2月19日の礼拝説教

使徒言行禄17:22~34

「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見出すことが出来るようにということなのです」(17:27)

ヨーロッパ大陸に入ってからのパウロの福音宣教は、迫害を受けては次の町に逃げる、ということの連続でした。

「メシアはかならず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」

「このメシアは私が伝えているイエスである」

このパウロが語る福音を聞いた一部のユダヤ人たちから迫害され、追い出されてきました。

テサロニケでも、ベレアでもそうでした。

今、パウロは一人でアテネの町へと逃げて来て、シラスとテモテが後から追いつくのを待っています。二人の仲間がアテネに来るのを待ちながら、パウロは今まで同じようにキリストの福音を語りました。

アテネの町の「いたるところに偶像があるのを見て憤慨した」パウロは、広場に行き真の神を伝えようといろんな人たちと討論しました。そこにはストア派やエピクロス派といった哲学者たちがいました。

「全てのアテネ人やそこに滞在する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていた」と聖書に書かれています。アテネの人たちはパウロが語ることに興味を覚え、パウロをアレオパゴスへと招きました。パウロは一人でアレオパゴスの丘に立ち、人々に真の神を証しすることになったのです。

今日私たちが読んだのは、その時語ったパウロの言葉です。聖書を知らない人たち・イスラエルの神を知らない人たち・イエス・キリストを知らない人たちに、パウロがどのように神を証ししたのか、見ていきたいと思います。

偶像がたくさんある町の人たちだからといって、パウロは諦めませんでした。むしろ、パウロは、アテネの人たちはそれだけ神を求めているのだ、という希望をもって福音を語っています。

パウロははじめにこう言いました。

「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなた方が信仰のあつい方であることを、私は認めます。アテネの人たちが『知られざる神』と呼んでいる神について、あなたがたが知らずに拝んでいるものをお知らせしましょう」

パウロがアテネで見た「知られざる神に」と刻まれた祭壇は、「神をこの目で見たい」という人間の思いの表れでもありました。人は自分の目に映るものに弱いのです。漠然と「神」という存在を認めて、求めてはいる、しかし、目に見える形でなければ、求めにくい・・・だから、自分たちの手で木や石などの像を作って「これが神だ」と見える形にしたがるのです。

そのことは、アテネの人たち・異邦人だけのことではありませんでした。ユダヤ人であったイエス・キリストの弟子達もそうでした。

イエス・キリストと弟子達が、エルサレムに上って来て神殿を見た時、弟子達は興奮して言いました。

「先生、ご覧ください。なんと素晴らしい石、なんと素晴らしい建物でしょう」

しかしキリストは冷めた口調で答えておっしゃいました。

「これらの大きな建物を見ているのか」

ハッとさせられる言葉ではないでしょうか。弟子達が目に映るもの・外側だけを見て、その本質を全く見ていないことを指摘されたのです。弟子達が見たのは、「神殿の石、神殿の建物」でした。神殿を通して神に心を向けたのではありませんでした。ただ、石と、建物に心を奪われたのです。そのことを主イエスは冷静に指摘なさいます。

「君たちは建物を見ているのか」

また、ヨハネ福音書にはイエス・キリストの墓が空になったのに、主の復活を信じられなかったトマスのことが記録されています。トマスは、他の弟子達から主イエスの墓が空になったと聞いても、主イエスが復活なさったということは信じませんでした。「あの方の手に釘の後を見、この指を釘後に入れて見なければ、また、この手をそのわき腹に入れて見なければ、私は決して信じない」とまで言いました。

その後、復活のキリストに会い、自分の目でその姿を見たトマスは、「私の主、私の神よ」と言いました。キリストはそのトマスにおっしゃいました。「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」

「見ないで信じる人は幸いである」とは、私たちがいつ聞いても反省させられる言葉ではないでしょうか。

パウロは、「知られざる神」と刻まれた偶像を礼拝していたアテネの人たちに希望を見出しました。拝んでいるのが「知られざる神」「偶像の神」であっても、そこに神を求める心がある、ということなのです。

アテネの人たちに向かって、パウロが一番に伝えたことは、神は「世界とその中の万物を作られた神である」ということでした。神は天地の造り主である、というのは聖書が創世記で一番に伝えていることです。つまり、神を知ろうとする上で一番大切なことでした。

パウロは、この世界をお創りになった神は人間の手によって造ったものの中に納まるような存在ではない、ということから伝え始めました。繰り返しますが、人は見える物に弱いのです。パウロは、偶像を作って拝むということの恐ろしさを知っていました。聖書が伝えているイスラエルの歴史は、偶像礼拝による滅びの歴史でした。

イスラエルの王、ソロモンがエルサレム神殿を建てた時、ソロモンはこう祈りました。

「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることが出来ません。私が建てたこの神殿など、なお相応しくありません。」

ソロモンが言うように、神は天から目を注がれる方でした。人が造った建物の中に押し込められるような方ではありません。

神は、神殿を捧げて祈るソロモンにおっしゃいました。

「もしあなたたちとその子孫が私に背を向けて離れ去り、私が授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、私は与えた土地からイスラエルを断ち、私の名のために聖別した神殿も私の前から捨てる」

しかしイスラエルはその後偶像礼拝に走り、神の言葉通り、400年後にエルサレムは滅んでしまうことになります。パウロは聖書を通してその歴史を知っていました。偶像礼拝がどんな破滅をもたらすかを知っていました。だから、神は人間の手で作られるものではなく、人間を・世界をお創りになった神である、ということを一番に伝えたのです。

