【次週礼拝(11月6日)】
招詞:詩編100:1b-3
聖書: 使徒言行禄14:19~28
交読文:詩編13編
讃美歌:讃詠546番、66番、259番、288番、頌栄539番
【牧師予定】
◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。
集会案内
主日礼拝: 日曜日 10:00~11:00
祈祷会: 日曜日 礼拝後
牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

MIYAKEJIMA CHURCH
【次週礼拝(11月6日)】
招詞:詩編100:1b-3
聖書: 使徒言行禄14:19~28
交読文:詩編13編
讃美歌:讃詠546番、66番、259番、288番、頌栄539番
【牧師予定】
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使徒言行禄15:1~12
「全会衆は静かになり、バルナバとパウロが自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた」(使徒言行禄15:12)
私たちは、「救い」という言葉を教会の中でよく聞きます。聖書にもよく出てくるのを見ます。しかし、その意味を何となくしか理解していないのではないでしょうか。
聖書が言う「救い」とは、罪の支配から解放され神の支配へと入れられることです。神から離れた闇を生きていた者が、神を知って光の中に生き始める、ということが「救われた」ということです。
イエス・キリストが、一人の女性を癒されたことがあります。12年間出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしても直してもらえなかった女性です。この人は、誰にもばれないように、人ごみに紛れて後ろから主イエスの服の房に触れました。「この方に振れさえすれば、癒される」、と信じたです。
主イエスはそれに気づかれました。「私に触れたのは誰か」とおっしゃって、その女性を探されました。女性は隠しきれないと知って、ひれ伏して、触れた理由と癒された次第を人々の前で話しました。主イエスはその女性におっしゃいました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」
救いを求める一人の女性が、ナザレのイエスという方に一縷の希望を見出してその服の裾に触れました。その女性を救ったのは、その女性の信仰だった、ということがわかる出来事です。
私たちは、改めて、「救い」とは何か、そして信仰が持つ力がどんなに大きいのか、ということを今日考えて行きたいと思います。
私たちはここまで使徒言行禄を読んできました。アンティオキアの町に異邦人教会が出来、そこから送り出されパウロとバルナバは福音宣教の旅を続けてきました。二人は旅を終えて、一旦異邦人伝道の拠点であるアンティオキア教会へと戻りました。2人がアンティオキアの町に戻って来たところで、大きな問題が起こりました。
ユダヤ地方からある人々がやって来て、アンティオキアの町のキリスト者たちに、「あなたたちの信仰生活は間違っている」ということを伝えたのです。「モーセの慣習に従って、割礼を受けなければ、あなたたちは救われない」とその人たちは言いました。
アンティオキアの教会は異邦人キリスト者たちで構成されていたので、当然割礼を受けていない人たちばかりでした。そこに、おそらくエルサレムからでしょう、ユダヤ人キリスト者が来て、「あなたたちも信仰者であるなら、ユダヤ人のように割礼を受けなさい。そうしなければ救われない」と言ったのです。
当時のユダヤ人にとっては、割礼こそ信仰のしるしであり、割礼のない信仰生活は考えられませんでした。エルサレムという信仰の本場からやって来た、聖書をよく知っていて聖書の掟を実践しているその人たちの言葉は影響力がありました。
異邦人教会だったアンティオキアの人たちは、戸惑ったでしょう。
「キリスト者は、キリストを信じるだけではだめなのか。割礼を受け、ユダヤ人の習慣に従わなければ、本当にキリスト者となることはできないのか。割礼を受けなければ、神を信じる、ということにはならないのか。」
