MIYAKEJIMA CHURCH

7月31日の礼拝案内

次週礼拝(7月31日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄9:10~19

 交読文:詩編10編1節~7節

 讃美歌:讃詠546番、25番、293番、366番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

7月24日の説教要旨

使徒言行禄9:1~9

「サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った」(9:8)

教会の迫害者サウロは、イエス・キリストから声を掛けられ、キリストの使徒として召され、後にパウロと呼ばれるようになりました。もし、使徒パウロがいなかったら、今の教会の姿は随分違ったものになっていたのではないでしょうか。少なくとも、新約聖書の中身は全く違ったものになっていたでしょう。

サウロは、ステファノに石を投げて殺した民衆の中にいました。ステファノを殺害することを正しいことだと信じていたのです。サウロはキリスト者たちをもっと迫害しようと、ダマスコに向かう途中で復活のキリストから呼びかけられました。このことが、サウロのその後の人生を大きく変えることになりました。

迫害者サウロが使徒パウロとなり、ユダヤ人の地域を超えて異邦人へと福音を伝え、アジアからヨーロッパへとキリスト者の群れが広まっていくことになります。そのことを考えると、今日読んだサウロとキリストの出会いというのは、キリスト教会にとって、つまり私達一人一人にとって、大きな意味を持つ出来事だと言っていいでしょう。

神が誰か一人を召し出される、ということが時代を超えてどれだけ大きな意味を持っているのか、ということに、私達は思いをはせたいと思います。そして、私達が信仰者として誰かに出会う、ということ、また、私達の今の信仰生活が、実は次の時代にどれほど大きな意味を含んでいるのか、ということも考えたいと思います。

神が誰かを預言者・使徒へと召し出される時、その選びには不思議があります。聖書を読んで面白いのは、神に選ばれた人は皆、なぜ自分が選ばれたのか分かっていない、ということです。むしろ、選ばれた方の人間は神に向かって「いや、私ではないでしょう。私はあなたの働きにはふさわしくありません」と言うのです。しかし、神は「いや、あなただ。私は弱いままのあなたを求めている。私はあなたを通して働くのだ」とおっしゃって、召し出されます。

旧約聖書に預言者エレミヤという人が出てきます。エレミヤは若くして神から声を掛けられ、預言者として召されました。19か20歳ぐらいの時だったと言われています。エレミヤは、自分が神の言葉をイスラエルに伝える預言者として働くなど、自分には無理だ、と言いました。「自分は若者に過ぎない」、と。

しかし、神はおっしゃいます。「自分は若者に過ぎない、と言ってはならない・・・私はあなたが母の胎にいるときから選んでいた。」

パウロも手紙の中で、「自分は母の胎にいる時から選ばれていた」と、エレミヤと同じことを書いています。パウロも、エレミヤと同じように、なぜ自分が選ばれたのかはわかりませんでした。

「私は教会を迫害したのですから、使徒の中で最も値打ちのない者です」と書いている。確かにそうでしょう。神はなぜ教会を迫害していたサウロを使徒として選ばれたのでしょうか。神の選びの不思議は、本人たちにも、そして聖書を読む私達にも、隠されています。間違いなく言えるのは、「神にはご計画をもってその人をお選びになった」ということです。

今ここにいる私たちも「なぜ、自分が今ここにキリスト者として召されているのか」は、自分ではわかっていないでしょう。ただ神が私をご覧になり、選び分け、時を備えて、ご自分の元へと招いてくださり、私を通して・用いて何かを行おうとなさっている・・・それだけしか言えないのではないでしょうか。

教会の迫害者サウロが、どのように変えられていくのか、しっかりと見て行きたいと思います。サウロに起こったことが、私たちに起こったことでもあるからです。

キリストを知ることによって、パウロはどう変わったでしょうか。一言でいうと、パウロの中で誇るものが変わりました。キリストに出会うまで、パウロが誇りにしていたのは、「自分」でした。

パウロはいろんな手紙の中で、キリストに出会うまでの自分は、自分自身を誇っていた、とガラテヤの諸教会に書いています。

「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年頃の多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」

