MIYAKEJIMA CHURCH

2月5日の礼拝案内

次週礼拝(2月5日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄17:1~9

 交読文:詩編15編

 讃美歌:讃詠546番、88番、229番、249番、頌栄542番

【報告等】

◇次週、聖餐式があります。

◇2月4日(土) 10時より 役員会があります。

【牧師予定】

◇2月7日(火) 富士見町教会にて 三宅島伝道所支援委員会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 Continue reading

1月29日の礼拝説教

使徒言行禄16:25~40

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」

私たちはここまで、ヨーロッパ大陸に渡って最初のフィリピの町で起こった出来事を読んできました。

使徒たちは、フィリピというローマの植民都市に入り、町の外にいた小さな祈りの群れにキリストの福音を伝えました。占いの霊に取りつかれていた女奴隷を、悪霊から解放しました。しかし、女奴隷に占いをさせて金を設けていた、奴隷の主人たちからパウロたちは恨まれることになってしまいました。

奴隷の主人たちはパウロたちを捕らえられ、町の役人たちにこう言って引き渡しました。

「この者たちはユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」

これを聞いて、町の高官たちはパウロたちを鞭打ち、牢に入れられてしまいます。

ローマ帝国はヨーロッパからアジアにかけて広がっていた巨大な帝国でした。フィリピの人たちからすれば、パウロたちはアジア大陸から海を越えてやってきて死者の復活を伝える怪しげなよそ者たちだったのです。しかも、奴隷の主人たちにとっては、金もうけ手段をつぶされてしまった、という恨みもあります。

パウロとシラスは、人間としての尊厳をはぎ取られ、監獄に放り込まれました。裸にされて鞭で打たれ、足枷をはめられ、一番奥の牢に入れられた、とあります。そして牢の看守は「厳重に見張るように」と、命じられました。

「一番奥の牢」、ということは、一番暑く、暗く、不快な部屋で、なにより、一番逃げにくいところに入れられた、ということです。

使徒たちは聖霊に導かれてヨーロッパ大陸まで渡って来たのに、迫害を受けることになりました。普通であれば、「どうして自分たちにこんなことが起こるのだろうか。自分たちは聖霊の導きに従ってヨーロッパ大陸へと来て、キリストの福音を伝えたのに、どうして牢屋に囚われることになってしまうのか」と怒ったり、嘆いたりするでしょう。。

しかし、私たちは、牢に囚われたパウロとシラスの姿に注目したいと思います。二人は牢屋の中で「讃美の歌を歌って神に祈っていた」、とあります。二人は神を恨むのではなく、このように牢屋に捕らえられるということすらも聖霊の導きの中にあることであり、自分たちは今神の御業の中にある、と信じて、神に感謝していたのです。

そして、「パウロとシラスが讃美の歌を歌って神に祈っていると、他の囚人たちはこれに聞き入っていた」と書かれています。パウロとシラスという二人のキリストの使徒が牢屋に囚われたことで、そこに居た囚人たち、そして看守たちが、神への讃美と祈りの言葉を聞くことになったのです。

使徒たちが牢屋に囚われたということは、神が牢屋の中にまで福音を運ばれた、ということでした。だから使徒たちは、自分たちが起こっているこの苦難も、福音の広がりの中で確かに用いられていること疑わず、喜んでいたのです。

パウロは後に、フィリピ教会の人たちに獄中から手紙を書きました。パウロはその手紙の中で、「私が監禁されているのはキリストのためである」と書いています。「兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音前進に役立ったと知ってほしい」と言うのです。

自分が牢屋に囚われることで、その牢屋にいる人たちが福音を知るきっかけとなっている、ということをパウロは喜んでいるのだ。ここでのパウロと同じ姿勢です。パウロの信仰の姿勢・神への感謝は、牢獄に囚われても変わりませんでした。神が今、自分の苦難を用いてくださっている、ということを信頼して常に喜んでいるのです。

私たちは辛いことがあると、すぐに信仰の意味を見失ってしまいます。神を信じているのに、なぜ自分に苦しいこと、辛いことが起こるのか、と誰でも考えるでしょう。

しかし、信仰というものは、本当は私たちに苦難の意味を教えてくれるものなのではないでしょうか。今、自分に与えられている苦難を、神が高いところで用いてくださっている、自分の今の苦しみは決して無駄なものではなく、神がご自分の計画のために用いてくださっている・・・そのことをと教えてくれるのが信仰ではないでしょうか。

何の迷いもなく、何の苦しみもなくキリストを信じ、礼拝をするようになった人などいないでしょう。もし御利益を求めて聖書を読むのであれば、誰でも教会で幻滅するでしょう。

イエス・キリストの十字架の苦しみを通して苦難の意味を考え、私たちをはるかに超えた神の恵みのご計画が不思議な仕方で示されるのを見ようとするのが私たちの信仰なのです。パウロがそうでした。シラスがそうでした。キリストの使徒たちは皆、そうでした。

パウロたちの苦難は不思議な仕方で用いられました。二人は牢の一番奥に入れられ、足枷を付けられていて何もできませんでした。讃美の歌と祈りの言葉を紡ぐしかなかった、その中で奇跡は見せられました。大地震が起こり、牢屋の戸が開いて、囚人の鎖も全て外れたのです。

