MIYAKEJIMA CHURCH

11月13日の説教要旨

使徒言行禄15:12~21

「神に立ち帰る異邦人を悩ませてはなりません」(15:19)

先週に引き続き、エルサレムの使徒会議の場面を見ていきましょう。

エルサレムのユダヤ人キリスト者が、アンティオキアの異邦人キリスト者たちのところに来て、「あなたがたも割礼を受けなければ、救われない」と言いました。異邦人教会であったアンティオキア教会の人たちは、戸惑ったことでしょう。

「イエス・キリストを信じて洗礼を受けても、割礼を受けていなければ、神に受け入れられていない、ということなのか??」

このことが、エルサレム教会とアンティオキア教会という二つの教会の間に議論を起こしました。宣教旅行の中で、割礼を受けていない異邦人たちにも聖霊が降ったのを見たパウロとバルナバは、キリストを信じることが全てであるということをはっきりさせるためにエルサレム教会へと向かいました。

今の私たちには、なぜ当時のユダヤ人キリスト者たちが「割礼」というものにそこまでこだわったのか、よくわからないのではないでしょうか。

パウロは後に、フィリピの教会に「切り傷に過ぎない割礼をもつ者たちを警戒しなさい」と書き送っています。割礼のことを「切り傷に過ぎない」ものだ、と言っています。私たちにとっても、割礼は「切り傷に過ぎないものである」という感覚ではないでしょういか。

1世紀当時のユダヤ人にとっての割礼がどんな意味を持っていたのか、そしてどれほど大切にしていたのか、その背景をお話しておきたいと思います。

紀元前167年、シリアの王であったアンティオコス・エピファネスがエルサレム神殿から宝を奪っていきました。それだけでなく、ユダヤ人に対して神の教え・律法を捨てるよう命じました。

神の言葉、神の教えである律法・聖書を捨てる、ということはユダヤ人たちにはできませんでした。ユダヤ人は反乱を起こして、エピファネスに勝利します。

このことを通して、ユダヤ人たちの中で「自分たちは神の教えである律法を守った。無割礼の異邦人から守り抜いた」という意識が強く芽生えました。そして「自分たちが割礼を受けている」、ということが重要な意味をもつようになったのです。律法を捨てるよう迫って来た異邦人たちに勝利したことを通して、ユダヤ人にとって割礼が「自分たちと異邦人とを区別するしるし」となっていったのでした。

イエス・キリストやパウロが生きた時代は、そのような意識が強くなっていた時代でした。だから、ユダヤ人キリスト者たちは割礼の有無にこだわって、異邦人キリスト者たちに、「割礼を受けていないのであれば、まだあなたたちはだ偶像礼拝者と変わらない。異邦人のままだ」と言って来たのです。

私たちは、新約聖書を読む際、この時代の教会の中には、ユダヤ人と異邦人との間にいろんな意識の差があった、ということを忘れてはならないのです。

さて、エルサレム教会はパウロとバルナバを迎えて、「割礼を受けていない人は神に受け入れられていないのか」ということが改めて議論になりました。議論の中で、特にユダヤ教のファリサイ派からキリスト者になった人たちが割礼の必要性を主張したことが書かれています。

ファリサイ派の人たちは、神の律法をとにかく忠実に、また厳格に守ろうと生活の中で努力していた人たちでしたので、「割礼のない信仰」は考えられなかったのです。

しかし、議論の中でペトロが立ち上がって、自分が見たことを皆に話すと、全会衆は静かになりました。ペトロは、自分がローマの百人隊長に福音を告げた時に、割礼を受けていないその人の上に神が聖霊を注がれたことを証しました。

ペトロは、「彼らの心を信仰によって清め、私たちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした」「私たちは主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです」と言って、神が割礼を受けていない人もご自分の救いへと招かれていることを説きました。

ペトロの言葉を聞いて、会堂は静かになりました。エルサレム教会にいた人たちは言葉を失ったのです。

静まり返ったエルサレム教会の中で、次にパウロとバルナバが、自分たちが見たことを証ししました。二人もペトロと同じように、神が自分たちを通して不思議な業を行われ、割礼を受けていない異邦人たちをそのままご自分の救いへと招かれたことを話しました。

「全会衆は静かになった」とあります。この静けさは、とても大切なものだと思います。この時エルサレム教会に生じた静けさは、神がお創りになった静けさではないでしょうか。自分たちの考えを声高に叫んでいた人たちが、神の御業の証を聞いて、黙らされたのです。そしてその沈黙の中で、神の御業の証が語られたのです。

人々の声が小さくされ、神の御声が大きくされていく・・・これが、教会の中で起こることです。

改めて思わされます。我々は、どれだけたくさんの雑音の中を生きているでしょうか。自分の心の中にはどれだけたくさんの雑音があるでしょうか。私たちは、互いがそれぞれの主張をして譲らないのです。そして自分が正しいと信じているのです。

しかし、神の言葉を聞き、それに従う時には、我々には本当は沈黙・静けさが必要なのです。そしてそのために、神は私たちから不必要な言葉を取り去ってくださり、必要な聖い静けさを与えてくださるのです。

エルサレム教会は、またユダヤ人キリスト者たちは、ペトロとパウロの証を聞いて、神のご計画を知り、新しい一歩へと踏み出すことになりました。

ペトロとパウロとバルナバの証を聞いて、イエス・キリストの弟、ヤコブが口を開きました。ヤコブは、預言者アモスの預言が実現したことを皆に伝えました。

「人々のうちの残った者や、私の名で呼ばれる異邦人が皆、主を求めるようになる」

イスラエルの神への信仰は、一つの民族の人たちだけのものではありませんでした。後にパウロも手紙の中で書いています。

「神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実に、神は唯一だからです」

アモスは、割礼を受けていない異邦人も皆、神を求める日が来る、という預言を残しました。神は、はるかに時代を超えて、ユダヤ人でない人たち、割礼を受けていない人たちのための信仰への招きの時を備えて来られたのです。

そして今、ヤコブがアモス預言の実現を伝えました。今が、その時だ、と。

ヤコブは、神に立ち返る異邦人キリスト者を悩ませないために、エルサレム教会でいくつかのことを決めました。

割礼を強要しない、ということ。

偶像に備えた動物の肉・血を避けること。

みだらな行いを避けること。

「動物の血を避ける」、というのは、血が命の象徴だったからです。偶像に捧げられた動物の血に近づくということは偶像と命を共有する、ということでした。

エルサレムの使徒会議で決められたことは、どれも大した決定ではないように思えるのではないでしょうか。今の私たちからすると、こんな大きな会議を開いて決定するようなことではなく、少し考えればわかりそうなことばかりに思えるのではないか。

しかし、ユダヤ人と異邦人が共にお一人の神を信じるようになっていく過程で、教会はこのような誠実な議論が積み重ねていきました。そのような誠実な議論の上に、今の私たちの教会があるのです。

私たちは、このエルサレムの使徒会議に出て来た人たちを鏡として、自分の信仰の姿を省みたいと思います。自分こそ正しいと思っていた人たちが、静かに神の御業の証を聞いて、謙遜に新しい一歩を踏み出していきました。

教会生活は、本当は単純なものであるはずです。イエス・キリストの十字架と復活に心を向け、神を信頼して生きることです。神は、預言者アモスを通しておっしゃいました。 Continue reading

11月6日の説教要旨

使徒言行禄15:1~12

「全会衆は静かになり、バルナバとパウロが自分たちを通して神が異邦人の間で行われた、あらゆるしるしと不思議な業について話すのを聞いていた」(使徒言行禄15:12)

私たちは、「救い」という言葉を教会の中でよく聞きます。聖書にもよく出てくるのを見ます。しかし、その意味を何となくしか理解していないのではないでしょうか。

聖書が言う「救い」とは、罪の支配から解放され神の支配へと入れられることです。神から離れた闇を生きていた者が、神を知って光の中に生き始める、ということが「救われた」ということです。

イエス・キリストが、一人の女性を癒されたことがあります。12年間出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしても直してもらえなかった女性です。この人は、誰にもばれないように、人ごみに紛れて後ろから主イエスの服の房に触れました。「この方に振れさえすれば、癒される」、と信じたです。

主イエスはそれに気づかれました。「私に触れたのは誰か」とおっしゃって、その女性を探されました。女性は隠しきれないと知って、ひれ伏して、触れた理由と癒された次第を人々の前で話しました。主イエスはその女性におっしゃいました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」

救いを求める一人の女性が、ナザレのイエスという方に一縷の希望を見出してその服の裾に触れました。その女性を救ったのは、その女性の信仰だった、ということがわかる出来事です。

私たちは、改めて、「救い」とは何か、そして信仰が持つ力がどんなに大きいのか、ということを今日考えて行きたいと思います。

私たちはここまで使徒言行禄を読んできました。アンティオキアの町に異邦人教会が出来、そこから送り出されパウロとバルナバは福音宣教の旅を続けてきました。二人は旅を終えて、一旦異邦人伝道の拠点であるアンティオキア教会へと戻りました。2人がアンティオキアの町に戻って来たところで、大きな問題が起こりました。

ユダヤ地方からある人々がやって来て、アンティオキアの町のキリスト者たちに、「あなたたちの信仰生活は間違っている」ということを伝えたのです。「モーセの慣習に従って、割礼を受けなければ、あなたたちは救われない」とその人たちは言いました。

アンティオキアの教会は異邦人キリスト者たちで構成されていたので、当然割礼を受けていない人たちばかりでした。そこに、おそらくエルサレムからでしょう、ユダヤ人キリスト者が来て、「あなたたちも信仰者であるなら、ユダヤ人のように割礼を受けなさい。そうしなければ救われない」と言ったのです。