聖書の教えを守るのに、同じ年頃の誰よりも徹底していた、と自負しているのだから、ものすごい自信です。

フィリピ教会にはこう書いています。

「私は・・・イスラエルの民に属し・・・ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした。」

自分こそイスラエルの中で最も聖書の教えを熱心に守っている者だったと言い切っています。実際、神の教えを守るために、キリスト者・教会を迫害するほどの熱心さをもっていました。彼は、自分ではそれが正しいことだと思っていたのです。

しかし、キリストに出会った後、パウロは変わった。

「しかし・・・私の主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています」

キリストに出会う前は自分自身を誇りにしていたことを、パウロは「肉の誇り」と表現しています。そして、キリストを知ってからは、律法の知識をたくさん持っていることや、自分が民族的に純粋なユダヤ人であるといった「肉の誇り」など、塵芥となった、と書いています。

パウロは、キリストを知ることによって、自分を誇る者からキリストを誇る者となりました。「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」

これは、キリストに出会った人が皆体験することではないでしょうか。誰もが、「強くなりたい」と思い、自分を誇れるようにもがき、他者と自分を比較して思いあがったり落ち込んだりします。しかしキリストとの出会いがそれを変えます。

実際パウロは、強い人でした。「私には聖書の知識がある。ヘブライ人の中のヘブライ人だ。誰にも負けない」と言えるほどの人でした。しかし、キリストを知ってからは、自分を誇る人から、「誇る者は主を誇れ」と言う人へと変わりました。イエス・キリストを知っている・イエス・キリストに知られている、ということが、信仰者の誇りとなるのです。

サウロは後に、パウロと呼ばれるようになります。サウロはヘブライ語の名前で、イスラエルの最初の王様となったサウルと同じ名前です。

しかし、サウロは、「パウロと」いうギリシャ語で小さき者という意味の名前で呼ばれるようになります。

王様のように自信に満ちていたサウロは、キリストに出会い、「いと小さき者・パウロ」と名乗るようになったのです。パウロはキリストに出会って、小さきものへと変えられました。

私たちもそうです。キリストを知る、ということは、神の前に自分がいかに小さいか、ということを知る、ということでしょう。自分を誇ることの愚かさを恥じ、キリストを誇る喜びを知る、ということです。

今まで自分が誇りとしていたこと、価値を見出していたことが突然塵芥になってしまうと、普通は、空しさを覚えます。「今までの自分は何だったのか」、と悩むでしょう。しかし、イエス・キリストとの出会いによるその変化は、新しい誇りを見出す、ということなのです。

サウロはキリストとの出会いを通して、何を見せられたのでしょうか。キリスト者たちを迫害しようとして意気込んでいたサウロに天から光が照らされました。パウロは天からの光に向かって「あなたはどなたですか」と聞きます。

「あなたが迫害しているイエスである」

サウロは自分が正しいことをしていると思っていました。キリスト者たちの道が間違っていて、自分の道が正しいと思っていました。教会を迫害すれば神は喜んでくださると思っていました。

しかし、キリストはそのサウロの道を絶たれました。それがサウロの召命でした。神から「あなたの道は違う。あなたに私の道を歩ませる」と方向を変えられたのです。それが神の召しです。

そしてこれが、キリストとの出会いの中で私達に起こることなのです。

道を変えられる、ということ。

サウロは目が見えなくされてしまいました。人々に手を引いてもらわなければならなくなりました。

「自分が民衆の信仰を正す・導くのだ」、という自負を持っていたサウロが、逆に、誰かに導いてもらわなければならなくなりました。あの、自分を完全無欠だと自信をもっていたサウロが、自分では何もできなくなってしまったのです。

サウロは、その無力さの中で神から教えられました。「結局自分を導くのは神である」「神に導いていただかなければ、自分は正しい道を歩くことが出来ない」、ということを。サウロは、自分の誇りを無にされ、その上で、自分が神から導きが与えられなければ何もできないものである、ということを無力さの中で学ばされました。 Continue reading

