MIYAKEJIMA CHURCH

6月23日の礼拝説教

 ヨハネ福音書13:31~38

13章の最後のところを読みました。13章の最後ですので当然このあと14章を読んでいくことになります。ヨハネ福音書の14章からは17章にまで続くイエス・キリストの最後の別れの教えと祈りの言葉が記録されています。今日私たちが読んだところは14章からのイエスキリストの弟子達への最後の教えを読むための導入の部分でもあります。

ヨハネ福音書はほかの福音書よりもキリストと弟子達との別れの場面に多くの文字を費やしています。キリストは弟子達と過ごされる最後の地上の時、何度も同じことを繰り返しお伝えになります。

ご自分がこれから去って行かれること。

ご自分がいなくなった後への備え。

そしてご自分がいなくなったとしても、それは神の救いのご計画であること。

イエスキリストが最後に弟子たちにお伝えになった言葉は、細かく学問的に分析するというよりも、私たち自身が祈りを持って霊的に自分に語られた言葉として受け止めるべきものでしょう。

私たちが今日読んだのは、イスカリオテのユダがイエスキリストを裏切るために夜の闇の中へと出て行った直後のところです。ユダがそこを去り、物事が主イエスの逮捕と十字架の死へ動き始めました。

そこで主イエスは弟子たちにまた話し始められます。弟子たちがこれから見ることになるイエスキリストの十字架は、決してキリストの敗北はないということ。むしろ神の救いのご計画の実現であるということ。それは神の子の十字架を通して神が栄光をお受けになる時であるということ。

主イエスは、これまで奇跡のしるしと教えの言葉を通して神の栄光を現してこられました。水をぶどう酒に変えたり、病の人を癒したり、何千人もの人の空腹を満たしたりされた不思議なしるしの意味はイエス・キリストの十字架を通して示されることになります。

イエスキリストが十字架の上で最後の瞬間までこれ以上ない痛みと苦しみを背負い、息を引き取られることこそが、神がこの世にお与えになった最大のしるしでした。

キリストは何か人を驚かすようなことをして、ご自分の人間としての地上の栄光を示されたのではありませんでした。神の子の死という痛みを通して、ひざまずくべきは神であるということを世に示されたのです。

その神秘の栄光について弟子達に思い出させたのち、主イエスはご自分の愛する弟子達に、これが別れの言葉であるということを示されました。「私はあとしばらくあなた方と一緒にいる」

彼らは主イエスを探すことになる、しかし、弟子達は一緒に来ることはできない、とおっしゃいます。

弟子たちは衝撃を受けました。これから実際に主イエスがいらっしゃらない道を歩まねばならなくなるのです。そしてそれは、キリストが弟子達を愛したように、弟子達も互いに愛し合うという道でした。

「あなた方に新しい掟を与える。お互いに愛し合いなさい。私があなたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならばそれによってあなたがたがわたしの弟子であることを皆が知るようになる。」

なぜキリストは「新しい掟」とおっしゃったのでしょうか。何が新しいのでしょうか。「互いに愛し合いなさい」ということは、新しい掟ではないのです。旧約聖書のレビ記19:18には「隣人を自分自身のように愛しなさい」という有名な律法の言葉があります。これこそ律法の核心とでも言うべき古くから大切にされてきた教えでした。

では一体何が新しいのでしょうか。それは、愛し方でした。「私があなた方を愛したように」互いに愛しなさい、ということです。

13章はキリストが「この上なく弟子達を愛された」という言葉で始まっています。その思いの現れとして、キリストは弟子達一人ひとりの前に跪いて足を洗われました。神は独り子をお与えになったほど世を愛されたとあるように、キリストは弟子達を愛し、足を洗い、そしてこれから彼らのために死なれるのです。

そのキリストに愛された弟子達、キリスト者は、どう生きるべきなのか。どのようにキリストの愛に報いればいいのか。キリストは「私があなたがたを愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」とおっしゃるのです。それが、独り子をお与えになるほどの神の愛への報い方なのです。

キリストに愛されたように互いを思いあう、いたわりあうということが、キリスト者であることの証となり、そしてそれが、イエス・キリストを指し示す証、しるしとなる、と言われています。

私たちは立ち止って考える必要があるでしょう。私たちはなぜ人を愛するのでしょうか。少なくとも、キリスト者として私たちが互いを大切にしようとするのは、相手が愛しやすいからではないでしょう。人を愛することは道徳的・倫理的にそれが正しいだろうと思って愛するのではありません。誰かを愛して、自分が満足するためでもありません。イエス・キリストへの応答として我々は互いを愛するのです。そこにこそ、キリストにある平和が生まれるのです。

弟子達は、この時キリストがおっしゃっていることが理解できませんでした。「あなたがたは私を探すだろう」などと先生はおっしゃっている。「だから互いに愛し合いなさい」などとおっしゃる。

たまらずペトロは尋ねました。「主よ、あなたはどこに行かれるのですか。」それに対して主イエスは「私の行くところに、あなたは今ついてくることはできないが、後でついてくることになる」とお答えになりました。

ペトロは不服でした。なぜ先生は自分たちから離れていかれるのか。そしてなぜ今一緒について行くことができないのか。

ペトロは「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」と言いました。強い気持ちの表明です。しかし、キリストはおっしゃいます。「はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度私のことを知らないと言うだろう」

この後、ペトロは主イエスがおっしゃったように、わずか数時間後、私はナザレのイエスなど知らない、と三度繰り返してしまいます。そのことを知っている私たちにとって、「あなたのためなら命を捨てます」と豪語したペトロの姿は滑稽に見えるでしょう。しかし、誰も彼を笑うことはできないでしょう。ペトロだけでなく、他の弟子達も同じでした。

キリストの十字架の死の後、ペトロをはじめ弟子達は一か所に集まり、身をひそめていました。皆、キリストを見捨てて逃げたのです。そして「あなたはナザレのイエスの弟子だ」と指さされることが恐ろしかったので身を寄せ合って隠れていたのです。早くエルサレムの人たちがナザレのイエスのことを忘れてほしい、自分たちの顔も忘れてほしい、と願ったでしょう。

主イエスの十字架の出来事から三日目の朝、その墓が空になったという知らせが入りました。ペトロは墓に走って行き、墓が空になったことを自分の目で見ました。そしてその日の夕方、ペトロは、弟子達は、復活のキリストに再会しました。

イエス・キリストは、「なぜあの時私を見捨てたのか」とはおっしゃいませんでした。「あなたがたに平和があるように」とおっしゃって再び彼らを召し出されたのです。

ペトロは故郷ガリラヤに戻り、再び漁師として魚を採るようになりました。そこでまた復活のイエス・キリストに再会します。彼はそこで主イエスから「私を愛しているか」と三度問われました。「あなたを愛しています」と答えたペトロは、主イエスから言われます。「あなたは行きたくないところへと連れていかれる」

キリストに愛され、召された者として、ペトロ自身が行きたいところではなく、神がペトロにお求めになるところへと連れていかれることになるのです。ペトロは、キリストに許された者として、自分の道からキリストの道を歩むことになるのです。

これが、「信仰に生きる」ということではないでしょうか。自分が行きたいところではないところへと連れていかれることになるのです。自分が行きたいところではなく、神が私たちに必要な道へと導き入れてくださるのです。中には、自分が行きたくない場所もあるでしょう。しかし、「行きたい・行きたくない」とかいうことを超えた何かが、私たちのために用意されているのです。

使徒言行録を見ると、そのことがよくわかります。キリストの使徒たちは、自分が行きたいところではなく、行くべきところへと聖霊によって導かれていきました。

ペトロがヤッファという港町にいた時、ローマの百人隊長コルネリアスという人からの招きの使者が迎えに来ます。ガリラヤの田舎のユダヤ人の漁師に、ローマの軍人が、しかも百人隊長が会いたいと言って来ました。

ペトロとコルネリウスの間には、当時では天と地ほどの身分の違いがありました。ペトロには、キリストの使徒として働く自分をローマの軍人が殺しに来たのかもしれない、という不安もあったでしょう。

しかし、ペトロは、コルネリアスが聖霊によって幻を見せられて自分を招いているということを知って、はるか北のカイサリアまで出向いて行きました。ペトロは自分が行きたい場所ではなく、行くべき場所へと向かったのです。 Continue reading

6月8日ペンテコステ礼拝説教

 使徒言行録9:1~9

今日はペンテコステです。祈る群れの上に聖霊が注がれ、そこからイエス・キリストの出来事を証言する群れが起こされ、キリスト教会となりました。ペンテコステはギリシャ語で50という数字を表す言葉です。過越祭から数えて50日、つまり、イエス・キリストの十字架から50日目に、聖霊が下るという出来事が起こりました。

ペンテコステは「言葉の出来事」と呼んでもいい事件ではないでしょうか。十字架で殺され、墓に埋葬されたはずの主イエスが復活され、ご自分の弟子達をはじめ多くの人たちに復活のお姿を現わされました。

死人の復活など、誰も信じることができなかったことです。主イエスの墓が空になったということを伝え聞いた弟子達でさえ、「あの方は復活された」という証言を信じることはできませんでした。弟子のトマスは「私は先生の手と脇腹に自分の手を入れて確かめないと信じない」と言ったほどです。しかし、信じることができない人たちも、実際に復活なさったイエス・キリストに出会うことで、信じざるを得なくなりました。

なぜ死人の復活などということを、キリスト教会の人たちは真剣に、自分の人生や命をかけて伝え残してきたのでしょうか。「死人が復活した」などということを、なぜそんなにも多くの人が、時代を超えて信じることができたのでしょうか。そしてその信仰を貫き、命をかけてまで伝えてきたのでしょうか。

キリスト者は、厳密にいえば、「信じた」のではなく、「信じさせられた」「信じざるを得なかった」のではないでしょうか。死者の復活などありえない、しかし、実際にイエス・キリストが自分の目の前に立っていらっしゃる。信じられないようなことが自分の身に起こった、だから「信じざるを得なかった」のです。

私たちの信仰も、実はそのようなものなのではないでしょうか。何の疑いもなくキリストの復活を信じ、なんの疑問もつまずきもなくキリストに身を委ねることができる人は少ないでしょう。

キリストの復活は本当だろうか。本当にあの方は神の子だったのか、メシアだったのか。そう思いながら、それでも、キリストの救いを否定しきれない、信じざるを得ない導きが確かに自分に及んでいる、というのが、弱い私たちの姿勢なのではないでしょうか。

キリスト者の群れ、教会は実は弱いのです。本当は自分たちの力では何もできないのです。使徒言行録を読むと、ペトロやパウロといった使徒たちが活躍する様子が描かれているので、「こんなにも強い伝道者たちがいたのか」と思わされます。

