の礼拝説教

使徒言行禄19:1~10

「人々はこれを聞いて、主イエスの名によって洗礼を受けた」(19:5)

北アフリカのアレクサンドリアから、エフェソの町にアポロという雄弁なキリスト者が来て、大胆にキリストの福音を語りました。アポロは次に海を渡ってコリントの町へと向かっていきました。

それと入れ替わりで、パウロがエフェソの町に入って来ました。エルサレムとアンティオキアの教会への自分の福音宣教の報告を終えて、ガラテヤ、フリギアの地方にある諸教会のキリスト者たちを励ましながらエフェソにやって来たのです。

エフェソの町にも「12人ほど」の、小さなキリスト者の群がありました。パウロやアポロが来る前に、他のキリストの使徒が福音を既に伝えていたようです。そこに、コリントからパウロと行動を共にするようになったアキラとプリスキラが来て、またその後アポロが来たりして、イエス・キリストを信じる人が少しずつ与えられてきたのでしょう。

これまでパウロは、キリストの福音を知らない人たちに、イエス・キリストの十字架と復活を告げ、神が聖書を通して預言してこられた救いの実現を伝えて来ました。しかしこのエフェソでは、すでに福音を知っている人たちに、更に自分が神から示されたことを伝えることになりました。他の使徒たちがすでに伝えた福音を壊さずに、自分に示された福音の理解を加えていく、ということはこれまでにない難しさがあったでしょう。パウロにとって、新たな試練だったと思います。

パウロはキリストの福音を既に受け入れていたエフェソのキリスト者たちに何を伝えるべきかを探るために、一つの質問をしました。

「信仰に入った時、聖霊を受けましたか」

パウロは「洗礼を受けた時、聖霊を受けたかどうか」、ということを、信仰の一番根本にあることとして、重要視したようです。

エフェソのキリスト者たちは、パウロの質問に対して「聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と答えました。「それならどんな洗礼を受けたのですか」と尋ねると、「ヨハネの洗礼です」と言います。パウロは、エフェソの信仰者たちが知っているのは「ヨハネの洗礼」だけで、「聖霊が本当にあるかどうかも聞いたことがない」、と答えたことを問題視しました。

エフェソ教会で聖書を語ったアポロも、知っているのは「ヨハネの洗礼」でした。「ヨハネの洗礼しか知らない」、ということは、どうやらキリスト者として何かが不足している、ということだったようです。

洗礼者ヨハネは、イエス・キリストが来られる前に、エルサレムの町から少しはずれた荒れ野で人々に洗礼を授けていた人でした。エルサレムからはるか遠く離れた場所で暮らしていたエフェソのキリスト者たちは、「ヨハネの洗礼」だけは伝え聞いていました。しかし、「イエス・キリストの名による洗礼」はまだ知らなかったのです。

パウロはエフェソ教会の人たちに「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです」と説明しました。そして改めて、エフェソの信仰者たちに「主イエスの名による洗礼」を授けました。するとエフェソの信仰者たちの上に聖霊が降り、異言を話したり、預言をしたりしたのです。

さて、私たちは、ここで考えさせられる。「ヨハネの洗礼」と「キリストの名による洗礼」は、何が違うのでしょうか。「ヨハネの洗礼」には、一体何が不足していたのでしょうか。

洗礼者ヨハネ自身は荒れ野でこう言いました。

「私はあなたたちに水で洗礼を授けるが、私よりも優れた方が来られる。・・・その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」

ヨハネは「水」で洗礼を授け、キリストは「聖霊と火」で洗礼を授けられる、と言っています。「水」による清めと、「聖霊と火」による清めの違いがある、ということがわかります。

ヨハネの洗礼は、「水」によって罪のけがれを洗うという儀式でした。神から離れて生きていた自分と決別し、神の元へと立ち返り、神と共に生きる、という「罪の自分」との決別でした。

イエス・キリストの名による洗礼はどうなのでしょうか。「聖霊と火」による洗礼とはどういうことなのでしょうか。聖書で「火」は「神の裁き」を象徴する言葉です。火で金属が精錬されていくように、信仰者も、聖霊と火によって清くされていくことになります。