パウロとバルナバは、そんなことを言ってきたエルサレムの人たちに激しく反対した。二人ともユダヤ人でしたが、「割礼を受けなければ救われない」とは考えていませんでした。イエス・キリストへの信仰をもった異邦人たちを、割礼を受けていないそのままで、神が受け入れられたのを、自分たちの宣教の旅の中で見たからです。
パウロとバルナバは、この問題について話し合ってはっきりさせるために、アンティオキアからエルサレムへと向かうことにしました。
パウロとバルナバはエルサレム教会に行くと、まず教会の人たち、使徒たち、長老たちに歓迎されました。そこで二人は、自分たちの宣教活動の様子を語り伝えます。
ユダヤから外へと出て行き、地中海沿岸の異邦人の町々を巡る中で、キリストを信じる人たちが生まれ、キリスト教会が出来、長老に任命された人たちが今もしっかりとキリストへの礼拝を続けていることを語りました。
二人は「自分たちが何をしたか」ではなく、「神が自分たちと共にいて行われたこと」を語った、とあります。パウロとバルナバは、自分たちの手柄ではなく、「神がなさったこと」をそのままエルサレム教会に報告したのです。
キリスト者は、キリストをどれだけ信仰しても、割礼を受けなければ、神に愛していただけないのでしょうか。どんなに神を信じていても、割礼を受けなければ本当に救われないのでしょうか。
このことは、使徒パウロが後々まで戦ったことでした。
ガラテヤの諸教会に、パウロは手紙でこう書き送っています。
「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」
「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」
今の私たちからすれば、なぜ当時のユダヤ人キリスト者がそんなに割礼にこだわるのか、よくわからないのではないでしょうか。
当時のユダヤ人にとって、信仰の父であるアブラハムが割礼を受け、モーセの律法にも割礼の掟があることから、割礼のない信仰というのはあり得るのか、ということは大きな問題だったのです。
いわば信仰の本場であるエルサレムから来たユダヤ人キリスト者が聖書を持ち出して、「信仰だけではだめだ。割礼を受けて初めて救われるのだ」と言われたら、異邦人キリスト者たちは当然混乱します。
パウロたちがそれを言っても、ファリサイ派からキリスト者になった人たちは「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言い張りました。
「割礼を受けていない人は神に救われていないのか。キリストを信じるだけでは不十分なのか」このことについてエルサレム教会での話し合いは続いた。
使徒たちと長老たちが集まり、「異邦人キリスト者にも割礼は必要かどうか」という議論を更に続けました。
議論を重ねた後、最後に立ち上がったのはペトロでした。ペトロも、パウロと同じように、自分の異邦人伝道での体験を語りました。
ペトロも、カイサリアの町で、割礼を受けていない異邦人でありローマの百人隊長コルネリウスに聖霊が降ったのを見たのです。
異邦人コルネリウスがもっていたものは何だったのか。コルネリウスの何に聖霊が降ったでしょうか。それはコルネリウスの信仰だった。コルネリウスの割礼ではなく、信仰でした。
ペトロだってユダヤ人でしたので、聖書の掟を重んじていました。
「自分はユダヤ人であって、異邦人のように神を知らない人間ではない。ユダヤ人として、自分の信仰が汚れないように異邦人を訪問したり、異邦人と付き合ったりはしない。自分は割礼を受けている。」・・・そう思っていたのです。
そのようなペトロに、神は前もって、幻の中で「神が清めた物を、あなたは清くないなどと言ってはならない」御告げになりました。それを聞いたとき、ペトロはその言葉の意味が分かりませんでした。
ペトロは割礼を受けていない異邦人コルネリウスの元へと導かれ、聖霊が注がれたのを見て、神がおっしゃったことの意味を悟っていったのです。「神は人を分け隔てなさらない。神がご覧になって喜ばれるのは、ユダヤ人だろうが異邦人だろうが、その人の信仰である」と。
ペトロは、エルサレム教会の中で、その時神がなさったことを皆に語り聞かせました。そして、「主の恵みによって救われる、ということは、異邦人も同じことです。」「異邦人キリスト者に、割礼を強要することは、神を試みることであり、重荷を負わせることだ」
