MIYAKEJIMA CHURCH

9月3日の礼拝説教

使徒言行禄26:19~32

「預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。」(26:22)

キリストの使徒パウロは、ユダヤの王アグリッパから「お前は自分のことを話してよい」と弁明の機会を与えられました。その際パウロが語った「自分のこと」とは、「キリストが出会ってくださった自分・キリストに救われた自分」のことでした。単なる自己弁護ではなく、自分の信仰を語り、自分が今誰に仕えているのか、誰のために自分を捧げているのか、ということをアグリッパ王に伝えたのです。イエス・キリストとの出会いを語ることなく、パウロは「自分のこと」を語ることはできませんでした。

今、私たちは、使徒言行禄で最後のパウロの弁明の言葉を見ています。ここでのパウロの言葉の中に彼の信仰・宣教が凝縮されている、と言っていいでしょう。

パウロはキリストによって召された次第を語りました。キリストに召された時、「人々の目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせるため、異邦人のもとに遣わす」と言われました。復活のイエス・キリストから使命を与えられたのです。

彼はアグリッパにはっきりと言い切ります。

「私は預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです」

ここまでパウロは、自分が聖書に残されてきた言葉以外は語っていないこと、イエス・キリストこそ聖書に約束されていたメシアである、ということだけを語って来ました。それがパウロにとっての「自分のこと」だったのです。

アグリッパ王は、驚いたのではないでしょうか。パウロが「私は無実なので解放してください」と自分自身の無実を弁明するだろうと思っていたのではないでしょうか。

「お前は私をキリスト信者にしてしまうつもりか」と言いました。アグリッパはユダヤ人の王だったので、聖書の言葉は知っています。預言者の言葉も知っていました。

アグリッパは、パウロという一人のキリスト者を前にして、預言者が伝えて来た神の救いの約束をイエスという方の十字架と復活に見出すかどうか、その岐路に立たされることになりました。この後アグリッパ王が主イエスへの信仰をもったのかどうか、ということは聖書には書かれていません。おそらくは信じなかったでしょう。

私たちこの場面を通して一つはっきりとわかります。パウロに出会う人、パウロの言葉を聞く人たちは、誰もがイエス・キリストへの信仰の岐路に立たされることになった、ということです。

私たちはここで、自分たちに与えられているキリスト者としての証しの力ということを考えたいと思います。自分自身の信仰生活を振り返ると、一体どれだけキリストを証しすることができているでしょうか。「そう言われると、自分はキリストに対して胸を張ることは出来ない」と下を向いてしまうのではないでしょうか。

私たちは会う人会う人に聖書を説明するわけではありません。自分のキリスト証言の小ささ・無力さを誰もが思うのではないでしょうか。

しかし、私たちキリスト者は、キリストが出会ったくださった者・一人の小さなクリスチャンとして生きる中で、多くの人を、キリストの前に立たせることになっているのです。

誰かが私たちに出会うということは、「キリスト者に出会う」ということです。そしてそれは、「キリスト者を生かすキリストに出会う」ということでもあります。

実は私たちは、キリスト者として日々を生き、誰かに出会い、誰かと時間を共に過ごすことで証の業を行っているのです。私たちは聖霊に用いられている、ということを覚えたいと思います。

パウロはアグリッパに問いかけました。

「アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います」

これは、今使徒言行禄を読んでいる私たちに向けられた言葉でもあります。「あなたは、預言者の言葉を信じているか。預言者たちが残した預言の言葉の通り、ナザレのイエスは復活なさった。それを信じているか」

キリストの復活を信じて日々祈り、礼拝に向かう私たちの姿は確かに神によって用いられています。私たち自身が、神のご栄光を映し出す鏡として用いられているのです。私たち自身に栄光の光はありません。だから私たちは神の栄光を映し出すのです。

改めて考えると、私達はなぜ神によってキリスト者とされたのでしょうか。自分の何がキリストに相応しかったのでしょうか。なぜ私たちは今、この礼拝の群の中へと召されたのでしょうか。何か、神の目を引くようなことをしたのでしょうか。パウロのように福音宣教のために世界中を旅したような人がここに集まっているのではありません。

しかし、私たちにとって、自分の信仰に対する自己評価などは関係ないのです。神が私を選んでくださった、その選びが全てだからです。

パウロはどうだったでしょうか。パウロは教会の迫害者でした。パウロは自分のことを「神の教会を迫害した私はキリストの使徒と呼ばれるのに一番ふさわしくない」と手紙の中で書いています。

私たちが今ここに召されているのも、教会の迫害者パウロが召されたのも、理由は一つです。神の恵みによって、です。

預言者たちが召されたのと同じ理由です。預言者イザヤは、神の言葉を伝えている。

「主である神はこう言われる。神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。主である私は、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光としてあなたを形作り、あなたを立てた。見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために」

イザヤは、「恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った」という神の言葉を伝えています。私たちが今ここにキリスト者として召されたのは、ただ神の恵みなのです。私たちの側には何の理由もないのです。ただ、神が私たちに恵みを示し、召してくださったのです。

「目の見えない人を導いて知らない道を行かせ、通ったことのない道を歩かせる」と神はイザヤを通しておっしゃっています。私たちこそ、「目の見えない人」ではなかったでしょうか。キリストが出会ってくださり、私たちの目を開き、それまで知らなかった道を与えられ、今「通ったことのない道」を歩かせていただいている・・・それが私たちの信仰生活です。それが、今の私達なのです。

私達は確かに神によって見せられ、歩ませていただいているということを忘れてはならないのです。

パウロの弁明を脇で聞いていた総督フェストゥスはパウロに向かって、「お前は頭がおかしい。学問のし過ぎで、おかしくなったのだ」と言いました。総督にはパウロがそう見えたのでしょう。

恐らく、キリストを信じて生きる私たちも、そのように思われたり、言われたりすることがあるでしょう。愚か者呼ばわりされるかもしれません。しかし私たちは、キリストとの出会いを否定することはできません。目の見えていなかった私に、それまで知らなかった道を示してくださった神を否定することはできないのです。

私たちはそれぞれ、どのようにキリストを知ったでしょうか。どのように神を信じるようになったのでしょうか。偶然としかいいようのないことの連続の中で、私たちは信仰を抱くようになったのではないでしょうか。どんなに否定しようが、「キリストは生きていらっしゃる」としか思えないような何かが、それぞれにあったからでしょう。