パウロは次に、神が人間を求めていらっしゃることを語りました。神は人をお求めになり、人に求められることをお望みになっているのです。

その招きのしるしとして、神はイエス・キリストの十字架と復活を世に示されました。パウロが伝えるのは、この方でした。

パウロは広場で語ったように、アレオパゴスでも、神が天創造の神であり、人を愛して求めていらっしゃる神であり、そのために、御子イエス・キリストを十字架に上げ、墓から復活させられたことを順を追って語りました。

アレオパゴスでパウロの言葉を聞いた人たちはどう反応したでしょうか。人々は「死者の復活」ということを聞いてあざ笑いました。そこでパウロの言葉を聞いていたのは、主に哲学者たちでした。「死者の復活」なんてことは、哲学的ではないのです。

「死者の復活」ということは、信仰の躓きとなる出来事ではないでしょうか。「そんなことは信じられない」と、誰もがトマスのように言うでしょう。

もしもパウロが、イエス・キリストの出来事を死者の復活に触れずに神について・キリストについて語っていたら、もっと受け入れられたかもしれません。しかし、パウロは、メシアの十字架と復活という、一番信じにくいこと・一番信仰の躓きとなることを抜きに神の救いを語ることはできませんでした。 Continue reading

2月19日の礼拝案内

次週礼拝(2月19日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄17:22~34

 交読文:詩編15編

 讃美歌:讃詠546番、2番、168番、247番、頌栄542番

【牧師予定】

◇3月14日(火) 富士見町教会にて 伊豆諸島伝道委員会、東支区総会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

2月12日の礼拝説教

使徒言行禄17:10~21

「『彼は外国の神々を宣伝する者らしい』という者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである」(17:18)

テサロニケの町でのパウロの福音宣教は一部のユダヤ人たちによって妨害され、キリストを信じた人たちにも害が及びました。9節にヤソンという人の名前が出てきます。この人は、パウロを捕えようとしていた人たちによってつかまってしまいますが、自分の身を犠牲にしてパウロの福音宣教を続けさせようとしました。ヤソンが捕らわれている間に、テサロニケの町にいたキリスト者の仲間たちが夜の闇に紛れてパウロたちをテサロニケから逃がし、ベレアの町へと送り出したのです。

パウロたちはベレアの町でも同じようにユダヤ人の会堂に入って福音宣教をしました。伝えたのは、テサロニケで伝えたのと同じことでした。

「メシアはかならず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」

「そのメシアは私が伝えているイエスである」

ベレアの人たちは、テサロニケの人たち以上に素直に、そして熱心にみ言葉を受け入れた、と書かれています。それだけではなく、自分たちが受け入れた福音がどれだけ確かなことなのか、毎日聖書を調べ続けた、とあります。

パウロが伝えた福音をベレアの人たちが信じたのは、それが聖書に基づいていたからでした。パウロは、ただ自分に起こった不思議な体験談を語ったのではありませんでした。ベレアの人たちは、パウロが体験したことを面白いから受け入れたのではありませんでした。パウロが伝えるイエスという人の十字架と復活が聖書に預言されていた神の救いと合致していたからです。

ベレアの人たちは、一つ一つ丁寧に聖書の言葉を確認しながら、イエスがキリストであることを受け入れていきました。そして「もっともっと」と、聖書の言葉とパウロが語る福音の内容を吟味していきました。

そのようにして、ベレアの町には、次第にナザレのイエスの十字架と復活を神の救いの御業として受け入れる人が増えていったのです。その人たちの聖書を求める姿が、新たにギリシャ人の上流婦人や男性も信仰へと導くことになりました。聖書を求める人たちの姿が、他の人たちに「聖書には何かがあるのではないか。自分も知りたい」と思わせていき、共に聖書を読むようになり、信仰へと導いて行ったのです。

最初にベレアに福音を伝えたのは、一人のユダヤ人、パウロでした。それを聞いた人たちは、聖書の言葉を熱心に求め、吟味していきました。そしてその人たちの信仰の姿が、人々を新しく信仰へと招き入れることになっていきました。

私達はここで、人をキリストへと招くものは何か、ということを考えることができるのではないでしょうか。ベレアの町でたくさんのギリシャ人を聖書の信仰へと導いたのは、福音を聞いて聖書を求めた人たちの信仰の姿でした。信仰者が聖書の真理を求める姿が、次の聖書を生みだすことになるのです。キリスト者が聖書のみ言葉を求める姿が、聖書の真理へと通じる道を示すことになるのです。

私たちは、ここに自分たちの礼拝生活、信仰生活の意義を見出すことが出来るでしょう。誰かをキリストの元へと導くには雄弁でなければならない、理路整然と聖書を説明できないといけない、自分が立派でなければならない、などと考える必要はないのです。それ以上に、私たちはキリストを求めることで、キリストを世に指し示すことになるのです。道を求める者、つまり、求道者として歩む足跡が、次の求道者のための道しるべとなっていくことになるのです。

一回一回の礼拝に向かう私たちの礼拝者としての姿が、日々の生活の中で人知らず祈る私たちの姿が、次の信仰者を生みだすことになります。そう考えると、私達の小さな礼拝がどれだけ多くの力をもっているのかがわかるのではないでしょうか。