7月24日の礼拝案内

 次週礼拝(7月24日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄9:1~9

 交読文:詩編10編1節~7節

 讃美歌:讃詠546番、24番、90番、512番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

7月17日の説教要旨

使徒言行禄8:26~40

「主の天使はフィリポに、『ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け』と言った。そこは寂しい道である。」(8:26)

使徒言行禄は「旅の記録」と呼んでいいものでしょう。キリストの福音を携えたある人が、旅の途中で誰かに出会い、そこで福音を伝える、ということが連続して起こっています。

福音が誰かから誰かに手渡される時には、必ずそこには聖霊の働きがあります。一人の信仰者が生まれることは偶然に起こることではなく、私達の知恵や思いを超えた聖霊の働きがそこある、ということを聖書は私達に伝えているのです。私達自身、自分の信仰生活を振り返ると、単なる偶然に思える出会いも、実は聖霊による必然であった、と思わされることはいくつもあるのではないでしょうか。

私たちが今日読んだ場面も、聖霊の導きの不思議さに満ちています。ステファノの殉教をきっかけに、エルサレムで教会に対する迫害が起こり、キリスト者たちはエルサレムから追い散らされました。迫害から逃げた人たちは、逃げながらイエス・キリストの福音を伝えていった、と記されています。

キリストの使徒の一人、フィリポはサマリアに行き、そこでしるしを行い、言葉を語ってイエス・キリストを証しました。フィリポはサマリアでとても重要な働きをした、サマリア伝道の中心人物と言っていいでしょう。

しかしフィリポは、後から来たペトロとヨハネにサマリアでの宣教を任せ、次の宣教の場所へと向かいました。正確に言うと、「主の天使」によっ、新しい場所が示されたのでそこへと向かっていきました。

今日は、サマリアを離れたフィリポの姿を追っていきたいと思います。

主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ降る道に行け」と命じました。聖書には「そこは寂しい道である」と記されています。フィリポにとってそれは唐突で、不可解な導きだったでしょう。聖書を読んでいる我々にとっても、「なぜ、フィリポはそんなところに行かなければならないのだろう」と思わせられます。

フィリポはサマリアでたくさんの人たちをキリストの元へと導きました。サマリアの人たちはフィリポを慕い、キリストを証してくれる使徒として頼りにしていたでしょう。普通に考えると、フィリポはサマリアに留まり福音宣教の業を続けた方がいいのではないだろうか。新しい誰かがサマリアでの宣教活動に入っていくよりは、フィリポがそこに居た方が、効率がいいのではないか。

「どうして自分がそんな寂しい場所に行かなければならないのか。サマリアに、こんなにたくさんのキリストを求める人たちがいるのに」という思いは、フィリポの中にだってあったと思います。

フィリポ自身も、「そこに行け」、と言われただけで、そこで何が自分を待っているのかは知りませんでした。行って見なければ、わかりませんでした。しかし彼は聖霊に従いました。

主の天使は、フィリポを「寂しい」場所へと導きました。たくさん人たちがキリストの福音を待っている場所ではなく、誰もいない、寂しい場所へと導きました。我々人間には予想もしない導きです。

その従いの先で、フィリポは、神がこんな「寂しい場所」で、大切な出会いを用意されていた、ということを知りました。

彼は、主の天使の言葉を信頼し、サマリアを離れ、ガザに向かう寂しい道へと向かい、エルサレムからペリシテのガザへと続く寂しい道で、フィリポは、アフリカのエチオピアからの巡礼者と出会ったのです。

当時の地中海沿岸に住む人たちにとって、エチオピアは「世界の果て」と言っていいような国でした。エチオピアの女王の高官だったその巡礼者は、ユダヤ人が信じるイスラエルの神への信仰を持っていました。その人は、エチオピアからエルサレムまで巡礼し、聖書を読みながら車の中で自分の国へ帰っていたのです。

このエチオピア人との出会いは、フィリポにとっても驚きでした。こんな寂しい場所に、聖書の真理を求める人がやって来たのです。しかも、エルサレムから遠く離れた、アフリカのエチオピアの人で、聖書に証しされているイスラエルの神を求めている人に出会ったのです。

