MIYAKEJIMA CHURCH

10月8日の礼拝案内

【本日の予定】

◇礼拝後、祈祷会があります。

 次週 礼拝(10月8日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄28:7~16

 交読文:詩編18:8~16

讃美歌:讃詠546番61番、402番、222番、頌栄542番

【報告等】

◇10月9日(土) 10時より 役員会があります。

◇10月22日(日) 大島の教会員の方3名が訪問

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

◇10月18日(水) 日本基督教団会議室にて

 教区伝道委員長会議への発題

集会案内

主日礼拝  Continue reading

10月1日の礼拝説教

使徒言行禄28:7~16

「こうして私たちはローマに着いた」(27:14)

復活なさったキリストは弟子達に「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして・・・地の果てに至るまで、私の証人となる」とおっしゃいました。その言葉通り、聖霊を受けたパウロはキリストの力を授けられ、エルサレムからはるか離れた場所で神の御業を行い、神の言葉を告げています。

裁判を受ける囚人としてローマへと運ばれていたパウロを乗せた船は嵐の中漂流し、マルタ島にたどり着きました。この小さな島にまで、神はパウロを通してキリストの福音を運ばれたのです。

島にはプブリウスという長官がいました。この「長官」というのは、元の言葉では「第一の人」という意味の言葉ですので、その土地を支配していた人だったのでしょう。プブリウスはパウロたちが流れ着いた浜の近くに自分の土地を持っていて、三日間、彼らを手厚くもてなしました。

聖書には「私たちを」もてなした、とあります。船には276人が乗っていましたが、この「私たち」というのは、パウロとその友人たち、パウロを護送していた百人隊長たちローマ兵のことでしょう。

ここでパウロはプブリウスの父親の熱病と下痢を、祈り、手を置いて癒しました。信仰者に授けられたキリストの力が働いています。キリストが多くの人を癒されたり悪霊を追い出されたりして神の支配がそこに及んでいるということをお示しになったように、パウロも、癒しの業を通してプブリウスの一家に神の力が及んだことを示しました。

島の人たちは、パウロに対して深く敬意を表した、と書かれています。

私たちは、島で尊敬を集めたパウロがその後どうしたのか、ということを見たいと思います。彼は三か月後、当然のようにローマへと向かいました。

漂流した先で長官や島民から尊敬を集めた、というのであれば、パウロがマルタ島を安住の地としてもおかしくありません。これからわざわざ自分の裁判を受けるためにローマに行かなくても、パウロはこれからの自分の生涯をマルタ島で過せば、迫害や争いとは無縁の生活を続けることが出来たのではないでしょうか。

しかし、使徒言行禄はパウロの旅がマルタ島に着いたというところで終わっていません。福音を携えたパウロの旅は続くのです。彼はまた船に乗り、キリストの証人としてローマへと向かうことになります。パウロは、アフリカの町・アレクサンドリアから島に来ていた船に乗りこみました。

パウロは既に神の声を聞いていました。

「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」

パウロには、迷いはありませんでした。自分が人々の尊敬を集めたマルタ島に留まることなく、ローマに向かう船に乗ったのです。

神がそうおっしゃるから、です。パウロにとってそれが全てでした。

さて、船はマルタ島からシチリア島のシラクサ、イタリアのレギオン、プテオリといくつかの港に寄りながらローマに近づいて行きました。

プテオリに着いた時には、「兄弟たち」がそこにいて、パウロたちを待っていた、と書かれています。「兄弟たち」というのは信仰の兄弟たち・キリスト者たち、ということです。パウロはイタリアのキリスト者たちに請われるまま7日間そこに滞在しました。

かなり自由にふるまうことが許されていたことが分かります。百人隊長がパウロにこれだけ自由を赦したのは、パウロの無実を知っていて、船の中でパウロの信仰が皆を勇気づけ、島で神から授けられた力をつかって癒しを行ったのを見ていたからでしょう。このエルサレムからローマまでの航海の中で、百人隊長だけなく、船に乗っていた人たちは皆、パウロを通してイエス・キリストの力の目撃者とされていたことがわかります。

私たちはここで特に、行く先々でパウロを待っている人たちがいた、ということに注目したいと思います。ついに14節で「私たちはローマに着いた」とあります。文字通り、パウロの旅は終わったのです。

