MIYAKEJIMA CHURCH

4月9日の礼拝説教(イースター礼拝)

ルカ福音書23:26~43

「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです』」(23:34)

イースターの朝を迎えました。十字架で殺されたはずのナザレのイエスの墓が空になり、人々が驚き怪しんだ朝です。そしてそれは同時に、イエス・キリストを信じ従っていた人たちが、復活なさったキリストに出会い、永遠の命の信仰を確かなものにした朝でもあります。

今日私たちは、ルカ福音書に記された、主イエス・キリストの十字架のお姿を見つめたいと思います。そして、この方の十字架によって私たちがどのように死の力から救われたのか、ということを学んでいきましょう。

主イエスが十字架に上げられたのは、「されこうべ」と呼ばれている処刑場でした。アラム語で「ゴルゴタ」、ラテン語で「カルバリア」と呼ばれています。なぜそこが「されこうべ」と呼ばれていたか、というと、その処刑場が崖の上にあって、その崖が、少し離れたところから見ると骸骨に見えたからです。死を連想させる恐ろしい名前が付けられた場所でした。

古代の歴史家は、十字架刑のことを「最も憐れむべき死」とか、「奴隷に課せられる一番の拷問」という表現で記録しています。それだけ壮絶な苦しみを伴う処刑法だったということです。

十字架の罪人は自分が釘で打ち付けられる木を自分で処刑場まで運ばされました。イエス・キリストは9時に十字架に釘で打ち付けられ、それから6時間もの間苦しんで、死なれました。

この方の死は何だったのでしょうか。なぜこの方は死ななければならなかったのでしょうか。

私たちは、この方のことを、「犯してもいない罪で有罪とされ十字架に上げられた不運な人・悲劇の人」として見ることもできます。しかし聖書は、この方の十字架の死について、「非業の死を遂げた英雄」のようには伝えていません。預言によって伝えられてきた神の救いの御業の実現であると教えています。

はじめて福音書を読む人は、主イエスが十字架で殺されてしまったことを、不可解な悲劇として受け止めるのではないでしょうか。しかし、旧約聖書を見ると、この方の死は決して不可解なものでも、偶然でもなく、神が時を選んでご準備されていた救いの御業であったことがわかります。

旧約聖書の詩編の中に、信仰者が苦しみの中から神に祈り求める言葉があります。詩編22編や69編を見ると、このような詩人の嘆きの言葉があります。

詩編22:7~9「私は虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。私を見る人は皆、私をあざ笑い、唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう』」

詩編22:19「骨が数えられる程になった私の体を彼らはさらし者にして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」

詩編69:21~22「嘲りに心を打ち砕かれ、私は無力になりました。望んでいた同情は得られず慰めてくれる人も見出せません。人は私に苦いものを食べさせようとし、渇く私に酢を飲ませようとします」

十字架の上のイエス・キリストこそ、詩編で歌われ預言されていたる苦しみの信仰者の姿でした。

キリストの十字架の周りにいた人たちはどうだったでしょうか。民衆、ユダヤの指導者たち、ローマ兵たち、そして主イエスと一緒に十字架に上げられた二人の強盗がいました。

35節では、「民衆は立って見つめていた」とあります。日曜日に主イエスがエルサレムに入場された時には、民衆は歓喜の歌をもって、迎え入れました。しかし、金曜日の朝、たった五日で、民衆の喜びは消えました。「メシアではないか」と喜びをもって迎えたその人が十字架に上げられているのです。民衆は黙って主の十字架の前に立ち、そのお姿を黙って見つめるしかありませんでした。

民衆とは対照的なのが、ユダヤの指導者たち、ローマ兵、そして主イエスと一緒に十字架に上げられた二人の強盗の内の一人でした。ユダヤの指導者たちも、ローマ兵も、強盗の一人も、皆同じことを主イエスに向かって言いました。

「自分を救ってみろ」

確かにそうでしょう。これまで主イエスはたくさんの人たちを救ってこられました。病気を癒し、悪霊を追い払い、「あなたのもとに神の支配は届いている」と伝えて来られました。

「神からのメシアなら、選ばれた者なら、ユダヤ人の王なら、自分自身を救ってみろ。他の人たちのことは救えたではないか」と言うのが普通でしょう。世界に救いをもたらすメシアであれば、十字架で殺されるなんてことがあるはずがないのです。

しかし、御自分を嘲る人たちのために、主イエスは神にこう祈られました。

「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです」

彼らが「知らなかったこと」とは何だったのでしょうか。

ヘブライ人への手紙9:12にこうあります。

「キリストは・・・ご自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです・・・ご自身を傷のないものとして神に捧げられたキリストの血は、私たちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです」

人々は、自分たちが十字架に上げて殺そうとしているこの方はキリストであり、御自分の血を流して、神との契約へと導き入れようとしてくださっているということを「知らなかった」のです。

イエス・キリストはご自分に苦しみを与える人たちのために執成して祈られました。

「父よ、彼らをお許しください」

この執り成しの祈りの言葉を、二人の強盗は隣で聞きました。強盗の一人は、主イエスを馬鹿にしました。自分が十字架に上げられているくせに、「彼らをお許しください」などと祈っているのが滑稽だったのでしょう。

しかし、もう一人の強盗は、その主イエスの姿に何かを見出しました。そして主イエスを馬鹿にするもう一人の強盗をいさめ、自分の罪を告白します。

「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」

この強盗は、主イエスと面識があったわけではないのです。十字架の上で捧げられた主イエスの壮絶な執り成しの祈りの言葉を聞いて、この方こそメシアであると確信したのです。

この二人の強盗を比べて見ると対照的です。主イエス罵った強盗は、「自分と我々を助けろ」と言いました。しかし、もう一人の強盗は、「私を助けてください」ではなく、「イエスよ、あなたの御国においでになる時には、私を思い出してください」という言葉でした。

この人が望んだことは、自分の命が助かることではなく、このイエスという方に自分を思い出してもらうことでした。この人は、自分の地上の命以上に価値のあることを、十字架上のイエスという方の中に見出したのです。

主イエスはこの人に向かって「あなたは今日私と共に楽園にいる」とおっしゃいました。イエス・キリストは、最後の最後まで、十字架の上においてまで、神との和解・神への立ち返りを罪びとにお与えになり、御国への道を拓かれたのです。

十字架の上にも、楽園はあるのです。イエス・キリストが共にいて、自分のことを思ってくださるのであれば、たとえ十字架の上であってもそこは楽園となるのです。

ヘブライ人への手紙にこう書かれている。

「イエスは、神の御前において憐み深い、忠実な大祭司となって、民の罪をつぐなうために、全ての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがお出来になるのです」 Continue reading

4月2日の礼拝説教

創世記2:4~15

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(2:7)

創世記1章には、「天地創造の七日間」が描かれています。神が六日かけて、この世界と、そこに生きる人間を創造されました。そして七日目に休まれ、その一日を聖別され天地創造の御業は終わりました。

今日私たちは、その続きを読みました。創世記を1章、2章と続けて読むと、少し混乱するかもしれません。1章で語られた神の天地創造の御業は、2章に入ってもう一度語りなおされているのです。

しかも、2章では1章で語られたのとは違う仕方・違う視点で語られているのです。1章では、神が七日かけて一日一日、このように天地に秩序を造って行かれた、ということを順を追って描かれます。2章では、不毛の大地に人間が造られ、その人間を中心に世界の秩序が創造されていく、という描き方がされているのです。

創世記が世界の始まりを違う角度で二度語り伝えている、ということを踏まえて、この2章の創造の記事から学ぶべき信仰の教訓を見出していきたいと思います。

2章では、神が不毛な世界に人間をお創りになった、というところから始まります。2章の創造物語では、とにかく人間という存在に目を向けているのです。人間が何から造られ、どのように生きるものとされたのか・・・私たちは人間の本質について考えさせられることになります。

2:7「主なる神は、土の塵で人を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった」

元のヘブライ語では神が「アダマからアダムを造った」という表現がされています。多くの人は、最初に「アダムという名前の男性の人間」が造られた、と理解しているのではないでしょうか。しかし、聖書を細かく見ると、そんなに単純なことではないことがわかります。

1:27で既に、人間は神にかたどられ「神の似姿」として「男と女に創造された」ことが書かれています。そして2章に入り、神の創造をもう一度語りなおす段階にきて初めてこの「アダム」という言葉が出てくるのです。

ある神学者は、主なる神が「アダマからアダムを形作った」というこの一文を「土の塵で『人』を形作った」と訳すのは、訳しすぎている、と言います。この2:7の「アダム」という言葉は「人」ではなく、「土から造られたもの」と訳すべきだ、と言うのです。

私達は創世記を読みながら、「女性よりも男性の方が先に造られた、ということを聖書は伝えているのだろう」と考えるのではないでしょうか。しかし、聖書は、人の原材料は土である、ということをまず私達に示しているのです。

人間存在の一番根本的なこととして、「人間は土から造られた、この大地の生き物である。土から離れて生きることはできない存在であり、土と共に生きて行かなければならない存在なのだ」ということを私たちに教えているのです。

神は、陶芸家のように「土から造られたもの・アダム」を形作られました。それは、単なる土の器・置物として造られたのではありませんでした。神がその「土の産物・アダム」にご自分の息を吹き入れて、アダムは初めて、土の塊から「人間・アダム」となり、生きるものとされたのです。

この短い記述から私たちは「人間とは何か」、ということを聖書から教えられます。人間は土から造られ、やがて、土に返るものなのです。このことを我々はどれだけ考えているでしょうか。知識としては知っていても、どれだけそのことを意識して自分の生き方を選択しているでしょうか。土の器に聖い息を吹き入れ、私達を人間として生きるものとしてくださっている方にどれだけ思いを向けているでしょうか。

