MIYAKEJIMA CHURCH

5月4日の礼拝案内

次週 礼拝(5月4日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:ヨハネ福音書12:36~43

 交読文:詩編19:2~5

讃美歌:讃詠546番12番、147番、365番、頌栄543

【報告等】

◇次週、礼拝で聖餐式があります。

◇5月18日(日)の礼拝に浅草教会の皆さんが訪問してくださいます。

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽にお越しください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

4月27日の礼拝説教

 ヨハネ福音書12:27~36

イエス・キリストは、「私はよい羊飼いである」とおっしゃり、続けて、「私にはまだ囲いに入っていない羊がいる、そしてその羊たちのために私は命を捨てる」とおっしゃいました。

羊は、囲いの中で羊飼いに守られていることで、平和と自由を楽しむことができます。しかし、羊飼いから離れ、囲いの外にこそ自分の自由があるのではないかという誘惑に負け、いるべき場所から離れてしまい、道に迷い、なすすべを知らず途方に暮れる羊もいます。主イエスは、そのような羊を命懸けで迎えに行く羊飼いにご自分を例えられました。

イスラエルは長い間、自分たちを神の恵みの支配のもとへと連れ戻してくださる方を待ち続けてきました。自分たちが、羊飼いから離れ、囲いを出てしまった羊の群れであることを知っていたのです。何百年も外国の支配の中で生きてこなければならなかったイスラエルは、自分たちを救い出してくれる存在を待ち続けてきました。

これまでの歴史の中で、預言者たちが、イスラエルの牧者の到来を告げてきました。人々は、聖書に記録されている預言者たちの言葉を信じ、希望を持ち続けてきました。イスラエルの人々は、自分たちを外国の支配から救い出し、神の恵みの支配へと連れ戻してくださる方、メシアを待っていたのです。

人々は、メシアがいつの日か来て、羊飼いが羊を導くように自分たちを神の支配へと導いてくれる、と信じてきました。そして自分たちの目の前に、人々の病を癒し、聖書の教えを伝え、ついに死人を墓の中からよみがえらせたナザレのイエスという人が現れました。

群衆は「この方こそメシアではないか、救いの時が来たのではないか」、という期待を抱きました。

主イエスはこれまで、何度も「私の時は来ていない」とおっしゃってきました。しかし、ご自分のもとにギリシャ人たちがやってきた時、ついに、「人の子が栄光を受ける時が来た」と宣言されました。

ユダヤ人ではないこのギリシャ人たち、異邦人がご自分を求めてやってきたのをご覧になって、主イエスは「囲いに入っていない羊たち」がご自分を羊飼いとして求める時が来たことを悟られたのです。

「囲いに入っていない羊たち」であるギリシャ人たちがご自分のもとに来た今、そして神の招きの福音が全世界に広がる時が来たことを悟り、「人の子が栄光を受ける時が来た」とおっしゃいました。

主イエスは「今、私は心騒ぐ」とおっしゃいます。「栄光を受ける時」とは、ご自分が「羊のために命を捨てる時」、「十字架の死によって栄光を受ける時」のことだったからです。

ご自分の死の時が目の前に来たことを悟られました。心が乱れ、胸が張り裂けそうな思いで、ご自分の死へとまっすぐに歩んでいかれることになります。神の子であれば、十字架の死など怖くなかったのではないか、と思う人もいるでしょう。

しかし、我々と全く同じ人間としてお生まれになった神の子は、我々と同じように、恐怖を感じられるのです。

私たちは誰でも、自分の死を考える時、心騒ぐでしょう。いつか自分は死ぬのだろうという漠然として思いを持っていても、あなたの命はあとこれだけだと言われて、心騒がない人はいないでしょう。

ただ知識として「いつか人は死ぬ」ということを知っていることと、事実として間近に自分の死を感じることは全く違います。

キリストは我々と同じ一人の人間として、死に対して恐怖を覚えていらっしゃいます。私たちが死に向き合う時に心騒ぐように、キリストも心の内に痛みと恐怖を感じていらっしゃいます。

ヨハネ福音書の特徴の一つに、イエス・キリストのセツセマネの祈りが描かれていない、ということが挙げられます。

マタイ、マルコ、ルカによる三つの福音書には、イエス・キリストがご自分の死の時を前にして、オリーブ山にあるゲツセマネという場所で、もだえ苦しみながら神に祈られたお姿が描かれています。

弟子達も祈られる主イエスの傍にいました。しかし、主イエスの激しい苦しみの祈りの傍らで、弟子達は眠ってしまいました。起きていられなかったのです。「心は燃えていても、肉体は弱い」と主イエスから言われてしまいます。

十字架というご自分に与えられた使命のために祈るキリストと、心は燃えていても肉体は弱い弟子達との姿が対照的な場面です。

ヨハネ福音書はそのような、壮絶な主イエスのセツセマネの祈りのお姿を描いていません。しかし、よく読んでいくと、ゲツセマネの祈りと同じ言葉を、祈られています。

28節「『父よ、私をこの時から救ってください』と言おうか。しかし、私はまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現わしてください。」

これがキリストの祈りだった。

主イエスの本心は、「父よ、この時から救ってください」「できれば十字架を取り去ってください」というものでした。誰だって、好き好んで十字架に上がる人などいないのです。

キリストはどのような思いで祈られたでしょうか。

詩編42編に、魂の痛みの中から神に向かって祈る詩人の詩が記されている。

「枯れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、私の魂はあなたを求める。神に、命の神に、私の魂は渇く」という言葉で始まっています。

