MIYAKEJIMA CHURCH

12月4日の礼拝案内

次週礼拝(12月4日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 創世記19:1~11

 交読文:詩編14編

 讃美歌:讃詠546番、69番、96番、102番、頌栄540番

【報告等】

◇次週、聖餐式があります。

◇12月3日(土) 10時より 役員会があります。

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後 Continue reading

11月27日の説教要旨

創世記18:16~33

「主は言われた。『もしソドムの町に正しい者が50人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう』」(19:26)

アドベントに入ったので、しばらく旧約聖書を見ながら、イエス・キリストがお生まれになった意味を考えて行きたいと思います。

今日私達が読んだのは、創世記の、アブラハムと神との間に交わされた、ソドムの町の滅びに関しての駆け引きの場面です。アブラハムが99歳の時のことです。

少しこの出来事の文脈を踏まえておきます。

ある日、アブラハムが天幕の入り口に座っていた時、ふと目を上げてみると、三人の人が立っていました。アブラハムは「私のところに立ち寄ってください」と言って、この旅人たちをもてなしました。

3人の旅人たちの一人がアブラハム向かって言いました。「私は来年の今頃、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」すぐ後ろの天幕でそれを聞いたサラは、ひそかに笑いました。「そんなこと、あるはずがない」、と思ったのです。

旅人は、アブラハムに「なぜサラは笑ったのか。なぜ年を取った自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか」と言いました。どうやら、この旅人の言葉は、主なる神の言葉だったようです。

「なぜサラは笑ったのか」という言葉を聞いて、サラは恐ろしくなり、「私は笑いませんでした」と言いましたが、旅人は、「いや、あなたは確かに笑った」と断言しました。

年を取ったアブラハムとサラに子供が生まれると告げられたのは、これが最初ではありませんでした。

15章では、「私には子供がありません」と言うアブラハムに向かって、神が「あなたから生まれる者が後を継ぐ」とおっしゃって満天の星をお見せになり、「星を数えることが出来るなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこうなる」とおっしゃっています。

17章17節でも「私はサラを祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう」とおっしゃっています。アブラハムはその時ひれ伏してその言葉を聞きましたが、サラと同じようにひそかに笑いました。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。90歳のサラに子供が産めるだろうか。」

神は、アブラハムとサラに繰り返し、「あなたがたに男の子が生まれる」とお告げになって来たのです。しかしそれを聞いてもアブラハムもサラも、ひそかに笑って信じてこなかったのです。

やがて、旅人たちが告げたように、アブラハムとサラの間に男の子が生まれることになりました。創世記21章まで読むと、そのことが書かれています。旅人たちは、「主に不可能なことがあろうか」と言ったとおり、神はご自分にできないことはない、ということをアブラハムを通して示されたのです。

男の子にはイサクという名前がつけられました。イサクとは、「笑い」という意味の名前です。

アブラハムとサラは、神の言葉を笑って来ました。「あざ笑ってきた」と言ってもいいのではないでしょうか。たとえ神がそうおっしゃったとしても、「年を取った自分たちに子供が生まれるはずはない」と、神の言葉を鼻で笑って来たのです。

しかしイサクの誕生は、二人の笑いを変えました。「そんなことはありえない」という不信仰の笑いが、「真に神がおっしゃったことは真実だった、神にできないことはない」という信仰の笑いへと変えられたのです。

神を信じず笑う者が、信仰の喜びに笑う者へと変えられていく様子が、この創世記には記録されています。

この一連のアブラハムとサラの物語を通して考えさせられるのではないでしょうか。私達の信仰の姿勢というのは、神の前に自分がどのような笑いをもっているか、ということなのではないでしょうか。

神を疑い、信仰をあざ笑う「不信仰の笑い」というものがあります。一方で、聖書の言葉が真理であることを知って、本当に聞くべき方の言葉・従うべき方を見出して喜びに満たされた「信仰の笑い」もあります。

私達は今、神の御前に、どのような笑いをもっているでしょうか。

このアブラハムとサラの夫婦の間に与えられた喜びの笑い共感できるのであれば、私達は、イエス・キリストがこの世にお生まれになった喜びに笑うことが出来るでしょう。

どうして我々はクリスマスの喜びを知るために、クリスマスの本当の意味を知るために旧約聖書を読むのでしょうか。実は聖書の初めにある創世記に、すでにキリストの誕生の喜びの原型ともいうべき出来事が描かれているからです。逆に言えば、旧約聖書を見なければ、クリスマスの本当の意味、本当の喜びを知ることはないのです。

キリストがお生まれになる何百年も前から、神は、全ての人を御自分のもとへと連れ戻すために導く大牧者・メシアの到来を預言して来られました。アブラハムに、「来年の今頃、サラは男の子を産むだろう」とおっしゃったように、「やがて、イスラエルの大牧者が生まれ、その者は全ての人の罪を背負うだろう」と告げて来られました。