旧約聖書の創世記で、アブラハムが神のみ使いに会う場面があります。暑い真昼に、アブラハムが天幕の入り口に座っていました。彼がふと目を上げて見ると、三人の神のみ使いがアブラハムに向かって立っていた、と書かれています。

アブラハムにとっては、驚きでした。アブラハムは、いついつ、どこで神に会おう、と思っていたのではないのです。無防備に休んでいた、ふと目を上げると、そこに神がいらっしゃったのです。

人は、自分で神との出会いを作り出すことはできません。神が恵みをもって場所と時を選び、最も良い時に、自分の前に現れてくださるのです。我々人間が期待もしていない時、想像もしていないような仕方で出会ってくださいます。私たちのキリストとの出会いもそうだったのではないでしょうか。

人から「お前は頭がおかしい」と言われても、あの時、神が、キリストが私に出会ってくださったことを無しにすることはできないのです。

アグリッパ王は立ち上がりました。もうパウロの弁明の時間は終わった、ということです。その場でパウロの言葉を聞いた人たちは皆、パウロが無実であることを確信しました。そして「皇帝に上訴していなければ、釈放してもらえたのに」と言いあいました。

パウロは自分の無実が証明されて釈放されること以上に、ローマ皇帝に上訴するためにローマに行き、自分の信仰を言い表すことを選びました。パウロはキリストとの出会いを無しにすることはできなかったのです。

パウロは手紙の中でこう書いています。 Continue reading

8月27日の礼拝説教

使徒言行禄26:1~18

「私が、『主よ、あなたはどなたですか』と申しますと、主は言われました。『私は、あなたが迫害しているイエスである。起き上がれ。自分の足で立て』」

パウロがローマ皇帝に上訴する」と言ったために、総督フェストゥスは、パウロの罪状を皇帝に報告しなければならなくなりました。しかしフェストゥスは、パウロがただ「イエスは生きている」と言っているだけで、何か重大な罪を犯していないことを知っていました。困っていたところに、当時ユダヤ人を支配していたヘロデ・アグリッパ王が表敬訪問のためやって来たのでアグリッパにパウロの話を聞いてもらおうとしました。

アグリッパは、祖父の代からユダヤを治めて来た家系の人です。エルサレム神殿の運営や、大祭司の任命などにも権限を持っていました。エルサレムのユダヤ人だけでなく、地中海岸沿いに離散して住んでいたユダヤ人たちにとっても権限を持っていた人です。当然ユダヤ人の律法にも詳しく、パウロとアグリッパが対面することで、より深く何が問題なのか知ることができると、フェストゥスは考えたのでしょう。

アグリッパ王自身もパウロに興味を示し、会って話すことにしました。パウロはアグリッパの前に立たされ、「お前は自分のことを話してよい」とアグリッパ王から言われます。

今日私たちは、「自分のことを話してよい」と言われたパウロが何を話したのかということをよく見たいと思います。「自分のことを話してよい」と言われてパウロが話したのは、「復活なさったイエス・キリストに出会った自分」でした。自分の無実を証明するための言い訳ではありません。自分がキリストを知らない時にどんなことをしたか、そしてキリストに出会ったからどのように変わったか・・・そして、今アグリッパ王の前に立たされている自分は、世の人々をサタンの支配から神に立ち返らせ、神の恵みへと導き入れる使命をもった使徒である、ということを弁明したのです。

パウロは、自分には使命があり、自分が今していることは、預言者たちを通して神が前もっておっしゃって来たご計画に沿ったものである、ということをはばからずに言い表しました。

今日私たちが読んだこのパウロの言葉が、使徒言行禄におけるパウロの最後の弁明の言葉となります。ここでパウロが「やはりローマ皇帝に上訴するのをやめて、エルサレムで裁判を受けます」と言えば、無罪放免になったでしょう。

しかし、パウロがアグリッパ王に伝えたのは「無実の自分」ではなく「罪びとでありながら復活のキリストによって許され、神のご計画のために働くこと恵みをいただいている自分」でした。

パウロは自分の生い立ちと、教会に対して行った迫害を赤裸々に語っています。本当は隠しておきたい、パウロの恥の歴史です。パウロがいかに熱心に教会を迫害したのか、ということについては、今パウロを訴えている最高法院の祭司長たちが証言してくれるだろう、と言います。それほどパウロは熱心に教会を迫害し、その熱心さは有名だったのでしょう。

そしてパウロは「神のために」教会を迫害していた自分に、復活のキリストが光の中で出会ってくださったことを語ります。パウロはキリストとの出会いの光の中で変えられたのです。

パウロが「自分のことを語ってよい」と言われて語ったのは、これでした。それが、パウロにとっての「自分」でした。

パウロは、アグリッパの前で発言を赦されましたが、自己弁護ではなく、一人のキリスト者として、ただ、自分を通して働かれた神・イエス・キリストを証ししたのです。それが、パウロにとって、「自分を語る」ということでした。

パウロが立ち返るのはいつでも、あの復活のキリストとの出会いの光です。あの光の中で聞いた声、あの光の中で示された道を抜きにして、パウロは自分自身を語ることはできませんでした。パウロとって、自分を語る、とは、キリストに救われた自分を語る、ということだったのです。

これが、キリスト者が証しをする、ということでしょう。我々キリスト者一人一人にとって、「自分を語る」ということは、すなわち、「キリストが出会ってくださった自分を語る」ということなのです。そしてそのことが、キリストを証しする、ということなのです。「キリストを語る」ということは私たちにとって「自分を語る」ということであり、同時に、「自分を語る」ということは「キリストを語る」ということでもあるのです。

教会を迫害していた時の自分を誰かに語ることは、パウロにとっては恥をさらすことだったでしょう。しかし、キリスト者は、自分の罪の恥を語ることなしに、キリストとの出会いの恵みを証しすることはできません。教会の迫害者が、キリストの使徒へと召されている、ということ自体が神の御業であり、パウロは証のため喜んで自分の恥をさらしたのです。

パウロは手紙の中でこう書いています。

「私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でも一番小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのないものです。神の恵みによって今日の私があるのです」

パウロは「こんな私でさえ、神は許し、用いてくださるのだ」とその恵みを証ししています。私たちの証も同じでしょう。神は、こんな私たちの罪にも関わらず愛してくださり、許してくださるのです。「私がその生き証人だ」、と自分をさらすのです。

キリストに出会う前の自分はどうだったでしょうか。私たちは、キリストを証しする際、キリストを知らなかった時の自分を無視することはできません。それは罪びとであった時の自分に向き合うと言うことです。「神なんてなくても生きていける」「神など信じるのは弱い人間だ」、と言っていた時の自分の姿は、キリストに出会った今の自分の目にどう映っているでしょうか。