祈りながら、詩人は自分自身に言い聞かせます。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め、わたしはなお、告白しよう。『御顔こそ、わたしの救い』と。私の神よ」

イエス・キリストは、十字架を前にして、詩編42編の祈りの詩人のような思いで祈りの言葉を紡がれたでしょう。

そしてヨハネ福音書は、このキリストの祈りに対する天からの神の声を記録しています。

「私はすでに栄光を現わした。再び栄光を現わそう」

そしてその神の声は群衆にも聞こえたのです。神の声が人々にも聞こえた、ということは驚きです。旧約聖書では預言者にしか聞こえなかった神の声が、キリストの祈りを通して人々にも聞かせられたのです。

人々は天から響いた声に混乱しました。「雷が鳴った」という人もいれば、「天使がこの人に話しかけたのだ」という人もいた、と書かれています。

主イエスは「この声が聞こえたのは、私のためではなく、あなた方のためだ」とおっしゃいました。周りにいた群衆は、確かに神の声を聞きました。神は確かに、キリストを通してご自分を示されています。

そして今、聖書の言葉を通して、神は我々に御声を聞かせてくださっています。私たちは、この時イエス・キリストのそばにいた群衆の中の1人なのです。

今、私たちは問われているのです。イエス・キリストの祈りの言葉と、天から響いた神の声を、実際にそばでどのように聞いているでしょうか。自分のためにとりなしてくださる祈りとして、そしてこの方に真の神の栄光があることを示される天の声として、聴くことができているでしょうか。

出エジプトをした際、イスラエルの人たちはシナイ山の上に雷鳴のように鳴り響いた神の声を聞きました。「私はシナイ山に下る」とおっしゃり、神は民と出会おうとなさいました。

しかし、「宿営にいた民は皆、震えた」と書かれています。「私のもとに来なさい」とおっしゃる神の声を聞いてもそこから動けませんでした。怖かったのです。民は恐れのあまり動けなかったのです。

そして、「モーセが民を神に会わせるために宿営から連れ出したので、彼らは山のふもとに立った」と書かれています。 Continue reading

4月13日の礼拝説教

 ヨハネ福音書12:9~19

先週、私たちは、主イエスがラザロの家族とご自分の弟子達と一緒にベタニア村で食事をなさった場面を読みました。それは過越祭の六日前のこと、つまり、イエス・キリストの受難のちょうど一週間前、という時でした。その食事のちょうど一週間後、キリストは逮捕され、無理やり有罪とされ、夜通し苦痛を与えられることとなります。

その食事の席にいた人たちは、ラザロが墓の中から起こされたという喜びを分かち合っていたでしょう。起こされたラザロの家族はもちろん、キリストの弟子達も、自分たちの先生が死者の復活という大きな奇跡を起こしたことを喜んでいたでしょう。

しかしその喜びの食卓の中、主イエスだけは、他の人たちとは違う心持でいらっしゃいました。一週間後には、逮捕と、苦痛と、十字架の死がご自分を待っていることをご存じでした。

死から復活したラザロを喜ぶ人たちと、ご自分の死に向かっていかれるイエス・キリストとの間には大きな気持ちのずれがあったのです。

その喜びの宴の中で、ラザロの姉妹マリアが、主イエスの足に香油を注ぎ、自分の髪の毛で拭いました。それを見た他の人達は、高価な香油を無駄遣いするマリアに驚きましたが、主イエスだけはマリアがご自分のホームの準備をしてくれたことを喜びました。

今日私たちが読んだのは、その喜びの宴の翌日のことです。主イエスはエルサレムに入場されました。日曜日の朝のことでした。このちょうど一週間後、主イエスはエルサレムのゴルゴタの丘で十字架に上げられ苦しまれることになります。

大喜びして主イエスをエルサレムに迎え入れる群衆の姿と、一週間後にご自分を待つ十字架へと見据えていらっしゃる主イエスのお姿は、対照的です。

ヨハネ福音書では、主イエスが約3年の間、ガリラヤとエルサレムを行き来してこられたことを書いています。祭りのたびに、主イエスはガリラヤからエルサレムにいらっしゃって、しるしを行われました。

エルサレムの人たち、またエルサレムに巡礼に来ていた人たちは、この三年間、ナザレのイエスがエルサレムで祭りのたびに行って来た不思議な癒しの奇跡、そして聖書の教えを説くのを見てきました。

祭司長たちが「ナザレのイエスを見つけたら通報するように」という命令が出されていたにも関わらず、イエスは過越祭のためにエルサレムにやって来たのを見て、人々は喜びました。この人たちは、ラザロを死者の中から蘇らせたことを皆伝え聞いていたのです。それほどの奇跡をおこなう方がエルサレムの過越祭に来られたのです。

過越祭はイスラエルの解放・救いを記念する祭りです。ナザレのイエスには特別な力があることを知って、期待を抱いていた人たちにとって、過越祭にやってきたこのイエスという方はこの時、自分たちの救いの象徴そのものとなったのです。

しかし、ベタニア村での晩餐でそうであったように、人々に見えていた主イエスのお姿と、本当の主イエスのお姿は違っていました。

主イエスは昨晩の食事の席でマリアから香油を注がれました。油を注がれるというのは、王、祭司、預言者が神から選び出されて任命される際の儀式でもあります。普通であれば、頭に油を注がれます。

しかしマリアは主イエスの足に香油を注ぎました。主イエスの前に低くなり、主イエスの体の一番低い部分に注ぎました。それは、王として立つ方の栄光の印ではなく、主イエスご自身がおっしゃったように埋葬の準備でした。

