MIYAKEJIMA CHURCH

10月9日の説教要旨

使徒言行禄13:13~25

「パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた」(13:14)

教会を迫害したサウロは、キリストによって召され、使徒パウロとしてキリストの福音を伝える使命を担うようになりました。彼は死ぬまで、福音宣教の旅を続けた人です。

パウロは異邦人伝道の拠点となったアンティオキアの町から、ある時は船に乗り、ある時は歩いて、エルサレムの教会と連携をとりながら、地中海沿岸の町々に福音を伝えていきました。キリストの使徒パウロを「旅の人」と呼んでいいのではないでしょうか。

神は、パウロをお選びになる際、パウロのことを「異邦人に私の名を伝えるために選んだ器」と呼ばれました。そして「私の名のためにどれだけ苦しまなければならないかを彼に示す」とおっしゃいました。

使徒言行禄を読んでいくと、パウロの福音宣教の旅は、神の言葉通り、「異邦人にイエス・キリストを伝える」という苦しみの旅であったことがわかります。

パウロは使徒として召されるまで、「自分は異邦人とは違う、正統なユダヤ人であり、正統なユダヤの信仰をもっている」と自負していました。そして教会の「イエスをキリストだ」という信仰は正しくないと考え、迫害していました。

そのパウロが、異邦人に対して、「イエスこそキリストである」と伝える旅を続けるようになった、というのです。教会の迫害者としての消えない過去の痛みを引きずりつつ、同時に、許された恵みを覚えつつ旅を続けたのではないでしょうか。

今日私たちが読んだのは、そのパウロの福音宣教の初めのところです。パウロは大きな福音宣教の旅を三度しますが、これは第一次宣教旅行の初めの場面になります。

パウロ、バルナバ、ヨハネの三人はまずキプロス島に行き、偽預言者と対決し、その島にいたローマの総督セルギウス・パウルスをキリストへの信仰へと導きました。三人は、この総督に送り出されて、パンフィリア州のペルゲという港町に行き、そこからピシディア州のアンティオキアに行きます。

しかし、ペルゲという港町に着いたところで、ヨハネだけがパウロとバルナバから離れてエルサレムへと帰ってしまいました。なぜヨハネが宣教の旅を途中でやめてしまったのか、その理由は何も書かれていません。宣教者は三人から二人になってしまいました。

二人が到着したこの「アンティオキア」は、パウロとバルナバが出発したアンティオキアとは、同じ名前ですが、別の町です。今、パウロは今まででエルサレムから一番遠いところにやって来たことになります。

初めて足を踏み入れるアンティオキアという町でキリストの使徒パウロとバルナバは何をしたのでしょうか。彼らの姿を通して、私たちキリスト教会にとって宣教とは何か、伝道とは何か、ということを考えることができると思います。

ヨハネと別れたパウロとバルナバが初めて訪れた町・アンティオキアで宣教のためにしたことは、町の中にあったユダヤ人の会堂で行われていた礼拝に加わる、ということでした。

地中海全域にユダヤ人は離散して住んでいましたので、エルサレムから離れても、ローマ帝国の中にはたくさんのユダヤ人の礼拝堂がありました会堂では、安息日ごとに律法と預言者の書が読まれ、イスラエルの神を信じる人たちが礼拝していました。その日は安息日だったので、二人がユダヤ人の礼拝堂に行くことは自然なことでした。

パウロとバルナバがアンティオキアにあったユダヤ人の会堂で礼拝をしていると、会堂長が二人のところに、「言葉をください」と伝えてきました。当時は、「エルサレムから来た人たちは尊敬をもって迎えられた」、と言われています。

エルサレムは、言うなれば、イスラエルの信仰の本場です。パウロとバルナバの格好を見て、「この人たちはエルサレムから来た人たちだ」と思ったのでしょう。「お二人に教えを乞いたい」とそこにいた礼拝者たちは求めました。

パウロはその会堂の中にいた礼拝者たちに向かって、「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々」と呼びかけています。「イスラエルの人たち」、というのはユダヤ人のことです。「神を畏れる人たち」は、異邦人でありながらイスラエルの神を求める人たちのことです。つまり、このアンティオキアという町ではもうすでに、ユダヤ人と異邦人が一緒にイスラエルの神を礼拝していたのです。

パウロとバルナバは、会堂で、律法と預言の解き明かしをしました。「解き明かし」と言っても、律法と預言書の解説・講義をしたわけではありません。

二人は宣言したのです。「あなたがたが安息日ごとに読んでいる律法と預言書に記録されている神の救いの約束は、イエスという方を通して、もう実現したのだ」と。

パウロは言葉を求める人たちに出エジプトの出来事を語りました。

「どんな風に神がイスラエルを導いてこられたか」

「イスラエルは、その神にどれだけ背を向けてきたか」

「神はもう一度ご自分から離れたイスラエルを身元に連れ戻す約束をされた」

パウロはイスラエルの太古の歴史の言い伝えを語ります。

奴隷とされていたイスラエルを神が解放してくださったこと。

荒野を40年間、導いてくださったこと。

約束の地に導き入れ、その土地を相続させられたこと。

そして、サムエル、サウル、ダビデと指導者をお与えになり、神は「ダビデの子孫からイスラエルに救い主を送る」と約束されたこと。

神は歴史の中で「ダビデの末からメシアが来る」ということを預言者を通して約束されました。

BC8C、アッシリア帝国に滅ぼされそうになっていたエルサレムで、預言者イザヤはメシアの到来をこう預言しています。

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち、その上に主の霊が留まる」「その日が来れば、エッサイの根は、全ての民の旗印として建てられ、国々はそれを求めて集う。」

BC6C、バビロンに捕囚とされていたユダの人たちに、預言者エゼキエルはイスラエルの牧者・メシアの到来を預言している。

「まことに、主なる神はこう言われる。見よ、私は自ら自分の群を探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群を探すように、私は自分の羊を探す」「私は彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させるわが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる」

パウロは礼拝の中でイスラエルの歴史の授業をしたのではないのです。聖書の中に記録されてきた預言者たちが伝えた神の約束の言葉、メシアの到来は現実のものとなったことを宣言したのです。「それはナザレのイエスだ」、と伝えました。

実は、パウロとバルナバが宣教の初めにしたことは、イエス・キリストが宣教の初めになさったことと同じでした。

ルカ福音書の4章に、主イエスの宣教の初めの様子が記されています。

「イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」とあります。主イエスは、故郷のナザレの会堂で、安息日にイザヤ書の巻物を読まれました。「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が油を注がれたからである」。そのイザヤ預言をお読みになると、「この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にした時、実現した」とおっしゃいました。 Continue reading

10月2日の説教要旨

使徒言行禄13:1~12

「魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、誰か手を引いてくれる人を探した。」(13:11)

大飢饉の中、サウロとバルナバはアンティオキア教会からエルサレム教会への援助の品を届けに来ました。彼らがそこで見たのは、エルサレム教会・キリスト者たちに対する迫害でした。ヘロデ・アグリッパが使徒ヤコブを殺し、ペトロも牢に入れ殺そうとしていたのです。

しかし主の天使がペトロを救い出し、ヘロデは神に栄光を帰さなかったことで撃ち倒されてしまいます。エルサレムではそのことで、「神の言葉がますます栄え広がっていった」とあります。

パウロとバルナバは、迫害を超えて働く聖霊の働きをエルサレムで見ました。そしてエルサレムからマルコと呼ばれるヨハネを連れてアンティオキア教会へと帰って行きました。

私たちはこれまで、使徒言行禄を読みながら、教会に対していろんな逆風があったことを見てきました。教会に対する迫害があり、使徒たちの殉教がありました。しかし、どんなに苦難があっても、試練があっても、聖霊の不思議な導きによって教会は道が拓かれていったのです。この世の力は福音の広がりを止めることはできませんでした。

使徒言行禄はこれから、サウロの宣教の姿に焦点を当てていくことになります。サウロはこれからパウロと呼ばれるようになり、ここから本格的に異邦人への福音宣教の旅を続けていきます。サウロは最後にはローマ帝国の中心地、ローマへと向かうことになりますが、今日私たちが読んだのは、その最初の一歩を踏み出した、という場面です。

福音宣教の旅を続けるパウロを、聖霊がどのように用いたのか、これから見ていきましょう。

ステファノの殉教をきっかけにエルサレムの教会に大迫害が起こり、キリスト者たちはエルサレムの外へと追い散らされました。キリスト者たちは、それぞれ逃げた先でキリストを伝えていき、キリストの福音はどんどんエルサレムの外へと広がっていくことになりました。やがて、エルサレムのはるか北にあってローマ帝国の東西を結ぶ国際都市アンティオキアにキリスト者の群れが出来ました。

アンティオキア教会はバルナバとサウロが中心となり、成長を遂げていきます。エルサレム教会がユダヤ人伝道の拠点となり、アンティオキア教会が異邦人伝道の拠点として、それぞれの役割を担っていくことになっていくことになります。

そのアンティオキア教会に聖霊を通して神の言葉が与えられました。礼拝と断食を続ける中に、「バルナバとサウロを私のために選び出しなさい。私が前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために」との言葉が聞こえます。

いよいよ、教会の迫害者だったサウロがキリストの証人として地の果てに至るまで旅を続けていくことになります。

使徒言行禄を読んでわかるのは、神はご自分のために人を召して、その人をご自分の計画のために行くべき場所を示される・・・聖霊は、福音を一か所には留めておかない、ということです。

