MIYAKEJIMA CHURCH

4月30日の礼拝案内

 次週 礼拝(4月30日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄19:1~10

 交読文:詩編17:1~5

讃美歌:讃詠546番、11番、147番、498番、頌栄543番

【牧師予定】

◇5月30日(火) 赤羽会館にて 東京教区総会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後 Continue reading

4月23日の礼拝説教

使徒言行禄18:23~28

「彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった」(18:25)

パウロは二度目の宣教旅行で、ヨーロッパ大陸へと聖霊に導かれて来ました。福音宣教の旅を終えて、エルサレム、アンティオキアへと戻っていきました。23節には、パウロがしばらくアンティオキアにしばらく滞在したことが書かれています。アンティオキアで次の福音宣教の旅の準備を整えながら、出発するのにいい時期・季節を待っていたのでしょう。

ここからパウロの三度目の福音宣教の旅が始まることになります。この第三回福音宣教の中でパウロは多くの手紙を書き残すこととなりました。後のそれらの手紙が、新約聖書の中に入れられ、今の私たちの元へと残されることになります。

まず、このことを少し考えておきたいと思います。なぜパウロは、旅をしながらいろんな教会に手紙を書いたのでしょうか。理由は簡単です。それぞれの教会で、いろんな問題が起こっていたからです。

パウロはコリントの信徒への手紙の中でこう書いています。

2コリ11:28 「日々私に迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。誰かが弱っているなら、私は弱らないでいられるでしょうか。誰かがつまずくなら、私は心を燃やさないでいられるでしょうか」

パウロが自分の足で駆けずり回っても解決しきれないほど、諸教会の中に問題が起こっていたのです。パウロはいろんな教会に手紙を書き、教会が純粋な教会として、聖いキリストの体として、誠実な信仰共同体であるよう、訴えていったのです。

パウロが第三回宣教旅行の中で、いろんな教会を心配して書き送ったたくさんの手紙が新約聖書に入れられて、今まで教会で大切に読まれてきました。教会は、パウロの手紙の中に見られる諸教会の問題を他人事とせず、自分たちへの戒めとして読んできました。パウロが当時抱いていた「厄介ごと、心配事」は今の教会にも変わらずある、ということなのです。教会の中に起こってくる問題は、根本的なところでは今も昔も変わらないのです。

教会は「設立されてそこで完成」、自分は「キリスト者となってそれで終わり」、というものではありません。それはスタートであってゴールではないのです。自分がキリスト者になることよりも、キリスト者であり続けること、キリスト者としてまっすぐに歩み続けることの方が実は難しいのです。教会を作ることよりも、教会がキリストの体として正しく立ち続けること、キリストの十字架によって敷かれた道を踏み外さずに歩み続けることのほうが難しいのです。

旧約聖書に記されているイスラエルの歩みを振り返るとよくわかります。何の取柄もない弱小の民イスラエルを、神はただ愛され、御自分の民とされました。イスラエルは神と契約を結び、神と共に生きる道を選び取りました。

しかし、その後のイスラエルを見ると、この世の誘惑の中で、神の民として相応しく歩めなかった、ということがわかります。イスラエルは、神が示された道を何度も踏み外してしまいました。旧約聖書は、そのイスラエルの失敗の歴史の記録です。

イスラエルが出エジプトを終え、これから約束の地に入ろうとする直前で、神はモーセを通しておっしゃいました。

申命記8:11以下 「あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が増え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心驕り、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい」

この言葉は、今の私たちにとっても有益な警告ではないでしょうか。この世には、私たちを神から引き離す誘惑に溢れています。満腹になり、大きな家に住み、財産を得て、心がおごる時、私たちの心はそれでも神に向いているでしょうか。

神は、約束の地に入るイスラエルに、前もって警告なさいました。それにも関わらず、イスラエルは約束の地に入り、すぐに快楽を伴う偶像礼拝へ心惹かれていったのです。

同じ誘惑が今、キリスト教会に、キリスト者に向かいます。私たちは洗礼を受け、そこからキリスト者としての本当の歩みが始まります。それは、誘惑との戦いの日々が始まる、ということです。神が示された道を歩むことが出来ているかどうか、私たちはいつでも聖書から問われるのです。