私達は、今、「自分が・誰かが割礼を受けているかどうか」、ということを教会の中で問題にはしません。救われるためには割礼が必要かどうか、という議論は、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間に線引きが色濃く残っていた一世紀の教会の中で起こっていたことです。
この議論は、今の私たちにとってそれほど重要な議論に思えないでしょう。しかし、教会の中でいろんな線引きが出来てしまう、というのは、いつでも教会の中で起こっていることではないでしょうか。 Continue reading →
使徒言行禄14:19~28
「二人は・・・伝道所を力づけ、『私たちが神に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。」(14:21~22)
パウロとバルナバは、一緒に福音宣教の旅を続けて来ました。アンティオキアを出発して地中海を船で渡りキプロス島に行き、また船に乗ってペルゲという港町についてから、ピシディア州のアンティオキア、イコニオン、リストラと、町々で福音を語って来ました。今のトルコにある町々です。
福音を語りながら、二人はいろんな体験をしました。福音を受け入れてキリスト者になる人もいれば、福音を信じられないユダヤ人たちから、「聖書を冒涜している」と迫害されたりもした。
リストラの町では足の不自由な人を癒したことで、二人は地上に現れた神ではないかと礼拝されそうになりました。そうかと思うと、後から追いかけてきたユダヤ人たちから石を投げられ半殺しにされました。
いろんな苦難や迫害にあっても、二人はキリストの使徒としてイエス・キリストの福音を伝えることを止めませんでした。20節を見ると、パウロたちに教えを求め従う「弟子達」が出来ていたということがわかります。迫害の中にあっても、キリストに従おうとうする「弟子達」が形成されていったのです。
パウロとバルナバは、ここから自分たちの宣教の拠点・出発地であるアンティオキアに戻ることになります。二人は、アンティオキアまで自分たちがこれまで福音を語って来た町々を順に辿りながら戻って行くことにしました。わざわざ、自分たちを追いかけて石を投げた人たちがいる町々へともう一度戻って行くことにした、というのだ。
なぜそんな危険なことをしたのでしょうか。それぞれの町には、パウロとバルナバに向かって石を投げてくる人たちがたくさんいるのです。
パウロたちは、それでも危険を冒しながら、自分たちが福音を伝えた町々を巡り、小さなキリスト教会を励ましつつ群れの中から長老を選び、任命し、体制を整えながら、アンティオキアへと戻って行きました。
私たちは考えさせられると思います。なぜパウロたちはそんな危険を冒したのでしょうか。そして、なぜ1世紀の小さな教会は、迫害の中にあっても福音を捨てなかったのでしょうか。
あれほど弱く、小さなキリスト教会が、なぜすぐになくなってしまわなかったのか・・・
なぜ、石を投げられる小さな群れが、地中海周辺で信仰を捨てずに成長していったのか・・・
詳細は分かりません。
しかし、一つ間違いなく言えるのは、それら一つ一つの小さなキリスト者の群れが、キリストへの信仰を通して、数えきれないほどの奇跡を見ていた、ということです。「自分たちが信じているイエスという方は本当にキリストであり、神の子だ」と思わせられることが、彼らの信仰生活の中で見せられたからこそ、信仰を捨てなかったのでしょう。そうでなければ、石を投げられるような信仰を、血を流してでも命がけで守るなんてことはなかったはずです。
地中海全域にできた小さなキリスト教会の群れは、キリストへの信仰を守り、その信仰が何年も、何十年も、何百年もの時を経て、世界へと広まっていくこととなりました。
キリスト教信仰を持つと何か得になることがあって、信仰が大きな利益につながるとか、いうのであればわかります。しかし、そうではありませんでした。
使徒言行禄を見ると、パウロたちが石を投げられたり、教会が迫害されたりしています。キリストを信じるということは、なんの得にもならない、損ばかりする信仰のように思えます。
しかし、それでもキリスト者たちは、キリストへの信仰を捨てなかったのです。なぜでしょうか。信仰の苦難に勝る信仰の恵みを知っていたからです。
