10月1日の礼拝説教

使徒言行禄28:7~16

「こうして私たちはローマに着いた」(27:14)

復活なさったキリストは弟子達に「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして・・・地の果てに至るまで、私の証人となる」とおっしゃいました。その言葉通り、聖霊を受けたパウロはキリストの力を授けられ、エルサレムからはるか離れた場所で神の御業を行い、神の言葉を告げています。

裁判を受ける囚人としてローマへと運ばれていたパウロを乗せた船は嵐の中漂流し、マルタ島にたどり着きました。この小さな島にまで、神はパウロを通してキリストの福音を運ばれたのです。

島にはプブリウスという長官がいました。この「長官」というのは、元の言葉では「第一の人」という意味の言葉ですので、その土地を支配していた人だったのでしょう。プブリウスはパウロたちが流れ着いた浜の近くに自分の土地を持っていて、三日間、彼らを手厚くもてなしました。

聖書には「私たちを」もてなした、とあります。船には276人が乗っていましたが、この「私たち」というのは、パウロとその友人たち、パウロを護送していた百人隊長たちローマ兵のことでしょう。

ここでパウロはプブリウスの父親の熱病と下痢を、祈り、手を置いて癒しました。信仰者に授けられたキリストの力が働いています。キリストが多くの人を癒されたり悪霊を追い出されたりして神の支配がそこに及んでいるということをお示しになったように、パウロも、癒しの業を通してプブリウスの一家に神の力が及んだことを示しました。

島の人たちは、パウロに対して深く敬意を表した、と書かれています。

私たちは、島で尊敬を集めたパウロがその後どうしたのか、ということを見たいと思います。彼は三か月後、当然のようにローマへと向かいました。

漂流した先で長官や島民から尊敬を集めた、というのであれば、パウロがマルタ島を安住の地としてもおかしくありません。これからわざわざ自分の裁判を受けるためにローマに行かなくても、パウロはこれからの自分の生涯をマルタ島で過せば、迫害や争いとは無縁の生活を続けることが出来たのではないでしょうか。

しかし、使徒言行禄はパウロの旅がマルタ島に着いたというところで終わっていません。福音を携えたパウロの旅は続くのです。彼はまた船に乗り、キリストの証人としてローマへと向かうことになります。パウロは、アフリカの町・アレクサンドリアから島に来ていた船に乗りこみました。

パウロは既に神の声を聞いていました。

「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」

パウロには、迷いはありませんでした。自分が人々の尊敬を集めたマルタ島に留まることなく、ローマに向かう船に乗ったのです。

神がそうおっしゃるから、です。パウロにとってそれが全てでした。

さて、船はマルタ島からシチリア島のシラクサ、イタリアのレギオン、プテオリといくつかの港に寄りながらローマに近づいて行きました。

プテオリに着いた時には、「兄弟たち」がそこにいて、パウロたちを待っていた、と書かれています。「兄弟たち」というのは信仰の兄弟たち・キリスト者たち、ということです。パウロはイタリアのキリスト者たちに請われるまま7日間そこに滞在しました。

かなり自由にふるまうことが許されていたことが分かります。百人隊長がパウロにこれだけ自由を赦したのは、パウロの無実を知っていて、船の中でパウロの信仰が皆を勇気づけ、島で神から授けられた力をつかって癒しを行ったのを見ていたからでしょう。このエルサレムからローマまでの航海の中で、百人隊長だけなく、船に乗っていた人たちは皆、パウロを通してイエス・キリストの力の目撃者とされていたことがわかります。

私たちはここで特に、行く先々でパウロを待っている人たちがいた、ということに注目したいと思います。ついに14節で「私たちはローマに着いた」とあります。文字通り、パウロの旅は終わったのです。

三度に渡るパウロの福音宣教の旅、そして、ローマに護送されていく船旅をパウロは体験しました。長年にわたって町々を移動しながらのパウロの福音宣教の旅の最終地ローマについにたどり着きました。

パウロのこれまでの福音宣教の道を振り返ってみると、決して平たんでまっすぐな道ではありませんでした。妨害、迫害、回り道ばかりでした。しかし、パウロの通った後には、福音の芽が出て、根が張って行き、成長して実を結んできました。不思議です。

パウロはコリント教会にこう書き送っている。

「(私は)しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難にあい、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々私に迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事がある。誰かが弱っているのなら、私は弱らないでいられるでしょうか。誰かがつまずくなら、私が心を燃やさないでいられるでしょうか」Ⅱコリ11:26

ローマに着き、福音宣教の旅が終わっても、パウロのキリスト証言に終わりはありませんでした。ローマは当時のローマ帝国の中心です。しかしエルサレムからやって来たパウロと、付き添って来たキリスト者たちにとっては、イエス・キリストが弟子達におっしゃったようにローマは「地の果て」でした。

「あなたがたは地の果てに至るまで私の証人となる」とおっしゃったキリストの言葉は、まさに神のご計画として、今、パウロを通して、キリストの使徒たちを通して実現しています。

パウロにとって、ローマは初めての土地であり、「地の果て」でした。それにも関わらず、なぜキリスト者たちが迎えに来たのでしょうか。

パウロは3度目の福音宣教の途中滞在していたコリントの町から、既にローマの信徒たちに手紙を書き送っていました。今、新約聖書の中に入っているローマの信徒への手紙です。紀元55年から56年の間に書かれたとされます。