この2章の創造物語では、1章とは少し違う呼び方で神のことを呼んでいる。

1章では、神は「神」と呼ばれていますが、2章では神のことを「主なる神」と呼んでいます。

人が神によって土から造られ、神の息が吹き込まれて生きるものとされことを見ると、神は我々人間にとって、文字通り、主なる神、主(あるじ)であることがわかるのではないでしょうか。聖書は私達の真の支配者へとまず立ち返らせるのです。

このように、1章の創造物語と2章の創造物語は、まったく違った角度から天地創造を描いています。人間の創造については今見た通りです。それでは、2章ではどのように神が世界をお創りになったと語っているでしょうか。

2:4「主なる神が地と天を造られた時」とあります。1章では「天と地」です。2章では逆になって「地と天」と言っています。1章では「天」の方にまず焦点を当てていますが、2章では「地・大地」の方に焦点を当てているのです。

2章の創造物語が伝える神の創造以前の世界は「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった」ということでした。大地は「不毛」という「無秩序・混沌」に支配されていたのです。

なぜ大地が不毛だったのか、聖書は理由を二つ書いています。一つは、主なる神が地上に雨をお送りにならなかったから、そしてもう一つは土を耕す人がいなかったからです。

以前話したことの繰り返しになりますが、この創世記の天地創造の物語は、科学の論文や理科の教科書のように読むべきものではありません。イスラエルが今の私たちに神への信仰の本質を伝えている「信仰の物語」として向き合わなければならないのです。

神の秩序を正しく保つものは何でしょうか。それは、大地に雨を降らせてくださる神の御業と、その雨を受けた大地を耕す人の業である、というのです。聖書は、世界の秩序は、神が下さる恵みと、恵みに応える人間の調和に根差していることを我々に教えているのです。

神はその秩序のために、アダム・人間に二つのことをなさいました。人が生きるための場所をお創りになったことと、人に生きる目的をお与えになったことです。神は、エデンというところに「園」をお創りになって、人をそこに置かれました。そして人がエデンの園を「耕して守る」ことをお求めになりました。

神が不毛の大地の中に園を造られ、大地の土から造られた「土の生き物・アダム」をそこに置き、土を耕すものとされた・・・これが、創世記二章が伝えている創造の秩序なのです。

我々は土の上に生きています。当たり前のことです。その当たり前のことが、神によって与えられた神秘の恵みであることをどれだけ認識しているでしょうか。自分が、今踏んでいる土からできていて、土が生みだす恵みによって生きていて、その土を潤す雨が天から与えられている、ということが当たり前すぎて、そのことがどんなに深い神秘であるか、本当に意識して考えることは少ないのではないでしょうか。

聖書の創造物語は私たちをその根源的な神秘へと引き戻すのです。「あなたの原点はここにある。ここが、世界について神について自分について考える出発点なのだ」と私たちに示しています。

さて、2章の創造物語を見ると、1章の創造物語には書かれていない、不思議ものを神はお創りになっています。9節の最後に、神がエデンの園の中央に「命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた」とある。神が何のためにこの二本の木を園に置かれたのか、まだこの段階では明らかではありません。

この後蛇の誘惑を受けて人は善悪を知る木の実を食べてしまいます。そのことで神は人が善悪を知る者となったことを嘆かれ、次に「手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となる恐れがある」と人を楽園から追放されることになります。

どうやら、どちらも人が食べてはならない木だったようです。「なぜ神は人が食べてはならない二本の木をわざわざ園の中央に生えさせられたのだろうか」と素朴に疑問に思うのではないでしょうか。しかし聖書が伝えようとしているのは、単純に「人が土足で侵してはならないものがある」、ということではないでしょうか。

善悪を知る木の実を食べて、人は「神のように」なろうとしました。それに加えて人が更に「永遠に生きる者」になろうとすることを神は、良しとされませんでした。

「神のようになりたい」「命を好きなように操作したい」、という欲望が人間の心の奥底にあることを聖書は指摘しているのです。誰も否定することができない罪です。そのような人間の思いが世界の秩序をどんなに崩してしまうか、私たちは知っています。神の領域として私たちが踏み入れるべきではないものがこの世界にはあるのです。

忘れてならないのは、この創世記の言葉を書き残したのは、偶像礼拝によってエルサレムの都を失ったイスラエルの民である、ということです。これは「善悪を知る木」の実を食べ、神のようになろうとして神から離れ、偶像礼拝に走り、滅んだ信仰の民によって書かれた物語なのです。そのようにして読むと、この創造物語を単なる空想の産物として軽んじることはできないでしょう。

さて、この創世記2章を読むと、私たちにはまだ「命の木」が残されている、ということになります。このことをどう考えればいいのでしょうか。

「命の木」は新約聖書のヨハネ黙示録の最後に出てきます。ヨハネ黙示録はこの世の終わりの様子を描いている言葉ですが、22:14にこう記されています。

「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである」 Continue reading

3月26日の礼拝説教

創世記1:1~2:3

「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」(2:3)

聖書にはこの天地がどのように神によって造られたのか、そして神が人間にこの世界でどう生きてほしいと願われたか、ということが記されています。我々人間にとってのこの世界の意味と、この世界に生きる自分という存在の意味ということから描き始めるのです。

今日私たちは六日目と七日目の神の創造の御業に注目していきます。

神は人間を祝福してこうおっしゃいました。

「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物を全て支配せよ」

神が人間にこの大地を「従わせること」と、この世界に生きる生き物を「支配する」ことをお求めになっています。「従わせる」とか「支配する」という言葉がつかわれているので、ここを読んで誤解してしまう人は多いのではないでしょうか。「人間は神から大地を『従わせる』ことと、生き物を『支配する』ことが許されているのだから、この世界の中で自分たち本位で何をしてもいいのだ、人間さえよければいいのだ」という誤解です。

果たして聖書は、この世界における人間至上主義のようなことを伝えているのでしょうか。「地を従わせよ」とは、我々人間が土に対して何をしてもいいということなのでしょうか。「生き物を支配せよ」とは、人間はこの世界で特別な存在として造られたから、他の生き物に対して人間の優位にふるまっていい、人間だけがこの世界で尊厳をもつものである、ということなのでしょうか。

29節の神の言葉を見ると、そうではないことがわかる。

種を持つ草、種を持つ実をつける木が人間に与えられ、土に育った大地の実りで世界の生き物が養われていく・・・神がお創りになった世界の秩序はそういうものでした。人間が大地の土を食いつぶすということは自分の命を食いつぶすことである、ということはすぐにわかります。土は人間だけのものではないのです。大地は、全て命あるものを生かすために恵みを実らせていくものなのです。

「従わせる」「支配させる」という表現を理解する上で、天地創造の第四の日の神の御業を見ておきましょう。神は、天の大空に光る物を造り、昼と夜を分け、季節・日・年のしるしとして、大地を照らされました。二つの大きな光る物と星を造って、大きな方に昼を「治めさせ」、小さな方に夜を「治めさせられた」とあります。「従わせる」「支配させる」という言葉は、「治めさせる」という言葉と似ています。

太陽は昼を、月は夜をどのように治めているでしょうか。太陽は昼を昼とし、月は夜を夜としている・・・それぞれが昼の秩序、夜の秩序を守る、という治め方です。

このように、「支配させる」とか「従わせる」というのは、ここでは、人間が神の創造の秩序の中で、人間が大地に対して、生き物に対して重要な責任を与えられている、ということなのです。太陽と月が、昼と夜という神の秩序を正しく治めているように、人間は大地を、土を、種を実を、青草を、そして空、陸、海の生き物の営みを、神の光の秩序の中に正しく支配しなければならない、ということなのです。

創世記は誤解されやすい書物だと思います。一つ一つの言葉を丁寧に見て、神が一日一日創造の御業を振り返る際に「よし」とされた、ということを踏まえると、人間至上主義・人間中心主義がこの世界の秩序を壊してしまう、ということが分かります。

人間も、この世界の秩序の中に置かれているのですから、人間が創造主・被造物に対する敬いをなくした時、自分たちが秩序の崩壊に巻き込まれることになる・・・その当たり前のことがここで警告されているのです。

「人間は男と女に創造された」、とあります(26節)。男と女は神に「かたどって」造られた、神の似姿ででした。

ここも、いろんな誤った読み方がされるところではないでしょうか。「神に似せて男と女に造られた、というのであれば、男と女、どちらが神に似ているのか」、「そもそも神は男なのか、女なのか」などという議論になってしまうのです。創世記を読みながらそんなことを議論することは無意味です。人間の性別をいきなり神に当てはめて考えても答えは出ません。

神の似姿として男と女が造られた、ということは、人間は男も女も全ての人が神の祝福のもと造られ、神の栄光を与えられ、この世界の「支配」に等しく責任を持っている、ということです。神の創造の光に即して、世界を守り、世界を天地創造以前の「混沌の闇」に戻さないという厳粛な使命を、男・女、という性別にかかわらず持っている、ということなのです。

神は六日かけて天地の秩序を整えられました。1章の最後、31節を見ると、「神はお創りになった全てのものをご覧になった。見よ、それは極めてよかった」とあります。御自分の発する言葉によって造られたこの世界を、わが子のように、御自分の分身のように愛された、ということだ。

創世記1章を読むと、この天地の形は実際には6日間で造られた、ということがわかります。しかし天地創造にはあと一日、七日目がありました。七日かけて神が天地を創造された、ということは有名なことですが、実際は六日で造られ、七日目に神は何もお創りになっていません。7日目に神がなさったのは、休む、ということでした。

「仕事の手を止めて、休む」ということまでが、神の天地創造の業に含まれる、ということは不思議に思えるのではないでしょうか。しかし実はこのことが、大事なのです。天地創造の御業の中で、7日目に神が休まれた、そしてその日を特別に「聖別された」ということが、実は創世記が描いている天地創造の場面で一番大切なことなのです。