しかし、よく読むと、彼らは、皆、聖霊に導かれて、自分の思いを超えたところへと連れていかれ、自分が思ってもいなかった働きをするよう用いられていることが分かります。

キリストの復活の後、祈る群れがありました。復活のキリストに会い「時を待て」と言われたキリストの弟子達をはじめとする人たちです。その中には主イエスの母マリアもいました。ペンテコステの日には、120人が祈っていた、と書かれています。その祈りの群れに、聖霊が注がれたのです。

「時を待て」と言われた人たちは、「あなたがたは地の果てに至るまで私の証人となる」と言われていました。しかし、時が来たらイエス・キリストを地の果てまで、世界中に伝える証言者となる、と言われても、どうしていいのかわかりませんでした。だから彼らは祈ったのです。祈って待ったのです。

どうしていいかわからない中、人々にできたことは、ただ「祈ってその時を待つ」ということでした。教会というのは、「祈るしかない」「祈って待つしかない」群れであると言ってもいいかもしれません。「祈って時を待つしかない」、実はそれが教会の信仰なのです。

祈っていた群れに、ついにその時が来ました。120人の上に聖霊が注がれ、突然その人たちが、様々な言語で話し始めたのです。何を話し始めたのでしょうか。「神の業」を話し始めたということが使徒言行録には書かれています。「神の業」それはつまりイエス・キリストを通して現わされた神の救いの御業のことです。人々はキリストの十字架と復活の目撃談を語り始めたのです。

そこには諸国からの巡礼者たちがいました。エルサレムに巡礼に来ていた人たちは、自分の国の言葉でナザレのイエスという人に起こった不思議な神の御業が語られていることに驚きました。

祈る群れに聖霊が注がれ、イエス・キリストという救いの言葉を語り始めた、という不思議な出来事が起こったのです。言い方を変えると、イエス・キリストという言葉の中に人々が一つとされていく時がついに来たのです。ペンテコステはまさに、「言葉の出来事」でした。世界が、一つの言葉の中へと招かれ、一つとされていく時の到来だったのです。

聖書の中には、他にも、「言葉の出来事」と呼べる話があります。旧約聖書のバベルの塔です。これはペンテコステとは反対の「言葉の出来事」でした。創世記の初めには、神がおつくりになった秩序が人間の背きによって壊れていく様子が描かれています。天地創造の秩序の崩壊、人間の罪による混乱の物語が、創世記1章から11章まで続きます。その混乱の頂点ともいえるのが、「バベルの塔」として知られている物語です。

聖書にはこう書かれています。「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。」その人たちが、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と相談して、大きな塔を作ろうとしました。

「シンアルの地」というのは、バビロンのことです。バビロンは昔強大な帝国を築き、ジグラットと呼ばれる大きなピラミッドを建築しました。この物語の背景には、そのようなバビロンの巨大な建造物があるのでしょう。そして、世界を自分の支配下に置こうとしたバビロン帝国の末路も、この物語の背景にあるのでしょう。

神は建築に携わっていた人たちの言葉を混乱させ、言葉が聞き分けられないようにされました。こうしてバベルの塔は完成することはありませんでした。それだけでなく、人々をそこから全地に散らされた、とあります。神が、混乱を人々にお与えになったのです。そうやって、「天に近づこう」「神に近づこう」とする人間の計画を砕かれました。

バベルの塔の物語は、ペンテコステの出来事と真逆のことが描かれています。上から聖霊が注がれ一つの言葉の中へと人々が招かれたというペンテコステとは反対に、人が地上から、下から積み上げていったものを、神は上・天から壊し、ばらばらにされたのです。「人間が一つの言葉の中に平和に生きることができなくなった」という悲劇の現実が描かれているのです。

それは、私たちが生きているこの現実です。このバベルの塔の出来事は、決して過去のことではないのです。今もこの地上にいくらでも作られているし、私たちの心の内にもバベルの塔は簡単に建造されている、ということは、誰も否定できないでしょう。

人間の「天を目指そう、神のようになろう」という思いはいつから始まったのでしょうか。創世記の初め、天地創造の初めからです。神から与えられた楽園で生きていた人間は、楽園以上のものを求めました。

最初の人間が蛇の誘惑に負けます。蛇はエバに言いました。「その実を食べると、あなたは神のようになれるのだ。」その言葉を聞いたエバが木の実を見ると、おいしそうに見えた、とあります。アダムも、エバに勧められてその実を食べました。

人は、美味しそうなものには手が伸びるのです。最も心惹かれるのは、「あなたは神のようになれるのだ」、という囁きです。あの時以来、人は神のようにふるまいたい、天にまで届きたいという思いを内に秘めたまま生きてきたのです。

ダニエル書に、バビロンの王ネブカドネツァルが王宮の屋上の散歩をしていた時の言葉が記されています。「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、この私が都として建て、私の権力の偉大さ、私の威光の尊さを示すものだ」

自画自賛の言葉、神のように振る舞うネブカドネツァルの言葉です。その言葉に対して、神の言葉が与えられます。「ネブカドネツァル王よ、お前に告げる。王国はお前を離れた。・・・お前は、いと高き神こそが人間の王国を支配する者で、神はみ旨のままにそれを誰にでも与えるのだということを悟るであろう」

このような神とのやりとりを、誰もがしているのではないでしょうか。本当はネブカドネツァルと同じことを自分も言ってみたい、と思うのです。すべてが、自分の思うようになれば、どんなに楽で、楽しいでしょうか。

しかし、その言葉を求める人は必ず、神からの追放の言葉が下ります。そして、神から離れた場所へと追いやられ、また立ち返りの道を模索し始めることになるのです。人の歴史はこの連続でした。

今日私たちはペンテコステを迎えました。あのバベルの塔の悲劇を踏まえて、ペンテコステの出来事を読むと、まさに、「救いの時が来た」ということが分かるのではないでしょうか。神から離れていた世の人々を、イエス・キリストという一つの言葉の中へと招く聖霊が祈りの群れに注がれたのです。

聖霊が注がれた弟子達はどういう人たちだったでしょうか。「聖霊を受けるにふさわしい人たちだ」と誰もが思えるような群れだったでしょうか。そうではないでしょう。

キリストが十字架に上げられた時に、弟子達は皆逃げ去っていました。ペトロは三度「ナザレのイエスなど知らない」と言ったほどです。これはペトロだけではなく、他の弟子達もそれぞれが逃げた先で同じような言い逃れをしたでしょう。

しかしそのような弟子達を、復活のキリストは再び招かれ、「時に備えよ」と言われました。彼らにもう一度神と共に生きる道を示されたのです。彼らは祈り続けました。祈って時を待ったのです。

そして、ペンテコステの日、聖霊が彼らに下さり、世界中の言葉で、世界中の人たちにどこで一つになれるか、ということを語り始めたのです。神にふさわしくないと思われる人にこそ、神の招きの言葉は伝えられていったのです。

今日私たちは教会の迫害者サウロにキリストが呼びかけられる場面を読みました。キリストの招きは、弟子達だけでなく、教会の迫害者にまで及びました。サウロは熱意をもってキリスト者を迫害していた人です。自分は神のために正しいことをしているのだ、と自信を持っていました。

しかし、復活のキリストは呼びかけられるのです。「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」。このことがあってサウロはパウロと呼ばれるようになり、キリストの霊、聖霊に導きにその生涯をささげることになります。

キリストに出会い、パウロは性格が変わったのでしょうか。違います。パウロはキリストを知って、世界の見え方が変わったのです。聖書の言葉の意味が今までと変わったのです。これまで自分が積み上げてきたものは、しょせん、自分という小さな人間が積み上げてきたものにしか過ぎない。しかし、パウロはイエス・キリストという神の子メシアの導きによって、神の御業のために働く喜びを知りました。パウロは、それまで自分が築き上げてきた人間としての誇りなど、キリストに比べれば塵芥でしかない、と手紙の中で書いているほどです。

私たちも同じでしょう。聖書を読んで、キリストを知って、自分の中身が突然聖くなった、聖人のようになったということはないでしょう。むしろ、キリストに相応しくない自分に、なぜかキリストが出会ってくださった。そしてなぜか自分のような者を用いてくださっている、という不思議の方が大きいでしょう。

私たちはこのペンテコステの日、考えたいと思います。「自分の手は何を積み上げているか。この世界をどう見ているか。人間の欲に基づく計画に自分をささげるのか、神のご計画の中で生かされるのか。」 Continue reading

6月3日の礼拝説教

 ヨハネ福音書13:12~20

イエス・キリストと弟子達の最後の時間を読んでいます。それは「過越祭の前」のこと、つまりキリストの十字架の前の晩のことでした。キリストは弟子達のために上着を脱ぎ、手拭いをとって腰にまとわれ、たらいに水を汲んで、弟子達の足を洗われました。

ヨハネ福音書に記録されているこの夜の様子は、他のマタイ、マルコ、ルカの三つの福音書とはずいぶん違っています。私たちがよく知っているのは、最後の晩餐の席で、イエス・キリストがパンと葡萄酒をとって、「これは私の体である、これは私の血である」弟子達におっしゃって手渡された、現在の聖餐式の原型となった食卓の光景です。

しかしヨハネ福音書は、そのことよりも、キリストが弟子達の足を洗われたということに焦点を当てて、キリストが最後の夜に弟子達にこのように僕として仕える姿勢を示されたことを描いているのです。

ヨハネ福音書では、6章全体を通してイエス・キリストが、ご自分が天からのパンであり、命の水であることを示された出来事が書かれています。「私の肉を食べ、私の血を飲むものは、いつも私の内におり、私もまたいつもその人の内にいる」と群衆に語りかけていらっしゃいます。4つの福音書の内ヨハネ福音書だけ、キリストがご自分の体と血を人々に差し出される様子の描き方が全く違っているのです。

なぜこのような描き方をしているのでしょうか。少し、福音書の成り立ちについて解説を加えておきたいと思います。ヨハネ福音書は、他の三つの福音書よりも、10~20年、後に書かれたと考えられています。

つまり、ヨハネ福音書を最初に読んでいたのは、イエス・キリストが最後の晩餐の席でパンと葡萄酒をご自分の体と血として弟子達にお与えになり、ご自分の救いの御業を思い出すように、とお命じになっていたことをすでに知っていた人たちでした。

他の福音書ですでに知っていた人たちのために、さらにヨハネ福音書は書かれた、と言っていいでしょう。だから、マタイ、マルコ、ルカの福音書と重複する内容はとても少なくて、ヨハネ福音書独自の内容が描かれているのです。

ヨハネ福音書は、他の福音書とは異なる文体、異なる視点、異なる強調点で書かれています。他の三つの福音書とは違い、ヨハネ福音書は、ご自分が逮捕される最後の夜、弟子達の足を洗い、最後の晩餐を共にし、弟子達に最後の教えを残し、弟子達のためこの世のためにとりなしの祈りを捧げるイエス・キリストのお姿を非常に多くの文字を費やして描いています。最後に弟子達と過ごされる最後の時間の様子は、13章から17章にかけて長々と書かれているのです。