パウロはキリストの光に包まれる中、「起き上がれ。自分の足で立て」というキリストの声を聞きました。パウロは、「自分の足でしっかり立っている」、と思っていたでしょう。

実際、彼は手紙の中でこう書いています。

「私は・・・イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一因、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころの無い者でした。」

パウロは「自分は完ぺきだった」と胸を張っていました。誰にも負けないほどの強い信仰に立っている、と思っていたのです。しかし、パウロは、「主キリスト・イエスを知ることのあまりの素晴らしさに、今では他の一切を損失と見ています」と書いています。

私たちがキリストに出会う前と出会った後の自分の歩みを比べると、どうでしょうか。「神など知らなくても自分は生きていける、自分の足元がぐらつくことはない」と思っていた自分の前に、自分の罪びととしての姿を見せられた時、人は、立つことが出来なくなります。崩れるのです。

そのパウロは「起き上がれ、自分の足で立て」という神の言葉を聞きました。自分の罪ゆえに自分が崩れた時、その声で、人は本当の意味で立つことできるのです。そして私たちを本当に立たせてくださるもの、生かすものは、神の言葉であることを知っていくのです。

紀元前6世紀、イスラエルがバビロンによって捕囚とされた時、エゼキエルという人も捕らえられバビロンへと連れて行かれました。捕囚としての生活が5年続いた時、エゼキエルは神の声を聞きました。

「人の子よ、自分の足で立て。私はあなたに命じる」

この声で、エゼキエルは預言者とされました。

旧約の預言者たちは、このように、突然神から呼びかけられて、日常生活の中から預言活動へと召されていきました。神によって「立たされ」、遣わされたのです。

神はなぜ誰かを選び出して、言葉を託し、その人を遣わされるのでしょうか。パウロはこう言われました。

「私があなたに現れたのは、あなたが私を見たこと、そして、これから私が示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである」

預言者イザヤが、こう預言している。

「神は来て、あなたたちを救われる。その時、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。その時歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口のきけなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる」

神の言葉が与えられる時、そして神の言葉を携えた人が自分の下に来るとき、このようなことが起こるのです。「歩けなかった人が鹿のように躍り上がる」

パウロは、自分のこれまでの歩みが、神が預言者を通して語って来られた大きな救いの御業であることを言います。自分のキリストとの出会いの意味を語ります。それは偶然ではありませんでした。神の御業だ、と言うのです。

私たちはいろんな仕方で神を知りました。偶然誰かに誘われて、とか、偶然看板を見て、とか、何かのきっかけで聖書や教会を知ります。しかし、それは、私達には偶然に思えても、そこには神の招きのご計画が確かにあったのです。神は私たちを招き、霊の目を開き、霊の耳を開こうとしてくださるのです。私達が神からどんなに逃げようとしても、神は私たちを諦める、ということをなさいません。

キリストの弟子のペトロが、後に手紙の中でこう書いている。

「私たちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい」「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなた方のために忍耐しておられるのです」 Continue reading

8月20日の礼拝説教

使徒言行禄25:13~27

「『パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとか言う者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。』」(25:19)

使徒言行禄の18章に、パウロがコリントでユダヤ人たちに捕らえられローマの総督ガリオンの前に引きたてられた時のことが記録されています。コリントの町のユダヤ人たちは「パウロが律法に違反するような仕方で神をあがめるように人々に言い広めている」、と総督ガリオンに訴え出ました。しかしガリオンは「お前たちがパウロについて訴えているのは、不正な行為や悪質な犯罪ではなく、ユダヤ人の信仰の掟に関することだ。そういうことは自分たちで解決しなさい」と突っぱねました。ユダヤの律法・聖書の解釈のことを持って来られてもローマの総督は裁くことはできないのです。

今日私たちが読んだところでも、同じことが起こっています。エルサレムのユダヤ人たちがパウロを訴えているものの、カイサリアの総督フェストゥスはパウロにローマの法律に違反する罪を見出すことはできませんでした。パウロは「殺されたはずのイエスが生きている」、と言っているだけなのです。

パウロが「私はローマ皇帝に上訴します」と言ったことでフェストゥスは困ってしまいました。カイサリアの総督としてパウロについて皇帝に報告書を書かなければならなくなったのです。

そこに、アグリッパ王とベルニケという二人がフェストゥスの表敬訪問に来ました。

このアグリッパ王というのは、イエス・キリストがベツレヘムにお生まれになった時に、その地方の2歳以下の男の子を皆殺しにした、あのヘロデ王の孫にあたる人です。使徒言行禄の12章で、キリストの使徒ヤコブを殺し、その後神に打たれて死んだアグリッパ王という人が出てきますが、その息子に当たる人で、アグリッパ2世です。

このアグリッパ王とベルニケは兄と妹でした。このベルニケという女性は、もともとは別の男性と結婚していましたが、最初の夫が死ぬと、次に自分の叔父と結婚しました。その後、兄であるアグリッパの下に身を寄せていたのです。後に、また別の人と結婚することになりますが、その夫も捨ててまた兄の下に戻ってくることになります。最後はローマの軍人と結婚することになりますが当時の人たちは、このベルニケの節操のない結婚に反感を抱いていたという記録が残っています。

アグリッパとベルニケの関係は兄妹でありながら、夫婦の関係でもあったようです。そして総督フェストゥスの妻ドルシラは、このアグリッパとベルニケの妹にあたる人でした。つまりアグリッパ王とフェストゥスは義理の兄弟でもあったのです。

余談ですが、このようなヘロデ家の性的な乱れをユダヤ人たちは嫌悪していました。そのユダヤ人たちのヘロデ家に対する嫌悪感も、後のユダヤ戦争の一因となっていくことになります。

さて、フェストゥスはアグリッパ夫妻にパウロのことを話すと、アグリッパ王はパウロの話を聞きたいと言いました。パウロはまた、イエス・キリストを証しする場へと召されることになったのです。

私たちは不思議に思わないでしょうか。捕らえられてしまったパウロは次々にいろんな人たちに出会い、何度も何度もキリストを証しする場所に立たされています。パウロが捕らえられて福音は息の根を止められた、というのではありません。捕らえられたパウロの前に、次々とキリストを証しすべき人が現れることになるのです。