我々は神がお疲れになるとか、神にも休みが必要だった、などということはあまり考えないのではないでしょうか。「神なんだから言葉一つで簡単に世界を造った」ように決めつけてしまいがちです。

しかし、この世界の秩序をお創りになる神のお言葉の一つ一つにどれほどの重みがあったのか、ということもまた考えなければならないことではないでしょうか。

神は言葉によって世界を六日間かけて創造され、そして御自分が世界にお与えになった言葉、そしてその世界を、手を止めて見つめるための特別な一日を加えて初めて「天地創造」の完成とされました。逆に言えば、その7日目がなければ、6日間の創造の業は本当の意味では完成してはいなかったということです。

それではこの7日目にはどのような意味があるのでしょうか。「仕事の手を止めて休む、ということには、何の生産性もないではないか」、と考えるかもしれません。しかし、この7日目の「安息」こそが、他の6日間の創造の業に意味を与えるものなのです。

神が人間のために働かれた六日間と、神がご自分のために休まれた一日が、「天地創造の七日間」となりました。この七日間が、私たちがこの世界に生きる時間の秩序となっています。七日が一週間となり、私たちは七日をひとまとまりとして時間を数えています。

天地創造の7日目は、神がこの世界に礼拝を創造された日であると言いでしょう。私たちは自分たちのために日々働き、そして週に一度、働く手を止めて礼拝の時を持っています。私たちは礼拝の中で神の安息に倣い、この世界とその中に生きている自分自身を見つめ、そしてこの世界と自分を造られた神に心を向けます。神が手を休めてこの世界を見つめられたように。私たちは礼拝を通して、この創世記一章に記されている原点に戻るのです。

もしも、天地創造の7日目にもたれた神の安息がなかったとしたらどうでしょうか。人間は、自分たちだけのために生きて、土も、種も、実も、生き物も、自分のためだけにあるものだ、と人間至上主義に陥り、時間の秩序も作れず、滅びに至るのではないでしょうか。

我々は、自分を生かすために働く手を止め、本当に自分を生かしてくださっている神に心を向けます。そうやって、この世界を、自分を、神を見つめています。私たちが本当に人間らしくあれるのは、この時間が神から与えられているからなのです。

「人はパンだけで生きるのではない」、という神の律法、イエス・キリストのみ言葉は、私たちが神の安息に入れられ、礼拝の静けさの中で教えられていく真理なのだ。

そして私たちが忘れてならないのは、聖書が伝えているのは、人間がこの天地創造の光の秩序を壊してしまっているのではないか、という警告である、ということだ。聖書は、「あなたは創造の秩序を正しく『支配』しているか」と問いかけています。

使徒パウロは、ローマの信徒への手紙で書いています。

「世界が造られた時から、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることが出来ます」

だから、私たちには弁解の余地がない、とパウロは言います。

「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなった・・・自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです」ロマ書1:18以下

創世記は、天地創造の場面を通して、「あなたは神の秩序を壊していないか」と問いかけてきます。この天地創造で、神がご覧になって「極めてよかった」と思われた世界は、実は人間が失ってしまった世界なのです。

この世界は、神がお創りになったものなのだから、パウロが言うように、神の栄光に満ち溢れています。しかし、人間はどれほどそれを見出しているでしょうか。

聖書は、この世界に神の栄光を見失って空しさを覚えている人に立ち返るべき世界・立ち返るべき創造主を示し、希望を与えようとしています。

イエス・キリストは人間が神から離れた罪を全て十字架で担ってくださいました。御自分の肉を裂かれ血を流し、それによって神殿の垂れ幕を真っ二つに裂いて、創造主へと立ち返る道を拓いてくださいました。

私たちは創世記の天地創造を読みながら、キリストが痛みをもって示してくださった神の国を見せられているのです。今、この礼拝へと、そしてこの天地創造の景色へと導いてくださったイエス・キリストに感謝したいと思います。私たちが立ち返るのは、ここなのです。

3月19日の礼拝説教

創世記1:1~2:3

「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」(1:26)

聖書は神がこの世界を七日かけて創造されたことをはじめに描いています。

1日目には「光あれ」という言葉と共に、昼と夜を創造されました。二日目には大空と水とを分けられ、三日目には、水を一つの所へとお集めになり、海と地を分け、地には草木が芽生えるようにされました。

四日目には天の大空に光るものをお創りになって、昼と夜を治めるようにされ、五日目に、水に生きるものと空に生きるものをお創りになり、それらの生き物を祝福されました。

神が六日目にお創りになったのは、地の上に生きるものでした。地の獣、家畜、土を這うものをお創りになり、それをご覧になって神は「よし」とされました。六日目の創造の業はそれだけでは終わりませんでした。続けて、神は人間という存在をお創りになったのです。

私達は今日、天地創造の六日目に目を止めて、神がどのような存在として私達人間をこの世界にお創りになったのか、そして神が我々人間に何を期待して、どんな使命をお与えになっているのか、ということを見て行きたいと思います。

創世記は、24節から31節まで、神が人間という存在をどんな思いでお創りになったのか、そして人間に何を期待してお創りになったのか、という六日目の創造の様子を、ほかの被造物の創造よりも詳しく書いています。神が人間という存在を、他の被造物と区別して、特別な存在として創造された、ということがわかります。

私達は、神がどんな思い・決心をもって人間をお創りになったか、神の心の声が記されています。

26節 「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うすべてを支配させよう」

この神の声を見ると、人間がこの世界の中に造られた、というよりも、世界が人間のために造られた、ということがわかります。世界にある全てのものが人間に与えられているというのです。

神は人間が生きるための秩序を整えて「よし」とされ、そこに人間の命を造られました。神は、ただ天地をお創りになったのではありません。人間が生きるための世界をお創りになったのです。

神は、人間をお創りになる際、「我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう」とおっしゃっています。そして27節で、「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」と、人間が神の似姿として造られたことを強調しています。

「人間は神の似姿である、」とはどういうことなのでしょうか。私達は自分について何か考える際には、そこから始めなければならないのです。この世界に今生きている自分という存在について考える際、「今、ここで生きている自分とは一体何者なのか。」という問いを持ちます。それに対して、聖書は、「あなたは神の似姿なのだ」と答えるのです。

それでは自分が神にかたどられて造られた「神の似姿」である、とはどういうことなのでしょうか。簡単に言えば、人は神からいただいていないものはない、ということです。身体も心も、全て神から与えられた聖いものであり、それは社会的な身分や民族などには関係なく、全ての人が、神の栄光を映し出す聖い器である、ということです。

古代においては、その国の王様が「神の似姿」と見られていました。王が、神の権威をもって自分の国を支配している、と考えられていたのです。

しかし、創世記で明らかになっているのは、特定の人だけでなく、この世界に生きる全ての人間が神にとって特別であり、神は全ての人に等しくそれぞれに聖い使命を託していらっしゃるということなのです。

ある人には特別に価値があり、ある人には全く価値がない、というようなことはありません。人間はそう考えたくなるでしょう。自分は誰かよりも上だ、とか優れているとかいうことに目が向いてしまいます。

しかし、創世記は、全ての人間は神の手によって造られた者であり、神の祝福を受け、それぞれが神の栄光を映し出す器としてこの世界に生かされていることを伝えているのです。

「人間が神の似姿に造られた」ということを読んで間違えてならないのは、人間がこの世界で自分が神のように振る舞ってもいい、ということではない、ということです。

この後、創世記を読んでいくと、アダムとエバが蛇の誘惑に負け、楽園を追放されることが書かれています。

「アダム」は、ヘブライ語では「人間」という言葉であり、エバは「命」という意味の言葉です。アダムとエバが楽園を失った物語は、「人間の命」が神の光から離れてしまった、という私たちの罪の現実を描き出しているのです。

これは今の私達に向けて発せられている警告の物語です。「神の似姿である人間・神に造られた人間が、創造主を忘れて自分が神になろうとすると滅びを招く」という敬称なのです。

蛇の誘惑は、「あなたはその実を食べると神のようになれる」というものでした。アダムもエバも「神の似姿・神の聖さをいただいた者」でした。神に造られた命が神になろうとしたとき、どんな破滅を迎えるのかを創世記は教えているのです。

聖書が私達のことを「神の似姿」と言っているからと、この世界で神のように振る舞っていい、ということではありません。神の栄光を映し出す器が、神になろうとしたとき、その器は耐えられなくなって壊れてしまうのです。

パウロは手紙の中でこう言っている。

「私達は神のために力を合わせて働くものであり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。・・・イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、誰もほかの土台を据えることは出来ません。・・・あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」1コリ3:9~

「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、私達の心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。・・・私達はこのような宝を土の器に納めています。・・・私達は、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために。」2コリ4:7~

これらのパウロの言葉から考えると、人が「神の似姿」であるとは、私達が創造主の栄光を現わす器であり、イエス・キリストの命が現れる器である、ということがわかります。

そのことを踏まえると、私達は創世記に向き合いながら神に造られた者としてどうあるべきか、考えさせられるのではないでしょうか。他の被造物とは区別され、特別に祝福されたからと言って、思いあがって神のように振る舞うとどうなるのでしょうか。

キリスト教会が、イエス・キリストから離れ、キリスト者がまるで自分がキリストであるかのように振る舞ったらどうなるのか・・・聖書は私達に警鐘を鳴らしている。

神の救いのご計画のために用いていただく器として謙遜に自分を差し出すことこそが、神に造られた者・キリストに救われた者として一番「人間らしい」生き方なのだ。

神は、ご自分にかたどってお創りになった人間に、「生き物を全て支配せよ」とおっしゃいました。

28節  Continue reading

3月12日の礼拝説教

創世記1:1~2:3

「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(1:2)

