11月28日の説教要旨

イザヤ書7:1~17

「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。・・・心を弱くしてはならない」(7:4)

アドベントに入りました。今日からクリスマスまで、イエス・キリストがこの世にお生まれになったことに思いをはせる時を過ごすことになります。

クリスマスは、この世に、福音が与えられた・喜びの知らせ届けられた、という出来事です。毎年祝われているクリスマスですが、私達は、クリスマスの本当の喜びとは何なのか、聖書から正しく聴いていきたいと思います。

マタイ福音書を見ると、イエス・キリストがお生まれなる際、父親になるヨセフに天使がこう告げています。

「この子は、自分の民を罪から救う」

この言葉を見ると、「私達を罪から救い出してくださる方がお生まれになった」、というのがクリスマスの喜びだ、とわかります。

それでは、聖書が言っている罪とは何でしょうか。聖書がいう「罪」とは「神から離れた暗闇」のことです。

天使は、主イエスの父ヨセフにさらにこう告げます。

「見よ、おとめが身ごもって音の子の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」

「罪の闇からの救い」、それは「インマヌエル・神が私達と一緒にいてくださる」、という知らせでした。人が神から離れても、神は人を追いかけてくださるのです。

イエス・キリストの誕生はこの世界に与えられたインマヌエルのしるしでした。。

今日は、旧約聖書のイザヤ書を読みました。イザヤ書の中に、インマヌエルと呼ばれる方の誕生が預言されています。イザヤ書の言葉を通して、インマヌエルの喜びを感じていきたいと思います。

イザヤの時代、紀元前8世紀には罪の闇がイスラエルを覆っていました。イスラエル王国は、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し、人々の心は神から離れていました。

イザヤは、南ユダ王国の首都エルサレムで預言した人です。この人はもともとはウジヤという王様に仕える祭司でした。ウジヤ王が死んだ時に、イザヤは王に仕える祭司から、神に仕える預言者とされました。紀元前740年のことです。

イザヤの時代、イスラエルは苦境に置かれていました。当時アッシリアという強大な国があり、周辺諸国はその脅威に怯えていたのです。

強大なアッシリアに対抗するために、周辺諸国は反アッシリア同盟を作ろうとしました。その同盟にユダ王国も加わるようにと、隣国の北イスラエル王国とアラムの二つの国が武力をもって脅してきます。

ユダ王国は岐路に立たされました。反アッシリア同盟に加わるか、中立を保つか・・・。

反アッシリア同盟に入る、ということは、アッシリアを敵に回す、ということでした。それは危険なことでした。いくら周辺の小さな国が集まっても、強大なアッシリアにはかなわないのです。しかし、反アッシリア同盟に入らない、ということは、周辺諸国から孤立してしまい、諸国から攻められてしまいます。

結局、ユダ王国のアハズ王が下した決断はアッシリアに助けを求めることでした。強い国に守ってもらうのが一番の安定だと思ったのです。

しかし、アッシリアに守ってもらう、ということは、アッシリアの神に守ってもらう、ということを意味していました。アハズ王が下した決断は、つまり、イスラエルの神からアッシリアの神へと乗り換える、ということだったのです。

そのようなアハズ王のもとに、預言者イザヤがやってきて、神の言葉を伝えました。

「アッシリアではなく、ただ神に頼りなさい」

それが、今日私たちが読んだ場面です。

イザヤは、神の言葉を伝えます。

「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。心を弱くしてはならない。ただ、神に頼りなさい。」

イザヤが伝えたことは単純だった。アッシリアに頼ることでもなく、反アッシリア同盟に加わることでもなく、ただ、静かに神に頼りなさい、そうすればユダ王国は生き残ることができる、というのです。

預言者イザヤは、BC740年に預言者として召しだされ、40年間神の言葉を語り続けた人です。イザヤが40年間語り続けたのは、たった一つのことでした。「人間ではなく神に頼れ」、ということです。それこそ、時代の中でイスラエルが学ばなければならなかったことでした。そしてこれこそ、聖書が一貫して、いつの時代も私たちに伝えていることです。

「神に頼りなさい、神に立ち返りなさい」、ただそれだけです。

聖書という本は、読んでみると、なかなか一人では理解できないでしょう。しかし、聖書が全体を通して訴えていることは、この上なく単純なことです。「人間ではなく神に頼れ」ということなのです。