当時のユダヤ人にとっては、割礼こそ信仰のしるしであり、割礼のない信仰生活は考えられませんでした。エルサレムという信仰の本場からやって来た、聖書をよく知っていて聖書の掟を実践しているその人たちの言葉は影響力がありました。

異邦人教会だったアンティオキアの人たちは、戸惑ったでしょう。

「キリスト者は、キリストを信じるだけではだめなのか。割礼を受け、ユダヤ人の習慣に従わなければ、本当にキリスト者となることはできないのか。割礼を受けなければ、神を信じる、ということにはならないのか。」

パウロとバルナバは、そんなことを言ってきたエルサレムの人たちに激しく反対した。二人ともユダヤ人でしたが、「割礼を受けなければ救われない」とは考えていませんでした。イエス・キリストへの信仰をもった異邦人たちを、割礼を受けていないそのままで、神が受け入れられたのを、自分たちの宣教の旅の中で見たからです。

パウロとバルナバは、この問題について話し合ってはっきりさせるために、アンティオキアからエルサレムへと向かうことにしました。

パウロとバルナバはエルサレム教会に行くと、まず教会の人たち、使徒たち、長老たちに歓迎されました。そこで二人は、自分たちの宣教活動の様子を語り伝えます。

ユダヤから外へと出て行き、地中海沿岸の異邦人の町々を巡る中で、キリストを信じる人たちが生まれ、キリスト教会が出来、長老に任命された人たちが今もしっかりとキリストへの礼拝を続けていることを語りました。

二人は「自分たちが何をしたか」ではなく、「神が自分たちと共にいて行われたこと」を語った、とあります。パウロとバルナバは、自分たちの手柄ではなく、「神がなさったこと」をそのままエルサレム教会に報告したのです。

キリスト者は、キリストをどれだけ信仰しても、割礼を受けなければ、神に愛していただけないのでしょうか。どんなに神を信じていても、割礼を受けなければ本当に救われないのでしょうか。

このことは、使徒パウロが後々まで戦ったことでした。

ガラテヤの諸教会に、パウロは手紙でこう書き送っています。

「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」

「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」

今の私たちからすれば、なぜ当時のユダヤ人キリスト者がそんなに割礼にこだわるのか、よくわからないのではないでしょうか。

当時のユダヤ人にとって、信仰の父であるアブラハムが割礼を受け、モーセの律法にも割礼の掟があることから、割礼のない信仰というのはあり得るのか、ということは大きな問題だったのです。

いわば信仰の本場であるエルサレムから来たユダヤ人キリスト者が聖書を持ち出して、「信仰だけではだめだ。割礼を受けて初めて救われるのだ」と言われたら、異邦人キリスト者たちは当然混乱します。

パウロたちがそれを言っても、ファリサイ派からキリスト者になった人たちは「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言い張りました。

「割礼を受けていない人は神に救われていないのか。キリストを信じるだけでは不十分なのか」このことについてエルサレム教会での話し合いは続いた。

使徒たちと長老たちが集まり、「異邦人キリスト者にも割礼は必要かどうか」という議論を更に続けました。

議論を重ねた後、最後に立ち上がったのはペトロでした。ペトロも、パウロと同じように、自分の異邦人伝道での体験を語りました。

ペトロも、カイサリアの町で、割礼を受けていない異邦人でありローマの百人隊長コルネリウスに聖霊が降ったのを見たのです。

異邦人コルネリウスがもっていたものは何だったのか。コルネリウスの何に聖霊が降ったでしょうか。それはコルネリウスの信仰だった。コルネリウスの割礼ではなく、信仰でした。

ペトロだってユダヤ人でしたので、聖書の掟を重んじていました。

「自分はユダヤ人であって、異邦人のように神を知らない人間ではない。ユダヤ人として、自分の信仰が汚れないように異邦人を訪問したり、異邦人と付き合ったりはしない。自分は割礼を受けている。」・・・そう思っていたのです。

そのようなペトロに、神は前もって、幻の中で「神が清めた物を、あなたは清くないなどと言ってはならない」御告げになりました。それを聞いたとき、ペトロはその言葉の意味が分かりませんでした。

ペトロは割礼を受けていない異邦人コルネリウスの元へと導かれ、聖霊が注がれたのを見て、神がおっしゃったことの意味を悟っていったのです。「神は人を分け隔てなさらない。神がご覧になって喜ばれるのは、ユダヤ人だろうが異邦人だろうが、その人の信仰である」と。

ペトロは、エルサレム教会の中で、その時神がなさったことを皆に語り聞かせました。そして、「主の恵みによって救われる、ということは、異邦人も同じことです。」「異邦人キリスト者に、割礼を強要することは、神を試みることであり、重荷を負わせることだ」

私達は、今、「自分が・誰かが割礼を受けているかどうか」、ということを教会の中で問題にはしません。救われるためには割礼が必要かどうか、という議論は、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間に線引きが色濃く残っていた一世紀の教会の中で起こっていたことです。

この議論は、今の私たちにとってそれほど重要な議論に思えないでしょう。しかし、教会の中でいろんな線引きが出来てしまう、というのは、いつでも教会の中で起こっていることではないでしょうか。 Continue reading

10月30日の説教要旨

使徒言行禄14:19~28

「二人は・・・伝道所を力づけ、『私たちが神に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。」(14:21~22)

パウロとバルナバは、一緒に福音宣教の旅を続けて来ました。アンティオキアを出発して地中海を船で渡りキプロス島に行き、また船に乗ってペルゲという港町についてから、ピシディア州のアンティオキア、イコニオン、リストラと、町々で福音を語って来ました。今のトルコにある町々です。

福音を語りながら、二人はいろんな体験をしました。福音を受け入れてキリスト者になる人もいれば、福音を信じられないユダヤ人たちから、「聖書を冒涜している」と迫害されたりもした。

リストラの町では足の不自由な人を癒したことで、二人は地上に現れた神ではないかと礼拝されそうになりました。そうかと思うと、後から追いかけてきたユダヤ人たちから石を投げられ半殺しにされました。

いろんな苦難や迫害にあっても、二人はキリストの使徒としてイエス・キリストの福音を伝えることを止めませんでした。20節を見ると、パウロたちに教えを求め従う「弟子達」が出来ていたということがわかります。迫害の中にあっても、キリストに従おうとうする「弟子達」が形成されていったのです。

パウロとバルナバは、ここから自分たちの宣教の拠点・出発地であるアンティオキアに戻ることになります。二人は、アンティオキアまで自分たちがこれまで福音を語って来た町々を順に辿りながら戻って行くことにしました。わざわざ、自分たちを追いかけて石を投げた人たちがいる町々へともう一度戻って行くことにした、というのだ。

なぜそんな危険なことをしたのでしょうか。それぞれの町には、パウロとバルナバに向かって石を投げてくる人たちがたくさんいるのです。

パウロたちは、それでも危険を冒しながら、自分たちが福音を伝えた町々を巡り、小さなキリスト教会を励ましつつ群れの中から長老を選び、任命し、体制を整えながら、アンティオキアへと戻って行きました。

私たちは考えさせられると思います。なぜパウロたちはそんな危険を冒したのでしょうか。そして、なぜ1世紀の小さな教会は、迫害の中にあっても福音を捨てなかったのでしょうか。

あれほど弱く、小さなキリスト教会が、なぜすぐになくなってしまわなかったのか・・・

なぜ、石を投げられる小さな群れが、地中海周辺で信仰を捨てずに成長していったのか・・・

詳細は分かりません。

しかし、一つ間違いなく言えるのは、それら一つ一つの小さなキリスト者の群れが、キリストへの信仰を通して、数えきれないほどの奇跡を見ていた、ということです。「自分たちが信じているイエスという方は本当にキリストであり、神の子だ」と思わせられることが、彼らの信仰生活の中で見せられたからこそ、信仰を捨てなかったのでしょう。そうでなければ、石を投げられるような信仰を、血を流してでも命がけで守るなんてことはなかったはずです。

地中海全域にできた小さなキリスト教会の群れは、キリストへの信仰を守り、その信仰が何年も、何十年も、何百年もの時を経て、世界へと広まっていくこととなりました。

キリスト教信仰を持つと何か得になることがあって、信仰が大きな利益につながるとか、いうのであればわかります。しかし、そうではありませんでした。

使徒言行禄を見ると、パウロたちが石を投げられたり、教会が迫害されたりしています。キリストを信じるということは、なんの得にもならない、損ばかりする信仰のように思えます。

しかし、それでもキリスト者たちは、キリストへの信仰を捨てなかったのです。なぜでしょうか。信仰の苦難に勝る信仰の恵みを知っていたからです。

そのことは、パウロという人を見るとわかります。教会を迫害したサウロが、キリストの使徒パウロとなりました。考えられないような変化です。パウロが自分で頑張って自分をそのように変えたのではありません。迫害者である自分をキリストが見出し、許し、召し出してくださった、パウロはその恵みの奇跡を体験したからです。ステファノに石を投げる集団の中にいたサウロが、使徒パウロとしてステファノと同じ立ち位置に身を置くようになりました。そして生涯、イエス・キリストの名のために石を投げられる場所に身を置き続けたのです。

パウロは自分の意志でキリストの使徒になろうとしたのではありません。天からのイエス・キリストの声を聞いて自分が行くべき道が示されたのです。キリストを信じることで、分かりやすく、この世の富が増えるとか、地上の栄達が手に入る、ということではありませんでした。キリスト教信仰とはそういうものではありません。

パウロは何度も何度も迫害されました。それでも、パウロはキリストを伝えることをやめませんでした。なんとかキリストの許しの恵みに応えようとしたかったのでしょう。彼は「福音を伝えないことは私にとって不幸なのです」と後に手紙の中で書いている。