テサロニケでの迫害から逃れてきたパウロたちは、ベレアで人々に福音が受け入れられ、根差していく様を見ました。しかし、それを見てゆっくり喜ぶ時間はありませんでした。テサロニケのユダヤ人たちがベレアにまで押しかけて来て、パウロの福音宣教を妨害したのです。

またパウロはすぐに逃げなければならなくなりました。ベレアのキリスト者たちがパウロをアテネの町へと逃がしました。今回は、パウロだけがアテネに先に逃げました。シラスとテモテと一緒に逃げるだけの時間もないほど、切羽詰まっていたということでしょう。パウロは一人でギリシャのアテネまで逃げて、そこでシラスとテモテが後から来るのを待つことになりました。

パウロの時代、アテネはギリシャ文化の中心でした。広いローマ帝国の中でも、様々な文化の交流地点になっていた国際的な町でした。

ユダヤ人であったパウロの目には、アテネは「偶像の町」として映りました。そもそも、守護神である女神アテネにちなんで名づけられた町です。「パウロは、アテネで二人を待っている間に、この町のいたるところに偶像があるのを見て憤慨した」と書かれています。

パウロは二人が追いつくまでの間、一人でもアテネの町で福音を語り続けました。ユダヤ人の会堂だけでなく、広場にも行って、そこに居合わせた人たちにイエス・キリストのことを伝えていきました。

有名な哲学者、ソクラテス以来、アテネの人々は広場で議論して来ました。パウロが広場に行くと、ストア派、エピクロス派の人たちがいた、ということが書かれています。これは、哲学の学派です。

広場にいた哲学者たちは、パウロが語るのを聞いて、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」とか、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言いました。

「パウロが、イエスの復活について福音を告げ知らせていたからである」と聖書に書かれています。人々は主イエスの復活、死者の復活ということに躓いたのです。

パウロは「外国の神々の宣伝をする者らしい」と言われていますが、アテネでそのように言われることには特別な意味合いがあります。有名な哲学者ソクラテスは、「アテネの人が信じることができない外国の神を持ち込もうとした」という罪で処刑された。パウロがアテネの町でそのように言われることは、敵意をもって見られた、ということですし、下手をするとソクラテスのように殺されかねません。

パウロはアレオパゴスへと招かれました。それは会議や法廷が開かれた場所でした。パウロは公の場で語ることを求められたのです。それは危険なことでもありましたが、パウロはそれでもアレオパゴスでイエス・キリストの復活を語ろうとしました。敵意と嘲笑に囲まれた中でも、イエスという方の復活を語ることをやめなかったのです。

パウロはここまで、イエス・キリストの十字架と復活を語り続けてきた。そのことで迫害されながら次の町、次の町と流れて来ました。それでもパウロはイエス・キリストの受難と復活を語ることをやめませんでした。

パウロは、後に、コリント教会にこう書き送っています。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」

パウロは迫害を受け、何度も町から追い出されても福音宣教を諦めませんでした。迫害の中で宣教を続ける自分のために、神がいつでも「逃れる道」をお与えくださっている、ということを体験から知っていたからです。使徒たちの福音宣教は試練の連続だった。しかしテサロニケでも、べレアでも、パウロたちが宣教を続けられるよう、周りに助けようとするキリスト者たちが備えられていました。

試練の中で「逃れの道」のが与えられてきたパウロはそのことを伝え、コリント教会にこう言っている。

「私の愛する人たち、こういう訳ですから、偶像礼拝を避けなさい」

パウロは、「どんな苦難の中にあっても、耐えられない試練を神はお与えにならない、逃れの道も備えてくださる、だから偶像礼拝を避けなさい、神は信頼に足る方だ」と伝えるのです。

我々人間にとって、偶像礼拝ほど魅力的なものはないでしょう。自分の手で神を作ることが出来るのです。自分の願いを込めて、自分で形作ることが出来る・・・それは自分を神とすることでもあります。

聖書にあるように、私たちにとっての一番の誘惑は、自分が神になる、ということです。真の神を忘れ、自分中心に生きることしかできなくなった人間が行きつくところは、偶像を求める、ということではないでしょうか。

そのことがどんなに危険かことかを、パウロは知っていました。コリントの信徒への手紙の中で、パウロはこう書いています。

「もし、死者が復活しないとしたら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか』ということになります。」

イエス・キリストの復活がもしなかったとしたら・・・我々人間にとって、目の前にある快楽だけが全てになってしまう、明日のことにも希望をもてなくなってしまう・・・空しいのです。快楽による幸せは一瞬なのです。後には空しさが残ります。

パウロはその空しさからキリストは私たちを救い出してくださったことを伝えます。パウロはこう書いています。

「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」

キリストの復活は、我々にとって大きな意味がありました。イエス・キリストが「初穂」として復活なさった、ということは、それに続くものがある、ということです。つつまり、キリスト者です。キリスト者が、キリストの復活に続く者とされている、ということです。

復活が無ければ食べて飲もう、どうせ死ぬのだから、一瞬の快楽を求めようという空しい命になります。しかし今や、キリストの復活が、肉体の向こうにある永遠の命という希望を私たちに見せてくれているのです。 Continue reading

2月12日の礼拝案内

次週礼拝(2月12日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄17:10~21

 交読文:詩編15編

 讃美歌:讃詠546番、1番、191番、385番、頌栄542番

【牧師予定】

◇2月7日(火) 富士見町教会にて 三宅島伝道所支援委員会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

2月5日の礼拝説教

使徒言行禄17:1~9

「『メシアはかならず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた』と、また『このメシアは私が伝えているイエスである』と説明し、論証した」(17:3)