私たちは神がパウロを召し出される時、なんとおっしゃったかを思い出したいと思います。

「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」9:15

神がおっしゃった通りになっています。パウロは、「異邦人や王たち」、つまり、ローマ総督フェストゥスやユダヤ人を支配していたアグリッパ王にキリストを証しするよう導かれました。この神の言葉に照らし合わせて今のパウロを見ると、まさにパウロは今神のご計画の中で召され、用いられているということがわかるのではないでしょうか。

人の目でこのパウロの置かれた状況を見ると、絶望的です。ローマ兵に囚われ、ユダヤ人たちからは訴えられているのです。もう逃げ場がなく、以前のように自由に福音宣教することができません。しかし、人の目に隠された仕方で、神はキリスト者を用いていらっしゃいます。

たとえ私たち人間の方が諦めたとしても、神が私たちのことを諦めることはなさいません。私たちが失望しても絶望しても、神は私たちに絶望することなく、用いて下さり、私たちを希望へ導いてくださるのです。そうやって、ご自身を世に示されていくのです。

神がパウロを召される際におっしゃった言葉は、私たちの召しに対しても同じでしょう。私たちは思い出さなければなりません。今私たちがキリスト者であるということは、神が選んでくださった器である、ということを。私たちは神のために、キリストのために、どんなに苦しまなくてはならないか、ということも示されるのです。

パウロは「私たちは苦難を誇りとします」と手紙の中で書いています。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」と言っています。捕らえられたパウロの前に証しすべき人が次々に与えられている、ということに、私たちは希望を見ることが出来るのです。厳しい状況に置かれていますが、福音の広がりは止まっていません。聖霊の働きはこの苦難の中で続いているのです。

さて、フェストゥスはアグリッパにこう言いました。

「パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです」

これが、フェストゥスのパウロに関する理解です。使徒パウロの福音宣教は復活されたキリストから声をかけられた、というところから始まりました。

自分を迫害するユダヤ人たちに対しても、自分を黙らせようとする最高法院の人たちに対しても、ローマ総督に対しても、そして、福音宣教の旅の中であった全ての人に対しても、パウロが一貫して訴えつづけたのは、「十字架にかけられて殺されたイエスは復活なさった」、ということでした。パウロは自分の無実以上に、そのことを語り続けてきました。

パウロ自身、コリント教会に書いた手紙の中でこう言っています。

「最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてある通り私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてある通り三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです。・・・最後に、月足らずで生まれたような私にも現れました。私は神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でも一番小さなものであり、使徒と呼ばれる値打ちのないものです。神の恵みによって今日の私があるのです。・・・キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなた方の信仰も無駄です。・・・キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」

パウロは、相手がユダヤ人だろうが異邦人だろうが、総督であろうが王であろうが、ただひたすらイエス・キリストの復活を伝えました。キリストの復活は聖書の預言の実現であり、信仰の全てである、キリストの復活がなければ、宣教も信仰も空しく、この世は罪の闇でしかない、と手紙に書いている通り、そのことを会う人会う人に言い続けたのです。

フェストゥスをはじめ、イエス・キリストの復活を信じていなかった人たちにとっては、パウロの訴えは不可解なものだったでしょう。なぜ死者の復活などという馬鹿げたことのために、パウロが自分の命をかけるのか、と思ったのではないでしょうか。

パウロは、いや、パウロだけでなく全てのキリスト者は、イエスという方の空になった墓を指さしてきました。一度あの方の復活を知ったら、一度あの方に出会ってしまったら、あの方を指し示すしかないのです。イエスという方の墓が空になった、という神秘に向き合わなければ、神の御心に向き合うこともできません。

そこに許しがあるからです。そこに永遠の命の希望があるからです。

パウロはそこを指し示す器として召されました。そうやって用いられたのです。キリスト者は、皆そうなのです。

死んだはずのイエスが復活した、という福音はこの世から消えることはありません。神が語ってくださるからです。神が、私たちを通してご自身の言葉を語られるからです。福音はそうやってこの世の中に広められていくのです。

福音は不思議な仕方で世界中に広まって行くことになります。キリストの使徒でありローマ市民でもあったパウロが捕らえられたことで、いくつもの裁判の中でキリストが証しされ、ついには福音を携えたパウロがローマへと移送されていく・・・その中に、私たちは見えない神の御業を見ることが出来ます。

ローマ皇帝に上訴するためにローマに護送されていくパウロを通して福音は世界の中で広がって行くことになります。パウロが生まれながらにローマの市民権をもっていたこと、パウロがキリストに召し出された教会の迫害者としての体験、パウロ自身の悔い改めと許された喜び、そして自分の弱さを誇る信仰の謙遜・・・全てが神によって用いられていくのです。

旧約聖書の創世記にヨセフ物語があります。兄弟たちから嫌われて奴隷に売られてしまったヨセフが、やがてエジプトの宰相になって、飢饉からエジプトを救うことになる、という話です。何度も苦境に陥ってしまうヨセフでしたが、そのたびに、不思議な仕方で苦難の中から救い出されていきます。そして最後には、エジプトとその周辺の国々を飢饉から守ることになるのです。

数奇な人生を辿ったヨセフは、自分を奴隷に売り飛ばした兄弟たちと再会を果たします。その際ヨセフは兄たちにこう言いました。

「今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」

苦難を通って、試練を通って、見せられることがあります。神が共に居て、自分をここへと運んでくださった、ということを示されることがあります。

神は私たちを用いてくださいます。自分には誇るべき能力は何もない、キリストのために働くなんて大それたことはできない、などとすぐに思ってしまうが、神はそうは思っていらっしゃいません。

自分に苦しいことが降りかかるとき、私たちは簡単に生きる意味を見失ってしまいます。自分はどんな悪いことをしたのだろうか、神を信じることに意味はあるのだろうかと不安になるのです。

しかし、聖書は私たちにはとらえきることのできない、大きな神のご計画があることを伝えようとしています。私たちはすぐに自分が納得できるような解釈に、解決策に飛びついてしまいます。しかし、人間の尺度では図ることのできない大きな救いのご計画の中で私たち一人一人に必要な試練が与えられている、ということを忘れてはならないのです。

パウロは、手紙の中でこう書いている。

「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。誰が、神の定めを極めつくし、神の道を理解し尽くせよう」

パウロは、フェストゥスやアグリッパ王といった人たちの前でキリストを証ししました。パウロがそう願ったからではありません。神が、そこへとパウロを召し出したからです。

神がパウロをお用いになったように、ヨセフ物語が私たちに伝えているように、神は、私たちを不思議な仕方で用いてくださいます。私たちに与えられる導き全てに意味がある、ということを忘れてはならないのです。