主イエスの最後の夜のヨハネ福音書の強調点はどこにあるのでしょうか。他の三つの福音書は、弟子達にパンと葡萄酒を配って、ご自分の体と血の象徴として思い出すようお命じになったことを描いています。

ヨハネ福音書は、弟子達に、最後の瞬間までこの世に徹底的に仕える、僕としてのイエス・キリストのお姿を我々に描き出そうとしています。私たちは、キリストに従う者としてどのような姿勢で生きていけばいいのか、ということを示されるのです。

ご自分の十字架を前にして、キリストは弟子達の足を洗われました。驚く弟子達に、質問されます。「私があなたがたにしたことがわかるか」

これまでキリストは多くのしるしを行い、人々を驚かせて来られました。皆、そのしるしの意味を知りたがりました。キリストはご自分が行われた御業の意味を細かく説明はなさいませんでした。しかしここでは、キリストは弟子達の足を洗ったことの意味を問うていらっしゃいます。

「私があなたがたにしたことが分かるか」

キリストがこの晩弟子達になさったことは、まさに「しるし」なのです。神の御業の奇跡なのです。それは神が人の足元にひざまずき、自らの手で洗われたという信じがたい奇跡でした。単に、弟子達との最後の時だから何か心に残るようなことをして感動させようとしたというのではありません。

主イエスは弟子達の足を洗われたことを、しるしとして、弟子達がどう理解したか、そしてどう理解すべきなのか、ということをここで説明されます。                

主イエスが否定されるのは、弟子達が互いの上に立とうとすることでした。ご自分の十字架の後、弟子達が愚かな権力争いを始めることほどくだらないことはありません。しかし実際、人間はそのようなことに終始するのです。

他の福音書でも、弟子達が「我々の中で一番偉いのは誰か」という議論をしたということが書かれています。キリストの弟子達がそうなのですから、私たちだってこのような思いを抱かないということはないでしょう。

主イエスはおっしゃいます。「主であり、師である私があなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗いあわなければならない。」

弟子達が「キリストの弟子」なのであれば、彼らはキリストがなさったことに倣い、キリストが生きたように、生きることになります。先生が弟子の足を洗うということは、先生が弟子の僕となって仕えた、ということでした。上に立って満足を覚えることではありません。それがキリストの模範でした。

私たちは、イエス・キリストを文字通り「キリスト・救い主」として、生きています。そうであるなら、我々が主イエスを超えるとか、他のキリスト者よりも一段高い位置に居座るとかいうことはあり得ないのです。

7:48に、ファリサイ派の人たちが、「律法を知らないこの群衆は、呪われている」と言ったことが書かれています。主イエスの教えに耳を傾ける群衆のことをそう言ったのです。ファリサイ派の人たちは、群衆よりも、主イエスよりも、自分たちの方が偉いと考えました。律法のことは自分たちの方がよく知っている、と。

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5月25日の礼拝説教

 ヨハネ福音書13:1~11

我々が今日読んだところから、ヨハネ福音書の第二部に入ることになります。ヨハネ福音書の前半部分、ここまで私たちが読んできた第一部はイエス・キリストの福音宣教の様子を描いてきました。13章からの後半部分、第二部はご自分の受難へと進んでいかれるイエス・キリストのお姿が描かれていくことになります。

ヨハネ福音書の前半と後半を比べてみると、描かれている時間の密度が全く違うことに気づかされます。第一部では約3年に渡るキリストの福音宣教が描いてきましたが、第二部では刻一刻と迫りくるご自分の受難に向き合われる主イエスの24時間を詳細に描くのです。

キリストが何をおっしゃっているのか、またどこに行こうとされているのか・・・戸惑う弟子達と、ご自分の十字架の死を見据えて弟子達に言葉を残されるキリストのお姿を、私たちもこの夜の弟子達の輪の中に入って、見つめたいと思います。

「さて、過越祭の前のことである」、という言葉から13章は始まります。主イエスの金曜日の朝に十字架に上げられますので、私たちが今日読んだ場面は、木曜日の夜であったということになります。

この夜、主イエスは弟子達の足を洗い、ご自分を裏切る者がいることをお伝えになります。そしてイスカリオテのユダが外に出て行った後、弟子達に最後の言葉を伝え、祈りを捧げ、自らを十字架につける人たちに委ねていかれます。

これまでの福音宣教で積み上げてきたものが、わずか数時間で全て崩れてしまうのです。少なくとも、弟子達にはそう見えたでしょう。主イエスに地上的な期待を抱いた人々も、主イエスの十字架を見て失望したでしょう。

しかし、イエス・キリストは人間の期待に応えるためではなく、神の救いの御業を完成させるために世に来られました。これからお受けになる痛みが、受難こそが、真のメシアのお姿だと言っていいのです。主イエスは最後の24時間で、弟子達にそのことをお伝えになります。

「イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟った」と書かれています。主イエスが迎えられたご自分の「時」と、弟子達が、また人々が主イエスに期待した「時」は全く違うものでした。

人々は主イエスをエルサレムに熱狂的に迎え入れ、イスラエルを強い国として造り上げたダビデ、また外国の侵略からエルサレムを守り解放したユダ・マカバイの再来として期待しました。ナザレのイエスの到来によって「自分たちがイスラエルをローマの支配から取り戻す時」が来たのでは、という期待です。

しかし、主イエスはこれまで「羊のために命を投げ出す良い羊飼い」として世に来られたことを話されてきました。この前日、主イエスはベタニア村でマリアから香油を注がれ、葬りの準備がされていました。

主イエスのエルサレム入場の際のお姿は、滑稽なものでした。小さなロバに乗って入って来られたのです。人々の期待に沿う威風堂々とした革命の指導者ではなく、はるか昔ゼカリアが預言した、「ロバに乗ってやってくる低く謙遜なメシア」でした。

ついに十字架の時・救いの時が目前に来たことを悟られた主イエスは、「世にいる弟子達を愛して、この上なく愛し抜かれた」と書かれています。3年もの間、寝食を共にし、教え、語り、福音宣教の使命を担ってきた弟子達と別れる時が来ました。あと数時間のうちに弟子達は皆主イエスを見捨てて闇の中へと皆逃げ去ってしまいます。明日の朝には十字架に上げられ、ご自分は死ぬのです。主イエスにとって「時が来た」とはそういうことを意味していました。そして、弟子達への愛が溢れて止まらなくなったのです。

「良い羊飼いは自分の羊を知っており、囲いから自分の羊を呼び出す」、と主イエスはおっしゃいました。そして「羊は自分の羊飼いの声を知っている」ともおっしゃってきました。主イエスが「良い羊飼い」であるなら、その声を聞き分ける羊は一体どこにいるのでしょうか。

それは弟子達でした。

私たちは、今、弟子達と一緒にイエス・キリストと夕食の席に座っています。そして弟子達と一緒に、キリストの言葉を聞き、この方の姿を見つめようとしています。ここにこそ、キリストの弟子として、信仰者として見つめなければならないキリストのお姿があるということ踏まえたいと思います。

「私に従おうとするものは、自分の十字架を背負って私に従いなさい」とキリストは弟子達にお教えになりました。キリストに従うということは、キリストが歩まれた道を自分も歩む、ということです。

「自分の十字架を背負いなさい」とはどういうことなのでしょうか。文字通り十字架にかけられて死になさい、ということではないでしょう。キリストがそうなさったように、自分の身を横たえて自分を踏み石にして神のもとへと誰かを行かせるような生き方のことでしょう。

弟子達はこの夜、それを学ばされることになります。彼らはこの後、主イエスを見捨てて逃げてしまうことになります。しかし主イエスの十字架と復活の後、再び復活の主に招かれ、立ち返った時、弟子達はこの夜キリストが自分たちに話してくださったこと、してくださったことの意味を悟り、自分の十字架を背負って生きることを始めることになるのです。

「世にいる弟子達を愛して、この上なく愛し抜かれた」主イエスは何をなさったでしょうか。弟子達の足を洗い、手拭いで拭き始められたのです。当時は皆サンダルを履いていて、舗装されていない道を歩いていたので、当然足は汚れていました。

誰かの家を訪問した際には、足を洗うための水が用意されて、もしその家に僕がいたら、その僕が客人の足を洗いました。足を洗うというのは、僕の仕事でした。更にユダヤではそれは成人男性の僕ではなく、女性、子供、また異邦人の僕の役割とされていました。特別な例外があるとすれば、師弟関係において、弟子が自分の先生の足を洗い、尊敬を示す、または、妻が夫の足を洗って愛情を示す、というようなことでした。

しかし、ここでキリストがなさったことはそれらのどれにも当てはまりません。師である主イエスが、弟子たちの足を、僕のように洗われたのです。

主イエスは「食事の席から立ちあがって上着を」脱いだ、と書かれています。象徴的な動作です。良い羊飼いが自分の命をそこに横たえるかのように、キリストは衣服脱いで置かれました。そして弟子達の足元にひざまずいて僕の役割を担われたのです。

当然弟子達は驚きました。主イエスはまずペトロのところに行かれました。ペトロは恐縮します。「主よ、あなたが私の足を洗ってくださるのですか」と言いました。元の聖書の言葉を見ると、「主よ、あなたは、私の、洗うのですか、足を」と、ペトロは驚きのあまりしどろもどろになっていることが分かります。

ペトロは、弟子として自分が先生の足を洗わないだけでなく、逆に先生が弟子である自分の足を洗おうとしている、ということで驚きました。それは、むしろ恐れだったでしょう。

このペトロの恐れこそ、私たちの信仰の本質ではないでしょうか。キリストが高いところから「ああしろ、こうしろ」とおっしゃるのであれば、わかるのです。しかし、神の子イエス・キリストが、弟子達の前に、そして私たちの前にひざまずき、汚れている足を洗ってくださるのです。

私たちはキリストに仕える、という言い方をよくしますが、聖書が伝えているのは、キリストがまず私たちに仕えてくださった、ということなのです。

そこには、恐れが生じると思います。私たちが仕えるべき方が、神が、それまず私たちに仕えてくださっていた、僕となり、命を投げ出して助けてくださっていたというのです。

私たちの信仰には、必ず恐れがあります。それは、ペトロがここで抱いた恐れです。キリストがまず私に仕えてくださった、そのことに気づいた時に私たちを圧倒する恐れこそ、私たちの信仰の本質ではないでしょうか。

ペトロは混乱しました。恐れおののいて、「私の足など、決して洗わないでください」と言いました。これが普通の反応でしょう。しかし主イエスはそれに対して「もし私があなたを洗わないなら、あなたは私と何のかかわりもないことになる」とおっしゃいました。

主イエスは「私のしていることは、今、あなたにはわかるまいが、後で、分かるようになる」とおっしゃいました。その通り、この時ペトロは主イエスがしていることの意味が分かりませんでした。