パウロたちは、フィリピの町を後にしました。アンフィロポリス、そしてアポロニアという町を通り、次はテサロニケという町に着きました。フィリピから、歩いて約100kmの距離です。

テサロニケは古い港町で、貿易・商業で栄えた町でした。フィリピはローマの植民都市でしたが、テサロニケは選挙によって選ばれた代表者によって統治されていた歴史のあるギリシャの町でした。

テサロニケの町に入ったパウロたちは「いつものように」ユダヤ人たちの会堂に入りました。「いつものように」、ということは、パウロたちは、町に入ったら、毎回そのようにしていた、ということです。安息日にユダヤ人の会堂に入り、礼拝の中で聖書の言葉とイエス・キリストの出来事を照らし合わせて語って伝えていたのです。

パウロたちは、テサロニケにあった「ユダヤ人たちの会堂」に入って行きました。テサロニケには、ユダヤ人たちも住んでいて、毎週集まってイスラエルの神を礼拝し、聖書の言葉を学ぶ集まりがあったのです。「会堂」とありますが、ユダヤ人たちの群れ・集まりと訳した方がいいかもしれません。

パウロは、ユダヤ人たちの礼拝の中で二つのことを言っています。「受難と復活のメシアが来るだろう」という聖書の預言と、「私はそのメシアを見た」という、自分の体験だ。パウロたちは宣教をする際、いつでも礼拝の中でこの二つのことを告げていたのです。

当時のユダヤ人たちは、「神はこの世界に救い主を遣わして全ての民をご自分の元へと集めるご計画を持っていらっしゃる」、ということ信じて、救い主の到来を待っていました。

パウロたちは、そのメシアを待っていた人たちに向かって「聖書の預言の実現を私は見た」という実体験を告げて回ったのです。

これは、パウロだけでなく、キリストの使徒たちが伝えていたことです。使徒たちは、聖書の学術的な解説をして回っていたのではありません。聖書の預言が実現したことを見た、その体験を伝えていたのです。

使徒とされたフィリポが、エチオピアの宦官に会ってイザヤ書に記録された預言の言葉を解き明かしたことがあります。その時エチオピアの宦官が読んでいたのは、こういうイザヤの預言でした。「彼は、羊のように屠り場に引かれていった。毛を刈る者の前で黙している子羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。誰が、その子孫について語れるだろう。彼の命は取り去られるからだ」

イザヤは「誰かが殺される」、ということを伝えていますが、エチオピアの高官には、誰のことか、何のことかわかりませんでした。フィリポは聖書の言葉を解説して、イエスという方に起こった十字架と復活の出来事を伝えました。フィリポは、聖書を解説しただけではなく、「自分が実際に見聞きした」イエスという方を伝えたのです。

イエス・キリストご自身も、そのようにご自分を世に証しされました。主イエスの十字架を見たクレオパという弟子が、もう一人の弟子と一緒にエマオへと歩いていた時のことです。自分たちの先生の死を見た後の、絶望の歩みの中で、二人の弟子はキリストから話しかけられました。

「その話は何のことですか」

しかし、二人は、それが主イエスだとはわかりませんでした。二人は、ナザレのイエスという人が十字架で殺されてしまったこと、そして三日目の朝早く、その墓が空っぽになったことを話し、自分たちの絶望を伝えました。すると、キリストは「物分かりの悪い者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではなかったか」と聖書を解き明かした、と書かれています。主イエスは、聖書をただ解説なさったのではなく、「あなたがたはその実現を今見ているではないか、体験しているではないか」と言われたのです。

2人の弟子達は、イエス・キリストの復活を「私たちは実際に見た」と他の人たちに告げました。

私たちにとって、「イエス・キリストを証しする」、というのは、こういうことではないでしょうか。聖書を上手に説明する、ということ以上に、「私は、あの方に出会った」という事実を伝えることです。

私たちは聖書を読むと、「これは自分に起こった出来事なのだ」ということを思い知らされます。それが無ければ、私達がどれだけ聖書の知識を持っていようと、上手に説明しようと、意味がないのです。

今、教会で礼拝している私たちキリスト者一人一人、聖書に記されている出来事を見ながら、「このことは私に起こったことだ、これは私だ」、という思いがあってこそ私たちの証は用いられていくのです。

さて、テサロニケの町の礼拝者たちは、パウロの証を聞いて、どう反応したでしょうか。信じる人と信じない人に分かれました。

信じたのは、テサロニケのユダヤ人、神を畏れるギリシャ人、そしてたくさんの指導的立場の女性たちでした。

信じなかったのは、テサロニケのユダヤ人たちの一部の人たちでした。

信じなかった人たちは、パウロたちを「ねたんだ」とあります。この嫉みは、元は「熱心」という意味の言葉だ。

パウロたちが告げる福音は、メシアが十字架という不名誉な死を遂げたということであり、そのメシアが、死者の中から蘇った、という信じがたいことでした。更に、パウロたちは、ユダヤ人でない人たち、つまり割礼を受けていない異邦人たちも、信仰があれば神に受け入れられるということも伝えただろう。

割礼を重んじ強いメシアを待っていたユダヤ人にとって、パウロが言っていることは冒涜に聞こえたのではないでしょうか。自分たちが先祖から伝え聞いてきたこと、信じてきたことと違うことを言っているように聞こえたでしょう。そして何とかして自分たちが先祖代々受け継いできた信仰を守ろうと、「熱心」になったのです。

