使徒言行禄16:11~15
「安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。」(16:13
パウロたちは、不思議な仕方で聖霊に導かれ、アジア大陸の西の端、トロアスという港町まで来ました。そこでパウロたちは、幻を見せられます。一人のマケドニア人が、「海を渡ってここまで来て私たちを助けてください」とパウロに訴える幻でした。パウロ、シラス、テモテの三人は、「神が私たちを召されているのだ」という確信を得てトロアスから船に乗り、ヨーロッパ大陸へと渡って行きました。
16:11を見ると、「私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした」とあります。「パウロたちは」ではなく「私たちは」と聖書は書いているのです。
この書き方に関してはいろいろと議論はありますが、おそらく聖書は、今ここを読んでいる私たち読者を、このパウロたちの福音宣教の旅の中に身を置くように招いているのでしょう。この「私たち」という言葉の中に、文字通り、今ここにいる私たちも含まれているのです。
私たちは、使徒言行禄に記録されているキリストの使徒たちの福音宣教を、客観的に、他人事のように眺めることは許されません。ここに記録されているキリストの使徒たちの福音宣教を、まさに「私たちの」福音宣教として見るように我々は招かれているのです。
ヨーロッパ大陸へと渡り、福音を告げる使徒たちと共に旅を続けていきましょう。
パウロたちは、ヨーロッパに渡り、まずフィリピという町に入りました。聖書には、「マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピ」と書かれています。この町は、「植民都市」でした。ローマ軍がそこに居て、ローマ帝国の一員であるという意識を植え付けようとしていた町でした。
パウロたちはこれまで、ユダヤ人が住んでいて礼拝共同体を形成している町々に入り、ユダヤ人の礼拝堂に入って聖書の言葉を解き明かしてきたが、ここはエルサレムから遠く、海峡を越えたヨーロッパ大陸にあってユダヤ人ほとんどすんでいなかったのでしょう。どうやらフィリピにはユダヤ人の礼拝堂はなかったようです。フィリピでは、聖書を知っている人たちに福音を語る、ということはできませんでした。
聖書には、パウロたちはフィリピの町に着いて、「数日間滞在した」とあります。数日間、どうすればいいのか考えていたのでしょう。宣教のきっかけをつかめなかったようだ。
パウロたちは、「安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った」とあります。「フィリピの町の中に祈りの場所がなさそうだ。次の町に行こう」、と言ってあきらめたのではありませんでした。
町の中になければ、町の外に行って、祈りの場所があると思われるところを探したのです。そして町の外の川岸に女性たちが祈りを中心に集まっているのを見て、彼女たちにキリストの話をしました。
私たちは、フィリピの「町の外」でキリストの使徒と祈りの群れが出会った、ということに注目したいと思います。神を求める心を持ち寄る人たちは、「町の外」に行ってまで祈りを共にしていたのだ。キリストの福音を知らせたいと思う使徒たちは、「町の外」にまで祈りの群を探しに行ったのだ。
どの町にも、祈りを求める群れがいます。どんなに聖書を知っている人が少なく、街中に建物を建てることすらできないほど人数が少なくても、祈る心・神を求める心を持つ人はいるのです。
街中がダメなら、外で礼拝しようという礼拝者たち。
町の中に礼拝者がいなければ、町の外にまで探しに行く使徒たち。
たとえそこが植民都市で、ローマ帝国への同化政策がとられているような中にあっても、神の真理を求める人々の心を奪い去ることはできません。
ここを読めばわかるように、パウロたちが見た女性たちの集まりは、とても礼拝とは言えないようなものでした。川岸に集まっていた、というだけです。建物もない、聖書もない、ただ神を求め祈るだけの小さな群れでした。
ここに集まっていた女性たちはおそらく一度も聖書を自分で読んだことがなかったでしょう。文字を読むこともできなかったのではないでしょうか。それでも祈る心を持ち寄って神を求めて川岸に集まり、共に祈っていたのです。
