8月20日の礼拝説教

使徒言行禄25:13~27

「『パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとか言う者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。』」(25:19)

使徒言行禄の18章に、パウロがコリントでユダヤ人たちに捕らえられローマの総督ガリオンの前に引きたてられた時のことが記録されています。コリントの町のユダヤ人たちは「パウロが律法に違反するような仕方で神をあがめるように人々に言い広めている」、と総督ガリオンに訴え出ました。しかしガリオンは「お前たちがパウロについて訴えているのは、不正な行為や悪質な犯罪ではなく、ユダヤ人の信仰の掟に関することだ。そういうことは自分たちで解決しなさい」と突っぱねました。ユダヤの律法・聖書の解釈のことを持って来られてもローマの総督は裁くことはできないのです。

今日私たちが読んだところでも、同じことが起こっています。エルサレムのユダヤ人たちがパウロを訴えているものの、カイサリアの総督フェストゥスはパウロにローマの法律に違反する罪を見出すことはできませんでした。パウロは「殺されたはずのイエスが生きている」、と言っているだけなのです。

パウロが「私はローマ皇帝に上訴します」と言ったことでフェストゥスは困ってしまいました。カイサリアの総督としてパウロについて皇帝に報告書を書かなければならなくなったのです。

そこに、アグリッパ王とベルニケという二人がフェストゥスの表敬訪問に来ました。

このアグリッパ王というのは、イエス・キリストがベツレヘムにお生まれになった時に、その地方の2歳以下の男の子を皆殺しにした、あのヘロデ王の孫にあたる人です。使徒言行禄の12章で、キリストの使徒ヤコブを殺し、その後神に打たれて死んだアグリッパ王という人が出てきますが、その息子に当たる人で、アグリッパ2世です。

このアグリッパ王とベルニケは兄と妹でした。このベルニケという女性は、もともとは別の男性と結婚していましたが、最初の夫が死ぬと、次に自分の叔父と結婚しました。その後、兄であるアグリッパの下に身を寄せていたのです。後に、また別の人と結婚することになりますが、その夫も捨ててまた兄の下に戻ってくることになります。最後はローマの軍人と結婚することになりますが当時の人たちは、このベルニケの節操のない結婚に反感を抱いていたという記録が残っています。

アグリッパとベルニケの関係は兄妹でありながら、夫婦の関係でもあったようです。そして総督フェストゥスの妻ドルシラは、このアグリッパとベルニケの妹にあたる人でした。つまりアグリッパ王とフェストゥスは義理の兄弟でもあったのです。

余談ですが、このようなヘロデ家の性的な乱れをユダヤ人たちは嫌悪していました。そのユダヤ人たちのヘロデ家に対する嫌悪感も、後のユダヤ戦争の一因となっていくことになります。

さて、フェストゥスはアグリッパ夫妻にパウロのことを話すと、アグリッパ王はパウロの話を聞きたいと言いました。パウロはまた、イエス・キリストを証しする場へと召されることになったのです。

私たちは不思議に思わないでしょうか。捕らえられてしまったパウロは次々にいろんな人たちに出会い、何度も何度もキリストを証しする場所に立たされています。パウロが捕らえられて福音は息の根を止められた、というのではありません。捕らえられたパウロの前に、次々とキリストを証しすべき人が現れることになるのです。

私たちは神がパウロを召し出される時、なんとおっしゃったかを思い出したいと思います。

「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」9:15

神がおっしゃった通りになっています。パウロは、「異邦人や王たち」、つまり、ローマ総督フェストゥスやユダヤ人を支配していたアグリッパ王にキリストを証しするよう導かれました。この神の言葉に照らし合わせて今のパウロを見ると、まさにパウロは今神のご計画の中で召され、用いられているということがわかるのではないでしょうか。

人の目でこのパウロの置かれた状況を見ると、絶望的です。ローマ兵に囚われ、ユダヤ人たちからは訴えられているのです。もう逃げ場がなく、以前のように自由に福音宣教することができません。しかし、人の目に隠された仕方で、神はキリスト者を用いていらっしゃいます。

たとえ私たち人間の方が諦めたとしても、神が私たちのことを諦めることはなさいません。私たちが失望しても絶望しても、神は私たちに絶望することなく、用いて下さり、私たちを希望へ導いてくださるのです。そうやって、ご自身を世に示されていくのです。

神がパウロを召される際におっしゃった言葉は、私たちの召しに対しても同じでしょう。私たちは思い出さなければなりません。今私たちがキリスト者であるということは、神が選んでくださった器である、ということを。私たちは神のために、キリストのために、どんなに苦しまなくてはならないか、ということも示されるのです。

パウロは「私たちは苦難を誇りとします」と手紙の中で書いています。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と言っています。捕らえられたパウロの前に証しすべき人が次々に与えられている、ということに、私たちは希望を見ることが出来るのです。厳しい状況に置かれていますが、福音の広がりは止まっていません。聖霊の働きはこの苦難の中で続いているのです。