彼らは、手段を選びませんでした。広場にたむろしていたならず者を抱き込んで暴動を起こし、パウロたちに向かわました。

聖霊に導かれたはずのパウロたち福音宣教がスムーズにいかないことを見ると私達は戸惑います。なぜ聖霊に導かれた使徒たちの福音宣教がスムーズでないのでしょうか。福音を告げると、そこに信じる人と信じない人に別れ、争いが起きてしまいます。もっと簡単に人は福音を信じられないものでしょうか・・・簡単ではないのです。

聖書の御言葉は、簡単に信じることはできないのです。聖書が伝えるメシアは、殺されたメシアであり、死人の内から蘇ったメシアなのです。躓きの要素に満ちています。

しかし、これこそ、神が世におつかわしになったメシアの本当の姿でした。自らの命を投げうって人々の罪を赦し、死人の内から蘇って永遠の命の希望を示すメシアでした。

イエス・キリストは前もってご自分の弟子達におっしゃっていました。「私が来たのは、地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」

「預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。」

旧約時代の預言者たちは、イスラエルの人たちに神の言葉を伝え続けました。しかし、皆、神の言葉を聞きたがりませんでした。自分たちが聞きたい言葉ではなかったからです。預言者たちが伝えたのは、神のお叱りの言葉でした。人々にとって、都合の悪い言葉だったのです。

旧約時代の預言者と、今を生きる私達は、同じです。キリストがおっしゃった通りです。福音が語られるところでは、受け入れる人と受け入れない人に分かれます。

私達も、預言者や使徒たちのように、ただイエス・キリストを信じている、というだけで、敵意を向けられたりします。

キリストはおっしゃいます。

「はっきり言っておく。私の弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」

私たちは、キリストを伝えることによる報いは多くありません。私達がキリストを信じ、伝えることで誰かから水一杯をもらえるということは少ない。しかし、少なくても、確かに報いはあるのです。少ないけれども、キリストはそのような中にも報いが必ずある、とおっしゃるのです。

テサロニケのユダヤ人たちは、パウロたちが見つからなかったので、パウロをかくまっていたヤソンという人と数人のキリスト者たちを捕らえました。ならず者たちは、町の当局者たちにこう言いました。

「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは肯定の勅令に背いて『イエスという別の王がいる』と言っています」 Continue reading

2月5日の礼拝案内

次週礼拝(2月5日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄17:1~9

 交読文:詩編15編

 讃美歌:讃詠546番、88番、229番、249番、頌栄542番

【報告等】

◇次週、聖餐式があります。

◇2月4日(土) 10時より 役員会があります。

【牧師予定】

◇2月7日(火) 富士見町教会にて 三宅島伝道所支援委員会

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 Continue reading

1月29日の礼拝説教

使徒言行禄16:25~40

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」

私たちはここまで、ヨーロッパ大陸に渡って最初のフィリピの町で起こった出来事を読んできました。

使徒たちは、フィリピというローマの植民都市に入り、町の外にいた小さな祈りの群れにキリストの福音を伝えました。占いの霊に取りつかれていた女奴隷を、悪霊から解放しました。しかし、女奴隷に占いをさせて金を設けていた、奴隷の主人たちからパウロたちは恨まれることになってしまいました。

奴隷の主人たちはパウロたちを捕らえられ、町の役人たちにこう言って引き渡しました。

「この者たちはユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」

これを聞いて、町の高官たちはパウロたちを鞭打ち、牢に入れられてしまいます。

ローマ帝国はヨーロッパからアジアにかけて広がっていた巨大な帝国でした。フィリピの人たちからすれば、パウロたちはアジア大陸から海を越えてやってきて死者の復活を伝える怪しげなよそ者たちだったのです。しかも、奴隷の主人たちにとっては、金もうけ手段をつぶされてしまった、という恨みもあります。

パウロとシラスは、人間としての尊厳をはぎ取られ、監獄に放り込まれました。裸にされて鞭で打たれ、足枷をはめられ、一番奥の牢に入れられた、とあります。そして牢の看守は「厳重に見張るように」と、命じられました。

「一番奥の牢」、ということは、一番暑く、暗く、不快な部屋で、なにより、一番逃げにくいところに入れられた、ということです。

使徒たちは聖霊に導かれてヨーロッパ大陸まで渡って来たのに、迫害を受けることになりました。普通であれば、「どうして自分たちにこんなことが起こるのだろうか。自分たちは聖霊の導きに従ってヨーロッパ大陸へと来て、キリストの福音を伝えたのに、どうして牢屋に囚われることになってしまうのか」と怒ったり、嘆いたりするでしょう。。

しかし、私たちは、牢に囚われたパウロとシラスの姿に注目したいと思います。二人は牢屋の中で「讃美の歌を歌って神に祈っていた」、とあります。二人は神を恨むのではなく、このように牢屋に捕らえられるということすらも聖霊の導きの中にあることであり、自分たちは今神の御業の中にある、と信じて、神に感謝していたのです。

そして、「パウロとシラスが讃美の歌を歌って神に祈っていると、他の囚人たちはこれに聞き入っていた」と書かれています。パウロとシラスという二人のキリストの使徒が牢屋に囚われたことで、そこに居た囚人たち、そして看守たちが、神への讃美と祈りの言葉を聞くことになったのです。

