創世記19:1~11
「彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。(19:4)
アブラハムの元に三人の旅人が訪れました。彼らはアブラハムに男の子の誕生を予告し、自分たちがソドムに向かっていることを告げました。「ソドムで正義を求める叫びの声が聞こえる。これからソドムに行って、どうなっているのか様子を見に行く。」
アブラハムは、この旅人たちがソドムの町にはびこる悪をぼしに行こうとしていることを知りました。しかし、ソドムの町には、自分の甥のロトが住んでいたので、旅人に詰め寄ります。「あなたは、正しい人たちを、悪い人たちと一緒に滅ぼしてしまうのですか。」旅人は、「もしソドムの町に正しい人が10人いたら、その人たちのために、町全部を赦そう」と約束してくれました。
三人の旅人の内二人が、先にソドムに到着しました。ここで聖書は初めて二人の旅人のことを「み使い」と書いています。二人の役目は、自分たちの元にまで届いた叫びの通りかどうか、ソドムの町の様子を確かめることでした。夕方にソドムの町に到着した二人の旅人はどうやら、どうやら、町に入ったところにある広場で夜を迎え、朝まで過ごすつもりだったようです。
この二人の神のみ使いを最初に見つけたのは、アブラハムの甥のロトでした。ロトは、ソドムの町の門のところに座っていたのです。町の門の入り口に座っていた、ということは、ロトがこの町の指導的な立場にあった、ということを意味します。
神と二人のみ使いがアブラハムの元を訪ねた時、アブラハムは天幕の入り口にいて三人を招き入れましたが、それはアブラハムが、天幕の指導者だったからです。
同じように、ロトも町の指導者の一人として、ソドムの町の門、入り口に座っていました。指導者として、町を出入りする人たちを把握しておく責務があった、ということでしょう。
しかし、ソドムの町の門のところに座っていたのはロト一人だけだったようです。ソドムの町の他の指導者たちは誰一人、そこにいませんでした。このことが、その時のソドムの町の様子を物語っているのではないでしょうか。ソドムの町の指導者たちが、指導者としての責任を果たしていなかったということです。町の秩序は、それほど乱れていた、ということが、このことだけでもわかります。
古代のオリエント社会では、旅人をもてなすという掟がありました。ロトは、二人の旅人を見ると立ち上がって迎え、地にひれ伏して、自分の家に泊まることを勧めました。「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊りください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください」
このロトのこの言い方だと、「この町の中では誰にも姿を見られないようにした方がいい」「そしてできるだけ早くこの町から立ち去った方がいい」、と言っているようにも聞こえます。ソドムの人たちがこの二人の旅人に何か害を及ぼすことを恐れているようです。ロトは、この町の広場で夜を過ごすことが安全ではないことをよく知っていたのです。二人のみ使いは、ロトの家に泊まることにしました。
2人がロトの家で食事をして、また床に就かないうちに、ソドムの町の男たちがロトの家を取り囲みました。ロトの家に旅人たちが入った、ということが町の中で知れ渡ってしまったようです。
男たちは「旅人たちを出せ」と言いました。「なぶりものにしてやる。」ソドムの男たちは、旅人たちに対して性的な暴力をふるおうとしてやってきたのです。「若い男も、年老いた男も」、つまり、街中の男たちがそう言いながらロトの家に詰めかけて来たというのです。
なぜソドムの男たちはそんなことをしようとしたのでしょうか。ソドムの男たちは、全員が同性愛者で、暴力的な手段を使って自分たちの性的な欲求を満たそうとしたのでしょうか。
そうではありません。この場面を読むと、「ソドムの罪は、同性愛ということだった」と安易に結論づけてしまいそうですが、そうではありません。
相手に対して性的な暴力をふるう、ということは、相手を自分の支配下に置く、ということを意味しました。自分たちが支配者である、ということを相手に知らしめるための手段だったのです。
これは、古代の多くの社会で行われていたことでした。特に戦争の中で、侵略した場所で、男・女関係なくなされていたことでした。
ソドムの人たちを止めようとしたロトに対して、男たちは言いました。「よそ者のくせに指図して。彼らより先に、お前に痛い目に遭わせてやる。」これはつまり、男たちがよそ者であるロトを性暴力を振るい、そのことによってロトを支配しようとした、ということです。
さて、ソドムにはびこっていた罪とは何だったのでしょうか。我々は、丁寧にここを見ないといけないと思います。ソドムの男たちが、同じ男性に対して性的に暴力をふるおうとしたということで、「神は同性愛というものに罰を下されたのだ」、などと言われたりします。