この時のエルサレムで、誰が一週間後の主イエスの十字架を予想できたでしょうか。確かに、主イエスはこの世の王、祭司、預言者として世に遣わされた神の子・メシアでした。しかし威光をまとい、この世の頂点に君臨する地上の王ではありませんでした。

良い羊飼いとしてご自分の命をこの世のために投げ出すために来られた天からの王でした。低く、謙遜なメシアでした。栄光のメシアではなく、受難のメシアでした。

主イエスがエルサレムに入場される日の前の夜、群衆が主イエスの噂を聞きつけてやってきたことが書かれています。ラザロを見るためです。本当にナザレのイエスは死者を墓から起こしたのか、確かめるためでした。死者の復活という、未だ聞いたことのない大きな奇跡が本当かどうか、自分たちの目で確かめる必要がありました。

人々は、ラザロが生きていることを自分の目で見ました。人々は興奮したでしょう。これほどのしるしは見たことがありませんでした。

しかし、一方で、ラザロの復活を快く思わない人たちもいたことも書かれています。祭司長をはじめとする宗教指導者たちでした。人々の心が主イエスに向いていくことに危機を持っていたのです。

指導者たちの中でも、特にサドカイ派の人たちはラザロの復活のことを疑っていたでしょう。ユダヤ教の中でもサドカイ派の人たちは、死者の復活を信じていませんでした。ラザロが生き返ったということはサドカイ派の人たちにとって危険思想でした。

祭司長たちは、ナザレのイエスのせいで過越祭の前に民衆の感情が高ぶることを危惧しました。指導者たちは、自分たちの宗教的支配力がイエスに奪われてしまうことを恐れました。

そして何より、過越祭の中で何か問題が起きて、ローマの兵士たちに鎮圧されるということを恐れました。

1世紀のユダヤ人歴史家のヨセフ巣は過越祭の際には200万人もの人々がエルサレムに巡礼にきていたということを記しています。その人数の多さを考えると、祭司長たちもローマ兵たちも緊張していたということは想像できます。

そして彼らが考えた解決策はラザロを殺す、ということでした。ラザロの存在そのものが、ナザレのイエスを神の子・メシアと信じる人たちを作ってしまうのであれば、殺してしまおうと考えるようになったのです。

皮肉なことに、聖書を一番よく研究していた彼らが、ラザロの復活に神の栄光を見出すことなく、神の御業の生き証人であるラザロを殺そうと企んだのです。

日曜日の朝、主イエスのエルサレム入場という出来事の水面下では様々な人々の思いが交錯していたのです。

主イエスは多くの人々から熱狂的に迎え入れらました。ベタニア村からついてきた人たちと、エルサレムで迎え入れた人たちは、「ホサナ」と主イエスに向かって叫び、ヤシの枝を振りました。

人々は、エルサレムに入って来るナザレのイエスに、ユダヤ人指導者ユダ・マカバイの姿と重ね合わせた。ユダ・マカバイは紀元前2世紀に、外国の軍隊と戦ってエルサレム神殿を取り戻した人です。

ユダ・マカバイが戦いに勝って、エルサレムに入場した時、人々はマカバイをヤシの枝を振って迎え入れました。今、エルサレムの人たちは主イエスのことを新しいユダ・マカバイとして、新しい軍事指導者として迎え入れているのです。

ホサナというのは「主よ、私たちを救ってください」という意味の言葉です。旧約聖書では、やがて来られる主の名において来られるメシアに向かって叫ぶ言葉でした。

このホサナという叫びの中に、群衆の主イエスに対する期待が表れています。それは、ローマ帝国からの解放、外国の支配からの解放でした。

しかし、これはイエス・キリストに対する正しい期待ではありませんでした。主イエスご自身は、「羊のために命を投げ出す良い羊飼い」として来られたのです。

主イエスのエルサレム入場の仕方は不思議です。わざわざ「ろばの子を見つけて、お乗りになった」と書かれています。

軍事的英雄として凱旋したユダ・マカバイの姿とはかけ離れています。新しいイスラエルの王、ユダ・マカバイの再来としてエルサレムに入るというのであればこの姿はちぐはぐです。馬に乗って、剣や槍をもった兵士たちを後ろに従わせて入場する、威風堂々とした王の姿ではありません。逆だ。一人でロバに乗ってエルサレムに入る姿には、微塵も強さを感じません。むしろ弱々しい姿です。

主イエスのすぐ後ろで見ていた弟子達は、なぜ先生がこのようなことをなさるのか、わかりませんでした。もっと人々から尊敬を得るような仕方でエルサレムに入ればいいのに、と思ったのではないでしょうか。

しかし、弟子達はキリストの十字架の後、この時の主イエスの御心を知ることになりました。キリストの十字架の後、弟子達はなぜ主イエスが馬ではなく、ロバに乗られたのかを悟ります。

主イエスがロバに乗ってエルサレムに入場するという滑稽な姿をなぜさらされたのか。それは預言者ゼカリヤの預言の実現でした。旧約聖書のゼカリヤ書に、「ロバに乗った方が来る」、という預言が残されています。メシアは、威光に輝く軍事的な征服者ではなく、平和の王として、謙遜な王として来られる、という預言です。

主イエスがエルサレム入場の際に乗られた小さなロバ、それは平和と謙遜の象徴でした。そしてご自分が謙遜な王であり、羊のために命を投げ出す羊飼いであることをこのような仕方で示されたのです。 Continue reading

4月27日の礼拝案内

次週 礼拝(4月27日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:ヨハネ福音書12:27~36

 交読文:詩編19:2~5

讃美歌:讃詠546番11番、154番、270番、頌栄543

【報告等】

◇5月18日(日)の礼拝に浅草教会の皆さんが訪問してくださいます。

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽にお越しください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