これが、パウロたちの讃美と祈りに対する神の御業でした。神はキリストの使徒を見殺しにはなさいません。信仰者が、自分の力ではどうしようもない中で捧げる祈りに、神がお応えになったのです。

私たちは、この出来事の中に、自分たちの信仰生活を重ねて見たいと思います。足枷を付けられて、牢屋の一番奥に閉じ込められているように、私たちは自分の力ではどうしようもない状況に置かれることがあります。つまり、祈るしかない時というのがあるのです。

道がないところに、道を切り開くのは、最後は祈りなのです。信仰者の歩み、教会の歩みにおいて、道を切り開いていくのは結局は祈りなのです。聖書はそのことを私たちに教えてくれています。

出エジプト記に同じようなことが記されています。エジプトで奴隷とされていたイスラエルは苦しみの叫びを上げていました。神はその叫びを聞かれ、モーセを指導者として選び出し、イスラエルをエジプトから救い出されました。

イスラエルは、エジプトから脱出して、それで終わりはありませんでした。荒野を歩かなければならなかったのです。しかも。エジプトの軍隊が後から追いかけて来ました。イスラエルは海に阻まれてそれ以上進むことが出来なくなります。

前には海。後ろにはエジプト軍。イスラエルはどうしようもなくなりました。その時、人々はモーセに食って掛かります。「一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか」「荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです」

モーセは言いました。

「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」

イスラエルの人々は、海が割れるのを見ました。イスラエルは海の中にできた道を渡り、後から来たエジプト軍は水に飲みこまれました。エジプト軍は「神がイスラエルのためにエジプトと戦っている」、と言って恐れました。

前も後ろも、右も左も塞がれている時、私たちには、上が空いています。天が空いているのです。私たちは自分たちの叫びを、祈りを、天に向ける恵が与えられています。

フィリピの牢屋でも同じことが起こりました。牢屋に閉じ込められたパウロたちは、天に向かって声を上げたのです。神が、無力な信仰者のために祈りを聞き、地震を起こし、解放されました。神が信仰者のために戦ってくださったのです。

この地震の中で一番恐怖を感じたのは、牢屋の看守でした。パウロたちを逃がさないように、と厳しく命じられていた人です。地震によって戸が開き、囚人たちの鎖も外れたので、囚人たちを逃げてしまったと思い、恐ろしくなり、剣を抜いて自殺しようとしました。

それをパウロが止めます。

「私たちは逃げていない」

パウロとシラスはそこに留まっていました。逃げ出す絶好の機会だったのに、使徒たちは逃げませんでした。彼らは、この地震を、逃げ出すための機会ではなく、神の御業を告げるため・福音を告げるための機会としたのです。

看守は、二人の讃美と祈りの声、そして地震が起こっても逃げ出さなかった二人の姿勢に何かを見出して、救いを求めました。

「救われるためにはどうすべきでしょうか」

二人が言ったのは、「主イエスを信じなさい」、これだけでした。看守はパウロとシラスの傷を洗い、自分の家族もキリストの信仰に加わりました。

看守とその家族は「神を信じる者になったことを喜んだ」と書かれています。なぜ看守は喜べたのでしょうか。実際には、看守の問題は解決していません。牢屋の戸が開き、囚人たちの鎖が外れたということを、翌朝になったら責任を問われるでしょう。 Continue reading

1月29日の礼拝案内

次週礼拝(1月22日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄16:25~40

 交読文:詩編14編

 讃美歌:讃詠546番、85番、168番、402番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

1月22日の礼拝説教

使徒言行禄16:16~24

「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」(16:18)

パウロ、シラス、テモテの三人の使徒たちは、フィリピの町の外の川岸という社会の片隅で、神を求めて祈りを捧げていた女性たちにイエス・キリストの福音を伝えました。祈りの群れの中心となっていたリディアという女性は使徒たちを自分の家に招待して、福音を詳しく語ってもらったようです。使徒たちは、リディアの家に滞在し、祈りの場所へと通いながら宣教を続けてました。

ある時、祈りの場所に向かうその途中、パウロたちは「占いの霊」に取りつかれている女奴隷に出会いました。この女奴隷は、名前さえ残されていません。

この女奴隷は主人たちによって、また「占いの霊」によって自分の人生を支配されていました。自分の意志を持つことも許されず、ただ主人のために占いをして金を稼ぐための道具として使われていたのです。当時の世界の感覚では、奴隷というのは主人にとって「生きた道具」でした。主人は奴隷の所有者であり、奴隷は主人の意志によって使われる道具だったのです。

女奴隷は、パウロたちに向かって「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と叫び続けました。何日も繰り返しパウロたちの後についてきて同じことを叫ぶので、パウロはたまりかねて、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」と言って、霊を追い出しました。

さて、ここで考えてみたいと思います。なぜ、パウロがこの女性から占いの霊を追い出したのでしょうか。パウロは、この女奴隷を利用することも出来たと思います。女性を支配していた悪霊はパウロたちのこと正しく言い表しています。「この人たちは神の僕であり、救いの道を宣べ伝えている」

霊は、パウロたちの悪口を言っているのではありません。むしろ、パウロたちが何者か、そして何を伝えているのかを大きな声で叫んで正しく宣伝してくれています。しかし、パウロたちは彼女の叫びを利用しませんでした。