それと同じことが、キリスト者一人一人に起こって、私達は今ここにいるのでしょう。今教会はここまで歩んできました。パウロと同じように、私たちもキリストの許しを知り、その恵みに応える者として、この場へと召されています。

私達は、「なぜキリストを信じ続けるのか」と聞かれても、答えられないのではないでしょうか。言葉で全て説明できるようなものではなく、言葉にできないような何かをそれぞれが見せられたから、キリストを信じているのではないでしょうか。

パウロは、自分たちが福音宣教をした町々に一度戻って、それぞれの教会で長老を選び、「信仰に踏みとどまるように」、と励ましていきました。キリストを信じるようになること以上に、キリストを信じ続ける、ということが大変なのです。「信仰に踏みとどまる」ということが難しいのです。

ここで注目したいのは、パウロとバルナバは長老たちを任命したあと、「彼らをその信ずる主に任せた」とあることです。2人は、新しくできた教会に定住して、自分たちが責任をもってこれから福音を語り続ける、ということはしませんでした。彼らは、福音を伝え、キリストを信じる群れを作り、教会の体制を整えて、次の宣教の場所へと向かったのです。

キリストの使徒が最後の最後に教会に対してできたことは「主なる神に委ねる」ということだった。

26節にはパウロとバルナバが「成し遂げた働き」という言葉があります。2人は、キリストの使徒として、何を「成し遂げた」のでしょうか。

私達も考えたいと思います。一人の信仰者として、何をすれば「成し遂げた」と言えるのでしょうか。

ヨハネ福音書に、イエス・キリストが十字架で息を引き取られた際の、キリストの言葉があります。

「イエスは、葡萄酒を受け取ると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた」

キリストは死ぬ寸前に「成し遂げられた」と言われました。十字架の上でご自分の命をお捨てになることで、主は何を成し遂げられたのでしょうか。

主イエスはヨハネ福音書の10章でこうおっしゃっています。

「私は羊のために命を捨てる。私には、囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊も私の声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。私は命を、再び受けるために、捨てる」

主イエスは、「私は羊のために命を捨てる」とおっしゃいました。囲いに入っていない羊を羊飼いの下へと連れ戻すために、命をかける、というのです。それが主イエスが十字架の上で「成し遂げられた」ことでした。

主イエスは、ご自分の命を、羊を取り戻す身代金として支払われたのです。この世の罪びとにもう一度神の元へと戻るための道を切り開くためにご自分の命をかけられたのです。

パウロとバルナバが宣教の旅の中で「成し遂げた」ことは、それでした。彼らはキリストの使徒として、キリストの業に倣い、神の元へと立ち返る道を示していったのです。

キリストの使徒たちは苦しみました。何のために苦しんだのでしょうか。神の国に入るための道を人々に示すためです。

パウロとバルナバは自分たちが福音を告げ知らせてきた町々に引き返しながら教会を励ましてこう言いました。

「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」 Continue reading

10月23日の説教要旨

使徒言行録14:8~20

「パウロは彼を見つめ、癒されるのに相応しい信仰があるのを認め、『自分の足でまっすぐに立ちなさいと大声で言った』」

ピシディア州のアンティオキアまで来たパウロとバルナバは、安息日のユダヤ人の会堂で行われた礼拝に入って行きました。二人はその礼拝の中で、「聖書で預言されてきた神の救いの約束は、ナザレのイエスという方を通して実現した」、ということを語りました。

次の安息日に、パウロとバルナバの元に町中の人たちが集まって来たのを見て嫉みをもった一部のユダヤ人たちは、パウロたちが語る福音を受け入れず、語ることに反対しました。

パウロたちは、福音を受け入れなかったユダヤ人たちに言います。「神の言葉は、まずあなたがたユダヤ人に語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く」

ユダヤ人たちは人々を扇動してパウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出しました。パウロとバルナバは次にイコニオンという町に行き、同じようにユダヤ人の会堂に入って話をしますが、そこでも同じことが起こりました。福音を信じる人と信じない人に別れ、信じない人たちがまたパウロとバルナバを追い出しのです。

今日私たちが読んだのは、迫害によって追い立てられたパウロとバルナバが、リカオニア州のリストラという町に来て、一人の足の不自由な人を癒したという場面です。

二人は、キリストの使徒としてどんどんユダヤ人が少ない地域・異邦人世界へと深く入って行っています。ここは小アジアの南部で、独自の言葉、独自の宗教観をもっていた地域です。大きな国際都市ではなく、地方の小さな町でした。人々は自分たちの土地のルールで生きて、保守的な考え方を持っていたようです。

これまでパウロとバルナバは、初めて行く町ではユダヤ人の会堂に入って、礼拝の中で聖書の話をしてきました。しかし、リストラの町では会堂ではなく道端で福音を語ったようです。ユダヤ人の会堂が建てられていないぐらい、ユダヤ人の少ない町だったのだろう。

リストラの町の道端に、足の不自由な男性が座っていました。「生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった」とあります。使徒言行禄の3章にも、足の不自由な人が出てきました。その人は、エルサレム神殿に入って行く人たちに向かって物乞いをしていました。このリストラの町にいた足の不自由な男性も、道を通る人たちからの施しを求めていたのではないでしょうか。家族に養ってもらわなければならず、社会的な地位もなく、道端に座って時を過ごすしかなかった人だったのではないでしょうか。

もしかしたら、生まれた時から足が不自由だったことで、町の人たちからは優しくされていたかもしれません。しかし、その人自身は、道端に座っているしかできない自分、他の人たちに生かしてもらうしかない自分を、どれだけ受け入れることができていたでしょうか。

この人がリストラの町の道端に座っていると、パウロとバルナバという二人が来て、イエスという方の話をしました。聖書には、パウロは「彼を見つめ、癒されるのにふさわしい信仰があるのを認めた」とあります。この人はよほど真剣にイエス・キリストの救いの出来事の話を聞いていたのでしょう。群衆の中でも、ひと際パウロの目を引くほど熱心に福音を聞いていたようです。

ここを読むと不思議に思えます。この足の不自由な男性は、イエスという方を見たことも、会ったこともないのです。なぜそこまで真剣にイエスという人に起こった十字架と復活という出来事を聞いたのでしょうか。

言えるのは、この人が救いを求めていたからでしょう。心に飢え渇きを覚え、魂を包んでくれる福音を求めて一番真剣に聞いていたのがこの人だったから、パウロはこの人に信仰を見出したのでしょう。

この人は見たこともない、会ったこともないイエスという人に起こったことを、パウロとバルナバの言葉を通して信じました。

ヘブライ人への手紙にはこういう言葉があります。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

この人はまさに、見えないものを確信した信仰者でした。パウロは大声で「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と言いました。するとその人は踊りあがって歩き出したのです。

私たちは、聖書が、この足の不自由な人の信仰に焦点を当てていることに注目したいと思います。聖書は、パウロが特別な人間で、奇跡を行う力があった、ということを伝えようとしているのではありません。この人の信仰が、神の奇跡を起こした、ということです。信仰が、奇跡を起こしたのです。奇跡を見て信仰を持った、というのではありません。

マタイ福音書に、カナン人の女性が主イエスに自分の娘から悪霊を追い出してほしいと願った女性のことが書かれています。この女性は何度も主イエスに願いました。しかし主イエスは何度も拒否されました。それでも女性はあきらめず、何度もすがって主イエスに救いを求めました。そして主イエスは最後に、「夫人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願い通りになるように」とおっしゃったのです。キリストを求め、信じぬく先に奇跡があるのです。

今日私たちが見た、リストラの町にいた足の不自由だった男性もそうでした。この男性は、自分の人生を呪っていたかもしれません。そこにキリストの福音がもたらされ、そして信じました。その信仰を通して、聖霊による救いが訪れました。

この人は、主イエスに癒されたカナン人の女性と同じ異邦人でした。ユダヤ人ではありません。ユダヤ人のように、聖書のことは知りません。この人はただ、目の前でイエスという方の十字架と復活を語るパウロの言葉を信じました。ただ、信じたのです。その信仰が、この人に奇跡をもたらしたのです。

信仰が持つ力を改めて、ここで確認したいと思います。私たちの信仰は、「ただ信じるだけ」ではありません。私たちの信仰を通して、何かしらの聖霊の業が行われ、私達自身、自分の信仰を通して奇跡を見せられるのです。信仰によって自分が思いもしなかったことが起こり、考えもしなかった道へと導かれていきます。神は私たちの信仰を通して働かれます。私たちは、信頼して、歩めばいいのです。

さて、リストラの町の人たちは、足の悪い人が癒された奇跡を見て、群衆はパウロをヘルメスと呼び、バルナバをゼウスと呼び、礼拝しようとしました。町の人たちは、聖書を知らない異邦人でしたので、自分たちが知っている神話に当てはめて、パウロとバルナバを神だと信じ込んでしまいました。ヘルメスは水星の神、ゼウスは木星の神です。

このリストラの群衆の反応は、「2000年も前の聖書を知らない人たちの無知」として済ませられるものではないと思います。このリストラの町で起こったことは、今まさに私たちの周りで起こっていることでもあるからです。何か不思議なことがあれば、人は自分の信仰の型にはめて理解しようとするのではないでしょうか。

教会には奇跡が起こります。信仰が、祈りがあるところには、本当に不思議なことが起こります。もしそれを聖書の言葉抜きで解釈する時、私たちの周りには簡単に偶像礼拝が始まってしまうでしょう。