ペトロは、「それならば、足だけでなく、手も、頭も洗ってください」と言いました。滑稽なペトロです。それまで遠慮していたのに、その言葉を聞いて、ペトロは主イエスが自分の体のいろんなところを洗ってくださればくださるほど、主イエスとの関係が強くなるということだ、と無邪気に考えたようです。

ヨハネ福音書は、神の民イスラエルが、イエスの本当の姿を見ることができなかったということを我々読者に伝えています。その無理解の中には、キリストの弟子達も含まれています。

キリストが復活なさった後、キリストの使徒たちは言いました。「イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」。それを聞いた人たちは、おおいに心を打たれて、「私たちはどうしたらよいのですか」と言ってきました。弟子達がそうであったように、人々も、自分の無理解に気づいていくのです。

私たちもキリストが共にいてくださった時、キリストが自分に仕えてくださっていた時はそのことに気づかず、後で振り返ってそのことを知ることが多いのではないでしょうか。そしてそれに気づいた時、私たちは恐れるのです。「自分はどうしたらよいのか」と。それが、自分の罪の気づきとなり、神の許しの大きさの感謝となり、その恵みを伝える思いとなっていくのではないでしょうか。

神の御業は、その御心は、私たちの肉の目には徹底的に隠されています。しかし見えなくても、ご自分の十字架へと歩んでくださったキリストのことを思い、そしてキリストを十字架に上げたのはこの私だと知る中で、神は私と共にいてくださっているということを確信して歩むことができるようになるのではないでしょうか。

忘れてならないことは、主イエスはこの夜、イスカリオテのユダの足元にも跪き、ユダの足も洗われた、ということです。主はユダがこれから何をしようとしているのかをご存じでした。それでも、最後までユダに僕としてお仕えになったのです。キリストに足を洗われない人などいません。神は今でも、「あなたはどこにいるのか」と世のすべての人を捜し求めてくださっているのです。

キリストの十字架と復活の後、弟子達はこの夜のことを何度思い出したでしょうか。キリストがどんな思いで、自分たちの足を洗ってくださったのか。自分たちがどれだけキリストの思いを受け止めることができていたか・・・この夜を思い出すたびに、彼らは自分たちの罪を知り、キリストの許しの恵みを知り、キリストを伝えねばならないという使命感を深めていったことでしょう。ユダの足までも洗われたキリストを。

主イエスは遠慮するペトロに「このことはあなたにとって必要なのだ」とおっしゃいました。すべてのことは必要なのです。ペトロだけでなく、誰にとっても、キリストがあの時自分にどう仕えてくださっていたのかということに気づくのは、ずっと後になってからのことでしょう。そのことに気づくために、私たちには生きる中でいろんなものを見せられるのです。ある時は、苦しみの中で、ある時は喜びの中で「キリストはまことに私のために仕えてくださっていた」と振り返るのではないでしょうか。

キリストが弟子達の足を洗われるお姿に、我々は洗礼の恵みを象徴的に見ることができます。洗礼による洗いによって私たちは清くされ、イエス・キリストと関りを持つ者とされました。

この地上を歩んで生きる我々の足は罪による汚れがあります。嫌でも思い出してしまう自分の醜さがあります。神を、キリストを知らなかった時、自分がどんな人間だったか、いや、今でも、自分の醜さに向き合わされることがあります。

主イエスは弟子達の足を一度だけ、洗われました。私たちも洗礼は一度です。何度も洗っていただかなくてもいいのか、と思ったりすることもあるのではないでしょうか。しかし、一度でいいのです。弟子達に、思い出すべきこの夜があったように、私たちにも、何度も思い出すキリストが自分を担ってくださったその時というものがあるでしょう。後に弟子達がこの夜の出来事を思い出したように、私たちにも自分の信仰の原点となるような、思い出し何度も立ち返る時があるはずです。

「世にいる弟子達を愛して、この上なく愛し抜かれた」キリストに、私たちは聖書を通して何度も出会うのです。

4月27日の礼拝説教

 ヨハネ福音書12:27~36

イエス・キリストは、「私はよい羊飼いである」とおっしゃり、続けて、「私にはまだ囲いに入っていない羊がいる、そしてその羊たちのために私は命を捨てる」とおっしゃいました。

羊は、囲いの中で羊飼いに守られていることで、平和と自由を楽しむことができます。しかし、羊飼いから離れ、囲いの外にこそ自分の自由があるのではないかという誘惑に負け、いるべき場所から離れてしまい、道に迷い、なすすべを知らず途方に暮れる羊もいます。主イエスは、そのような羊を命懸けで迎えに行く羊飼いにご自分を例えられました。

イスラエルは長い間、自分たちを神の恵みの支配のもとへと連れ戻してくださる方を待ち続けてきました。自分たちが、羊飼いから離れ、囲いを出てしまった羊の群れであることを知っていたのです。何百年も外国の支配の中で生きてこなければならなかったイスラエルは、自分たちを救い出してくれる存在を待ち続けてきました。

これまでの歴史の中で、預言者たちが、イスラエルの牧者の到来を告げてきました。人々は、聖書に記録されている預言者たちの言葉を信じ、希望を持ち続けてきました。イスラエルの人々は、自分たちを外国の支配から救い出し、神の恵みの支配へと連れ戻してくださる方、メシアを待っていたのです。

人々は、メシアがいつの日か来て、羊飼いが羊を導くように自分たちを神の支配へと導いてくれる、と信じてきました。そして自分たちの目の前に、人々の病を癒し、聖書の教えを伝え、ついに死人を墓の中からよみがえらせたナザレのイエスという人が現れました。

群衆は「この方こそメシアではないか、救いの時が来たのではないか」、という期待を抱きました。

主イエスはこれまで、何度も「私の時は来ていない」とおっしゃってきました。しかし、ご自分のもとにギリシャ人たちがやってきた時、ついに、「人の子が栄光を受ける時が来た」と宣言されました。

ユダヤ人ではないこのギリシャ人たち、異邦人がご自分を求めてやってきたのをご覧になって、主イエスは「囲いに入っていない羊たち」がご自分を羊飼いとして求める時が来たことを悟られたのです。

「囲いに入っていない羊たち」であるギリシャ人たちがご自分のもとに来た今、そして神の招きの福音が全世界に広がる時が来たことを悟り、「人の子が栄光を受ける時が来た」とおっしゃいました。

主イエスは「今、私は心騒ぐ」とおっしゃいます。「栄光を受ける時」とは、ご自分が「羊のために命を捨てる時」、「十字架の死によって栄光を受ける時」のことだったからです。

ご自分の死の時が目の前に来たことを悟られました。心が乱れ、胸が張り裂けそうな思いで、ご自分の死へとまっすぐに歩んでいかれることになります。神の子であれば、十字架の死など怖くなかったのではないか、と思う人もいるでしょう。

しかし、我々と全く同じ人間としてお生まれになった神の子は、我々と同じように、恐怖を感じられるのです。

私たちは誰でも、自分の死を考える時、心騒ぐでしょう。いつか自分は死ぬのだろうという漠然として思いを持っていても、あなたの命はあとこれだけだと言われて、心騒がない人はいないでしょう。

ただ知識として「いつか人は死ぬ」ということを知っていることと、事実として間近に自分の死を感じることは全く違います。

キリストは我々と同じ一人の人間として、死に対して恐怖を覚えていらっしゃいます。私たちが死に向き合う時に心騒ぐように、キリストも心の内に痛みと恐怖を感じていらっしゃいます。

ヨハネ福音書の特徴の一つに、イエス・キリストのセツセマネの祈りが描かれていない、ということが挙げられます。

マタイ、マルコ、ルカによる三つの福音書には、イエス・キリストがご自分の死の時を前にして、オリーブ山にあるゲツセマネという場所で、もだえ苦しみながら神に祈られたお姿が描かれています。

弟子達も祈られる主イエスの傍にいました。しかし、主イエスの激しい苦しみの祈りの傍らで、弟子達は眠ってしまいました。起きていられなかったのです。「心は燃えていても、肉体は弱い」と主イエスから言われてしまいます。

十字架というご自分に与えられた使命のために祈るキリストと、心は燃えていても肉体は弱い弟子達との姿が対照的な場面です。

ヨハネ福音書はそのような、壮絶な主イエスのセツセマネの祈りのお姿を描いていません。しかし、よく読んでいくと、ゲツセマネの祈りと同じ言葉を、祈られています。

28節「『父よ、私をこの時から救ってください』と言おうか。しかし、私はまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現わしてください。」

これがキリストの祈りだった。

主イエスの本心は、「父よ、この時から救ってください」「できれば十字架を取り去ってください」というものでした。誰だって、好き好んで十字架に上がる人などいないのです。

キリストはどのような思いで祈られたでしょうか。

詩編42編に、魂の痛みの中から神に向かって祈る詩人の詩が記されている。

「枯れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、私の魂はあなたを求める。神に、命の神に、私の魂は渇く」という言葉で始まっています。

祈りながら、詩人は自分自身に言い聞かせます。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め、わたしはなお、告白しよう。『御顔こそ、わたしの救い』と。私の神よ」

イエス・キリストは、十字架を前にして、詩編42編の祈りの詩人のような思いで祈りの言葉を紡がれたでしょう。

そしてヨハネ福音書は、このキリストの祈りに対する天からの神の声を記録しています。

「私はすでに栄光を現わした。再び栄光を現わそう」

そしてその神の声は群衆にも聞こえたのです。神の声が人々にも聞こえた、ということは驚きです。旧約聖書では預言者にしか聞こえなかった神の声が、キリストの祈りを通して人々にも聞かせられたのです。

人々は天から響いた声に混乱しました。「雷が鳴った」という人もいれば、「天使がこの人に話しかけたのだ」という人もいた、と書かれています。

主イエスは「この声が聞こえたのは、私のためではなく、あなた方のためだ」とおっしゃいました。周りにいた群衆は、確かに神の声を聞きました。神は確かに、キリストを通してご自分を示されています。

そして今、聖書の言葉を通して、神は我々に御声を聞かせてくださっています。私たちは、この時イエス・キリストのそばにいた群衆の中の1人なのです。

今、私たちは問われているのです。イエス・キリストの祈りの言葉と、天から響いた神の声を、実際にそばでどのように聞いているでしょうか。自分のためにとりなしてくださる祈りとして、そしてこの方に真の神の栄光があることを示される天の声として、聴くことができているでしょうか。

出エジプトをした際、イスラエルの人たちはシナイ山の上に雷鳴のように鳴り響いた神の声を聞きました。「私はシナイ山に下る」とおっしゃり、神は民と出会おうとなさいました。

しかし、「宿営にいた民は皆、震えた」と書かれています。「私のもとに来なさい」とおっしゃる神の声を聞いてもそこから動けませんでした。怖かったのです。民は恐れのあまり動けなかったのです。