アッシリアに助けてもらおうと、イスラエルの神を捨ててアッシリアの神に乗り換えようとしていたアハズ王は、イザヤの言葉を聞いてどうしたでしょうか。「私はイスラエルの神に頼らない」と答えたのです。

国々が争っているこの状況で、「静かに神に任せる」などという選択はできない、弱いユダ王国が生き残るためにはアッシリアの傘下に入ることが一番安全で確実だ、という思いを変えませんでした。

神に頼ろうとしないアハズや、ユダ王国の指導者たちにイザヤは言います。

「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りず、私の神にも、もどかしい思いをさせるのか。それゆえ、私の主が御自らあなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を生み、その名をインマヌエルと呼ぶ」

神を頼ろうとしない人たち、もう神から心が離れてしまった人たちに、イザヤは、インマヌエルと呼ばれる男の子の誕生を預言しました。「神が私たちと共にいらっしゃる」というしるしとなる男の子が生まれる、と言うのです。

「インマヌエル・神が我々と共にいらっしゃる」、と聞くと、単純に喜ばしい知らせだと思えます。確かに、神に信頼し、神を頼って生きている人にとってはインマヌエルという知らせは、素直に喜べることでしょう。

しかし、アハズ王のように、神を信頼しない人にとってはどうでしょうか。不信仰な人にインマヌエルのしるしが与えられる、ということは、「神は本当に私たちと共にいらっしゃる」ということを思い知らされるための裁きが与えられる、ということです。

イザヤは、インマヌエルと呼ばれる男の子が生まれるとすぐに、ユダ王国を攻めているアラムと北イスラエルの二つの国の王は滅びるだろう、と預言しました。そして、神を求めなかったユダ王国の上に、アッシリア王による破壊がもたらされるだろう、と言います。

恐ろしい預言です。その男の子の誕生は、神を信じない人たち、神に頼らない人たちにとって、滅びのしるしとなるのです。ハズ王は、やがて、自分が頼りにしたアッシリアによって滅ぼされ、そしてその滅びの中で「本当は神に頼るべきだったのだ」ということを思い知らされることになるのです。

「神に頼れ」という預言を聞き入れなかった南ユダ王国は、40年後、自分たちが頼りにしたアッシリアによって国を侵略されることになります。イザヤの預言は実現したのです。

私たちはどのようにしてインマヌエル「神が私たちと共にいらっしゃる」、ということを知るのでしょうか。

使徒パウロは言っています。

「神について知りうる事柄は明らかです。世界が作られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に表れており、これを通して神を知ることができます。したがって弁解の余地はありません」

我々は、イスラエルの歴史から学びたいと思います。人間が神から離れ、神を頼らずにいるとどうなるのか。神ではなくアッシリアという強い国に頼ったユダ王国がどうなったのか。不信仰な人たちは、神が自分たちと共にいらっしゃる、ということをどのように学んだのか。

どんな時代においても預言者が語り続けたのは、「神に頼れ」ということでした。預言者たちが伝えたことは結局は同じことなのです。神から離れたイスラエルに、神に立ち返れ、神のもとに戻りなさい、ということでした。

私たちは、インマヌエルと呼ばれる救い主、イエス・キリストのご降誕を喜び祝っている。改めて自分自身に問いかけたいと思います。。

「私にとって、神が共にいてくださるということはどういうことなのか」

キリストは宣教をお始めになる際に福音を宣言された。

「悔い改めよ。天の国は近づいた」

これは、「神のもとに戻ってきなさい。神の支配がついにあなたにまで及んだ」ということです。

私たちは、イエス・キリストというインマヌエルに対して、どのように向き合っているでしょうか。イザヤの時代のユダ王国は、「神が共にいてくださるのだから、神に任せなさい」という預言者の言葉を聞かず、インマヌエルという真理を滅びの中で、恐怖を通して思い知らされました。

私たちは今一度、クリスマスの本当の意味をとらえなおしたいと思います。不信仰ではなく、信仰をもってインマヌエルの君に向き合ったときに、私たちは初めて、クリスマスを滅びの裁きではなく、救いの喜びとして受け止めることができるのです。