その手紙の中でパウロはこう書いています。

「何とかして、いつかは神の御心によってあなた方のところへ行ける機会があるように願っています・・・ローマにいるあなた方にも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです」と書いている。

この手紙を受け取ったローマのキリスト者たちは、パウロが来ることを待っていたのです。パウロにとっては見知らぬ土地、「地の果て」であっても、神は既にパウロを受け入れる信仰者たちを備えてくださっていたのです。

振り返ると、パウロのこれまでの福音宣教の旅もそうでした。パウロは知り合いがいたからその町に入って行ったのではありません。明確な計画をもってその町に入って行ったのでもありません。ただ福音を携えて町の中に入って行ったのです。

パウロたちが新しい町に入ると、そこに、福音を求める人、キリストを求める人が既にいました。パウロは行く先々で、ユダヤ人や、土地の人たちからの反対にもあいますが、そのような中でもわずかに、福音を受け入れキリストを信じる人たちが起こされていきました。

パウロは何千人もの人たちをいきなりキリスト者に変えていったのではないのです。福音の種をわずかずついろんな町々に蒔いて行ったような旅を彼は続けました。わずか数人の人がキリストを信じるようになると、そのままパウロは次の町へと向かった・・・そんな旅だったのです。

しかし、わずかに蒔かれたその福音の種が、キリストが弟子達におっしゃたように、

「30倍、60倍、100倍」と成長していきました。そして今、ローマでパウロを迎え入れるキリスト者たちが港に迎えに来てくれるまでになっていたのです。

パウロは手紙の中で書いています。

「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも、水を注ぐものでもなく、成長させてくださる神です」

パウロはローマに着き、自分を迎えに来てくれたキリスト者たちを見て、「勇気づけられた」とあります。これは、正確には「勇み立った」という能動態の言葉です。神のご計画を信じてローマまで来たパウロが、自分を迎えに来たキリスト者たちを見て、「やはり自分は間違っていなかった、今確かに神のご計画が進んでいる」と知り、「更に勇気が出た」という表現です。

パウロはここまで地中海を渡って来ました。逆風、暴風雨、漂流という厳しい船旅でした。それでも、キリストは前もってパウロのために備えてくださっていたのです。マルタ島でも、ローマに向かう途中に立ち寄った港でも、キリストはパウロをお用いになって御自分の救いを、招きをお見せになっています。

私たちは、パウロの姿を通して考えさせられます。私たちはキリスト者として次に何をすればいいのか、どこに行けばいいのか、ということを考えます。どうすればキリストにお応えすることが出来るのか、と考えます。そして自分の無力さに不甲斐なさを覚えるのではないでしょうか。「あの方は私のために死んでくださったのに、私はあの方にどのように報いればよいのか」 Continue reading

10月1日の礼拝案内

次週 礼拝(10月1日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄28:7~16

 交読文:詩編18:2~7

讃美歌:讃詠546番56番、263番、356番、頌栄542番

【報告等】

◇次週、聖餐式があります。

◇10月22日(日) 大島の教会員の方3名が訪問

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

◇10月18日(水) 日本基督教団会議室にて

 教区伝道委員長会議への発題

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:Continue reading

9月24日の礼拝説教

使徒言行禄27:39~28:1~10

「私たちが助かったとき、この島がマルタと呼ばれていることが分かった。」(28:1)

パウロたちが乗った船は暴風雨に襲われ、積荷だけでなく船具まで全て海に投げ捨て、漂流していました。漂流して14日目の夜、真夜中ごろ陸地が見つかり、船乗りたちは帆を上げて砂浜のある入江に上陸しようとします。しかし、船は浅瀬にぶつかって乗り上げてしまいました。船は波を当てられ船尾から壊れ始めました。

この時、船にいた兵士たちが囚人たちを殺そうとし始めました。もしここで囚人たちが逃げたら、兵士たちの責任になってしまうのです。しかし、船に乗っていたローマの百人隊長が、パウロを殺させないよう囚人を殺すことを禁じました。船に乗っていた人たちは泳いで、全員が無事に島に上陸しました。

一行が流れ着いたのは、マルタ島でした。現在でも、船が流れ着いた場所は「パウロ湾」という名前で残っています。島には、ギリシャ語を話さない島民がいました。

当時、ギリシャ語を話さない人はバーバリアン、つまり「野蛮人」と呼ばれていましたが、この島の人たちはギリシャ語を話すことはなくても、大変親切に船の人たちをもてなした、と書かれています。マルタ島の人々が「大変親切にしてくれた」ということに、神が特別な方法でパウロを守り続けていらっしゃる、そして福音を神のご計画に沿って運んでいらっしゃるということがわかります。

聖書は、「ローマに移送される囚人が運よく島に打ち上げられて助かった」、という書き方をしていません。神の働きによってこの小さな島に福音をもたらされた、という書き方をしています。

今日読んだ27章から28章にかけて、「救う」という言葉が繰り返し使われています。27:43「百人隊長はパウロを助けたいと思った」とありますが、元の言葉を直訳すると「パウロを救おうと思った」となります。