導入

聖書を読みながらあまり考えないかもしれませんが、聖書の言葉はいつ、どこで、誰が、何のために書いたのか、ということを踏まえることは、誤った読み方をしないために大切なことです。私たちが読んでいる聖書は、突然天から降って来たものではありません。歴史の激動の中でイスラエルが旧約聖書の言葉を残し、キリスト教会が新約聖書を残してきました。信仰の民は、聖書の言葉を「人間に与えられた神の言葉・啓示」として大切に伝えて来ました。

今私たちが読んでいる旧約聖書の言葉は、紀元6世紀、バビロン捕囚という苦しみの中において書かれ、文書として編纂されて今の形になって行ったものです。BC587、エルサレムの町、そしてエルサレム神殿は、バビロンという巨大な帝国に破壊され、滅ぼされました。イスラエルの人たちはエルサレムからバビロンへと連れて行かれ、そこで囚われて生活することになったのです。

イスラエルはそれまで何百年も偶像礼拝を続けていました。そのイスラエルに、何人もの預言者たちが「真の神から離れてはいけない。神はあなたがたがしている偶像礼拝にお怒りになっている」と警告を発し続けてきました。

バビロンに滅ぼされる直前、エルサレムでエレミヤという預言者がこう言っています。

「まことに、ユダの人々は私の目の前で悪を行った、と主は言われる。私の名によって呼ばれるこの神殿に、彼らは憎むべき物を置いてこれを汚した。彼らはベン・ヒノムの谷にトフェトの聖なる高台を築いて息子、娘を火で焼いた。このようなことを私は命じたこともなく、心に思い浮かべたこともない。・・・私はユダの町々とエルサレムの巷から、喜びの声と祝いの声、花婿の声と花嫁の声を断つ。この地は廃墟となる」エレ7:30以下

偶像礼拝というものが、私たちが考えているよりも恐ろしいものであり、人間を狂わせてしまうものであったことがわかるのではないでしょうか。イスラエルの人たちは、偶像礼拝の儀式の中で自分の子供を火で焼いて捧げたりしていた、というのです。

預言者エレミヤは、「神はそのようなことをお命じになっていない。お怒りになっている。このままではエルサレムは神によって裁かれる」と言い続けました。そして、「神は偶像礼拝を続けるイスラエルを、バビロンの軍隊を用いて裁かれるだろう。だからバビロンに降伏して、素直に神の罰を受け入れなさい」と、伝えたのです。

しかし、イスラエルの人たちは「バビロンに降伏しなさい」と言うエレミヤを売国奴とみなし、預言を受け入れませんでした。エルサレムは神の都であり、自分たちは神の民イスラエルなのだから滅びるはずがない、という根拠のない信仰をもっていたのです。

結局、預言者の言葉は聞かれず、偶像礼拝を続けていたエルサレムにバビロンが攻めて来ました。街も、神殿も徹底的に破壊されました。エルサレムの人々はバビロンへと連行され、そこで囚われの身として生きることになったのです。

私たちが今日読んだ旧約聖書の創世記の言葉は、そのような中で書かれました。創世記から列王記まで、聖書は世界の始まりからバビロン捕囚までのイスラエルの歴史を描いています。この歴史を書いたのは、国を失い、神殿を失い、バビロンへと連れて来られたイスラエルの祭司たちだと言われています。イスラエルの信仰の責任を負っていた人たちです。

彼らには自責の念があったでしょう。自分たちは、祭司としてイスラエルの民の信仰を正しく導くことができなかった・・・預言者の言葉を聞き入れることもせず、偶像礼拝を排除することもできなかった・・・自分たちで神の怒り招き、エルサレムを失い、バビロンで生きることになってしまった・・・。

イスラエルの祭司たちが、「どうして神の民イスラエルがこんなことになってしまったのか」という思いをもって、世界の始まりからバビロン捕囚までの歴史をまとめなおしたのが、この旧約聖書の言葉なのです。

創世記から列王記までを読むと、どこを切っても「私たちは神から離れた。だから滅びたのだ」という反省の教訓に満ちています。どこを読んでも、バビロンで囚われの身として生きる苦しみ、屈辱、そしてその原因となった偶像礼拝への反省が透けて見えるのです。神の裁きを受けた者の悔い改めに満ちた書なのです。

イスラエルの祭司たちは、国を失って初めて預言者エレミヤの言葉が正しかったことを悟りました。エレミヤはエルサレムの滅びを前もって預言してこう言っています。

「多くの国の人々がこの都を通りかかって、互いに訪ね、『なぜ主はこの大いなる都にこのようになさったのか』と聞くならば、『彼らがその神、主の契約を捨てて他の神々を拝み、仕えたからだ』と答えるであろう。」エレ21:8

バビロンに連れて来られたイスラエルの人たちは、信仰の危機にありました。エルサレム神殿を失って、どのように自分たちが先祖から受け継いできた神への信仰を後世に伝えていけばいいのか・・・祭司たちは、言葉を紡いでいったのです。自分たちが聞いた預言の言葉を踏まえ、語り伝えられてきた様々な信仰の物語を一つにまとめていき、それが、今の「聖書」となりました。

バビロンへと連れて行かれたイスラエルの人たちには一つの大きな問いがありました。それは、「なぜこんなことになったのか。イスラエルがバビロンに滅ぼされたのは、イスラエルの神がバビロンの神に負けたからなのだろうか」ということです。バビロンで捕囚とされたイスラエルの民は、エルサレムを失った悲しみ、バビロンで生きる苦しみの意味を求めていたのです。

聖書はその問いに答えます。世界の初めという根源にまで遡って人々に教えるのです。

「イスラエルが国を失い、バビロンで生きるようになったのは、イスラエルの神がバビロンの神に劣っていたからではない。イスラエルが天と地を創られた創造主から離れ、神に裁かれたからだ」

聖書はイスラエルの罪を、世界の初めにまで遡って教え、苦難の中での神への立ち返りを励ますのです。

先週、「初めに、神は天地を創造された」という聖書の最初の言葉で、「初め」というのは、「根源」という意味がある、と話しました。今日私たちが読んだ天地創造の場面は、全ての信仰者にとって、物事を考える上での原点・根源となるところなのです。神に対して、世界に対して、人間に対して、自分に対して疑問がわいた時、私たちは実はここに立ち返って考えて行かなければならないのです。「そもそも自分は、そして自分が生きているこの世界は神がお創りになったものである」ということから考え始めていかなければわからないのです。

バビロンで捕囚とされた人たちにとってだけでなく、時代を超えて、全ての信仰者は聖書から問われます。

「天地創造の神の前に、あなたは今どう生きているのか、どう向き合っているのか。」

実は、この天地創造を描いた創世記一章というのは、過去の歴史としてのみ書かれているのではありません。創世記は、まさに私たちの今を描き出し、今の私達に問いかけている書物なのです。

私たちは大きな問の下に立たされています。聖書に向き合うということ自体、神に向き合うということであり、自分に向き合う、ということです。そしてそれは自分の原点に立ち返るということであり、全ての根源が創造主にあることを思い出すということなのです。

紀元前6世紀にバビロン捕囚を体験したイスラエルの人たちは、この天地創造の言葉をどう読んだのでしょうか。この創世記のどこに、自分の姿を見出したでしょうか。

「初めに、神は天地を創造された」という言葉で始まっています。天地創造というのだから、天と地をお創りになった、ということはわかりますが、2節を見ると、「天」ではなく「地」の方に、焦点が当てられています。

「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」

何度読み返しても、よくわからない表現ではないでしょうか。旧約聖書はヘブライ語で書かれていますが、元のヘブライ語原典を見ると、ここは言葉が韻を踏んでいて、詩的な表現がつかわれています。聖書は、人が言葉で説明しきれないような混沌、無秩序を、詩文学の言葉遣いで、「詩的に」表現しているのです。

それはどのような混沌だったのでしょうか。「地は混沌であった」という詩的な表現を聞いて、バビロンで囚われていたイスラエルの人たちにとってすぐに理解できただろう。「これは自分たちの今だ、自分たちが置かれている闇だ」。それは形もなく、中身も空っぽな、創造主から離れた闇でした。

神を見出すことが出来ず、生きる意味も見失い、自分が見ている景色に意味を見出せないでいたバビロン捕囚民こそ、「混沌・「闇」という言葉を理解できたでしょう。

さて、私達が考えなければならないのは、聖書がここで言っている「混沌」は今どこにあるのか、ということです。BC6世紀のバビロン捕囚が終わったら、この混沌は地上からなくなった、ということでしょうか。そうではありません。私たちが生きる今でも、神から離れた闇は存在し続けてます。

創世記が始めに言っている「深淵の闇」は、どれだけまぶしく電気を使って光らせて照らすことはできるものではありません。神がお与えになる光でしか照らしだすことのできない闇です。

同じ景色を見たとしても、生きる意味をもっている人と、生きる意味を見失った人では、見え方が違います。生きる意味を見出せないでいる人にとっては、この世界がどんなに美しくても無意味で空しいものになってしまいます。

生きる根源である神を見失い、そのことで生きる意味を見失っている人がいるのであれば、創世記が言っている「混沌・闇」は、現代的な問題として今も存在しているのです。

創世記は、絶望を描いているのでしょうか。世界の無意味さを伝えているのでしょうか。そうではありません。逆です。混沌とした地、意味を失ったかのように見えるこの世界を照らす光の存在を伝えているのです。

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3月5日の礼拝説教

創世記1:1~2:3

「初めに、神は天地を創造された」(1:1)

創世記の一番初めの章を読みました。イースターへと向かうレントの時、聖書のはじめに立ち返って、キリストの十字架の痛みの意味をしっかりと捉えなおしたいと思います。

有名な、天地創造の場面です。現代を生きる私たちが、ここを読んでまず思うのは、「世界は本当にこのように始まったのだろうか」ということではないでしょうか。素朴な疑問ではありますが、創世記は聖書全体の一番初めの書物なので、ここを読んで持つ疑問は、聖書全体を読む際について回ることになります。