そして今、キリストの誕生という信じがたいことが起こったのです。「信じられないと言ってあざ笑う人」が、イエス・キリストに出会う時、「神の言葉は真だった」、と信仰の笑いを知るようになります。クリスマスとは、そういう出来事なのです。

アドベントに入った今日、そのことを、改めてアブラハムと神とのやりとりの中に見て行きたいと思います。

さて、今日読んだのは、アブラハムとサラの間にまだイサクが生まれていない時、まだアブラハムが神の言葉を心から信じ切れていなかった時のことです。

アブラハムが3人の旅人をもてなし、これからその三人の見送ろうとした時のことでした。

聖書は、この三人の旅人が一体何者なのか、はっきりとは書いていません。22節には、二人の旅人がソドムに向かって行ったが、一人が後に残ってアブラハムと話をした、その一人が、主なる神であった、ということを書いています。

はっきりした書き方ではありませんが、三人のうちの一人が神であった、という書き方です。その旅人は「私は神だ」とは言っていませんが、アブラハムはこの方は主なる神であるとうっすら分かっていたようです。

神はアブラハムの元を去るに当たり、思いを巡らしていらっしゃいます。「私が行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。」アブラハムに何も言わずにソドムに向かうか、それとも、これからどこに行って何をしようとしているのかを伝えるか、神はここまで迷ってこられたようだ。

神は御自分の計画をアブラハムにお話になった。

「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は降って行き、彼らの行跡が、果たして、私に届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」

神はアブラハムに、御自分がこれからソドムの町がどんな様子なのかを見に行く、とおっしゃいました。ソドムで実際に何をするか、ということははっきりおっしゃっていない。しかし、アブラハムには神がそこで罪に対して滅びの業を行われるだろう、いうことが分かりました。

ソドムの町にはアブラハムの甥のロトとその家族が住んでいるのです。アブラハムは驚いたでしょう。

神は、ご自分の旅の目的をアブラハムに告げると当然心配する、ということがわかっていらっしゃいました。だから、アブラハムにご自分の計画を告げるべきかどうか迷われたのです。しかし、アブラハムはご自分の裁きの計画を知るべきだ、と判断されました。

その理由が、17節で言われています。神がこの世にお与えになろうとする祝福は、アブラハムを通して与えられる、アブラハムは自分の息子、子孫に神の正義を伝え、主の道を守らせることになります。神がおっしゃる「主の道」は、神の裁き・滅びとと無縁の道ではありません。むしろ、神の裁きへの恐れを知って歩むべき道なのです。 Continue reading

11月20日の説教要旨

使徒言行禄15:30~16:5

「パウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた」(15:38)

「異邦人キリスト者も割礼を受けなければ、神に受け入れられないのか」ということが、アンティオキア教会とエルサレム教会との間で議論になり、エルサレムで会議が開かれました。

この会議を通して、異邦人キリスト者は割礼を強要されることはない、一番大切なのは、イエス・キリストを信じる信仰である、ということがはっきりしました。

エルサレム教会の決定を聞いたアンティオキア教会の異邦人キリスト者たちは、皆喜びました。アンティオキア教会にまた平穏が戻ってきました。

その騒動があってから数日して、パウロがバルナバに言いました。

「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えた全ての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」

パウロは、バルナバと一緒に福音を告げてできた教会の人たちのことが気になっていたのです。バルナバも同じ思いだったので、一緒に旅に出ようとしました。しかし、ここで事件が起こります。

バルナバは「マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたい」とパウロに言いました。しかし、パウロはこれに反対しました。前回の福音宣教の旅で、マルコだけが途中で帰ってしまったからです。

マルコが途中で帰ったのは、やむを得ない事情ではなかったようです。宣教の途中で病気になってしまったとか、後に残してきた家族に何か問題が起こったとか、そういうことではなく、マルコは途中で気持ちが折れてしまったのでしょう。

パウロは、「福音宣教を途中で投げ出したような者をまた連れて行くべきでない」と言って反対しました。しかしそれでも、バルナバはマルコを連れて行くことを主張しました。バルナバは、まだマルコに期待していたのです。マルコがバルナバのいとこだった、ということもあるかもしれません。

とにかく、パウロとバルナバの間で意見が激しく衝突し、ついに二人は別行動をとるようになってしまいました。

使徒言行禄は、エルサレム教会とアンティオキア教会の間に起こった論争や、パウロとバルナバというキリストの使徒同士に起こった衝突をそのまま記録しています。教会は、穏やかに成長していったのではありませんでした。教会の中にはユダヤ人もいれば異邦人もいました。使徒たちの中にも、いろんな考え方がありました。当然衝突が起こります。異なった慣習、異なった意見が、教会の中にはたくさんあったのです。