8月13日の礼拝説教

使徒言行禄24:24~25:12

「パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、『今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする』と言った」(24:25)

カイサリアの町で行われたパウロの裁判が終わりました。ローマの総督フェリクスの前でユダヤの最高法院の代表団とパウロ、それぞれの弁明がなされました。総督フェリクスはパウロの主張に興味はもちましたが、判決をそこでは下しませんでした。彼は千人隊長から事前に受け取っていた手紙を読んで、パウロはユダヤ人の掟の解釈のことで訴えられているだけでローマの法律に違反していることは何もない、ということを本当はわかっていました。最高法院の訴えの内容とパウロの弁明を比べて見ても、パウロの主張の方が筋が通っています。

しかし、不思議なことに、フェリクスは判決を下しませんでした。「千人隊長リシアが来るのを待つ」、と言って、なぜか裁判を延期したのです。裁判が延期されたので、最高法院の代表団は仕方なくエルサレムに戻って行ったようです。そしてパウロはカイサリアに留め置かれ、ある程度の自由が認められ、友人たちからの援助を受けたりすることも許されました。

なぜフェリクスは、判決を先延ばしにしたのでしょうか。今日読んだところを見ると、フェリクスは、パウロから金をもらおう、賄賂をとろう、という下心があったようだ。パウロが無罪であることを知っていて、無罪の判決を下さなかったのは、ユダヤ人に気に入られようとしていたからでもありました。何より、フェリクスの妻ドルシラはユダヤ人だったので、フェリクスはドルシラと一緒にパウロの話をもっと詳しく聞きたいと思ったのです。

裁判を延期することにしてから数日してフェリクスが、妻のドルシラと一緒にパウロの下に来ました。パウロは二人にイエス・キリストへの信仰の話をしました。パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなって、聞くのをやめた、と書かれています。フェリクスは何を恐れたのでしょうか。そんなに恐ろしいことをパウロは語ったのでしょうか。

少し、フェリクスとドルシラの夫婦の背景にふれておきたいと思います。このドルシラは、ユダヤ人を支配していたヘロデ・アグリッパ1世の娘で、フェリクスの三番目の妻でした。

ドルシラの父アグリッパ1世は、使徒言行禄12章に出てきます。主イエスの弟子であったヤコブを殺し、地域に起こった飢饉を教会のせいにして、キリスト者を迫害した人でした。まるで自分が神であるかのように振る舞うアグリッパを神が撃たれた、ということがそこには書かれています。

また、このドルシラの叔母にヘロディアという人がいました。福音書に出てくる、自分の叔父のヘロデ・アンティパスと結婚したことを洗礼者ヨハネから非難され、娘をつかってヨハネの首を切った人です。

ドルシラははじめ、シリアの小国の王、アズィゾスという人と結婚していましたがフェリクスがドルシラに一目ぼれをしました。フェリクスはユダヤ人の魔術師を遣わしてドルシラを離婚させ、自分の妻としました。

このようにフェリクスとドルシラの背景を見て行くと、二人の結婚は、いい形のものではなかったということがわかります。そして聖書が伝えている「正義」や「裁き」という言葉に敏感に反応してしまう背景を持っていたことが分かります。

この夫婦はパウロの伝える信仰に興味をもち、話を聞きにやって来ると、「正義や来るべき裁き」という言葉を聞いて恐怖を覚え、聞くのをやめました。あまりに自分たちにとって身近な問題であったからです。

皮肉なことですが、本当に聖書の言葉を聞いて自分の道を正す必要がある人ほど聖書の言葉を遠ざけようとするのではないでしょうか。怖いからでしょう。聖書に向き合うということには、実は、とてつもない勇気を必要とするのです。神の教えと向き合うということは、自分の罪と向き合うということであり、自分の罪をご覧になっている神と向き合うことだからです。

パウロは、自分に判決を下すフェリクスに対して、こびへつらったことは言いませんでした。ただ、聖書の教えを、そして福音を忠実に伝えました。

もしもパウロが、フェリクスとドルシラの夫妻にわいろを贈り、その結婚を称賛するようなことを言っていたら、気に入られて釈放されたかもしれません。パウロだって、そのことはわかっていたでしょう。しかし、パウロは自分の釈放と引き換えに福音に反することはしませんでした。

パウロにとっては、キリストを伝えるということ、全ての人に求められているキリストの正義、全ての人を待ち受けているキリストの裁きを伝えることが全てであり、自分の釈放以上に大切なことだったのです。

結局フェリクスはパウロの裁判を再開することなく、カイサリアでの総督の任期をおえることになります。自分が釈放されるために福音を曲げてわいろを渡すことをしなかったパウロは、結局無罪判決をフェリクスから引き出すことはできませんでした。

見方によっては、パウロは不器用だった、駆け引きが下手だった、と見ることもできるでしょう。しかし、このことも、神の御手の内にあることでした。神はフェリクスにパウロの判決をお委ねにならなかったのです。

フェリクスの後に、新しい総督がカイサリアに赴任しました。フェストゥスという人です。フェストゥスも、まずユダヤ人たちから気に入られること、そしてユダヤ人たちに自分の威厳を示すということを重要視しました。

フェストゥスは、カイサリアに赴任して三日目にエルサレムに上って、ユダヤ人たちの話を聞きました。「祭司長たちやユダヤ人の主だった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すよう計らっていただきたい」とフェリクスに頼んだ、とあります。

フェストゥスは前任者フェリクスがしたように、最高法院の代表者たちをカイサリアに呼び出し裁判を開きました。しかし、その裁判の内容は、一回目と同じでした。パウロの有罪は立証されず、パウロは律法について、神殿について、ローマ皇帝に対して無実であることを弁明しました。

フェストゥスにとって、この裁判はバカバカしいものだったでしょう。本当は前任者が解決しておかなければならない裁判を自分がやっているのです。「何年も前のことでなぜ自分がこんな裁判を開かなければならないのか」と思っていたでしょう。

パウロは10節で「よくご存じの通り、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません」と言っています。「よくご存じの通り」ということは、フェストゥスもパウロの無実を知っていた、ということです。

フェストゥスはパウロに尋ねました。「エルサレムに戻って、私の前で裁判を受けたいか。」エルサレムで裁判を開いて自分がパウロに「お前は無実だ」と宣告すれば終わりになるのです。

