12月22日の礼拝説教

 創世記8章1節から19節

「神は、ノアと彼と共に箱舟にいた全ての獣と全ての家畜を御心に留めた」

クリスマス礼拝を迎えました。イエス・キリストがお生まれになったことを心から祝いたいと思います。キリストの御降誕を祝う、ということは、ただ賑やかな音楽をかけて美味しいものを食べるというようなことではないでしょう。私たちの罪を担い、十字架で死んでくださった方のことを思い、改めて自分の罪に目を向け、今神の元へと立ち返ることができた恵みに感謝する、ということです。

新約聖書の初め、マタイによる福音書1:1にイエス・キリストの系図が書かれています。新約聖書を初めて開いた人は、たくさんの人の名前がずらずらと書かれている系図に驚くでしょう。「なぜこんなにもたくさんの人たちの名前がいきなり書かれているのか」と戸惑うことだと思います。

聖書は、ただヨセフとマリアもとにイエスという方が生まれた、ということだけを書いているのではありません。「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」と、神の救いの御業がアブラハムからダビデへ続き、ダビデからイエスという方にまで及んだ、ということを伝えているのです。

新約聖書は、キリストの誕生が単なる「神の思い付き」によるものではなかったことをまず証言しています。救い主の誕生は、世の初めから、神が人と共に生きるため、時代を超えて計画してこられたことだったのです。そしてそれは、神がご自分の独り子を世のいけにえとする決断の時が満ちた、ということでした。

マタイ福音書1:1の「イエス・キリストの系図」という言葉は、「イエス・キリストの創世記」と訳してもいい言葉です。キリストが世にお生まれになったことは、まさに世界が一新される出来事、新しい天地創造でした。この世界が、「キリストを待つ世界」から「キリストが来られた世界」へと変わったのです。

キリストの誕生によって、私たち一人ひとりの人生も新たにされました。キリストとの出会いは、誰にとっても、自分が新しく創造された出来事だったでしょう。

今も私たちは、日々神の創造の御業の内あるということを覚えたいと思います。神の創造の御業は、世の初めから今に至るまで、絶え間なく続けられているのです。

クリスマス礼拝の今日、ノアの物語からそのことを学びたい。

「神は、ノアと彼と共に箱舟にいた全ての獣と全ての家畜を御心に留めた」と1節に書かれています。神が「御心に留める」という表現は創世記の中で何度も使われています。そして、それは必ず、救いの文脈で使われているのです。

例えば、創世記9章15節、16節で神は洪水の後こうおっしゃっています。「私は、私とあなたたち並びに全ての生き物、全て肉なるものとの間に立てた契約に心を留める」「雲の中に虹が現れると、私はそれを見て、神と地上の全ての生き物、すべて肉なる者との間に立てた永遠の契約に心を留める」

神は、地上を滅ぼすことがないように、被造物との間に交わした契約に「心を留める」とおっしゃっています。神が「契約に心を留め」てくださるということは、平和の契約、命の契約に心を留めてくださる、ということであり、私たち被造物にとっては、救いそのものです。

他にも、創世記19:29では、「神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただなかから救い出された」とあります。滅びの時が迫るソドムの町にいたロトを、神は救い出されます。その理由は、神がアブラハムを御心に留められたからです。アブラハムとの「正しくない者たちと正しい者たちと一緒に滅ぼすことはしない」という約束を思い出されたからです。

創世記30:22では、「神はラケルを御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれたので、ラケルは身ごもって男の子を生んだ」とあります。神は、何年も子供を授からなかったラケルを御心に留められました。そしてラケルに子供をお授けになりました。

このように、「神が御心に留める」という言葉は、神が救いを行われる時・神が命をお与えになる決断をなさる時なのです。そして今、神は、箱舟を「御心に留め」られました。洪水を生き残った被造物に、どのような救いをお与えになるのでしょうか。

聖書は、神が洪水を起こされ、その水が地上を支配した様子を細かく記しています。この洪水物語は新しい創造の御業だった、ということを前にもお話ししましたが、創世記1章の天地創造の物語よりも、聖書はたくさんの言葉をつかい、細かく洪水の様子を描いています。

創世記の1章で描かれている天地創造の御業は、一日目にこういうことがあり、二日目にこういうことがあり、と続いて、6日で天地が造られ、7日目に人が創造され、地上とそこに生きるものが完成しました。

しかし、この洪水物語では、6章から9章という文量を使い、150日かかって水が地上を拭い去ったこと、さらに150日経って水が減っていったことなど、1年以上かけて世界を新しくされたことが書かれています。