なぜでしょうか。

もしパウロたち悪霊の叫びを利用してキリストの福音を宣教するのであれば、この奴隷の主人たちと変わらないことになるでしょう。そして何より、イエス・キリストが悪霊に取りつかれた人を救われていたからです。

キリストは悪霊に取りつかれた人から悪霊を追い出し、その人を悪霊の支配から解放されていきました。パウロはキリストの業に倣ったのです。イエス・キリストがなさったように、悪霊に取りつかれている人に、自分の人生を取り戻させました。

パウロがどのように悪霊を追い払ったのかをよく見てみましょう。パウロは「イエス・キリストの名によって命じる」という言葉と共に「この人から出て行け」と霊に命じました。悪霊は女性から出て行きました。それはイエス・キリストがそうなるように望まれた、ということです。

使徒言行禄3章には、ペトロによる癒しの業が記録されていますが、その際、ペトロも同じ言葉をつかっています。

「私たちには金や銀はないが、持っているものをあげよう。イエス・キリストの名において立ちなさい」。その言葉によってエルサレム神殿の境内にいた足の悪い人は癒され、立ち上がりました。

ペトロも、パウロも、キリストの使徒たちはイエス・キリストがお望みになることを行っていったのです。キリスト者には、悪霊・誘惑との霊的な戦いがあります。「神ではなく、自分を頼りにしなさい」「自分が神になればいいではないか」という声との戦いです。

その際キリスト者が持っている唯一の武器は「イエス・キリストの名」です。信仰者は、キリストを信じて「自分自身が」強くなるのではありません。キリストという「強い方」が弱い自分と共にいてくださるという強さです。

キリスト者は、「イエス・キリストの名において」生きます。それは、キリストがお望みになることをなしていく、ということです。キリストがお望みになることであれば、私たちの小さな信仰の技を通して、何かしらの奇跡が起こっていくのです。

イエス・キリストは、女奴隷を支配していた悪霊による証を必要とはされませんでした。むしろ、キリストの使徒を通して、御自分のお名前が、悪霊の支配から解放する道であることを示されたのです。

それにしても、なぜ女性に取りついていた悪霊は、なぜパウロたちのことを「いと高き神の僕だ」とか「この人たちは救いの道を伝えている」などと叫んだのでしょうか。

以前、イエス・キリストが宣教の旅をなさった時に、異邦人の土地でレギオンという悪霊の大群に取りつかれた人と出会われたことがあります。レギオンは主イエスの前にひれ伏して、「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい」と言いました。悪霊は、主イエスの前にひざまずいて命乞いをしました。このイエスという人が、神の子であり、自分たち悪霊が束になって勝つことはできないことを知っていたのです。

恐らく、女奴隷に取りつきパウロたちの後ろで叫び続けた占いの霊も、パウロたちが持つイエス・キリストのお名前を恐れ、負けを認めてこのように叫んでいるのではないでしょうか。そうでなければ、パウロたちに立ち向かって来たでしょう。

この世で悪霊ほど神のことを、キリストのことを正しく理解し、恐れている存在はありません。誰よりも神を理解し、キリストを恐れているのは、実は悪霊なのです。

私たちはどのように、私たちを支配しようとする悪しき力、罪の力、神から引き離そうとする誘惑の力に対抗すればいいのでしょうか。私たちが持っている武器はただ一つ、イエス・キリストのお名前です。キリストが共にいてくださる、ということです。

繰り返しますが、信仰者の強さは、ただイエス・キリストのお名前を知っている、ということです。そしてキリストのお名前を知っているというそれだけのことが、私たちを信仰者としてどれだけ強くするか、ということを、この場面から学びたいと思います。

パウロたちは、悪霊を女奴隷から追い出し、女性を解放しました。しかし、この女性の主人たち恨みを買うことになりました。自分たちの金儲けの道具をダメにされてしまったのだ。奴隷の主人たちは、パウロたちをローマの役人へと引き渡しました。

当時、ローマ帝国では宗教に対しては寛容でした。しかし、「貿易や商売の邪魔をしなければ」、という条件がありました。自分たちの商売を邪魔された主人たちは、仕返しとしてローマの役人たちに、「この者たちユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」と訴え出ました。このことで、パウロたちは逮捕され、鞭うたれ、牢に入れられてしまいます。

使徒たちにとっては不本意だったでしょう。しかし、不思議なことに、パウロたちは一言も弁明をしていません。いくらでも弁明することはできたはずなのに、パウロたちはむしろ甘んじてこの信仰の苦難を受け入れています。

「なぜなのだろうか」、と思わされます。

キリストの使徒たちは、イエス・キリストの苦しみに与ろうしているのではないでしょうか。彼らはまるで、十字架に上げられていったときのイエス・キリストのようです。

ユダヤの最高法院は、主イエスをローマ総督ポンテオ・ピラトの元へと連れて行ったとき、こう言いました。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」。これは、でっちあげです。しかし主イエスはご自分のために弁明をなさいませんでした。