この人は、車の中で聖書を読んでいました。普通は、聖書の言葉を一人で読んだって、よくわからないでしょう。このエチオピア人にとっては外国の神であり、読んでいたイザヤ書は、何百年も昔の言葉です。しかし、それでも彼は聖書の真理を求めていました。

フィリポは、エチオピアの宦官がヘブライ語でイザヤ書を読んでいるのを見て驚き、「読んでいることがお分かりになりますか」と言いました。この人は宦官として女王に仕える人だったので、当然博識な人でした。エチオピア人でありながら、ヘブライ語で書かれた聖書のイザヤ書を読んでいたのです。

当時のユダヤ人は、アラム語を話していました。ユダヤ人でさえ、ヘブライ語をアラム語に直さなければ読めなかったのに、その人はヘブライ語で聖書を読んでいたのです。ものすごい知識人です。

フィリポは、「ここで、読んでいることがお分かりになりますか」と言ったのは、「ヘブライ語がわかりますか」、と言うことではありません。聖書に記されているその預言が、一体何のことを言っているのか、誰のことを預言しているのかわかりますか、と尋ねたのです。。

エチオピア人の宦官は、イザヤ書に書いていることは読めました。ヘブライ語で書かれていても、それを文字としては読むことが出来ました。しかしそれは「ただ、読める」、というだけのことでした。

書かれているイザヤ書の言葉の内容が一体何を指しているのか、誰のことを預言しているのかは、どれだけ読んでも理解できませんでした。

イザヤ書53章は謎に満ちています。そこには、「神の苦難の僕」と呼ばれる人の受難が預言されています。「神はこの僕に全ての罪を背負わせられる」、ということが言われているのです。

誰かが子羊のように殺されてしまう、ということが言われていますが、子羊のように殺されるその人が、一体誰なのか、全く解説されていません。このイザヤの預言の言葉に隠された意味を知りたい、神のご計画を知りたい、と思っているところにフィリポという人が突然現れたのです。

フィリポは、ナザレのイエスという方の十字架と復活をこのエチオピアの宦官に語って聞かせました。何百年も前に語られたイザヤの預言は、自ら苦しみを背負い、自分の命を捨てて人々を罪から救う、受難のメシア、イエス・キリストのことであることを伝えました。宦官はそれを聞いて、イザヤ書の預言を理解しました。

フィリポとエチオピア人の出会いは、エチオピア人がイザヤ書の預言を理解した、というだけでは終わりませんでした。聖霊によって二人が出会わされ、それによって、受洗者が生まれたのです。

このエチオピア人は、イザヤ預言を理解し、信じ、フィリポに言った。

「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」

そして彼はフィリポから洗礼を受けます。

聖書の言葉を読んで、「これは自分に起こったことなのだ」と悟った時、人は洗礼へと導かれます。そして、新しい自分として生きることになるのです。

聖書の言葉、聖書の預言は、理解して終わり、ではありません。人は聖書の言葉が真実である、ということを知った時、「これは自分に起こったことなのだ」と知ります。「イエス・キリストが自分のために死んでくださったのだ」ということを知ることであり、「キリストは復活されて今自分を求めてくださっている」ということを知ることです。

そして、人は洗礼へと導かれるのです。キリストを知らなかった自分に別れを告げ、キリストと共に生きる新しい自分へと生まれ変わります。

使徒パウロは、ローマの信徒たちに、洗礼についてこう書いている。

「我々は洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。・・・私たちも新しい命に生きるためなのです」

さて、その後、フィリポとエチオピアの高官はどうなったでしょうか。二人は一緒にエチオピアに行ったのか、というそうではありません。またフィリポは別の場所へと連れ去られました。

そして一人残された宦官は、「喜びにあふれて旅を続けた」とあります。彼には、フィリピとの別れがあった。しかし、それでも、この宦官にとって、エチオピアへと帰っていく旅は、新しい「喜びに満ちた旅」となりました。それは故郷へと戻る旅だったが、同時に、キリスト者として踏み出す新しい出発の旅でもありました。この人にとって人生という旅が全く新しい喜びに満ちたものとなったのです。