アンティオキア教会は、ここに名前を記されているサウロとバルナバ、そしてシモン、ルキオ、マナエンを中心に、順調に成長を遂げていました。サウロとバルナバがいれば、アンティオキア教会はますます大きく成長していったはずです。

しかし、神は、二人が一か所に留まっていることをお許しにならなりませんでした。二人には向かうべき場所があったのです。聖霊は、「そこに留まる人」と、「次の場所へと向かう人」をそれぞれ召し出し、一人一人の信仰者に「次にいるべき場所」を示されます。

アンティオキア教会の人たちは「二人の上に手を置いて出発させた」とあります。聖書には短くそのように一言書かれているだけですが、アンティオキア教会の人たちにとっては大きな決断だったでしょう。

本当は、「二人にずっと自分たちの教会にいてほしい」、と思っていたはずです。私たちは、ここで二人を送り出したアンティオキア教会の人たちの信仰の決断を見逃してはならないと思います。主の働きのために、キリストの使徒を、福音宣教者を自分の教会から送り出す、とういうこと、それは、他の場所にいるキリスト者のために、またキリストの福音を待っている人たちのための信仰の業でした。

自分たちの教会が大きくなれば、人数が増えれば、財産が豊かになれば、私たち満足してしまいがちです。それを「教会の成長」と考えるからです。そして、自分たちだけのことを考え始めてしまいます。

しかし改めて、「教会の成長」とは何でしょうか。人数が増え、財産が豊かになることももちろん成長と言えるでしょう。しかし、「霊的な」成長というものもあるはずです。

福音を信じる人の群れをその場所で大きく豊かにしていく、ということに加えて、福音を、また次の場所へと届ける役割を担い、果たしていくこと・・・そのことも、イエス・キリストから託された使命です。

ヨハネ福音書の最後を見ると、復活なさったキリストがペトロをどのように召されたかが書かれています。

「私の羊を飼いなさい。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年を取ると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」

主イエスはそうおっしゃってから、ペトロに「私に従いなさい」とおっしゃったのです。

キリストに従う中で、信仰者は、「行きたい場所」ではなく、神がお示しになった「行くべき場所」へと導かれていきます。「ここにいてほしい」と思う人を別の場所に送り出さなければならないこともあるでしょう。その導きに従う中で、教会は、人間が考える計画を超えて、福音の広がりのために用いられていくのです。

アンティオキア教会は、サウロとバルナバという、教会の中心的な二人を送り出しました。神は、御自分の計画のために留まる人と、次の場所に向かう人をいつもお選びになります。これは今でもそうでしょう。

さて、信仰の決断によってアンティオキア教会から送り出されたバルナバとサウロは、ヨハネを助手として連れて行き、向かったのはキプロス島でした。このキプロス島はバルナバの故郷でした。

地中海全域にユダヤ人は離散して住んでいて、それぞれの場所で礼拝のための会堂を建て、聖書の言葉を朗読し、神の救いのご計画が実現するのを求め続けていました。バルナバ、サウロ、ヨハネの三人は、島の中にあったユダヤ人の諸会堂を巡り、イエス・キリストの十字架と復活を伝えて回りました。

しかし、そこにはバルイエスというユダヤ人の魔術師・偽預言者がいて二人の福音宣教の邪魔をしてきました。バルイエスは、ギリシャ名は「エリマ」と呼ばれていたようです。

キプロス島に駐在していたローマの地方総督のセルギウス・パウルスという人が、バルナバとサウロの二人を招いて神の言葉を聞こうとします。しかし、この偽預言者が地方総督をキリストの福音から遠ざけようと邪魔をしてくるのです。

神に召され導かれた先で使徒たちを待っていたのは、偽預言者との対決でした。キリストの使徒たちが福音宣教の旅に召される、ということは、偽預言者との闘いへと召される、ということでもある、ということでしょう。福音が語られるところでは、いつでも、預言者と偽預言者との対決があるのです。

預言者と偽預言者との闘いは、いつの時代もありました。エレミヤ書を見ると、預言者エレミヤと偽預言者ハナンヤとの対決が記録されています。偽預言者ハナンヤという人が、人々が聞いて喜び言葉を「神の言葉」として伝えていました。

しかしエレミヤは逆でした。人々が聞きたくないような神の言葉を語っていたのです。人々の罪、神の怒り、そして神への立ち返りを訴えていました。それは、神の御心から離れた人たちが「聞かなければならない」言葉でした。

預言者エレミヤは、邪魔をする偽預言者ハナンヤに言いました。

「あなたや私に先立つ昔の預言者たちは、多くの国、強大な王国に対して、戦争や災害や疫病を預言した。平和を預言する者は、その言葉が成就する時初めて、まことに主が遣わされた預言者であることがわかる」(28:9)

どちらの預言が成就したでしょうか。エレミヤでした。偽預言者ハナンヤは、間もなく死んでしまいました。

神の言葉を語ろうとする使徒たちの邪魔をした偽預言者バルイエスはどうなったでしょうか。彼はサウロからこう言われてしまいます。

「お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に降る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう」

サウロがそう言うと、その言葉通りになりました。これが偽預言者の末路でした。

このことは、エレミヤやサウロだけに起こったことではありません。キリストへの信仰をもって生きる私たち一人一人に起こっている現実です。

ただそこでキリストを信頼して静かに生活したいだけなのに、私たちの周りにはどれだけの雑音があるでしょうか。神を見えなくさせ、自分のことだけを考えさせようとする誘惑の言葉がいかに多いことでしょうか。我々信仰者にとって、誘惑ほど魅力的であり恐ろしいものはないのです。罪の力は必ず私たちの身を亡ぼすところへと導こうとします。 Continue reading

9月18日

使徒言行禄12章

「主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである」(12:23)

旧約聖書の「コヘレトの言葉」の中に、有名な言葉があります。

「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」

人間の知恵を超えた神の摂理・神のご計画を言い表した言葉です。

神が「時」を備え、人間の知らないところで全てを導かれていることがよく描かれているのが、創世記のヨセフ物語でしょう。

ヨセフは、12人の兄弟の中で、父親の愛情を一身に集めていました。そのことで、他の兄弟たちから疎まれ、ヨセフは最後には奴隷として売られてしまいます。売られた先でヨセフはエジプト王ファラオの夢の解き明かしをして、エジプトの宰相となりました。やがて、エジプトに飢饉が起こりますが、ヨセフに神から与えられた知恵によってエジプトは豊作の間に食料を貯蔵し、その飢饉を乗り切ることが出来ました。その飢饉の中で、ヨセフは、エジプトに食料を求めてやってきた兄弟たちと再会し、家族と和解して、共に生きるようになった、という話です。

ヨセフはその人生の中で、数多くの山と谷、喜びと苦しみを体験しましたが、最後にはエジプトの民が飢饉から救われ、自分の兄弟たちとも再会することができました。全ての山と谷・喜びと苦しみは、「神が備えられた時」へと向かう過程だったのです。

ヨセフは、自分を奴隷に売ろうとした兄弟たちにエジプトで再会した際、こう言いました。

「神が私をあなたたちより先におつかわしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」

「あなたがたは私に悪を企みましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」

私たちは聖書を読んでいて、「本当に神は働いていらっしゃるのだろうか」、と思える場面がいくつもあります。特に、神のために働いている預言者たちや、キリストの使徒たちが苦しむ姿を見ると、そう思うのではないでしょうか。

私たち自身も、神を信じているにも関わらず様々な苦難に直面する時、「神を信じているのになぜこんなに辛いことが起こるのだろうか、神を信じる意味とは何か」と考えてしまうでしょう。

しかし預言者やキリストの使徒たちは、直面する苦難にも関わらず、それでも神への信頼を捨てませんでした。そしてその信頼の先で何かを見せられたのです。「神は悪を善に変えて救いをもたらされた」というヨセフの言葉の意味を、私たちも日々の信仰生活の中で考えなければならないと思います。神が備えられた「時」ということについて、考えていきたいと思います。

今日私たちが読んだのは、イエス・キリストの使徒、ヤコブがヘロデによって殺されてしまった、という場面です。ヤコブを殺し、ペトロも殺そうとしてヘロデは、最後には神によって打たれ、死んでしまいます。

ヤコブは、元はガリラヤの漁師で、ヨハネの兄弟でした。ガリラヤで漁師をしていた時、イエス・キリストがそこを通り、「私に従いなさい」と召し出された人です。イエス・キリストの12弟子の中でも、主イエスと一番長く時を過ごした人です。

ここに出てくるヘロデは、イエス・キリストがお生まれになった時に殺そうとしたヘロデ大王の孫にあたる人で、ヘロデ・アグリッパという人でした。洗礼者ヨハネを殺したヘロデ・アンティパスの甥でもあります。暴君の血を引いていた人だ、と言っていいでしょう。

さて、ヘロデ・アグリッパは、なんのためにヤコブを殺したのでしょうか。ヤコブが殺されたのは、大飢饉が起こった時でした。食べ物が少なくなり、政治に対して、権力者に対して人々の不満が高まっていました。そういう時に、ヘロデはヤコブを殺し、そして次にペトロを見せしめにして殺そうとしていました。

ヘロデがキリストの使徒たちを殺そうとしたのは、人々の恨みをキリスト者に向けようとしたからでしょう。

「この飢饉は、キリスト者たちのおかしな信仰のせいだ。民衆に食べ物がいきわたらないのは自分のせいではない」ということを演出しようとしたのです。実際、ユダヤ人たちはヤコブが殺されたことを「喜んだ」、とあります。