何か不思議なことを行う人を見たら、「この人は神ではないか」「この人は神に近い人ではないか」とすぐに信じて、その人を拝む、ということは今だって起こることだ。誰かをすぐに神格化してしまうことは、昔だけのことではありません。

パウロとバルナバは、リストラの町でキリストを伝えたのに、自分たちが神に祭り上げられてしまいました。二人はリストラの人たちが自分たちを礼拝しようとしているのを見て、全力でやめさせました。2人は「自分たちは神ではない」というところから始めなければならなかったのです。

パウロとバルナバはこの時、誘惑を受けました。信仰者にとって、人々が自分を神のように崇めてくれる、というのは、心地よいものです。神ではなく自分に讃美の言葉が向けられることがあると心地よいのです。これは、キリスト者を襲う誘惑の力です。

イエス・キリストが宣教の最初に与えられた試練・誘惑でした。荒野で主イエスは悪魔から誘惑をお受けになりました。

「私を拝むなら、地上の栄光をあげよう」

十字架で殺されるよりも、この世界で快楽に浸った方が楽に決まっています。迫害されるよりも、世に迎合して楽しんだ方が楽に決まっています。

私たちはイエス・キリストのお名前を利用して自分が祭り上げられることへの誘惑が絶えずあるのです。キリストはそれでもサタンの誘惑を退けて、受難の使命を課せられた生贄の子羊として十字架への歩みをお選びになりました。私たちは信仰者としてそのキリストの歩みに従うのです。キリストのお姿を見つめるしか、私達には誘惑を退ける方法はありません。

さて、パウロとバルナバは、アンティオキアとイコニオンから追いかけてきたユダヤ人たちによってまた追い払われてしまいました。石を投げつけられ、半殺しにされてしまいました。イエス・キリストのお名前を用いて、足の悪い人を癒したのに、二人は暴力を振るわれたのです。そして町から追い出されてしまいました。理不尽です。彼らがリストラの町に立ち寄ったのは、無意味だったのでしょうか。

そんなことはありません。パウロは次の宣教の旅で、もう一度リストラに戻ってくることになります。その際、このリストラの町で、テモテという青年をキリストの使徒として仲間に加えることになるのです。

彼らが語った福音、また行った奇跡の業は、福音の種としてリストラに蒔かれ、育っていきました。キリストの使徒たちは迫害を受けながら次の町へ、次の町へと追いやられ、そうやって福音は町々をめぐっていったのです。

私たちはキリストを信じる中で、良いことも悪いことも起こります。聖書を通して言えるのは、そこに信仰がある限り、私たちの苦難も、全て聖霊が用いてくださる、ということです。

パウロは後にローマの信徒たちにこう書き送っています。

「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くと言うことを、私たちは知っています」

私たちの信仰生活の中にある誘惑との闘いは、必ず用いられます。信仰が持っている力を信じたいと思います。

10月16日の説教要旨

使徒言行録13:42~51

「集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついてきたので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた」(13:43)

キリストは弟子達にこうおっしゃったことがあります。

「私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことで悪口を浴びせられる時、あなた方は幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

イエス・キリストに従おうとする信仰生活には、必ず逆風が吹く、という前提の言葉です。

キリストの言葉通り、使徒言行禄を読んでいると、キリストの使徒たちは聖霊に導かれて福音を告げているにも関わらず、いたるところで反対されたり迫害を受けたりしているのがわかります。

今日私たちが読んだパウロとバルナバもそうでした。二人は、ピシディア州のアンティオキアという町に行き、ユダヤ人の会堂に入り、安息日の礼拝の中で、イエス・キリストの福音を伝えました。

「聖書で告げられている神の救いの約束は、ナザレのイエスという方を通して実現した」

「その方は死人の中から復活され、神がご自分の下に全ての人をお集めになるために遣わされた救い主・メシアだった」

二人の言葉を聞いて信じた人たちは、二人の後を追いかけてきて、「もっと聞かせてください」「次の安息日にも同じことを話してください」と頼みました。

しかし、次の安息日になると、パウロたちが告げる「主の言葉」を聞こうとやってきた町中の人を見て、一部のユダヤ人たちが嫉みを起こし、パウロたちが話すことに反対したのです。

アンティオキアの会堂では、福音を受け入れ「もっと聞きたい」と願う人たちがいる一方で、パウロとバルナバに話をさせようとしないユダヤ人たちもいたのです。恐らくパウロたちに反対したのは、「ユダヤ人だけは特別に神に選ばれた民だ、異邦人とは違う」いう意識をもっていた人たちでしょう。

彼らはパウロ達に対して、「ねたみ」をもった、と書かれています。これは「熱心」という意味の言葉です。「自分たちユダヤ人こそ、神に選ばれたイスラエルの民であり、自分たちこそ神の御心に従っている民だ」、という「熱心さ」をこの人たちはもっていたのです。だから彼らは、「ユダヤ人でない人たちまでキリストは神の元へと招いていらっしゃる」、と伝えるパウロたちの言葉に対して、熱心に反対したのです。

イエス・キリストが弟子達に前もっておっしゃったとおりでした。「主の言葉」が語られるところでは、旧約の預言者たちが迫害されたように、キリストの使徒たちも、教会もののしられ、悪口を浴びせられ、反対されるのです。

私たちは聖書を読んでいると、福音が語られるところではいつでも、福音を受け入れる人と受け入れない人に分かれる、ということを見ます。そして、福音を受け入れようとしない人たちから、信仰者は反対を受けるのです。

イエス・キリストでさえもそうでした。神の救いの言葉が伝えられる所には必ず反対が起こるということは、イエス・キリストが幼子の時から、聖霊によって示されていたことでもあります。

主イエスがお生まれになってすぐ、母マリアは、幼子イエスを抱いて神殿に参拝しました。そこに、「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない」というお告げを聖霊から受けていたシメオンという人がいました。

シメオンは幼子イエスを腕に抱いて、主イエスの父・母に祝福して告げました。「この子は、反対を受けるしるしとして定められています。」

シメオンがマリアに告げた祝福は奇妙なものだった。

「この子は神の救いを告げることになるから、いいことがたくさんあるだろう」、というのではないのです。「神の救いのために働くことになるこの幼子は、多くの人たちから反対を受けるだろう、この子には逆風が吹くだろう、多くの人の心にある罪がこの子に向かってくるだろう」、と、祝福とは思えないようなことを言うのです。

更にシメオンはマリアにも言いました。

「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます。多くの人の心にある思いがあらわにされるためです」

痛みがこの子を襲うだろう、母であるあなたも心に痛みが与えられるでしょう、というのが、シメオンの「祝福」でした。

その言葉通り、イエス・キリストの公の宣教の生涯を見ると、確かにたくさんの人たちが主イエスに神のお姿を見出し、従いました。しかし最後には、キリストは十字架で殺されてしまうのです。

今、キリストに召されたパウロとバルナバは、同胞であるはずのユダヤ人たちから、キリストの福音を語ることに対して反対を受けました。これは、驚くようなことではないのです。主イエスが以前弟子達におっしゃったように、福音が告げられる所では反作用が起こるのです。だから福音を語る人には痛みがあるのです。キリストへの信仰を持ち続ける、ということには、痛みが伴い続けるのです。そしてその痛みは、キリストご自身が担われたものでした。私たちの信仰生活というのは、そのキリストの痛みに与る、ということなのです。

パウロとバルナバは今キリスト者として、使徒として、イエス・キリストの痛みに倣っています。福音を受け入れようとしないユダヤ人たちにパウロは言いました。

「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しないものにしている。見なさい、私たちは異邦人の方に行く」

このパウロとバルナバの姿は、故郷ナザレでの主イエスのようです。主イエスも、故郷のナザレの礼拝堂で、安息日に聖書の言葉の解き明かしたことがあります。しかし、主イエスのことを少年の時からよく知っていた人たちは、「あのヨセフの息子のイエスが、あんなことを言っている」と言って、受け入れませんでした。主イエスはそのことで「福音・神の救いは異邦人へと向かっていくだろう」とおっしゃいました。

私たちはここに、不思議な逆転現象を見ます。神が初めにお選びになったユダヤ人が、神のメシアを受け入れず、むしろイスラエルの神を求める異邦人が主イエスのことをメシアとして受け入れました。

これはどういうことなのでしょうか。

パウロもキリストと同じ言葉を告げました。「福音は異邦人に向かう」

それでは、神はもうユダヤ人をお見捨てになった、ということなのでしょうか。そうではありません。キリストの使徒たちは、その後もユダヤ人にキリストの福音を伝え続けています。

ロマ書9章の初めでパウロはこう書いています。

「私には深い悲しみがあり、私の心には絶え間ない痛みがあります。」

パウロの悲しみ、痛みとは何だったのでしょうか。それは、自分と同じユダヤ人たちが、主イエスのことをメシアとして受け入れていない、ということでした。

しかしパウロは、神がユダヤ人をお見捨てになったとは考えません。このユダヤ人たちの不信仰を通して福音は異邦人にまで広がり、やがて、ユダヤ人も異邦人も、全ての人が神の元に・キリストの元に集められるのだ、と書いています。パウロは、壮大な、神の招きの御業を見据えていたのです。

確かに今はイエス・キリストに対してユダヤ人たちは不信仰かもしれません。しかし「ユダヤ人の不信仰を通して神の招きのご計画は進んでいる・教会の成長は進んでいるのだ」、と言うのです。「神のなさることはなんと深いことか」と結んでいます。

今私たちが聖書の言葉を語り、イエス・キリストへの信仰を言い表しても多くの人たちは受け入れないでしょう。

「それは、あなたが信じていることで、私に押し付けないでほしい」

「キリストの救いなどというものを知らなくても、私は生きていけますから」 Continue reading

10月9日の説教要旨

使徒言行禄13:13~25

「パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた」(13:14)