そのことは、パウロという人を見るとわかります。教会を迫害したサウロが、キリストの使徒パウロとなりました。考えられないような変化です。パウロが自分で頑張って自分をそのように変えたのではありません。迫害者である自分をキリストが見出し、許し、召し出してくださった、パウロはその恵みの奇跡を体験したからです。ステファノに石を投げる集団の中にいたサウロが、使徒パウロとしてステファノと同じ立ち位置に身を置くようになりました。そして生涯、イエス・キリストの名のために石を投げられる場所に身を置き続けたのです。
パウロは自分の意志でキリストの使徒になろうとしたのではありません。天からのイエス・キリストの声を聞いて自分が行くべき道が示されたのです。キリストを信じることで、分かりやすく、この世の富が増えるとか、地上の栄達が手に入る、ということではありませんでした。キリスト教信仰とはそういうものではありません。
パウロは何度も何度も迫害されました。それでも、パウロはキリストを伝えることをやめませんでした。なんとかキリストの許しの恵みに応えようとしたかったのでしょう。彼は「福音を伝えないことは私にとって不幸なのです」と後に手紙の中で書いている。
それと同じことが、キリスト者一人一人に起こって、私達は今ここにいるのでしょう。今教会はここまで歩んできました。パウロと同じように、私たちもキリストの許しを知り、その恵みに応える者として、この場へと召されています。
私達は、「なぜキリストを信じ続けるのか」と聞かれても、答えられないのではないでしょうか。言葉で全て説明できるようなものではなく、言葉にできないような何かをそれぞれが見せられたから、キリストを信じているのではないでしょうか。
パウロは、自分たちが福音宣教をした町々に一度戻って、それぞれの教会で長老を選び、「信仰に踏みとどまるように」、と励ましていきました。キリストを信じるようになること以上に、キリストを信じ続ける、ということが大変なのです。「信仰に踏みとどまる」ということが難しいのです。
ここで注目したいのは、パウロとバルナバは長老たちを任命したあと、「彼らをその信ずる主に任せた」とあることです。2人は、新しくできた教会に定住して、自分たちが責任をもってこれから福音を語り続ける、ということはしませんでした。彼らは、福音を伝え、キリストを信じる群れを作り、教会の体制を整えて、次の宣教の場所へと向かったのです。
キリストの使徒が最後の最後に教会に対してできたことは「主なる神に委ねる」ということだった。
26節にはパウロとバルナバが「成し遂げた働き」という言葉があります。2人は、キリストの使徒として、何を「成し遂げた」のでしょうか。
私達も考えたいと思います。一人の信仰者として、何をすれば「成し遂げた」と言えるのでしょうか。
ヨハネ福音書に、イエス・キリストが十字架で息を引き取られた際の、キリストの言葉があります。
「イエスは、葡萄酒を受け取ると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた」
キリストは死ぬ寸前に「成し遂げられた」と言われました。十字架の上でご自分の命をお捨てになることで、主は何を成し遂げられたのでしょうか。
主イエスはヨハネ福音書の10章でこうおっしゃっています。
「私は羊のために命を捨てる。私には、囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。私は命を、再び受けるために、捨てる」
主イエスは、「私は羊のために命を捨てる」とおっしゃいました。囲いに入っていない羊を羊飼いの下へと連れ戻すために、命をかける、というのです。それが主イエスが十字架の上で「成し遂げられた」ことでした。
主イエスは、ご自分の命を、羊を取り戻す身代金として支払われたのです。この世の罪びとにもう一度神の元へと戻るための道を切り開くためにご自分の命をかけられたのです。
パウロとバルナバが宣教の旅の中で「成し遂げた」ことは、それでした。彼らはキリストの使徒として、キリストの業に倣い、神の元へと立ち返る道を示していったのです。
キリストの使徒たちは苦しみました。何のために苦しんだのでしょうか。神の国に入るための道を人々に示すためです。
パウロとバルナバは自分たちが福音を告げ知らせてきた町々に引き返しながら教会を励ましてこう言いました。
「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」 Continue reading →