さて、パウロがアンティオキアに戻っている間、エフェソの町ではアキラとプリスキラの夫婦がそこに留まってパウロ帰りを待っていました。ここでアポロという人が登場します。この人は、アレクサンドリアという北アフリカにあった街からやって来たユダヤ人でした。「聖書に詳しい雄弁家」であった、とあります。

この人がどのようにイエス・キリストのことを知ったのかは書かれていません。使徒言行禄には記録されていないところでも、福音はアフリカにまで何らかの形で広がっていた、ということがわかります。無名の使徒たち・キリスト者たちの、知られていない福音宣教がありました。

アレクサンドリアは、地中海全域に離散して住んでいたユダヤ人の共同体の中で最も栄えていた都市です。非常に洗練された学問の都で、当時、博物館や図書館も建てられていました。ギリシャとユダヤの高度な文化交流がなされていた町です。

アポロはそのような町で生まれ育った、非常に高度な教養のあった人でした。ユダヤ人だったので、聖書に精通していました。それだけでなく、アポロは、「主の道」を受け入れていた、と書かれています。「ナザレのイエスをメシア、キリストとして受け入れ、信じていた」、ということでしょう。

アポロはエフェソの会堂で雄弁に、大胆に聖書とイエス・キリストを正確に語りましたが、ここをよく見るとアポロは「ヨハネの洗礼しか知らなかった」と書かれています。「ヨハネの洗礼しか知らなかった」ということがどういうことなのかはよく分かりませんが、イエス・キリストに関して、何か理解が足りなかったようです。そこで、アキラとプリスキラは、アポロを自分たちの滞在場所に招いて、もっと正確に「神の道」を説明しました。

これは不思議な光景です。学術都市アレクサンドリアから来たエリートの学者アポロに、ローマから追放された革職人のユダヤ人夫婦が聖書を教え、それをアポロが謙虚に聞くのです。

アポロは夫婦から正しく福音を聴き、海を越えてヨーロッパのギリシャのアカイア州、コリントの町に渡って行きました。今日読んだ最後のところを見るとこう書かれています。

「アポロはそこへ着くと、すでに恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである」

この「ユダヤ人」というのは、パウロをコリントから追い出したユダヤ人たちのことです。そんな人たちを相手に、メシアはイエスであると聖書に基づいて語り、「説き伏せた」というのですから、アポロの言葉はパウロ以上に激しく、説得力があったのでしょう。

パウロはコリントの町にこう手紙を書いています。

1コリ3:4以下 「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」

教会の成長は不思議です。その時その時で、必要な働き手が与えられるのです。コリントの町では、初めにパウロが行き、福音を伝えましたが、途中でユダヤ人たちによって追い出されてしまいました。しかしその後にアポロが来て、そのユダヤ人たちを説き伏せるのです。そうやって、必要な時に必要な仕方で福音の種がまかれ、水が注がれ、神による成長が与えられるのです。

パウロは、こう書いています。

1コリ3:9 Continue reading

4月23日の礼拝案内

 次週 礼拝(4月23日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄18:23~28

 交読文:詩編17:1~5

讃美歌:讃詠546番、10番、151番、509番、頌栄543番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

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主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

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4月16日の礼拝説教

使徒言行禄12~22

「『神の御心ならば、また戻ってきます』と言って別れを告げ、エフェソから船出した。」(18:21)

神は、教会の迫害者であったパウロをキリストの使徒として召し出す時、こうおっしゃいました。

「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」使徒言行禄 9:15 

教会の迫害者サウロは、「神の名のために苦しむ器」として召し出され、使徒パウロとなりました。神に選ばれる、ということは、特別に「いい思い」をさせてもらえる、ということではないことがわかります。むしろ、神に召し出されるのは、神のために苦しみながら働くためなのです。