ローマ総督ポンテオ・ピラトも、ユダヤの領主だったヘロデも、主イエスにいろいろと質問しましたが、主イエスは何も言い返さず、苦難の僕として、毛を刈られる子羊のように沈黙をもってご自分の受難へと身を捧げられたのです。

ご自分の十字架へと身を捧げていかれるイエス・キリストのお姿と、ここでのパウロ達の姿は重なります。神の救いのご計画を信じて、自分たちの身を沈黙のうちにゆだねていく信仰の姿です。

パウロは、一回目の宣教旅行の最後で、自分に従う人たちに向かって言いました。「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。」

パウロたちは、その言葉通り、神の国に入るための苦しみを担い、イエス・キリストの痛みに倣おうとしたのではないでしょうか。霊に取りつかれた女奴隷は、パウロたちが「救いの道を宣べ伝えている」と叫びました。「救いの道」とは、つまり神の国へと続く道のことです。その道を切り開くためにイエス・キリストはご自分の命を捧げられました。パウロたちは使徒として、キリストの歩みに倣い、神の国への道を示そうとしているのでしょう。

主イエスは、御自分に従う人に向かって、「自分の十字架を背負いなさい」とおっしゃいました。信仰者は自分の十字架を背負います。しかし、「自分の十字架を背負う」とはどういうことなのでしょうか。キリストがご自分の命をかけて通してくださった道を、私たちも歩き続ける、ということです。

キリストが歩まれた道は、苦難の道でした。逆風が吹く道です。しかし、その道は確かに、神の国へと続いていることをキリストは命をかけてお示しくださいました。神の国へと続く道を示すために、私たちはその道の上を歩くのです。どんなに逆風が吹いても。その道を歩くことで、その道を世に示していくのです。

キリストが敷いてくださった道の上には、多くの苦難があります。私たちがキリストのために働こうとすればするほど、罪の力は私たちに逆風として向かってきます。それでも、教会は逆風の中立ち続けます。キリストの使徒たちがそうだったように、教会は、神の国に入るための苦しみに勝る喜びを知っているからでしょう。

私たちにはこの地上の富に勝る天の宝があります。ペトロが言った通り、私たちには

金や銀はありません。しかし、イエス・キリストのお名前という天の宝を持っています。私たちキリスト教会がもっているイエス・キリストのお名前は、何よりも豊かな財産です。地上の富をどれだけ積んでも売り買いできる財産ではありません。

パウロたちは、逮捕されても、イエス・キリストのお名前という宝を手放すことはありませんでした。鞭打たれ、一番奥の牢に入れられ、足枷をはめられても、使徒たちは救いの道を捨てませんでした。

この後パウロたちは牢から救い出されることになります。そして、その出来事を通して、牢屋の看守たちが神を信じるようになり、洗礼を受けることになるのです。使徒たちの苦しみは、不思議な仕方で用いられていきます。私たちの信仰の痛みは、新たな信仰者を生みだすための、「生みの苦しみ」として用いられるのです。

私たちに与えられ、歩かせていただいているこの「救いの道」の上で、私たちが逆風に対して持っている武器は一つだけだ。イエス・キリストのお名前だけです。私たちはイエス・キリストのお名前をもって生きるしかありません信仰者が受ける苦難は、聖霊の導きの下にある苦難であり、キリストがくびきを共に担ってくださっている、インマヌエルの歩みです。苦難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生む。私たちは希望に向かっていることを忘れてはいけません

1月22日の礼拝案内

次週礼拝(1月22日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄16:16~40

 交読文:詩編14編

 讃美歌:讃詠546番、84番、166番、396番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

1月15日の礼拝説教

使徒言行禄16:11~15

「安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。」(16:13

パウロたちは、不思議な仕方で聖霊に導かれ、アジア大陸の西の端、トロアスという港町まで来ました。そこでパウロたちは、幻を見せられます。一人のマケドニア人が、「海を渡ってここまで来て私たちを助けてください」とパウロに訴える幻でした。パウロ、シラス、テモテの三人は、「神が私たちを召されているのだ」という確信を得てトロアスから船に乗り、ヨーロッパ大陸へと渡って行きました。

16:11を見ると、「私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした」とあります。「パウロたちは」ではなく「私たちは」と聖書は書いているのです。

この書き方に関してはいろいろと議論はありますが、おそらく聖書は、今ここを読んでいる私たち読者を、このパウロたちの福音宣教の旅の中に身を置くように招いているのでしょう。この「私たち」という言葉の中に、文字通り、今ここにいる私たちも含まれているのです。

私たちは、使徒言行禄に記録されているキリストの使徒たちの福音宣教を、客観的に、他人事のように眺めることは許されません。ここに記録されているキリストの使徒たちの福音宣教を、まさに「私たちの」福音宣教として見るように我々は招かれているのです。

ヨーロッパ大陸へと渡り、福音を告げる使徒たちと共に旅を続けていきましょう。

パウロたちは、ヨーロッパに渡り、まずフィリピという町に入りました。聖書には、「マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピ」と書かれています。この町は、「植民都市」でした。ローマ軍がそこに居て、ローマ帝国の一員であるという意識を植え付けようとしていた町でした。