もし、ここでパウロが「そうします。エルサレムで私の裁判を開いてください」と言えば、エルサレムで自分の無罪が宣言されて全てが終わりになっていたでしょう。

しかし、パウロは「私は皇帝に上訴します」と言いました。これからイタリアのローマに行って、自分でローマ皇帝に直訴する道を選んだのです。確かに、ローマの市民であるパウロにはその権利があります。しかしフェストゥスは驚いたのではないでしょうか。「パウロは釈放されたくないのか。どうして遠くローマまで行って裁判を受けようなどと考えるのか」

パウロがもしここで上訴しなかったら、おそらく無罪放免だったでしょう。しかし、自分が手っ取り早く無罪放免になることよりも、ローマに行って皇帝に直接イエス・記の福音を語る道を選びました。

パウロはエルサレムにはまだ自分を殺そうとする人たちがたくさんいることを知っていた。それ以上に、パウロは既に神の言葉を聞いていたのです。

エルサレムの兵営に捕らえられていた時パウロは実際に神の声を聞きました。

「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」

パウロは、ただ自分の無実が晴れて、釈放されるということ以上に、「ローマに行ってキリストを証しする」という神のご計画に従おうとしました。パウロは自分の思いではなく、神の御心を求めました。自分の無罪判決以上に、ローマでキリストを証しする道を選んだのです。

私達はこのパウロの姿に、キリストの御後に倣う信仰者としての在り方を見ることが出来るのではないでしょうか。裁判にかけられた時のイエス・キリストのお姿と重ならいます。

イエス・キリストは逮捕されてから十字架に上げられるまでに、自分の身の潔白を主張することもおできになりました。しかしキリストはただ、沈黙を守られました。

イザヤが預言した通りでした。

「私たちは羊の群れ。道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。その私達の罪を全て主は彼に負わせられた。苦役を課されて、かがみこみ彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる子羊のように、毛を切る者の前にものを言わない子羊のように、彼は口を開かなかった。」

主イエスを見たポンテオ・ピラトは、「私はイエスに何の罪も見いだせない」と言いました。それでも、群衆は「イエスを十字架につけろ」と叫び続けました。主イエスはただ口を開かず、屠り場に引かれて行きました。

イエス・キリストは十字架に上げられる前にゲツセマネで祈られました。ご自分の無実が証明されることではなく、ご自分を通して神の御心が成る、ということを祈られたのです。

「苦しみの杯を取り除いてください。しかし、私の思いではなく、あなたの御心が成りますように。」

キリストはただ、神の救いの御心をお求めになりました。そしてその御心が、自分の十字架にあるというのであれば、そこに向かわせてください、と祈られたのです。私達のために。

パウロはその場で自分の無実を弁明し、無罪判決を勝ち取ること以上に、ローマに行って福音を語る、という神の御心を求めました。そのように、私達にも神の御心を成すために、自ら苦難を背負わなければならないことがあります。

しかし、私達は知っています。その苦難は、キリストが共に担ってくださる軛であり、必ず、天において報われるものなのです。私達は、キリストの御名が知られるために重荷を背負い、天に積まれる宝を知っているのです。

どんな時でも、神は私たちに使命を与えてくださっています。目先の自分の利益よりも、自分に与えられている大切な使命に、そして備えられている天の宝に目を向けていたいと思います。

8月6日の礼拝説教

使徒言行録24:10~23

「私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています」(24:14)

ローマ総督フェリクスの前で、パウロの裁判が開かれました。ユダヤの最高法院が、キリストの使徒パウロを訴えたのです。パウロは、「世界中のユダヤ人の間に騒動を起こしている」「『ナザレ人の分派』の首謀者である」「神殿を汚そうとした」、という罪状をあげられました。

今日私たちは、それに対するパウロの弁明の言葉を読みました。最高法院とパウロそれぞれの訴えがここに記されていますが、私たちはどちらの弁明を受け入れるでしょうか。

最高法院の代表者たちと雄弁家のテルティオは、きちんとした身なりで総督の前に立ち、雄弁に語りました。一方パウロは逮捕されてから何日も一度も着替えずに、汚れた格好をしていたでしょう。威厳に満ちた最高法院の人たちと比べると、パウロは見劣りがしていたでしょう。

しかし、それぞれの言葉を比べて見るとどうでしょうか。テルティオの言葉は、半分以上がフェリクスへの賛辞、へつらいです。フェリクスの自尊心をくすぐり、その場で自分たちに有利に物事を運ぼうというものでした。

一方パウロは、自分の無実を弁明しつつ、同時に最高法院が「ナザレ派」と呼ぶキリスト教会の信仰の正当性を整然と語っています。イスラエルが先祖から受け継いだ正当な信仰を抱き、エルサレム教会のために集めた献金を届けに来ただけであるということを淡々と伝えました。

私たちがここを読む際に忘れてならないのは、このパウロの言葉は、ローマ総督に向けて語られていると同時に、今使徒言行禄を読んでいる私たちに向けて語られているものでもある、ということです。

私達は、このパウロの弁明をどう聞くでしょうか。

パウロは今、逆境の中にいます。神から使命を与えられ聖霊に導かれているにも関わらず、同胞のユダヤ人たちからは誤解され、ローマ総督の前で最高法院の人たちと争わなければならなくなっています。聖霊に導かれているはずなのに、キリストに従っているだけなのに、パウロには苦難が続いているのです。

ここに私たちは信仰の不条理を見るのではないでしょうか。神に導かれているのであれば、もっと平坦な道を行けるのではないでしょうか。

しかし、エルサレム神殿で捕らえられてからのここまでのパウロの姿を見ると、不思議なことに、パウロは苦しんでいるように見えません。普通であれば、無実の罪で裁判の場に立たされると、取り乱してしまうものではないでしょうか。

しかし、パウロは今自分の身に起こっていることも神の御手の内にあり、キリストを証しする場へと自分が召されていることをひたすら信じていました。そしてパウロは、自分の身の潔白を証明すること以上に、キリストを証しすることに使命を見出していたのです。

パウロはフィリピの信徒への手紙の中でこう書いている。

「兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、私が監禁されているのはキリストのためであると」

パウロは獄中からフィリピ教会に手紙を書きました。監禁されているにも関わらずパウロは喜んでいます。自分が牢屋に捕らえられたことで、そこにいる人たちにキリストが知られるようになった、と喜んでいるのです。