そして、「モーセが民を神に会わせるために宿営から連れ出したので、彼らは山のふもとに立った」と書かれています。 Continue reading

4月13日の礼拝説教

 ヨハネ福音書12:9~19

先週、私たちは、主イエスがラザロの家族とご自分の弟子達と一緒にベタニア村で食事をなさった場面を読みました。それは過越祭の六日前のこと、つまり、イエス・キリストの受難のちょうど一週間前、という時でした。その食事のちょうど一週間後、キリストは逮捕され、無理やり有罪とされ、夜通し苦痛を与えられることとなります。

その食事の席にいた人たちは、ラザロが墓の中から起こされたという喜びを分かち合っていたでしょう。起こされたラザロの家族はもちろん、キリストの弟子達も、自分たちの先生が死者の復活という大きな奇跡を起こしたことを喜んでいたでしょう。

しかしその喜びの食卓の中、主イエスだけは、他の人たちとは違う心持でいらっしゃいました。一週間後には、逮捕と、苦痛と、十字架の死がご自分を待っていることをご存じでした。

死から復活したラザロを喜ぶ人たちと、ご自分の死に向かっていかれるイエス・キリストとの間には大きな気持ちのずれがあったのです。

その喜びの宴の中で、ラザロの姉妹マリアが、主イエスの足に香油を注ぎ、自分の髪の毛で拭いました。それを見た他の人達は、高価な香油を無駄遣いするマリアに驚きましたが、主イエスだけはマリアがご自分のホームの準備をしてくれたことを喜びました。

今日私たちが読んだのは、その喜びの宴の翌日のことです。主イエスはエルサレムに入場されました。日曜日の朝のことでした。このちょうど一週間後、主イエスはエルサレムのゴルゴタの丘で十字架に上げられ苦しまれることになります。

大喜びして主イエスをエルサレムに迎え入れる群衆の姿と、一週間後にご自分を待つ十字架へと見据えていらっしゃる主イエスのお姿は、対照的です。

ヨハネ福音書では、主イエスが約3年の間、ガリラヤとエルサレムを行き来してこられたことを書いています。祭りのたびに、主イエスはガリラヤからエルサレムにいらっしゃって、しるしを行われました。

エルサレムの人たち、またエルサレムに巡礼に来ていた人たちは、この三年間、ナザレのイエスがエルサレムで祭りのたびに行って来た不思議な癒しの奇跡、そして聖書の教えを説くのを見てきました。

祭司長たちが「ナザレのイエスを見つけたら通報するように」という命令が出されていたにも関わらず、イエスは過越祭のためにエルサレムにやって来たのを見て、人々は喜びました。この人たちは、ラザロを死者の中から蘇らせたことを皆伝え聞いていたのです。それほどの奇跡をおこなう方がエルサレムの過越祭に来られたのです。

過越祭はイスラエルの解放・救いを記念する祭りです。ナザレのイエスには特別な力があることを知って、期待を抱いていた人たちにとって、過越祭にやってきたこのイエスという方はこの時、自分たちの救いの象徴そのものとなったのです。

しかし、ベタニア村での晩餐でそうであったように、人々に見えていた主イエスのお姿と、本当の主イエスのお姿は違っていました。

主イエスは昨晩の食事の席でマリアから香油を注がれました。油を注がれるというのは、王、祭司、預言者が神から選び出されて任命される際の儀式でもあります。普通であれば、頭に油を注がれます。

しかしマリアは主イエスの足に香油を注ぎました。主イエスの前に低くなり、主イエスの体の一番低い部分に注ぎました。それは、王として立つ方の栄光の印ではなく、主イエスご自身がおっしゃったように埋葬の準備でした。

この時のエルサレムで、誰が一週間後の主イエスの十字架を予想できたでしょうか。確かに、主イエスはこの世の王、祭司、預言者として世に遣わされた神の子・メシアでした。しかし威光をまとい、この世の頂点に君臨する地上の王ではありませんでした。

良い羊飼いとしてご自分の命をこの世のために投げ出すために来られた天からの王でした。低く、謙遜なメシアでした。栄光のメシアではなく、受難のメシアでした。

主イエスがエルサレムに入場される日の前の夜、群衆が主イエスの噂を聞きつけてやってきたことが書かれています。ラザロを見るためです。本当にナザレのイエスは死者を墓から起こしたのか、確かめるためでした。死者の復活という、未だ聞いたことのない大きな奇跡が本当かどうか、自分たちの目で確かめる必要がありました。

人々は、ラザロが生きていることを自分の目で見ました。人々は興奮したでしょう。これほどのしるしは見たことがありませんでした。

しかし、一方で、ラザロの復活を快く思わない人たちもいたことも書かれています。祭司長をはじめとする宗教指導者たちでした。人々の心が主イエスに向いていくことに危機を持っていたのです。

指導者たちの中でも、特にサドカイ派の人たちはラザロの復活のことを疑っていたでしょう。ユダヤ教の中でもサドカイ派の人たちは、死者の復活を信じていませんでした。ラザロが生き返ったということはサドカイ派の人たちにとって危険思想でした。

祭司長たちは、ナザレのイエスのせいで過越祭の前に民衆の感情が高ぶることを危惧しました。指導者たちは、自分たちの宗教的支配力がイエスに奪われてしまうことを恐れました。

そして何より、過越祭の中で何か問題が起きて、ローマの兵士たちに鎮圧されるということを恐れました。

1世紀のユダヤ人歴史家のヨセフ巣は過越祭の際には200万人もの人々がエルサレムに巡礼にきていたということを記しています。その人数の多さを考えると、祭司長たちもローマ兵たちも緊張していたということは想像できます。

そして彼らが考えた解決策はラザロを殺す、ということでした。ラザロの存在そのものが、ナザレのイエスを神の子・メシアと信じる人たちを作ってしまうのであれば、殺してしまおうと考えるようになったのです。

皮肉なことに、聖書を一番よく研究していた彼らが、ラザロの復活に神の栄光を見出すことなく、神の御業の生き証人であるラザロを殺そうと企んだのです。

日曜日の朝、主イエスのエルサレム入場という出来事の水面下では様々な人々の思いが交錯していたのです。

主イエスは多くの人々から熱狂的に迎え入れらました。ベタニア村からついてきた人たちと、エルサレムで迎え入れた人たちは、「ホサナ」と主イエスに向かって叫び、ヤシの枝を振りました。

人々は、エルサレムに入って来るナザレのイエスに、ユダヤ人指導者ユダ・マカバイの姿と重ね合わせた。ユダ・マカバイは紀元前2世紀に、外国の軍隊と戦ってエルサレム神殿を取り戻した人です。

ユダ・マカバイが戦いに勝って、エルサレムに入場した時、人々はマカバイをヤシの枝を振って迎え入れました。今、エルサレムの人たちは主イエスのことを新しいユダ・マカバイとして、新しい軍事指導者として迎え入れているのです。

ホサナというのは「主よ、私たちを救ってください」という意味の言葉です。旧約聖書では、やがて来られる主の名において来られるメシアに向かって叫ぶ言葉でした。

このホサナという叫びの中に、群衆の主イエスに対する期待が表れています。それは、ローマ帝国からの解放、外国の支配からの解放でした。

しかし、これはイエス・キリストに対する正しい期待ではありませんでした。主イエスご自身は、「羊のために命を投げ出す良い羊飼い」として来られたのです。

主イエスのエルサレム入場の仕方は不思議です。わざわざ「ろばの子を見つけて、お乗りになった」と書かれています。

軍事的英雄として凱旋したユダ・マカバイの姿とはかけ離れています。新しいイスラエルの王、ユダ・マカバイの再来としてエルサレムに入るというのであればこの姿はちぐはぐです。馬に乗って、剣や槍をもった兵士たちを後ろに従わせて入場する、威風堂々とした王の姿ではありません。逆だ。一人でロバに乗ってエルサレムに入る姿には、微塵も強さを感じません。むしろ弱々しい姿です。

主イエスのすぐ後ろで見ていた弟子達は、なぜ先生がこのようなことをなさるのか、わかりませんでした。もっと人々から尊敬を得るような仕方でエルサレムに入ればいいのに、と思ったのではないでしょうか。

しかし、弟子達はキリストの十字架の後、この時の主イエスの御心を知ることになりました。キリストの十字架の後、弟子達はなぜ主イエスが馬ではなく、ロバに乗られたのかを悟ります。

主イエスがロバに乗ってエルサレムに入場するという滑稽な姿をなぜさらされたのか。それは預言者ゼカリヤの預言の実現でした。旧約聖書のゼカリヤ書に、「ロバに乗った方が来る」、という預言が残されています。メシアは、威光に輝く軍事的な征服者ではなく、平和の王として、謙遜な王として来られる、という預言です。

主イエスがエルサレム入場の際に乗られた小さなロバ、それは平和と謙遜の象徴でした。そしてご自分が謙遜な王であり、羊のために命を投げ出す羊飼いであることをこのような仕方で示されたのです。 Continue reading

4月20日の礼拝説教

ヨハネ福音書12:20~26

イースターを迎えました。この日曜日の朝早く、イエス・キリストは墓の中から復活され、ご自分を見捨てて逃げた弟子達に現れ、神の救いの御業のために働くようもう一度召し出されました。ご自分を十字架で殺したこの世の人々を許し、神の御許へと招くために、ご自分を見捨てた人たちを召し出されたという、この世の価値観では測り知れない、神の招きのご計画でした。

私たちはこの神の招きの不思議に、圧倒されるのではないでしょうか。聖書は、どんなに人間が神に背を向け神から離れてきたか、という罪の歴史を記録しています。そして神が人間の罪の歴史の中でどんなに多くの警告と許しと招きの言葉を、預言者を通して語って来られたかということも書いています。

私たちは特に旧約聖書から、いかに簡単人間が神を忘れ、神以外のものに心を奪われてしまうのか、ということを知ることができます。神の民イスラエルであっても、偶像礼拝や異教の神々になびかず、真の神への信仰を貫いたのはその時代その時代の少数の人たちでした。

その時代の少数の信仰者たちのことを聖書は「残りの者たち」と呼んでいます。文字通り、残り者のように取るに足らない数の人たちが、次の時代へと正しい信仰を残し、不思議とその少数者の信仰は消えることなく守られ、今、ここまで残されてきました。

イエス・キリストが十字架で殺されたことで、キリストへの信仰は途絶えるかと思われました。自分たちが従おうとする先生が死んだのだから、弟子達は、もう自分たちの道は途絶えた、と思いました。しかし、十字架の死から三日目の朝、主イエスの墓が空になっているという知らせを聞いたのです。

あの朝、「ナザレのイエスの墓が空になった」、という知らせがこの世界の歴史を大きく変えることになりました。もしもあの朝、墓が空になったという知らせが弟子達に伝えられなかったとしたら、どうだったでしょうか。今、私たちはどこで何をしていたでしょうか。今頃、何を信じていたでしょうか。自分がやがて迎えることになる肉体の死というものをどう考えていたでしょうか。