パウロたちはこれまで、ユダヤ人が住んでいて礼拝共同体を形成している町々に入り、ユダヤ人の礼拝堂に入って聖書の言葉を解き明かしてきたが、ここはエルサレムから遠く、海峡を越えたヨーロッパ大陸にあってユダヤ人ほとんどすんでいなかったのでしょう。どうやらフィリピにはユダヤ人の礼拝堂はなかったようです。フィリピでは、聖書を知っている人たちに福音を語る、ということはできませんでした。

聖書には、パウロたちはフィリピの町に着いて、「数日間滞在した」とあります。数日間、どうすればいいのか考えていたのでしょう。宣教のきっかけをつかめなかったようだ。

パウロたちは、「安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った」とあります。「フィリピの町の中に祈りの場所がなさそうだ。次の町に行こう」、と言ってあきらめたのではありませんでした。

町の中になければ、町の外に行って、祈りの場所があると思われるところを探したのです。そして町の外の川岸に女性たちが祈りを中心に集まっているのを見て、彼女たちにキリストの話をしました。

私たちは、フィリピの「町の外」でキリストの使徒と祈りの群れが出会った、ということに注目したいと思います。神を求める心を持ち寄る人たちは、「町の外」に行ってまで祈りを共にしていたのだ。キリストの福音を知らせたいと思う使徒たちは、「町の外」にまで祈りの群を探しに行ったのだ。

どの町にも、祈りを求める群れがいます。どんなに聖書を知っている人が少なく、街中に建物を建てることすらできないほど人数が少なくても、祈る心・神を求める心を持つ人はいるのです。

街中がダメなら、外で礼拝しようという礼拝者たち。

町の中に礼拝者がいなければ、町の外にまで探しに行く使徒たち。

たとえそこが植民都市で、ローマ帝国への同化政策がとられているような中にあっても、神の真理を求める人々の心を奪い去ることはできません。

ここを読めばわかるように、パウロたちが見た女性たちの集まりは、とても礼拝とは言えないようなものでした。川岸に集まっていた、というだけです。建物もない、聖書もない、ただ神を求め祈るだけの小さな群れでした。

ここに集まっていた女性たちはおそらく一度も聖書を自分で読んだことがなかったでしょう。文字を読むこともできなかったのではないでしょうか。それでも祈る心を持ち寄って神を求めて川岸に集まり、共に祈っていたのです。

神がヨーロッパ大陸で使徒たちにまずご準備なさったのは、このような小さな祈りの群れとの出会いでした。このことは、私たちにとって大きな意味を持っているのではないでしょうか。

消え入りそうな群れであっても、神は福音をお聞かせになるのです。キリストが弟子達にお話しなさった種まきのたとえ話のように、種を蒔く人は、石だらけの土地でもいばらの土地でも丁寧に種を蒔くのです。

このリディアたちの祈りの姿の中に、私たちは自分たちの姿を重ねて見ることが出来るでしょう。私たちは確かに小さい、島の教会です。しかし神の言葉との出会いは、間違いなくここにあります。私たちの上にキリストは種を蒔いてくださっています。聖書がいう「私たち」の中に、ここにいる私たちも含まれているのです。希望をもっていいでしょう。

さて、この群の中に、リディアという女性がいました。「ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという人」と書かれています。

この一文からわかるのは、リディアはティアティラというところからの移住者であった、ということ、独立して商売をする職業婦人であった、ということ、そして、そのような働き方をするということは夫を失った未亡人である、ということです。

布を扱っていたということなので、リディアの仕事場は川岸にあったのでしょう。夫はおらず、よそから来た移住者で、町の外の川岸にいた・・・このようにして見ると、この人はフィリピでは町の片隅、社会の端っこで生きていた人でした。フィリピにいた、神に祈る人たちは、おそらくリディアが自分の仕事場に集まって、祈っていたのでしょう。

この時川岸に集まって祈りを共にしていた女性たちは、皆、リディアのような境遇にあった人たちだったのではないでしょうか。移住者とか、未亡人とか、祈る時には町の外にまで来なければならないような人たちではなかったでしょうか。

そのような、生きる厳しさの中にあっても、彼女たちは祈ることをやめませんでした。

いや、生きる厳しさの中にあったからこそ、彼女たちは祈ることをやめなかったのでしょう。

神は、その祈りの群れに、福音を携えた使徒を送られたのです。祈る群れに聖霊を注いで教会をお創りになったように、神は、祈る群れに宣教者をおつかわしになりました。

「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」とあります。神が、リディアの心をお開きになり、リディアの心の中へとご自分の言葉をお与えになったのです。神は彼女の祈りにお応えになりました。

彼女は家族と一緒に洗礼を受け、パウロたちを強引に家に招待しました。もっとイエス・キリストのことを聞かせてもらおうとしたのでしょう。

フィリピ教会は、この時川岸で祈っていた女性たち、またこのリディアから始まっていきました。たった数人の女性が核となり、やがて福音を求める人たちが集っていたところから小さな祈りの群れはフィリピ教会として成長を続けていくことになったのです。

新約聖書の中にはパウロが書いた、「フィリピの信徒への手紙」が入っています。「フィリピの信徒への手紙」を読むと、その後のフィリピ教会の様子が見えてきます。

パウロがフィリピの町を去った後、牢に捉えられることがあったようです。パウロはその牢屋の中でフィリピの信徒たちに向けて手紙を書きました。

牢獄で書いた手紙なので悲壮感に溢れているかというと、そうではありません。獄中書簡でありながら、「喜びの手紙」と呼ばれています。パウロが、牢屋の中にいながら、フィリピ教会の人たちと喜びを分かち合っている内容の手紙なのです。