先ほど、神は「時」を備えていらっしゃる、ということをお話ししました。それでは、ヤコブが殺された「時」とは何だったのでしょうか。ヤコブの命は、どのように神によって用いられたのでしょうkじゃ。

以前ヤコブは、自分の兄弟のヨハネと一緒に、イエス・キリストに「自分たちを特別扱いしてほしい」「他の10人よりも高い地位につけてください」と抜け駆けしたことがあります。

そのさい、キリストは「あなたがたは、何を望んでいるのか、自分で分かっていない」とおっしゃって、「私の杯を飲めるか」とお尋ねになりました。二人は何も考えずすぐに「飲めます」と答えました。

キリストがこの時おっしゃった「私の杯」とは「受難の杯」でした。主イエスは、弟子達全員に「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである」とおっしゃいます。

キリストに従う、ということは、そういうことでした。この世の栄達に与ることではなく、神の救い御業のためにキリストのように痛みを負っていく、ということです。神の救いのために、身代金として自分の命を捧げたイエス・キリスト、そのキリストに倣う、ということです。

ヤコブは、イエス・キリストがおっしゃった「受難の杯」をここで受けました。ヤコブの命は、神によって天に収穫されたのです。

ヘロデは、ヤコブの死をユダヤ人たちが喜んだのを見て、次にペトロを捕えました。それは、除酵祭の時期でした。除酵祭・過越祭の時期は、裁判や処刑は行われません。祭りの時期が終わったら、ペトロを殺そうとヘロデは考えていました。ユダヤ人たちをもっと喜ばせて、飢饉の不満のはけ口にするつもりだったのでしょう。

ペトロが捕らえられたことで、「教会は彼のために熱心な祈り」を神に捧げました。ここで、聖霊の救いが与えられます。牢で眠っていたペトロを天使が起こして、そこから逃がしたのです。ペトロは、ただ天使の声に従って歩いて行きました。

ペトロにとっては「現実のものとは思えない」、幻を見ているような体験でした。全てが、ペトロの意志に関係なく、「ひとりでに」救いの道が拓かれていった、というのです。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門もひとりでに開き、気が付いたら、主の天使によって、解放の道が拓かれていたのです。

私たちは使徒言行禄を通して、神の力がいつでも信仰者の祈りを通して働いてきたことを見てきました。実際の私たちの信仰生活でも、祈りを通して働く力、私たちの言葉では説明できない力を感じることがあると思います。そのことは、祈り続けている人であれば、知っているはずです。私達が今日読んだ場面のペトロほど劇的でなくても、「神は、あの時、ああいう仕方で私の祈りを聞いてくださった」ということが、信仰者それぞれにあるはずです。

教会には祈りがあります。祈りは、信仰者に与えられた一番の恵みです。神は、預言者を通して「私を求めよ。そして生きよ」とおっしゃいました。それは、神を信頼して祈って生きる、ということです。その先で、私たちはキリストのように、誰かを神の元へと招くために命を使うことが出来るのです。

ヤコブを殺し、ペトロも殺そうとした暴君ヘロデ・アグリッパはどうなったでしょうか。ヘロデは、ペトロを逃がしてしまった番兵を殺すよう命じました。そしてユダヤからカイサリアへと下って行きました。カイサリアの町の人たちに対して何かの不満があったようです。

カイサリアの人たちはヘロデから食料を受け取っていたので、ヘロデの機嫌を損ねるわけにはいきませんでした。ヘロデにへつらって彼を神のように扱いました。人々がヘロデを神のように崇めたとたん、主の天使はヘロデを打ち、ヘロデは死んでしまったのです。

このヘロデの死に方は、旧約聖書のダニエル書の内容とよく似ています。バビロンの王、ネブカドネツァルは大きな金の像を作り、それを拝むように人々に告げました。ネブカドネツァルは、王宮の屋上を散歩しながら、「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、この私が都として建て、私の権力の偉大さ、私の威光の尊さを示すものだ」と言います。すると天から声が響いて、「ネブカドネツァル王よ、お前に告げる。王国はお前を離れた」と言われてしまうのです。

自分の権力、栄光に酔いしれ、自分がまるで神であるかのようにふるまったネブカドネツァルは、神からすべてを取り去られてしまうのです。

聖書は、私たちに、人間がいかに誘惑に弱いか、そして誘惑がどれほど恐ろしいものか、時代を超えて教えようとしています。人間が神になろうとすることほど魅力的で、同時に危険なことはありません。神になろうとする者は、破滅するのです。神に打たれるのです。

旧約聖書の箴言に「主を畏れることは知恵の初め。無知なものは知恵をも諭しをも侮る」という言葉があります。

ヘロデの死に方を通して、教えられることではないでしょうか。神を畏れる、ということこそが、初めに私たちが知らなければならないことだ、というのです。それこそ、聖書が創世記で一番初めに伝えていることです。

「これを食べると神のようになれる」と蛇から言われたアダムとエバは、「食べてはいけない」と言われていた実を食べてしまいました。そのことで楽園を失います。神を畏れる、ということを忘れ、自分が神のようになれる、と思い込んだ人間の末路を、創世記は一番初めに教訓として私たちに教えてくれています。

聖書を読みながら、キリストを信じるがゆえに殺されたヤコブやステファノを見ると、恐ろしく思います。しかし、一人一人の殉教者たちは、天の国を仰ぎ見ながら、その命を神によって収穫されました。キリストは、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」とおっしゃいました。

ヨセフ物語でヨセフが言ったように、神は、人が犯す悪を善に変えてくださり、御自分の招きの御業を進めていかれます。神は、この世でキリストのために働く者を、人の知恵を超えて、人の思いを超えて用いてくださるのです。信頼して、信仰の苦難の中にあっても、神の御業を待ち望みましょう。

9月11日の説教要旨

使徒言行禄11:19~30

「弟子達はそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた」(11:29)

先週まで、ペトロとコルネリウスが神の導きの中で出会い、キリストを信じて神の言葉を求めたコルネリウスに聖霊が降った、という場面を見てきました。

その後、ペトロはエルサレムに戻ります。すると、エルサレムにいたキリスト者たちが、ペトロが割礼を受けていない異邦人を訪ねて、一緒に食事をした、ということを非難し始めました。

当時のユダヤ人にとって、外国人と交際することは律法で禁じられている、という理解がありました。「イスラエルの神を知らない異邦人と交際すると自分たちの信仰がけがれる」、という思いをもっていたのです。

ペトロ自身も、コルネリウスに会う前は、そう思っていました。しかし、ペトロは神が異邦人にも聖霊を注がれたのを見て、「神はユダヤ人だけをご自分の民として招かれている」という考えは間違っていることを知りました。

ペトロは、自分を非難するエルサレムの信仰者たちに、自分がどのようにカイサリアにいるローマの百人隊長コルネリウスのもとへと導かれたのかを語りました。そして言いました。「主イエス・キリストを信じるようになった私たちに与えてくださったのと同じような賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、私のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることが出来たでしょうか」

「その言葉を聞いて、人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を讃美した」、と書かれています。

ペトロはコルネリウスとの出会いを通して、「神は人を分け隔てなさらない。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられる」ということを学ばされました。

そして、そのペトロの証を通して、エルサレムのキリスト者たちも、神はユダヤ人であろうがユダヤ人でなかろうが、全ての人をお招きになっている、ということを学んだのです。

今日私達が読んだのは、エルサレムでユダヤ人キリスト者たちがそんなことを議論している間に起こったことでした。聖霊はエルサレムの外で大きな救いの業を進めていた。

「迫害を受けて散らされた人たちは、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行った」、とあります。ステファノの迫害をきっかけにエルサレムで迫害された信仰者たちは、追い散らされて、ユダヤから北の地域へと逃げていったようです。そしてその人たちは、逃げながらキリストのことを伝えていきました。

多くの人は、イエス・キリストの福音をその土地その土地のユダヤ人だけに伝えていたようです。しかし、一部の人たちは、エルサレムのずっと北にあるアンティオキアの町まで、ユダヤ人以外の、ギリシャ語を話す人たちにも福音を伝えました。

アンティオキアは当時の国際都市で、ローマ帝国の中で広く使われていたギリシャ語を話す国際人がたくさんいました。そのアンティオキアで、エルサレムから逃げてきた人たちからキリストの福音を聞いて、たくさんの人たちがイスラエルの神に立ち返っていきました。

私たちはここに福音の広まりの不思議を見ます。エルサレムのキリスト者たちが何か特別な宣教をした、というのではないのです。エルサレムでキリスト者たちが「異邦人にキリストの福音を伝えるべきかどうか」と議論していた間に、彼らの知らないところで福音は異邦人に広まっていたのです。

エルサレム教会が迫害を受け、それで散らされた人たちが、逃げながら「人々に語りかけ、福音を告げ知らせた」とありますが、ここでつかわれている「語り掛けた」というのは、「噂した・話題に上らせた」というような意味合いの言葉です。

異邦人にまで福音を伝えた人たちは、キリストを噂したのです。聖書の専門知識をもって解説していったのではありません。イエス・キリストに関して、そして自分たちが見た、キリストの使徒たちの業、聖霊によるしるしのことを、黙っていられなかったのです。

旧約聖書のエレミヤ書に、こういう言葉がある。

「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、私の心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃えあがります。押さえつけておこうとして私は疲れ果てました。私の負けです」