復活の希望とか永遠の命とかいう言葉を聞いたとしても、それは非科学的だ、それは夢物語だ、人が描く幻想に過ぎない、と言って、自分の死の向こう側にまで続く信仰の希望を持つことはなかったでしょう。

旧約聖書で書かれているすべてのことが、あの朝のイエス・キリストの復活という出来事に集約されています。そして新約聖書に書かれているすべてのことは、あの朝のキリストの復活がなければ、書き記されることはありませんでした。

今、はるか時代が下って、私たちのような少数の「残りの者たち」と呼ばれるような者たちが変わらずキリストの復活を記念する礼拝を続けているということこそが、聖霊が働いている証拠ではないでしょうか。

ラザロを復活させられた直後のイエス・キリストのお姿を今日は見ていきたいと思います。ラザロを生き返らせたことで、エルサレムの人たちは熱狂的にナザレのイエスへと向かうことになりました。祭司長とファリサイ派の人たちは、このことを危惧しました。過越祭はユダヤ人が自分たちをエジプトから解放してくださったことを記念する祭りであり、ユダヤ人の愛国心が一気に高まる時でした。

自分たちを支配するローマからいつか解放してくれるメシアを待っていた人たちは、ナザレのイエスという人に向かって行きました。死者を生き返らせるなどという大きな奇跡を見たことがなかったからです。

しかし祭司長たちは、そのことでエルサレムの中に混乱が生じ、その結果ローマ人が来て、ユダヤの神殿も国民も滅ぼしてしまうことになるのではないかと恐れました。その不安の中で、大祭司カイアファは「一人の人間が死に、国民全体が滅びないで済む方が、好都合だ」と言いました。イエスを殺して、自分たちの国に波風を立てない方がいい、という考え方です。「この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ」とあります。

さらに、ナザレのイエスがラザロを墓の中から起こしたことで、多くのユダヤ人が主イエスのことを信じるようになったので、祭司長たちは復活の生き証人であるラザロも殺そうと考えるようになりました。

ユダヤ人指導者たちの思いとは逆に、ユダヤの人々はどんどんナザレのイエスの方に向かっていきました。結果的にこのことが主イエスを十字架の死へと向かわせていくことになります。

「一つの国が犠牲になるよりも一人の人間が犠牲になればいい」、という祭司長たちの考えは、常識的な考えと言っていいでしょう。人数だけで物事を測るとそうなるのです。犠牲になるその一人がなんの落ち度もない人であっても、一つの国の滅びと天秤にかけると、その人の命は軽く扱われるだろう。理不尽ではありますが、国を守るということならそのような考えになるでしょう。

しかし聖書が証ししているのはユダヤ人指導者たちの計画ではなく、神の救いのご計画が実現していく、ということなのです。たしかに、主イエスの命は十字架で絶たれることになります。しかしそれは一つの国民をローマから救ったのではなく、全世界の罪びとを救うことになった神の救いのご計画の実現であったことを証言しているのです。

祭司長たちの殺意を持った水面下の企みですら、神は不思議な仕方で救いの計画のために用いられているのです。メシアがご自分の命を投げ出して全世界に、神へと立ち返る道を示されることになるという救いの神秘がここにあります。

この時期、エルサレムには過越祭への巡礼に来ていたギリシャ人がいました。当時、ディアスポラと呼ばれる地中海全域に離散して住んでいたユダヤ人がいました。パレスチナ以外の土地に住んでいたユダヤ人たちはギリシャ語を話していました。

しかし、ここに出てきたギリシャ人というのは、ギリシャ語を話すユダヤ人たちのことではありません。ギリシャ人でありながら、ユダヤ人たちが信じる神に強い関心をもってエルサレムへと巡礼に来ていた人たちです。ユダヤ人たちから見れば完全に「異邦人」です。

使徒言行録には、ギリシャ人たちは何か新しいことを知ろうという強い思いを持って日々を過ごしていたということが書かれています。このギリシャ人たちは、何か新しいことを求め、ユダヤ人たちが信じる神に、聖書に、真理があるのではという期待を持ってエルサレムに来ていた人たちでした。

ギリシャ人たちは、エルサレムの群衆が喜びの叫び声をもって迎え入れたイエスという人を見ました。「あの方は一体何者だろう」、と彼らは「あのイエスという方にお目にかかりたい」と、主イエスの弟子のフィリポに取次を願いました。

主イエスはご自分のもとに連れてこられたギリシャ人をご覧になり、「人の子が栄光を受ける時が来た」とおっしゃいました。これまで、主イエスは「私の時はまだ来ていない」とおっしゃってきました。カナの婚礼でご自分の母マリアに、「私の時はまだ来ていない」とおっしゃり、サマリアの井戸端でサマリア人女性に、「あなたがたが、この山でもエルサレムでもないところで、父を礼拝する時が来る」とおっしゃいました。そうやって、また来ていない、やがて来るであろう「イエス・キリストの時」があることを示してこられました。

しかし今、ギリシャ人たちがご自分のところに来たのをご覧になり、「時が来た」と宣言されました。それはご自分が「栄光を受ける時」のことでした。

「人の子が栄光を受ける時」とは何のことでしょうか。このあと主イエスがおっしゃった言葉を見ればわかります。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

一粒の麦として、多くの実を結ぶために地に落ちて死ぬ時、それが、主イエスに定められた「時」だったのです。主イエスはここまでガリラヤ、ユダヤ、サマリア、エルサレムと宣教を続けてこられました。そして今、ユダヤ世界の外から主イエスを求める人たちが現れました。福音が、神の招きが、ユダヤから全世界へと広がる時が来たのです。

イエス・キリストは死を逃れようと思えば、いつでも逃げることはおできになりました。人間的な栄光の道を選び、群衆に祭り上げられ、地上の栄光を楽しんで生きるという選択肢だってあったのです。しかし、ご自分の地上の栄光ではなく、世界を永遠の命へと導くために一粒の麦として地に落ちる道を選ばれました。その一粒の麦が結ぶ実が、キリストの栄光を表すこととなります。

ロバに乗ってエルサレムに入られた主イエスはご自分を大歓迎した人々に、ご自分の栄光は低い栄光であることを示されました。人間的・地上的・この世的な勝利ではなく、地に落ちる一粒の麦として世に来られたのです。

ご自分の死を通して栄光をお受けになるという神のご計画の不思議がここにあります。ご自分の十字架と復活が、地に落ちた種として神に収穫されることになるのです。

イザヤ書55章

「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なると、主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道は、あなたたちの道を、私の思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種まく人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出る言葉も、空しくは私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」

神は、無駄な種まきをなさることはありません。必ず、私たちの思いを超えたところで、福音の収穫を刈り取られることになります。

主イエスは、ご自分のことを「良い羊飼い」とおっしゃいました。ギリシャ人たちは、自分たちの羊飼いの声を聞き分けました。主イエスは「良い羊飼いは、羊のために命を投げ出す」、ともおっしゃいました。これからこのギリシャ人たちはそのことの目撃者となり、証言者となるのです。

最後に、ギリシャ人たちを主イエスへと取り次いだフィリポとアンデレのことを見たいと思います。

フィリポという名前は、ユダヤ名ではなく、ギリシャ名です。彼はベトサイダ出身でした。ベトサイダはユダヤ文化とギリシャ文化の境目にある村です。ギリシャ人たちは、フィリポに取次を頼みやすかったのでしょう。フィリポはユダヤとギリシャを結ぶ役割を果たすことになります。

更にフィリポは彼らのことをアンデレに話し、二人はギリシャ人たちを主イエスのもとに連れて行きました。アンデレは以前にも、五つのパンと二匹の魚を持つ子供を主イエスのもとに連れてきたことがあります。

このように、フィリポとアンデレは、誰かを主イエスのもとに連れていく、という弟子としての役割を果たしました。そしてこの2人の取次が、主イエスに大きな何かをもたらすこととなりました。

フィリポとアンデレの出身のベトサイダは、エルサレムから見たら国の端っこで、もう半分外国のような村でした。しかし、その村出身の彼らが、異邦世界にとっての福音の入り口となったのです。

フィリポとアンデレは、キリストのもとに誰かを導く人たちの姿です。教会へと被とを招き、キリストに取り次ぐ、私たちの姿です。そしてギリシャ人たちは真理を求めてさまよう人たちの姿です。

キリストを求める人々を受け入れる教会の姿がここで象徴的に描かれているのです。イエス・キリストは10:16で「私には囲いに入っていない羊がいる」とおっしゃっています。まだ囲いに入っていない人たち、つまり、今でも、キリストを求める人、キリストのもとに本当に真理があるかどうかを見定めようとしている人がいます。

イエス・キリストの招きの御業は、私たちを通して続けられているのです。復活の主が共にいてくださるからこそ、私たちはその御業のために、用いられていくのです。

4月6日の礼拝説教

 ヨハネ福音書12:1~8

過越祭が近づいていました。出エジプトの際、神の裁きがイスラエルの民を過ぎ越してエジプトの民を打った、それによってイスラエルはエジプトから脱出したというあの出来事を記念する祭りです。それは救いの祭りであり、神による解放を祝う祭りでした。自分たちに与えられた解放の救いを祝おうと、たくさんのユダヤ人がエルサレムへと巡礼に集まっていました。

私たちは今日、「過越祭六日前」の晩の出来事を読みました。過越祭の六日前ということは、土曜日の日没後の夕方ということです。そして土曜日の夕方ということは、安息日が終わり、過越祭へと向かう新しい聖なる一週間が始まったばかりの時、ということです。

この時からちょうど一週間後、イエス・キリストは逮捕され、受難の時を迎えられることになります。私たちが今日読んだこの「過越祭の六日前」は、主イエスがご自分のゴルゴタの十字架での最期へと向かう歩みの始まりの瞬間を描いた場面なのです。

主イエスはご自分を殺そうとする最高法院の人たちから避難するために、一度はエルサレムから荒れ野に近い地方のエフライムという町に行かれました。エルサレムの人々は、「ナザレのイエスも過越祭に来るだろうか」と噂していました。

これまで主イエスはエルサレムでいろんなしるしを行われてきました。人々はそれを見て知っていました。しかし今、「イエスの居所がわかれば届け出よ」という命令が出ています。もしイエスがエルサレムに来たらどうなるのだろうか、という好奇心と不安をもって、人々は過ごしていたのです。

過越祭の六日前、主イエスはエルサレムの近くの村、ベタニアに来られていました。そこは、主イエスが墓から復活させられたラザロの村です。そしてそのラザロの家で、夕食の時を過ごしていらっしゃったようです。その晩餐の席には、ラザロの姉妹、マルタとマリア、そして弟子達もいました。主イエスのために夕食が用意され、マルタは忙しく給仕していました。

墓の中から起こされたラザロは、起こしていただいた主イエスとどのような会話をしていたのでしょうか。感謝を伝えていたかもしれません。神の御業に対して、信仰を言い表していたかもしれません。