4月20日の礼拝説教

ヨハネ福音書12:20~26

イースターを迎えました。この日曜日の朝早く、イエス・キリストは墓の中から復活され、ご自分を見捨てて逃げた弟子達に現れ、神の救いの御業のために働くようもう一度召し出されました。ご自分を十字架で殺したこの世の人々を許し、神の御許へと招くために、ご自分を見捨てた人たちを召し出されたという、この世の価値観では測り知れない、神の招きのご計画でした。

私たちはこの神の招きの不思議に、圧倒されるのではないでしょうか。聖書は、どんなに人間が神に背を向け神から離れてきたか、という罪の歴史を記録しています。そして神が人間の罪の歴史の中でどんなに多くの警告と許しと招きの言葉を、預言者を通して語って来られたかということも書いています。

私たちは特に旧約聖書から、いかに簡単人間が神を忘れ、神以外のものに心を奪われてしまうのか、ということを知ることができます。神の民イスラエルであっても、偶像礼拝や異教の神々になびかず、真の神への信仰を貫いたのはその時代その時代の少数の人たちでした。

その時代の少数の信仰者たちのことを聖書は「残りの者たち」と呼んでいます。文字通り、残り者のように取るに足らない数の人たちが、次の時代へと正しい信仰を残し、不思議とその少数者の信仰は消えることなく守られ、今、ここまで残されてきました。

イエス・キリストが十字架で殺されたことで、キリストへの信仰は途絶えるかと思われました。自分たちが従おうとする先生が死んだのだから、弟子達は、もう自分たちの道は途絶えた、と思いました。しかし、十字架の死から三日目の朝、主イエスの墓が空になっているという知らせを聞いたのです。

あの朝、「ナザレのイエスの墓が空になった」、という知らせがこの世界の歴史を大きく変えることになりました。もしもあの朝、墓が空になったという知らせが弟子達に伝えられなかったとしたら、どうだったでしょうか。今、私たちはどこで何をしていたでしょうか。今頃、何を信じていたでしょうか。自分がやがて迎えることになる肉体の死というものをどう考えていたでしょうか。

復活の希望とか永遠の命とかいう言葉を聞いたとしても、それは非科学的だ、それは夢物語だ、人が描く幻想に過ぎない、と言って、自分の死の向こう側にまで続く信仰の希望を持つことはなかったでしょう。

旧約聖書で書かれているすべてのことが、あの朝のイエス・キリストの復活という出来事に集約されています。そして新約聖書に書かれているすべてのことは、あの朝のキリストの復活がなければ、書き記されることはありませんでした。

今、はるか時代が下って、私たちのような少数の「残りの者たち」と呼ばれるような者たちが変わらずキリストの復活を記念する礼拝を続けているということこそが、聖霊が働いている証拠ではないでしょうか。

ラザロを復活させられた直後のイエス・キリストのお姿を今日は見ていきたいと思います。ラザロを生き返らせたことで、エルサレムの人たちは熱狂的にナザレのイエスへと向かうことになりました。祭司長とファリサイ派の人たちは、このことを危惧しました。過越祭はユダヤ人が自分たちをエジプトから解放してくださったことを記念する祭りであり、ユダヤ人の愛国心が一気に高まる時でした。

自分たちを支配するローマからいつか解放してくれるメシアを待っていた人たちは、ナザレのイエスという人に向かって行きました。死者を生き返らせるなどという大きな奇跡を見たことがなかったからです。

しかし祭司長たちは、そのことでエルサレムの中に混乱が生じ、その結果ローマ人が来て、ユダヤの神殿も国民も滅ぼしてしまうことになるのではないかと恐れました。その不安の中で、大祭司カイアファは「一人の人間が死に、国民全体が滅びないで済む方が、好都合だ」と言いました。イエスを殺して、自分たちの国に波風を立てない方がいい、という考え方です。「この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ」とあります。

さらに、ナザレのイエスがラザロを墓の中から起こしたことで、多くのユダヤ人が主イエスのことを信じるようになったので、祭司長たちは復活の生き証人であるラザロも殺そうと考えるようになりました。

ユダヤ人指導者たちの思いとは逆に、ユダヤの人々はどんどんナザレのイエスの方に向かっていきました。結果的にこのことが主イエスを十字架の死へと向かわせていくことになります。

「一つの国が犠牲になるよりも一人の人間が犠牲になればいい」、という祭司長たちの考えは、常識的な考えと言っていいでしょう。人数だけで物事を測るとそうなるのです。犠牲になるその一人がなんの落ち度もない人であっても、一つの国の滅びと天秤にかけると、その人の命は軽く扱われるだろう。理不尽ではありますが、国を守るということならそのような考えになるでしょう。

しかし聖書が証ししているのはユダヤ人指導者たちの計画ではなく、神の救いのご計画が実現していく、ということなのです。たしかに、主イエスの命は十字架で絶たれることになります。しかしそれは一つの国民をローマから救ったのではなく、全世界の罪びとを救うことになった神の救いのご計画の実現であったことを証言しているのです。

祭司長たちの殺意を持った水面下の企みですら、神は不思議な仕方で救いの計画のために用いられているのです。メシアがご自分の命を投げ出して全世界に、神へと立ち返る道を示されることになるという救いの神秘がここにあります。

この時期、エルサレムには過越祭への巡礼に来ていたギリシャ人がいました。当時、ディアスポラと呼ばれる地中海全域に離散して住んでいたユダヤ人がいました。パレスチナ以外の土地に住んでいたユダヤ人たちはギリシャ語を話していました。