なぜ、イエス・キリストの福音が迫害を超えて広まったのでしょうか。なぜ福音が、エルサレムのユダヤ人からアンティオキアの異邦人にまで広まったのでしょうか。福音を広めていかれるのは、神ご自身だからです。

イザヤ書にこのような神の言葉が言われています。

「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種まく人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす。」

キリストの福音・神の招きを広めていらっしゃるのは、神ご自身です。エルサレムのキリスト者が頑張ったのでも、迫害から逃れた人たちが特別な宣教をしたのでもありません。

21節に「主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち返った者の数は多かった」とあります。人々が頑張って新しい信仰者をかき集めたのではありませんでした。主が信仰者たちの証の業を助けていかれたのです。それによって、キリストを信じる人たちが教会へと導かれていきました。

さてエルサレム教会に「アンティオキアでキリストを信じる人が増えている」という噂が届きました。彼らは驚いたでしょう。自分たちが「神は異邦人も招いていらっしゃるのかどうか」を議論している間に、はるか北の国際都市、アンティオキアでたくさんの異邦人がキリストを信じるようになっていた、というのです。

エルサレムの信仰者たちは、使徒の中からバルナバを選び、アンティオキアへと様子を見に行かせました。「バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた」とあります。

バルナバは、「慰めの子」という意味のニックネームです。その名前通り、彼はアンティオキア教会に励まし・慰めを与えました。

アンティオキアに派遣されたバルナバがしたもう一つのことは、教会を迫害し、その後キリスト者へと変わったサウロを招くことだった。サウロは、以前エルサレムでキリストの弟子達の仲間に加わろうとしましたが、皆が彼を信じないで恐れ、受け入れませんでした。教会の迫害者として有名だったサウロはエルサレム教会に受け入れられず、故郷のタルソスにいた。

バルナバはサウロの信仰を覚えていたのでしょう。彼を見つけ出し、アンティオキアへと招き、キリストの宣教を共にしました。「バルナバとサウロは、1年間、アンティオキア教会で一緒に教えた」、とあります。

二人の使徒たちが力を合わせて福音を伝える中で、教会にとって、大きな変化がありました。「このアンティオキアで、弟子達が初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」とあります。

「キリスト者」は、「キリストに属する者」という意味の言葉です。バルナバとサウロから教えを受け、洗礼を受けた人たちは、「バルナバの弟子・サウロの弟子」と呼ばれたのではありません。「キリストのもの」と呼ばれるようになったのだ。

このように、国際都市のアンティオキアでキリスト者が増えてきたことで、ユダヤ人と異邦人という区別は教会の中で薄まって来ました。人々は、キリスト者となってイエス・キリストに結び付くことで、「キリストの下で」一つとなっていったのです。

そのように、アンティオキア教会が順調に成長しているところに、エルサレムから「預言する人たち」がやって来ました。その預言者たちの中の一人、アガボという人が、「大飢饉が世界中で起こる」と預言しました。

ヨセフスというユダヤ人の歴史家は、紀元46~48年にかけて飢饉があった、と書いています。預言者アガボが言った通り、約二年にわたって、飢饉が実際に起こったようだ。

飢饉の中で、教会はどうしたでしょうか。聖書にはこう書かれている。

「弟子達はそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たち援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた」

アンティオキアの異邦人教会が、エルサレムのユダヤ人教会に援助を届けた、というのです。

エルサレムとアンティオキアという二つの、異なる人種が集っている教会が、キリストを求める信仰の中で、互いに支えあうようになきました。福音の広がりと共に、人間が作り出した壁が少しずつ無くなっていったことが分かります。

エルサレム教会とアンティオキア教会、ユダヤ人教会と異邦人教会が、一つのキリスト教会として助け合うようになっていきました。このことは、遡ってみると、信仰者同士の出会いの積み重って出来てきたことです。 Continue reading

9月4日の説教要旨

使徒言行禄10:34~48

「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました」(10:34)

ペトロとコルネリウスが、神によって出会わされた場面を読んでいます。この二人の出会いは、先週もお話ししたように、「ユダヤ人と異邦人の出会い」であり、「ガリラヤの漁師とローマの百人隊長の出会い」であり、当時では考えられないようなものでした。

それは、人間には作り出すことのできない、民族・社会的な地位を超えて「神が創造された出会い」と言っていいでしょう。

神はなぜこの二人を出会わせられたのでしょうか。一つの大きな真理を示されるためでした。それをここでペトロが言い表しています。

「神は人を分け隔てなさらないことが、よくわかりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」

このペトロの言葉を読むと、「神は人を分け隔てなさる」という思いがあった、ということがわかります。当時のユダヤ人たちは「イスラエルの神は、ユダヤ人だけをご自分の民とされた。ユダヤ人でない人たち・異邦人を受け入れられることはない。神は、ユダヤ人を他の民族とは区別して特別に思ってくださっている」という思いを持っていたようです。

実際に出会った二人の様子を見ていきたいと思います。

ペトロを迎えたコルネリウスは言いました。

「よくおいでくださいました。今、私たちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」

謙遜なコルネリウスの姿です。コルネリウスは、神の言葉を聞こうとして、今「神の前にいる」と言いました。実際彼は、ペトロの前にいます。

しかし、神の言葉を自分に伝えるペトロを前にするということは、コルネリウスにとっては「神を前にする」ということだったのです。

旧約聖書のイザヤ書に、へりくだる者への神の祝福の言葉があります。

「高く、崇められて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方がこう言われる。私は、高く、聖なるところに住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる」

まさに、コルネリウスは、「へりくだる霊の人」でした。ガリラヤの漁師であったペトロを迎えて、ローマの百人隊長であったコルネリウスがひざまずいたのです。当時の社会背景を考えると、コルネリウスの方が、はるかに強い身分にありました。ここに異邦人コルネリウスの信仰の姿勢が表れています。

コルネリウスは、自分よりも身分が低くても、相手が神の言葉を聞かせてくれる人であるならば、預言者を受け入れるように、キリストを迎え入れるように、ひざまずくのです。

そして、ペトロは、その「へりくだる霊の人」コルネリウスと、その家族や親せきの上に、聖霊が注がれるのを見ました。異邦人の上に聖霊が降るのを見たのです。

ペンテコステにはエルサレムでユダヤ人に聖霊が降りました。そして今、エルサレムの外で、異邦人の町カイサリアで、ローマ兵の上に聖霊が注がれるのを見ました。エルサレムだから、とか、ユダヤ人だから、とかいうペトロが自分で勝手に作り上げていた神の民の輪郭が今、崩されました。場所や民族を超えて、神はご自分を求める信仰者に聖霊を注がれるのです。

申命記で、モーセがイスラエルの民にこう言っています。

「あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく恐るべき神、人を偏り見ず、わいろを取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。」

その人が何人で、どれぐらい社会的な身分が高いのか、などということを神はご覧になっていないのです。人を偏り見ることなく、神はお招きになっているのです。

この出会いを通して、ペトロは、「異邦人と自分との間に壁を作っていた」、ということを見せられました。

ユダヤ人と異邦人との間の壁は、教会の中でも長い間存在しました。ユダヤ人と異邦人の間に、割礼を受けている人と受けていない人の間に、社会的な地位が高い人と低い人の間に、・・・教会の中でも、「私は誰々につく」というような派閥が生まれていきました。

律法の中で、「神は人を偏り見ることはない」と言われているにも関わらず、ペトロの時代のユダヤ人たちは、ユダヤ人たちは神から特別に見られていると思い込んでしまっていたのです。このユダヤ人の意識は、後々まで教会の中に問題を残しました。キリストの使徒たちには、そのような偏見との闘いもあったのです。

パウロも、手紙の中でペトロと同じことを言っています。

「神は、人を分け隔てなさいません」

「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」です。

なぜ、キリストの元に集まった人たち、教会の群れの中でそのような壁や溝が出来てしまうのでしょうか。人はなかなか「自分と自分以外の人」という思いを捨てきれないのです。

ルカ福音書の中に、「放蕩息子のたとえ」と呼ばれるたとえ話があります。家を出て放蕩の限りを尽くしてから帰って来た放蕩息子を父親が迎え入れ、その父の許しを理解できない兄が怒った、という内容のたとえ話です。

これは、実際にあった話ではなく、たとえ話です。イエス・キリストは、神がどれほど御自分の元から離れた罪びとを求めていらっしゃるか・戻って来た罪びとを喜ばれるか、ということを伝えていらっしゃいます。

しかし、普通に読むと、兄の主張の方が正しく思えるでしょう。

「なぜ弟を赦すのか」と、兄は父親を非難します。弟が家を捨てた時点で、兄と弟の間に壁が出来ました。

それは兄にとっては、なくすべきではない壁だった。

しかし、父は「弟が戻ってきたことを喜ぶべきではないか」とその壁を取り去ろうとした。

私たちがこの「弟」の方に自分の姿を重ねた時、このたとえ話を理解することが出来ます。許される価値のない罪びとを、神は愛し、許し、天の国へと招いてくださる、ということを。

このたとえの中で一番理解できないのは、放蕩息子が帰ってきたことをここまで喜ぶ父親の許しでしょう。なぜ許したのか。なぜ喜んだのか。なぜ怒らなかったのか。その許しが、あまりに深いので、私たちには理解できないのです。

