9月10日の礼拝説教

使徒言行禄27:1~12

「百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した」(27:11)

パウロが神殿で捕えられてから二年以上が過ぎました。二年以上も、パウロはユダヤ人たちから裁判で訴えられたり、総督やユダヤの王に対して弁明をしたりして、カイサリアのローマ兵の駐屯地から出ることができませんでした。

狭い場所で忍耐しながら地道に自分の無実を語り、イエス・キリストの福音をローマの総督やアグリッパ王に伝えようとするパウロは、自由に活動できない閉塞感を感じていたでしょう。そのパウロの姿をここまで見て来た私達も、息が詰まるような思いありました。

いよいよ、事態が動き出すことになります。自分の裁判を、ローマ皇帝の下に直接もっていく決断をしたパウロはローマに向けて出発することになりました。

囚われていた狭い部屋から、パウロはようやく出ることができました。しかし、自由になったわけではありません。まだパウロはローマの鎖につながれている囚人です。次に自分に何が起こるか、パウロ自身は知りませんでした。

しかし、パウロに焦りはありませんでした。小石が投げられて点々と転がるように、パウロは自分の意志に反して、予想もしなかった所へと運ばれていきます。それでもパウロは信じていました。今自分をローマへと運んでいるのは神であり、自分が神のご計画の内に用いられている、ということを。

パウロは三度目の福音宣教の途中で、エルサレムに戻ることを決心したときにこう言いました。

「私はエルサレムに行った後、ローマも見なくてはならない」

エルサレムに戻る途中、キリスト者の仲間たちにこうも言っています。

「今、私は霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるのか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」

神は聖霊を通して、エルサレムで待ち受けている苦難と投獄をパウロに伝えて来られました。そして、苦難と投獄へと至る道を「そのまま行け」、とお命じになっていたのです。パウロが知っていたのは、それだけでした。

しかし、その道が苦難の道であっても、神が自分に用意してくださった道であるということを知っていれば、神の救いの御業のために用いられる喜びをもって進むことが出来るのです。

パウロはこれからどうやって自分が苦難を乗り切ればいいのかは知りませんでした。しかし、その道を神が乗り越えさせてくださることは知っていたのです。これからパウロは、自分に与えられる様々な神の守りを目撃していくことになります。

パウロを護送することになった皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという人は、パウロを親切に扱い、パウロがキリスト者たちと会うことも許してくれた、と書かれています。これも、パウロに与えられた神の守りでした。

ローマへと向かったのは、パウロだけではありませんでした。「パウロと他の数名の囚人」、そしてアリスタルコという人も一緒だったことが書かれています。

更に、27:1を見ると、「私たち」がローマに向かったという書き方がされています。

「彼ら」は出発した、ではなく、「私たち」は出発した、という書き方です。

この使徒言行禄を記録したルカ本人もこの中にいたのかもしれません。しかし、それだけでなく、今聖書を読んでいるまさに私たちも、ここで言われている「私たち」の中に含まれているのだ。聖書は、このパウロの旅を、今聖書を読んでいる「私たち」の旅として見せようとしているのです。

ささいな言葉遣いの変化ですが、私たちはここにも神の導きを見ることが出来るのではないでしょうか。神はいつでも、信仰者を一人にはしておかれないのです。信仰者はいつでも「私達」なのです。決して一人ではありません。

アリスタルコという人は、19章、20章にも出て来た人です。エフェソではパウロと一緒に捕らえられています。そしてパウロがエルサレムに戻る時には、アリスタルコはヨーロッパのテサロニケの人であったにも関わらず、パウロに同行しています。

船がシドンの港に入った時にはパウロは「友人たち」に会うことが出来ました。この「友人たち」というのは、シドンのキリスト者たちのことです。単なる知り合い、ということではありません。

ここまで、私達はカイサリアに二年間留め置かれたパウロを見て来ました。「パウロは孤独な戦いをしている」と見えたのではないでしょうか。しかし、彼は一人ではなかったのです。多くの人たちの祈りの支えがありました。地中海世界各地で、パウロのことを思い、各地で祈っていた人たちがいたのです。