しかし、ここに出てきたギリシャ人というのは、ギリシャ語を話すユダヤ人たちのことではありません。ギリシャ人でありながら、ユダヤ人たちが信じる神に強い関心をもってエルサレムへと巡礼に来ていた人たちです。ユダヤ人たちから見れば完全に「異邦人」です。

使徒言行録には、ギリシャ人たちは何か新しいことを知ろうという強い思いを持って日々を過ごしていたということが書かれています。このギリシャ人たちは、何か新しいことを求め、ユダヤ人たちが信じる神に、聖書に、真理があるのではという期待を持ってエルサレムに来ていた人たちでした。

ギリシャ人たちは、エルサレムの群衆が喜びの叫び声をもって迎え入れたイエスという人を見ました。「あの方は一体何者だろう」、と彼らは「あのイエスという方にお目にかかりたい」と、主イエスの弟子のフィリポに取次を願いました。

主イエスはご自分のもとに連れてこられたギリシャ人をご覧になり、「人の子が栄光を受ける時が来た」とおっしゃいました。これまで、主イエスは「私の時はまだ来ていない」とおっしゃってきました。カナの婚礼でご自分の母マリアに、「私の時はまだ来ていない」とおっしゃり、サマリアの井戸端でサマリア人女性に、「あなたがたが、この山でもエルサレムでもないところで、父を礼拝する時が来る」とおっしゃいました。そうやって、また来ていない、やがて来るであろう「イエス・キリストの時」があることを示してこられました。

しかし今、ギリシャ人たちがご自分のところに来たのをご覧になり、「時が来た」と宣言されました。それはご自分が「栄光を受ける時」のことでした。

「人の子が栄光を受ける時」とは何のことでしょうか。このあと主イエスがおっしゃった言葉を見ればわかります。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

一粒の麦として、多くの実を結ぶために地に落ちて死ぬ時、それが、主イエスに定められた「時」だったのです。主イエスはここまでガリラヤ、ユダヤ、サマリア、エルサレムと宣教を続けてこられました。そして今、ユダヤ世界の外から主イエスを求める人たちが現れました。福音が、神の招きが、ユダヤから全世界へと広がる時が来たのです。

イエス・キリストは死を逃れようと思えば、いつでも逃げることはおできになりました。人間的な栄光の道を選び、群衆に祭り上げられ、地上の栄光を楽しんで生きるという選択肢だってあったのです。しかし、ご自分の地上の栄光ではなく、世界を永遠の命へと導くために一粒の麦として地に落ちる道を選ばれました。その一粒の麦が結ぶ実が、キリストの栄光を表すこととなります。

ロバに乗ってエルサレムに入られた主イエスはご自分を大歓迎した人々に、ご自分の栄光は低い栄光であることを示されました。人間的・地上的・この世的な勝利ではなく、地に落ちる一粒の麦として世に来られたのです。

ご自分の死を通して栄光をお受けになるという神のご計画の不思議がここにあります。ご自分の十字架と復活が、地に落ちた種として神に収穫されることになるのです。

イザヤ書55章

「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なると、主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道は、あなたたちの道を、私の思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種まく人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出る言葉も、空しくは私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」

神は、無駄な種まきをなさることはありません。必ず、私たちの思いを超えたところで、福音の収穫を刈り取られることになります。

主イエスは、ご自分のことを「良い羊飼い」とおっしゃいました。ギリシャ人たちは、自分たちの羊飼いの声を聞き分けました。主イエスは「良い羊飼いは、羊のために命を投げ出す」、ともおっしゃいました。これからこのギリシャ人たちはそのことの目撃者となり、証言者となるのです。

最後に、ギリシャ人たちを主イエスへと取り次いだフィリポとアンデレのことを見たいと思います。

フィリポという名前は、ユダヤ名ではなく、ギリシャ名です。彼はベトサイダ出身でした。ベトサイダはユダヤ文化とギリシャ文化の境目にある村です。ギリシャ人たちは、フィリポに取次を頼みやすかったのでしょう。フィリポはユダヤとギリシャを結ぶ役割を果たすことになります。

更にフィリポは彼らのことをアンデレに話し、二人はギリシャ人たちを主イエスのもとに連れて行きました。アンデレは以前にも、五つのパンと二匹の魚を持つ子供を主イエスのもとに連れてきたことがあります。

このように、フィリポとアンデレは、誰かを主イエスのもとに連れていく、という弟子としての役割を果たしました。そしてこの2人の取次が、主イエスに大きな何かをもたらすこととなりました。

フィリポとアンデレの出身のベトサイダは、エルサレムから見たら国の端っこで、もう半分外国のような村でした。しかし、その村出身の彼らが、異邦世界にとっての福音の入り口となったのです。

フィリポとアンデレは、キリストのもとに誰かを導く人たちの姿です。教会へと被とを招き、キリストに取り次ぐ、私たちの姿です。そしてギリシャ人たちは真理を求めてさまよう人たちの姿です。

キリストを求める人々を受け入れる教会の姿がここで象徴的に描かれているのです。イエス・キリストは10:16で「私には囲いに入っていない羊がいる」とおっしゃっています。まだ囲いに入っていない人たち、つまり、今でも、キリストを求める人、キリストのもとに本当に真理があるかどうかを見定めようとしている人がいます。

イエス・キリストの招きの御業は、私たちを通して続けられているのです。復活の主が共にいてくださるからこそ、私たちはその御業のために、用いられていくのです。

4月13日の礼拝案内

次週 礼拝(4月13日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:ヨハネ福音書12:1~8

 交読文:詩編19:2~5

讃美歌:讃詠546番番、132番、239番、頌栄543

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽にお越しください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