キリストを信じて生きることは、私達を日々新しくします。

パウロは手紙の中でこう書いている。 Continue reading

7月17日の礼拝案内

次週礼拝(7月17日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄8:26~40

 交読文:詩編10編1節~7節

 讃美歌:讃詠546番、23番、403番、453番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

7月10日の説教要旨

使徒言行禄8:1~25

「散っていった人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」(8:4)

ステファノの殉教をきっかけに、エルサレムのキリスト者たちに対して大迫害が起りました。エルサレムで大きく成長したキリスト教会でしたが、一日でバラバラにされてしまいました。そして迫害を受けたキリスト者たちはエルサレムの外へと追い散らされてしまったのです。

しかし、教会はここから不思議な成長を遂げていくことになります。エルサレムから逃げ去ったキリスト者たちは、ただ逃げたのではありませんでした。逃げながら、その先々でイエス・キリストの福音を告げ知らせ、そのことによってエルサレムの外へと福音が広まっていったのです。

私達は、今日読んだところで、ユダヤ人とは交流がなかったサマリア人たちへとキリストの福音が伝えられていった、ということをみました。教会への迫害を通して、福音はエルサレムの外へと、全世界へと広まっていったのです。人間の知恵や力を超えた神の摂理をここに見ることが出来ます。

エルサレムから追い散らされた人たちは、サマリアへと逃げました。エルサレムから逃げて来たユダヤ人たちによって、サマリア人に福音が語られ、多くの人がそれを受け入れ、洗礼を受けることになりました。

キリストの福音がユダヤからサマリアへともたらされた、ということ、そしてサマリアの人たちがユダヤ人たちがもたらした福音を受け入れた、ということ・・・そこにはとても大きな意味があります。

ユダヤとサマリアは、もともとは一つのイスラエルでした。それが、ソロモン王が死んだ後、北と南に分裂してしまいます。そしてBC722年に首都サマリアがアッシリア帝国によって滅ぼされ、北王国は滅亡しました。その後は南のユダ王国だけが細々と生き残って来ました。

昔は一つだったイスラエルだったが、歴史の歩みの中で、北と南に別れ、民族的に、信仰的に別々の歩みをするようになっていきました。教会が生まれた時代紀元1世紀には、サマリアとエルサレム、サマリア人とユダヤ人の間には大きな断絶があったのです。

それが今、イエス・キリストの十字架と復活を通して、ユダヤの人とサマリアの人がキリストへの信仰の中で一つになっていった、というのです。それは、二つに引き裂かれたイスラエルが、もう一度神の元に一つとされたという、神の平和を象徴するような出来事でした。

私たちはここに、福音が持つ力を見ます。人間の努力だけでは壊すことが出来ない壁・埋めることが出来ない溝を超えさせる福音の力です。仲間同士、似た者同士、内輪だけでまとまって強くなっていくようなものではありません。

イエス・キリストの福音は敵対する者同士を一つにします。神の元に全ての人を一つにしていく平和の力です。

エフェソの信徒への手紙の中で、パウロはこう書いています。

「実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊します」

これが、聖書が伝えている「神の救い」です。救いとは、「和解」のことです。壊れていた関係が、イエス・キリストへの信仰によって回復させられることです。

神との関係が壊れていた罪びとは、キリストの許しを知り、悔い改めることで神の元へと立ち返ることが出来ました。そして今、壊れていたユダヤ人とサマリア人の関係も、キリストの福音によって回復しています。

神との関係が、隣人との関係が、イエス・キリストを信じることによって回復されていきます。全ての人が神の元に集められ一つになる「救いの完成・和解の完成」に向けて、聖霊は今も教会に注がれ、私たちを通して働いています。

さて、サマリアでの様子を見ていきたいとおもいます。ここで大きな働きをしたのが、フィリポという使徒でした。「フィリポ」というのは、ギリシャ語の名前なので、教会の中でもギリシャ語を話すユダヤ人の一人でした。つまり、ステファノと一緒に、選ばれた7人の使徒の内の一人でした。

サマリアの人たちはエルサレムから逃げて来たフィリポが語るイエス・キリストの出来事を知りました。そしてフィリポの行う奇跡の業を見て、驚き、イエス・キリストを信じ、神の国の福音を信じ、洗礼を受けました。