「赦す」、ということには痛みが伴います。本当は、父親は怒って放蕩息子に「許さない」と言った方が楽だったはずです。息子が自分にしたことを全て許し家に受け入れる、ということは、怒りを全て自分が飲み込む、ということであり、それは痛みを伴うことでした。

イエス・キリストの十字架の痛みは、まさに、その許しの痛みでした。ご自分に向かって「イエスを十字架に上げろ」と叫ぶ人たちの代わりに、御自分が痛みを担われたのです。ご自分を侮辱する人たちを赦すために、主は十字架で苦み、死なれました。

「どうしてそんな人たちを赦すのですか」と、私たちは思うのではないでしょうか。しかし、キリストはおっしゃいます。「私の十字架、私の痛みによって、罪びとが私の元へと戻ってくる。それは喜びではないか」

私たちはどのようにして神との間にある壁を、また隣人との間にある壁を除くことが出来るのでしょうか。イエス・キリストを知ることだ。共にキリストの元に立つしかありません。 Continue reading

8月28日の説教要旨

使徒言行禄10:21~33

「今私たちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」(10:33)

使徒言行禄を読んでいると、教会は聖霊によって創造され、作られていった、ということがわかります。キリストの使徒たち、キリスト者たちが計画を立てて、「教会」と呼ばれるものを作っていったのではなく、聖霊がキリスト者たちに出会いを与え、人間には思いもよらない仕方で福音の広がりを創造していったのです。

預言書イザヤは、幻を見せられ、預言書の中でこう言っています。

「終わりの日に、主の神殿の山は、山々のかしらとして堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と」

イザヤは、平和が完成する「終わりの日」には、国々は「もはや戦うことを学ばない」と言います。

全ての民が、真の神に向かって一つになっていき、平和が完成に向かっていくこの歴史の中で、ペトロとコルネリウスの二人が出会わされました。それは終わりの日の平和の完成のための大切な一歩でした。

今日はキリストの使徒ペトロとローマの百人隊長コルネリウスが、聖霊の導きによって出会った、という場面を読みました。

コルネリウスはカイサリアの町で、ペトロはヤッファの町で、それぞれ神から幻を見せられます。コルネリウスは、「ヤッファに人を遣わしてペトロを招きなさい」と天使から告げられ、ペトロは「迎えに来た人たちと一緒に旅立ちなさい」と霊から告げられました。

先週も話しましたが、ペトロとコルネリウスの出会いは、当時の常識を踏まえると考えられないものでした。ユダヤ人と異邦人の出会いであり、ガリラヤの漁師とローマの百人隊長の出会いです。どう考えても、接点がないのです。

しかし、神は、この二人が出会い、イエス・キリストの下に信仰の友となることをお望みになりました。そしてこの出会いが、キリストの福音が異邦人へと広まっていくために、とても重要な意味を持つことになったのです。

今日私達が読んだ10章には、とても細かく、二人の出会いの様子が描かれています。

ヤッファにいたペトロにまず目を向けます。

コルネリウスが遣わした人が、ヤッファに着き、海岸にある革なめし職人シモンの家に来て、「ここにペトロという人が泊まっていますか」と尋ねました。

ペトロはたった今見せられたばかりの幻について考えていました。幻の中で、天から食べてはならない生き物が見せられ「こんなものは食べられない」と言うと、「神が清めた物を、あなたは清くないと言ってはならない」と言われたのです。

自分が考えてきた基準とは異なる、神の基準が示されたようでした。しかし、それが一体今の自分にとってどういう意味があるのか、と思案に暮れていたのです。

そこに、新たに霊の言葉が与えられました。

「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。私があの者たちをよこしたのだ」

これまでのペトロだったら、行かなかったのではないでしょうか。「外国人と交際したり、訪問したりすることは律法で禁じられている」、と信じていたのです。しかし、たった今、神から「神が清めたものを汚れていると、あなたは言ってはならない」と幻で言われたばかりでした。そして神ご自身が霊を通して「コルネリウスに会いに行きなさい」とおっしゃったのです。

ペトロは下に行って、コルネリウスの使者に会いました。そして、ローマの百人隊長コルネリウスがペトロを招くに至った次第を聞き、カイサリアに行ってコルネリウスに会うことを決断しました。

この使徒言行禄10章を読んで不思議なのは、この時、自分たちに今何が起こっているのか誰もわかっていない、ということです。コルネリウスは神が自分におっしゃったことに従い、ペトロを招いきました。ペトロは神がおっしゃったため、コルネリウスの使者と共にカイサリアへと旅立ちました。

しかし、コルネリウスも、ペトロも、なぜ自分が相手に会わなければならないか、告げられていなません。ただ、天使から、霊から「相手を招きなさい」「相手に会いに行きなさい」と言われただけです。何のために、相手に会うのか、会ったらどうなるのか、知らされないまま、二人はお互いに会おうとしています。

コルネリウスも、コルネリウスの使者も、ペトロも、ペトロと一緒に旅立ったヤッファのキリスト者たちも、誰も、次に何が起こるのかわかっていません。それでもただ、神がそうおっしゃったので、その言葉にそれぞれが従っていったのです。

ルカ福音書の5章に、こういう場面があります。

主イエスが、漁師であったペトロに、「沖に漕ぎだして網を下ろし、漁をしなさい」とおっしゃいました。ペトロは、「先生、私達は夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と答えました。経験を積んだ漁師ペトロが一晩中漁をしたのに、魚はかからなかったのです。体だけでなく、心も疲れていたでしょう。

しかし、ペトロは続けてこう言います。

「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」

すると、網が破れそうになるほどの魚がかかりました。そこでペトロは、このイエスという方に、自分の経験や知識に勝るものを見出しました。自分の考え方、基準に勝るものを見たのです。

ペトロは舟が沈みそうになるほどの魚を見て、主イエスの前にひれ伏した。

「主よ、私から離れてください。私は罪深い者なのです」

私たちは信仰の不思議を見ます。信仰というのは、不思議なものなのです。自分の期待通りになるとか、自分の将来が全部見えるようになるとか、そんなことではありません。祈りの中で、神の不思議が見せられる、ということです。神を信じたら必ずこうなる、などと言えることは一つもありません。

ペトロにしても、コルネリウスにしても、神の言葉は自分にそう告げている・・・「お言葉ですから」・・・彼らの信仰はそれでした。私たちの信仰も、このような従いではないか。

神がこうお求めになっているから・聖書は神の御心をこのように伝えているから、私たちはその言葉に信頼して自分をゆだねるのです。先に何があるか分からない、しかし、聖霊の導きに信頼して、自分の計画ではなく神のご計画を、その先で見せられるのです。

旧約聖書の士師記にマノアという人が出てきます。サムソンの父親です。子供が生まれなかったマノアの妻に、神は「あなたは身ごもって男の子を産む」と告げられました。

マノアは、主のみ使いに尋ねました。「お名前はなんとおっしゃいますか」主のみ使いは、「なぜ私の名を訪ねるのか。それは不思議と言う」と答えました。

マノアは、「主、不思議なことをなさる方」に捧げものをした、と記されています。私たちにとって神は、「不思議なことをなさる方」なのです。

ペトロとコルネリウスの出会いも不思議だ。

コルネリウスも、ペトロも、昨日まで全く知らなかった者同士でした。

ここにいる私たちも、そうでしょう。同じ教会で礼拝を守り、同じみ言葉を聞いているのは、私たちが「こうしよう」と相談したからではありません。神が、この礼拝をおつくりになり、この礼拝の中に私たちを招き入れ、今この出会いが与えられているのです。

これからも神がお望みになるのであれば、この礼拝は続いていくでしょう。来週も、再来週も、ここに礼拝が創造されるでしょう。私たちは信仰を通して、神がなさる「不思議」を見せられているのです。 Continue reading

8月21日の説教要旨

使徒言行禄9:43~10:20

「『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』」(10:15)

使徒言行禄は、いろんな人に焦点を当て、それぞれの人がどのようにイエス・キリストの福音を伝えて行ったのか、ということを記録しています。復活のキリストに出会った弟子達、弟子達と一緒に祈った人たち、弟子達が伝えたキリストの十字架と復活を知って教会に加わった人たち・・・ペトロ、ステファノ、パウロ、フィリポなど、いろんな人がいろんな場所でイエス・キリストの復活を証言していきました。

使徒言行禄を読んでわかるのは、一人一人の使徒たちが綿密に福音宣教の計画を立て、その計画が実現していったのではない、ということです。使徒たちや、時には教会の迫害者、また迫害によってエルサレムから追い散らされたキリスト者たちに不思議な出会いが与えられ、イエス・キリストの復活を信じる人が増えていったことが記されている。

私達は、福音の広がりは大きな聖霊の力によって導かれていた、ということを知るのです。

今日私たちが読んだのも、そのことがわかる場面です。

神の導きによって、ガリラヤの漁師であったユダヤ人ペトロと、ローマの百人隊長コルネリウスが出会わされることになるのです。この二人が出会うということは、普通では考えられないことでした。

この後、ペトロ自身が言っていますが、「ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられている」、と考えられていたのです。ユダヤ人が、イスラエルの神を知らない異邦人と接触すると、自分たちの信仰が悪い影響を受けてしまう、と思っていたようです。

しかし、これからペトロは神に導かれてコルネリウスに会うことになります。そして、コルネリウスをはじめとする異邦人の上に聖霊が降るのを見ます。ペトロは、「神は、人を分け隔てなさらない」ということを見せられることになるのです。