4月6日の礼拝説教

 ヨハネ福音書12:1~8

過越祭が近づいていました。出エジプトの際、神の裁きがイスラエルの民を過ぎ越してエジプトの民を打った、それによってイスラエルはエジプトから脱出したというあの出来事を記念する祭りです。それは救いの祭りであり、神による解放を祝う祭りでした。自分たちに与えられた解放の救いを祝おうと、たくさんのユダヤ人がエルサレムへと巡礼に集まっていました。

私たちは今日、「過越祭六日前」の晩の出来事を読みました。過越祭の六日前ということは、土曜日の日没後の夕方ということです。そして土曜日の夕方ということは、安息日が終わり、過越祭へと向かう新しい聖なる一週間が始まったばかりの時、ということです。

この時からちょうど一週間後、イエス・キリストは逮捕され、受難の時を迎えられることになります。私たちが今日読んだこの「過越祭の六日前」は、主イエスがご自分のゴルゴタの十字架での最期へと向かう歩みの始まりの瞬間を描いた場面なのです。

主イエスはご自分を殺そうとする最高法院の人たちから避難するために、一度はエルサレムから荒れ野に近い地方のエフライムという町に行かれました。エルサレムの人々は、「ナザレのイエスも過越祭に来るだろうか」と噂していました。

これまで主イエスはエルサレムでいろんなしるしを行われてきました。人々はそれを見て知っていました。しかし今、「イエスの居所がわかれば届け出よ」という命令が出ています。もしイエスがエルサレムに来たらどうなるのだろうか、という好奇心と不安をもって、人々は過ごしていたのです。

過越祭の六日前、主イエスはエルサレムの近くの村、ベタニアに来られていました。そこは、主イエスが墓から復活させられたラザロの村です。そしてそのラザロの家で、夕食の時を過ごしていらっしゃったようです。その晩餐の席には、ラザロの姉妹、マルタとマリア、そして弟子達もいました。主イエスのために夕食が用意され、マルタは忙しく給仕していました。

墓の中から起こされたラザロは、起こしていただいた主イエスとどのような会話をしていたのでしょうか。感謝を伝えていたかもしれません。神の御業に対して、信仰を言い表していたかもしれません。

実際にどんな会話が交わされたのかは記録されていないが、その食事の席は喜びに満ち溢れたものだったでしょう。死の悲しみに打ちひしがれていた家庭の中に、命と活力が戻りました。喜びに触れた、和やかな宴を思い浮かべることができます。

ラザロが墓から起こされた喜びがあっただろう、ということは想像できますが、私たちは、もう一つ違う視点からこの食卓を見なければならないでしょう。一週間後のキリストの十字架から、この穏やかな夕食の風景を見ると、どうだろうか、ということです。

命を与えられたラザロと、それを喜ぶ人たち、そしてご自分の死に向かって最後の一週を過ごされる主イエスが同じ宴に座っているのです。単なるにぎやかな喜びの宴というだけではない、一週間後のキリストの死と復活を暗示する食卓です。

ラザロの復活を喜ぶ人たちの中で、今、まさに十字架への秒読みが始まったイエス・キリストの痛みに誰が心に向けることができたていたでしょうか。一人だけ、いました。マリアです。

この家にはラザロとマルタ、マリアがいましたが、マリアはどこに自分の身を置いたでしょうか。彼女は主イエスの足元に自分の身を置きました。

兄弟ラザロの死の悲しみと怒りに苦しんで、主イエスに「主よ、もっと早く来てくだされば」と訴えた時と同じように、彼女は主イエスの足元に自分の身を置いのです。

マリアは、他の人たちと違い、ラザロの復活の喜び以外の何かを持っていました。それは悲しみだった。マリアだけは、この方にこれから何か命にかかわることが起こる、ということを感じ取っていたのです。

マリアは、他の人たちが驚くことをしました。純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、主イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐったのです。まるで、一週間後に主イエスが殺されることを予見したかのように、週の初めに、葬りの儀式のように、香油を注ぎました。

マリアがなぜ突然こんなことをしたのか、マリア自身は何も語っていません。マリアが実際に何を考えていたのかは、謎のままだ。主イエスの死をまるで知っていたかのようだ。聖書はそれに関しては何も書いていません。

ただ、聖書はマリアの行動の象徴的な意味を私たちに伝えています。マリアは香油を頭ではなく足にかけました。普通、香油は頭にかけます。髪につけて、香りを楽しむものです。イスラエルでは、王や預言者が神に召し出される際に、頭に油が注がれてきました。しかし、マリアは香油を主イエスの足にかけました。しかもそれを自分の髪で拭いました。

当時のユダヤ人女性は、公の場では自分の髪を一つにくくっていました。髪をほどくのは、誰かの喪に服している時でした。ラザロが死んだときには、マリアは自分の髪を束ねずにほどいていたでしょう。ラザロが復活して、もう喪に服す必要がなくなったので、また髪を束ねていたでしょう。それなのに、この食卓でまたマリアは自分の髪をほどいて主イエスの足にそそいだ香油を拭いとったのです。これは主イエスの死のために葬りの儀式そのものでした。

聖書には、「純粋な香油を足に塗った」とあります。この「純粋な」、という言葉はこの福音書で一回しか使われていない言葉で、信仰という言葉と語源が同じです。マリアにとって、この香油は彼女の主イエスに対する信仰のそのものを象徴していることが、この言葉からわかります。