その中にシモンという魔術を行う人もいました。このシモンという人は「魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた」とあります。

シモンとフィリポを比べてみると、面白いと思います。シモンもフィリポも、二人とも、「人々を驚かせた」、という点では同じでした。しかし、人々は魔術師シモンではなく使徒フィリポの業と言葉を求めました。そして魔術師シモン自身も、「信じて洗礼を受け、フィリポに付き従い、素晴らしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた」とあります。

この二人の違いは何だったのでしょうか。

魔術師シモンは自分のために力を使っていました。そして「自分が偉大である」、ということを自分で言っていました。彼は、自分が偉大な人物であることを示すために魔術を行い、人々を自分へと引き付けようとしていたのです。

フィリポは違っていました。全てがその反対でした。フィリポはイエス・キリストのために力を使い、言葉を語ったのです。自分ではなく、自分に言葉と力を与えてくださったイエス・キリストが偉大であるということを伝えるためです。フィリポが使う力、語る言葉は全て人々をキリストへと導くためでした。

もし、フィリポが自分の名声を高めるために語り、働いていたのであれば、人々はシモンとフィリポを同じように見たでしょう。ただ、驚いて見るだけで終わったでしょう。

しかし、サマリアの人々は、フィリポの業と言葉を求めました。人々は、フィリポが自分の名声のためではなく、自分たちサマリア人をキリストへと導くために誠心誠意キリストの福音を伝えている、ということを感じたのでしょう。フィリポが伝える福音を聞き、フィリポが行う奇跡を見て、サマリアの人たちは「喜んだ」とあります。

魔術師シモンと、フィリポの違いはここにあります。シモンの働きは自分への注目を集めるためのものでした。そこに人々の喜びはありません。あるのは、シモンの喜びだけです。

フィリポが伝える福音は、サマリアの人たちに喜びをもたらしました。そもそも「福音」というのは「喜びの知らせ」という意味の言葉です。サマリアの人たちは、フィリポの癒しや悪霊払いの業を通して、神の恵みの支配が自分たちのところにも及んだことを知って喜んだのです。

「ここに神の国がある。ここにまで神の恵みの支配が、神の招きが及んだ」と。

魔術師シモン自身も、フィリポを通してイエス・キリストの福音を知り、洗礼を受けました。しかし、シモンはこの後、過ちを犯します。彼は、フィリポの後からサマリアにやって来たペトロとヨハネが人々に手を置くと聖霊が降るのを見ました。そして「自分にもあの力が欲しい」、と思い、お金を差し出して、「私にも力を授けてください」と申し出ました。うらやましかったのでしょう。

ペトロはシモンにこう言いました。

「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を、金で手に入れられると思っているからだ」

シモンは恐れて、「おっしゃったことが何一つ私の身に起こらないように、主に祈ってください」と言いました。

このシモンの姿は滑稽で、何となく憎めません。とても人間臭いと思います。シモンはたくさん金を持っていたようです。お金には価値があり、お金で神の賜物も買うことが出来る、と当然のように思っていたようです。

人がやっていることをうらやましく思い、お金を出して欲しがる浅ましいシモンでした。しかし、当たり前のことですが、この世にはお金をいくら積んでも買えないものがあります。そしてお金・この世の財産が、福音が持つ価値を見る目を曇らせることがあります。

私たちは、一人の若者を思い出すことが出来ると思います。子供のころから律法を正しく守って来た若者が、「完全になるにはどうすればいいですか」とキリストに尋ねてきたことがあります。

キリストは「完全になりたいのであれば、財産を貧しい人たちに与え、それから私に従いなさい」とおっしゃいました。しかし、その若者はそれを聞いて悲しみながら去って行きました。その若者は「金持ちだったからである」と聖書には記されています。若者は、財産を手放すことが出来なかったのだ。自分が持っている財産以上に、イエス・キリストに価値を見出すことができなかったのです。