神は一瞬でこの世界に光を創造された方です。やろうと思えば、一瞬でこの世界を滅ぼし、新しくすることがお出来になったのではないでしょうか。しかし、1年以上かけて神は地上の悪を滅ぼし、箱舟に乗った者たちのための新しい世界を用意なさった、というのです。1年以上経って、水の中から新しい大地が生まれました。

天地創造は7日だったのに、なぜこの洪水を通して行われた創造の御業は、こんなにも神は時間をおかけになったのでしょうか。ある人は、「物語は神の長きにわたる 忍耐を描こうとしているのではないか」と言っています。

創世記をここまで読んできてわかるのは、神は人の悪に忍耐してこられた、ということです。天地を創造することがおできになる神であるなら、この世界を刷新することなど一瞬でできたでしょう。しかし、神は人の悪に忍耐を続け、忍耐をもって苦しみながら世界を愛しつづけられるのです。

箱舟に乗ったノアとノアの家族にとっても、この長い時間は忍耐を伴うものだったでしょう。聖書は、水が増し、勢いが衰えない150日もの間、箱舟の中の様子がどうであったか、とか、ノアとその家族がどのように過ごし、何を考え話し合っていたか、というようなことは何も書かれていません。

初めに、「箱舟に乗りなさい」とおっしゃって、最後に「箱舟から降りなさい」とおっしゃるまで、一年以上神はノアに言葉をかけていらっしゃらないのです。ただ、洪水を起こして地上の悪を拭っておられました。

実際どうだったか想像すると、ノアも、ノアの家族は不安だったでしょう。「いつまでこれが続くのか」「洪水の後、どんな生活をすればいいのか」考えたでしょう。いつまで続くかわからない洪水の中、じっと耐えるしかありませんでした。彼らの希望はただ、「神がこれをお命じになられた」ということだけでした。自分たちは、神の御心に覚えられている、ということだけでした。

箱舟から降りた後、神はノアとノアの息子たちを祝福され、神と被造物は平和の契約を結び、また共に調和の中に生きることとなります。

洪水の中、神の声を聞くことがなくても神の御心を信じてじっと箱舟の中で耐えながら時を待つノアの一家は、教会の姿でもあります。今、この時代、キリストが待ってくださっている天の都まで、私たちは忍耐して礼拝を続け、神への信頼を貫くのです。

目に見えているのは、洪水のような混乱に満ちた世界かもしれません。しかし、キリスト教会は救いの箱舟として今、世の終わりへと運ばれているのです。

ヘブライ人への手紙に、こう書かれています。「私たちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入っていくようなものなのです。」6:19

ノアが箱舟の中で捨てることがなかった希望、私たちが今も教会の中で抱き続けている希望は、絶望に終わることはありません。聖書はそのことを私たちに伝えているのです。

手紙の中にはこういう言葉もあります。「兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。あなた方の内誰一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、『今日』という日のうちに、日々励まし合いなさい。私たちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なるものとなるのです」ヘブ3:12

私たちが今導かれている箱舟は小さいと感じるかもしれません。確かに、この日本で、キリスト教会は小さな舟でしょう。しかし、これは特別な舟です。神が御心に留めてくださるイエス・キリストの体に、私たちは今入れられているのです。

ガリラヤの湖の上で、小舟に乗った弟子たちは、強風に恐れました。舟が転覆するのでは、自分たちはおぼれ死ぬのでは、と恐怖しました。その弟子たちに、イエス・キリストは「なぜ恐れるのか」とおっしゃいました。「信仰の薄い者たちよ」と弟子たちをお叱りになり、キリストは風もお叱りになりました。

私たちが今乗っている教会という小舟はキリストが共に乗ってくださっている箱舟なのです。私たちは舟の大きさばかりに目が行っていないでしょうか。本当に大事なことは、これがキリストが乗ってくださっている小舟であるということなのです。これが、「キリストの体」という救いの箱舟であるということです。

マタイ福音書の最後で、イエス・キリストは「世の全ての人を私の弟子にしなさい 」とおっしゃっています。そして「私はあなた方と世の終わりまで共にいる」言ってくださっています。主イエスは「インマヌエル」と呼ばれる救い主である、と天使は告げました。「神われらと共にあり・インマヌエル」の福音を聖書は証しています。

ノアの物語で描かれる「人の悪に満ちた世界」は、キリストの無い世界の混乱と言っていいでしょう。全てが流され、ノアは鳩を放ったら、オリーブの葉を加えて戻ってきました。オリーブの木は聖書では命の象徴です。新しい命の芽生え、その希望がもたらされました。神の裁きの後、人間が生きていくための恵みが地の上に残されていることをノアは知りました。神が箱舟に御心を留められたように、私たちも覚えられています。

今も私たちは神の創造の御業の中にいます。そのことを、ご自分の命をかけて教えてくださった方がお生まれになりました。それがクリスマスです。厳粛に祝いたいと思います。