実際にどんな会話が交わされたのかは記録されていないが、その食事の席は喜びに満ち溢れたものだったでしょう。死の悲しみに打ちひしがれていた家庭の中に、命と活力が戻りました。喜びに触れた、和やかな宴を思い浮かべることができます。

ラザロが墓から起こされた喜びがあっただろう、ということは想像できますが、私たちは、もう一つ違う視点からこの食卓を見なければならないでしょう。一週間後のキリストの十字架から、この穏やかな夕食の風景を見ると、どうだろうか、ということです。

命を与えられたラザロと、それを喜ぶ人たち、そしてご自分の死に向かって最後の一週を過ごされる主イエスが同じ宴に座っているのです。単なるにぎやかな喜びの宴というだけではない、一週間後のキリストの死と復活を暗示する食卓です。

ラザロの復活を喜ぶ人たちの中で、今、まさに十字架への秒読みが始まったイエス・キリストの痛みに誰が心に向けることができたていたでしょうか。一人だけ、いました。マリアです。

この家にはラザロとマルタ、マリアがいましたが、マリアはどこに自分の身を置いたでしょうか。彼女は主イエスの足元に自分の身を置きました。

兄弟ラザロの死の悲しみと怒りに苦しんで、主イエスに「主よ、もっと早く来てくだされば」と訴えた時と同じように、彼女は主イエスの足元に自分の身を置いのです。

マリアは、他の人たちと違い、ラザロの復活の喜び以外の何かを持っていました。それは悲しみだった。マリアだけは、この方にこれから何か命にかかわることが起こる、ということを感じ取っていたのです。

マリアは、他の人たちが驚くことをしました。純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、主イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐったのです。まるで、一週間後に主イエスが殺されることを予見したかのように、週の初めに、葬りの儀式のように、香油を注ぎました。

マリアがなぜ突然こんなことをしたのか、マリア自身は何も語っていません。マリアが実際に何を考えていたのかは、謎のままだ。主イエスの死をまるで知っていたかのようだ。聖書はそれに関しては何も書いていません。

ただ、聖書はマリアの行動の象徴的な意味を私たちに伝えています。マリアは香油を頭ではなく足にかけました。普通、香油は頭にかけます。髪につけて、香りを楽しむものです。イスラエルでは、王や預言者が神に召し出される際に、頭に油が注がれてきました。しかし、マリアは香油を主イエスの足にかけました。しかもそれを自分の髪で拭いました。

当時のユダヤ人女性は、公の場では自分の髪を一つにくくっていました。髪をほどくのは、誰かの喪に服している時でした。ラザロが死んだときには、マリアは自分の髪を束ねずにほどいていたでしょう。ラザロが復活して、もう喪に服す必要がなくなったので、また髪を束ねていたでしょう。それなのに、この食卓でまたマリアは自分の髪をほどいて主イエスの足にそそいだ香油を拭いとったのです。これは主イエスの死のために葬りの儀式そのものでした。

聖書には、「純粋な香油を足に塗った」とあります。この「純粋な」、という言葉はこの福音書で一回しか使われていない言葉で、信仰という言葉と語源が同じです。マリアにとって、この香油は彼女の主イエスに対する信仰のそのものを象徴していることが、この言葉からわかります。

家が香油の香りでいっぱいになったので、皆、マリアが突然何をしたのかわかりました。皆驚きました。なぜマリアがこんな行動をとったのかわかりませんでした。なぜ高価なナルドの香油を1リトラ、今でいうと326gも主イエスの足を塗り、しかも自分の髪をほどいてその髪で拭ったのか、理解に苦しんだでしょう。

聖書はイスカリオテのユダの言葉を記録しています。

「なぜ、この香油を300デナリオンで売って、貧しい人に施さなかったのか」

ナルドの香油はインドから輸入されるものであり、当時は非常に高価なものでした。ユダは、マリアが香油を無駄遣いした、と思いました。その香油を売れば、300デナリオン、当時の年収に匹敵する額に換算できるのです。

ユダの考えは正論です。周りの人たちも同じように考えたでしょう。「それは無駄遣いだ」と。しかし、主イエスはその正論に対しておっしゃいました。

「この人のするままにさせておきなさい。私の葬りの日のために、それを取っておいたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない」

ここで、福音書はユダの背景に触れています。ユダがこう言ったのは「貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながた、その中身をごまかしていたからである」

ヨハネ福音書は、ユダのことを「盗人」と呼んでいます。盗人という言葉で思い出すのは、主イエスのたとえ話です。「羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかのところを乗り越えて来る者は、盗人である。・・・羊は羊飼いの声を聞き分ける。しかし、他の者には決してついていかない。」

ユダはこの時、良い羊飼いの道をはばむ盗人でした。ユダがこの時主イエスからこう言われて何を思ったのかは、わからない。聖書はそれに関しても沈黙しています。少なくとも、ユダはお金への執着があったようです。

ユダはこの後主イエスを裏切って、ユダヤ人たちに引き渡すことになります。そのことを考えると、この時の主イエスがおっしゃったことの意味はやはりわかっていなかったでしょう。

主イエスは「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない」とおっしゃいました。ユダだけでなく、他の弟子達はこの言葉をこの時理解できたでしょうか。

イエス・キリストは一週間後にご自分が十字架で殺されることをご存じでした。その切迫した時の中、マリアは葬りの準備をしてくれたのです。ご自分の死を目前に控えたこの時、イエス・キリストは万感の思いをもって、この言葉を弟子達にお伝えになったでしょう。

過越祭は、申命記15:11の言葉を思い出す時でもありました。

「この国から貧しいものがいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しいものに手を大きく開きなさい。」申命記15:11

弟子達は、主イエスがいなくなった後、キリストがなさったように、自分たちが貧しい人たちに向き合わなくてはならなくなるのです。主イエスはご自分の十字架の死の後のことを思い、弟子達にお話しなさったのです。

マリアは主イエスの足元にひれ伏し、自分の信仰を表しました。同じように、主イエスは、このご自分が逮捕される夜、弟子達の足元にひざまずき、その足を洗われることになります。

使徒パウロは、そのイエス・キリストの姿勢について、こう記しています。

フィリピ2:6~11

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しいものであることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして僕の身分になり、人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため神はキリストを高く上げあらゆる名に勝る名をお与えになりました。こうして天上のもの、地上のもの、地下のものすべてがイエスの御名にひざまずき、すべての舌が『イエス・キリストは主である』と公に宣べ伝えて、父である神をたたえるのです」 Continue reading

3月30日の礼拝説教

 ヨハネ福音書11:45~57

イエス・キリストがラザロという若者を墓の中から蘇らせる、という神の栄光を現わされました。「死者を起こす」ことは、これまでキリストが行われた奇跡の中で一番大きなものでしょう。

キリストがラザロを墓から起こされた意味は、ただ「非科学的なこと成し遂げた」、というだけのことではありません。「世の終わりに起こる」とされていた死者の復活を人々の前でお見せになったことで、この世の終わりの時が近いことをお示しになったのです。そしてラザロの復活こそ神の救いの御業であり、その業を行うご自分こそがキリストであるということの証でした。

多くのユダヤ人たちはそれを見て信じました。墓から出てきたラザロを見て、そこに神の栄光を見たのです。しかし、ラザロの復活という神の栄光に満ちた御業を見ても、まだ信じない人もいたことが書かれています。主イエスの御業を前にして、また、信じる人と信じない人とに分かれました。

ヨハネ福音書に証されているキリストの福音宣教は、この連続です。これまでもキリストを通して神の御業が見せられても、それを神の御業として見る人と、悪霊の業として見る人に分かれてきました。

私たちは、人間が持っている不信仰がどんなに根強いものであるのか、ということに驚かされるのではないでしょうか。ラザロを墓の中から起こされたという事実さえも、すべての人を信仰に導くことはなかったのです。

人が何かを信じるようになること、そして人が何かを信じ続ける、ということがどんなに難しいことかを見せられるのではないかと思います。何かを見て、一瞬信じる、一時信じるということはよくあります。しかし、時間がたって熱が冷めると、すぐに忘れてしまうことがほとんどです。たとえ素直に信じるようになっても、一生信じて自分の身を委ね続けるということはさらに難しいのです。

死者の復活を見ても主イエスがなさったことを「神の御業」として信じられなかった人たちは、「ナザレのイエスがまたエルサレムの近くに戻ってきて、こんな奇跡をおこなった」、とファリサイ派の人たちに告げ口をしました。

ファリサイ派の人たちは、聖書の言葉の研究に力を注いでいた人たちで、これまで、主イエスと対立してきました。安息日に癒しを行ったということでナザレのイエスのことを聖書の掟に違反している者として見ていたのです。そのイエスがエルサレムの近くでまた不思議な業を行い人々の心をつかんでいる、ということを快く思いませんでした。

ナザレのイエスのことを危険視したのは、ファリサイ派の人たちだけではありませんでした。ファリサイ派の人たちは、事を重大視して、最高法院を召集しました。最高法院には、ファリサイ派以外の派閥、そして祭司長がいました。

ファリサイ派以外の最高法院の人たちには、また別の心配がありました。サドカイ派や祭司長は、このイエスという人物のせいで、ユダヤ人全体がローマから弾圧されるのではないか、と恐れました。

祭司長、またサドカイ派は、ユダヤの政治的・宗教的な権力を持っていた人たちです。神殿でいけにえを捧げたり、祭りを司ったりする立場にある彼らは、ユダヤ人の安定した宗教生活の担い手でした。

ローマ帝国は、帝国にとって害や危険がなければ、その宗教に対しては寛容でした。しかしローマ帝国にとって危険な要素があれば、軍隊でその宗教を取り締まっていました。

ユダヤの政治・宗教を司る立場として、最高法院の人たちは、ナザレのイエスのせいでローマから危険視されるのではないか、イエスが群衆を扇動して、ローマ軍から目を付けられるような騒ぎを起こすのではないかと思ったのです。

最高法院の会議の中で、ナザレのイエスへの対策が話し合われました。

「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」

彼の心にあったのは、イエスは本当に神のメシアなのかどうか、ということではありません。自分たちをどうローマから守るか、ということでした。

この会議の中で大祭司であったカイアファが言いました。

「あなたがたは何もわかっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む法が、あなた方に好都合だとは考えないのか」

この人は紀元18年から36年まで大祭司だった人です。イエス・キリストは、最後にはこの大祭司の考えによって十字架に上げられることになります。

恐ろしいカイアファの言葉ではないでしょうか。国を守るためには一人の人間を犠牲にすればいい、という恐ろしい考えです。

9章で、主イエスは目の見えない人を癒された際、謎めいたことをおっしゃいました。「私が世に来たのは、裁くためである。こうして、見えないものは見えるようになり、見えるものは見えないようになる」