家が香油の香りでいっぱいになったので、皆、マリアが突然何をしたのかわかりました。皆驚きました。なぜマリアがこんな行動をとったのかわかりませんでした。なぜ高価なナルドの香油を1リトラ、今でいうと326gも主イエスの足を塗り、しかも自分の髪をほどいてその髪で拭ったのか、理解に苦しんだでしょう。

聖書はイスカリオテのユダの言葉を記録しています。

「なぜ、この香油を300デナリオンで売って、貧しい人に施さなかったのか」

ナルドの香油はインドから輸入されるものであり、当時は非常に高価なものでした。ユダは、マリアが香油を無駄遣いした、と思いました。その香油を売れば、300デナリオン、当時の年収に匹敵する額に換算できるのです。

ユダの考えは正論です。周りの人たちも同じように考えたでしょう。「それは無駄遣いだ」と。しかし、主イエスはその正論に対しておっしゃいました。

「この人のするままにさせておきなさい。私の葬りの日のために、それを取っておいたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない」

ここで、福音書はユダの背景に触れています。ユダがこう言ったのは「貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながた、その中身をごまかしていたからである」

ヨハネ福音書は、ユダのことを「盗人」と呼んでいます。盗人という言葉で思い出すのは、主イエスのたとえ話です。「羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかのところを乗り越えて来る者は、盗人である。・・・羊は羊飼いの声を聞き分ける。しかし、他の者には決してついていかない。」

ユダはこの時、良い羊飼いの道をはばむ盗人でした。ユダがこの時主イエスからこう言われて何を思ったのかは、わからない。聖書はそれに関しても沈黙しています。少なくとも、ユダはお金への執着があったようです。

ユダはこの後主イエスを裏切って、ユダヤ人たちに引き渡すことになります。そのことを考えると、この時の主イエスがおっしゃったことの意味はやはりわかっていなかったでしょう。

主イエスは「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、私はいつも一緒にいるわけではない」とおっしゃいました。ユダだけでなく、他の弟子達はこの言葉をこの時理解できたでしょうか。

イエス・キリストは一週間後にご自分が十字架で殺されることをご存じでした。その切迫した時の中、マリアは葬りの準備をしてくれたのです。ご自分の死を目前に控えたこの時、イエス・キリストは万感の思いをもって、この言葉を弟子達にお伝えになったでしょう。

過越祭は、申命記15:11の言葉を思い出す時でもありました。

「この国から貧しいものがいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しいものに手を大きく開きなさい。」申命記15:11

弟子達は、主イエスがいなくなった後、キリストがなさったように、自分たちが貧しい人たちに向き合わなくてはならなくなるのです。主イエスはご自分の十字架の死の後のことを思い、弟子達にお話しなさったのです。

マリアは主イエスの足元にひれ伏し、自分の信仰を表しました。同じように、主イエスは、このご自分が逮捕される夜、弟子達の足元にひざまずき、その足を洗われることになります。

使徒パウロは、そのイエス・キリストの姿勢について、こう記しています。

フィリピ2:6~11

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しいものであることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして僕の身分になり、人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため神はキリストを高く上げあらゆる名に勝る名をお与えになりました。こうして天上のもの、地上のもの、地下のものすべてがイエスの御名にひざまずき、すべての舌が『イエス・キリストは主である』と公に宣べ伝えて、父である神をたたえるのです」 Continue reading

4月6日の礼拝案内

次週 礼拝(4月6日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:ヨハネ福音書12:1~8

 交読文:詩編19:2~5

讃美歌:讃詠546番番、138番、305番、頌栄543

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽にお越しください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

3月30日の礼拝説教

 ヨハネ福音書11:45~57

イエス・キリストがラザロという若者を墓の中から蘇らせる、という神の栄光を現わされました。「死者を起こす」ことは、これまでキリストが行われた奇跡の中で一番大きなものでしょう。

キリストがラザロを墓から起こされた意味は、ただ「非科学的なこと成し遂げた」、というだけのことではありません。「世の終わりに起こる」とされていた死者の復活を人々の前でお見せになったことで、この世の終わりの時が近いことをお示しになったのです。そしてラザロの復活こそ神の救いの御業であり、その業を行うご自分こそがキリストであるということの証でした。

多くのユダヤ人たちはそれを見て信じました。墓から出てきたラザロを見て、そこに神の栄光を見たのです。しかし、ラザロの復活という神の栄光に満ちた御業を見ても、まだ信じない人もいたことが書かれています。主イエスの御業を前にして、また、信じる人と信じない人とに分かれました。

ヨハネ福音書に証されているキリストの福音宣教は、この連続です。これまでもキリストを通して神の御業が見せられても、それを神の御業として見る人と、悪霊の業として見る人に分かれてきました。

私たちは、人間が持っている不信仰がどんなに根強いものであるのか、ということに驚かされるのではないでしょうか。ラザロを墓の中から起こされたという事実さえも、すべての人を信仰に導くことはなかったのです。

人が何かを信じるようになること、そして人が何かを信じ続ける、ということがどんなに難しいことかを見せられるのではないかと思います。何かを見て、一瞬信じる、一時信じるということはよくあります。しかし、時間がたって熱が冷めると、すぐに忘れてしまうことがほとんどです。たとえ素直に信じるようになっても、一生信じて自分の身を委ね続けるということはさらに難しいのです。

死者の復活を見ても主イエスがなさったことを「神の御業」として信じられなかった人たちは、「ナザレのイエスがまたエルサレムの近くに戻ってきて、こんな奇跡をおこなった」、とファリサイ派の人たちに告げ口をしました。