ペトロとコルネリウスの出会いは、後のキリスト教会にとってとても重要な意味を持つことになりました。神は、ユダヤ人だけでなく、異邦人も、つまり、この世界の全ての人をご自分の元へと集めようとなさっていることが教会に示されたのです。

二人がどのように出会ったのか、見て行きましょう。

ペトロはエルサレムを出て方々を巡り、リダ、ヤッファと導かれて来ました。彼は、「ヤッファの革なめし職人の家に滞在していた」、とあります。方々を歩き廻って来たペトロでしたが、今はヤッファに留まって、神が自分に次の場所を示してくださるのを待っていました。

革なめし職人の家は、どうしても臭いを出してしまうので、普通は町はずれに建てられます。ヤッファは港町だったので、皮なめし職人の家は海岸にありました。

今、ペトロは、地中海にいます。ガリラヤの漁師だったペトロは、キリストから「あなたを人間をとる漁師にしよう」と言われて弟子になりました。ガリラヤ湖で漁師をしていたペトロが、今、人間をとる漁師へと変えられ、地中海へとやってきました。

小さなガリラヤ湖から、大きな地中海へ・・・ペトロを通して、キリストの福音が新しく広い世界へと広がっていこうとしていることを暗示しています。

ペトロがヤッファに滞在していた時、海沿いのずっと北にあるカイサリアにローマの百人隊長コルネリウスがいました。カイサリアは、ユダヤ地方を治めるローマの総督が普段いる町なので、ローマの軍隊も駐屯していました。カイサリアは貿易港でもあり、いろんな国の人がいた町です。

そのような街にあって、コルネリウスは、「信仰あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」ような人でした。「神を畏れていた人」というのは、イスラエルの神を畏れ、信じていた人、ということです。コルネリウスのは一家そろって、ローマ人でありながら、ユダヤ人たちが信じているイスラエルの神を信じ、信仰者たちを援助していました。

彼は、毎日午後3時に祈っていました。その祈りの中で、コルネリウスは神から幻を見せられます。主の天使が自分の目の前に立って、「ヤッファにいるペトロを招きなさい」と言うのです。コルネリウスこの幻を信仰をもって受け止め、疑うことなく、会ったこともない、顔も知らない、そして本当にそこに居るかどうかわからないペトロという人の元へと自分の部下をヤッファに送りました。

ペトロは、もちろん、遠く離れたカイサリアで、ローマの百人隊長が自分を求めているなどということは知りません。ペトロはただ、ヤッファにいて、次に自分が示される神の導きを待っていただけです。

イエス・キリストは、弟子達にこうおっしゃったことがあります。

「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる」

蒔かれた種が、農夫・人間の知らないところで、土の中で、夜も昼も成長していく様子を、神の国の成長、福音の広がりになぞらえていらっしゃいます。

私たちは、「種を蒔けば芽が出て実がなる」、などということは当たり前すぎて普段はあまり考えないのではないでしょうか。しかし、こんなに不思議なことはないのです。なぜあの小さな種から、土と水によって我々人間の命を、生活を支えるほどの実がなるのでしょうか。そこには人間の力を超えた自然の営みが、神の創造の御業があります。

私たち、神の国がどのように実現していくかわかりません。種を土に蒔いたら芽が出て多くの実を結ぶ、ということが神秘であるように、福音がなぜ広がるのか、なぜ人がキリストを信じるようになるのか、私達には説明できないのです。

聖書は教会のことを、「神の畑」と言っています。福音の種がまかれ、それが神の御業によって、人間には見えない仕方で成長していくのです。

この時のペトロを見ればわかります。自分にまさか起こるはずがない、というようなことが、自分の知らないところで進んでいました。ローマの百人隊長が、ガリラヤの漁師である自分を招こうとしていたのです。

次は、ペトロの番でした。昼の12時ごろに屋上で祈っていたペトロは空腹を覚えました。ペトロにも幻が見せられました。聖書で「食べてはいけない」、と言われている生き物が入った入れ物が天から降りてきたのです。

幻の中でペトロは天からの声を聞きました。

「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」

しかしペトロは「主よ、私は汚れたものは食べません」と答えます。

それに対して神は「神が清めたものを、清くないなどと、あなたは言ってはならない」とおっしゃいました。

ペトロは、幻の中で三度、このやり取りを繰り返しました。

ペトロは思案に暮れた。

「今見た幻は一体何だろうか」

神は、「神が清めた物を、清くないなどと、『あなたは』言ってはならない」とおっしゃっいました。「人間であるあなたが決めることではない、神である私が決めることだ」ということでしょう。

ペトロが、幻の意味を考えているところに、コルネリウスからの使者が到着しました。先ほども言ったように、ペトロにとって、異邦人と会うことは「けがれる」ことでした。それに、自分を迫害しに来た兵士かもしれません。本当は会いたくなかったでしょう。

しかし、そのペトロに聖霊が告げました。「ためらわないで一緒に出発しなさい。私があの者たちをよこしたのだ」

祈りの中で見せられた幻がなかったら、ペトロはコルネリウスからの三人の使者に会わなかったのではないでしょうか。それが神から与えられた出会い・導きだとはわからなかったでしょう。

私たちは今日、神が、二人が出会うように導かれた、という場面を見ました。ローマの百人隊長であったコルネリウスと、ガリラヤの漁師でありキリストの使徒であったペトロ、二人それぞれに神が幻をお見せになり、出会いを準備されました。

コルネリウスとペトロに共通しているのは、祈りの中で神の導きが示された、ということです。神の導きは、信仰者の祈りの中で見せられるのです。 Continue reading

8月14日の説教要旨

使徒言行禄9:31~43

「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」(9:34)

先週まで、私達は、サウロという教会の迫害者がキリストの使徒とされた、という場面を読みました。今日読んだところでは、聖書はまたキリストの一番弟子であるペトロの働きへと目を向けています。

使徒言行禄には、教会がどのように始まり、成長していったのか、ということが記録されています。

復活なさったイエス・キリストは、「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」と、弟子達におっしゃいました。イエス・キリストの復活と昇天を見た弟子達、信仰者たちは、その言葉を信じて祈り続け、その祈りの群れの上に、ペンテコステの日に聖霊が注がれ、キリスト者の群れ・教会が作られました。

人々は使徒たちのキリスト証言を聞いて驚き、自分たちがメシアを十字架で殺したということを知り、罪を悔い改めて洗礼を受け、教会の群へと加わり、教会はとても大きな群れに成長しました。しかし、すぐに、エルサレムにいたキリスト者たちは、迫害され、エルサレムの都から追い散らされることになります。

エルサレムからキリスト者がいなくなってしまった・・・普通ならそこで福音宣教は終わるはずです。教会は、いいところまで成長したが、結局、バラバラに解体されてしまった、ということで終わるでしょう。

しかし、使徒言行禄は、迫害を超えて働く聖霊の導きを記録しています。迫害さえ用いて、聖霊の働きは続くのです。エルサレムから追い散らされたキリスト者たちは、自分が逃げた先で、キリストを証ししていきました。皆、イエス・キリストの出来事を黙ってはいられなかったのです。

キリストの使徒、フィリポはサマリアに行き、そこでキリスト者の群れを作りました。その後、エチオピア人の高官に、ナザレのイエスこそ、イザヤ書で預言されている苦難の僕、受難のメシアであることを伝えました。

キリスト者を迫害したサウロは聖霊に導かれ、キリスト者へと変えられた。

預言者イザヤはこう言っています。

「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道は、あなたたちの道を、私の思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。」

聖書に記録されている教会の成長は、まさにイザヤが預言している通り、人間の思いを超えています。エルサレムの教会が迫害され、無くなってしまったことで、逆に福音が広がるなどと、誰が予想したでしょうか。教会を迫害する人が、たった三日で教会のために働き、教会と共に迫害を受けるようになるなど、誰が考えたでしょうか。

イエス・キリストがおっしゃったように、ユダヤ、サマリアだけでなく、まさに「地の果て」まで、使徒たちは聖霊の不思議な導きによってキリストの証人として遣わされていくのです。

使徒言行禄は、使徒たちが考えた宣教計画が次々に成功した、ということが書かれているのではありません。使徒たちが、自分たちが「あそこに行こう、あの人に会おう」と自分たちで計画を立てて、福音を広めた、ということではないのです。使徒たちが聖霊に導かれ、自分の力を超えた神の計画が実現していく様を見せられていったということが記録されているのです。行く場所も、会うべき人も、使徒たちは全て聖霊から示された・与えられた、という記録なのです。

サマリアで宣教し、エチオピア人にキリストを伝えたフィリポにしても、教会を迫害したサウロに会いに行くよう導かれたアナニアにしても、リダやヤッファへと導かれたペトロにしても、実は、誰一人、自分が行こうと思っていた場所に行った人はいません。

使徒たちが、教会が、キリスト者が持っているイエス・キリストの名前が、迫害から逃げるキリスト者と共に広まっていった、ということに、私たちは神のご計画の深さを見ます。そしてその聖霊の導きが、私たちの思いを高く超えた神のご計画の中で今も教会に働いている、ということを覚えたいのです。

使徒言行禄の使徒たちの姿、教会に与えられる救いの御業を通して、自分たちを導く聖霊の力を見ていきましょう。

さて、今日私たちが見たのは、ペトロです。

ペトロはエルサレムの外に出て行き、地中海の沿岸地域へと歩いていき、キリスト者の共同体の中で癒しと復活の業を行っていました。

方々をめぐり歩き、リダという町にいたキリスト者たちのところに行きます。そこで癒しを行い、アイネアという寝たきりの女性を立ち上がらせました。それを見聞きしたリダとシャロンに住む人たちは「主に立ち返った」、とあります。