44節には「このようにして、全員が無地に上陸した」とありますが、「全員が陸へと救われた」という表現です。

28:1では「私たちが助かった時」とあるが、これは「私たちが救われた時」ですし、4節で「海では助かったが」というのも、「海では救われたが」という言葉です。

私たちはここをきちんと押さえておきたいと思います。パウロたちが逆風にあい、暴風雨にさらされ、漂流し、マルタ島にたどり着いたのは、偶然ではありませんでした。そこには確かに神の救いの御手があったのです。そのことを聖書は「救い」という言葉を何度もつかうことで、私たちに示しています。

パウロの周りの人たちは、パウロのことを裁判の被告人・囚人として見ていました。しかし、パウロは今、キリストの福音を運ぶ使徒であり預言者としてローマへと神によって運ばれています。

使徒・預言者であると言っても、パウロも一人の弱い人間です。私たちと何ら変わるところはありません。預言者だから、キリストの使徒だから、神の僕だから、逆風や荒波とは無縁の人生を生きることが出来るようになるということではないのです。どんなにキリストを深く信じ、愛し、従っている信仰者であっても、他の人たちと同じ逆風と荒波にさらされます。逆風や荒波の中でも福音を証しすることを求められ、そのための道へと導かれていくのが信仰者なのです。

船が暴風に襲われ沈む中にあっても、不思議と一人パウロの周りだけは静かに見えます。牢の中でも、総督や王の前で弁明する時でも、パウロは冷静で、神への信頼が揺らぐことはありませんでした。彼は静かでした。パウロが自分を神の御手に信頼して委ねていたからです。

旧約聖書の中で、実はその静けさが信仰の強さである、ということが書かれているところがあります。

旧約聖書の出エジプト記には、奴隷とされていたエジプトから脱出したイスラエルの歩みが書かれています。イスラエルは、後ろからエジプト軍に追われました。

人々はモーセを責めました。

「我々をエジプトから連れ出したのは何のためですか。荒れ野で死なせるためですか」

自分を責めるイスラエルの民に対して、モーセは答えます。

「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい・・・主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」

モーセは、取り乱す民に向かって「静かにしていなさい」と言いました。その後、エジプト軍は、海に飲み込まれてしまいます。かき乱されたエジプト軍は、「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプト軍と戦っておられる」と言って引き返して行きました。

信仰者は、神を信頼した信仰の静けさのその先で、神が自分たちのために戦ってくださる姿を見るのです。

同じ言葉を、預言者イザヤも残しています。

巨大な帝国アッシリアの圧力に膝をかがめようとするユダ王国の王様に向かって、イザヤは神の言葉を告げました。

「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。『お前たちは、立ち返って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と」

キリストに従う信仰者には、信仰の戦いがあります。パウロをはじめ、キリストの使徒たちを見ればわかります。それは、世の雑音の中にあっても神を信頼し静かに神を待つ、という戦いです。

私たちは、自分の信仰のことで何かがあると、すぐに自分でどうにかしようとしてしまうのではないでしょうか。しかし、モーセやイザヤが言うように、まず、神に立ち返り、静かに安らかに信頼する、ということが私たちに課された一番の戦いなのです。静かな祈りの先で、私たちは、神が私たちのために戦ってくださるのを見るのです。

私たちには、教会での礼拝に向かうだけでも様々な戦いがあるでしょう。一人の人がキリストを求め教会に行き、そして毎週礼拝に向かう、ということは決してちっぽけな戦いではない。一週、一週礼拝に身を置く、ということは、決して祈りの戦い無しにできることではないのです。

それぞれの家からこの礼拝の場までの道の途中でさえもキリストは共に寄り添ってくださり、そして私たちを今この礼拝の中へと導き入れてくださっているのです。ここに神が備えてくださった静けさがあり、その静けさの中で私たちは改めて、神への信頼を確信していくのです。

パウロが牢獄の中から教会に書いた手紙が新約聖書の中に残されています。

「フィリピの信徒への手紙」がそうだ。

なぜ神のために働く者が、捕らえられたり牢に入れられたりするのか、と誰だって疑問に思うでしょう。

しかし、パウロは牢の中にあっても喜んでいます。

「私が監禁されているのはキリストのためであることを知って、キリスト者たちが恐れることなく勇敢にみ言葉を語るようになったのです。」

パウロが捕らえられたのはキリストのためである・・・そのようにして神が牢の中にまで福音運ばれた、と知って、教会はますます勇気づけられた、そのことをパウロは喜んでいるのです。

信仰の苦難の中に置かれたとしても、それがキリストの御手の内にあり、キリストによって用いられているということを知った時、私たちは苦難の中で強くなります。

私たちにも、しんどい時はあります。キリストに従う、ということは、キリストの苦難に従う、ということでもあるのです。しかし、私たちの信仰ゆえの痛みは、無駄になることはありません。キリストが私たちを罪から救い出してくださったように、私たちが感じる痛みは、次の信仰者に道を示すことになるのです。

さて、船に乗っていた人たちはマルタ島に上陸しました。既に季節は秋で、上陸した人たちは夜明け前の雨に濡れていました。皆、寒さに凍えていたでしょう。 Continue reading

9月24日の礼拝案内

次週 礼拝(9月24日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄27:39~28:10

 交読文:詩編18:2~7

讃美歌:讃詠546番55番、336番、498番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

9月17日の礼拝説教

使徒言行禄27:13~38

「皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に告げられたことは、その通りになります。」(27:25)