ファリサイ派の人たちは、聖書の言葉の研究に力を注いでいた人たちで、これまで、主イエスと対立してきました。安息日に癒しを行ったということでナザレのイエスのことを聖書の掟に違反している者として見ていたのです。そのイエスがエルサレムの近くでまた不思議な業を行い人々の心をつかんでいる、ということを快く思いませんでした。

ナザレのイエスのことを危険視したのは、ファリサイ派の人たちだけではありませんでした。ファリサイ派の人たちは、事を重大視して、最高法院を召集しました。最高法院には、ファリサイ派以外の派閥、そして祭司長がいました。

ファリサイ派以外の最高法院の人たちには、また別の心配がありました。サドカイ派や祭司長は、このイエスという人物のせいで、ユダヤ人全体がローマから弾圧されるのではないか、と恐れました。

祭司長、またサドカイ派は、ユダヤの政治的・宗教的な権力を持っていた人たちです。神殿でいけにえを捧げたり、祭りを司ったりする立場にある彼らは、ユダヤ人の安定した宗教生活の担い手でした。

ローマ帝国は、帝国にとって害や危険がなければ、その宗教に対しては寛容でした。しかしローマ帝国にとって危険な要素があれば、軍隊でその宗教を取り締まっていました。

ユダヤの政治・宗教を司る立場として、最高法院の人たちは、ナザレのイエスのせいでローマから危険視されるのではないか、イエスが群衆を扇動して、ローマ軍から目を付けられるような騒ぎを起こすのではないかと思ったのです。

最高法院の会議の中で、ナザレのイエスへの対策が話し合われました。

「この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。」

彼の心にあったのは、イエスは本当に神のメシアなのかどうか、ということではありません。自分たちをどうローマから守るか、ということでした。

この会議の中で大祭司であったカイアファが言いました。

「あなたがたは何もわかっていない。一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む法が、あなた方に好都合だとは考えないのか」

この人は紀元18年から36年まで大祭司だった人です。イエス・キリストは、最後にはこの大祭司の考えによって十字架に上げられることになります。

恐ろしいカイアファの言葉ではないでしょうか。国を守るためには一人の人間を犠牲にすればいい、という恐ろしい考えです。

9章で、主イエスは目の見えない人を癒された際、謎めいたことをおっしゃいました。「私が世に来たのは、裁くためである。こうして、見えないものは見えるようになり、見えるものは見えないようになる」

それを聞いた時、ファリサイ派の人たちはこれを聞いて怒りました。

「我々も見えないということか」

これに対して主イエスは「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」とおっしゃいました。

カイアファは、主イエスの御業を見ていながら、主イエスをメシアとして見ることができません。あの主イエスの言葉に照らし合わせて考えると、「カイアファの罪は残る」、ということになります。

主イエスは以前、「羊は羊飼いの声を知っている。しかし、羊飼い以外の者たちの声にはついていかない」とおっしゃいました。カイアファも自分のことをイスラエルの羊飼いと考えていただろう。しかし、彼は果たして何を見ていたのでしょうか。イスラエルの羊飼いとして見るべきものが見えていません。死者を復活させたメシアを目の前にしても、彼はメシアを犠牲にして自分たちが守られればいい、と考えていたのです。

主イエスはこうおっしゃいました。「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」

それに対してカイアファは「一人の人間を犠牲にすれば、民が助かる」と言いました。

全く反対のことを言っています。大祭司でありながら、カイアファは命がけでイスラエルを守りこの世を救おうとなさるメシアを殺そうとしているのです。

普通にここを読むと、カイアファという人の悪意を不快に感じるのではないでしょうか。しかし、このカイアファの思惑に関して、福音書は不思議なことを書いています。

「これは、カイアファが自分の考えから話したのではない。その年の大祭司であったので預言して、イエスが国民のために死ぬ、と言ったのである。国民のためばかりでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるために死ぬ、と言ったのである。」

カイアファの恐ろしい言葉はカイアファ自身の言葉ではなく、預言であった、神から与えられた言葉であった、というのです。キリストの死の意味が、ここに示されています。イエス・キリストは、カイアファをはじめとしたユダヤ人指導者たちとの権力争いに負けて十字架に上げられたのではないのです。もっと大きな、神の救いのご計画のうちに十字架へと運ばれていったのです。

カイアファの残酷な思惑は、イザヤ書53章に預言されている苦難のしもべの死を思い起こさせます。

「私たちの聞いたことを誰が信じえようか。・・・彼は軽蔑され。人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼は私たちに顔を隠し、私たちは彼を軽蔑し無視していた。彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた、神の手にかかり打たれたから彼は苦しんでいるのだと。彼がさし貫かれたのは私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎ためであった。彼の受けた懲らしめによって私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって私たちは癒された。」

カイアファをはじめ、最高法院の人たちはナザレのイエスを神の名のもとに排斥しなければならないと考えました。悪意からではない。純粋な彼らの思いからです。イスラエルを守ろう、神の掟を守ろう、そのためにナザレのイエスを殺そう、と考えました。誰も、主イエスの死が自分の罪を背負うための死であるとは考えませんでした。イザヤが預言した通りです。

カイアファたちの企みですら、神はご自分の救いのためにお用いになるのです。聖書にはそのような不思議がたくさん記されています。

旧約聖書の創世記にヨセフ物語があります。兄たちに恨まれ、エジプトに奴隷として売られたヨセフは、エジプト王ファラオの夢の解き明かしをして、やがてエジプトの宰相になりました。そして最後に、自分を奴隷として売った兄たちと再会を果たします。

その際、ヨセフはこう言いました。 Continue reading