教会を迫害したサウロは、キリストによって召され、使徒パウロとしてキリストの福音を伝える使命を担うようになりました。彼は死ぬまで、福音宣教の旅を続けた人です。

パウロは異邦人伝道の拠点となったアンティオキアの町から、ある時は船に乗り、ある時は歩いて、エルサレムの教会と連携をとりながら、地中海沿岸の町々に福音を伝えていきました。キリストの使徒パウロを「旅の人」と呼んでいいのではないでしょうか。

神は、パウロをお選びになる際、パウロのことを「異邦人に私の名を伝えるために選んだ器」と呼ばれました。そして「私の名のためにどれだけ苦しまなければならないかを彼に示す」とおっしゃいました。

使徒言行禄を読んでいくと、パウロの福音宣教の旅は、神の言葉通り、「異邦人にイエス・キリストを伝える」という苦しみの旅であったことがわかります。

パウロは使徒として召されるまで、「自分は異邦人とは違う、正統なユダヤ人であり、正統なユダヤの信仰をもっている」と自負していました。そして教会の「イエスをキリストだ」という信仰は正しくないと考え、迫害していました。

そのパウロが、異邦人に対して、「イエスこそキリストである」と伝える旅を続けるようになった、というのです。教会の迫害者としての消えない過去の痛みを引きずりつつ、同時に、許された恵みを覚えつつ旅を続けたのではないでしょうか。

今日私たちが読んだのは、そのパウロの福音宣教の初めのところです。パウロは大きな福音宣教の旅を三度しますが、これは第一次宣教旅行の初めの場面になります。

パウロ、バルナバ、ヨハネの三人はまずキプロス島に行き、偽預言者と対決し、その島にいたローマの総督セルギウス・パウルスをキリストへの信仰へと導きました。三人は、この総督に送り出されて、パンフィリア州のペルゲという港町に行き、そこからピシディア州のアンティオキアに行きます。

しかし、ペルゲという港町に着いたところで、ヨハネだけがパウロとバルナバから離れてエルサレムへと帰ってしまいました。なぜヨハネが宣教の旅を途中でやめてしまったのか、その理由は何も書かれていません。宣教者は三人から二人になってしまいました。

二人が到着したこの「アンティオキア」は、パウロとバルナバが出発したアンティオキアとは、同じ名前ですが、別の町です。今、パウロは今まででエルサレムから一番遠いところにやって来たことになります。

初めて足を踏み入れるアンティオキアという町でキリストの使徒パウロとバルナバは何をしたのでしょうか。彼らの姿を通して、私たちキリスト教会にとって宣教とは何か、伝道とは何か、ということを考えることができると思います。

ヨハネと別れたパウロとバルナバが初めて訪れた町・アンティオキアで宣教のためにしたことは、町の中にあったユダヤ人の会堂で行われていた礼拝に加わる、ということでした。

地中海全域にユダヤ人は離散して住んでいましたので、エルサレムから離れても、ローマ帝国の中にはたくさんのユダヤ人の礼拝堂がありました会堂では、安息日ごとに律法と預言者の書が読まれ、イスラエルの神を信じる人たちが礼拝していました。その日は安息日だったので、二人がユダヤ人の礼拝堂に行くことは自然なことでした。

パウロとバルナバがアンティオキアにあったユダヤ人の会堂で礼拝をしていると、会堂長が二人のところに、「言葉をください」と伝えてきました。当時は、「エルサレムから来た人たちは尊敬をもって迎えられた」、と言われています。

エルサレムは、言うなれば、イスラエルの信仰の本場です。パウロとバルナバの格好を見て、「この人たちはエルサレムから来た人たちだ」と思ったのでしょう。「お二人に教えを乞いたい」とそこにいた礼拝者たちは求めました。

パウロはその会堂の中にいた礼拝者たちに向かって、「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々」と呼びかけています。「イスラエルの人たち」、というのはユダヤ人のことです。「神を畏れる人たち」は、異邦人でありながらイスラエルの神を求める人たちのことです。つまり、このアンティオキアという町ではもうすでに、ユダヤ人と異邦人が一緒にイスラエルの神を礼拝していたのです。

パウロとバルナバは、会堂で、律法と預言の解き明かしをしました。「解き明かし」と言っても、律法と預言書の解説・講義をしたわけではありません。

二人は宣言したのです。「あなたがたが安息日ごとに読んでいる律法と預言書に記録されている神の救いの約束は、イエスという方を通して、もう実現したのだ」と。

パウロは言葉を求める人たちに出エジプトの出来事を語りました。

「どんな風に神がイスラエルを導いてこられたか」

「イスラエルは、その神にどれだけ背を向けてきたか」

「神はもう一度ご自分から離れたイスラエルを身元に連れ戻す約束をされた」

パウロはイスラエルの太古の歴史の言い伝えを語ります。

奴隷とされていたイスラエルを神が解放してくださったこと。

荒野を40年間、導いてくださったこと。

約束の地に導き入れ、その土地を相続させられたこと。

そして、サムエル、サウル、ダビデと指導者をお与えになり、神は「ダビデの子孫からイスラエルに救い主を送る」と約束されたこと。

神は歴史の中で「ダビデの末からメシアが来る」ということを預言者を通して約束されました。

BC8C、アッシリア帝国に滅ぼされそうになっていたエルサレムで、預言者イザヤはメシアの到来をこう預言しています。

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち、その上に主の霊が留まる」「その日が来れば、エッサイの根は、全ての民の旗印として建てられ、国々はそれを求めて集う。」

BC6C、バビロンに捕囚とされていたユダの人たちに、預言者エゼキエルはイスラエルの牧者・メシアの到来を預言している。

「まことに、主なる神はこう言われる。見よ、私は自ら自分の群を探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群を探すように、私は自分の羊を探す」「私は彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させるわが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる」

パウロは礼拝の中でイスラエルの歴史の授業をしたのではないのです。聖書の中に記録されてきた預言者たちが伝えた神の約束の言葉、メシアの到来は現実のものとなったことを宣言したのです。「それはナザレのイエスだ」、と伝えました。

実は、パウロとバルナバが宣教の初めにしたことは、イエス・キリストが宣教の初めになさったことと同じでした。

ルカ福音書の4章に、主イエスの宣教の初めの様子が記されています。

「イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」とあります。主イエスは、故郷のナザレの会堂で、安息日にイザヤ書の巻物を読まれました。「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が油を注がれたからである」。そのイザヤ預言をお読みになると、「この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にした時、実現した」とおっしゃいました。 Continue reading

10月2日の説教要旨

使徒言行禄13:1~12

「魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、誰か手を引いてくれる人を探した。」(13:11)

大飢饉の中、サウロとバルナバはアンティオキア教会からエルサレム教会への援助の品を届けに来ました。彼らがそこで見たのは、エルサレム教会・キリスト者たちに対する迫害でした。ヘロデ・アグリッパが使徒ヤコブを殺し、ペトロも牢に入れ殺そうとしていたのです。

しかし主の天使がペトロを救い出し、ヘロデは神に栄光を帰さなかったことで撃ち倒されてしまいます。エルサレムではそのことで、「神の言葉がますます栄え広がっていった」とあります。

パウロとバルナバは、迫害を超えて働く聖霊の働きをエルサレムで見ました。そしてエルサレムからマルコと呼ばれるヨハネを連れてアンティオキア教会へと帰って行きました。

私たちはこれまで、使徒言行禄を読みながら、教会に対していろんな逆風があったことを見てきました。教会に対する迫害があり、使徒たちの殉教がありました。しかし、どんなに苦難があっても、試練があっても、聖霊の不思議な導きによって教会は道が拓かれていったのです。この世の力は福音の広がりを止めることはできませんでした。

使徒言行禄はこれから、サウロの宣教の姿に焦点を当てていくことになります。サウロはこれからパウロと呼ばれるようになり、ここから本格的に異邦人への福音宣教の旅を続けていきます。サウロは最後にはローマ帝国の中心地、ローマへと向かうことになりますが、今日私たちが読んだのは、その最初の一歩を踏み出した、という場面です。

福音宣教の旅を続けるパウロを、聖霊がどのように用いたのか、これから見ていきましょう。

ステファノの殉教をきっかけにエルサレムの教会に大迫害が起こり、キリスト者たちはエルサレムの外へと追い散らされました。キリスト者たちは、それぞれ逃げた先でキリストを伝えていき、キリストの福音はどんどんエルサレムの外へと広がっていくことになりました。やがて、エルサレムのはるか北にあってローマ帝国の東西を結ぶ国際都市アンティオキアにキリスト者の群れが出来ました。

アンティオキア教会はバルナバとサウロが中心となり、成長を遂げていきます。エルサレム教会がユダヤ人伝道の拠点となり、アンティオキア教会が異邦人伝道の拠点として、それぞれの役割を担っていくことになっていくことになります。

そのアンティオキア教会に聖霊を通して神の言葉が与えられました。礼拝と断食を続ける中に、「バルナバとサウロを私のために選び出しなさい。私が前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」との言葉が聞こえます。

いよいよ、教会の迫害者だったサウロがキリストの証人として地の果てに至るまで旅を続けていくことになります。

使徒言行禄を読んでわかるのは、神はご自分のために人を召して、その人をご自分の計画のために行くべき場所を示される・・・聖霊は、福音を一か所には留めておかない、ということです。

アンティオキア教会は、ここに名前を記されているサウロとバルナバ、そしてシモン、ルキオ、マナエンを中心に、順調に成長を遂げていました。サウロとバルナバがいれば、アンティオキア教会はますます大きく成長していったはずです。