ローマに向かうパウロを乗せた船が、嵐に襲われて漂流してしまいました。パウロは「今は船出するべきではない」と言いましたが、熟練の船乗りたちは「次の港に行ってそこで冬を過ごそう」と決断したのです。パウロを護送するローマの百人隊長ユリウスは、パウロではなく船乗りたちの判断を信用しました。

船出した後、静かな南風が北東の風に変わり暴風となりました。当時の船乗りたちが「エウラキロン」と呼んで恐れる暴風です。船は風に逆らって進むことが出来なかったので、流されるままになりました。15節でも17節でも、「流されるにまかせた」とあります。人間の力ではもう進路を取れなくなった、ということです。

更に船は暴風に悩まされたので、人々は「積荷を捨て始めた」「三日目には船具を捨てた」とあります。20節を見ると、「助かる望みは全く消えようとしていた」と書かれています。皆、船酔いして、陸を近くに感じた船乗りたちは逃げ出して自分たちだけ助かろうとしたりもしています。船に乗っていた人たちが極限の状況でもがく様子がわかります。

さて、我々はこの漂流する船の様子に何を見るでしょうか。この極限の状況・危機の中に果たして神のご計画を見ることが出来るでしょうか。使徒言行禄はパウロの姿を通して、私たちに神のご計画の進展を見せようとしています。そして、私たちが生きているこの世界の本当の支配者を見せようとしています。

私たちは船が置かれた危機の中で人々がどこに救いを見出したのか、どのように励ましを得たのか、ということを見たいと思います。嵐の中漂流する船の上で、人々を励ましたのは、船乗りたちではありませんでした。パウロでした。熟練した船乗りたちの航海術ではなく、キリストを信じる一人の信仰者の祈りの姿に皆希望を見出していったのです。

もう船乗りたちの熟練した航海の腕も、百人隊長の軍人としての権威もこの船の上では何の意味も持ちませんでした。不思議なことに、ローマに運ばれる一囚人であるパウロが、舟の上で指導的な立場になって行きます。皆が希望を捨てる中、パウロだけは希望を捨てませんでした。一人のクリスチャンが抱く信仰の希望が、最終的に人々を元気づけていくことになったのです。

パウロは神の言葉を聞いていました。

「恐れるな。あなたは皇帝の前に出廷しなければならない」24節

これは、「出廷することになっている、神によってそう定められている」という意味合いの表現です。

26節でもパウロは「必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」と言っていますが、これも、元の言葉では「打ち上げられることになっている、神がそうお決めになっている」という意味の言い方なのです。

パウロは神の言葉を聞き、神のご計画を知りました。それを人々に伝えました。神はこの危機の中で、私たちに何かを見せようとなさっている、静かに神の御声に向き合おう、と伝えたのです。パウロは今、一人の預言者として神の言葉を同じ船の上に載っている人たちに語っています。

パウロは、この危機の中で本当に畏れるべきものを知っていました。嵐ではありません。神です。嵐そのものではなく、嵐の中で神を見失うことの方が怖いのです。

パウロは預言者として人々に伝えました。「船は失うが、誰一人として命を失うものはない。一緒に航海している全てのものをあなたに任すと神がおっしゃっている。」彼は神を信頼する一人のクリスチャンとして、その信頼を貫き、絶望的な状況にある船の上で、人々に頼るべき方を示しました。

この船の上でのパウロの姿は、旧約聖書のヨナ書に出てくるヨナと比較することができます。ヨナ書のヨナと反対のことをパウロはしています。

神はアッシリアのニネベに行って、人々にイスラエルの神への立ち返りを告げるようヨナにお命じになりました。当時のアッシリアはイスラエルにとっての敵であり、イスラエルよりもはるかに強大な帝国でした。

ヨナは、神から与えられた使命を嫌がりました。そんなことをしたらアッシリアの人たちに殺されるかもしれません。しかも、敵であるアッシリアの救いのために働きたくなどありません。

ヨナは逃げ出しました。船に乗り込んで、ニネベとは反対の方向に向かいます。彼は神の使命から逃げたのです。しかし、そのことでヨナを乗せた船は嵐に巻き込まれてしまいます。一人の預言者が神から逃げたことによって、舟が嵐に巻き込まれてしまう、という物語です。

旧約聖書のヨナ書は、「逆転」の物語です。イスラエルの預言者が、イスラエルの神から逃げてしまいます。逆に、神の招きを聞いた異教徒や異邦人がイスラエルの神の言葉に従い、神の前に悔い改めました。

ヨナ書の最後で、ニネベの人たちがイスラエルの神に立ち返ると、預言者ヨナは怒っています。ニネベなど、滅びてしまえばいい、と思っていたのでしょう。ヨナは、ニネベで神の裁きを告げた後、少し離れたところで、ニネベに神の裁きが下されるところを見ようと思いました。それなのに、ニネベの人たちはヨナの言葉を聞いて悔い改め、イスラエルの神に立ち返り、神はニネベの人たちをお許しになったのです。

ヨナは神に対して怒りました。しかし神はおっしゃいます。

「お前は、自分で弄することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうして私が、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、12万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」

