6月18日の礼拝案内

次週 礼拝(6月18日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄21:27~40

 交読文:詩編17:6~12

讃美歌:讃詠546番、20番、214番、329番、頌栄539番

【報告等】

◇6月17日(土)10時より 役員会があります。

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

6月11日の礼拝説教

使徒言行禄21:17~26

「この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったいどうしたよいでしょうか」

三度目の福音宣教の旅から戻って来たパウロはエルサレム教会に行き、そこで自分がこれまで行ってきた宣教の様子を報告しました。パウロには、その必要があったのです。「自分の宣教が、自分の思いでしたことではなく、聖霊に導かれた神の御業であった」、ということをきちんと伝えなければなりませんでした。

パウロは、どこかの教会から正式に派遣された使徒ではありませんでした。はじめはアンティオキア教会から派遣されましたが、二度目の宣教旅行に向かう際、一緒に宣教の旅に出ようとしたバルナバと決別することになり、それ以来、自分一人の裁量で宣教に従事することになりました。いわば、パウロは「フリーランスの使徒」でした。

そのため、パウロはエルサレム教会の人たちに、好き勝手に活動したのではないことに加えて、自分を通して聖霊が働き、神の御業が行われていったということを報告する必要があったのです。

パウロの三度目の宣教旅行の様子を聞いたエルサレム教会の指導者ヤコブ、長老たちは皆神を讃美しました。あらためて、パウロが神に召され神の御業のために働いた人である、ということを確信しました。

しかし、エルサレム教会の人たちには、パウロに関して一つ大きな心配事がありました。それは、この時パウロが多くのユダヤ人キリスト者たちから誤解されていた、ということです。それは、「パウロが異邦人の間に住んでいるユダヤ人たちに、神の教え・律法から離れるように教えている」、とう誤解でした。

パウロが使徒として召されてからもう20年以上がたち、その間パウロは異邦人への福音宣教の旅を続けていたので、エルサレムで実際にパウロを知っている人は少なくなっていたようです。

パウロが一回目の福音宣教の旅から、異邦人伝道の拠点であったアンティオキア教会に戻った時、ユダヤからあるキリスト者たちがやって来て、「あなたがた異邦人もユダヤ人と同じように割礼を受けなければ救われない」、と言って来ました。ユダヤ人にとって、割礼こそ神の民の一員とされたことの徴であり、異邦人・異教徒と区別される徴だったのです。それなのに異邦人キリスト者たちは、神への信仰をもったにもかかわらず割礼を受けないでいる、ということを懸念したのです。

パウロ自身もユダヤ人で割礼を受け、モーセの律法に従う者の一人でしたがそれに反対しました。キリストを信じ洗礼を受けた異邦人たちの上に、割礼を受けていないにも関わらず聖霊が降るのを見たからです。異邦人キリスト者たちは、割礼を受けないまま聖霊を受け、神の救いに入れられていました。

パウロはバルナバと一緒にエルサレムに行き、「キリストの信仰があれば神はその人を受け入れられる。異邦人に割礼は強要しなくてもいいのです」と主張しました。反対する人たちもいましたが、ペトロもその場でパウロと同じことを言ったので、皆が納得して、異邦人キリスト者たちを悩ませないように、異邦人キリスト者には割礼は強要されないという原則を手紙に書いて、諸教会に送りました。

パウロは「割礼ではなく、キリストへの信仰によって神に受け入れられるのだ」と言い続けてきた人でした。時間が経ってエルサレム教会の中にもいろいろと変化があったようです。まず、今日読んだところを見ると、エルサレム教会にペトロがいません。恐らく、どこかに宣教の旅に出かけていたのでしょう。そしてヤコブがエルサレム教会の指導者となり、長老たちと一緒に教会の秩序を守るようになっていました。

時間が経つにつれてエルサレムのユダヤ人たちから、「昔教会を迫害していたパウロは、ユダヤ人律法から引き離そうとしている」という誤解ができてしまったのです。

一世紀当時のユダヤ人の間には、律法に対する民族的な熱心さがありました。その熱心さには、ローマに対する政治的・宗教的な反発も含まれていました。神からユダヤ人に与えられた律法の言葉こそ、彼らのアイデンティティでした。

そのような中で、パウロは誤解されてしまうようになったのです。実際は、パウロは律法を捨てなさいなんてことは言っていません。「神に救われるために必要なのは、キリストへの信仰である」「割礼以上に信仰が大事なのだ」、という単純な真理を伝えてきただけでした。神の教えを捨てるようなことを勧めたことなどありません。