パウロはフィリピの信徒への手紙の中で、「それにしても、あなたがたは、よく私と苦しみを共にしてくれました」と書いています。それがパウロの喜びでした。それが、信仰の喜びでした。キリストのための苦しみを共にする信仰の友がいる、ということです。

私たちにとって、キリストに従うこと・キリストを信じることは、生きる道が平たんになる、ということではありません。キリストの痛みに共に与り、キリストのための痛みを一緒に担う信仰の友が与えられるその喜びを生きる、ということなのです。その信仰の交わりの中で、私たちは、キリストがおっしゃった「私のくびきを負いなさい。私のくびきは軽い」という言葉の意味を知るのではないでしょうか。々キリスト者は孤独ではないのです。

繰り返しますが、使徒言行禄を書いたルカは、ここで「私たち」という言葉をつかいます。この「私たち」という言葉の中には、今の私たち、今のキリスト者も含まれています。今ここにいる私たちも、パウロと旅をする仲間へと入れられているのです。

イエス・キリストは、ご自分の宣教の初めに、弟子達をガリラヤ地方へと遣わされたことがあります。その際、一人一人をバラバラに派遣されたのではありませんでした。二人一組で派遣されています。キリスト者は、孤独ではありません。祈るにも、礼拝するにも、福音宣教に向かうにも、信仰の友がいつも備えられているのです。ローマへと船出するパウロとその周辺を見ると、そのような神の御業が見えます。そしてそれは、今も私たちに与えられている神の備えでもあるのです。

さて、ローマへの航海が始まりました。現在のトルコの南の海を西へ西へと向かって行くことになります。当時のーマ帝国内の海の行き来は、個人の船、商船によるものでした。百人隊長ユリウスの最初の仕事は、西に向けて乗せてくれる船を探すことでした。

まず一行はアドラミティオンという港から各地に寄港することになっていた船に乗り込みました。翌日はシドンの港に着き、パウロはキリスト者たちとの食事をしたようです。そこからまた船出をして、リキア州のミラという港に着き、そこで、イタリアまで行くアレクサンドリアの船を見つけて乗り込みました。

船は向かい風に悩まされました。結局、クレタ島の「良い港」と呼ばれる港に着いて、しばらくそこで時を過ごすことになります。向かい風に足止めされてしまったのです。

ここから、また事件が起こることになります。

パウロたちを乗せた船は、選択を迫られました。この船は商船だったので、荷物を運ばなければなりません。しかし、今は風が収まるのを待たなければなりません。このままクレタ島の「よい港」で待機するか、無理してでも船出するか、船乗りたちは決断しなければなりませんでした。

「良い港」に入って、風をやり過ごすうちに、「かなりの時がたって・・・航海はもう危険」な時期になってしまいました。9月中旬から冬をまたいで3月までは海が荒れるのです。その時代の船乗りは、その時期は船を出しませんでした。

しかしこの船には熟練のギリシャの船乗りたちが集められていました。彼らはイタリアのローマまで行くことに自信を持っていました。パウロたちが乗っている船は、大きなもので1000人を乗せることもできました。熟練の船乗りたちと、大きな船です。船乗りたちは、風があってもより安全なフェニクスという港に入って冬を過ごすことにしあした。

しかし、ここでパウロが、この船出を避けるように船にいる人たちを説得しようとしました。船はここから動かさない方がいい、と船乗りでもない素人のパウロが言ったのです。

聖書には「百人隊長はパウロよりも、船長や船主の方を信用した」とあります。私たちは、ここで、百人隊長がパウロではなく船乗りたちの言葉の方を信じた、ということに注目したいと思います。

それは当然でしょう。海での経験がないパウロよりも、経験豊かな海の男たちの判断を信用するのが自然です。船は大きいし、船を操るのは熟練の船乗りたちです。

しかし、パウロの言葉は神の預言です。このことを見ると、人間が神の言葉を聞き分けるということがいかに難しいか、ということがよくわかります。

旧約聖書の列王記下5章に、アラム人の軍人のナアマンという人が出てきます。アマンは、皮膚病を患っていました。イスラエル人の召使の少女から、「イスラエルの預言者にところに行けば癒してもらえるのでは」と言われ、預言者エリシャのもとに向かいました。