ヨナ書は不思議な物語です。異邦人に向かう神の招きという愛を通して、イスラエルの預言者にもとらえきることのできないほどの救いの広さが描かれているのです。

パウロを乗せた船はそれと反対のことが起こっています。確かに、船は嵐に巻き込まれました。しかし、神の言葉・福音を携え、神の使命に従ってローマに行こうとする預言者パウロが船に乗っていることで、船は嵐の中でも守られるのです。

パウロはなぜ、ヨナのように不安にならなかったのでしょうか。神から逃げようとしなかったのでしょうか。

イエス・キリストは、「ヨナのしるし以外にはしるしは与えられない」とおっしゃいました。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいて、その後陸地に吐き出されました。イエス・キリストも三日間墓の中にいて、三日目の朝に復活されました。それがこの世に与えられた救いのしるしです。たった一つのしるしなのです。

パウロは、復活されたイエス・キリスト、つまり、「ヨナのしるし」を見ました。キリストの復活を信じる者は、どんな苦境に置かれても祈るべき方を知っています。復活のキリストです。私たちのために十字架で死に、私たちの罪を背負い、復活を通して永遠の命の希望を示してくださったキリストです。

苦境にあればあるほど、我々の祈りは強くなります。苦境にあればはるほど、私たちは嵐を沈めてくださるイエス・キリストを見失ってはならないのです。私たちは自分の祈りをどなたに向かってぶつければいいのかを知っています。それが、信仰者がもっている強さなのです。

パウロは、船具まで捨てて動けなくなり、流されるままになった船の上で人々に繰り返し「元気を出しなさい」と言います。「今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。『神は、一緒に航海している全てのものを、あなたに任せてくださったのだ』、天使が言いました。ですから、皆さん、元気を出しなさい」

二週間経った時、パウロは一堂に食事をするように勧めました。「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」

パウロは、なぜこんなにも自信をもって「大丈夫だ。元気を出しなさい」と言えたのでしょうか。パウロ本人に自信があったからではありません。パウロが神を信頼し、その神がそうおっしゃったからです。

イエス・キリストは、世の終わりの時が来ることを弟子達にお話しなさったことがあります。「世の終わりが来る前に、人々はあなた方に手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、私の名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなた方にとって証をする機会となる」

キリストは、「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、私があなた方に授ける」と約束してくださいました。そして、こうおっしゃいました。「私の名のために、あなた方は全ての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命を勝ち取りなさい」

キリスト者は、世の終わりまで逆風に吹かれることになります。イエス・キリストご自身がそうだったように。キリストに従う私たちもその逆風に身をさらすのです。

しかし、その逆風の中でこそ、私たちには神のご計画が、イエス・キリストのお姿が、聖霊の守りがよりはっきりと示されるのです。ガリラヤ湖の小舟の中で、嵐を沈められたキリストを見た弟子達のように。嵐の中でこそ、逆風の中でこそ、私たちはメシアが近くにいてくださることを知るのです。

パウロは「食事をしよう」と船にいた人たちに提案しました。そして一同の前で、自分がパンを取って、神に感謝の祈りを捧げてから、それを裂いて食べ始めました。普通だったら、「無神経な奴だ」と思われるのではないでしょうか。

しかし、それを見た人たちは、パウロに倣って食事を始めました。船に乗っていた276人が、「元気づいて食事をした」と書かれています。

なぜ人々は元気づいて食事をしたのでしょうか。何に元気づけられたのでしょうか。どこを見回しても助かる見込みはまだ見えません。漂流する船の上で皆が不安で食事もとれなくなっていた中で、パウロという一人のキリスト者が、神に全幅の信頼を寄せて船の上で食事をする姿が、皆を元気にしたのだ。パウロが祈り、静かに神に感謝をささげて食事をする姿が、不安と絶望の中にあった人たちに希望となったのです。 Continue reading

9月17日の礼拝案内

次週 礼拝(9月17日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄27:13~20

 交読文:詩編18:2~7

讃美歌:讃詠546番53番、154番、230番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

◇9月12日(火) 三宅島伝道所支援員会・伊豆諸島伝道委員会

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

9月10日の礼拝説教

使徒言行禄27:1~12

「百人隊長は、パウロの言ったことよりも、船長や船主の方を信用した」(27:11)

パウロが神殿で捕えられてから二年以上が過ぎました。二年以上も、パウロはユダヤ人たちから裁判で訴えられたり、総督やユダヤの王に対して弁明をしたりして、カイサリアのローマ兵の駐屯地から出ることができませんでした。

狭い場所で忍耐しながら地道に自分の無実を語り、イエス・キリストの福音をローマの総督やアグリッパ王に伝えようとするパウロは、自由に活動できない閉塞感を感じていたでしょう。そのパウロの姿をここまで見て来た私達も、息が詰まるような思いありました。

いよいよ、事態が動き出すことになります。自分の裁判を、ローマ皇帝の下に直接もっていく決断をしたパウロはローマに向けて出発することになりました。

囚われていた狭い部屋から、パウロはようやく出ることができました。しかし、自由になったわけではありません。まだパウロはローマの鎖につながれている囚人です。次に自分に何が起こるか、パウロ自身は知りませんでした。