パウロは、ローマ総督や最高法院とは全く違う視点を持っていました。それは、自分の苦難を通して、聖霊が福音を広めてくださっている、という確信です。総督の前に立たされ、最高法院と争いながら、パウロは聖霊の働きを信じ、この苦難が確かに用いられる、と信じていたのです。

私たちも、キリストが自分に出会ってくださった時から今までのことを思い返すと、「聖霊の導き」としかいえないようなことがあったでしょう。しかし、自分が苦境に立たされることがあると、すぐに「聖霊が自分から離れたのではないか」と不安になってしまうのではないでしょうか。

私たちは覚えたいと思います。苦難の中にあっても、いや、苦難の中でこそ、神の導きは思わぬ仕方で現れるのです。私達は、思わぬ仕方で聖霊に用いられるのです。

ペトロが後に手紙の中でこう書いている。

「愛する人たち、あなたがたを試みるために身に降りかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみに与ればあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れる時にも、喜びに満ち溢れるためです。あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上に留まってくださるからです。」

キリストの名のための苦しみというものがあります。トロやパウロの時代ほどの迫害は、今の私たちにはないかもしれません。しかし、信仰ゆえの苦難というものがあります。ペトロは、「キリストのための苦しみの中にこそ、神の霊の働きがある」と言うのです。キリストの使徒たちの信仰の姿勢に、私たちは励ましを得ることが出来るのではないでしょうか。

パウロは14節で「この道」という言葉をつかっています。これは、「神の道・主の道」のことです。その「道」は、いつでも、一本でした。何本もあったわけではありません。そして「私はその正しい一本の道を歩いているだけなのです」、と総督に弁明しています。

パウロは、自分が「先祖の神を礼拝し、律法に則したことと預言者の書に書いてあることをことごとく信じています」、と言っています。イエス・キリストも同じようなことを弟子達におっしゃったことがあります。

「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」

主イエスが神の国の福音を宣教された時、人々は、「イエスという人は何か新しいことを教えている」と思いました。しかし、そうではありませんでした。「神が聖書を通しておっしゃっているのは、そもそもこういうことなのだ」、ということをお伝えになっただけなのです。

旧約の預言者たちは、「いつか救い主が来る」と預言して来ました。神は預言者エゼキエルを通しておっしゃっています。

「見よ、私は自ら自分の群を探し出し、彼らの世話をする。・・・私は彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。・・・私は彼らと平和の契約を結ぶ」

パウロは、羊の群を探す羊飼いのように、神が世に来られた、それがイエス・キリストである、そしてキリストは自分を召し出して、御自分の証人とされた。自分はそのために働いている、とフェリクスに伝えました。パウロがしたのはそれだけでした。

1世紀の教会は、「聖書が伝えて来た救い主が来た」ことを伝えるのに苦心しました。旧約の預言者たちが、神から預かった言葉を伝えても信じてもらえなかったように、教会が伝える福音も、なかなか受け入れられませんでした。

それは今でも同じでしょう。教会は救い主到来の預言を信じ、今、キリストに導かれる羊の群として生きています。私たちは、羊飼いを指さすのです。キリストに立ち返ることで、立ち返るべき方を世に証しするのです。飼いを指さしながら、同じ群れの中に人々を招いていくのです。

それは、簡単なことではありません。時間がかかることだし、痛みを伴うことでもあります。簡単に信じてはもらえないのです。

私たちは、信仰生活の中で辛いことがあると、すぐに心が折れそうになります。神に祈っているのに、キリストを信じているのに、どうして上手くいかないのか、と思います。そのような時にこそ、私たちのために苦しまれたキリストの十字架を思い出したいと思います。

使徒ペトロは、手紙の中でこう書いている。

「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって、祝福を祈りなさい。・・・義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。・・・キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなた方を神の元へ導くためです」

正しくない私のために、正しいキリストが死んでくださった、ということ。

キリストが私のために痛みを担ってくださった、ということ。

これこそ、信仰が折れそうになった時に思い出さなければならないことではないでしょうか。

ペトロは、こうも書いています。 Continue reading

7月30日の礼拝説教

ローマの千人隊長、クラウディウス・リシアは、エルサレムで騒ぎの原因になったパウロを捕えました。一体なぜエルサレム神殿で騒ぎが起こったのか、その原因を探ろうとしました、最高法院のユダヤ人指導者たちを通してパウロに尋問させても分かりませんでした。

そうこうしているうちに、パウロを殺そうと企むユダヤ人たちが、実際に暗殺を行動に移そうとしていることが明らかになったので、千人隊長はパウロをエルサレムからカイサリアへと送ることにしました。

カイサリアは当時のギリシャ都市であり、国際都市でした。そこにローマの地方行政の本部があり、総督が駐在していたのです。エルサレムではユダヤ人たちが興奮していて、まともに裁判を行えないし、パウロを殺そうとする人たちもいるので大きな暴動に発展する危険性もあります。千人隊長はユダヤ人たちのいないカイサリアにパウロを送り、ローマの総督に裁いてもらおうとしたのです。

パウロは既に神から告げられていました。

「エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」

その神のご計画の通り、パウロはこれからエルサレムを離れ、たくさんの人にキリストを証ししながらローマへと運ばれていくことになります。

カイサリアにはローマの総督フェリクスがいました。千人隊長は、総督への手紙をしたため、パウロを引き渡しました。

パウロがユダヤ人に殺されようとしていること、パウロがローマ帝国の市民権をもつ者であること、パウロはユダヤ人の掟に関することで殺されそうになっているのであってローマの法においては無実であることを手紙の中に書きました。そして総督フェリクスが、ローマの法の下に正しくパウロの裁判を行うことを願いました。

さて、パウロは、公平な裁判を受けることができたのでしょうか。

総督フェリクスは、千人隊長からの手紙を読んでからパウロに一つ質問しました。

「お前はどの州の出身か」

なぜ総督はパウロにこんなことを尋ねたのでしょうか。

恐らくフェリクスは、パウロが自分の管轄でない場所の出身であれば、そっちに回してしまおうと思っていたのでしょう。しかしパウロはキリキア州の出身で、そこはフェリクスの管轄でした。仕方なくフェリクスは自分でパウロの裁判を行うことにします。

千人隊長の手紙を読んだにもかかわらずこのような質問をしたことを見ると、フェリクスはパウロを真剣かつ公正に裁いてくれるような人物ではなかった、ということがわかります。

少し、このフェリクスについて触れておきます。

フェリクスは、もともとは奴隷だった人です。自分の兄弟と共にローマ皇帝クラウディウスに気に入られて、ユダヤを監視する総督にされました。ローマの歴史家タキトゥスは、フェリクスについて、奴隷根性と残酷さと強欲さがむき出しになった人物だったと記録しています。