神がヨーロッパ大陸で使徒たちにまずご準備なさったのは、このような小さな祈りの群れとの出会いでした。このことは、私たちにとって大きな意味を持っているのではないでしょうか。
消え入りそうな群れであっても、神は福音をお聞かせになるのです。キリストが弟子達にお話しなさった種まきのたとえ話のように、種を蒔く人は、石だらけの土地でもいばらの土地でも丁寧に種を蒔くのです。
このリディアたちの祈りの姿の中に、私たちは自分たちの姿を重ねて見ることが出来るでしょう。私たちは確かに小さい、島の教会です。しかし神の言葉との出会いは、間違いなくここにあります。私たちの上にキリストは種を蒔いてくださっています。聖書がいう「私たち」の中に、ここにいる私たちも含まれているのです。希望をもっていいでしょう。
さて、この群の中に、リディアという女性がいました。「ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという人」と書かれています。
この一文からわかるのは、リディアはティアティラというところからの移住者であった、ということ、独立して商売をする職業婦人であった、ということ、そして、そのような働き方をするということは夫を失った未亡人である、ということです。
布を扱っていたということなので、リディアの仕事場は川岸にあったのでしょう。夫はおらず、よそから来た移住者で、町の外の川岸にいた・・・このようにして見ると、この人はフィリピでは町の片隅、社会の端っこで生きていた人でした。フィリピにいた、神に祈る人たちは、おそらくリディアが自分の仕事場に集まって、祈っていたのでしょう。
この時川岸に集まって祈りを共にしていた女性たちは、皆、リディアのような境遇にあった人たちだったのではないでしょうか。移住者とか、未亡人とか、祈る時には町の外にまで来なければならないような人たちではなかったでしょうか。
そのような、生きる厳しさの中にあっても、彼女たちは祈ることをやめませんでした。
いや、生きる厳しさの中にあったからこそ、彼女たちは祈ることをやめなかったのでしょう。
神は、その祈りの群れに、福音を携えた使徒を送られたのです。祈る群れに聖霊を注いで教会をお創りになったように、神は、祈る群れに宣教者をおつかわしになりました。
「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」とあります。神が、リディアの心をお開きになり、リディアの心の中へとご自分の言葉をお与えになったのです。神は彼女の祈りにお応えになりました。
彼女は家族と一緒に洗礼を受け、パウロたちを強引に家に招待しました。もっとイエス・キリストのことを聞かせてもらおうとしたのでしょう。
フィリピ教会は、この時川岸で祈っていた女性たち、またこのリディアから始まっていきました。たった数人の女性が核となり、やがて福音を求める人たちが集っていたところから小さな祈りの群れはフィリピ教会として成長を続けていくことになったのです。
新約聖書の中にはパウロが書いた、「フィリピの信徒への手紙」が入っています。「フィリピの信徒への手紙」を読むと、その後のフィリピ教会の様子が見えてきます。
パウロがフィリピの町を去った後、牢に捉えられることがあったようです。パウロはその牢屋の中でフィリピの信徒たちに向けて手紙を書きました。
牢獄で書いた手紙なので悲壮感に溢れているかというと、そうではありません。獄中書簡でありながら、「喜びの手紙」と呼ばれています。パウロが、牢屋の中にいながら、フィリピ教会の人たちと喜びを分かち合っている内容の手紙なのです。
パウロとフィリピのキリスト者たちが共有していた喜びとは何だったのでしょうか。それは、「イエス・キリストのために、自分は自分の十字架を背負うことが出来ている」ということでした。
パウロはこう書いている。
「あなた方には、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。あなたがたは、私の戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです」
パウロは、「キリストのために苦しむ恵み」ということを言っています。そして、フィリピ教会の人たちが「キリストのために苦しむ」ことを「恵み」として受け入れていることを喜んでいるのです。 Continue reading