旧約聖書の言葉は、紀元前のイスラエルの民が書き記し、伝えて来たものです。果たして、聖書は「科学的」な書物なのでしょうか。私たちはこの創世記を科学の教科書・科学の論文のように、額面通り読むべきなのでしょうか。

創世記の始まりの1~11章は特に有名な、壮大なスケールの出来事が書かれています。天地創造、人間の堕罪と楽園追放やノアの洪水、バベルの塔の出来事など・・・不思議な物語が続きます。

創世記の初めから読んでいくと、素朴な疑問が次々に湧いてくるでしょう。

「創世記を書いた人は、神が天地お創りになるのを実際に見て、書いたのだろうか。エデンの園の様子や、アダムとエバのやりとりをこんなに詳しく、どうやって知ったのだろうか」・・・そのような疑問です。

私たちがなぜそんなことを思うかというと、創世記を、単なる歴史書か、理科の教科書のように読んでしまうからです。しかし、これらの出来事を記したイスラエルの歴史家は、信仰の教訓を伝える文学作品としてこれらの不思議な物語を後世に伝えたのです。イスラエルは世代を超えて、その物語を大切に受け取り、自分たちが生きる時代の中で信仰を吟味して来たのだ。

私たちは今日天地創造の初めの部分を読んだが、創世記の第一章を読んで、字面を鵜呑みにしたり、自分の科学の知識と照らし合わせて内容をつついたりすることは間違いです。

そうではなく、自分とは何者なのか、自分が生きているこの世界にはどんな意味があるのか、という、生きる上での根源的な問に向き合うために聖書を読むのです。天地創造から始まる不思議な物語は、今聖書を読んでいる私たちに問いかけている。

「これらの物語の中に、今のあなたがいるのだ。これらの物語を通して、今あなたがどのように神に向き合っているか、顧みなさい」

1:1には、「初めに、神は天地を創造された」とあります。ここだけを読むと、何にもないところ・無から神は天と地をお創りになったと理解するでしょう。

しかし、2節を読むと、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」と続いています。神はその「混沌の闇に包まれた地」に向かって「光あれ」とおっしゃって、照らされたのです。

こうして見ると、神の「天地創造」は、「何にもないところからこの地球をお創りになった」ということではなく、秩序の崩れてしまった闇の世界に、神が光を照らし、神の秩序を整えていかれた出来事であったということがわかります。

1:1の「初めに」という言葉は、単に「時間の初め」というだけでなく「根源」という意味もあります。私たちが自分の存在、この世界の意味を考える時には、神がご自分の光の秩序の中に私たちの命をお創りになった、ということから考え始めなければならないのです。

「初めに、神は天地を創造された」という言葉は、創世記の初めの言葉であり、それはすなわち、聖書全体の初めの言葉でもあります。これから聖書を最後まで読むのであれば、「神が天地を創造された」ということが大前提となるのです。そのことなしには、聖書をいくら読んでも、本当に聖書が伝えようとしていることを受け取ることはできないでしょう。まさにこの一文こそ、自分について、この世界について考えて行くための「根源」となるのです。

聖書は創世記の初めで「神」という言葉を使っています。これは聖書の中で一番大切な言葉でしょう。

我々現代人は神について考える時、「神は存在するかどうか」ということを考えたり議論したりします。しかし、聖書はそんなことを問題にはしません。「神が存在する」ということは大前提なのだ。聖書は、「神が存在するかどうか」ではなく、この世界をお創りになった神が人間(あなた)を、どれだけ愛して追い求めていらっしゃるか、ということを伝えているのです。

「神とか、奇跡とか、そのような非科学的なことを無しにして、倫理的、道徳的な教えだけを抜き出して読むのであれば、聖書はもっと読みやすくなるのではないか」という意見もあるかもしれません。しかし、そんなことをしても意味はないのです。例えるなら、聖書は神を指さしている指です。全ての言葉が、読む私たちを神へと導こうとしているのです。

創世記は、バビロンという国に滅ぼされたイスラエルの人たちによって書かれました。真の神から離れ、偶像礼拝に走った人間がどんな破滅を迎えるか体験した語り部たちが、「私達と同じ過ちを繰り返してはならない」この聖書の言葉を紡いて構成に残したのです。だから聖書はどこを読んでも、「神がこの世界をお創りになり、自分たちがその光の秩序の中に生かされている恵みを忘れてはならない」、という教訓に満ちているのです。

聖書はまず、創世記の初め「天地創造」を描き出して我々に問いかけます。

「あなたは自分が生きているこの世界をどう捉えているか」

「あなたは自分の命の源がどこにあると考えているのか」

「あなたは神が光をもってお創りになった聖い秩序の中でどう生きているのか」

「あなたは造り主に対してどんな姿勢でいるのか」

それらは、私達が生きていく上で「根源」となる問いであり、聖書はまず私達自身の「根源」を教えてくれているのです。

創世記1:1は、神のことをただ「神」と呼んでいます。聖書を読んでいくと、神はいろんな呼び方をされています。「イスラエルの神「とか、「アブラハムの神」とか、「万軍の主」とか、いろいろです。

しかし、世界の初めにおいては、神は、ただ、この世界をお創りになった「神」という言葉で書かれています。特定の国や民族や個人の神ではなく、ただ、この世界をお創りになり、ご自分の光の下に全ての命をお創りになった「あなたの神だ」と伝えているのです。

さて、我々は今日聖書の初めの創世記を読みましたが、忘れてならないのは、聖書には終わりもある、ということです。創世記から始まってヨハネ黙示録まで、聖書は、世界の始まりから、世界の終わりまでを私たちに見せています。

神によって造られ、始まった世界は、どこへと導かれて終わるのでしょうか。世界の終わりに私たちを待っているのは何でしょうか。ヨハネ黙示録を見ればわかります。いや、黙示録だけでなく、聖書のいろんな箇所で、私たちには世の終わりに「神の裁き」が待っていることが言われています。私たちが「生きる」ということ・私達の信仰生活は、どのように神の裁きに備えるか、ということでもあるのです。

終わりの日に、私たちは神にどう向き合うでしょうか。光をもって私たちの命を造ってくださった方から、問われることになります。

「あなたは、あなたの命をどう使ったのか。あなたは私の光の中を生きたか。暗闇を求めることはなかったか。」

果たしてその時、私たちは自分の顔を上げることはできるでしょうか。

繰り返しますが、創世記1~11章まで不思議な物語が続きます。私たちは、それらの物語を通して今の自分を問われていくことになります。楽園追放、兄弟殺し、ノアの洪水、バベルの塔・・・それらを過去の出来事や、意味のない神話のように読んでしまっては、本当の意味で聖書を読んだことにはなりません。聖書は、それらの物語を通して、今この瞬間私たちが置かれている現実を伝え、問いかけているからです。

創世記が時代を超えて描き出しているのは、創造主から離れようとする人間の姿・人間の罪の現実です。

楽園で人間が最初に受けた誘惑は、「あなたは神のようになれるのだ」という声でした。被造物である人間が、「創造主と同じ位置に立てる」、と言われ、その声に従った結果、人間は崩れてしまいました。世界の根源を描いている創世記は、人間の根源を壊すものが何か、ということを描き出し、伝えているのです。

被造物は、「創造主になってみてはどうか」という誘惑の声によって滅びへと向かってしまうのです。創造主を離れた被造物はどうなるのだろうか。自分が創造主になろうとして、自分の手で偶像をつくるようになるのです。そしてその偶像の神に自分を委ね、神の光の秩序を失い、混沌の闇へと戻ってしまうことになります。 Continue reading

2月26日の礼拝説教

使徒言行禄18:1~11

「『恐れるな。語り続け世。黙っているな。私があなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、私の民が大勢いるからだ』」(18:9~10)

パウロ、シラス、テモテの三人、聖霊に導かれてアジア大陸からヨーロッパ大陸へと渡って来ました。ヨーロッパ大陸へと渡ってからここまで、3人はいくつかの町々に入り、福音宣教をしてきましたが、どの町でも滞在の期間は短いものでした。マケドニアでフィリピやベレア、そしてギリシャに入ってアテネに行きましたが、パウロたちは迫害を受けたり相手にされなかったりで、どの町にも長く滞在できませんでした。

しかしそのような中でも、全ての町で、わずかですがキリストの福音を信じる人が起こされて来ました。

パウロはアテネの次に、コリントという町にやって来ました。アテネと同じ、ギリシャの町です。迫害によって離れ離れになっていたシラスとテモテがようやくここでパウロに追いつき、三人は結局この町に1年6ヶ月滞在して福音宣教をすることになりました。いつも目まぐるしく町々を巡って福音宣教を続けたパウロたちでしたが、このコリントでは長く滞在してキリストを伝えることとなりました。

パウロたちの、コリントの町での宣教の様子を見ていきましょう。

まず、コリントという町についてです。この町は古代世界では最も大きな都市の一つでした。ローマの植民地であり、国際都市でした。人と財が集まってくる地理的条件に恵まれていました。陸と海の要衝で、人の行き来、船の行き来の中心であり、自然と商業の中心になって栄えていました。

パウロはこの町で、これまでとは違う仕方で福音宣教を始めました。職人として町に住み、働きながらキリストを語るやり方をとったのです。

パウロは、コリントの町でアキラとプリスキラというユダヤ人夫婦を訪ねました。紀元49年にローマ皇帝クラウディウスがローマからのユダヤ人追放令を出したことでローマからコリントの町に移住してきた夫婦でした。