しかし、神は、二人が一か所に留まっていることをお許しにならなりませんでした。二人には向かうべき場所があったのです。聖霊は、「そこに留まる人」と、「次の場所へと向かう人」をそれぞれ召し出し、一人一人の信仰者に「次にいるべき場所」を示されます。

アンティオキア教会の人たちは「二人の上に手を置いて出発させた」とあります。聖書には短くそのように一言書かれているだけですが、アンティオキア教会の人たちにとっては大きな決断だったでしょう。

本当は、「二人にずっと自分たちの教会にいてほしい」、と思っていたはずです。私たちは、ここで二人を送り出したアンティオキア教会の人たちの信仰の決断を見逃してはならないと思います。主の働きのために、キリストの使徒を、福音宣教者を自分の教会から送り出す、とういうこと、それは、他の場所にいるキリスト者のために、またキリストの福音を待っている人たちのための信仰の業でした。

自分たちの教会が大きくなれば、人数が増えれば、財産が豊かになれば、私たち満足してしまいがちです。それを「教会の成長」と考えるからです。そして、自分たちだけのことを考え始めてしまいます。

しかし改めて、「教会の成長」とは何でしょうか。人数が増え、財産が豊かになることももちろん成長と言えるでしょう。しかし、「霊的な」成長というものもあるはずです。

福音を信じる人の群れをその場所で大きく豊かにしていく、ということに加えて、福音を、また次の場所へと届ける役割を担い、果たしていくこと・・・そのことも、イエス・キリストから託された使命です。

ヨハネ福音書の最後を見ると、復活なさったキリストがペトロをどのように召されたかが書かれています。

「私の羊を飼いなさい。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年を取ると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」

主イエスはそうおっしゃってから、ペトロに「私に従いなさい」とおっしゃったのです。

キリストに従う中で、信仰者は、「行きたい場所」ではなく、神がお示しになった「行くべき場所」へと導かれていきます。「ここにいてほしい」と思う人を別の場所に送り出さなければならないこともあるでしょう。その導きに従う中で、教会は、人間が考える計画を超えて、福音の広がりのために用いられていくのです。

アンティオキア教会は、サウロとバルナバという、教会の中心的な二人を送り出しました。神は、御自分の計画のために留まる人と、次の場所に向かう人をいつもお選びになります。これは今でもそうでしょう。

さて、信仰の決断によってアンティオキア教会から送り出されたバルナバとサウロは、ヨハネを助手として連れて行き、向かったのはキプロス島でした。このキプロス島はバルナバの故郷でした。

地中海全域にユダヤ人は離散して住んでいて、それぞれの場所で礼拝のための会堂を建て、聖書の言葉を朗読し、神の救いのご計画が実現するのを求め続けていました。バルナバ、サウロ、ヨハネの三人は、島の中にあったユダヤ人の諸会堂を巡り、イエス・キリストの十字架と復活を伝えて回りました。

しかし、そこにはバルイエスというユダヤ人の魔術師・偽預言者がいて二人の福音宣教の邪魔をしてきました。バルイエスは、ギリシャ名は「エリマ」と呼ばれていたようです。

キプロス島に駐在していたローマの地方総督のセルギウス・パウルスという人が、バルナバとサウロの二人を招いて神の言葉を聞こうとします。しかし、この偽預言者が地方総督をキリストの福音から遠ざけようと邪魔をしてくるのです。

神に召され導かれた先で使徒たちを待っていたのは、偽預言者との対決でした。キリストの使徒たちが福音宣教の旅に召される、ということは、偽預言者との闘いへと召される、ということでもある、ということでしょう。福音が語られるところでは、いつでも、預言者と偽預言者との対決があるのです。

預言者と偽預言者との闘いは、いつの時代もありました。エレミヤ書を見ると、預言者エレミヤと偽預言者ハナンヤとの対決が記録されています。偽預言者ハナンヤという人が、人々が聞いて喜び言葉を「神の言葉」として伝えていました。

しかしエレミヤは逆でした。人々が聞きたくないような神の言葉を語っていたのです。人々の罪、神の怒り、そして神への立ち返りを訴えていました。それは、神の御心から離れた人たちが「聞かなければならない」言葉でした。

預言者エレミヤは、邪魔をする偽預言者ハナンヤに言いました。

「あなたや私に先立つ昔の預言者たちは、多くの国、強大な王国に対して、戦争や災害や疫病を預言した。平和を預言する者は、その言葉が成就する時初めて、まことに主が遣わされた預言者であることがわかる」(28:9)

どちらの預言が成就したでしょうか。エレミヤでした。偽預言者ハナンヤは、間もなく死んでしまいました。

神の言葉を語ろうとする使徒たちの邪魔をした偽預言者バルイエスはどうなったでしょうか。彼はサウロからこう言われてしまいます。

「お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に降る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう」

サウロがそう言うと、その言葉通りになりました。これが偽預言者の末路でした。

このことは、エレミヤやサウロだけに起こったことではありません。キリストへの信仰をもって生きる私たち一人一人に起こっている現実です。

ただそこでキリストを信頼して静かに生活したいだけなのに、私たちの周りにはどれだけの雑音があるでしょうか。神を見えなくさせ、自分のことだけを考えさせようとする誘惑の言葉がいかに多いことでしょうか。我々信仰者にとって、誘惑ほど魅力的であり恐ろしいものはないのです。罪の力は必ず私たちの身を亡ぼすところへと導こうとします。 Continue reading

9月18日

使徒言行禄12章

「主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである」(12:23)

旧約聖書の「コヘレトの言葉」の中に、有名な言葉があります。

「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」

人間の知恵を超えた神の摂理・神のご計画を言い表した言葉です。

神が「時」を備え、人間の知らないところで全てを導かれていることがよく描かれているのが、創世記のヨセフ物語でしょう。

ヨセフは、12人の兄弟の中で、父親の愛情を一身に集めていました。そのことで、他の兄弟たちから疎まれ、ヨセフは最後には奴隷として売られてしまいます。売られた先でヨセフはエジプト王ファラオの夢の解き明かしをして、エジプトの宰相となりました。やがて、エジプトに飢饉が起こりますが、ヨセフに神から与えられた知恵によってエジプトは豊作の間に食料を貯蔵し、その飢饉を乗り切ることが出来ました。その飢饉の中で、ヨセフは、エジプトに食料を求めてやってきた兄弟たちと再会し、家族と和解して、共に生きるようになった、という話です。

ヨセフはその人生の中で、数多くの山と谷、喜びと苦しみを体験しましたが、最後にはエジプトの民が飢饉から救われ、自分の兄弟たちとも再会することができました。全ての山と谷・喜びと苦しみは、「神が備えられた時」へと向かう過程だったのです。

ヨセフは、自分を奴隷に売ろうとした兄弟たちにエジプトで再会した際、こう言いました。

「神が私をあなたたちより先におつかわしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」

「あなたがたは私に悪を企みましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」

私たちは聖書を読んでいて、「本当に神は働いていらっしゃるのだろうか」、と思える場面がいくつもあります。特に、神のために働いている預言者たちや、キリストの使徒たちが苦しむ姿を見ると、そう思うのではないでしょうか。

私たち自身も、神を信じているにも関わらず様々な苦難に直面する時、「神を信じているのになぜこんなに辛いことが起こるのだろうか、神を信じる意味とは何か」と考えてしまうでしょう。

しかし預言者やキリストの使徒たちは、直面する苦難にも関わらず、それでも神への信頼を捨てませんでした。そしてその信頼の先で何かを見せられたのです。「神は悪を善に変えて救いをもたらされた」というヨセフの言葉の意味を、私たちも日々の信仰生活の中で考えなければならないと思います。神が備えられた「時」ということについて、考えていきたいと思います。

今日私たちが読んだのは、イエス・キリストの使徒、ヤコブがヘロデによって殺されてしまった、という場面です。ヤコブを殺し、ペトロも殺そうとしてヘロデは、最後には神によって打たれ、死んでしまいます。

ヤコブは、元はガリラヤの漁師で、ヨハネの兄弟でした。ガリラヤで漁師をしていた時、イエス・キリストがそこを通り、「私に従いなさい」と召し出された人です。イエス・キリストの12弟子の中でも、主イエスと一番長く時を過ごした人です。

ここに出てくるヘロデは、イエス・キリストがお生まれになった時に殺そうとしたヘロデ大王の孫にあたる人で、ヘロデ・アグリッパという人でした。洗礼者ヨハネを殺したヘロデ・アンティパスの甥でもあります。暴君の血を引いていた人だ、と言っていいでしょう。

さて、ヘロデ・アグリッパは、なんのためにヤコブを殺したのでしょうか。ヤコブが殺されたのは、大飢饉が起こった時でした。食べ物が少なくなり、政治に対して、権力者に対して人々の不満が高まっていました。そういう時に、ヘロデはヤコブを殺し、そして次にペトロを見せしめにして殺そうとしていました。

ヘロデがキリストの使徒たちを殺そうとしたのは、人々の恨みをキリスト者に向けようとしたからでしょう。

「この飢饉は、キリスト者たちのおかしな信仰のせいだ。民衆に食べ物がいきわたらないのは自分のせいではない」ということを演出しようとしたのです。実際、ユダヤ人たちはヤコブが殺されたことを「喜んだ」、とあります。

先ほど、神は「時」を備えていらっしゃる、ということをお話ししました。それでは、ヤコブが殺された「時」とは何だったのでしょうか。ヤコブの命は、どのように神によって用いられたのでしょうkじゃ。