エルサレム教会の指導者であったヤコブ、そして長老たちは、パウロに対する誤解を解かなければならない、と考えました。彼らはパウロに一つの提案をしました。教会の中に、誓願を立てた人たちがいるので、その人たちと一緒に神殿に行き、彼らの誓願のために費用を出してほしい、というものです。

そうやって、「パウロは律法を守って正しく生活をしている者である」「パウロは神の教えを大切にしている」、ということを皆に見てもらおうとしたのです。これは一種のパフォーマンスです。姑息なやり方にも思えますが、そんなつまらないことをしなければならないほど、パウロに対する誤解は大きかった、ということでしょう。

私たちはここを読みながら、どうして当時のユダヤ人はそんなに割礼にこだわったのか、また、そのことが教会にとってもどうしてそれほど大きな問題となったのか、ということに戸惑うのではないでしょうか。

一世紀のユダヤ人にとって、割礼は神の民イスラエルの一員であるしるしでした。それはアブラハム以来続いてきた、信仰のしるしでした。しかし、神は、ユダヤ人でなくても、割礼を受けていなくても、キリストを求める人に聖霊を注がれ、御自分の息を吹きかけ、身元へと召されました。割礼無しで誰かが神に受け入れられるということは、最初はキリスト教会にとっても大きな驚きでした。それほど、イスラエルの民は割礼に重きを置いて、神の民として生きて来たのです。

私たちは聖書を読む際に、ユダヤ人と非ユダヤ人・異邦人の間にあった壁はそれほど大きなものであった、ということを踏まえなければならないのです。そして、私達は何より、その「隔ての壁」を取り除いてくれるのが、イエス・キリストへの信仰である、ということを教えられているのです。

パウロはエフェソの信徒への手紙の中で、異邦人キリスト者に向けてこう書いています。

「あなたがたは以前は肉によれば異邦人であり、・・・割礼のない者と呼ばれていました。・・・しかし、あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近いものとなったのです。実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し・・・十字架を通して両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」

イエス・キリストが世に来られ、十字架で全ての壁・敵意を取り壊してくださった今、もう「ユダヤ人かどうか」「何人なのか」「割礼は必要かどうか」ということは問題にはなりません。

イエス・キリストへの信仰は「何人か」「割礼を受けているかどうか」という自分一人の問題ではなく、自分と誰かの間にある壁を壊す大きな平和の力であるということを覚えたいと思います。

パウロは、人と人の間にある壁と戦った人だったと言っていいでしょう。そしてその壁を壊すのはイエス・キリストのお名前だけなのです。イエス・キリストという一つのお名前の下に皆が集った時、人は一つになれるのです。

パウロはユダヤ人でありながら、ユダヤ人が持つ偏見と闘いました。新しい信仰集団を作ろうとしたわけではありません。

パウロ自身は、ローマの信徒への手紙の中でこう書いている。

「神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のないものをも信仰によって義としてくださるのです。それでは、私たちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです」

割礼の有無ではなく、信仰の有無にこそ、私たちの信仰生活の本質なのだ、と言っています。今の私達からすれば、「当たり前ではないか」と思えるようなことかもしれません。

しかし、この時パウロに対して持たれていた誤解を通して、私達は今の自分自身のことを省みることが出来ると思います。キリストへの信仰以上に、何かの見た目であるとか、形であるとか、人からの評価とか・・・そんなものに心を向けていないでしょうか。

旧約時代、イスラエルが堕落した時に、神は預言者イザヤを通してイスラエルにおっしゃった。

「見よ、断食の日にお前たちはしたいことをし、お前たちのために労する人々を追い使う・・・そのようなものが私の選ぶ断食・苦行の日であろうか。・・・私の選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと」

割礼にしても、断食にしても、ただそれをすればいい、というものではありません。神が、割礼を通して断食を通してイスラエルに何をお求めになったのか、ということが重要なのです。

詩編の詩人はこう歌っている。

「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす捧げものが御旨にかなうのなら、私はそれを捧げます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません」 51篇

信仰者の業は、割礼であれ断食であれ、神の前に悔い改め、神に立ち返り、神がお求めになる平和を打ち立てるためのものなのです。

今、イエス・キリストが来て、それを伝えてくださいました。キリストはただ、御自分に従って生きることをお求めになりました。

「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父の下に行くことができない」 Continue reading

6月11日の礼拝案内

次週 礼拝(6月11日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄21:18~26

 交読文:詩編17:6~12

讃美歌:讃詠546番、19番、166番、288番、頌栄539番

【報告等】

◇6月10日(土)10時より 役員会があります。

【牧師予定】

◇6月13日(火) 富士見町教会にて

 伊豆諸島伝道委員会・三宅島伝道所支援委員会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

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主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会  Continue reading