このことは、パウロだけでなくキリストの使徒たち、そしてキリスト者にも言えることでしょう。パウロ自身、キリストに従う人たちに、「神の国に入るには多くの苦しみを経なくてはならない」と言っています。キリストに従う、ということは、キリストのために、キリストと共に苦しむということでもあるのです。

パウロは、教会を迫害する者から教会のために迫害される者となりました。わざわざ、「苦しめる側」から「苦しめられる側」に回りました。なぜ、自ら進んで苦しい道を歩み始めたのでしょうか。私たちはパウロの姿に、信仰の不思議を見ます。

パウロや、キリストのために厳しい道を行く他の使徒たちの姿や、迫害を受けながらもキリストに従い抜こうとする教会の姿を通して、今自分を導いている力の不思議を考えさせられると思います。

パウロたちはここまで、聖霊によって導かれてきました。異邦人教会の拠点であったアンティオキア教会を出発し、アジアの町々を巡り、ヨーロッパ大陸にまで導き入れられました。ヨーロッパに渡ってから、フィリピ、テサロニケ、ベレア、アテネ、コリントとめぐって来ましたが、パウロ、シラス、テモテは、どの町でもキリストの名のもとに迫害を受け、追い出されてきました。

しかし、そのような迫害の中で、イエス・キリストを信じるようになった人たちもわずかに与えられてきたのです。福音を聞いた人たちが皆感動して、大勢の人が信じるようになり、いきなり大きなキリスト教会ができた、というのではありません。迫害の中で、わずかにキリストを受け入れる人たちが与えられ、その少数のキリスト者たちがパウロたちがいなくなっても信仰に留まり、キリストの使徒たちのようにキリストのために共に苦しむ道を選んでいきました。その小さな群れが教会の芽生えとなっていったのです。

信仰に留まり、キリストの名を抱いて生き抜いた信仰者たちの足跡が、神の国を求める人たちにとっての道しるべとして残っていくことになりました。使徒たち、キリスト者たちのその時代、その時代の信仰の痛みは無意味なものではなかったのです。キリスト者たちの小さな信仰の歩みは、確かに神の国へと続く道に足跡を残し、後から来る人たちの道しるべとなっていきました。キリストの十字架の痛みが神殿の垂れ幕を真っ二つに割いて神の国への道を拓いたように、キリスト者の信仰の歩みが、神の国への道筋を、それぞれの時代で示すことになっていったのです。

今日私たちが読んだ場面でも、使徒たち、また教会の人たちが受けた困難を見ることが出来ます。パウロはコリントの町に腰を据えて、1年6ヶ月福音を伝えてきました。コリントは、ギリシャのアカイア州の首都です。ここはローマの地方総督が駐在するところでした。

コリントの町に、新しいローマ総督ガリオンが着任しました。するとユダヤ人の一団がパウロを襲い、コリントに新しくやって来たローマの総督に訴えました。ガリオンがコリントにいた時期を踏まえると、今日読んだ出来事は、紀元51年ごろに起こったことと考えられます。

パウロは、同胞であるユダヤ人たちによって訴えられました。ユダヤ人たちは、「ナザレのイエスこそ、聖書が到来を預言して来たメシアである」、と言うパウロを信じることが出来なかったのです。「十字架で殺されるような者がなぜメシアなのか。しかもそのイエスは墓の中から復活した、などと言っている。そんなことを自分たちの会堂の近くでいいふらしている。危ない思想だ」・・・そういう思いだったでしょう。

コリントの町に住んでいたユダヤ人たちは、総督ガリオンに向かって、「この男は、律法に違反するような仕方で神を崇めるようにと、人々をそそのかしております」とパウロを訴えました。「ローマ帝国内では許されない信仰だ、帝国を転覆しようとしている、新しい王を立てようとしている危険思想だ」ということです。

当時のローマ皇帝は、ユダヤ人に対していい感情を持っていなかったようです。紀元49年、ローマ皇帝は、ローマの町からの「ユダヤ人を追放令」を出したばかりなのです。ユダヤ人たちは、パウロをローマ帝国にとって危険な人物として逮捕させようとしました。