以前ヤコブは、自分の兄弟のヨハネと一緒に、イエス・キリストに「自分たちを特別扱いしてほしい」「他の10人よりも高い地位につけてください」と抜け駆けしたことがあります。

そのさい、キリストは「あなたがたは、何を望んでいるのか、自分で分かっていない」とおっしゃって、「私の杯を飲めるか」とお尋ねになりました。二人は何も考えずすぐに「飲めます」と答えました。

キリストがこの時おっしゃった「私の杯」とは「受難の杯」でした。主イエスは、弟子達全員に「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである」とおっしゃいます。

キリストに従う、ということは、そういうことでした。この世の栄達に与ることではなく、神の救い御業のためにキリストのように痛みを負っていく、ということです。神の救いのために、身代金として自分の命を捧げたイエス・キリスト、そのキリストに倣う、ということです。

ヤコブは、イエス・キリストがおっしゃった「受難の杯」をここで受けました。ヤコブの命は、神によって天に収穫されたのです。

ヘロデは、ヤコブの死をユダヤ人たちが喜んだのを見て、次にペトロを捕えました。それは、除酵祭の時期でした。除酵祭・過越祭の時期は、裁判や処刑は行われません。祭りの時期が終わったら、ペトロを殺そうとヘロデは考えていました。ユダヤ人たちをもっと喜ばせて、飢饉の不満のはけ口にするつもりだったのでしょう。

ペトロが捕らえられたことで、「教会は彼のために熱心な祈り」を神に捧げました。ここで、聖霊の救いが与えられます。牢で眠っていたペトロを天使が起こして、そこから逃がしたのです。ペトロは、ただ天使の声に従って歩いて行きました。

ペトロにとっては「現実のものとは思えない」、幻を見ているような体験でした。全てが、ペトロの意志に関係なく、「ひとりでに」救いの道が拓かれていった、というのです。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門もひとりでに開き、気が付いたら、主の天使によって、解放の道が拓かれていたのです。

私たちは使徒言行禄を通して、神の力がいつでも信仰者の祈りを通して働いてきたことを見てきました。実際の私たちの信仰生活でも、祈りを通して働く力、私たちの言葉では説明できない力を感じることがあると思います。そのことは、祈り続けている人であれば、知っているはずです。私達が今日読んだ場面のペトロほど劇的でなくても、「神は、あの時、ああいう仕方で私の祈りを聞いてくださった」ということが、信仰者それぞれにあるはずです。

教会には祈りがあります。祈りは、信仰者に与えられた一番の恵みです。神は、預言者を通して「私を求めよ。そして生きよ」とおっしゃいました。それは、神を信頼して祈って生きる、ということです。その先で、私たちはキリストのように、誰かを神の元へと招くために命を使うことが出来るのです。

ヤコブを殺し、ペトロも殺そうとした暴君ヘロデ・アグリッパはどうなったでしょうか。ヘロデは、ペトロを逃がしてしまった番兵を殺すよう命じました。そしてユダヤからカイサリアへと下って行きました。カイサリアの町の人たちに対して何かの不満があったようです。

カイサリアの人たちはヘロデから食料を受け取っていたので、ヘロデの機嫌を損ねるわけにはいきませんでした。ヘロデにへつらって彼を神のように扱いました。人々がヘロデを神のように崇めたとたん、主の天使はヘロデを打ち、ヘロデは死んでしまったのです。

このヘロデの死に方は、旧約聖書のダニエル書の内容とよく似ています。バビロンの王、ネブカドネツァルは大きな金の像を作り、それを拝むように人々に告げました。ネブカドネツァルは、王宮の屋上を散歩しながら、「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、この私が都として建て、私の権力の偉大さ、私の威光の尊さを示すものだ」と言います。すると天から声が響いて、「ネブカドネツァル王よ、お前に告げる。王国はお前を離れた」と言われてしまうのです。

自分の権力、栄光に酔いしれ、自分がまるで神であるかのようにふるまったネブカドネツァルは、神からすべてを取り去られてしまうのです。

聖書は、私たちに、人間がいかに誘惑に弱いか、そして誘惑がどれほど恐ろしいものか、時代を超えて教えようとしています。人間が神になろうとすることほど魅力的で、同時に危険なことはありません。神になろうとする者は、破滅するのです。神に打たれるのです。

旧約聖書の箴言に「主を畏れることは知恵の初め。無知なものは知恵をも諭しをも侮る」という言葉があります。

ヘロデの死に方を通して、教えられることではないでしょうか。神を畏れる、ということこそが、初めに私たちが知らなければならないことだ、というのです。それこそ、聖書が創世記で一番初めに伝えていることです。

「これを食べると神のようになれる」と蛇から言われたアダムとエバは、「食べてはいけない」と言われていた実を食べてしまいました。そのことで楽園を失います。神を畏れる、ということを忘れ、自分が神のようになれる、と思い込んだ人間の末路を、創世記は一番初めに教訓として私たちに教えてくれています。

聖書を読みながら、キリストを信じるがゆえに殺されたヤコブやステファノを見ると、恐ろしく思います。しかし、一人一人の殉教者たちは、天の国を仰ぎ見ながら、その命を神によって収穫されました。キリストは、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」とおっしゃいました。

ヨセフ物語でヨセフが言ったように、神は、人が犯す悪を善に変えてくださり、御自分の招きの御業を進めていかれます。神は、この世でキリストのために働く者を、人の知恵を超えて、人の思いを超えて用いてくださるのです。信頼して、信仰の苦難の中にあっても、神の御業を待ち望みましょう。

9月11日の説教要旨

使徒言行禄11:19~30

「弟子達はそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた」(11:29)

先週まで、ペトロとコルネリウスが神の導きの中で出会い、キリストを信じて神の言葉を求めたコルネリウスに聖霊が降った、という場面を見てきました。

その後、ペトロはエルサレムに戻ります。すると、エルサレムにいたキリスト者たちが、ペトロが割礼を受けていない異邦人を訪ねて、一緒に食事をした、ということを非難し始めました。

当時のユダヤ人にとって、外国人と交際することは律法で禁じられている、という理解がありました。「イスラエルの神を知らない異邦人と交際すると自分たちの信仰がけがれる」、という思いをもっていたのです。

ペトロ自身も、コルネリウスに会う前は、そう思っていました。しかし、ペトロは神が異邦人にも聖霊を注がれたのを見て、「神はユダヤ人だけをご自分の民として招かれている」という考えは間違っていることを知りました。

ペトロは、自分を非難するエルサレムの信仰者たちに、自分がどのようにカイサリアにいるローマの百人隊長コルネリウスのもとへと導かれたのかを語りました。そして言いました。「主イエス・キリストを信じるようになった私たちに与えてくださったのと同じような賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、私のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることが出来たでしょうか」

「その言葉を聞いて、人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を讃美した」、と書かれています。

ペトロはコルネリウスとの出会いを通して、「神は人を分け隔てなさらない。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられる」ということを学ばされました。

そして、そのペトロの証を通して、エルサレムのキリスト者たちも、神はユダヤ人であろうがユダヤ人でなかろうが、全ての人をお招きになっている、ということを学んだのです。

今日私達が読んだのは、エルサレムでユダヤ人キリスト者たちがそんなことを議論している間に起こったことでした。聖霊はエルサレムの外で大きな救いの業を進めていた。

「迫害を受けて散らされた人たちは、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」、とあります。ステファノの迫害をきっかけにエルサレムで迫害された信仰者たちは、追い散らされて、ユダヤから北の地域へと逃げていったようです。そしてその人たちは、逃げながらキリストのことを伝えていきました。

多くの人は、イエス・キリストの福音をその土地その土地のユダヤ人だけに伝えていたようです。しかし、一部の人たちは、エルサレムのずっと北にあるアンティオキアの町まで、ユダヤ人以外の、ギリシャ語を話す人たちにも福音を伝えました。

アンティオキアは当時の国際都市で、ローマ帝国の中で広く使われていたギリシャ語を話す国際人がたくさんいました。そのアンティオキアで、エルサレムから逃げてきた人たちからキリストの福音を聞いて、たくさんの人たちがイスラエルの神に立ち返っていきました。

私たちはここに福音の広まりの不思議を見ます。エルサレムのキリスト者たちが何か特別な宣教をした、というのではないのです。エルサレムでキリスト者たちが「異邦人にキリストの福音を伝えるべきかどうか」と議論していた間に、彼らの知らないところで福音は異邦人に広まっていたのです。

エルサレム教会が迫害を受け、それで散らされた人たちが、逃げながら「人々に語りかけ、福音を告げ知らせた」とありますが、ここでつかわれている「語り掛けた」というのは、「噂した・話題に上らせた」というような意味合いの言葉です。

異邦人にまで福音を伝えた人たちは、キリストを噂したのです。聖書の専門知識をもって解説していったのではありません。イエス・キリストに関して、そして自分たちが見た、キリストの使徒たちの業、聖霊によるしるしのことを、黙っていられなかったのです。

旧約聖書のエレミヤ書に、こういう言葉がある。

「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、私の心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃えあがります。押さえつけておこうとして私は疲れ果てました。私の負けです」

なぜ、イエス・キリストの福音が迫害を超えて広まったのでしょうか。なぜ福音が、エルサレムのユダヤ人からアンティオキアの異邦人にまで広まったのでしょうか。福音を広めていかれるのは、神ご自身だからです。

イザヤ書にこのような神の言葉が言われています。

「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種まく人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす。」

キリストの福音・神の招きを広めていらっしゃるのは、神ご自身です。エルサレムのキリスト者が頑張ったのでも、迫害から逃れた人たちが特別な宣教をしたのでもありません。

21節に「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち返った者の数は多かった」とあります。人々が頑張って新しい信仰者をかき集めたのではありませんでした。主が信仰者たちの証の業を助けていかれたのです。それによって、キリストを信じる人たちが教会へと導かれていきました。