二人はパウロと職業が同じだったので、パウロは彼らの家に住み込んで一緒に仕事をはじめました。「同じ職業」というのは、「テント造り」であった、とあります。この「テント造り」というのは、もう少し広く「革製品造り」という意味がある。パウロたちは様々な革製品を作り、販売して生計を立て、同時にその商業的な活動を通して福音を語っていきました。市場で、お店で、通行人や客を相手に会話をしながらキリストを伝え、一か所に腰を落ち着けて福音を語ることができたようです。

こうして見ると、パウロの福音宣教の仕方は、非常に柔軟だと思います。それぞれの町でどのように福音を語ればいいのか、いろんな状況に自分を合わせていっているのです。

パウロは、後にコリント教会に手紙の中でこう書いています。

「私は誰に対しても自由な者ですが、全ての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。・・・弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。全ての人に対して全てのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、私はどんなことでもします」

パウロ自身が後にそう書いているように、アジア大陸ではアジア大陸に適した仕方で、ヨーロッパ大陸に来ればそれぞれの町に適した仕方で、パウロは柔軟に福音宣教のやり方を変えていきました。福音を伝えるために、それぞれの場で自分を変えて行ったのです。

コリントではまず仕事をし、安息日にはユダヤ人の会堂に行って聖書を論じ、キリストの到来を告げました。コリントの町の会堂にはユダヤ人だけでなく、イスラエルの神を求めるギリシャ人もいた、とありますので、聖書を知っているユダヤ人には聖書を詳しく用いて、聖書をよく知らないギリシャ人には、聖書をかみ砕いて福音を伝えて行ったのでしょう。

そのようにして日々を過ごすうちに、シラスとテモテがマケドニアから追いついて来ました。するとパウロはそこで職人としての活動をやめ、み言葉を語ることに専念するようになりました。

このようにパウロは、非常に柔軟でした。コリントに来て革職人として働きながらキリストを伝え、シモンとテモテが来ると、職人としての働きをすぐに辞めて福音宣教に専念するようになったのです。

パウロは福音を語る町、福音を語る相手、福音を語る状況に合わせて、どんどん自分を変えています。「福音のためなら私はどんなことでもします」という姿勢を見ることが出来ます。

このようなパウロの姿勢を通して私達は励まされ、また慰められるのではないでしょうか。「どこに行ってもこういうことをしなければならない」という重圧を、信仰者としてどこかで感じているのではないでしょうか。しかし、重圧を感じながら自分を追い込むようなことはしなくてもいいです。自分にできることを自分がやれる仕方で、キリストに仕えて行けばいいのです。

さて、そのようにしてパウロはコリントの町でキリストの福音を語り続けましたが、時間が経つにつれてコリントのユダヤ人たちから反感を買うようになってきました。パウロが語る福音に対して、「反抗し、口汚くののしった」、と書かれています。どうやらコリントのユダヤ人のほとんどはパウロが語る福音を受け入れなかったようです。

パウロは自分が伝える福音がコリントのユダヤ人に受け入れられないと分かるとすぐに、「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。私には責任がない。今後、私は異邦人の方へ行く」と言って、ユダヤ人にキリストを伝えることをやめました。「もう少し頑張って、ユダヤ人たちを説得しよう」とは考えなかったようです。

ここだけ見ると、パウロはいとも簡単にコリントの町にいたユダヤ人たちへの福音宣教の責任を放棄しているように思えるのではないでしょうか。

パウロは、福音を受け入れないユダヤ人たちに対して「服の塵を振り払った」と書かれています。これは、神の言葉を預かる預言者として「自分の責任を全て果たした」ということの表現です。

預言者の責任は、預かった神の言葉を伝える、ということでした。伝えた相手が受け入れるかどうか、ということは、相手の問題です。

旧約聖書にエゼキエルという預言者が出てきます。エゼキエルは、紀元前6世紀に預言者へと召された人です。イスラエルがバビロンに滅ぼされ、祭司であったエゼキエルも捕囚としてバビロンに連行され、バビロンで預言者へと召された。エゼキエルは、預言者として召された際、神からこう言われました。

「たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたは私の言葉を語らなければならない」

相手が聞くか聞かないかは、預言者の責任ではない。

預言者の責任は、伝えるか伝えないか、だ。

大体、預言者が伝える神の言葉は、神からのお叱りの言葉であり、普通であれば聴きたくない言葉でした。ほとんど聞き入れてもらえないのです。それでも預言者は、神から預かった言葉は全て伝えなければなりませんでした。そして預言者が語った言葉を受け入れるかどうか、その後のことは預言を聞いた側の責任だったのです。

エゼキエルと同じ時期に預言者として活動したエレミヤも、神からこう言われた。

「主の神殿の庭に立って語れ・・・全ての者に向かって語るように、私が命じるこれらの言葉を全て語れ。一言も減らしてはならない。彼らが聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない」

神は、正しい道からはずれてしまったイスラエルに、預言者を通して正しい道に立ち帰るよう招いて来られました。パウロの時代にもそれは変わりません。神はイエス・キリストに立ち返り、全ての人が神の元にある平和の内に一つになることをお求めになったのです。キリストの使徒たちは、そのために働きました。パウロたちの使命は、神の言葉を一つも減らすことなく伝えることだった。あとは、福音を聞いたその人の問題だったのです。

今、神の言葉は、教会を通して世に伝えられています。つまり、私達が今、旧約の預言者たち、キリストの使徒たちに託された神の招きの言葉が託されている、ということです。

イエス・キリストはおっしゃっている。

「全てのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない」

教会は、この聖書の言葉を、一言も減らさずに、大事に受け止め、信じ、そして伝えていきます。聖書には何が書かれているのでしょうか。一言でいうと、「神は全ての人を愛し、お求めになっている」、ということです。

キリスト教会はなぜイエス・キリストという方を伝えているのでしょうか。キリストを通して神が世にご自分の愛を示されたからです。「私が神に招かれたように、あなたも神に愛され、招かれている。イエス・キリストがその証拠です」と、を教会はキリストを指さして世に伝えるのです。

神は、正しい道を外れた人がそのまま滅んでいくことを良しとされません。だからこそ、預言者は、使徒は、教会は、神の招きの言葉を全て伝えなければならないのです。

神は預言者エレミヤにおっしゃいました。

「私が命じるこれらの言葉を全て語れ。一言も減らしてはならない。彼らが聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない」 Continue reading

2月19日の礼拝説教

使徒言行禄17:22~34

「これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見出すことが出来るようにということなのです」(17:27)

ヨーロッパ大陸に入ってからのパウロの福音宣教は、迫害を受けては次の町に逃げる、ということの連続でした。

「メシアはかならず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」

「このメシアは私が伝えているイエスである」

このパウロが語る福音を聞いた一部のユダヤ人たちから迫害され、追い出されてきました。

テサロニケでも、ベレアでもそうでした。

今、パウロは一人でアテネの町へと逃げて来て、シラスとテモテが後から追いつくのを待っています。二人の仲間がアテネに来るのを待ちながら、パウロは今まで同じようにキリストの福音を語りました。

アテネの町の「いたるところに偶像があるのを見て憤慨した」パウロは、広場に行き真の神を伝えようといろんな人たちと討論しました。そこにはストア派やエピクロス派といった哲学者たちがいました。

「全てのアテネ人やそこに滞在する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていた」と聖書に書かれています。アテネの人たちはパウロが語ることに興味を覚え、パウロをアレオパゴスへと招きました。パウロは一人でアレオパゴスの丘に立ち、人々に真の神を証しすることになったのです。

今日私たちが読んだのは、その時語ったパウロの言葉です。聖書を知らない人たち・イスラエルの神を知らない人たち・イエス・キリストを知らない人たちに、パウロがどのように神を証ししたのか、見ていきたいと思います。

偶像がたくさんある町の人たちだからといって、パウロは諦めませんでした。むしろ、パウロは、アテネの人たちはそれだけ神を求めているのだ、という希望をもって福音を語っています。

パウロははじめにこう言いました。

「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなた方が信仰のあつい方であることを、私は認めます。アテネの人たちが『知られざる神』と呼んでいる神について、あなたがたが知らずに拝んでいるものをお知らせしましょう」

パウロがアテネで見た「知られざる神に」と刻まれた祭壇は、「神をこの目で見たい」という人間の思いの表れでもありました。人は自分の目に映るものに弱いのです。漠然と「神」という存在を認めて、求めてはいる、しかし、目に見える形でなければ、求めにくい・・・だから、自分たちの手で木や石などの像を作って「これが神だ」と見える形にしたがるのです。

そのことは、アテネの人たち・異邦人だけのことではありませんでした。ユダヤ人であったイエス・キリストの弟子達もそうでした。

イエス・キリストと弟子達が、エルサレムに上って来て神殿を見た時、弟子達は興奮して言いました。

「先生、ご覧ください。なんと素晴らしい石、なんと素晴らしい建物でしょう」

しかしキリストは冷めた口調で答えておっしゃいました。

「これらの大きな建物を見ているのか」

ハッとさせられる言葉ではないでしょうか。弟子達が目に映るもの・外側だけを見て、その本質を全く見ていないことを指摘されたのです。弟子達が見たのは、「神殿の石、神殿の建物」でした。神殿を通して神に心を向けたのではありませんでした。ただ、石と、建物に心を奪われたのです。そのことを主イエスは冷静に指摘なさいます。

「君たちは建物を見ているのか」

また、ヨハネ福音書にはイエス・キリストの墓が空になったのに、主の復活を信じられなかったトマスのことが記録されています。トマスは、他の弟子達から主イエスの墓が空になったと聞いても、主イエスが復活なさったということは信じませんでした。「あの方の手に釘の後を見、この指を釘後に入れて見なければ、また、この手をそのわき腹に入れて見なければ、私は決して信じない」とまで言いました。

その後、復活のキリストに会い、自分の目でその姿を見たトマスは、「私の主、私の神よ」と言いました。キリストはそのトマスにおっしゃいました。「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」