しかし、ローマ総督ガリオンは、彼らの訴えを聞いても関わろうとしませんでした。「問題がユダヤ人の教えとか律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい」と冷たくあしらうのです。それはユダヤ人共同体内部の問題であり、ローマ帝国の問題ではない、「私はそんなことの審判者になるつもりはない」と取りありませんでした。

結局ユダヤ人たちは、訴えを聞いてもらえませんでした。彼らは自分たちのうっ憤を晴らすために、パウロたちに自分の家を礼拝の場として提供していたソステネという人をつかまえ、法廷の前で殴りつけました。

私たちはこの場面を通して、イエス・キリストの裁判を思い出すことができるのではないでしょうか。主はユダヤ人に捕らえられ、「律法に反している」と言われ、ローマの権力の元へと引っ張って行かれました。「この者はユダヤ人の王であると自称した危険人物だ」とユダヤ人たちが訴えても、総督のポンテオ・ピラトは相手にしませんでした。ここでのガリオンは、その時のピラトのようです。キリストの使徒パウロは、裁判にかけられた際のキリストに重なって見えます。

私たちは、ここに教会が背負う十字架を見ます。主イエスは、「あなたがたには世で苦難がある」とはっきりおっしゃいました。キリスト者・教会には、この世で自分たちが背負う十字架があるのだ。

なぜキリスト者はこの世から迫害を受けるのでしょうか。何も悪いことをしていないのに。ただ、キリストがおっしゃった「神を愛し、隣人を愛する」という律法を守ろうとしているだけなのに。ただ、キリストに向かって祈り、礼拝しているだけなのに。

私たちは何か悪いことをしているから迫害されるのではない。ただ、「キリストのために」迫害されるのです。キリストを信頼し、キリストが示してくださった道を行こうとしている・・・ただそれだけで迫害されることになるのです。

なぜでしょうか。キリストを憎み、キリストを恐れる力があるからです。イエス・キリストを憎み、神から私たちを引き離そうとして、神の国を見えなくさせる罪の力があります。罪の誘惑の力が一番に襲うのは、教会であり、キリスト者です。キリスト者として生きる、ということは、実は、一番この世の誘惑の逆風を強く受けるところを歩く、ということなのです。

旧約の預言者たちがそうでした。キリストの使徒たちがそうでした。代々の教会がそうでした。彼らはそれでも、神が共にいてくださって逆風の中を歩みぬいてきたのです。

さて、コリントの町でこのような苦難があったパウロですが、この後、コリントの町を去ることにしました。これ以上そこにいたら暴力が広がることを心配したのでしょう。そして宣教の拠点であるアンティオキアに一度戻ることにしました。パウロとシラスがアンティオキアを出発して3年が経過していたので、一度戻って、宣教の報告をしようと考えたのでしょう。

コリントの町でパウロの生活と宣教を支えたプリスキラとアキラも同行することになりました。この時から、この夫婦は、キリストの使徒としてパウロと共に働くことになります。

パウロはアンティオキアに戻る際、コリントのすぐ近くのケンクレアイの町で、「誓願を立てていたので髪の毛を切った」、とあります。男であれ、女であれ、特別の誓願を立てて神に自分を捧げる人のことをナジル人と呼びますが、パウロは恐らく「ナジル人」として神を伸ばしていたのでしょう。おそらく、この旅の間、神のために、キリストのために自分を捧げ尽くす、という誓願を立てていたのでしょう。

パウロは最初の宣教旅行でも、いろんな町で迫害を受けました。それにもかかわらず、二度目の宣教旅行に出かけました。いろんな嫌な思いをしながら、なぜパウロはそこまでキリストのために働くことが出来たのでしょうか。

旧約聖書にエレミヤという預言者のことが書かれています。エレミヤは、若い時、20歳になるかならないかぐらいの時に、神に召されました。エレミヤは神から呼びかけられるとこう言いました。