パウロとフィリピのキリスト者たちが共有していた喜びとは何だったのでしょうか。それは、「イエス・キリストのために、自分は自分の十字架を背負うことが出来ている」ということでした。

パウロはこう書いている。

「あなた方には、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。あなたがたは、私の戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです」

パウロは、「キリストのために苦しむ恵み」ということを言っています。そして、フィリピ教会の人たちが「キリストのために苦しむ」ことを「恵み」として受け入れていることを喜んでいるのです。 Continue reading

1月15日の礼拝案内

次週礼拝(1月15日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄16:11~15

 交読文:詩編14編

 讃美歌:讃詠546番、82番、252番、288番、頌栄541番

【牧師予定】

◇1月10日(火)15時より 富士見町教会にて伊豆諸島伝道委員会

1月8日(日)の午後~10日(火)不在です。

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

1月8日の礼拝説教

使徒言行禄16:6~10

「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテア地方を通って行った。」(16:6)

バルナバと決別し、シラスと一緒に二度目の福音宣教の旅に出発したパウロは、途中でテモテという青年を宣教の仲間に加えました。今日私たちが読んだのは、その後の宣教の旅の様子です。

今日の場面を読んで驚くのは、パウロたちが、聖霊によって何度も伝道を禁止された、ということです。自分たちが「ここに行ってイエス・キリストを宣教しよう」と進もうとするたびに、聖霊から、また主イエスの霊から止められてしまったのです。

パウロたちは、アンティオキアの教会の人たちによって送り出されました。15:40を見ると、アィオキア教会の人たちはパウロとシラスを「主の恵みに委ねて」送り出した、ということが書かれています。教会の人たちは、二人を「主の恵みにゆだねて」見送ったのです。それは、聖霊に委ねて、送り出した、ということでしょう。

アンティオキア教会の人たちは、「福音宣教に必要なものを十分持たせてパウロたちを送り出した」というのではありません。「主の恵みに委ねて」、聖霊に委ねて送り出したのです。

教会の人たちは知っていました。これからパウロたちが行く道は、自分たちの援助があってどうこうなるものではないということ、行く先々で「主の恵み」である聖霊の助けがなければ進まないものである、ということを。

だから彼らはただ「主の恵みに委ねて」祈り、パウロたちを福音宣教の旅へと送り出したのです。パウロたちにとって、最終的に頼ることが出来るのは、主の恵み、聖霊による導きでした。

それなのに、パウロたちが宣教のために行こうとする道が、聖霊によってことごとく閉ざされていったというのです。これはどういうことなのでしょうか。

私達は、今日の場面を通して、パウロたちが考えていた福音宣教の計画を超えた、神のご計画を見せられることになる。

パウロの当初の計画は、自分とバルナバが一緒に宣教した町々にもう一度戻って、どうなっているか様子を見よう、というものでした。シラスと一緒にそれらの町々に行って、エルサレム教会が決めた、「異邦人に割礼は強要されない」「偶像に捧げられた肉と血を避ける」「性的にみだらな行いを避ける」という決定を伝えるつもりでした。

パウロとシラスは、最初の旅で回ったデルベとリストラの町に行きました。しかし次にイコニオンの町に向かおうとすると、不思議なことが起こります。

6節にはこう書かれている。「彼らはアジア州でみ言葉を語ることを聖霊から禁じられた」

パウロたちは、純粋に、イエス・キリストの福音を伝えようと次の町に向かおうとしたのに、聖霊がそれを止めた、というのです。

南に向かう予定だったが、聖霊から止められたので、仕方なくパウロたちは西に向かいました。しばらく西に進んで、「南がダメなら、北に行こう」とビティニア州に入ろうとしました。すると今度は「イエスの霊がそれを許さなかった」のです。

パウロたちは戸惑ったと思います。私たちも、ここを読んで、戸惑うのではないでしょうか。「神のための福音宣教」なのに、なぜ聖霊は、イエス・キリストの霊は、それを止めるのでしょうか。

北にも南にも行くことを禁じられたパウロたちは、仕方なく西に向かって行きました。そして最後に、トロアスという港町へと導き入れられたのです。トロアスは、もちろん、パウロたちの計画には無かった町でした。

パウロたちの足取りを地図で確認すると、真っすぐ西へと導かれていることがわかります。なぜ神は、パウロたちをトロアスへと導かれたのでしょうか。

トロアスは、アジア大陸からヨーロッパ大陸へと渡るための船が出ている港町です。神は、パウロが行こうとした道とは別の道をご準備されていました。それは、ヨーロッパ大陸へと続く道だったのです。

パウロ達は、自分たちが行こうとした道が神によって何度も閉ざされたので、「自分たちが立てた計画は失敗に終わるのだろうか」と不安になったかもしれません。しかし、神は、パウロたちをまっすぐ、御自分の計画に従って導いて来られたのです。