私たちは、イエス・キリストの名による洗礼を通して、「罪の自分」との決別に加えて、世の終わりにある「神の裁き」へと向かいながら「聖くされていく」ということでしょう。

エフェソのキリスト者たちは、「ヨハネの洗礼」を通して、「罪の自分に死ぬ」、ということは体験していました。しかし、過去に決別した後、これからどこへと向かって行くのか、ということはまだはっきりわかっていなかったようです。

彼らは、主イエスの名による洗礼を通して、「自分たちは世の終わり向かっており、そこに続く道をイエス・キリストと共に、聖霊に導かれて清められながら歩んでいる」ということを知ったのです。その道の上で、日々新たにされていく歩みへと踏み出しました。このことが、「キリストの名による洗礼によって新しく生まれる」、ということだったのです。キリストの名による洗礼を通して、人は新しい道を歩み始めます。これまでの道との決別に加えて、私たちには次の一歩が与えられるのです。

エフェソの12人の信仰者たちは、新しく、どこに向かっているのかをはっきりと知って道を歩み始めました。12は、イスラエルを象徴する数字です。この12人は、エフェソの町によける新しいイスラエル・新しい神の民として聖霊と共に歩み始めたのです。

私たちは改めて洗礼というものを考えたいと思います。自分の洗礼を振り返ってどうでしょうか。何を考えて、何を求めて洗礼を受けたでしょうか。「もう忘れた」こともあるでしょうが、確かなのは、「新しい自分」を求めた、ということでしょう。それまでの自分との決別を求めて、次に新しくなる自分に期待をして受洗したのではないでしょうか。「神を知らず、神から離れて生きる自分」と決別して、「神と共に生きる自分」になりたかったでしょう。キリストなしの人生を考えられなくなったのではないでしょうか。

パウロは後に、コリント教会への手紙にこう書いています。

「世の終わりに、おのおの「火によって吟味される」 そして「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」と言っています。キリストの名によって洗礼を受け、聖霊と火で罪を洗っていただいた私たち自身、聖霊の住まいなのです。私たちは聖い神殿であり、聖い霊の住まいとされたのです。

私たちは、洗礼によって過去と決別しただけではありません。キリストは、十字架へと上げられる直前に、弟子達におっしゃいました。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私の下に迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなた方は知っている。」

キリストがおっしゃった通り、私たちは、洗礼を受け、聖霊に導かれて、いずれどこにたどり着くのかを知っています。キリストが用意してくださった場所へと今も進んでいるのです。肉体の死を超えてキリストは共にいてくださいます。死を超えたインマヌエルという恵みを私たちはいただきました。

世の終わりには神の裁きがあります。神の前に立って裁かれるその場所へと、私たちは今どう生きるべきでしょうか。キリスト者はそれを考えて日々を生きるのです。

パウロは、「聖霊を受けたかどうか」ということにこだわりました。私たちは、ここでも更に考えさせられるでしょう。

「自分は聖霊を受けているのか。どうやったらそれがわかるのか」

「聖霊」という言葉は聖書の中にたくさん出てきますが、それが一体何なのか、自分にどういう働きを及ぼしているのか、よくわからないのではないでしょうか。

ある人は、「聖霊は私たちに神への恐れを生じさせるものだ」、と言っています。聖霊は、神への恐れを、本当に恐れるべき方を教える力だ、と言うのです。確かにそうでしょう。

聖書で「霊」は、「息」「風」と同じ言葉です。聖霊というのは、聖い息であり、聖い風でもあるのです。創世記にあるように、人は、鼻に神の息を吹き込まれて生きるものとされました。そして人は聖い風に吹かれて、行くべき場所へと導かれていきます。

聖霊は私たちを生かすものなのです。そのことを思うと、この息・風を吹かせてくださる方への恐れへと私たちは導かれるのではないでしょうか。

使徒言行禄の5章に、アナニアとサフィラの夫婦が、土地の代金をごまかしてキリストの使徒たちに献金をしたことが、書かれています。人を騙して得た金を夫婦で神に捧げました。そのことで二人は、主の「霊」に打たれて死んでしまいます。

アナニアが倒れて息が絶えたのを見た「人々は非常に『恐れた』」とあります。妻のサフィラも倒れて息が絶え、「教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に『恐れた』」とあります。 Continue reading