「ああ、わが主なる神よ。私は語る言葉を知りません。私は若者にすぎませんから」

しかし神はおっしゃいます。

「若者に過ぎないと言ってはならない。私があなたを、誰のところへ遣わそうとも、行って私が命じることを全て語れ。彼らを恐れるな。私があなたと共にいて、必ず救い出す」

神は繰り返しおっしゃいます。

「私があなたと共にいて、救い出す」

エレミヤは迫害に苦しみながらイスラエルの人たちに神の言葉を伝え続けました。彼はある時、こう叫びました。

「主の言葉ゆえに、私は一日中、恥とそしりを受けねばなりません。主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、私の心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃えあがります。押さえつけておこうとして私は疲れ果てました。私の負けです」

エレミヤは「涙の預言者」と呼ばれる人です。神の言葉を伝えることは苦しかった、しかし、やめることはできなかったのです。 Continue reading

4月16日の礼拝案内

次週 礼拝(4月16日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄18:12~22

 交読文:詩編17:1~5

讃美歌:讃詠546番、9番、147番、376番、頌栄543番

【報告等】

◇4月15日(土)10時より三宅島伝道所総会があります。現住陪餐会員の方はご出席ください。

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

4月9日の礼拝説教(イースター礼拝)

ルカ福音書23:26~43

「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです』」(23:34)

イースターの朝を迎えました。十字架で殺されたはずのナザレのイエスの墓が空になり、人々が驚き怪しんだ朝です。そしてそれは同時に、イエス・キリストを信じ従っていた人たちが、復活なさったキリストに出会い、永遠の命の信仰を確かなものにした朝でもあります。

今日私たちは、ルカ福音書に記された、主イエス・キリストの十字架のお姿を見つめたいと思います。そして、この方の十字架によって私たちがどのように死の力から救われたのか、ということを学んでいきましょう。

主イエスが十字架に上げられたのは、「されこうべ」と呼ばれている処刑場でした。アラム語で「ゴルゴタ」、ラテン語で「カルバリア」と呼ばれています。なぜそこが「されこうべ」と呼ばれていたか、というと、その処刑場が崖の上にあって、その崖が、少し離れたところから見ると骸骨に見えたからです。死を連想させる恐ろしい名前が付けられた場所でした。

古代の歴史家は、十字架刑のことを「最も憐れむべき死」とか、「奴隷に課せられる一番の拷問」という表現で記録しています。それだけ壮絶な苦しみを伴う処刑法だったということです。

十字架の罪人は自分が釘で打ち付けられる木を自分で処刑場まで運ばされました。イエス・キリストは9時に十字架に釘で打ち付けられ、それから6時間もの間苦しんで、死なれました。

この方の死は何だったのでしょうか。なぜこの方は死ななければならなかったのでしょうか。

私たちは、この方のことを、「犯してもいない罪で有罪とされ十字架に上げられた不運な人・悲劇の人」として見ることもできます。しかし聖書は、この方の十字架の死について、「非業の死を遂げた英雄」のようには伝えていません。預言によって伝えられてきた神の救いの御業の実現であると教えています。

はじめて福音書を読む人は、主イエスが十字架で殺されてしまったことを、不可解な悲劇として受け止めるのではないでしょうか。しかし、旧約聖書を見ると、この方の死は決して不可解なものでも、偶然でもなく、神が時を選んでご準備されていた救いの御業であったことがわかります。

旧約聖書の詩編の中に、信仰者が苦しみの中から神に祈り求める言葉があります。詩編22編や69編を見ると、このような詩人の嘆きの言葉があります。

詩編22:7~9「私は虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。私を見る人は皆、私をあざ笑い、唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう』」

詩編22:19「骨が数えられる程になった私の体を彼らはさらし者にして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」

詩編69:21~22「嘲りに心を打ち砕かれ、私は無力になりました。望んでいた同情は得られず慰めてくれる人も見出せません。人は私に苦いものを食べさせようとし、渇く私に酢を飲ませようとします」

十字架の上のイエス・キリストこそ、詩編で歌われ預言されていたる苦しみの信仰者の姿でした。

キリストの十字架の周りにいた人たちはどうだったでしょうか。民衆、ユダヤの指導者たち、ローマ兵たち、そして主イエスと一緒に十字架に上げられた二人の強盗がいました。

35節では、「民衆は立って見つめていた」とあります。日曜日に主イエスがエルサレムに入場された時には、民衆は歓喜の歌をもって、迎え入れました。しかし、金曜日の朝、たった五日で、民衆の喜びは消えました。「メシアではないか」と喜びをもって迎えたその人が十字架に上げられているのです。民衆は黙って主の十字架の前に立ち、そのお姿を黙って見つめるしかありませんでした。