使徒たちが牢屋に囚われたということは、神が牢屋の中にまで福音を運ばれた、ということでした。だから使徒たちは、自分たちが起こっているこの苦難も、福音の広がりの中で確かに用いられていること疑わず、喜んでいたのです。

パウロは後に、フィリピ教会の人たちに獄中から手紙を書きました。パウロはその手紙の中で、「私が監禁されているのはキリストのためである」と書いています。「兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音前進に役立ったと知ってほしい」と言うのです。

自分が牢屋に囚われることで、その牢屋にいる人たちが福音を知るきっかけとなっている、ということをパウロは喜んでいるのだ。ここでのパウロと同じ姿勢です。パウロの信仰の姿勢・神への感謝は、牢獄に囚われても変わりませんでした。神が今、自分の苦難を用いてくださっている、ということを信頼して常に喜んでいるのです。

私たちは辛いことがあると、すぐに信仰の意味を見失ってしまいます。神を信じているのに、なぜ自分に苦しいこと、辛いことが起こるのか、と誰でも考えるでしょう。

しかし、信仰というものは、本当は私たちに苦難の意味を教えてくれるものなのではないでしょうか。今、自分に与えられている苦難を、神が高いところで用いてくださっている、自分の今の苦しみは決して無駄なものではなく、神がご自分の計画のために用いてくださっている・・・そのことをと教えてくれるのが信仰ではないでしょうか。

何の迷いもなく、何の苦しみもなくキリストを信じ、礼拝をするようになった人などいないでしょう。もし御利益を求めて聖書を読むのであれば、誰でも教会で幻滅するでしょう。

イエス・キリストの十字架の苦しみを通して苦難の意味を考え、私たちをはるかに超えた神の恵みのご計画が不思議な仕方で示されるのを見ようとするのが私たちの信仰なのです。パウロがそうでした。シラスがそうでした。キリストの使徒たちは皆、そうでした。

パウロたちの苦難は不思議な仕方で用いられました。二人は牢の一番奥に入れられ、足枷を付けられていて何もできませんでした。讃美の歌と祈りの言葉を紡ぐしかなかった、その中で奇跡は見せられました。大地震が起こり、牢屋の戸が開いて、囚人の鎖も全て外れたのです。

これが、パウロたちの讃美と祈りに対する神の御業でした。神はキリストの使徒を見殺しにはなさいません。信仰者が、自分の力ではどうしようもない中で捧げる祈りに、神がお応えになったのです。

私たちは、この出来事の中に、自分たちの信仰生活を重ねて見たいと思います。足枷を付けられて、牢屋の一番奥に閉じ込められているように、私たちは自分の力ではどうしようもない状況に置かれることがあります。つまり、祈るしかない時というのがあるのです。

道がないところに、道を切り開くのは、最後は祈りなのです。信仰者の歩み、教会の歩みにおいて、道を切り開いていくのは結局は祈りなのです。聖書はそのことを私たちに教えてくれています。

出エジプト記に同じようなことが記されています。エジプトで奴隷とされていたイスラエルは苦しみの叫びを上げていました。神はその叫びを聞かれ、モーセを指導者として選び出し、イスラエルをエジプトから救い出されました。

イスラエルは、エジプトから脱出して、それで終わりはありませんでした。荒野を歩かなければならなかったのです。しかも。エジプトの軍隊が後から追いかけて来ました。イスラエルは海に阻まれてそれ以上進むことが出来なくなります。

前には海。後ろにはエジプト軍。イスラエルはどうしようもなくなりました。その時、人々はモーセに食って掛かります。「一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか」「荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです」

モーセは言いました。

「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」

イスラエルの人々は、海が割れるのを見ました。イスラエルは海の中にできた道を渡り、後から来たエジプト軍は水に飲みこまれました。エジプト軍は「神がイスラエルのためにエジプトと戦っている」、と言って恐れました。

前も後ろも、右も左も塞がれている時、私たちには、上が空いています。天が空いているのです。私たちは自分たちの叫びを、祈りを、天に向ける恵が与えられています。

フィリピの牢屋でも同じことが起こりました。牢屋に閉じ込められたパウロたちは、天に向かって声を上げたのです。神が、無力な信仰者のために祈りを聞き、地震を起こし、解放されました。神が信仰者のために戦ってくださったのです。

この地震の中で一番恐怖を感じたのは、牢屋の看守でした。パウロたちを逃がさないように、と厳しく命じられていた人です。地震によって戸が開き、囚人たちの鎖も外れたので、囚人たちを逃げてしまったと思い、恐ろしくなり、剣を抜いて自殺しようとしました。

それをパウロが止めます。

「私たちは逃げていない」

パウロとシラスはそこに留まっていました。逃げ出す絶好の機会だったのに、使徒たちは逃げませんでした。彼らは、この地震を、逃げ出すための機会ではなく、神の御業を告げるため・福音を告げるための機会としたのです。

看守は、二人の讃美と祈りの声、そして地震が起こっても逃げ出さなかった二人の姿勢に何かを見出して、救いを求めました。

「救われるためにはどうすべきでしょうか」

二人が言ったのは、「主イエスを信じなさい」、これだけでした。看守はパウロとシラスの傷を洗い、自分の家族もキリストの信仰に加わりました。

看守とその家族は「神を信じる者になったことを喜んだ」と書かれています。なぜ看守は喜べたのでしょうか。実際には、看守の問題は解決していません。牢屋の戸が開き、囚人たちの鎖が外れたということを、翌朝になったら責任を問われるでしょう。 Continue reading