しかし、パウロに焦りはありませんでした。小石が投げられて点々と転がるように、パウロは自分の意志に反して、予想もしなかった所へと運ばれていきます。それでもパウロは信じていました。今自分をローマへと運んでいるのは神であり、自分が神のご計画の内に用いられている、ということを。

パウロは三度目の福音宣教の途中で、エルサレムに戻ることを決心したときにこう言いました。

「私はエルサレムに行った後、ローマも見なくてはならない」

エルサレムに戻る途中、キリスト者の仲間たちにこうも言っています。

「今、私は霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるのか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」

神は聖霊を通して、エルサレムで待ち受けている苦難と投獄をパウロに伝えて来られました。そして、苦難と投獄へと至る道を「そのまま行け」、とお命じになっていたのです。パウロが知っていたのは、それだけでした。

しかし、その道が苦難の道であっても、神が自分に用意してくださった道であるということを知っていれば、神の救いの御業のために用いられる喜びをもって進むことが出来るのです。

パウロはこれからどうやって自分が苦難を乗り切ればいいのかは知りませんでした。しかし、その道を神が乗り越えさせてくださることは知っていたのです。これからパウロは、自分に与えられる様々な神の守りを目撃していくことになります。

パウロを護送することになった皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスという人は、パウロを親切に扱い、パウロがキリスト者たちと会うことも許してくれた、と書かれています。これも、パウロに与えられた神の守りでした。

ローマへと向かったのは、パウロだけではありませんでした。「パウロと他の数名の囚人」、そしてアリスタルコという人も一緒だったことが書かれています。

更に、27:1を見ると、「私たち」がローマに向かったという書き方がされています。

「彼ら」は出発した、ではなく、「私たち」は出発した、という書き方です。

この使徒言行禄を記録したルカ本人もこの中にいたのかもしれません。しかし、それだけでなく、今聖書を読んでいるまさに私たちも、ここで言われている「私たち」の中に含まれているのだ。聖書は、このパウロの旅を、今聖書を読んでいる「私たち」の旅として見せようとしているのです。

ささいな言葉遣いの変化ですが、私たちはここにも神の導きを見ることが出来るのではないでしょうか。神はいつでも、信仰者を一人にはしておかれないのです。信仰者はいつでも「私達」なのです。決して一人ではありません。

アリスタルコという人は、19章、20章にも出て来た人です。エフェソではパウロと一緒に捕らえられています。そしてパウロがエルサレムに戻る時には、アリスタルコはヨーロッパのテサロニケの人であったにも関わらず、パウロに同行しています。

船がシドンの港に入った時にはパウロは「友人たち」に会うことが出来ました。この「友人たち」というのは、シドンのキリスト者たちのことです。単なる知り合い、ということではありません。

ここまで、私達はカイサリアに二年間留め置かれたパウロを見て来ました。「パウロは孤独な戦いをしている」と見えたのではないでしょうか。しかし、彼は一人ではなかったのです。多くの人たちの祈りの支えがありました。地中海世界各地で、パウロのことを思い、各地で祈っていた人たちがいたのです。

パウロはフィリピの信徒への手紙の中で、「それにしても、あなたがたは、よく私と苦しみを共にしてくれました」と書いています。それがパウロの喜びでした。それが、信仰の喜びでした。キリストのための苦しみを共にする信仰の友がいる、ということです。

私たちにとって、キリストに従うこと・キリストを信じることは、生きる道が平たんになる、ということではありません。キリストの痛みに共に与り、キリストのための痛みを一緒に担う信仰の友が与えられるその喜びを生きる、ということなのです。その信仰の交わりの中で、私たちは、キリストがおっしゃった「私のくびきを負いなさい。私のくびきは軽い」という言葉の意味を知るのではないでしょうか。々キリスト者は孤独ではないのです。

繰り返しますが、使徒言行禄を書いたルカは、ここで「私たち」という言葉をつかいます。この「私たち」という言葉の中には、今の私たち、今のキリスト者も含まれています。今ここにいる私たちも、パウロと旅をする仲間へと入れられているのです。

イエス・キリストは、ご自分の宣教の初めに、弟子達をガリラヤ地方へと遣わされたことがあります。その際、一人一人をバラバラに派遣されたのではありませんでした。二人一組で派遣されています。キリスト者は、孤独ではありません。祈るにも、礼拝するにも、福音宣教に向かうにも、信仰の友がいつも備えられているのです。ローマへと船出するパウロとその周辺を見ると、そのような神の御業が見えます。そしてそれは、今も私たちに与えられている神の備えでもあるのです。

さて、ローマへの航海が始まりました。現在のトルコの南の海を西へ西へと向かって行くことになります。当時のーマ帝国内の海の行き来は、個人の船、商船によるものでした。百人隊長ユリウスの最初の仕事は、西に向けて乗せてくれる船を探すことでした。

まず一行はアドラミティオンという港から各地に寄港することになっていた船に乗り込みました。翌日はシドンの港に着き、パウロはキリスト者たちとの食事をしたようです。そこからまた船出をして、リキア州のミラという港に着き、そこで、イタリアまで行くアレクサンドリアの船を見つけて乗り込みました。