天に富を積もうとする私たちの目を、地上の富がどれほど曇らせるのかということを教えてくれる出来事だと思います。

魔術師シモンの姿を通して、私達は、福音が持っている価値の質について、考えさせられます。それは、地上の富で買うことのできない、天の宝でした。シモンは、自分が受けた洗礼は、地上の財産に勝る価値があることを思い知らされました。私達も、このシモンの姿を通して、自分が信じる福音・自分が受けた洗礼の価値を改めて捉え直すべきでしょう。

フィリポが語るイエス・キリストの福音を聞いた、サマリアの人たちは洗礼を受けました。フィリポの業と言葉に感動して賞賛した、感謝した、ということで終わったのではないのです。洗礼を受けたのです。 Continue reading

7月10日の礼拝案内

 次週礼拝(7月10日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄8:4~25

 交読文:詩編10編1節~7節

 讃美歌:讃詠546番、21番、339番、333番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

7月3日の礼拝説教

使徒言行禄7:54~8:3

「『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ」ステファノはこう言って、眠りについた。(7:54)

何千人もの規模になった教会は、12人の使徒たちだけでは秩序を保つことができなくなりました。そこで教会は新しく7人の世話係を選び出し、12人の使徒たちがみ言葉の奉仕に専念できるようにしました。

選ばれた7人は、ただの世話係ではなく、キリストの復活を伝える使徒としての働きも担いました。7人の内の一人、ステファノもまた、民衆の間でイエス・キリストの証言を続けていました。

民衆の一部の人たちは、ナザレのイエスという人が復活したということを疑い、死者の復活を聞くことを快く思わず、ステファノに議論を仕掛けてきました。しかし、ステファノが「知恵と霊とによって語るので、歯が立たなかった」と記されています。

そこでステファノに言い負かされた人たちは、民衆をそそのかして「私たちは、ステファノがモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせたのです。もちろん嘘の情報です。このことで、ステファノは逮捕され、最高法院へと連行されてしまいます。

ステファノは、大祭司から「訴えの通りか」と尋ねられました。彼は神がどのようにモーセを導かれたのか、そして、どの時代のイスラエルの指導者も、モーセのように神がお選びになった預言者たちの言葉を受け入れなかったことを語ります。そして、最後に、イエス・キリストの復活を受け入れない最高法院の人たちに向かって厳しくこう言いました。

「あなたがたはいつも聖霊に逆らっています」

「預言者を迫害した先祖と同じように、今や、あなたがたは律法に背く者となっています」

イエス・キリストの復活を信じようとしない最高法院の人たち・イスラエルの指導者たちは「預言者を迫害して来た先祖と同じだ」と言い切ったのです。

ステファノは人々の怒りを買い、石を投げられ、殺されてしまいます。ステファノの処刑をきっかけに、この日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、キリスト者たちは皆エルサレムの町からユダヤとサマリアの地方へと追い散らされてしまいました。ここまで成長を遂げてきたキリスト教会は、ついにここにきて、大迫害を受け、解体されてしまったのです。

教会はもうここで終わりなのでしょうか。

そうではありませんでした。

ステファノの殉教は、不思議な仕方で聖霊に用いられていくことになります。私たちは、不思議な福音の広がり、不思議な教会の成長を、この使徒言行禄の中に見ていくことになります。

ヨハネ福音書に、こういうキリストの言葉があります。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」

キリストを信じ、教会のために働いた結果、ステファノがこのような悲劇的な殺され方をした、ということは私たちに様々なことを考えさせるでしょう。信仰者が、その信仰ゆえに殺されてしまうとは、なんと報われないことか、と思います。

しかし、ステファノの殉教は、何かを新しく生み出しています。ステファノの死を通して、新しいキリストの証人が生みだされていきました。そしてこの日を境に、福音がエルサレムから外へと、世界へと広まっていったのです。

ステファノが殺されるのを、一人の若者が見ていました。サウロという人です。彼はステファノに石を投げる人たちの上着の番をしていました。サウロは、ステファノを殺すことに賛成していたのです。

この人は後にキリストに召され、キリストの使徒となって働き、殉教するその日まで、教会のために生涯をささげることになります。後のパウロです。ステファノという一人の殉教者が、パウロという新しい一人の殉教者を生みだすことになったのです。