三度に渡るパウロの福音宣教の旅、そして、ローマに護送されていく船旅をパウロは体験しました。長年にわたって町々を移動しながらのパウロの福音宣教の旅の最終地ローマについにたどり着きました。

パウロのこれまでの福音宣教の道を振り返ってみると、決して平たんでまっすぐな道ではありませんでした。妨害、迫害、回り道ばかりでした。しかし、パウロの通った後には、福音の芽が出て、根が張って行き、成長して実を結んできました。不思議です。

パウロはコリント教会にこう書き送っている。

「(私は)しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難にあい、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々私に迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事がある。誰かが弱っているのなら、私は弱らないでいられるでしょうか。誰かがつまずくなら、私が心を燃やさないでいられるでしょうか」Ⅱコリ11:26

ローマに着き、福音宣教の旅が終わっても、パウロのキリスト証言に終わりはありませんでした。ローマは当時のローマ帝国の中心です。しかしエルサレムからやって来たパウロと、付き添って来たキリスト者たちにとっては、イエス・キリストが弟子達におっしゃったようにローマは「地の果て」でした。

「あなたがたは地の果てに至るまで私の証人となる」とおっしゃったキリストの言葉は、まさに神のご計画として、今、パウロを通して、キリストの使徒たちを通して実現しています。

パウロにとって、ローマは初めての土地であり、「地の果て」でした。それにも関わらず、なぜキリスト者たちが迎えに来たのでしょうか。

パウロは3度目の福音宣教の途中滞在していたコリントの町から、既にローマの信徒たちに手紙を書き送っていました。今、新約聖書の中に入っているローマの信徒への手紙です。紀元55年から56年の間に書かれたとされます。

その手紙の中でパウロはこう書いています。

「何とかして、いつかは神の御心によってあなた方のところへ行ける機会があるように願っています・・・ローマにいるあなた方にも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです」と書いている。

この手紙を受け取ったローマのキリスト者たちは、パウロが来ることを待っていたのです。パウロにとっては見知らぬ土地、「地の果て」であっても、神は既にパウロを受け入れる信仰者たちを備えてくださっていたのです。

振り返ると、パウロのこれまでの福音宣教の旅もそうでした。パウロは知り合いがいたからその町に入って行ったのではありません。明確な計画をもってその町に入って行ったのでもありません。ただ福音を携えて町の中に入って行ったのです。

パウロたちが新しい町に入ると、そこに、福音を求める人、キリストを求める人が既にいました。パウロは行く先々で、ユダヤ人や、土地の人たちからの反対にもあいますが、そのような中でもわずかに、福音を受け入れキリストを信じる人たちが起こされていきました。

パウロは何千人もの人たちをいきなりキリスト者に変えていったのではないのです。福音の種をわずかずついろんな町々に蒔いて行ったような旅を彼は続けました。わずか数人の人がキリストを信じるようになると、そのままパウロは次の町へと向かった・・・そんな旅だったのです。

しかし、わずかに蒔かれたその福音の種が、キリストが弟子達におっしゃたように、

「30倍、60倍、100倍」と成長していきました。そして今、ローマでパウロを迎え入れるキリスト者たちが港に迎えに来てくれるまでになっていたのです。

パウロは手紙の中で書いています。

「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも、水を注ぐものでもなく、成長させてくださる神です」

パウロはローマに着き、自分を迎えに来てくれたキリスト者たちを見て、「勇気づけられた」とあります。これは、正確には「勇み立った」という能動態の言葉です。神のご計画を信じてローマまで来たパウロが、自分を迎えに来たキリスト者たちを見て、「やはり自分は間違っていなかった、今確かに神のご計画が進んでいる」と知り、「更に勇気が出た」という表現です。

パウロはここまで地中海を渡って来ました。逆風、暴風雨、漂流という厳しい船旅でした。それでも、キリストは前もってパウロのために備えてくださっていたのです。マルタ島でも、ローマに向かう途中に立ち寄った港でも、キリストはパウロをお用いになって御自分の救いを、招きをお見せになっています。

私たちは、パウロの姿を通して考えさせられます。私たちはキリスト者として次に何をすればいいのか、どこに行けばいいのか、ということを考えます。どうすればキリストにお応えすることが出来るのか、と考えます。そして自分の無力さに不甲斐なさを覚えるのではないでしょうか。「あの方は私のために死んでくださったのに、私はあの方にどのように報いればよいのか」 Continue reading