更に、ヤッファの町のキリスト者が、リダにペトロがいることを聞いて、人を送り「急いで私たちのところへ来てください」と頼みました。これは、「ためらわずに私たちのところに来てください」という言葉です。

実際のところ、ペトロには、ヤッファに行くことにはためらいがあっただろう。ペトロは、もともとは、ガリラヤの漁師でした。ユダヤ地方の北にサマリア地方があり、ガリラヤ地方は、更にその北です。

ヤッファは、ユダヤの中心のエルサレムから西へ行ったところにある海沿いの町だ。もうここまで行くと、はるか北のガリラヤ湖で漁師をしていたペトロにとっては、未知の地域です。

今日私たちが読んだところに出てくるリダ、シャロン、ヤッファという地名は、いろいろな意味において、「端っこ」にある町々でした。

リダは、ユダヤの丘陵地の一番端にある町です。

シャロンはヤッファとカイサリアの間にある森林地域。

そしてヤッファは地中海沿岸の港町、つまり、陸の端っこでした。

ペトロにしてみれば、ガリラヤで漁師をしていた自分が、まさかを訪れることになるなどとは思ってもみなかったような町々なのです。ヤッファはユダヤ地方でありながら、ギリシャ・ローマ世界の影響が色濃く、ギリシャ人が多く住んでいたので、外国に来たような感じを覚えたでしょう。

なぜペトロはそんな町々に赴いたのか・・・ペトロが綿密に計画を立てて行ったことではありません。ペトロは次々と行く場所が示され、そこでなすべき業が示されていったのです。目に見えない導きによって、自分の意に反して、どんどん見知らぬ場所へと運ばれていったのです。

そしてそのことによって、イエス・キリストのお名前が、ペトロの思ってもみなかった仕方で広まっていったのです。

ペトロは自分の足で方々を歩き、イエス・キリストのお名前を伝えました。ペトロがしたことは、イエス・キリストご自身がなさったことでした。神の国を求める人のところに、神の国を届ける、キリストを求める人のところに、キリストの名を届ける、という宣教の旅です。

ペトロは、リダの町でアイネアを癒す際、こう言っています。

「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる。起きなさい」

「私が癒してあげよう」と言ったのではありません。

「イエス・キリストが癒してくださる」と言ったのです。

ペトロはただ、イエス・キリストのお名前をそこへと運んだだけでした。アイネアはペトロが口にした「イエス・キリスト」というお名前によって癒され、人々は、そこにキリストの臨在を見ました。人々はその業の中にイエス・キリストを見て、ペトロが告げる福音は真実だと知って、神へと立ち返ったのです。

イエス・キリストは、ガリラヤで弟子達を宣教へとお遣わしになったことがあります。その際、弟子達に。悪霊に打ち勝ち、病気を癒す力と権能をお授けになって、あとは、「何も持たずに行け」とおっしゃいました。

ペトロは今、あのガリラヤ宣教と同じことをしています。ペトロは何も持っていないのです。持っていたのは、キリストのお名前だけでした。

ペトロが癒しを通して示したのは、「キリストがあなたのところに今来られている」「キリストはあなたを求めていらっしゃる」ということでした。キリスト者がキリストのお名前を大切に抱いてその場に生きる、ということがどれだけ大きな意味をもっているか、私たちは学ぶことが出来るのではないでしょうか。 Continue reading

8月7日の説教要旨

使徒言行禄9:19~31

「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた」(9:26)

誰よりも熱心に教会を迫害したサウロは、復活のイエス・キリストによって目を見えなくされました。その三日後、神に遣わされたアナニアから「あなたの目が見るようになるように、あなたが聖霊で満たされるように」と言われると、サウロの目は見えるようになりました。サウロは、ナザレのイエスがキリストであること、そして、キリストは本当に復活なさった、ということを知り、身を起こして洗礼を受け、自分もキリスト者となりました。

私たちはこれから、イエス・キリストを信じ、キリスト者となったサウロがどのように変わったのか、使徒言行禄を通して見ていくことになります。彼はすぐにあちこちの会堂で「イエスこそ神の子である」と宣べ伝え始めました。自分がやってきたことを恥じて、誰にも知られず身を隠した、というのではありません。三日前まで、「イエスは神の子だ、イエスはキリストだ」と言う人たちを迫害していた人が、キリスト者と同じことを言い始めたのです。

このサウロの変わり身を見て、彼を知っている人たちは当然皆驚きました。サウロがエルサレムからダマスコにやって来たのは、キリスト者迫害のためでした。その迫害者が、たった三日間で、迫害する側から迫害される側に身を置いたのです。

サウロは、ユダヤ人からも、キリスト者たちからも驚かれ、そして不信感を抱かれました。キリスト者を迫害していたユダヤ人たちからすれば、サウロは裏切り者です。

結局、以前は仲間だったユダヤ人たちから殺意を抱かれるようになってしまいました。サウロは、自分の弟子達に助けられて、夜の間にかごに載せられて町の城壁伝いにつり下ろされ難を逃れました。

サウロは、後に自分の手紙の中でもこの時のことを書いています。

「ダマスコでアレタ王の代官が、私を捕えようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていた時、私は、窓からかごで城壁づたいに下ろされて、彼の手を逃れたのでした」

教会を迫害する者が、教会と共に迫害される者へと変わり、夜、町から命からがら逃げるようなことになっても、イエス・キリストへの信仰を捨てませんでした。私たちは、このサウロに起こった変化を通して、イエス・キリストの復活という事実が、これほど人を変える力をもっている、ということを知ります。

私達も今、キリストの復活を信じて、この礼拝の中に身を置いています。サウロのように、劇的ではないかもしれませんが、私達は、どこかで復活のキリストと出会い、確信し、そして今、礼拝を捧げる者として生きるようにされて、今があります。

私たちは、人々を驚かせたこのサウロの変化を通して、キリストとの出会い・キリスト信仰がどれほど人を変えることになるのか、また人の人生にどれほど意味をもたらすものとなるのかを見ていきたいと思います。

サウロは、後にガラテヤの信徒の手紙の中で、キリストに出会う前の自分について、こう書いています。

「あなたがたは、私がかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。私は、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年頃の多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。」

サウロは、以前の自分のことを「熱心」だった、と言っています。神が望まれることをしよう、という熱心さを「誰よりも強く持っている」、という自負をもっていました。それは神に反している人たちを迫害し、滅ぼそうというほどの熱心さでした。

しかし、サウロは、復活のイエス・キリストと出会い、以前自分が持っていた「熱心さ」が誤ったものであることを知ります。彼は、自分を誇ることに熱心でした。

サウロは、以前の自分のことを「イスラエルの中のイスラエル、ヘブライ人の中のヘブライ人であり、律法に関しては非の打ちどころのない者だった」、と手紙の中で書いています。しかし、復活のキリストに出会い、「キリストを知るあまりのすばらしさに、自分を誇ることをやめた」、と言うのです。

サウロは、キリストに出会ってから、自分を誇ることをやめ、キリストを自分の誇りとするようになりました。キリストとの出会いは、そのように人を変えていくのです。

旧約聖書の創世記に、ヤコブという人が出てきます。

兄のエサウから長子の権利を奪い、更に、エサウが受けるはずだった祝福までだまし取った人です。兄エサウの怒りをかったヤコブは逃げました。

別の土地に逃げたヤコブは、妻を娶り、やがてエサウのいる故郷に帰ることになります。ヤコブは兄の怒りを恐れていたので、隊列の一番後ろから進みました。自分の身を守ろうと一番安全だと思われるところにいたのです。

いよいよ明日エサウに再会する、という日の夜、ヤコブの前に神が現れました。そしてヤコブは神と一晩中格闘しました。

二人は朝まで戦い、神はヤコブに「もう放してくれ」とおっしゃいます。しかし、ヤコブは、「私を祝福してくださるまでは放しません」と言いました。神はその場でヤコブを祝福され、「あなたは神と戦った。これからはイスラエルと名乗りなさい」と言われます。

イスラエルとなったヤコブは、変わりました。翌日、群れの一番後ろにいた彼は、先頭に立って、エサウの前に進み出たのです。ヤコブは兄エサウとの再会を果たし、兄弟は和解しました。ここからイスラエルという神の民が始まっていくことになります。

このヤコブの物語は、実は信仰者一人一人の物語なのです。「イスラエル」という言葉には、「神と戦う者」という意味があります。ヤコブは神と戦ってイスラエルとなりました。群れの一番後ろにいたヤコブは、イスラエルとなって群れの先頭に立ちました。

サウロも、イエス・キリストと戦って、キリスト者となり、教会を迫害する者から、教会のために戦う者となりました。

信仰者は、ヤコブやサウロが変えられた姿をして、神との出会い・キリストとの出会いを通して変えられた自分を顧みることが出来るのではないでしょうか。私たちも、聖書を読んだり、神に向かって祈ったりする中で、信仰の戦いがあったでしょう。「ここに書かれていることは本当だろうか。キリストを信じようとしても自分にはいいことなど起こらないではないか」と、誰もが思ったことがあるでしょう。