6月4日の礼拝説教

使徒言行禄20:36~21:17

「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、私は覚悟しているのです」(21:13)

今日私たちが読んだところが、パウロの福音宣教の旅の最後の場面になります。この後も、パウロの旅は続き、エルサレムに向かい、最後にローマに至ることになります。しかし、それは今までのような「福音宣教の旅」ではありません。

これまでのパウロの旅は、新しい町に行って福音を告げ、教会を設立したり、既に設立された教会をめぐって信仰の励ましを伝えて回ったりするものでした。これからは、エルサレムで捕えられ、裁判を受けるためにローマへと護送され囚われの身となる旅となるのです。

これから私たちは、今までとは様子の違ったパウロの旅の姿を追っていくことになります。そこに見られる聖霊の導きに注意して読み進めていきたいと思います。

エフェソの長老たちに別れを告げてからエルサレムまで、パウロの一行がどのようなコースをたどり、どの町に寄ったのか、ということをルカは詳しく記録しています。一行は地中海沿岸を行く貿易船に載せてもらいながら、エルサレムに向かいました。

船はミレトスから出航し、パウロたちはパタラというところで船を乗り換え、ティルスの港に着きます。そこからプトレマイス、そしてカイサリアに行き、そこからエルサレムへと向かいました。

パウロは行く先々でキリスト者と会い、最後の別れをしています。次々と、パウロと親交のあったキリスト者たち・弟子達が出てきます。ティルスやプトレマイス、カイサリアという町々の教会員です。

使徒言行禄には、いつ、どのようにティルスやプトレマイオスやカイサリアに教会が設立されたのか、ということは書かれていません。私たちは、使徒言行禄に記されていることが、教会の歴史の全てではない、ということを踏まえなければなりません。使徒言行禄に書かれていないところでも、福音は聖霊によって広がっていたのです。

ヨハネ福音書の最後は、こういう一文で終わっています。

「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。私は思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」

キリストの言葉、御業を言葉に収めきることはできない、とヨハネは言います。福音書は、イエス・キリストの全てを書き尽くしているのではないのです。

使徒言行禄も同じです。聖霊の業、教会の業、一人一人のキリスト者の名前や無数の業を、全て書き残すことはできません。木が大地に根を少しずつ下ろしていくように、根を広げていくように、人間の目には見えない仕方で聖霊は福音を広げ、深めていたということです。

主イエスは、こういうたとえ話を残されています。

「神の国は、からし種のようなものである。土に蒔く時には、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」

キリストから使徒たちに託された福音の種は小さいものでした。使徒たちが蒔き、小さな信仰者の群れが少しずつ芽を出し、育っていきました。福音の小さな種は、無数の小さな信仰者たちの手に受け継がれていったのです。福音書にも、使徒言行禄にも名前が残っていない、小さな信仰者たちの、小さな信仰生活が、福音の種まきとなり、水やりとなり、福音に生きる人たちを新しく生みだしてきたのです。

無数の信仰者の、誰にも知られていない信仰生活が、聖霊によって用いられていった、だからこそ、パウロが行く所行く所でキリストを信じる人たちが待っていたのです。

ティルスも、カイサリアも、ユダヤ人の土地ではありません。旧約聖書ではティルスやカイサリアはむしろイスラエルの敵として出てくる異邦人の町々です。旧約時代の誰が、ティルスやカイサリアにイスラエルの神を信じ、メシアの下に集うキリスト教会が出来るなどと考えたでしょうか。

町々でパウロを迎えるキリスト者たちの姿こそ、人間には成し遂げることのできない聖霊の働きの証しです。私たちは、今日のような場面を通して、使徒言行禄に記録しきれなかった神の御業を見ることが出来るのです。

さて、パウロはエルサレムへの旅の途中に会う全てのキリスト者たちから警告を受けることになりました。ティルスのキリスト者たちから「エルサレムに行かないでほしい」と言われます。彼らも聖霊を通してパウロの行く道に苦難があることを知っていたからです。

カイサリアでもそうでした。キリストの使徒の一人、フィリポの家に滞在しました。フィリポには四人の娘がいて、四人とも預言者だったようですが、直接パウロが行く道に警告を発したのは、ユダヤ地方から来たアガボという預言者でした。この人は、以前、ユダヤからアンティオキアに行って大飢饉を預言した人でもあります。11:28

このアガボが、不思議なことをしました。

「パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。『聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ちに主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す』』」11節

これは象徴預言というもので、「こういうことになる」ということを自分の身をもって示す預言の仕方です。

キリスト者たちはみんな、このままエルサレムに行くと捕らえられてしまうことを知って、パウロに「行かないように」、と懇願しました。パウロ以外の全員が、このまま進むことに反対だったのです。