「見ないで信じる人は幸いである」とは、私たちがいつ聞いても反省させられる言葉ではないでしょうか。

パウロは、「知られざる神」と刻まれた偶像を礼拝していたアテネの人たちに希望を見出しました。拝んでいるのが「知られざる神」「偶像の神」であっても、そこに神を求める心がある、ということなのです。

アテネの人たちに向かって、パウロが一番に伝えたことは、神は「世界とその中の万物を作られた神である」ということでした。神は天地の造り主である、というのは聖書が創世記で一番に伝えていることです。つまり、神を知ろうとする上で一番大切なことでした。

パウロは、この世界をお創りになった神は人間の手によって造ったものの中に納まるような存在ではない、ということから伝え始めました。繰り返しますが、人は見える物に弱いのです。パウロは、偶像を作って拝むということの恐ろしさを知っていました。聖書が伝えているイスラエルの歴史は、偶像礼拝による滅びの歴史でした。

イスラエルの王、ソロモンがエルサレム神殿を建てた時、ソロモンはこう祈りました。

「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることが出来ません。私が建てたこの神殿など、なお相応しくありません。」

ソロモンが言うように、神は天から目を注がれる方でした。人が造った建物の中に押し込められるような方ではありません。

神は、神殿を捧げて祈るソロモンにおっしゃいました。

「もしあなたたちとその子孫が私に背を向けて離れ去り、私が授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、私は与えた土地からイスラエルを断ち、私の名のために聖別した神殿も私の前から捨てる」

しかしイスラエルはその後偶像礼拝に走り、神の言葉通り、400年後にエルサレムは滅んでしまうことになります。パウロは聖書を通してその歴史を知っていました。偶像礼拝がどんな破滅をもたらすかを知っていました。だから、神は人間の手で作られるものではなく、人間を・世界をお創りになった神である、ということを一番に伝えたのです。

パウロは次に、神が人間を求めていらっしゃることを語りました。神は人をお求めになり、人に求められることをお望みになっているのです。

その招きのしるしとして、神はイエス・キリストの十字架と復活を世に示されました。パウロが伝えるのは、この方でした。

パウロは広場で語ったように、アレオパゴスでも、神が天創造の神であり、人を愛して求めていらっしゃる神であり、そのために、御子イエス・キリストを十字架に上げ、墓から復活させられたことを順を追って語りました。

アレオパゴスでパウロの言葉を聞いた人たちはどう反応したでしょうか。人々は「死者の復活」ということを聞いてあざ笑いました。そこでパウロの言葉を聞いていたのは、主に哲学者たちでした。「死者の復活」なんてことは、哲学的ではないのです。

「死者の復活」ということは、信仰の躓きとなる出来事ではないでしょうか。「そんなことは信じられない」と、誰もがトマスのように言うでしょう。

もしもパウロが、イエス・キリストの出来事を死者の復活に触れずに神について・キリストについて語っていたら、もっと受け入れられたかもしれません。しかし、パウロは、メシアの十字架と復活という、一番信じにくいこと・一番信仰の躓きとなることを抜きに神の救いを語ることはできませんでした。 Continue reading

2月12日の礼拝説教

使徒言行禄17:10~21

「『彼は外国の神々を宣伝する者らしい』という者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである」(17:18)

テサロニケの町でのパウロの福音宣教は一部のユダヤ人たちによって妨害され、キリストを信じた人たちにも害が及びました。9節にヤソンという人の名前が出てきます。この人は、パウロを捕えようとしていた人たちによってつかまってしまいますが、自分の身を犠牲にしてパウロの福音宣教を続けさせようとしました。ヤソンが捕らわれている間に、テサロニケの町にいたキリスト者の仲間たちが夜の闇に紛れてパウロたちをテサロニケから逃がし、ベレアの町へと送り出したのです。

パウロたちはベレアの町でも同じようにユダヤ人の会堂に入って福音宣教をしました。伝えたのは、テサロニケで伝えたのと同じことでした。

「メシアはかならず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」

「そのメシアは私が伝えているイエスである」

ベレアの人たちは、テサロニケの人たち以上に素直に、そして熱心にみ言葉を受け入れた、と書かれています。それだけではなく、自分たちが受け入れた福音がどれだけ確かなことなのか、毎日聖書を調べ続けた、とあります。

パウロが伝えた福音をベレアの人たちが信じたのは、それが聖書に基づいていたからでした。パウロは、ただ自分に起こった不思議な体験談を語ったのではありませんでした。ベレアの人たちは、パウロが体験したことを面白いから受け入れたのではありませんでした。パウロが伝えるイエスという人の十字架と復活が聖書に預言されていた神の救いと合致していたからです。

ベレアの人たちは、一つ一つ丁寧に聖書の言葉を確認しながら、イエスがキリストであることを受け入れていきました。そして「もっともっと」と、聖書の言葉とパウロが語る福音の内容を吟味していきました。

そのようにして、ベレアの町には、次第にナザレのイエスの十字架と復活を神の救いの御業として受け入れる人が増えていったのです。その人たちの聖書を求める姿が、新たにギリシャ人の上流婦人や男性も信仰へと導くことになりました。聖書を求める人たちの姿が、他の人たちに「聖書には何かがあるのではないか。自分も知りたい」と思わせていき、共に聖書を読むようになり、信仰へと導いて行ったのです。

最初にベレアに福音を伝えたのは、一人のユダヤ人、パウロでした。それを聞いた人たちは、聖書の言葉を熱心に求め、吟味していきました。そしてその人たちの信仰の姿が、人々を新しく信仰へと招き入れることになっていきました。

私達はここで、人をキリストへと招くものは何か、ということを考えることができるのではないでしょうか。ベレアの町でたくさんのギリシャ人を聖書の信仰へと導いたのは、福音を聞いて聖書を求めた人たちの信仰の姿でした。信仰者が聖書の真理を求める姿が、次の聖書を生みだすことになるのです。キリスト者が聖書のみ言葉を求める姿が、聖書の真理へと通じる道を示すことになるのです。

私たちは、ここに自分たちの礼拝生活、信仰生活の意義を見出すことが出来るでしょう。誰かをキリストの元へと導くには雄弁でなければならない、理路整然と聖書を説明できないといけない、自分が立派でなければならない、などと考える必要はないのです。それ以上に、私たちはキリストを求めることで、キリストを世に指し示すことになるのです。道を求める者、つまり、求道者として歩む足跡が、次の求道者のための道しるべとなっていくことになるのです。

一回一回の礼拝に向かう私たちの礼拝者としての姿が、日々の生活の中で人知らず祈る私たちの姿が、次の信仰者を生みだすことになります。そう考えると、私達の小さな礼拝がどれだけ多くの力をもっているのかがわかるのではないでしょうか。

テサロニケでの迫害から逃れてきたパウロたちは、ベレアで人々に福音が受け入れられ、根差していく様を見ました。しかし、それを見てゆっくり喜ぶ時間はありませんでした。テサロニケのユダヤ人たちがベレアにまで押しかけて来て、パウロの福音宣教を妨害したのです。

またパウロはすぐに逃げなければならなくなりました。ベレアのキリスト者たちがパウロをアテネの町へと逃がしました。今回は、パウロだけがアテネに先に逃げました。シラスとテモテと一緒に逃げるだけの時間もないほど、切羽詰まっていたということでしょう。パウロは一人でギリシャのアテネまで逃げて、そこでシラスとテモテが後から来るのを待つことになりました。

パウロの時代、アテネはギリシャ文化の中心でした。広いローマ帝国の中でも、様々な文化の交流地点になっていた国際的な町でした。

ユダヤ人であったパウロの目には、アテネは「偶像の町」として映りました。そもそも、守護神である女神アテネにちなんで名づけられた町です。「パウロは、アテネで二人を待っている間に、この町のいたるところに偶像があるのを見て憤慨した」と書かれています。

パウロは二人が追いつくまでの間、一人でもアテネの町で福音を語り続けました。ユダヤ人の会堂だけでなく、広場にも行って、そこに居合わせた人たちにイエス・キリストのことを伝えていきました。

有名な哲学者、ソクラテス以来、アテネの人々は広場で議論して来ました。パウロが広場に行くと、ストア派、エピクロス派の人たちがいた、ということが書かれています。これは、哲学の学派です。

広場にいた哲学者たちは、パウロが語るのを聞いて、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」とか、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言いました。

「パウロが、イエスの復活について福音を告げ知らせていたからである」と聖書に書かれています。人々は主イエスの復活、死者の復活ということに躓いたのです。

パウロは「外国の神々の宣伝をする者らしい」と言われていますが、アテネでそのように言われることには特別な意味合いがあります。有名な哲学者ソクラテスは、「アテネの人が信じることができない外国の神を持ち込もうとした」という罪で処刑された。パウロがアテネの町でそのように言われることは、敵意をもって見られた、ということですし、下手をするとソクラテスのように殺されかねません。

パウロはアレオパゴスへと招かれました。それは会議や法廷が開かれた場所でした。パウロは公の場で語ることを求められたのです。それは危険なことでもありましたが、パウロはそれでもアレオパゴスでイエス・キリストの復活を語ろうとしました。敵意と嘲笑に囲まれた中でも、イエスという方の復活を語ることをやめなかったのです。

パウロはここまで、イエス・キリストの十字架と復活を語り続けてきた。そのことで迫害されながら次の町、次の町と流れて来ました。それでもパウロはイエス・キリストの受難と復活を語ることをやめませんでした。

パウロは、後に、コリント教会にこう書き送っています。

「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。」

パウロは迫害を受け、何度も町から追い出されても福音宣教を諦めませんでした。迫害の中で宣教を続ける自分のために、神がいつでも「逃れる道」をお与えくださっている、ということを体験から知っていたからです。使徒たちの福音宣教は試練の連続だった。しかしテサロニケでも、べレアでも、パウロたちが宣教を続けられるよう、周りに助けようとするキリスト者たちが備えられていました。