ナアマンは、エリシャの下に向かう途中で、エリシャの使いの者から「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい」というエリシャの伝言を聞きました。

しかし、ナアマンは怒りました。

「エリシャが自ら出てきて、私の前に立ち、イスラエルの神の名を呼んで、患部の上に手を置いて皮膚病を癒してくれる」と思っていたからです。エリシャが自分は姿も見せず「ヨルダン川で身を洗いなさい」という指示だけを言ってよこしたことを「無礼だ」とナアマンは腹を立ててそこを立ち去ろうとしました。「イスラエルのヨルダン川よりも、アラムの川の方がいいではないか。他の川で洗っても清くなれないと言うのか」と言ってそこを去ってしまいます。

しかし、ナアマンの家来たちはナアマンをなだめました。

「エリシャはそんなに大したことを命じてはいません。『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか」

そこでナアマンは、ヨルダン川に七度身を浸しました。ると彼の皮膚病は癒されました。

聖書には、「ナアマンは神の人の言葉どおりに」した、と書かれています。

ナアマンは、イスラエルよりも強い国の軍人でした。イスラエルの預言者が、ナアマンの下に来てひざまずくべきではないか、いう意識を持っていたでしょう。ナアマンはヨルダン川よりも大きな川も知っていた。アラムにはもっと立派な川があるのです。

ナアマンはなかなか神の言葉を聞き分けることができませんでした。自分の思い、自分の地位、自分の強さ・・・そういうものが邪魔をして、ナアマンは神の言葉に自分から近づいていくことができなかったのです。彼は、自分に与えられる癒しは、何かもっと神秘的な、劇的な仕方で示されると期待していました。しかしそれはナアマンの勝手な思い込みでした。

ナアマンは結局、ただ神の預言者の言葉に従いました。聖書には「彼の体は元に戻った」とあります。「元に戻った」というのは、元のヘブライ語では「立ち返った」という意味の言葉です。つまり、ナアマンの体が癒された、ということは、彼の心がイスラエルの神の元へと立ち返った、ということでもありました。

人に与えられる神の言葉は、人が期待するような仕方で与えられるわけではありません。「たったそれだけのこと」と思えるようなことでも、その中に神の深い導きが隠されていることがあります。

百人隊長は、パウロの言うことではなく、船乗りたちの決断を優先させました。熟練の船乗りたちの経験を信じ、その決断を支持しました。パウロが船の上で何を言おうと、説得力をもたなかったでしょう。ローマに行きたくないからそんなことを言っているのではないか、と疑われたかもしれません。

こういうことは、私たちの周りでいくらでも起こっていることではないでしょうか。キリストへの信仰が人間の経験則と会わない時、神の言葉はなかなか聞かれません。信仰者は、非常識だと思われてしまうのです。

しかし、神の御業は人間の常識を超えたところで見せられます。そしてその時、立ち返りが起こされるのです。神との出会いは、人間の経験を超えたところでこそ与えられるものなのです。

 詩編107:23~24にこういう言葉があります。

「彼らは、海に船を出し、大海を渡って商う者となった。彼らは深い淵で主の御業を、驚くべき御業を見た。」

この詩編の言葉のように、これからパウロと同じ舟に乗っていた人たちは「深い淵で主の御業」を見ることになります。アラムの軍人ナアマンが、イスラエルの預言者の言葉を通して立ち返るべき神を見たように。

キリストを船にお乗せした弟子達は、嵐の中でキリストの本当のお姿を見ました。嵐を沈められた主イエスを見て、「この人は一体どなたなのだろうか」と驚きました。漁師としての自分たちとは違う、自分たちの経験などをはるかに超えた、イエス・キリストの権威を見て、弟子達は自分たちの知識や経験を超えて、跪くべき方を知って行ったのです。

神はパウロをローマへと運ぼうとされています。れなのに、なぜパウロを乗せた船は逆風に悩まされたのでしょうか。私たちには、立ち止まるべき時もある。自分では進みたくても、そこに留まって、自分を見つめなおすことが求められる時があります。神から与えられる停滞の中で私達は静かに何かを見せられる恵みを与えられます。

私たちは、自分が頼れるべき物が一つ一つはがされていったその先で、本当に頼るべき方に出会うのではないでしょうか。