しかしパウロは既に、エフェソ教会の長老たちとも同じやり取りをしていました。エフェソ教会の長老たちにこう言っています。

「今、私は霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」20:23

パウロは自分に「行くな」と言う人たちに、告げました。

「泣いたり、私の心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか、死ぬことさえも、私は覚悟しているのです」

「あなたの道の際には受難が待っている」と言っても、パウロは「知っている。それでも行くのだ」と答えるのです。

パウロは自分が行きたいからそこに行こうとしているのではありません。神が行けとおっしゃっているから、聖霊がそこへと導いているから行こうとしているのです。それが神の御心だから、行くのです。

パウロはイエス・キリストの歩みに倣っています。キリストはご自分の前に受難があることをご存じで、それでも歩みを進めていかれました。私達はキリストが十字架へと引き渡される夜、オリーブ山でどのように祈られたかを知っています。

「父よ、御心なら、この杯を私から取り除けてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください・・・イエスは苦しみ悶え・・・汗が血の滴るように地面に落ちた」と書かれている。

受難に向けて歩む、ということは簡単ではありません。パウロだって淡々と進んでいたのではないでしょう。パウロもキリストのように必死に神の御心が自分を通して行われることを祈りつつ、歩んでいたでしょう。行く道が暗くても信仰に留まれるように、彼は何度祈ったでしょうか。

パウロは遂にエルサレムに入りました。そこでムナソンという人の家に泊まった、とあります。「パウロがムナソンの家に泊まった」ということには、大きな意味があります。

ムナソンは、「キプロス島出身の人」であり、「ずっと以前から弟子」であったキリスト者と書かれています。ムナソンというのはユダヤ名ではなく、ギリシャ名です。おそらく、キプロス島出身の、「ギリシャ語を話すユダヤ人」でしょう。

キリストの使徒、ステファノが殺された時、教会の人たちはエルサレムから追い散らされました。恐らくムナソンも、その時エルサレムから追放されたキリスト者の一人だったのではないでしょうか。

その時エルサレムから追放されたキリスト者たちは、追い散らされた先で、異邦人に福音を伝えていきました。そうやって、迫害を受けたキリスト者たちは、逃げながらキリストの福音を広めていったのです。キリスト者は、そういう仕方でキリストの受難の歩みを担っていきました。

ステファノが迫害され、ムナソンが追放されたであろう時、パウロはまだ教会の人たちを迫害し、追放する側の人間でした。その時教会の迫害者だったサウロが今、キリストの使徒パウロとして、迫害されたであろうムナソンの家に受け入れられ、キリストの受難に倣う道へと踏み出そうとしていることに、聖霊の導きの不思議を見るのではないでしょうか。

使徒言行禄を見ていると劇的な使徒たち・教会の姿があります。しかし、パウロだけが劇的なのではない。劇的なのは聖霊の働きです。私たちも、この不思議な聖霊の働きの中に置かれている一人とされていることを忘れてはなりません。 Continue reading

6月4日の礼拝案内

次週 礼拝(6月4日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄20:36~21:17

 交読文:詩編17:6~12

讃美歌:讃詠546番、16番、242番、285番、頌栄539番

【報告等】

◇次週、聖餐式があります。

【牧師予定】

◇5月30日(火) 赤羽会館にて 東京教区総会

◇6月13日(火) 富士見町教会にて

 伊豆諸島伝道委員会・三宅島伝道所支援委員会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

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主日礼拝 日曜日 10:00~11:Continue reading

5月28日ペンテコステ礼拝説教

使徒言行禄20:17~35

「今、神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます。この言葉は、あなたがたを作り上げ、聖なるものとされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることが出来るのです」(20:32)

使徒言行録は、文字通りキリストの使徒たちの言葉と行いを記録したものです。しかし、はじめから丁寧に読んでいくと、その使徒たちを導いた聖霊の働きの記録である、ということがわかります。

使徒たち召し出し、最初の教会を作り、今の私達まで導いてきた聖霊の働きに思いを向け、私達キリスト教会がもっている本当の「強さ」とは何か、私達の強さは何に根差しているのか、ということを捉えて行きたいと思います。

パウロの、最後の旅の様子を私達は見ています。聖霊はパウロに、これからエルサレムに行き、その後ローマに行く、という道を示していました。神のご計画を信じてエルサレムに向かう途中で、パウロたちを乗せた船はミレトスの港に停泊しました。その時間を使って、パウロはエフェソ教会の長老たちを呼び寄せて最後の別れをします。