さてエルサレム教会に「アンティオキアでキリストを信じる人が増えている」という噂が届きました。彼らは驚いたでしょう。自分たちが「神は異邦人も招いていらっしゃるのかどうか」を議論している間に、はるか北の国際都市、アンティオキアでたくさんの異邦人がキリストを信じるようになっていた、というのです。

エルサレムの信仰者たちは、使徒の中からバルナバを選び、アンティオキアへと様子を見に行かせました。「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」とあります。

バルナバは、「慰めの子」という意味のニックネームです。その名前通り、彼はアンティオキア教会に励まし・慰めを与えました。

アンティオキアに派遣されたバルナバがしたもう一つのことは、教会を迫害し、その後キリスト者へと変わったサウロを招くことだった。サウロは、以前エルサレムでキリストの弟子達の仲間に加わろうとしましたが、皆が彼を信じないで恐れ、受け入れませんでした。教会の迫害者として有名だったサウロはエルサレム教会に受け入れられず、故郷のタルソスにいた。

バルナバはサウロの信仰を覚えていたのでしょう。彼を見つけ出し、アンティオキアへと招き、キリストの宣教を共にしました。「バルナバとサウロは、1年間、アンティオキア教会で一緒に教えた」、とあります。

二人の使徒たちが力を合わせて福音を伝える中で、教会にとって、大きな変化がありました。「このアンティオキアで、弟子達が初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」とあります。

「キリスト者」は、「キリストに属する者」という意味の言葉です。バルナバとサウロから教えを受け、洗礼を受けた人たちは、「バルナバの弟子・サウロの弟子」と呼ばれたのではありません。「キリストのもの」と呼ばれるようになったのだ。

このように、国際都市のアンティオキアでキリスト者が増えてきたことで、ユダヤ人と異邦人という区別は教会の中で薄まって来ました。人々は、キリスト者となってイエス・キリストに結び付くことで、「キリストの下で」一つとなっていったのです。

そのように、アンティオキア教会が順調に成長しているところに、エルサレムから「預言する人たち」がやって来ました。その預言者たちの中の一人、アガボという人が、「大飢饉が世界中で起こる」と預言しました。

ヨセフスというユダヤ人の歴史家は、紀元46~48年にかけて飢饉があった、と書いています。預言者アガボが言った通り、約二年にわたって、飢饉が実際に起こったようだ。

飢饉の中で、教会はどうしたでしょうか。聖書にはこう書かれている。

「弟子達はそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たち援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた」

アンティオキアの異邦人教会が、エルサレムのユダヤ人教会に援助を届けた、というのです。

エルサレムとアンティオキアという二つの、異なる人種が集っている教会が、キリストを求める信仰の中で、互いに支えあうようになきました。福音の広がりと共に、人間が作り出した壁が少しずつ無くなっていったことが分かります。

エルサレム教会とアンティオキア教会、ユダヤ人教会と異邦人教会が、一つのキリスト教会として助け合うようになっていきました。このことは、遡ってみると、信仰者同士の出会いの積み重って出来てきたことです。 Continue reading

9月4日の説教要旨

使徒言行禄10:34~48

「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました」(10:34)

ペトロとコルネリウスが、神によって出会わされた場面を読んでいます。この二人の出会いは、先週もお話ししたように、「ユダヤ人と異邦人の出会い」であり、「ガリラヤの漁師とローマの百人隊長の出会い」であり、当時では考えられないようなものでした。

それは、人間には作り出すことのできない、民族・社会的な地位を超えて「神が創造された出会い」と言っていいでしょう。

神はなぜこの二人を出会わせられたのでしょうか。一つの大きな真理を示されるためでした。それをここでペトロが言い表しています。

「神は人を分け隔てなさらないことが、よくわかりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」

このペトロの言葉を読むと、「神は人を分け隔てなさる」という思いがあった、ということがわかります。当時のユダヤ人たちは「イスラエルの神は、ユダヤ人だけをご自分の民とされた。ユダヤ人でない人たち・異邦人を受け入れられることはない。神は、ユダヤ人を他の民族とは区別して特別に思ってくださっている」という思いを持っていたようです。

実際に出会った二人の様子を見ていきたいと思います。

ペトロを迎えたコルネリウスは言いました。

「よくおいでくださいました。今、私たちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」

謙遜なコルネリウスの姿です。コルネリウスは、神の言葉を聞こうとして、今「神の前にいる」と言いました。実際彼は、ペトロの前にいます。

しかし、神の言葉を自分に伝えるペトロを前にするということは、コルネリウスにとっては「神を前にする」ということだったのです。

旧約聖書のイザヤ書に、へりくだる者への神の祝福の言葉があります。

「高く、崇められて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方がこう言われる。私は、高く、聖なるところに住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる」

まさに、コルネリウスは、「へりくだる霊の人」でした。ガリラヤの漁師であったペトロを迎えて、ローマの百人隊長であったコルネリウスがひざまずいたのです。当時の社会背景を考えると、コルネリウスの方が、はるかに強い身分にありました。ここに異邦人コルネリウスの信仰の姿勢が表れています。

コルネリウスは、自分よりも身分が低くても、相手が神の言葉を聞かせてくれる人であるならば、預言者を受け入れるように、キリストを迎え入れるように、ひざまずくのです。

そして、ペトロは、その「へりくだる霊の人」コルネリウスと、その家族や親せきの上に、聖霊が注がれるのを見ました。異邦人の上に聖霊が降るのを見たのです。

ペンテコステにはエルサレムでユダヤ人に聖霊が降りました。そして今、エルサレムの外で、異邦人の町カイサリアで、ローマ兵の上に聖霊が注がれるのを見ました。エルサレムだから、とか、ユダヤ人だから、とかいうペトロが自分で勝手に作り上げていた神の民の輪郭が今、崩されました。場所や民族を超えて、神はご自分を求める信仰者に聖霊を注がれるのです。

申命記で、モーセがイスラエルの民にこう言っています。

「あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく恐るべき神、人を偏り見ず、わいろを取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。」

その人が何人で、どれぐらい社会的な身分が高いのか、などということを神はご覧になっていないのです。人を偏り見ることなく、神はお招きになっているのです。

この出会いを通して、ペトロは、「異邦人と自分との間に壁を作っていた」、ということを見せられました。

ユダヤ人と異邦人との間の壁は、教会の中でも長い間存在しました。ユダヤ人と異邦人の間に、割礼を受けている人と受けていない人の間に、社会的な地位が高い人と低い人の間に、・・・教会の中でも、「私は誰々につく」というような派閥が生まれていきました。

律法の中で、「神は人を偏り見ることはない」と言われているにも関わらず、ペトロの時代のユダヤ人たちは、ユダヤ人たちは神から特別に見られていると思い込んでしまっていたのです。このユダヤ人の意識は、後々まで教会の中に問題を残しました。キリストの使徒たちには、そのような偏見との闘いもあったのです。

パウロも、手紙の中でペトロと同じことを言っています。

「神は、人を分け隔てなさいません」

「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」です。

なぜ、キリストの元に集まった人たち、教会の群れの中でそのような壁や溝が出来てしまうのでしょうか。人はなかなか「自分と自分以外の人」という思いを捨てきれないのです。

ルカ福音書の中に、「放蕩息子のたとえ」と呼ばれるたとえ話があります。家を出て放蕩の限りを尽くしてから帰って来た放蕩息子を父親が迎え入れ、その父の許しを理解できない兄が怒った、という内容のたとえ話です。

これは、実際にあった話ではなく、たとえ話です。イエス・キリストは、神がどれほど御自分の元から離れた罪びとを求めていらっしゃるか・戻って来た罪びとを喜ばれるか、ということを伝えていらっしゃいます。

しかし、普通に読むと、兄の主張の方が正しく思えるでしょう。

「なぜ弟を赦すのか」と、兄は父親を非難します。弟が家を捨てた時点で、兄と弟の間に壁が出来ました。

それは兄にとっては、なくすべきではない壁だった。

しかし、父は「弟が戻ってきたことを喜ぶべきではないか」とその壁を取り去ろうとした。

私たちがこの「弟」の方に自分の姿を重ねた時、このたとえ話を理解することが出来ます。許される価値のない罪びとを、神は愛し、許し、天の国へと招いてくださる、ということを。

このたとえの中で一番理解できないのは、放蕩息子が帰ってきたことをここまで喜ぶ父親の許しでしょう。なぜ許したのか。なぜ喜んだのか。なぜ怒らなかったのか。その許しが、あまりに深いので、私たちには理解できないのです。

「赦す」、ということには痛みが伴います。本当は、父親は怒って放蕩息子に「許さない」と言った方が楽だったはずです。息子が自分にしたことを全て許し家に受け入れる、ということは、怒りを全て自分が飲み込む、ということであり、それは痛みを伴うことでした。

イエス・キリストの十字架の痛みは、まさに、その許しの痛みでした。ご自分に向かって「イエスを十字架に上げろ」と叫ぶ人たちの代わりに、御自分が痛みを担われたのです。ご自分を侮辱する人たちを赦すために、主は十字架で苦み、死なれました。

「どうしてそんな人たちを赦すのですか」と、私たちは思うのではないでしょうか。しかし、キリストはおっしゃいます。「私の十字架、私の痛みによって、罪びとが私の元へと戻ってくる。それは喜びではないか」

私たちはどのようにして神との間にある壁を、また隣人との間にある壁を除くことが出来るのでしょうか。イエス・キリストを知ることだ。共にキリストの元に立つしかありません。 Continue reading