しかし、そのような数々の衝突を超えて教会は成長していきました。使徒言行禄が描いているのは、そのことなのです。

復活のイエス・キリストを実際に見た人たちに聖霊が注がれ、教会が生まれました。しかし、教会が初めから静かに一致して何の問題もなく歩んで行ったか、というとそうではありませんでした。福音が広まるにしたがっていろんな問題が、衝突が、論争が起きました。しかし、それらを超えて神のご計画は進んで行く様子が記録されているのです。

決別したバルナバとパウロは、それぞれが別の人を連れて宣教に出かけることになりました。バルナバはマルコと一緒に宣教することになり、パウロはシラスという人と一緒に宣教することになりました。

使徒言行禄はこれからパウロに焦点を当てて、福音が広がっていく様子を描いていくことになります。もうバルナバもマルコも、この使徒言行禄には出てきません。

我々は少し、このことについて考えたいと思います。使徒言行禄がバルナバとマルコのことをもうこの後描かなくなったのは、二人の宣教がこの後失敗したからなのでしょうか。

そうではありません。

パウロから「宣教者としてふさわしくない」と言われてしまったマルコはその後どうなったのでしょうか。そのことが新約聖書の中に垣間見えるところがあります。後に、ペトロが書いた手紙の中にマルコの名前が出てくるのです。トロの手紙の最後、結びの文で、「マルコがよろしくと言っています」と一言書かれています。どうやらマルコは、後にペトロと一緒にキリストの福音宣教のために働くようになったようです。

マルコはパウロの一回目の福音宣教の旅の途中で心が折れて、途中で帰ってしまいました。そのことでパウロから「マルコは福音宣教に一緒に連れて行くべきではない」と判断されてしまいます。しかし、「マルコは信仰の失格者だった、落ちこぼれの使徒だった」、と言い切ってもいいのでしょうか。

少なくともバルナバはそうは思いませんでした。そしてマルコは、やがてペトロのそばに身を置いて、キリストのために働くことになったのです。

私たちは思い出したいと思います。リストの弟子達は皆、信仰の失格者、落ちこぼれの弟子でした。キリストの弟子は、キリストが逮捕された夜、全員がキリストを見捨てたのです。12人は誰一人「キリストの弟子」と呼ばれるのにふさわしくない人たちでした。その内の一人はキリストを裏切りました。また、他の一人は「私はナザレのイエスなど知らない」と三度繰り返しました。

しかし、キリストは彼らの弱さを全て前もってご存じで、それにも関わらず彼らをご自分の弟子とされたのです。キリストは「今日、あなたがたは私を捨てて逃げてしまう。しかし、復活した後、私はあなたを迎える。ガリラヤで会おう」と弟子達に前もっておっしゃいました。そしてイエス・キリストに従い切れなかった弟子達は、復活の主に、もう一度迎え入れられることになったのです。

マルコのことを「宣教者として相応しくない」と言ったパウロだって、もとは教会を迫害した人でした。パウロは自分の手紙の中で書いています。

「私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でも一番小さなものであり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日の私があるのです」

マルコは、バルナバとパウロの宣教の旅に最後までついて行けなかったことを、負い目として感じていたのではでしょうか。信仰者として劣等感を感じていたのではないでしょうか。

しかしそれは、皆同じではないでしょうか。

神は、イエス・キリストに相応しいとは思えないような人をお選びになり、弱いまま用いられます。そう考えると、我々は、自分の信仰の姿勢を顧みて、「自分はキリストに相応しい人間かどうか」などと考える必要はない、ということがわかるのではないでしょうか。私達はただ、神はこのような私を愛してくださっている、ということを知り、感謝すればいいだけなのです。

さて、使徒言行禄は、意見が衝突したパウロとバルナバが、それぞれシラスとマルコを連れて二人一組になって宣教に出発したということを書いている。パウロもバルナバも、一人で行ったのではありませんでした。

キリストの使徒たちは、二人一組で福音宣教へと出かけて行ったのです。なぜでしょうか。イエス・キリストが弟子達を派遣なさる時に、そのようにされたからでしょう。

主イエスは弟子達を二人一組にして遣わされました。それぞれが、助け合い、励ましあって宣教を続けることが出来るように、という配慮ではないでしょうか。

イエス・キリストは、弟子達におっしゃっています。「あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、私の天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」

使徒たちがなぜ二人一組で福音宣教に出かけたのか・・・それはイエス・キリストの名の下に集う「共同体」として送りだされた、ということではないでしょうか。「個人」が派遣されたのではなく「共同体」が派遣されたのです。「二人で」キリストのお名前を伝える、そこにはイエス・キリストが共にいらっしゃる、ということでしょう。