パウロは自分がこれまでどのようにイエス・キリストに仕えて来たか・聖霊に導かれてきたか、ということを語り、その生き証人であるキリスト者として自分と同じようにキリストへの信仰に留まるよう励ましました。

パウロは、次に何が起こるのかを知らないままに、それでも聖霊の導きを信頼して「神の道・主の道」を歩いてきました。これまで苦難、投獄、嘲笑、暴力がありました。それでもパウロは、自分に与えられた様々な痛みをも、「自分に必要な神から与えられた試練」として、「神のご計画の実現のために必要な試練」として向き合って来たのです。試練のたびに、神はパウロのために新しい道を切り開いてくださってきたのです。

その自分の信仰の体験を踏まえた上で、パウロは、エフェソ教会の長老たちに言っています。

22節 「今、私は、霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるのか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきりと告げてくださっています。」

聖霊は、パウロを、困難の無い道へと恵みをもって導いて下さる、というのではありませんでした。「困難と投獄」が待ち受けている道へと導こうとしていたというのです。

パウロは以前から、教会の人たちに伝えて来ました。

14:22 「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」

そもそも、神がパウロを召された時、パウロの行く道についてこうおっしゃっっています。

9:15 「私の名のために、どんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」

パウロは「キリストを信じれば辛いことがなくなる、楽に生きられる」などというご利益を伝えません。「罪びとのために苦しんでくださったキリストに倣い、神の元へと立ち返ること」を教えるのです。

パウロは、自分の役割を、後に手紙の中でこう書いています。

フィリピ3:13「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」

パウロは信仰の歩みの先に、「賞・ご褒美」があることを言っています。信仰の試練・苦難の先に、神が私たちのために用意してくださっている何かがあるのです。だから、パウロは自分が苦難の中にありつつ、「皆一緒に私に倣う者になりなさい」と手紙に書くのです。「キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです・・・しかし、私たちの本国は天にあります」

パウロはエフェソ教会の長老たちに別れを告げ、もう二度と会うことはないことを知っていました。彼はここで、少し突き放したような言い方をしています。

26節「今日はっきり言います。誰の血についても、私には責任がありません。私は、神のご計画を全て、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです」

自分のやるべきことは全てやったのだから、あとはあなたたちの責任だ、という言い方で、少し冷たく感じます。

パウロは自分の手紙の中でもこう書いている。

ロマ15:19「私は、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました」

今のイスラエルからバルカン半島までの範囲を巡り、福音を全て語り尽くした、と断言しています。

パウロが「福音を語り尽くした」と言っているのは、自分が大きな群れを作った、ということではありません。パウロが関わって来た諸教会は、家の教会で、今のように何百人もいるような規模のものではありませんでした。たかだか数十人です。ある群れは数人でした。誰かの家に集まって、肩を寄せ合って福音を聴き、キリストに従っていた人たちです。

パウロが神から与えられた責任は、大きな教会を作ることができたかどうか、ではなく、示された場所で語るべき言葉を全て語ったかどうか、ということでした。イエス・キリストの十字架と復活を語り尽くしたかということだったのです。

これこそ、神が預言者にお求めになったことでした。旧約の預言者エゼキエルに神はこうおっしゃっています。

3:18 「もしあなたが悪人に警告して、悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、彼の死の責任をあなたに問う。しかし、あなたが悪人に警告したのに、悪人が自分の悪と悪の道から立ち返らなかった場合には、彼は自分の罪ゆえに死に、あなたは自分の命を救う。」 Continue reading

5月28日ペンテコステ礼拝の案内

次週 礼拝(5月28日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄20:17~35

 交読文:詩編17:1~5

讃美歌:讃詠546番、15番、181番、185番、頌栄544番

【報告等】

◇次週はペンテコステ礼拝です。聖餐式があります。礼拝後、愛餐会があります。

【牧師予定】

◇5月30日(火) 赤羽会館にて 東京教区総会

◇6月13日(火) 富士見町教会にて

 伊豆諸島伝道委員会・三宅島伝道所支援委員会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:Continue reading

5月21日の礼拝説教

使徒言行禄20:13~24

「今、私は霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるのか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(20:22~23)

パウロはエフェソに二年間留まり、ティラノという人が持っていた会堂で、毎日イエス・キリストの福音を語り伝えてきました。彼は、「エルサレムに行き、その後、ローマに行かなくてはならない」、という使命感を抱くようになっていました。

パウロが、まさにこれからエフェソを離れてエルサレムに行こう、という時に、エフェソの町の中で暴動が起こりました。アルテミスの女神の神殿の模型を作って利益を得ていた銀細工師が、パウロが「手で造ったものは神ではない」と言っているのを聞いて人々を煽り、エフェソの教会、パウロに対する暴動を起こしたのです。