パウロたちは、自分たちが行こうとした道を行くことはできませんでした。しかし、自分たちの思いを超えた道が示されました。海を越えて、アジア大陸からヨーロッパ大陸へと向かう道が神から示されたのです。

旧約聖書のイザヤ書55章にこういう言葉がある。

「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なる、と主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道は、あなたたちの道を、私の思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。」

パウロは、結局、一回目の宣教旅行で巡った町々には行くことはできませんでした。自分たちの計画は実現しなかったのです。しかし、パウロたちの計画を超えた神のご計画が、今、パウロたちを通して実現しようとしています。

この後、パウロたちはヨーロッパ大陸へと向かうことになります。そしてヨーロッパの各地で福音宣教をした後、またアンティオキア教会に戻り、また宣教の旅に出ることになります。その三度目の宣教旅行の際に、パウロは、初めに回ろうとした町々に行くことになるのです。

このように、使徒言行禄を読んでいくと、全て神のご計画のうちに、パウロの計画も実現していった、ということがわかります。このことは、私たちにとって大きな信仰の学びとして示されています。全て人が考える道筋で実現していくのではないのです。神が備えられた道の上で、神が備えられた時に、信仰の実りが生まれていくのです。

神は、まずパウロたちにご自分の道を行かせました。そしてその先で、パウロたちの計画も実現しました。パウロ自身が考えていた計画よりも広く深い計画の中で、福音は広がっていったのです。

聖霊は、パウロたちに何度も伝道禁止命令を出しました。「その道に行くな」という聖霊の声に、パウロたちは従いました。パウロたちは、自分たちの宣教旅行の意味を何度も問い直したのではないでしょうか。「自分たちがしていることは無駄ではないか」、と不安にもなったでしょう。しかし、神は全てにおいて、時と場所を備えていらっしゃいました。

パウロ自身、後に手紙の中でこう書いています。

「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています」

イエス・キリストも、山上の説教の中でおっしゃっています。

「あなたがたの父は、願う前から、あなた方に必要なものをご存じなのだ」

聖霊は、時に、私たちを遠回りとも思えるような道へと導きます。しかし、神は、御自分の畑の収穫のための最短距離を私達に行かせてくださるのです。

教会にも、礼拝の中で、祈りの中で、道が示されます。神は、私たちのために、私たちが考えるよりも大きなご計画をお持ちです。

パウロは、後にコリント教会の人たちに、手紙でこう書きました。

「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」

「教会は神の畑、神の建物なのです」

教会は神の畑であり、そこに作物を実らせるお方は神ご自身だ、と言っています。実現するのは、私たち人間を超えた、神の御心なのです。

イエス・キリストは、こんなたとえ話をなさった。 Continue reading

1月8日の礼拝案内

 次週礼拝(1月8日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄16:6~10

 交読文:詩編14編

 讃美歌:讃詠546番、79番、186番、365番、頌栄541番

【報告等】

◇1月7日(土)10時より 役員会があります。

【牧師予定】

◇1月10日(火)15時より 富士見町教会にて伊豆諸島伝道委員会

1月8日(日)の午後~10日(火)不在です。

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 Continue reading

1月1日の礼拝説教

ルカ福音書1:26~38

「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(1:38)

天使ガブリエルが、ガリラヤ地方にあるナザレという町にいるマリアのところに行き、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」と告げました。

26節には「六か月目に」こういうことが起こった、とあります。何から数えて六か月目にこのようなことがあったのでしょうか。

マリアに現れる六か月前、天使ガブリエルは、エルサレムの祭司であったザカリアという人に現れていたのです。ザカリアとその妻エリサベトは既に高齢でした。しかし天使はザカリアに「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」と告げたのです。

私達は今日、イエス・キリストがお生まれになった際にはどのようなことが起こったのか、そしてその出来事は、どのような歴史の流れの中で起こったのか、ということを見ていきたいと思います。

マリアの前に、まずザカリアへの天使の告知を見たいと思います。エルサレム神殿の一番奥にある至聖所で、ザカリアが祭司として香をたいていた際に天使は現れました。「子供を授かる」という天使の告知を、ザカリアはそのまま信じることが出来ませんでした。

「私は老人ですし、妻も年をとっています」と答えます。ザカリアは、天使の言葉、つまり神の言葉を信じることはできなかったために、神の言葉が実現するまで口がきけなくされてしまいました。そしてエリサベトは天使が告げた通り、男の子を身ごもったのです。

なぜザカリアは神から与えられた言葉をすぐに信じることが出来なかったのでしょうか。至聖所の中で天使に告げられた言葉を、神殿で神に仕える祭司がすぐに信じることが出来なかった、というのです。

祭司であったとしても、人間にとって自分の知識や経験にそぐわないことは、たとえ神から告げられたことでも簡単には受け入れられないのです。それだけ、人間は自分がもっている常識に縛られている、ということでしょう。

私たちはここで、ガブリエルがザカリアに告げた最初の言葉に注目します。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた」。天使は「あなたの願いは聞き入れられた」と言っています。つまり、ゼカリアとエリサベトはこれまで祈り続けて来た、願い続けて来た、ということです。子供を授かることを願って二人は神に祈り続けてきたのです。