民衆とは対照的なのが、ユダヤの指導者たち、ローマ兵、そして主イエスと一緒に十字架に上げられた二人の強盗の内の一人でした。ユダヤの指導者たちも、ローマ兵も、強盗の一人も、皆同じことを主イエスに向かって言いました。

「自分を救ってみろ」

確かにそうでしょう。これまで主イエスはたくさんの人たちを救ってこられました。病気を癒し、悪霊を追い払い、「あなたのもとに神の支配は届いている」と伝えて来られました。

「神からのメシアなら、選ばれた者なら、ユダヤ人の王なら、自分自身を救ってみろ。他の人たちのことは救えたではないか」と言うのが普通でしょう。世界に救いをもたらすメシアであれば、十字架で殺されるなんてことがあるはずがないのです。

しかし、御自分を嘲る人たちのために、主イエスは神にこう祈られました。

「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです」

彼らが「知らなかったこと」とは何だったのでしょうか。

ヘブライ人への手紙9:12にこうあります。

「キリストは・・・ご自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです・・・ご自身を傷のないものとして神に捧げられたキリストの血は、私たちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです」

人々は、自分たちが十字架に上げて殺そうとしているこの方はキリストであり、御自分の血を流して、神との契約へと導き入れようとしてくださっているということを「知らなかった」のです。

イエス・キリストはご自分に苦しみを与える人たちのために執成して祈られました。

「父よ、彼らをお許しください」

この執り成しの祈りの言葉を、二人の強盗は隣で聞きました。強盗の一人は、主イエスを馬鹿にしました。自分が十字架に上げられているくせに、「彼らをお許しください」などと祈っているのが滑稽だったのでしょう。

しかし、もう一人の強盗は、その主イエスの姿に何かを見出しました。そして主イエスを馬鹿にするもう一人の強盗をいさめ、自分の罪を告白します。

「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」

この強盗は、主イエスと面識があったわけではないのです。十字架の上で捧げられた主イエスの壮絶な執り成しの祈りの言葉を聞いて、この方こそメシアであると確信したのです。

この二人の強盗を比べて見ると対照的です。主イエス罵った強盗は、「自分と我々を助けろ」と言いました。しかし、もう一人の強盗は、「私を助けてください」ではなく、「イエスよ、あなたの御国においでになる時には、私を思い出してください」という言葉でした。

この人が望んだことは、自分の命が助かることではなく、このイエスという方に自分を思い出してもらうことでした。この人は、自分の地上の命以上に価値のあることを、十字架上のイエスという方の中に見出したのです。

主イエスはこの人に向かって「あなたは今日私と共に楽園にいる」とおっしゃいました。イエス・キリストは、最後の最後まで、十字架の上においてまで、神との和解・神への立ち返りを罪びとにお与えになり、御国への道を拓かれたのです。

十字架の上にも、楽園はあるのです。イエス・キリストが共にいて、自分のことを思ってくださるのであれば、たとえ十字架の上であってもそこは楽園となるのです。

ヘブライ人への手紙にこう書かれている。

「イエスは、神の御前において憐み深い、忠実な大祭司となって、民の罪をつぐなうために、全ての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがお出来になるのです」 Continue reading

4月9日イースター礼拝案内

 次週 イースター礼拝(4月9日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:ルカ福音書23:26~43

 交読文:詩編17:1~5

讃美歌:讃詠546番、146番、199番、154番、頌栄543番

【報告等】

◇次週、聖餐式があります。

◇4月8日(土) 10時より 役員会があります。

◇4月9日(日)イースター礼拝で、洗礼式があります。

◇4月15日(土)10時より三宅島伝道所総会があります。現住陪餐会員の方はご出席ください。

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

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主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 Continue reading