さて、フェストゥスはアグリッパにこう言いました。

「パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです」

これが、フェストゥスのパウロに関する理解です。使徒パウロの福音宣教は復活されたキリストから声をかけられた、というところから始まりました。

自分を迫害するユダヤ人たちに対しても、自分を黙らせようとする最高法院の人たちに対しても、ローマ総督に対しても、そして、福音宣教の旅の中であった全ての人に対しても、パウロが一貫して訴えつづけたのは、「十字架にかけられて殺されたイエスは復活なさった」、ということでした。パウロは自分の無実以上に、そのことを語り続けてきました。

パウロ自身、コリント教会に書いた手紙の中でこう言っています。

「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてある通り私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてある通り三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです。・・・最後に、月足らずで生まれたような私にも現れました。私は神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でも一番小さなものであり、使徒と呼ばれる値打ちのないものです。神の恵みによって今日の私があるのです。・・・キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなた方の信仰も無駄です。・・・キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」

パウロは、相手がユダヤ人だろうが異邦人だろうが、総督であろうが王であろうが、ただひたすらイエス・キリストの復活を伝えました。キリストの復活は聖書の預言の実現であり、信仰の全てである、キリストの復活がなければ、宣教も信仰も空しく、この世は罪の闇でしかない、と手紙に書いている通り、そのことを会う人会う人に言い続けたのです。

フェストゥスをはじめ、イエス・キリストの復活を信じていなかった人たちにとっては、パウロの訴えは不可解なものだったでしょう。なぜ死者の復活などという馬鹿げたことのために、パウロが自分の命をかけるのか、と思ったのではないでしょうか。

パウロは、いや、パウロだけでなく全てのキリスト者は、イエスという方の空になった墓を指さしてきました。一度あの方の復活を知ったら、一度あの方に出会ってしまったら、あの方を指し示すしかないのです。イエスという方の墓が空になった、という神秘に向き合わなければ、神の御心に向き合うこともできません。

そこに許しがあるからです。そこに永遠の命の希望があるからです。

パウロはそこを指し示す器として召されました。そうやって用いられたのです。キリスト者は、皆そうなのです。

死んだはずのイエスが復活した、という福音はこの世から消えることはありません。神が語ってくださるからです。神が、私たちを通してご自身の言葉を語られるからです。福音はそうやってこの世の中に広められていくのです。

福音は不思議な仕方で世界中に広まって行くことになります。キリストの使徒でありローマ市民でもあったパウロが捕らえられたことで、いくつもの裁判の中でキリストが証しされ、ついには福音を携えたパウロがローマへと移送されていく・・・その中に、私たちは見えない神の御業を見ることが出来ます。

ローマ皇帝に上訴するためにローマに護送されていくパウロを通して福音は世界の中で広がって行くことになります。パウロが生まれながらにローマの市民権をもっていたこと、パウロがキリストに召し出された教会の迫害者としての体験、パウロ自身の悔い改めと許された喜び、そして自分の弱さを誇る信仰の謙遜・・・全てが神によって用いられていくのです。

旧約聖書の創世記にヨセフ物語があります。兄弟たちから嫌われて奴隷に売られてしまったヨセフが、やがてエジプトの宰相になって、飢饉からエジプトを救うことになる、という話です。何度も苦境に陥ってしまうヨセフでしたが、そのたびに、不思議な仕方で苦難の中から救い出されていきます。そして最後には、エジプトとその周辺の国々を飢饉から守ることになるのです。

数奇な人生を辿ったヨセフは、自分を奴隷に売り飛ばした兄弟たちと再会を果たします。その際ヨセフは兄たちにこう言いました。

「今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」

苦難を通って、試練を通って、見せられることがあります。神が共に居て、自分をここへと運んでくださった、ということを示されることがあります。

神は私たちを用いてくださいます。自分には誇るべき能力は何もない、キリストのために働くなんて大それたことはできない、などとすぐに思ってしまうが、神はそうは思っていらっしゃいません。

自分に苦しいことが降りかかるとき、私たちは簡単に生きる意味を見失ってしまいます。自分はどんな悪いことをしたのだろうか、神を信じることに意味はあるのだろうかと不安になるのです。

しかし、聖書は私たちにはとらえきることのできない、大きな神のご計画があることを伝えようとしています。私たちはすぐに自分が納得できるような解釈に、解決策に飛びついてしまいます。しかし、人間の尺度では図ることのできない大きな救いのご計画の中で私たち一人一人に必要な試練が与えられている、ということを忘れてはならないのです。

パウロは、手紙の中でこう書いている。

「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。誰が、神の定めを極めつくし、神の道を理解し尽くせよう」

パウロは、フェストゥスやアグリッパ王といった人たちの前でキリストを証ししました。パウロがそう願ったからではありません。神が、そこへとパウロを召し出したからです。

神がパウロをお用いになったように、ヨセフ物語が私たちに伝えているように、神は、私たちを不思議な仕方で用いてくださいます。私たちに与えられる導き全てに意味がある、ということを忘れてはならないのです。