エフェソの町の書記官が、この騒動を収めました。「訴え出たいことがあれば、正式な訴えを法廷に出しなさい。創でなければ、暴動の罪に問われる恐れがある」と言われて人々が解散するとすぐに、パウロは弟子達に別れを告げてヨーロッパのマケドニア州へと出発しました。自分がこれ以上エフェソに留まっていたらまた暴動が起こり、キリスト教会が危険にさらされることを憂慮したのでしょう。

パウロはギリシャから舟に乗ってエルサレムに向かうつもりでしたが、そこでもユダヤ人からの妨害があり、計画を変えて、陸路を行くことにしました。パウロは、自分の旅に同行していた人たちを先に行かせ、一人フィリピに残り、フィリピ教会の人たちと除酵祭・過越祭を祝いました。

今日私達が読んだのは、その後のことです。

除酵祭・過越祭が終わってエルサレムへと向かうパウロは急いでいました。

16節 「できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである」

パウロとその仲間たちは、途中のアソスという港町で、合流し、パウロも船に乗りました。当時は今のように、定期航路船が出ているわけではありませんでした。商人たちの貿易船に載せてもらう、という形で海を進んでいたのです。載せてもらっているので、当然自分たちの都合で急いでもらうことはできません。商人たちの商売に合わせて、船は港から港へと進んでいきます。

船はミレトスの港に寄港しました。どうやら、少し長くここで船は停泊することになったようです。パウロはその時間を使って、ミレトスの港からエフェソに人をやり、エフェソ教会の長老たちを呼び寄せました。

これが、パウロとエフェソ教会の長老たちとの最後の別れとなります。

パウロは、これがエフェソ教会の長老たちに会える最後の機会になることを聖霊を通して知っていました。その最後の機会に、パウロは何を伝えたのか。パウロが一人の牧会者として、二度と会うことの無い信仰の友たちに、何を伝えたのか、そのことに注目したいと思います。

パウロはこれまで、教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せてきました。これは、ユダヤ人の会堂での組織の在り方、つまり、イスラエルの組織運営を踏襲したものです。エフェソ教会は、12人ほどの小さな教会でしたが、群れの運営を中心的に担う長老が任命され、信仰生活を営んでいたのです。

パウロはエフェソ教会の長老たちに、自分の使徒としてのこれまで働きがどういうものであったのかを話しました。

18節以下 「アジア州に来た最初の日以来、私があなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。」

パウロは、「試練の中で、主に仕えて来た」と言っています。「エフェソ教会の人たちのために」ではなく、「主にお仕えしてきた」と言っています。エフェソ教会の長老たちは、自分たちがパウロと過ごした日々を思い出して、パウロの言葉を頷きながら聞いたでしょう。

パウロとエフェソ教会の人たちは、イエス・キリストを証言することに自分の生活を費やしてきました。それは、キリストのために苦しむ日々でした。たった12人ほどの小さな群れが、異邦人の町でキリストを信じて生きることがどんなに大変だったか、すぐに想像できるでしょう。パウロと諸教会のキリスト者は、「成功を共にした」のではありません。イエス・キリストのための苦しみを共にしてきたのです。

パウロはエフェソ教会の長老たちとキリストのための苦しみを共にしてきたことを伝えました。それは、キリストのための苦しみを、これからも担い続けるよう伝えるためでした。パウロは、「これから自分はいなくなるが、どんなことが行く手に待ち受けていようとも、キリストの道を行く自分に倣いなさい」と、エフェソの長老たちに伝えようとしたのです。

「私はいなくなるが、これからも苦しい道をそのまま行きなさい」というパウロの教えは、一見残酷にも聞こえます。しかし、それこそ、イエス・キリストがご自分に従おうとする人たちにお求めになったことでした。

「自分の十字架を背負って、私に従いなさい」

使徒言行禄には、キリストを知らない人たちに福音を伝える「福音宣教者」としてのパウロの姿が多く記録されています。しかし、ここでは、長老を任命し、その長老を呼んで信仰の励ましを伝える「牧会者」としてのパウロの姿を見ることが出来ます。

牧会者としてのパウロの実際にどんな言葉をもって教会を励ましたり叱責したりしたのか、ということは、新約聖書に入れられているパウロの手紙を見ればわかります。パウロはいろんな問題を抱えていた諸教会、ある時は叱責し、ある時は解決策を与えようとしました。

なんのためか、というと教会のキリスト者たちが、正しく信仰に留まるためです。パウロがあれだけたくさん手紙を書かなければならなかったほど、当時の教会は常に問題を抱え、迫害に苦しみ、忍耐の中で歩んでいたのです。