1月29日の礼拝案内

次週礼拝(1月22日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄16:25~40

 交読文:詩編14編

 讃美歌:讃詠546番、85番、168番、402番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください

1月22日の礼拝説教

使徒言行禄16:16~24

「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」(16:18)

パウロ、シラス、テモテの三人の使徒たちは、フィリピの町の外の川岸という社会の片隅で、神を求めて祈りを捧げていた女性たちにイエス・キリストの福音を伝えました。祈りの群れの中心となっていたリディアという女性は使徒たちを自分の家に招待して、福音を詳しく語ってもらったようです。使徒たちは、リディアの家に滞在し、祈りの場所へと通いながら宣教を続けてました。

ある時、祈りの場所に向かうその途中、パウロたちは「占いの霊」に取りつかれている女奴隷に出会いました。この女奴隷は、名前さえ残されていません。

この女奴隷は主人たちによって、また「占いの霊」によって自分の人生を支配されていました。自分の意志を持つことも許されず、ただ主人のために占いをして金を稼ぐための道具として使われていたのです。当時の世界の感覚では、奴隷というのは主人にとって「生きた道具」でした。主人は奴隷の所有者であり、奴隷は主人の意志によって使われる道具だったのです。

女奴隷は、パウロたちに向かって「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と叫び続けました。何日も繰り返しパウロたちの後についてきて同じことを叫ぶので、パウロはたまりかねて、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」と言って、霊を追い出しました。

さて、ここで考えてみたいと思います。なぜ、パウロがこの女性から占いの霊を追い出したのでしょうか。パウロは、この女奴隷を利用することも出来たと思います。女性を支配していた悪霊はパウロたちのこと正しく言い表しています。「この人たちは神の僕であり、救いの道を宣べ伝えている」

霊は、パウロたちの悪口を言っているのではありません。むしろ、パウロたちが何者か、そして何を伝えているのかを大きな声で叫んで正しく宣伝してくれています。しかし、パウロたちは彼女の叫びを利用しませんでした。

なぜでしょうか。

もしパウロたち悪霊の叫びを利用してキリストの福音を宣教するのであれば、この奴隷の主人たちと変わらないことになるでしょう。そして何より、イエス・キリストが悪霊に取りつかれた人を救われていたからです。

キリストは悪霊に取りつかれた人から悪霊を追い出し、その人を悪霊の支配から解放されていきました。パウロはキリストの業に倣ったのです。イエス・キリストがなさったように、悪霊に取りつかれている人に、自分の人生を取り戻させました。

パウロがどのように悪霊を追い払ったのかをよく見てみましょう。パウロは「イエス・キリストの名によって命じる」という言葉と共に「この人から出て行け」と霊に命じました。悪霊は女性から出て行きました。それはイエス・キリストがそうなるように望まれた、ということです。

使徒言行禄3章には、ペトロによる癒しの業が記録されていますが、その際、ペトロも同じ言葉をつかっています。

「私たちには金や銀はないが、持っているものをあげよう。イエス・キリストの名において立ちなさい」。その言葉によってエルサレム神殿の境内にいた足の悪い人は癒され、立ち上がりました。

ペトロも、パウロも、キリストの使徒たちはイエス・キリストがお望みになることを行っていったのです。キリスト者には、悪霊・誘惑との霊的な戦いがあります。「神ではなく、自分を頼りにしなさい」「自分が神になればいいではないか」という声との戦いです。

その際キリスト者が持っている唯一の武器は「イエス・キリストの名」です。信仰者は、キリストを信じて「自分自身が」強くなるのではありません。キリストという「強い方」が弱い自分と共にいてくださるという強さです。

キリスト者は、「イエス・キリストの名において」生きます。それは、キリストがお望みになることをなしていく、ということです。キリストがお望みになることであれば、私たちの小さな信仰の技を通して、何かしらの奇跡が起こっていくのです。

イエス・キリストは、女奴隷を支配していた悪霊による証を必要とはされませんでした。むしろ、キリストの使徒を通して、御自分のお名前が、悪霊の支配から解放する道であることを示されたのです。

それにしても、なぜ女性に取りついていた悪霊は、なぜパウロたちのことを「いと高き神の僕だ」とか「この人たちは救いの道を伝えている」などと叫んだのでしょうか。

以前、イエス・キリストが宣教の旅をなさった時に、異邦人の土地でレギオンという悪霊の大群に取りつかれた人と出会われたことがあります。レギオンは主イエスの前にひれ伏して、「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい」と言いました。悪霊は、主イエスの前にひざまずいて命乞いをしました。このイエスという人が、神の子であり、自分たち悪霊が束になって勝つことはできないことを知っていたのです。

恐らく、女奴隷に取りつきパウロたちの後ろで叫び続けた占いの霊も、パウロたちが持つイエス・キリストのお名前を恐れ、負けを認めてこのように叫んでいるのではないでしょうか。そうでなければ、パウロたちに立ち向かって来たでしょう。

この世で悪霊ほど神のことを、キリストのことを正しく理解し、恐れている存在はありません。誰よりも神を理解し、キリストを恐れているのは、実は悪霊なのです。

私たちはどのように、私たちを支配しようとする悪しき力、罪の力、神から引き離そうとする誘惑の力に対抗すればいいのでしょうか。私たちが持っている武器はただ一つ、イエス・キリストのお名前です。キリストが共にいてくださる、ということです。