私たちはなぜイエス・キリストの名のもとに集まり、教会という共同体の中で「共に」礼拝するのでしょうか。なぜ個々人で好き勝手に聖書を読んで、一人で好きなように神を礼拝する、ということをしないのでしょうか。キリストが私たちをそのようにお集めになり、そのようにこの世に遣わしていらっしゃるからでしょう。キリストはこの共同体と共に働かれた、だから福音は広まったのです。

このことは、私たちのように小さな群れであればこそ感じることではないでしょうか。イエス・キリストはおっしゃいました。

「あなた方の父は、あなた方に必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなた方の父は喜んで神の国を下さる」

主イエスは「小さな群れよ、恐れるな」とおっしゃいました。小さな群れは、確かに恐れてしまいます。不安になります。「これだけの人数で大丈夫なのだろうか。本当にキリストから託された福音を伝えていくことが出来るのだろうか」と考えてしまいます。

だからこそキリストは言ってくださいます。

「小さな群れよ、恐れるな」 Continue reading

11月20日の礼拝案内

次週礼拝(11月20日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄15:30~16:5

 交読文:詩編13編

 讃美歌:讃詠546番、67番、322番、218番、頌栄539番

【牧師予定】

◇11月22日 富士見町教会にて 伊豆諸島伝道懇談会に参加します。

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

11月13日の説教要旨

使徒言行禄15:12~21

「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」(15:19)

先週に引き続き、エルサレムの使徒会議の場面を見ていきましょう。

エルサレムのユダヤ人キリスト者が、アンティオキアの異邦人キリスト者たちのところに来て、「あなたがたも割礼を受けなければ、救われない」と言いました。異邦人教会であったアンティオキア教会の人たちは、戸惑ったことでしょう。

「イエス・キリストを信じて洗礼を受けても、割礼を受けていなければ、神に受け入れられていない、ということなのか??」

このことが、エルサレム教会とアンティオキア教会という二つの教会の間に議論を起こしました。宣教旅行の中で、割礼を受けていない異邦人たちにも聖霊が降ったのを見たパウロとバルナバは、キリストを信じることが全てであるということをはっきりさせるためにエルサレム教会へと向かいました。

今の私たちには、なぜ当時のユダヤ人キリスト者たちが「割礼」というものにそこまでこだわったのか、よくわからないのではないでしょうか。

パウロは後に、フィリピの教会に「切り傷に過ぎない割礼をもつ者たちを警戒しなさい」と書き送っています。割礼のことを「切り傷に過ぎない」ものだ、と言っています。私たちにとっても、割礼は「切り傷に過ぎないものである」という感覚ではないでしょういか。

1世紀当時のユダヤ人にとっての割礼がどんな意味を持っていたのか、そしてどれほど大切にしていたのか、その背景をお話しておきたいと思います。

紀元前167年、シリアの王であったアンティオコス・エピファネスがエルサレム神殿から宝を奪っていきました。それだけでなく、ユダヤ人に対して神の教え・律法を捨てるよう命じました。

神の言葉、神の教えである律法・聖書を捨てる、ということはユダヤ人たちにはできませんでした。ユダヤ人は反乱を起こして、エピファネスに勝利します。

このことを通して、ユダヤ人たちの中で「自分たちは神の教えである律法を守った。無割礼の異邦人から守り抜いた」という意識が強く芽生えました。そして「自分たちが割礼を受けている」、ということが重要な意味をもつようになったのです。律法を捨てるよう迫って来た異邦人たちに勝利したことを通して、ユダヤ人にとって割礼が「自分たちと異邦人とを区別するしるし」となっていったのでした。

イエス・キリストやパウロが生きた時代は、そのような意識が強くなっていた時代でした。だから、ユダヤ人キリスト者たちは割礼の有無にこだわって、異邦人キリスト者たちに、「割礼を受けていないのであれば、まだあなたたちはだ偶像礼拝者と変わらない。異邦人のままだ」と言って来たのです。

私たちは、新約聖書を読む際、この時代の教会の中には、ユダヤ人と異邦人との間にいろんな意識の差があった、ということを忘れてはならないのです。

さて、エルサレム教会はパウロとバルナバを迎えて、「割礼を受けていない人は神に受け入れられていないのか」ということが改めて議論になりました。議論の中で、特にユダヤ教のファリサイ派からキリスト者になった人たちが割礼の必要性を主張したことが書かれています。

ファリサイ派の人たちは、神の律法をとにかく忠実に、また厳格に守ろうと生活の中で努力していた人たちでしたので、「割礼のない信仰」は考えられなかったのです。

しかし、議論の中でペトロが立ち上がって、自分が見たことを皆に話すと、全会衆は静かになりました。ペトロは、自分がローマの百人隊長に福音を告げた時に、割礼を受けていないその人の上に神が聖霊を注がれたことを証しました。