4月2日の礼拝説教

創世記2:4~15

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(2:7)

創世記1章には、「天地創造の七日間」が描かれています。神が六日かけて、この世界と、そこに生きる人間を創造されました。そして七日目に休まれ、その一日を聖別され天地創造の御業は終わりました。

今日私たちは、その続きを読みました。創世記を1章、2章と続けて読むと、少し混乱するかもしれません。1章で語られた神の天地創造の御業は、2章に入ってもう一度語りなおされているのです。

しかも、2章では1章で語られたのとは違う仕方・違う視点で語られているのです。1章では、神が七日かけて一日一日、このように天地に秩序を造って行かれた、ということを順を追って描かれます。2章では、不毛の大地に人間が造られ、その人間を中心に世界の秩序が創造されていく、という描き方がされているのです。

創世記が世界の始まりを違う角度で二度語り伝えている、ということを踏まえて、この2章の創造の記事から学ぶべき信仰の教訓を見出していきたいと思います。

2章では、神が不毛な世界に人間をお創りになった、というところから始まります。2章の創造物語では、とにかく人間という存在に目を向けているのです。人間が何から造られ、どのように生きるものとされたのか・・・私たちは人間の本質について考えさせられることになります。

2:7「主なる神は、土の塵で人を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった」

元のヘブライ語では神が「アダマからアダムを造った」という表現がされています。多くの人は、最初に「アダムという名前の男性の人間」が造られた、と理解しているのではないでしょうか。しかし、聖書を細かく見ると、そんなに単純なことではないことがわかります。

1:27で既に、人間は神にかたどられ「神の似姿」として「男と女に創造された」ことが書かれています。そして2章に入り、神の創造をもう一度語りなおす段階にきて初めてこの「アダム」という言葉が出てくるのです。

ある神学者は、主なる神が「アダマからアダムを形作った」というこの一文を「土の塵で『人』を形作った」と訳すのは、訳しすぎている、と言います。この2:7の「アダム」という言葉は「人」ではなく、「土から造られたもの」と訳すべきだ、と言うのです。

私達は創世記を読みながら、「女性よりも男性の方が先に造られた、ということを聖書は伝えているのだろう」と考えるのではないでしょうか。しかし、聖書は、人の原材料は土である、ということをまず私達に示しているのです。

人間存在の一番根本的なこととして、「人間は土から造られた、この大地の生き物である。土から離れて生きることはできない存在であり、土と共に生きて行かなければならない存在なのだ」ということを私たちに教えているのです。

神は、陶芸家のように「土から造られたもの・アダム」を形作られました。それは、単なる土の器・置物として造られたのではありませんでした。神がその「土の産物・アダム」にご自分の息を吹き入れて、アダムは初めて、土の塊から「人間・アダム」となり、生きるものとされたのです。

この短い記述から私たちは「人間とは何か」、ということを聖書から教えられます。人間は土から造られ、やがて、土に返るものなのです。このことを我々はどれだけ考えているでしょうか。知識としては知っていても、どれだけそのことを意識して自分の生き方を選択しているでしょうか。土の器に聖い息を吹き入れ、私達を人間として生きるものとしてくださっている方にどれだけ思いを向けているでしょうか。

この2章の創造物語では、1章とは少し違う呼び方で神のことを呼んでいる。

1章では、神は「神」と呼ばれていますが、2章では神のことを「主なる神」と呼んでいます。

人が神によって土から造られ、神の息が吹き込まれて生きるものとされことを見ると、神は我々人間にとって、文字通り、主なる神、主(あるじ)であることがわかるのではないでしょうか。聖書は私達の真の支配者へとまず立ち返らせるのです。

このように、1章の創造物語と2章の創造物語は、まったく違った角度から天地創造を描いています。人間の創造については今見た通りです。それでは、2章ではどのように神が世界をお創りになったと語っているでしょうか。

2:4「主なる神が地と天を造られた時」とあります。1章では「天と地」です。2章では逆になって「地と天」と言っています。1章では「天」の方にまず焦点を当てていますが、2章では「地・大地」の方に焦点を当てているのです。