使徒言行禄のパウロの旅の記述を読むと、「励ます」と言う言葉が何度も出てきます。パウロは、これまでの宣教活動の中で、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、キリスト者たちを励ましてきました。なぜ教会には、キリスト者には「励まし」が必要だったでしょうか。皆、キリストへの信仰ゆえに、苦しんでいたからです。

パウロは、「なんとかしんどい思いをしなくて済むやり方はないか。教会が上手く世渡りができる上手いやり方はないか」などとは考えなかった。キリスト者の信仰生活は「逃げ隠れできない」ものだからです。

主イエスご自身がおっしゃっています。

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることが出来ない。・・・そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」

キリスト者は、隠れることが許されない光として生きることが求められているのです。

そのキリストの教えを踏まえて、パウロは呼び寄せたエフェソ教会の長老たちに「その苦難の生活を続けなさい」、と励ましました。パウロは、「エフェソの教会にはこんな問題があるから、こうして解決していきなさい」というような目先の、細かい指示を出しているのではありません。もっと根本的な、信仰の姿勢を言うのです。

イエス・キリストは弟子達におっしゃいました。

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」

パウロはキリストに従う苦難の中で、キリストが自分と共にいてくださっていることを何度も体験していきました。そして苦難の中に喜びを見出していきました。このことは、パウロだけではありませんでした。使徒言行禄5章の最後を見ると、ペトロたち、キリストの使徒が鞭打たれた後釈放された際、「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜」んだ、とある。

「キリストのために苦しむほどの者にされた喜び」を、キリスト者は信仰生活の中で知って行くのです。主イエス・キリストのための苦しみを共にする、ということが教会の喜びです。そこに信仰の不思議があります。 Continue reading

5月21日の礼拝案内

 次週 礼拝(5月21日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書:使徒言行禄20:1~20

 交読文:詩編17:1~5

讃美歌:讃詠546番、14番、177番、186番、頌栄544番

【牧師予定】

◇5月30日(火) 赤羽会館にて 東京教区総会

◇6月13日(火) 富士見町教会にて

 伊豆諸島伝道委員会・三宅島伝道所支援委員会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 Continue reading

5月14日の礼拝説教

使徒言行禄19:21~28

「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った」(19:21)

使徒言行禄を読むと、イエス・キリストの十字架と復活の後の二十数年間の福音の広がりの様子、教会の様子がよくわかります。ペトロやパウロといった、キリストの使徒たちの福音宣教の姿が記録されている。

ペトロもパウロも、後に教会に宛てて手紙を書き、その手紙が残されて新約聖書に入れられています。それらの手紙を見ると、当時の教会の内部の問題や、キリスト者としてのあり方について書かれています。「教会は全体でキリストの体を成しており、一教会、また一キリスト者はキリストの体の一部である」、ということが言われ、「キリストの体の一部として、聖く生きなければならない、世の誘惑に流されてはいけない」、と勧められています。

しかし、使徒言行禄では、教会の内部の問題や使徒たちがそれにどう対処したか、ということは書いていない。教会や使徒たちが「外からどう見られていたか」、ということの方に焦点を置いて記録しているのです。キリスト教会は、ある時は、ユダヤ人の信仰共同体の分派のように、ある時は、新しい哲学の学派のように、ある時は不思議な業をつかう新しい信仰集団のように見られました。

今日私たちが読んだところには、パウロがエフェソで感じていた召命と、パウロが伝えていた福音に対するエフェソの商売人たちの反発の様子が記録されています。パウロとエフェソ教会の人たちが、エフェソで女神の神殿模型を作っている職人たちから糾弾され、暴動に発展した、というところです。

私たちはこの事件を通して、今現在にまで続く、教会が向き合わなければならない問題を考えさせられることになります。

19:10にあるように、パウロはアンティオキアからエフェソに行き、そこで福音を語り続け、二年間滞在しました。パウロの福音宣教の中で、一つの町に二年間というのは一番の長期滞在です。パウロがエフェソで二年間福音を語り続けていたので「アジア州に住む者はユダヤ人であれギリシア人であれ、誰もが主の言葉を聞くことになった」と書かれています。

エフェソは、アジア州にある異邦人の大都市です。そのためエフェソ教会は異邦人主体の教会でした。パウロはエフェソのいるこの二年間にたくさんの手紙を諸教会に向けて書きました。それほど、各地の教会内部にいろんな問題が起こっていたのです。