しかし、それでも、私たちは聖書の言葉を求め続けます。ヤコブが神と格闘したように、私たちも祈りを通して、キリストと戦うのです。「主よなぜですか」、「キリストは本当に共にいてくださるのですか」、そう言ってぶつかっていきます。それでいいのです。

サウロは、目が見えなくなった三日間、自分のそれまでの間違った熱心さを振り返り、また自分に語り掛けてきたナザレのイエスとの内なる対話を続けたでしょう。罪なる自分との決別のため、また新しくキリスト者として生きるため、誰でももがく時間が必要なのです。そして、キリストに身をゆだねた時、キリストが自分を片時も見放さず導いてくださっていたことを知るのです。

サウロは、ユダヤ人たちからも、キリスト者たちからも、不信に思われました。そのサウロを、エルサレムの教会へと仲介した人がいました。バルナバという人です。

聖書には、こう書かれている。

「バルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語り掛けられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。」

しかし、エルサレムのキリスト者たちは、誰もサウロを受け入れようとしませんでした。あれだけ教会を迫害したサウロなのだから、キリスト者になったふりをして、自分たちをそうやって騙そうとしているのではないか、と疑っていたのかもしれません。

「しかし」バルナバはサウロを信じました。彼をエルサレム教会へと連れて行き、サウロがイエス・キリストと出会い、どのように変わったのかを伝え、執成しました。

サウロが後に記した手紙と合わせて考えると、バルナバは、サウロがキリストに召されてから17年後に、サウロを迎えに行き、エルサレムに連れて行った、と推測できる。サウロは17年間、一人でキリストを伝え続けていたということだ。そしてバルナバは、サウロのことを17年間、覚えていたということです。

私達は、このバルナバがしたことの意味に目を向けたいと思います。もし、バルナバがサウロを信じなかったとしたら、また、サウロという人を忘れてしまったとしたら、どうだっただろうか。

後のパウロの福音宣教はなかったでしょう。キリストの福音がエルサレム周辺から、アジア大陸からヨーロッパ大陸へと渡り、あんなに短期間に広まっていくことはなかっただろう。

このバルナバとサウロのことを考える時、私達は自分がキリスト者になった時のことを思い返すことが出来ます。必ず、自分を聖書へと、教会へと導いた誰かがいたはず、もしくは、何かがあったはずです。

自分一人で聖書を手に取るところから、その自分を教会へと執り成し、そして時間をかけてイエス・キリストの名による洗礼へと導いた存在があったはずです。牧師だったかもしれない、キリスト者の友人だったかもしれない、家族だったかもしれない、何かの本を読んで、ということだったかもしれない・・・とにかく、教会と自分を結び付けてくれた、キリストと自分を結び付けてくれた仲介者がいたはずです。

それは決して偶然ではないのです。自分が教会へとキリストへと向かう道の上に、神が仲介者を、導き手を備えてくださっていたのです。 Continue reading

7月31日の説教要旨

使徒言行禄9:10~19

「『わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう』」(9:16)

ある人は、「キリスト者の使命は神がなさろうとすることをしっかりと見ることだ」と言っています。私達は自分の信仰生活を省みる時に、自分を見ようとします。「自分に何ができるか、どれだけのことができるか」ということを考えたりするのではないでしょうか。

しかし、使徒言行禄を通して示されているのは、「神が何をなさろうとしているのか」、ということです。そして私たちの信仰は、その神の御業をしっかりと見ようとすることなのだ、と言うのです。

使徒言行禄を読みながら、私たちは予想を裏切られる展開を見せられているのではないでしょうか。

キリストの使徒にとても相応しいとは思えない人たちに聖霊が注がれて教会が作られました。

一度はキリストを見捨てた人たちがエルサレム神殿に言って堂々とキリストを証ししたりするようになりました。

「イエスを十字架に上げろ」と叫んだ人たちが使徒たちの証しを聞いて、何千人も洗礼を受け、キリストの招きに応じました。

迫害を受けたキリスト者たちはエルサレムの外へと追い散らされ、そこで教会が終わるかと思うと、キリスト者たちは、それぞれが逃げていった場所で、キリストを証しして、福音はむしろ広まっていきました。

サマリアの人たちやエチオピア人の高官といった、ユダヤ人以外の人たちにもキリストの福音が告げられ、福音は広まっていきました。

聖書を見ると、信仰者たちは、いつも神の御業に驚いています。イエス・キリストは弟子達にこうおっしゃったことがある。

「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」

神は私たち信仰者が望むよりも前に、本当に必要なものをご存じです。そして私たちが求めるよりも先に、私たちの予想を超えた仕方で備えてくださっています。私たちは使徒言行禄を通してそのことを見せられる。

私たちも、このキリストの言葉が真理であることを、自分たちの信仰生活の中で何度も見せられます。私たちは祈りを通して、自分が欲しいものではなく、神が私に必要である、と思われたものをいただいているのです。

教会の迫害者、サウロの姿を見ましょう。サウロは、キリスト者をもっと迫害しようとしてダマスコへと向かっていました。その道の途中で復活のイエス・キリストに声を掛けられ、目を見えなくされてしまいます。目が見えなくなったサウロは人々に手を取ってもらい、ダマスコの家の中に入り、三日間食べも飲みもしませんでした。

サウロはこの後、キリストの使徒パウロとなり、アジアからヨーロッパへと渡りキリストを証しする旅を続けることになる。

サウロが使徒とされるために、三日間、目が見えなくされ、飲み食いすらできない時間が与えられました。このことには大きな意味があった。

復活の主は、すぐにでもサウロを使徒とすることが出来たはずです。しかし、キリストはサウロにこの三日間をお与えになりました。サウロにとってこの三日間というのは、何もできなかった、何も見えなかった「無駄な」「無意味な」三日間ではありませんでした。

サウロにとってこの三日間は闇の中で救いを待つ時間でした。目を見せなくされたことによって、神の言葉に聞くことを学ぶ時となったのです。サウロは、神を待つ時間を与えられました。

サウロは後に、伝道の同労者であったテモテへの手紙の中で、こう振り返っているます。

「私を強くしてくださった、私たちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、私を忠実な者とみなして務めにつかせてくださったからです。以前、私は神を冒涜する者、迫害する者、暴力をふるう者でした。しかし、信じていない時知らずに行ったことなので、憐みを受けました。」

サウロを通して、自分自身のことを振り返ると、私たちもそれぞれ、このような時間を過ごしたことがあるのではないでしょうか。自分が正しいと思っていた道がいきなり見えなくなり、どこからか救いがもたらされるのを待たなければならない中へと放り込まれる時です。前に進むことが出来なくて、ただ、神に答えを求め続けた時間、神を待つ時間を過ごしたことはないでしょうか。その時は「停滞」のように思えたかもしれません。しかしあとで振り返ると、それは神に聞くことを学ぶ時間であった、ということがわかるのです。

サウロにとってのこの三日間の意味、そしてなぜなぜ神がサウロをキリストの使徒としてお選びになったのか、サウロを迎えに行くアナニアに、神ご自身の言葉で語られています。

「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」

この時サウロ本人が聞いたら驚くような言葉です。「異邦人にイエス・キリストキリストの福音を伝えるために召された」、と言われています。この時、サウロはイエスをキリストであると信じるキリスト者たちを迫害していました。そして、サウロは自分がユダヤ人であることに誇りをもっていました。「自分は神を知らない異邦人とは違う」、という誇りを持っていました。

神はそのようなサウロを、「異邦人に」「イエスがキリストである」、と伝える使命へと召されたのだ。

そして、もう一つの理由が驚きです。

「私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」

神のため・キリストのために苦しむためにサウロは召されたのです。

この神の言葉は、私たちに、信仰者としての使命について新しい視点を示すのではないでしょうか。キリスト者の信仰生活は、「苦しみがなくなる生活」ではないのです。洗礼を受けてキリストを知った人は、何の苦しみもなくなる、ということではありません。生きていればしんどいこともあり、うれしいこともあり、山があり谷があります。それはキリスト者もキリスト者でない人も同じです。

それでは、キリスト者としての喜びとは、信仰の喜びとは何なのか、ということです。

神はサウロが、「私の名のためにどれだけ苦しまなければならないかを示す」とおっしゃいました。サウロが神・キリストのために苦しむ道を歩くことになる、とおっしゃるのです。

それでは、信仰をもつということは、ただ苦しい思いをする、損をすることだ、ということなのでしょうか。

サウロは、イエス・キリストを知って、後悔したでしょうか。そんなことはありません。サウロは後に、「キリストを伝えないことは私にとって不幸なのです」と言っています。サウロにとって、「キリストのために苦しむ」ということが「喜び」となったのです。

イエス・キリストは、人々におっしゃった。

「重荷を負うて苦労している者は私の元に来なさい。休ませてあげよう。」

キリストのもとに行けば重荷がなくなる、というのではありません。キリストが共に担ってくださる、ということです。

ここにキリスト者の喜びがあります。どんなにしんどいことがあっても、キリストが共に担ってくださっているということを知っている・・・それが信仰の喜びです。キリストが共に担ってくださっているのであれば、その重荷には意味があるのです。

サウロが後に使徒となって様々な迫害や苦難に会っても、なぜキリストを伝えるために歩きつづけたのでしょうか。キリストが自分と共に歩いてくださり、苦難を共にしてくださっていることを知っていたからでしょう。

私達の信仰生活も同じです。今、キリストが共に歩んでくださり、共に重荷を担ってくださっているからこそ、喜びがあるのです。 Continue reading