船は向かい風に悩まされました。結局、クレタ島の「良い港」と呼ばれる港に着いて、しばらくそこで時を過ごすことになります。向かい風に足止めされてしまったのです。

ここから、また事件が起こることになります。

パウロたちを乗せた船は、選択を迫られました。この船は商船だったので、荷物を運ばなければなりません。しかし、今は風が収まるのを待たなければなりません。このままクレタ島の「よい港」で待機するか、無理してでも船出するか、船乗りたちは決断しなければなりませんでした。

「良い港」に入って、風をやり過ごすうちに、「かなりの時がたって・・・航海はもう危険」な時期になってしまいました。9月中旬から冬をまたいで3月までは海が荒れるのです。その時代の船乗りは、その時期は船を出しませんでした。

しかしこの船には熟練のギリシャの船乗りたちが集められていました。彼らはイタリアのローマまで行くことに自信を持っていました。パウロたちが乗っている船は、大きなもので1000人を乗せることもできました。熟練の船乗りたちと、大きな船です。船乗りたちは、風があってもより安全なフェニクスという港に入って冬を過ごすことにしあした。

しかし、ここでパウロが、この船出を避けるように船にいる人たちを説得しようとしました。船はここから動かさない方がいい、と船乗りでもない素人のパウロが言ったのです。

聖書には「百人隊長はパウロよりも、船長や船主の方を信用した」とあります。私たちは、ここで、百人隊長がパウロではなく船乗りたちの言葉の方を信じた、ということに注目したいと思います。

それは当然でしょう。海での経験がないパウロよりも、経験豊かな海の男たちの判断を信用するのが自然です。船は大きいし、船を操るのは熟練の船乗りたちです。

しかし、パウロの言葉は神の預言です。このことを見ると、人間が神の言葉を聞き分けるということがいかに難しいか、ということがよくわかります。

旧約聖書の列王記下5章に、アラム人の軍人のナアマンという人が出てきます。アマンは、皮膚病を患っていました。イスラエル人の召使の少女から、「イスラエルの預言者にところに行けば癒してもらえるのでは」と言われ、預言者エリシャのもとに向かいました。

ナアマンは、エリシャの下に向かう途中で、エリシャの使いの者から「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい」というエリシャの伝言を聞きました。 Continue reading

9月10日の礼拝案内

 次週 礼拝(9月10日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄27:1~12

 交読文:詩編18:2~7

讃美歌:讃詠546番52番、124番、402番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

◇9月12日(火) 三宅島伝道所支援員会・伊豆諸島伝道委員会

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後 Continue reading

9月3日の礼拝説教

使徒言行禄26:19~32

「預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。」(26:22)

キリストの使徒パウロは、ユダヤの王アグリッパから「お前は自分のことを話してよい」と弁明の機会を与えられました。その際パウロが語った「自分のこと」とは、「キリストが出会ってくださった自分・キリストに救われた自分」のことでした。単なる自己弁護ではなく、自分の信仰を語り、自分が今誰に仕えているのか、誰のために自分を捧げているのか、ということをアグリッパ王に伝えたのです。イエス・キリストとの出会いを語ることなく、パウロは「自分のこと」を語ることはできませんでした。

今、私たちは、使徒言行禄で最後のパウロの弁明の言葉を見ています。ここでのパウロの言葉の中に彼の信仰・宣教が凝縮されている、と言っていいでしょう。

パウロはキリストによって召された次第を語りました。キリストに召された時、「人々の目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせるため、異邦人のもとに遣わす」と言われました。復活のイエス・キリストから使命を与えられたのです。

彼はアグリッパにはっきりと言い切ります。

「私は預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです」

ここまでパウロは、自分が聖書に残されてきた言葉以外は語っていないこと、イエス・キリストこそ聖書に約束されていたメシアである、ということだけを語って来ました。それがパウロにとっての「自分のこと」だったのです。

アグリッパ王は、驚いたのではないでしょうか。パウロが「私は無実なので解放してください」と自分自身の無実を弁明するだろうと思っていたのではないでしょうか。

「お前は私をキリスト信者にしてしまうつもりか」と言いました。アグリッパはユダヤ人の王だったので、聖書の言葉は知っています。預言者の言葉も知っていました。

アグリッパは、パウロという一人のキリスト者を前にして、預言者が伝えて来た神の救いの約束をイエスという方の十字架と復活に見出すかどうか、その岐路に立たされることになりました。この後アグリッパ王が主イエスへの信仰をもったのかどうか、ということは聖書には書かれていません。おそらくは信じなかったでしょう。

私たちこの場面を通して一つはっきりとわかります。パウロに出会う人、パウロの言葉を聞く人たちは、誰もがイエス・キリストへの信仰の岐路に立たされることになった、ということです。

私たちはここで、自分たちに与えられているキリスト者としての証しの力ということを考えたいと思います。自分自身の信仰生活を振り返ると、一体どれだけキリストを証しすることができているでしょうか。「そう言われると、自分はキリストに対して胸を張ることは出来ない」と下を向いてしまうのではないでしょうか。

私たちは会う人会う人に聖書を説明するわけではありません。自分のキリスト証言の小ささ・無力さを誰もが思うのではないでしょうか。

しかし、私たちキリスト者は、キリストが出会ったくださった者・一人の小さなクリスチャンとして生きる中で、多くの人を、キリストの前に立たせることになっているのです。

誰かが私たちに出会うということは、「キリスト者に出会う」ということです。そしてそれは、「キリスト者を生かすキリストに出会う」ということでもあります。

実は私たちは、キリスト者として日々を生き、誰かに出会い、誰かと時間を共に過ごすことで証の業を行っているのです。私たちは聖霊に用いられている、ということを覚えたいと思います。