たとえば、コリントの信徒への手紙などがそうです。「コリントの信徒への手紙」を見ると、コリント教会の内部で「私はパウロにつく」「私はペトロにつく」などといった分派争いがあったことがわかります。聖餐の儀式が乱れていたり、キリストの復活を信じない人がいたりして、コリント教会は内側にいろんな問題をはらんでいました。パウロ自身は、エルサレム教会のために献金を募っていて、コリントからそれをエルサレムへと持っていきたいと願っていた、ということもわかります。

しかし、使徒言行禄はこの時期にパウロがそのようなことで悩んでいた、というパウロの内面のことは記録していません。書かれているのはこの時のパウロ自身の召命・使命感です。

パウロは決心しています。

21節 「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心した」

「エルサレムに行く」、ということは分かりますが、「マケドニア州とアカイア州を通って」という計画には首をかしげます。東にあるエルサレムに行くために、西にあるマケドニア州、アカイア州を通っていく、という行き方です。パウロはエフェソのあるアジア州からヨーロッパ大陸に行って、エルサレムに向かう、という行き方を考えたのでした。

パウロは、自分がヨーロッパ大陸で関わった諸教会を一度訪れて、様子を見て、励ましてからエルサレムに戻ろうと考えたのでしょう。マケドニア州には、フィリピ、テサロニケ、ベレアの教会があります。アカイア州には、コリント、ケンクレアイ、そのほかの小さな町々の教会があります。全て、自分が設立に関わった教会です。そしてパウロは、これが最後の訪問になるであろうことも自分で分かっていました。

エルサレムに行った後のことについて、パウロはこう言っています。

「私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」

パウロは献金をエルサレム教会に届けてから、その先でローマに行くつもりでいるのです。「行くべき道・行かなければならない道」が、聖霊から既に示されていたようです。

23節に「この道」という言葉があります。

「この道のことでただならぬ騒動が起こった」

パウロが伝えるイエス・キリストの福音・教会が信じる福音のことを、使徒言行禄は「この道」という言葉で表現しています。ここで言われている「この道」は、単なる「道路」のことではありません。「神の召し応じた信仰者が歩む信仰の道」「キリスト者がキリストに召され、そこを歩むよう導き入れられた信仰の道」のことです。

パウロは「ローマも見なくてはならない」と言っています。この時のパウロにとっての信仰の道はローマへと至る道でした。使徒言行禄を最後まで読むと分かりますが、パウロは最後には実際にローマに行くことになります。

しかし、それは手放しでは喜ぶことが出来ない信仰の道でした。パウロはローマで逮捕され、捕らわれの身のまま福音を伝える、というところで使徒言行禄は終わことになるのです。

今エフェソにいるパウロにどこまで自分の将来が見えていたのかはわかりません。しかし、自分が神のために働き、キリストのために苦しむための道を行こうという決心を強く持っていました。

使徒言行禄9:15で神はおっしゃっています。

パウロは「私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどれだけ苦しまなければならないかを、私は彼に示そう」

パウロは自分に用意された信仰の道は苦しみの道であることを知っていて、ローマにまで行くことを決断したのです。

ヨハネ福音書の最後で、一番弟子のペトロが復活のキリストに召し出される場面がります。主イエスのことを三度「知らない」と言ったペトロは、復活の主から「私を愛しているか」と三度聞かれました。ペトロは「私はあなたを愛しています」と三度答えました。

それを聞いてキリストはおっしゃいました。

「あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」

聖書は、「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現わすようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである」と書いています。

主イエスはペトロの「死に方」をお示しになった、というのです。このやりとりがあって、主イエスはペトロに「私に従いなさい」とおっしゃいました。私たちにとって、「信仰」とは、キリストに信頼して、キリストがご用意くださる「死に場所」へと導いていただくことだと言っていいかもしれません。

私たちは「行きたくないところ」へと連れて行かれる、と言われています。実際、パウロはローマの牢屋へと続く道が示されています。それでもパウロはその「道」を行こうとしています。

これはペトロやパウロといったキリストの使徒たちだけのことではないでしょう。私たちもそうです。キリストに従う中で私たちは「行きたくないところ」へと連れて行かれることがしばしばあります。これまでの信仰生活を振り返って、「信仰ゆえの犠牲」がどれだけあったことでしょうか。

しかしそれでも、私たちは両手を伸ばして、聖霊の導きに身をゆだねます。私たちのために死んでくださったイエス・キリストの十字架を知っているからでしょう。そして復活の目撃者たちの証言を信じるからです。私たちのために命を投げ出し、死に打ち勝たれたキリストが私の名前を呼び、聖霊によって導いてくださっているという喜びがあるから、希望をもって、思いもよらない場所へと進むことが出来るのです。

パウロは「私はローマも見なくてはならない」と言っています。これは「ローマを『見なければならない・見ることになっている』」という言葉です。 Continue reading