試練の中で「逃れの道」のが与えられてきたパウロはそのことを伝え、コリント教会にこう言っている。

「私の愛する人たち、こういう訳ですから、偶像礼拝を避けなさい」

パウロは、「どんな苦難の中にあっても、耐えられない試練を神はお与えにならない、逃れの道も備えてくださる、だから偶像礼拝を避けなさい、神は信頼に足る方だ」と伝えるのです。

我々人間にとって、偶像礼拝ほど魅力的なものはないでしょう。自分の手で神を作ることが出来るのです。自分の願いを込めて、自分で形作ることが出来る・・・それは自分を神とすることでもあります。

聖書にあるように、私たちにとっての一番の誘惑は、自分が神になる、ということです。真の神を忘れ、自分中心に生きることしかできなくなった人間が行きつくところは、偶像を求める、ということではないでしょうか。

そのことがどんなに危険かことかを、パウロは知っていました。コリントの信徒への手紙の中で、パウロはこう書いています。

「もし、死者が復活しないとしたら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか』ということになります。」

イエス・キリストの復活がもしなかったとしたら・・・我々人間にとって、目の前にある快楽だけが全てになってしまう、明日のことにも希望をもてなくなってしまう・・・空しいのです。快楽による幸せは一瞬なのです。後には空しさが残ります。

パウロはその空しさからキリストは私たちを救い出してくださったことを伝えます。パウロはこう書いています。

「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」

キリストの復活は、我々にとって大きな意味がありました。イエス・キリストが「初穂」として復活なさった、ということは、それに続くものがある、ということです。つつまり、キリスト者です。キリスト者が、キリストの復活に続く者とされている、ということです。

復活が無ければ食べて飲もう、どうせ死ぬのだから、一瞬の快楽を求めようという空しい命になります。しかし今や、キリストの復活が、肉体の向こうにある永遠の命という希望を私たちに見せてくれているのです。 Continue reading

2月5日の礼拝説教

使徒言行禄17:1~9

「『メシアはかならず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた』と、また『このメシアは私が伝えているイエスである』と説明し、論証した」(17:3)

パウロたちは、フィリピの町を後にしました。アンフィロポリス、そしてアポロニアという町を通り、次はテサロニケという町に着きました。フィリピから、歩いて約100kmの距離です。

テサロニケは古い港町で、貿易・商業で栄えた町でした。フィリピはローマの植民都市でしたが、テサロニケは選挙によって選ばれた代表者によって統治されていた歴史のあるギリシャの町でした。

テサロニケの町に入ったパウロたちは「いつものように」ユダヤ人たちの会堂に入りました。「いつものように」、ということは、パウロたちは、町に入ったら、毎回そのようにしていた、ということです。安息日にユダヤ人の会堂に入り、礼拝の中で聖書の言葉とイエス・キリストの出来事を照らし合わせて語って伝えていたのです。

パウロたちは、テサロニケにあった「ユダヤ人たちの会堂」に入って行きました。テサロニケには、ユダヤ人たちも住んでいて、毎週集まってイスラエルの神を礼拝し、聖書の言葉を学ぶ集まりがあったのです。「会堂」とありますが、ユダヤ人たちの群れ・集まりと訳した方がいいかもしれません。

パウロは、ユダヤ人たちの礼拝の中で二つのことを言っています。「受難と復活のメシアが来るだろう」という聖書の預言と、「私はそのメシアを見た」という、自分の体験だ。パウロたちは宣教をする際、いつでも礼拝の中でこの二つのことを告げていたのです。

当時のユダヤ人たちは、「神はこの世界に救い主を遣わして全ての民をご自分の元へと集めるご計画を持っていらっしゃる」、ということ信じて、救い主の到来を待っていました。

パウロたちは、そのメシアを待っていた人たちに向かって「聖書の預言の実現を私は見た」という実体験を告げて回ったのです。

これは、パウロだけでなく、キリストの使徒たちが伝えていたことです。使徒たちは、聖書の学術的な解説をして回っていたのではありません。聖書の預言が実現したことを見た、その体験を伝えていたのです。

使徒とされたフィリポが、エチオピアの宦官に会ってイザヤ書に記録された預言の言葉を解き明かしたことがあります。その時エチオピアの宦官が読んでいたのは、こういうイザヤの預言でした。「彼は、羊のように屠り場に引かれていった。毛を刈る者の前で黙している子羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。誰が、その子孫について語れるだろう。彼の命は取り去られるからだ」

イザヤは「誰かが殺される」、ということを伝えていますが、エチオピアの高官には、誰のことか、何のことかわかりませんでした。フィリポは聖書の言葉を解説して、イエスという方に起こった十字架と復活の出来事を伝えました。フィリポは、聖書を解説しただけではなく、「自分が実際に見聞きした」イエスという方を伝えたのです。

イエス・キリストご自身も、そのようにご自分を世に証しされました。主イエスの十字架を見たクレオパという弟子が、もう一人の弟子と一緒にエマオへと歩いていた時のことです。自分たちの先生の死を見た後の、絶望の歩みの中で、二人の弟子はキリストから話しかけられました。

「その話は何のことですか」

しかし、二人は、それが主イエスだとはわかりませんでした。二人は、ナザレのイエスという人が十字架で殺されてしまったこと、そして三日目の朝早く、その墓が空っぽになったことを話し、自分たちの絶望を伝えました。すると、キリストは「物分かりの悪い者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではなかったか」と聖書を解き明かした、と書かれています。主イエスは、聖書をただ解説なさったのではなく、「あなたがたはその実現を今見ているではないか、体験しているではないか」と言われたのです。

2人の弟子達は、イエス・キリストの復活を「私たちは実際に見た」と他の人たちに告げました。

私たちにとって、「イエス・キリストを証しする」、というのは、こういうことではないでしょうか。聖書を上手に説明する、ということ以上に、「私は、あの方に出会った」という事実を伝えることです。

私たちは聖書を読むと、「これは自分に起こった出来事なのだ」ということを思い知らされます。それが無ければ、私達がどれだけ聖書の知識を持っていようと、上手に説明しようと、意味がないのです。

今、教会で礼拝している私たちキリスト者一人一人、聖書に記されている出来事を見ながら、「このことは私に起こったことだ、これは私だ」、という思いがあってこそ私たちの証は用いられていくのです。

さて、テサロニケの町の礼拝者たちは、パウロの証を聞いて、どう反応したでしょうか。信じる人と信じない人に分かれました。

信じたのは、テサロニケのユダヤ人、神を畏れるギリシャ人、そしてたくさんの指導的立場の女性たちでした。

信じなかったのは、テサロニケのユダヤ人たちの一部の人たちでした。

信じなかった人たちは、パウロたちを「ねたんだ」とあります。この嫉みは、元は「熱心」という意味の言葉だ。

パウロたちが告げる福音は、メシアが十字架という不名誉な死を遂げたということであり、そのメシアが、死者の中から蘇った、という信じがたいことでした。更に、パウロたちは、ユダヤ人でない人たち、つまり割礼を受けていない異邦人たちも、信仰があれば神に受け入れられるということも伝えただろう。

割礼を重んじ強いメシアを待っていたユダヤ人にとって、パウロが言っていることは冒涜に聞こえたのではないでしょうか。自分たちが先祖から伝え聞いてきたこと、信じてきたことと違うことを言っているように聞こえたでしょう。そして何とかして自分たちが先祖代々受け継いできた信仰を守ろうと、「熱心」になったのです。

彼らは、手段を選びませんでした。広場にたむろしていたならず者を抱き込んで暴動を起こし、パウロたちに向かわました。

聖霊に導かれたはずのパウロたち福音宣教がスムーズにいかないことを見ると私達は戸惑います。なぜ聖霊に導かれた使徒たちの福音宣教がスムーズでないのでしょうか。福音を告げると、そこに信じる人と信じない人に別れ、争いが起きてしまいます。もっと簡単に人は福音を信じられないものでしょうか・・・簡単ではないのです。

聖書の御言葉は、簡単に信じることはできないのです。聖書が伝えるメシアは、殺されたメシアであり、死人の内から蘇ったメシアなのです。躓きの要素に満ちています。

しかし、これこそ、神が世におつかわしになったメシアの本当の姿でした。自らの命を投げうって人々の罪を赦し、死人の内から蘇って永遠の命の希望を示すメシアでした。

イエス・キリストは前もってご自分の弟子達におっしゃっていました。「私が来たのは、地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」

「預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。」

旧約時代の預言者たちは、イスラエルの人たちに神の言葉を伝え続けました。しかし、皆、神の言葉を聞きたがりませんでした。自分たちが聞きたい言葉ではなかったからです。預言者たちが伝えたのは、神のお叱りの言葉でした。人々にとって、都合の悪い言葉だったのです。

旧約時代の預言者と、今を生きる私達は、同じです。キリストがおっしゃった通りです。福音が語られるところでは、受け入れる人と受け入れない人に分かれます。

私達も、預言者や使徒たちのように、ただイエス・キリストを信じている、というだけで、敵意を向けられたりします。

キリストはおっしゃいます。

「はっきり言っておく。私の弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」

私たちは、キリストを伝えることによる報いは多くありません。私達がキリストを信じ、伝えることで誰かから水一杯をもらえるということは少ない。しかし、少なくても、確かに報いはあるのです。少ないけれども、キリストはそのような中にも報いが必ずある、とおっしゃるのです。

テサロニケのユダヤ人たちは、パウロたちが見つからなかったので、パウロをかくまっていたヤソンという人と数人のキリスト者たちを捕らえました。ならず者たちは、町の当局者たちにこう言いました。

「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは肯定の勅令に背いて『イエスという別の王がいる』と言っています」 Continue reading