それなのに、ザカリアは天使が告げた言葉をすぐに受け入れることができませんでした。この時のザカリアの言葉はとても現実的だ。「私も、妻も、年老いています」

このザカリアの応答は、神がなさる奇跡を前にした人間の姿です。確かに自分は神にそう祈り続けてきたけれども、実際にそれが実現するとなると、なんだか信じられない思いになる、それが実現することに恐れが生じるのです。

私たちも当然祈っているでしょう。しかし、実際に祈りが聞かれると、なんだか信じられない思いになるのではないでしょうか。「私の祈りは本当に神に聞かれていた」という畏れに打たれます。逆説的だが、私たちの信仰にはそのような驚きがあるのではないでしょうか。

ザカリアやマリアのように実際にこんな風に直接天使からのお告げを聞いた人はいないでしょう。しかし、祈りが聞かれた際の驚きというのは理解できるでしょう。神が私たちの祈りを聞いてくださるということは、喜びであると同時に、私達に恐れを感じさせることなのです。

もし、ザカリアとエリサベトが、祈っていなかったとしたら、どうだったでしょうか。少なくとも、天使から「あなたの願いは聞き入れられた」という言葉を聞くことはなかったでしょう。

私達は祈りの力というものを甘く見てはいけないのです。祈る本人の思いを超えた仕方で、神はその祈りを聞いて下さいます。そして私達の思ってもいないような時に、思ってもいなかった場所、「まさか」という仕方で答えてくださるのです。

マリアに天使が現れたのは、そのザカリアの驚きの六か月後のことでした。天使は、神殿のあるエルサレムではなく、「異邦人の地」と呼ばれたガリラヤ地方のナザレという小さな村に現れました。それも、ザカリアのような祭司ではなく、何も特別な身分をもっていない一人の女性、少女と言っていいでしょう、マリアの元に現れました。

マリアにとっては、これは突然の天使のお告げでした。ザカリアとエリサベトのように、長年の祈りが聞かれて神の言葉が告げられた、ということではなかったのです。マリアはまだ結婚していません。それなのに、子供が自分の中に宿った、と言われます。しかも、その子は聖霊によって宿った子で「いと高き方の子、神の子と呼ばれ、神の支配をこの世にもたらすだろう」、と告げられたのです。

当然マリアは戸惑い、「私はまだ男の人を知りません」と言いました。天使は、これは聖霊によることであり、マリアの親類であるエリサベトにも同じことが起こっていることを告げました。そして最後に、「神にできないことは何ひとつない」と言いました。

マリアはこの天使の一言を聞いて、全てを受け入れました。「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」

マリアは、この時、14、5歳の少女だったと言われます。天使の言葉に驚きつつも最後にはその言葉を受け入れました。マリアが少女だったから、純粋な信仰の持ち主だった、あまり考えなかった、ということなのでしょうか。そうではないでしょう。

マリアの最後の言葉に、マリアの信仰の姿勢が現れています。

「私は主のはしためです」

「はしため」、と訳されているのは、「奴隷・僕」という言葉です。「私は主の奴隷・僕です」という言葉なのです。

「奴隷」と聞くと、我々はあまりいい響きに感じないでしょう。人間が同じ人間を奴隷としたとき、私たちは嫌悪感を覚えます。

しかし、聖書では、神に仕える者・神の御心に従う者、という信仰的な意味で「奴隷」という言葉がつかわれます。

使徒パウロはロマ6:16でこう言っています。「あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです」

神に従順に仕える奴隷となるということ、それは神を自分の支配者とすることです。神の恵みの支配に信頼して身をゆだねることです。マリアが選んだのはそちらでした。

神を信じ、自分を神に委ねることで、信仰者は自分では作り出すことのできない奇跡を見せられることになります。マリアは、自分のことを「神の奴隷・僕です」、と言いました。この信仰が、やがて神の子イエス・キリストの誕生につながるのです。

私たちはマリアという女性を何か特別な人のように思うのではないでしょうか。自分と同じ人間ではないのではないか、自分にはマリアのような特別なことは起こらないのではないか、と考えてしまうのではないでしょうか。

しかし、そうではありません。マリアも一人の信仰者でした。神によって選ばれたから、特別に見られるようになっていますが、私達と変わらない、同じ一人の人間でした。

そして私達も一人の信仰者として、神の奇跡によって選ばれ、今ここにいるのです。マリアがそうだったように、神の尊いご計画の中で私達も用いられているのです。

イエス・キリストは、ある時、一人の女性からこういうことを言われました。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」

女性は、主イエスの母マリアのことをそう讃美しました。主イエスの母であるマリアをうらやましがったのかもしれません。

しかし、主イエスはその女性に向かって、こうおっしゃいました。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」

マリアは主イエスを生むために選ばれた「幸せな女性」のように思われていたのかもしれません。しかし、主イエスご自身は、「本当に幸せなのは、神の言葉を聞き、それを守る人だ」、とおっしゃるのです。

そうであるなら、私たちが今ここで、神の言葉・聖書の言葉を聞き、守ろうとしていることが、実はどれだけ特別で、幸せなことなのか、今一度再認識する必要があるのではないでしょうか。

「神に従順に仕える奴隷となって義に至る」、ということにおいては、全ての信仰者は平等です。ザカリアやマリアを包んだあの祝福は、私たちも同じように届いているのです。 Continue reading