パウロはアグリッパに問いかけました。

「アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います」

これは、今使徒言行禄を読んでいる私たちに向けられた言葉でもあります。「あなたは、預言者の言葉を信じているか。預言者たちが残した預言の言葉の通り、ナザレのイエスは復活なさった。それを信じているか」

キリストの復活を信じて日々祈り、礼拝に向かう私たちの姿は確かに神によって用いられています。私たち自身が、神のご栄光を映し出す鏡として用いられているのです。私たち自身に栄光の光はありません。だから私たちは神の栄光を映し出すのです。

改めて考えると、私達はなぜ神によってキリスト者とされたのでしょうか。自分の何がキリストに相応しかったのでしょうか。なぜ私たちは今、この礼拝の群の中へと召されたのでしょうか。何か、神の目を引くようなことをしたのでしょうか。パウロのように福音宣教のために世界中を旅したような人がここに集まっているのではありません。

しかし、私たちにとって、自分の信仰に対する自己評価などは関係ないのです。神が私を選んでくださった、その選びが全てだからです。

パウロはどうだったでしょうか。パウロは教会の迫害者でした。パウロは自分のことを「神の教会を迫害した私はキリストの使徒と呼ばれるのに一番ふさわしくない」と手紙の中で書いています。

私たちが今ここに召されているのも、教会の迫害者パウロが召されたのも、理由は一つです。神の恵みによって、です。

預言者たちが召されたのと同じ理由です。預言者イザヤは、神の言葉を伝えている。

「主である神はこう言われる。神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。主である私は、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光としてあなたを形作り、あなたを立てた。見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために」

イザヤは、「恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った」という神の言葉を伝えています。私たちが今ここにキリスト者として召されたのは、ただ神の恵みなのです。私たちの側には何の理由もないのです。ただ、神が私たちに恵みを示し、召してくださったのです。

「目の見えない人を導いて知らない道を行かせ、通ったことのない道を歩かせる」と神はイザヤを通しておっしゃっています。私たちこそ、「目の見えない人」ではなかったでしょうか。キリストが出会ってくださり、私たちの目を開き、それまで知らなかった道を与えられ、今「通ったことのない道」を歩かせていただいている・・・それが私たちの信仰生活です。それが、今の私達なのです。

私達は確かに神によって見せられ、歩ませていただいているということを忘れてはならないのです。

パウロの弁明を脇で聞いていた総督フェストゥスはパウロに向かって、「お前は頭がおかしい。学問のし過ぎで、おかしくなったのだ」と言いました。総督にはパウロがそう見えたのでしょう。

恐らく、キリストを信じて生きる私たちも、そのように思われたり、言われたりすることがあるでしょう。愚か者呼ばわりされるかもしれません。しかし私たちは、キリストとの出会いを否定することはできません。目の見えていなかった私に、それまで知らなかった道を示してくださった神を否定することはできないのです。

私たちはそれぞれ、どのようにキリストを知ったでしょうか。どのように神を信じるようになったのでしょうか。偶然としかいいようのないことの連続の中で、私たちは信仰を抱くようになったのではないでしょうか。どんなに否定しようが、「キリストは生きていらっしゃる」としか思えないような何かが、それぞれにあったからでしょう。

旧約聖書の創世記で、アブラハムが神のみ使いに会う場面があります。暑い真昼に、アブラハムが天幕の入り口に座っていました。彼がふと目を上げて見ると、三人の神のみ使いがアブラハムに向かって立っていた、と書かれています。

アブラハムにとっては、驚きでした。アブラハムは、いついつ、どこで神に会おう、と思っていたのではないのです。無防備に休んでいた、ふと目を上げると、そこに神がいらっしゃったのです。

人は、自分で神との出会いを作り出すことはできません。神が恵みをもって場所と時を選び、最も良い時に、自分の前に現れてくださるのです。我々人間が期待もしていない時、想像もしていないような仕方で出会ってくださいます。私たちのキリストとの出会いもそうだったのではないでしょうか。

人から「お前は頭がおかしい」と言われても、あの時、神が、キリストが私に出会ってくださったことを無しにすることはできないのです。

アグリッパ王は立ち上がりました。もうパウロの弁明の時間は終わった、ということです。その場でパウロの言葉を聞いた人たちは皆、パウロが無実であることを確信しました。そして「皇帝に上訴していなければ、釈放してもらえたのに」と言いあいました。

パウロは自分の無実が証明されて釈放されること以上に、ローマ皇帝に上訴するためにローマに行き、自分の信仰を言い表すことを選びました。パウロはキリストとの出会いを無しにすることはできなかったのです。

パウロは手紙の中でこう書いています。 Continue reading

9月3日の礼拝案内

次週 礼拝(9月3日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄26:19~32

 交読文:詩編18:2~7

讃美歌:讃詠546番31番、85番、493番、頌栄540番

【報告等】

◇次週、聖餐式があります。

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

◇9月12日(火) 三宅島伝道所支援員会・伊豆諸島伝道委員会

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日  Continue reading