ペトロは、「彼らの心を信仰によって清め、私たちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした」「私たちは主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」と言って、神が割礼を受けていない人もご自分の救いへと招かれていることを説きました。

ペトロの言葉を聞いて、会堂は静かになりました。エルサレム教会にいた人たちは言葉を失ったのです。

静まり返ったエルサレム教会の中で、次にパウロとバルナバが、自分たちが見たことを証ししました。二人もペトロと同じように、神が自分たちを通して不思議な業を行われ、割礼を受けていない異邦人たちをそのままご自分の救いへと招かれたことを話しました。

「全会衆は静かになった」とあります。この静けさは、とても大切なものだと思います。この時エルサレム教会に生じた静けさは、神がお創りになった静けさではないでしょうか。自分たちの考えを声高に叫んでいた人たちが、神の御業の証を聞いて、黙らされたのです。そしてその沈黙の中で、神の御業の証が語られたのです。

人々の声が小さくされ、神の御声が大きくされていく・・・これが、教会の中で起こることです。

改めて思わされます。我々は、どれだけたくさんの雑音の中を生きているでしょうか。自分の心の中にはどれだけたくさんの雑音があるでしょうか。私たちは、互いがそれぞれの主張をして譲らないのです。そして自分が正しいと信じているのです。

しかし、神の言葉を聞き、それに従う時には、我々には本当は沈黙・静けさが必要なのです。そしてそのために、神は私たちから不必要な言葉を取り去ってくださり、必要な聖い静けさを与えてくださるのです。

エルサレム教会は、またユダヤ人キリスト者たちは、ペトロとパウロの証を聞いて、神のご計画を知り、新しい一歩へと踏み出すことになりました。

ペトロとパウロとバルナバの証を聞いて、イエス・キリストの弟、ヤコブが口を開きました。ヤコブは、預言者アモスの預言が実現したことを皆に伝えました。

「人々のうちの残った者や、私の名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになる」

イスラエルの神への信仰は、一つの民族の人たちだけのものではありませんでした。後にパウロも手紙の中で書いています。

「神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実に、神は唯一だからです」

アモスは、割礼を受けていない異邦人も皆、神を求める日が来る、という預言を残しました。神は、はるかに時代を超えて、ユダヤ人でない人たち、割礼を受けていない人たちのための信仰への招きの時を備えて来られたのです。

そして今、ヤコブがアモス預言の実現を伝えました。今が、その時だ、と。

ヤコブは、神に立ち返る異邦人キリスト者を悩ませないために、エルサレム教会でいくつかのことを決めました。

割礼を強要しない、ということ。

偶像に備えた動物の肉・血を避けること。

みだらな行いを避けること。

「動物の血を避ける」、というのは、血が命の象徴だったからです。偶像に捧げられた動物の血に近づくということは偶像と命を共有する、ということでした。

エルサレムの使徒会議で決められたことは、どれも大した決定ではないように思えるのではないでしょうか。今の私たちからすると、こんな大きな会議を開いて決定するようなことではなく、少し考えればわかりそうなことばかりに思えるのではないか。

しかし、ユダヤ人と異邦人が共にお一人の神を信じるようになっていく過程で、教会はこのような誠実な議論が積み重ねていきました。そのような誠実な議論の上に、今の私たちの教会があるのです。

私たちは、このエルサレムの使徒会議に出て来た人たちを鏡として、自分の信仰の姿を省みたいと思います。自分こそ正しいと思っていた人たちが、静かに神の御業の証を聞いて、謙遜に新しい一歩を踏み出していきました。

教会生活は、本当は単純なものであるはずです。イエス・キリストの十字架と復活に心を向け、神を信頼して生きることです。神は、預言者アモスを通しておっしゃいました。 Continue reading

11月13日の礼拝案内

 次週礼拝(11月6日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄14:19~28

 交読文:詩編13編

 讃美歌:讃詠546番、66番、259番、288番、頌栄539番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

11月6日の説教要旨

使徒言行禄15:1~12

「全会衆は静かになり、バルナバとパウロが自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた」(使徒言行禄15:12)

私たちは、「救い」という言葉を教会の中でよく聞きます。聖書にもよく出てくるのを見ます。しかし、その意味を何となくしか理解していないのではないでしょうか。

聖書が言う「救い」とは、罪の支配から解放され神の支配へと入れられることです。神から離れた闇を生きていた者が、神を知って光の中に生き始める、ということが「救われた」ということです。

イエス・キリストが、一人の女性を癒されたことがあります。12年間出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしても直してもらえなかった女性です。この人は、誰にもばれないように、人ごみに紛れて後ろから主イエスの服の房に触れました。「この方に振れさえすれば、癒される」、と信じたです。