しかし、聖書はソドムの罪は同性愛であった、とは言っていません。
預言者イザヤは、ソドムの罪のことを、「主に敵対し、その栄光のまなざしに逆らった」ことだと語っています。
預言者エゼキエルは、ソドムについて、神からこう言われています。「食物に飽き、安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。彼女たちは、傲慢にも、私の目の前で忌まわしいことを行った。そのために、わたしが彼女たちを滅ぼしたのは、お前の見たとおりである。」
イザヤやエゼキエルといった預言者たちの言葉を見ると、ソドムの罪とは、神に敵対したこと、貧しい人たちを軽蔑し、暴力をもって支配していたことである、というのがわかります。
ソドムの町には平和がありませんでした。旧約聖書が書かれたヘブライ語で、平和のことをシャロームと言います。シャロームというのは、神の元にある平和のことです。
イエス・キリストは、「律法の掟の中でどれが一番大事なものか」と聞かれ、「一番大事な掟は、神を愛し、隣人を愛することだ」、とおっしゃいました。聖書の言葉は全て、神を愛し、隣人を愛するための教えだ、とまでおっしゃいました。神を愛し、隣人を自分のように愛すること、それが聖書が伝えているシャローム、平和なのです。
ソドムには、それが全くありませんでした。神を愛するどころか、神のみ使いを性的な暴力で支配しようとしています。普段から、ソドムの男たちは、旅人がソドムの町に入ると、男であろうが女であろうが、このような仕方で相手を支配していたのでしょう。だからロトは「朝早く出立してください」と旅人に伝えたのではないでしょうか。
この町には、神に対する愛も、隣人に対する愛もありませんでした。あるのは、暴力による支配でした。それがソドムの罪です。神の元にまで聞こえたソドムの叫びとはその暴力の中で正義を求める、弱い者たちの祈りの叫びだったのです。
さて、この暴力による危機の中で、ロトがこんなことを言いました。「私には娘が二人います。皆さんに二人を差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください」
私達は、このロトの言葉をどう見るでしょうか。家族を犠牲にしてまで旅人を守ろうとした美談として読むことはできるでしょうか。そんなことはないでしょう。
旅人を守るためとはいえ、愚かな申し出です。どんな理由であれ、自分の娘を町の男たちに「好きにしてください」と差し出す、ということが信仰の美談だとはとても思えません。
私たちはここで、ロトという人一個人を見るだけでなく、もう少し広い視点をもちたいと思います。聖書は、このロトの姿を通して私たちに何を見せようとしているのか、ということです。自分の娘を身代わりに差し出す、と言ったロトの姿の中に、私たちは罪に対する人間の無力さを見るのではないでしょうか。
私たちはここを読みながら、ロトをいくらでも批判することができます。しかし、聖書がいつでも、私たち自身の姿を見せようとしているということを忘れてはならないでしょう。
ロトの家にやってきた人たちは、旅人たちを暴力で支配すること、自分たちのものにするためにやってきました。人々は、ロトの娘を求めていたのではありません。ロトが言ったことは、実は的外れなのです。「娘たちを好きにしてください」と言っても、何の解決にもならないし、これではただ、娘たちが傷ついて終わるだけなのです。
しかし、これこそ、罪に飲み込まれそうになった人間の姿ではないでしょうか。何かしなければならないのは分かっている、しかしどうしていいのかわからない。人の痛みなど顧みずにその場しのぎで窮地から逃げようとするのです。
進退窮まったロトの姿は、まさに、罪に飲み込まれようとする無力で無理解な人間の姿ではないでしょうか。この時ソドムの町で起こったこと、そしてソドムの男たちとロトの間でのやり取りは、今でも起こっていることなのです。個人と個人の間で、国と国の間、そして人類全体で、暴力による支配があり、その中でて理不尽に差し出される犠牲があるのです。
私たちは、ロトの家に集まって来た人たちを通して、神を見失った人間がどれほど残虐なことをしてしまうのかを見せられます。そしてロトの姿を通して、私たちが罪の力に対してどれほど無力で、的外れな判断をしてしまうのか、ということを見せられるのです。
ソドムにあったのは、混乱でした。無秩序でした。神への愛も、隣人への愛もありません。神への叫びは、このような中で発せられるのです。そして、その叫びは、必ず神の元にまで届きます。
ロトの家に集まった人たちが、家の戸を破ろうとした時、二人の旅人、つまり神のみ使いはロトを家の中に引き入れて戸を閉め、人々に向き合われました。神は、信仰者を、御自分の背中の方に回し、罪の力から身を挺して守られたのです。神は、襲い掛かる罪の力と信仰者の間にご自身の身を置かれました。
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