それを聞いた時、ファリサイ派の人たちはこれを聞いて怒りました。

「我々も見えないということか」

これに対して主イエスは「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」とおっしゃいました。

カイアファは、主イエスの御業を見ていながら、主イエスをメシアとして見ることができません。あの主イエスの言葉に照らし合わせて考えると、「カイアファの罪は残る」、ということになります。

主イエスは以前、「羊は羊飼いの声を知っている。しかし、羊飼い以外の者たちの声にはついていかない」とおっしゃいました。カイアファも自分のことをイスラエルの羊飼いと考えていただろう。しかし、彼は果たして何を見ていたのでしょうか。イスラエルの羊飼いとして見るべきものが見えていません。死者を復活させたメシアを目の前にしても、彼はメシアを犠牲にして自分たちが守られればいい、と考えていたのです。

主イエスはこうおっしゃいました。「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」

それに対してカイアファは「一人の人間を犠牲にすれば、民が助かる」と言いました。

全く反対のことを言っています。大祭司でありながら、カイアファは命がけでイスラエルを守りこの世を救おうとなさるメシアを殺そうとしているのです。

普通にここを読むと、カイアファという人の悪意を不快に感じるのではないでしょうか。しかし、このカイアファの思惑に関して、福音書は不思議なことを書いています。

「これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるために死ぬ、と言ったのである。」

カイアファの恐ろしい言葉はカイアファ自身の言葉ではなく、預言であった、神から与えられた言葉であった、というのです。キリストの死の意味が、ここに示されています。イエス・キリストは、カイアファをはじめとしたユダヤ人指導者たちとの権力争いに負けて十字架に上げられたのではないのです。もっと大きな、神の救いのご計画のうちに十字架へと運ばれていったのです。

カイアファの残酷な思惑は、イザヤ書53章に預言されている苦難のしもべの死を思い起こさせます。

「私たちの聞いたことを誰が信じえようか。・・・彼は軽蔑され。人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼は私たちに顔を隠し、私たちは彼を軽蔑し無視していた。彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた、神の手にかかり打たれたから彼は苦しんでいるのだと。彼がさし貫かれたのは私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎ためであった。彼の受けた懲らしめによって私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって私たちは癒された。」

カイアファをはじめ、最高法院の人たちはナザレのイエスを神の名のもとに排斥しなければならないと考えました。悪意からではない。純粋な彼らの思いからです。イスラエルを守ろう、神の掟を守ろう、そのためにナザレのイエスを殺そう、と考えました。誰も、主イエスの死が自分の罪を背負うための死であるとは考えませんでした。イザヤが預言した通りです。

カイアファたちの企みですら、神はご自分の救いのためにお用いになるのです。聖書にはそのような不思議がたくさん記されています。

旧約聖書の創世記にヨセフ物語があります。兄たちに恨まれ、エジプトに奴隷として売られたヨセフは、エジプト王ファラオの夢の解き明かしをして、やがてエジプトの宰相になりました。そして最後に、自分を奴隷として売った兄たちと再会を果たします。

その際、ヨセフはこう言いました。 Continue reading

3月23日の礼拝説教

 ヨハネ福音書11:33~44

ラザロの死をめぐる人々の姿を見ています。ラザロの死に対して、イエス・キリストがどのように向き合われたか、またその中で兄弟を失ったマルタとマリアがキリストに対して何を訴えたか、ということをここまで見てきました。

ご自分の足元にひれ伏して愛する者の死と悲しみと怒りを訴えるマリアの祈りを聞かれて、イエス・キリストは激しく反応されたことが書かれています。マリアが泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になって、「心に憤りを覚え、興奮」された、とあります。また「イエスは涙を流された」と書かれています。そして、主イエスは「再び心に憤りを覚えて」ラザロの墓へと向かわれました。

四つの福音書の中でここまでイエス・キリストの心が・感情が激しく動いたことが書かれているのは、ここだけでしょう。福音書の中には、病や悪霊の支配に苦しんでいる人たちや、教えを求める霊的な飢え渇きをもった人たちを主イエスが憐れまれて、癒されたり教えたりされる姿は多く記されています。しかし、ここまで激しいお姿は他にはないでしょう。キリストはマルタ、マリア、そして人々と共に涙を流され、死の力に対して怒りを覚えられました。

マルコ福音書に、安息日の会堂の中で主イエスが手の萎えた人を癒された出来事が記されています。手の萎えた人に「真ん中に立ちなさい」とおっしゃって、そこにいた人たちにこう質問されました。

「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」

会堂にいた人たちは黙っていました。その時、主イエスは「怒って人々を見渡し、彼らのかたくなな心を悲し」まれた、と書かれています。怒りと悲しみを抱かれる主イエスのお姿です。その時の主イエスの怒りと悲しみは、人々のかたくなさ、神の御心への無知に対するものでした。

ラザロの死を前にしての主イエスは同じように怒りと悲しみを覚えていらっしゃいます。そして思いは、会堂で感じられたその時よりも激しいものでした。

主イエスは涙を流されました。11:35は「イエスは泣いた」という聖書の中で一番短い一節です。一番短い一節だが、一番我々の心に突き刺さる一節ではないでしょうか。

そしてキリストはラザロの墓に行くことをお望みになりました。そこで死の力に向き合われることになります。

前にも引用しましたが、ヘブライ人への手紙の2章にはこう書かれています。

「イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」

キリストは地上を生きる人々・私たちと同じ地平に立ってくださっています。私たちが信じる神は、人と全く同じところで、共に涙を流してくださる神なのです。どこか私たちには届かない、超越したところで、私たちを見下ろしていらっしゃるような方ではありません。

当時のギリシャ世界の世界観では、人間と神の間には無限の隔たりがありました。神は人間には接点がないからこそ、無限の距離があるからこそ、神は神であり、人々は神を信じていました。

しかし、聖書はそうでないことを証ししています。神は、自らが人と同じところに来て、共に泣いてくださる方なのです。聖書は、イエス・キリストがすべての点で人と同じになられた、と記しています。キリストにおいて神は、人間のすべてを体験してくださっています。痛みを、悲しみを、愛を、私たちのすべてを知っていてくださっているのです。

キリストの涙を見た人たちは周りで驚きました。それは、二通りの驚きでした。主イエスがどんなにラザロを愛しておられたか、という愛の深さへの驚き。そして、盲人の目を開けたこの人も、ラザロの死に対しては何もできなかったのか、という驚きです。周りにいたユダヤ人たちは、ナザレのイエスの力がどれほどのものなのか、どこまで及ぶのか、ということを冷静に見極めようとしています。

マルタは、主イエスが墓の石を取りのけるようおっしゃるのを聞いて、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言いました。マルタも冷静です。彼女はついさっき、「あなたが世に来られるはずの神の子・メシアであると私は信じております」と言ったばかりでした。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。」と聞いて、「はい、信じます」と言ったばかりでした。

それでもマルタは、主イエスが「墓の石をのけなさい」、とおっしゃってもその意味が分からなかったようです。マルタの信仰告白は、まだ表面的なものでしかなかったようです。キリストはそのマルタに、もう一度ご自分との会話を思い出させていらっしゃいます。

「もし信じるなら、神の栄光がみられると、言っておいたではないか」

「あなたはまだ本当に信じ切れていないのか」というキリストの更なる招きです。私たちはマルタのように、何度もキリストとこのやり取りを繰り返しながら信仰生活を続けているのではないでしょうか。小舟の中でキリストが嵐を鎮められた時、弟子達は「まだ信じないのか、信仰の薄い者たちよ」と叱られました。

マルタも、弟子達も、私たちも、いつも荒波の中でキリストを信じ切ることができず、それでも祈り、最後に、まだ信じないのか」とのお𠮟りを受けます。私たちの信仰生活はこの連続ではないでしょうか。

信仰の先で私たちが見るのは、神の栄光です。それは、信じようとする私たちの思いがなければ、見ることができないものなのです。そんなことがあるわけがないと思えることでも、キリストが「そちらを見なさい」とおっしゃるのであれば、私たちは従います。そしてその従いの先で、この世界が、神の栄光のうちにあるということを、我々は知るのです。

キリストは神に祈られました。11:42「私の願いをいつも聞いてくださることを、私は知っています。しかし、私がこういうのは、周りにいる群衆のためです。あなたが私をお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです」

ラザロは、神の御業が現れる器としてお用いになりました。キリストは墓の中に向かって呼びかけられます。

「ラザロ、出てきなさい」

「ラザロ、さあ、外に」という言葉です。その声に応じて、ラザロは墓の中から出てきました。イエス・キリストがラザロを起こされたのは、日ごろから親しくしていたマルタとマリアの悲しみを癒すため、というだけではありませんでした。もっと大きな意味がありました。

ラザロの病の知らせを受けてから主イエスはおっしゃってきました。

「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである」

「ラザロは死んだのだ。私がその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。」

主イエスはベタニアの村で、7つ目のしるしを行われました。死者の復活という最も大きなしるしです。ベタニアは「苦しみの家・戦いの家」という意味の名前の村です。象徴的ではないでしょうか。キリストは、「苦しみの家・戦いの家」において勝利されたのです。死の支配に対する勝利です。それは何のためのしるしでしょうか。人々を信仰への導くためのしるしでした。

ラザロは手と足を布で巻かれたまま、顔も覆われたまま墓から出てきました。主イエスはおっしゃいます。

「ほどいてやって、行かせなさい」

このキリストの言葉にも象徴的な意味が含まれています。復活のラザロは、新しい命へと生まれ変わった者の姿としてみることもできるでしょう。洗礼によって新しい命へと召された私たちは、このラザロの復活を通して考えさせられるのです。新しい命へと召されて、キリストにほどいていただくもの、キリストに取っていただく覆いとは何でしょうか。キリストを知って新しく歩み始める私たちが、後ろに投げ捨てるべきものとは何でしょうか。

ここで言われている「行かせなさい」というのは、主の祈りの中で使われている「許す」という言葉です。「われらの罪をも許したまえ」と言いますが、直訳すると「許したまえ」というのは「手放してください」という言葉だ。「私たちの罪を手放してください」という祈りです。

死から解放され新しい命へと起こされたラザロが、再び自由に自分の足で歩み始めることが許された。そしてラザロは後ろに投げ捨てるべきもの、手放すべきものがありました。

私たちは与えられた新しい命を生きるにあたって、何を手放すべきなのでしょうか。キリストによって自由とされた私たちが、まだ縛られているもの、ほどかなければならないものがあるのです。自分の信仰の目を覆っているものがあるのです。

私たちは誰を許すのだろうか。また、だれに自分の罪から解放していただくのでしょうか。自分を許し、隣人を許し、神の許しの中に生きるということが、新しい命を生きる、ということなのです。

使徒パウロは、手紙の中でこう書いています。

「私たちは落胆しません。たとえ私たちの『外なる人』は衰えていくとしても、私たちの『内なる人』は日々新たにされていきます。私たちの一時の軽い艱難は、比べ物にならないほどの重みのある栄光をもたらしてくれます」2コリ4:16 Continue reading