主イエスはそれに気づかれました。「私に触れたのは誰か」とおっしゃって、その女性を探されました。女性は隠しきれないと知って、ひれ伏して、触れた理由と癒された次第を人々の前で話しました。主イエスはその女性におっしゃいました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」

救いを求める一人の女性が、ナザレのイエスという方に一縷の希望を見出してその服の裾に触れました。その女性を救ったのは、その女性の信仰だった、ということがわかる出来事です。

私たちは、改めて、「救い」とは何か、そして信仰が持つ力がどんなに大きいのか、ということを今日考えて行きたいと思います。

私たちはここまで使徒言行禄を読んできました。アンティオキアの町に異邦人教会が出来、そこから送り出されパウロとバルナバは福音宣教の旅を続けてきました。二人は旅を終えて、一旦異邦人伝道の拠点であるアンティオキア教会へと戻りました。2人がアンティオキアの町に戻って来たところで、大きな問題が起こりました。

ユダヤ地方からある人々がやって来て、アンティオキアの町のキリスト者たちに、「あなたたちの信仰生活は間違っている」ということを伝えたのです。「モーセの慣習に従って、割礼を受けなければ、あなたたちは救われない」とその人たちは言いました。

アンティオキアの教会は異邦人キリスト者たちで構成されていたので、当然割礼を受けていない人たちばかりでした。そこに、おそらくエルサレムからでしょう、ユダヤ人キリスト者が来て、「あなたたちも信仰者であるなら、ユダヤ人のように割礼を受けなさい。そうしなければ救われない」と言ったのです。

当時のユダヤ人にとっては、割礼こそ信仰のしるしであり、割礼のない信仰生活は考えられませんでした。エルサレムという信仰の本場からやって来た、聖書をよく知っていて聖書の掟を実践しているその人たちの言葉は影響力がありました。

異邦人教会だったアンティオキアの人たちは、戸惑ったでしょう。

「キリスト者は、キリストを信じるだけではだめなのか。割礼を受け、ユダヤ人の習慣に従わなければ、本当にキリスト者となることはできないのか。割礼を受けなければ、神を信じる、ということにはならないのか。」

パウロとバルナバは、そんなことを言ってきたエルサレムの人たちに激しく反対した。二人ともユダヤ人でしたが、「割礼を受けなければ救われない」とは考えていませんでした。イエス・キリストへの信仰をもった異邦人たちを、割礼を受けていないそのままで、神が受け入れられたのを、自分たちの宣教の旅の中で見たからです。

パウロとバルナバは、この問題について話し合ってはっきりさせるために、アンティオキアからエルサレムへと向かうことにしました。

パウロとバルナバはエルサレム教会に行くと、まず教会の人たち、使徒たち、長老たちに歓迎されました。そこで二人は、自分たちの宣教活動の様子を語り伝えます。

ユダヤから外へと出て行き、地中海沿岸の異邦人の町々を巡る中で、キリストを信じる人たちが生まれ、キリスト教会が出来、長老に任命された人たちが今もしっかりとキリストへの礼拝を続けていることを語りました。

二人は「自分たちが何をしたか」ではなく、「神が自分たちと共にいて行われたこと」を語った、とあります。パウロとバルナバは、自分たちの手柄ではなく、「神がなさったこと」をそのままエルサレム教会に報告したのです。

キリスト者は、キリストをどれだけ信仰しても、割礼を受けなければ、神に愛していただけないのでしょうか。どんなに神を信じていても、割礼を受けなければ本当に救われないのでしょうか。

このことは、使徒パウロが後々まで戦ったことでした。

ガラテヤの諸教会に、パウロは手紙でこう書き送っています。

「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」

「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」

今の私たちからすれば、なぜ当時のユダヤ人キリスト者がそんなに割礼にこだわるのか、よくわからないのではないでしょうか。

当時のユダヤ人にとって、信仰の父であるアブラハムが割礼を受け、モーセの律法にも割礼の掟があることから、割礼のない信仰というのはあり得るのか、ということは大きな問題だったのです。

いわば信仰の本場であるエルサレムから来たユダヤ人キリスト者が聖書を持ち出して、「信仰だけではだめだ。割礼を受けて初めて救われるのだ」と言われたら、異邦人キリスト者たちは当然混乱します。

パウロたちがそれを言っても、ファリサイ派からキリスト者になった人たちは「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言い張りました。

「割礼を受けていない人は神に救われていないのか。キリストを信じるだけでは不十分なのか」このことについてエルサレム教会での話し合いは続いた。

使徒たちと長老たちが集まり、「異邦人キリスト者にも割礼は必要かどうか」という議論を更に続けました。

議論を重ねた後、最後に立ち上がったのはペトロでした。ペトロも、パウロと同じように、自分の異邦人伝道での体験を語りました。

ペトロも、カイサリアの町で、割礼を受けていない異邦人でありローマの百人隊長コルネリウスに聖霊が降ったのを見たのです。

異邦人コルネリウスがもっていたものは何だったのか。コルネリウスの何に聖霊が降ったでしょうか。それはコルネリウスの信仰だった。コルネリウスの割礼ではなく、信仰でした。