2章の創造物語が伝える神の創造以前の世界は「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった」ということでした。大地は「不毛」という「無秩序・混沌」に支配されていたのです。

なぜ大地が不毛だったのか、聖書は理由を二つ書いています。一つは、主なる神が地上に雨をお送りにならなかったから、そしてもう一つは土を耕す人がいなかったからです。

以前話したことの繰り返しになりますが、この創世記の天地創造の物語は、科学の論文や理科の教科書のように読むべきものではありません。イスラエルが今の私たちに神への信仰の本質を伝えている「信仰の物語」として向き合わなければならないのです。

神の秩序を正しく保つものは何でしょうか。それは、大地に雨を降らせてくださる神の御業と、その雨を受けた大地を耕す人の業である、というのです。聖書は、世界の秩序は、神が下さる恵みと、恵みに応える人間の調和に根差していることを我々に教えているのです。

神はその秩序のために、アダム・人間に二つのことをなさいました。人が生きるための場所をお創りになったことと、人に生きる目的をお与えになったことです。神は、エデンというところに「園」をお創りになって、人をそこに置かれました。そして人がエデンの園を「耕して守る」ことをお求めになりました。

神が不毛の大地の中に園を造られ、大地の土から造られた「土の生き物・アダム」をそこに置き、土を耕すものとされた・・・これが、創世記二章が伝えている創造の秩序なのです。

我々は土の上に生きています。当たり前のことです。その当たり前のことが、神によって与えられた神秘の恵みであることをどれだけ認識しているでしょうか。自分が、今踏んでいる土からできていて、土が生みだす恵みによって生きていて、その土を潤す雨が天から与えられている、ということが当たり前すぎて、そのことがどんなに深い神秘であるか、本当に意識して考えることは少ないのではないでしょうか。

聖書の創造物語は私たちをその根源的な神秘へと引き戻すのです。「あなたの原点はここにある。ここが、世界について神について自分について考える出発点なのだ」と私たちに示しています。

さて、2章の創造物語を見ると、1章の創造物語には書かれていない、不思議ものを神はお創りになっています。9節の最後に、神がエデンの園の中央に「命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた」とある。神が何のためにこの二本の木を園に置かれたのか、まだこの段階では明らかではありません。

この後蛇の誘惑を受けて人は善悪を知る木の実を食べてしまいます。そのことで神は人が善悪を知る者となったことを嘆かれ、次に「手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となる恐れがある」と人を楽園から追放されることになります。

どうやら、どちらも人が食べてはならない木だったようです。「なぜ神は人が食べてはならない二本の木をわざわざ園の中央に生えさせられたのだろうか」と素朴に疑問に思うのではないでしょうか。しかし聖書が伝えようとしているのは、単純に「人が土足で侵してはならないものがある」、ということではないでしょうか。

善悪を知る木の実を食べて、人は「神のように」なろうとしました。それに加えて人が更に「永遠に生きる者」になろうとすることを神は、良しとされませんでした。

「神のようになりたい」「命を好きなように操作したい」、という欲望が人間の心の奥底にあることを聖書は指摘しているのです。誰も否定することができない罪です。そのような人間の思いが世界の秩序をどんなに崩してしまうか、私たちは知っています。神の領域として私たちが踏み入れるべきではないものがこの世界にはあるのです。

忘れてならないのは、この創世記の言葉を書き残したのは、偶像礼拝によってエルサレムの都を失ったイスラエルの民である、ということです。これは「善悪を知る木」の実を食べ、神のようになろうとして神から離れ、偶像礼拝に走り、滅んだ信仰の民によって書かれた物語なのです。そのようにして読むと、この創造物語を単なる空想の産物として軽んじることはできないでしょう。

さて、この創世記2章を読むと、私たちにはまだ「命の木」が残されている、ということになります。このことをどう考えればいいのでしょうか。

「命の木」は新約聖書のヨハネ黙示録の最後に出てきます。ヨハネ黙示録はこの世の終わりの様子を描いている言葉ですが、22:14にこう記されています。

「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである」 Continue reading