マルコ福音書13:14~23
「主がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、主はご自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである」(13:20)
「神殿はやがて崩れることになる」という主イエスの言葉を聞いた弟子達は、「それはいつ起こるのですか。どんな徴があるのですか」と聞いてきました。この主イエスの神殿崩壊預言は、この時から40年後の紀元70年に、現実のものとなります。紀元66年、ユダヤ人はローマ帝国への反乱を起こし、73年までその戦いは続きました。それはユダヤ戦争と呼ばれています。
紀元70年、ローマ軍はエルサレムを占領し、神殿と都の大部分を破壊します。エルサレムの陥落は、ユダヤ人側の負けを決定づけるものでした。エルサレムを失った後、ユダヤ人たちは、最後にはマサダという要塞にこもり、ローマ軍に包囲され、悲惨な最期を遂げることになります。
「素晴らしい建物ですね」と弟子達は神殿を見て感動していましたが、既にこの時、主イエスは40年後の、ローマに包囲され、破壊されていくエルサレム神殿が見えていらっしゃいました。
「この神殿は完全に崩れるだろう」という主イエスの言葉に驚いた弟子達は「そのことはいつ起こるのですか」と聞いてきました。主イエスは、神殿崩壊という衝撃的な出来事が、いつ起こるのか、それにはどんな兆しが見えるのか、ということを弟子達にお話にはなっていません。
主イエスが弟子達におっしゃったのは、「その時がどれほど恐ろしく、混乱しようとも、その時に見聞きするものによって惑わされてはいけない。あなたがたの信仰が揺らがないようにしていなさい」ということでした。エルサレム神殿が崩壊する時、それがどれほど恐ろしく、切迫したものか、ということを主イエスは包み隠さず弟子達にお教えになっています。
「その時が来たら、躊躇せずに逃げなさい」
「屋上から下に降りたり、家の中にあるものを取り出す暇もない、畑にいても上着を取りに家に帰る時間すら惜しんで逃げなければならないようなことが起こる」
「身重であったり、乳飲み子を抱えていたりすることですら苦しみになるだろう、もしそれが冬であればさらに苦しみは増すだろう」
このようなことをおっしゃいました。
そして、「神が天地を造られた創造の初めから今までなく、今後も決してないほどの苦難が来る」とまでおっしゃっています。大事なことは、それがいつ起こるのか、ということではなく、それ以上に、そのような苦難を信仰を抱いて乗り越えなければならない、ということでした。
弟子達は、そして当時のユダヤ人にとって、エルサレム神殿が崩れるなどということは考えられないことでした。エルサレムは神の都であり、神に守られているから不滅だ、と信じていたのです。
BC167年に、アンティオコス・エピファネスというシリアの王が、エルサレム神殿の財宝を奪い取り、神殿の中に偶像の像を立てようとしたことがありました。ユダヤ人たちはこれに反発して、シリアを相手に戦いました。エルサレム神殿は神の家なのです。ユダヤ人は神のために戦い、勝利しました。
このことから、「エルサレムは神の都であるため、負けることはない。エルサレム神殿は神の家であるため、異邦人によって破壊されるなどということはない」という思いがユダヤ人の間で強くなりました。
弟子達は、主イエスの言葉を聞いた後でも、「神殿が崩れるなど、信じられない」と心の内では思っていたでしょう。だからこそ主イエスは「一切のことを前もって言っておく」と、包み隠さずお話しなさったのです。
神の子イエス・キリストが神殿の崩壊を預言される、ということは、それは間違いなくそうなる、ということです。ではなぜ神殿は壊れるのでしょうか。私達がこれまで読んできたように、もう神殿は祈りの家ではなく、強盗の巣となっていたからです。神殿の境内で商人が商売をしたり、神殿に献金した弱いやもめが破産したりしてしまうようなことになっていました。弱い者たちが見向きもされていない、神の教えである律法が守られていない神殿は、神ご自身の手によって滅ぼされるのです。
神殿崩壊預言をしたのはイエス・キリストが最初ではありません。旧約の預言者たちの中にも、エルサレム神殿の崩壊を預言した人はいました。ミカや、エレミヤがそうです。
紀元前6世紀、エレミヤはエルサレムの滅びを預言しました。エルサレムが堕落していたからです。エレミヤはエルサレム神殿に入って来る人たちに言いました。
「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、空しい言葉により頼んではならない。・・・神の神殿に来て『救われた』というのか。お前たちは、あらゆる忌むべきことをしているではないか。この神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。その通り。私にもそう見える、と主は言われる」
エルサレム神殿に来て、形だけ礼拝するだけで、寄留していた外国人、孤児、寡婦を大切にせず、異教の神々を礼拝していた人たちに向かって、エレミヤはそのように言いました。「主の神殿」という言葉の響きだけで自分の信仰は満たされていると満足している人たちに、エレミヤは神の怒りを告げたのです。
エレミヤの時代、イスラエルはバビロンという大きな国に降伏して、その支配下にありました。紀元前598年にイスラエルはバビロンに降伏し、バビロンはエルサレムの王を始め、国の指導者たちを自分の国へと連行して行きました。
エルサレムに残された人たちは、有力な指導者たちを失って自分たちはこれからどうなるのか、と不安になっていました。そのような中でエレミヤは厳しい預言をします。
「エルサレムはバビロニアによって滅ぼされる。それはイスラエルの不信仰に対する神の裁きだ。私達は神の裁きを従順に受け入れ、悔い改めなければならない」
当然、エレミヤは他の人々からは嫌われました。 Continue reading