ペトロだってユダヤ人でしたので、聖書の掟を重んじていました。

「自分はユダヤ人であって、異邦人のように神を知らない人間ではない。ユダヤ人として、自分の信仰が汚れないように異邦人を訪問したり、異邦人と付き合ったりはしない。自分は割礼を受けている。」・・・そう思っていたのです。

そのようなペトロに、神は前もって、幻の中で「神が清めた物を、あなたは清くないなどと言ってはならない」御告げになりました。それを聞いたとき、ペトロはその言葉の意味が分かりませんでした。

ペトロは割礼を受けていない異邦人コルネリウスの元へと導かれ、聖霊が注がれたのを見て、神がおっしゃったことの意味を悟っていったのです。「神は人を分け隔てなさらない。神がご覧になって喜ばれるのは、ユダヤ人だろうが異邦人だろうが、その人の信仰である」と。

ペトロは、エルサレム教会の中で、その時神がなさったことを皆に語り聞かせました。そして、「主の恵みによって救われる、ということは、異邦人も同じことです。」「異邦人キリスト者に、割礼を強要することは、神を試みることであり、重荷を負わせることだ」

私達は、今、「自分が・誰かが割礼を受けているかどうか」、ということを教会の中で問題にはしません。救われるためには割礼が必要かどうか、という議論は、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間に線引きが色濃く残っていた一世紀の教会の中で起こっていたことです。

この議論は、今の私たちにとってそれほど重要な議論に思えないでしょう。しかし、教会の中でいろんな線引きが出来てしまう、というのは、いつでも教会の中で起こっていることではないでしょうか。 Continue reading

10月30日の説教要旨

使徒言行禄14:19~28

「二人は・・・伝道所を力づけ、『私たちが神に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。」(14:21~22)

パウロとバルナバは、一緒に福音宣教の旅を続けて来ました。アンティオキアを出発して地中海を船で渡りキプロス島に行き、また船に乗ってペルゲという港町についてから、ピシディア州のアンティオキア、イコニオン、リストラと、町々で福音を語って来ました。今のトルコにある町々です。

福音を語りながら、二人はいろんな体験をしました。福音を受け入れてキリスト者になる人もいれば、福音を信じられないユダヤ人たちから、「聖書を冒涜している」と迫害されたりもした。

リストラの町では足の不自由な人を癒したことで、二人は地上に現れた神ではないかと礼拝されそうになりました。そうかと思うと、後から追いかけてきたユダヤ人たちから石を投げられ半殺しにされました。

いろんな苦難や迫害にあっても、二人はキリストの使徒としてイエス・キリストの福音を伝えることを止めませんでした。20節を見ると、パウロたちに教えを求め従う「弟子達」が出来ていたということがわかります。迫害の中にあっても、キリストに従おうとうする「弟子達」が形成されていったのです。

パウロとバルナバは、ここから自分たちの宣教の拠点・出発地であるアンティオキアに戻ることになります。二人は、アンティオキアまで自分たちがこれまで福音を語って来た町々を順に辿りながら戻って行くことにしました。わざわざ、自分たちを追いかけて石を投げた人たちがいる町々へともう一度戻って行くことにした、というのだ。

なぜそんな危険なことをしたのでしょうか。それぞれの町には、パウロとバルナバに向かって石を投げてくる人たちがたくさんいるのです。

パウロたちは、それでも危険を冒しながら、自分たちが福音を伝えた町々を巡り、小さなキリスト教会を励ましつつ群れの中から長老を選び、任命し、体制を整えながら、アンティオキアへと戻って行きました。

私たちは考えさせられると思います。なぜパウロたちはそんな危険を冒したのでしょうか。そして、なぜ1世紀の小さな教会は、迫害の中にあっても福音を捨てなかったのでしょうか。

あれほど弱く、小さなキリスト教会が、なぜすぐになくなってしまわなかったのか・・・

なぜ、石を投げられる小さな群れが、地中海周辺で信仰を捨てずに成長していったのか・・・

詳細は分かりません。

しかし、一つ間違いなく言えるのは、それら一つ一つの小さなキリスト者の群れが、キリストへの信仰を通して、数えきれないほどの奇跡を見ていた、ということです。「自分たちが信じているイエスという方は本当にキリストであり、神の子だ」と思わせられることが、彼らの信仰生活の中で見せられたからこそ、信仰を捨てなかったのでしょう。そうでなければ、石を投げられるような信仰を、血を流してでも命がけで守るなんてことはなかったはずです。