繰り返しますが、信仰者の強さは、ただイエス・キリストのお名前を知っている、ということです。そしてキリストのお名前を知っているというそれだけのことが、私たちを信仰者としてどれだけ強くするか、ということを、この場面から学びたいと思います。

パウロたちは、悪霊を女奴隷から追い出し、女性を解放しました。しかし、この女性の主人たち恨みを買うことになりました。自分たちの金儲けの道具をダメにされてしまったのだ。奴隷の主人たちは、パウロたちをローマの役人へと引き渡しました。

当時、ローマ帝国では宗教に対しては寛容でした。しかし、「貿易や商売の邪魔をしなければ」、という条件がありました。自分たちの商売を邪魔された主人たちは、仕返しとしてローマの役人たちに、「この者たちユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」と訴え出ました。このことで、パウロたちは逮捕され、鞭うたれ、牢に入れられてしまいます。

使徒たちにとっては不本意だったでしょう。しかし、不思議なことに、パウロたちは一言も弁明をしていません。いくらでも弁明することはできたはずなのに、パウロたちはむしろ甘んじてこの信仰の苦難を受け入れています。

「なぜなのだろうか」、と思わされます。

キリストの使徒たちは、イエス・キリストの苦しみに与ろうしているのではないでしょうか。彼らはまるで、十字架に上げられていったときのイエス・キリストのようです。

ユダヤの最高法院は、主イエスをローマ総督ポンテオ・ピラトの元へと連れて行ったとき、こう言いました。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」。これは、でっちあげです。しかし主イエスはご自分のために弁明をなさいませんでした。

ローマ総督ポンテオ・ピラトも、ユダヤの領主だったヘロデも、主イエスにいろいろと質問しましたが、主イエスは何も言い返さず、苦難の僕として、毛を刈られる子羊のように沈黙をもってご自分の受難へと身を捧げられたのです。

ご自分の十字架へと身を捧げていかれるイエス・キリストのお姿と、ここでのパウロ達の姿は重なります。神の救いのご計画を信じて、自分たちの身を沈黙のうちにゆだねていく信仰の姿です。

パウロは、一回目の宣教旅行の最後で、自分に従う人たちに向かって言いました。「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。」

パウロたちは、その言葉通り、神の国に入るための苦しみを担い、イエス・キリストの痛みに倣おうとしたのではないでしょうか。霊に取りつかれた女奴隷は、パウロたちが「救いの道を宣べ伝えている」と叫びました。「救いの道」とは、つまり神の国へと続く道のことです。その道を切り開くためにイエス・キリストはご自分の命を捧げられました。パウロたちは使徒として、キリストの歩みに倣い、神の国への道を示そうとしているのでしょう。

主イエスは、御自分に従う人に向かって、「自分の十字架を背負いなさい」とおっしゃいました。信仰者は自分の十字架を背負います。しかし、「自分の十字架を背負う」とはどういうことなのでしょうか。キリストがご自分の命をかけて通してくださった道を、私たちも歩き続ける、ということです。

キリストが歩まれた道は、苦難の道でした。逆風が吹く道です。しかし、その道は確かに、神の国へと続いていることをキリストは命をかけてお示しくださいました。神の国へと続く道を示すために、私たちはその道の上を歩くのです。どんなに逆風が吹いても。その道を歩くことで、その道を世に示していくのです。

キリストが敷いてくださった道の上には、多くの苦難があります。私たちがキリストのために働こうとすればするほど、罪の力は私たちに逆風として向かってきます。それでも、教会は逆風の中立ち続けます。キリストの使徒たちがそうだったように、教会は、神の国に入るための苦しみに勝る喜びを知っているからでしょう。

私たちにはこの地上の富に勝る天の宝があります。ペトロが言った通り、私たちには

金や銀はありません。しかし、イエス・キリストのお名前という天の宝を持っています。私たちキリスト教会がもっているイエス・キリストのお名前は、何よりも豊かな財産です。地上の富をどれだけ積んでも売り買いできる財産ではありません。

パウロたちは、逮捕されても、イエス・キリストのお名前という宝を手放すことはありませんでした。鞭打たれ、一番奥の牢に入れられ、足枷をはめられても、使徒たちは救いの道を捨てませんでした。

この後パウロたちは牢から救い出されることになります。そして、その出来事を通して、牢屋の看守たちが神を信じるようになり、洗礼を受けることになるのです。使徒たちの苦しみは、不思議な仕方で用いられていきます。私たちの信仰の痛みは、新たな信仰者を生みだすための、「生みの苦しみ」として用いられるのです。

私たちに与えられ、歩かせていただいているこの「救いの道」の上で、私たちが逆風に対して持っている武器は一つだけだ。イエス・キリストのお名前だけです。私たちはイエス・キリストのお名前をもって生きるしかありません信仰者が受ける苦難は、聖霊の導きの下にある苦難であり、キリストがくびきを共に担ってくださっている、インマヌエルの歩みです。苦難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生む。私たちは希望に向かっていることを忘れてはいけません

1月22日の礼拝案内

次週礼拝(1月22日)】

 招詞:詩編100:1b-3

 聖書: 使徒言行禄16:16~40

 交読文:詩編14編

 讃美歌:讃詠546番、84番、166番、396番、頌栄541番

【牧師予定】

◇毎週土曜日は牧師駐在日となっています。10時~17時までおりますので、お気軽においでください。

集会案内

主日礼拝 日曜日 10:00~11:

祈祷会 日曜日 礼拝後

牧師駐在日:毎週土曜日 10時~17時 ご自由にお越しください