神は、サウロを召される際、こうおっしゃいました。

「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」

教会を迫害したサウロは、「キリストのために苦しむため」に召し出されることになる。サウロは、やがてパウロと呼ばれるようになり、その言葉通り、キリストのために苦しみながら身を捧げました。鞭で打たれたり、石を投げられたり、船で難破したり、盗まれたり、ということが数えきれないほどあったことを、自分の手紙の中で書いています。

しかし、パウロは後に、手紙の中でこうも書いています。「キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」

パウロは教会を迫害する者から、教会のために苦しむ者へと変えられました。それを彼は「神に召された恵み」であると言います。そして「福音を告げ知らせないなら、私は不幸なのです」とも言っています。

「私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのないものです。神の恵みによって今日の私があるのです」

ステファノは一粒の種となり、地に落ち、一人の使徒を実らせました。ステファノの死は、パウロという新しい使徒を生みだしたのです。教会を迫害していた人を、教会のために働き苦しむことを喜ぶキリストの使徒へと変えていきました。

それだけではありません。ステファノを殺した人たちは、キリスト者たちをエルサレムから追い散らしました。しかし散らされたキリスト者たちは、迫害から逃れた先で、キリストの十字架と復活を伝えていったのです。その福音は、サマリア地方にまで伝えられました。

当時、ユダヤとサマリアの人たちは、お互いに交流がありませんでした。しかし、サマリアの人たちは、ユダヤから来たキリスト者たちが行う業を見、キリスト者たちの証を聞いて、喜んで福音を受け入れたのです。

教会に対して迫害が起こり、キリストの使徒が殺され、せっかく何千人にまで大きくなった群れが散り散りにされてしまったのを見ると、大きな損失のように見えます。しかし、それで終わりではありませんでした。聖霊の働きは、そこから、新しい芽吹きを生み出していったのです。

さて、私たちは、今日読んだステファノの姿を通して、信仰を抱いてこの地上の命を終える「殉教」ということについて考えたいと思います。ステファノは、キリスト教会で最初の殉教者でした。

殉教というのは、信仰のために命を落とすことです。今の世界では、狂信的な思想に囚われて、他の人たちを巻き添えにして自分が死ぬことまでが殉教と考えられがちですが、それは聖書が記している殉教の姿ではありません。

そもそも、聖書で言われている「殉教者」という言葉は、「目撃者」という意味を持っています。自分自身を超えた真理を目撃した人、キリストを見た人、神を見た人、という意味が含まれているのです。神から見せられた真理に自分の命・生涯をかけた人、という意味で、ステファノは、「殉教者」でした。

ステファノは何を目撃したのでしょうか。人々から石を投げられる際、ステファノは天上のイエス・キリストを見ました。最高法院の中でイエス・キリストを証したステファノの顔は、「天使のようだった」、と記されています。そして最高法院の人たちに言葉を語り終えると、「聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見た」と記されています。

ステファノは確かに殉教者でした。しかしそれは単に、「信仰のために殺された人」、ということではなく、「自分の命に勝る永遠の命を目撃した人」という意味で殉教者だったのだ。

私たちは信仰を通してしか見えない何かがあります。キリストを信じた先でしか見えてこない世界があります。

ヘブ11:1「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」「(信仰者たちは)自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです・・・すなわち天の故郷を熱望していたのです」

信仰者たち・殉教者たちは、天の故郷を見ていた人たちでした。私達にも、キリストを信じなければ、決して歩むことがなかった道・選択することがなかった決断があったでしょう。そのように、キリストを信じなければ、見えてこない天の故郷があるのです。

聖霊は、私たちをキリストへと導き、そして私たちがやがて帰る天の故郷へと導きます。聖霊は、私たちを目撃者としてくださいます。私たちの信仰の目を通して見せてくださるのです。信仰を通してしか見えない、天上へと続く道を見せてくださいます。

聖霊を通して天の故郷を見た人は、その生涯を通じて神に用いられます。その命が尽きたとしても、私たちの信仰の足跡は、後に続く人たちのために道しるべとなります。イエス・キリストがそうだったように、ステファノがそうだったように。 Continue reading