地中海全域にできた小さなキリスト教会の群れは、キリストへの信仰を守り、その信仰が何年も、何十年も、何百年もの時を経て、世界へと広まっていくこととなりました。

キリスト教信仰を持つと何か得になることがあって、信仰が大きな利益につながるとか、いうのであればわかります。しかし、そうではありませんでした。

使徒言行禄を見ると、パウロたちが石を投げられたり、教会が迫害されたりしています。キリストを信じるということは、なんの得にもならない、損ばかりする信仰のように思えます。

しかし、それでもキリスト者たちは、キリストへの信仰を捨てなかったのです。なぜでしょうか。信仰の苦難に勝る信仰の恵みを知っていたからです。

そのことは、パウロという人を見るとわかります。教会を迫害したサウロが、キリストの使徒パウロとなりました。考えられないような変化です。パウロが自分で頑張って自分をそのように変えたのではありません。迫害者である自分をキリストが見出し、許し、召し出してくださった、パウロはその恵みの奇跡を体験したからです。ステファノに石を投げる集団の中にいたサウロが、使徒パウロとしてステファノと同じ立ち位置に身を置くようになりました。そして生涯、イエス・キリストの名のために石を投げられる場所に身を置き続けたのです。

パウロは自分の意志でキリストの使徒になろうとしたのではありません。天からのイエス・キリストの声を聞いて自分が行くべき道が示されたのです。キリストを信じることで、分かりやすく、この世の富が増えるとか、地上の栄達が手に入る、ということではありませんでした。キリスト教信仰とはそういうものではありません。

パウロは何度も何度も迫害されました。それでも、パウロはキリストを伝えることをやめませんでした。なんとかキリストの許しの恵みに応えようとしたかったのでしょう。彼は「福音を伝えないことは私にとって不幸なのです」と後に手紙の中で書いている。

それと同じことが、キリスト者一人一人に起こって、私達は今ここにいるのでしょう。今教会はここまで歩んできました。パウロと同じように、私たちもキリストの許しを知り、その恵みに応える者として、この場へと召されています。

私達は、「なぜキリストを信じ続けるのか」と聞かれても、答えられないのではないでしょうか。言葉で全て説明できるようなものではなく、言葉にできないような何かをそれぞれが見せられたから、キリストを信じているのではないでしょうか。

パウロは、自分たちが福音宣教をした町々に一度戻って、それぞれの教会で長老を選び、「信仰に踏みとどまるように」、と励ましていきました。キリストを信じるようになること以上に、キリストを信じ続ける、ということが大変なのです。「信仰に踏みとどまる」ということが難しいのです。

ここで注目したいのは、パウロとバルナバは長老たちを任命したあと、「彼らをその信ずる主に任せた」とあることです。2人は、新しくできた教会に定住して、自分たちが責任をもってこれから福音を語り続ける、ということはしませんでした。彼らは、福音を伝え、キリストを信じる群れを作り、教会の体制を整えて、次の宣教の場所へと向かったのです。

キリストの使徒が最後の最後に教会に対してできたことは「主なる神に委ねる」ということだった。

26節にはパウロとバルナバが「成し遂げた働き」という言葉があります。2人は、キリストの使徒として、何を「成し遂げた」のでしょうか。

私達も考えたいと思います。一人の信仰者として、何をすれば「成し遂げた」と言えるのでしょうか。

ヨハネ福音書に、イエス・キリストが十字架で息を引き取られた際の、キリストの言葉があります。

「イエスは、葡萄酒を受け取ると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた」

キリストは死ぬ寸前に「成し遂げられた」と言われました。十字架の上でご自分の命をお捨てになることで、主は何を成し遂げられたのでしょうか。

主イエスはヨハネ福音書の10章でこうおっしゃっています。

「私は羊のために命を捨てる。私には、囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。私は命を、再び受けるために、捨てる」

主イエスは、「私は羊のために命を捨てる」とおっしゃいました。囲いに入っていない羊を羊飼いの下へと連れ戻すために、命をかける、というのです。それが主イエスが十字架の上で「成し遂げられた」ことでした。

主イエスは、ご自分の命を、羊を取り戻す身代金として支払われたのです。この世の罪びとにもう一度神の元へと戻るための道を切り開くためにご自分の命をかけられたのです。

パウロとバルナバが宣教の旅の中で「成し遂げた」ことは、それでした。彼らはキリストの使徒として、キリストの業に倣い、神の元へと立ち返る道を示していったのです。

キリストの使徒たちは苦しみました。何のために苦しんだのでしょうか。神の国に入るための道を人々に示すためです。

パウロとバルナバは自分たちが福音を告げ知らせてきた町々に引き返しながら教会を励ましてこう言いました。

「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」 Continue reading