フェリクスは52~60年まで総督としてカイサリアにいました。その後、紀元66年にユダヤ人がローマに対して反乱を起こすことになりますが、その反乱がおこった時のユダヤの行政官がこのフェリクスでした。

このように歴史の記録や、実際に起こった出来事を見ると、フェリクスという人はユダヤの人たちから反発を買いユダヤ人が反乱を起こすきっかけとなるような悪政を行っていた人だったと考えることが出来ます。

残念ながらカイサリアでパウロの裁判を行ったのは、こういう人だったのです。

ついに、総督の前でパウロの裁判が開かれました。告発者は直接被告の前で罪を言い表して訴え出なければなりません。パウロを訴えていたユダヤの最高法院の代表団が、「弁護人」を連れてやってきました。この「弁護人」というのは雄弁家のことです。

最高法院のユダヤ人たちが自分たちで直接語るのではなく、わざわざ弁の立つ雄弁家テルティロを連れて来て訴えました。テルティロの言葉を見ると、半分はフェリクスに対するへつらい・お世辞の言葉です。

それが終わるとパウロの罪を数え始めました。

世界中のユダヤ人の間で騒動を起こしている、ということ。

ナザレ派の中心的な存在である、ということ。

神殿の立ち入り禁止区域に異邦人を引き入れた、ということをあげつらっています。

この裁判は、おかしなものでした。パウロが逮捕されたのは、神殿で誤解されたからでした。その誤解を利用して、最高法院の人たちは、パウロを有罪にしようとしたのです。総督フェリクスは、真剣に真実を明らかにしようとはしていません。この後を読めばわかりますが、彼はただ裁判を長引かせて、わいろを求めていただけなのです。

今、ここで行われているのは、正しい裁きではありません。ユダヤの最高法院の人たちは、ただパウロを排除しようとしています。ローマの総督フェリクスは、なんとか賄賂を得るためにこの裁判を行っています。それぞれが自分の思いだけを実現しようとして、この裁判が進められているのです。

私達は、この裁判の先で何が起こったか、ということを歴史から学びたいと思います。この裁きの先にあったもの、それは、破滅でした。

「正しい者が正しく裁かれない」・・・その先にあったのは、ユダヤ戦争だったのです。ユダヤ人たちの不満が爆発し、ローマに反乱を起こし、戦争になり、エルサレムは滅びることになります。このパウロの裁判からわずか十数年後のことです。

私達が今日読んだこのパウロの裁判を通して、人間がどのように破滅への道を歩んでしまうのか、ということが示されています。ここに出てくる人たちは、皆、自分が基準なのです。自分が中心であり、全ての物事を、自分の中心に据えようとしているのです。

このような自分中心の思い・罪に支配された人間の思いが、自らを破滅へと向かわせていく・・・このことを我々は歴史を通して聖書を通して学ぶことが出来るでしょう。

善いものを善い、とし、悪いものを悪い、とする・・・「裁き」とは、それだけのことです。しかし、それをせずに、それぞれが自分に有利になることだけを考えて、善・悪を裁くことしなかった結果どうなるでしょうか。このようなことの積み重ねが、双方に不満を高めていき、結局紀元70年のユダヤ戦争、エルサレム陥落へと発展するのです。大きな滅びを招くのは、結局、自分のことしか考えない人間自身なのです。

エルサレムが滅ぼされたのは初めてではありません。紀元前587年に、バビロンによって破壊され、滅ぼされました。その時はどうだったのでしょうか。その時も同じでした。神の前に善悪をただすことなく人間の思いが交錯して、自ら滅びを招いたのです。

エレミヤ書を見れば、その時の様子がよくわかります。イスラエル南王国は、王宮の中でバビロン派とエジプト派に分かれていました。バビロン帝国がどんどん強く大きくなっている中、自分たちはどう生き残ればいいのか、皆考えていました。

バビロン派の人たちは、バビロンと関係を結んで生き残ろうと主張しました。エジプト派の人たちは、エジプトの軍事力に頼り、バビロンに対抗しようと主張しました。イスラエルの王は、その間で揺れていました。

しかし預言者エレミヤだけは、バビロン派でもエジプト派でもありませんでした。預言者はただ神への信頼、神に救いを求めることだけを説いたのです。バビロンにつくか、エジプトにつくか、という議論は、結局人間に救いを求めているに過ぎません。そして神が示された救いは、バビロンに膝をかがめて降伏する、ということでした。

預言者エレミヤは、バビロンは偶像礼拝を続けて来たイスラエルに対する神の裁きの道具であることを説きました。バビロンに降伏することが、神に立ち返る、ということだと言ったのです。

イスラエルの前には命に至る道と死に至る道が置かれました。バビロンに降伏し、全てを明け渡すことが命の道でした。バビロンに抵抗し、剣をもつことが死に至る道でした。

皆が、「誰に頼ろうか」「どの国に頼ろうか」「どうしたら生き残ることができるだろうか」、うろうろする中で、エレミヤだけはその場を動かず、「神の裁きを受けるためにバビロンに降伏しなさい」と言い続けたのです。

結局エレミヤは売国奴とののしられ、牢に入れられてしまいます。預言者の言葉は聞かれず、自分のことだけを考える人たちの主張がぶつかり続け、その結果、エルサレムはバビロンによって徹底的に破壊されることになったのです。 Continue reading

7月16日の礼拝説教

使徒言行禄23:10~30

「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』」(23:11)

パウロが神殿で受けた誤解は騒ぎとなり、その騒ぎは最高法院によるパウロへの尋問となりました。

パウロを捕らえた千人隊長はパウロが何をしたのか、なぜユダヤ人たちがこんなに騒いでいるのかを知ろうとして、ユダヤの最高法院の人たちを呼んで調べさせました。しかしその尋問では、最高法院のファリサイ派とサドカイ派が真っ二つに割れて、復活についての言い合いになってしまいます。そばで聞いていた千人隊長は結局、なぜユダヤ人たちがパウロを殺そうと騒ぎ出したのかわからないまま、パウロを兵営へと連れて帰ることにしました。

パウロは結局その日は釈放されることなく、ローマ軍の兵営の中に捕らえられたままになりました。使徒言行禄には書かれていませんが、パウロも不安になったのではないでしょうか。確かに聖霊は「エルサレムで投獄と苦難がパウロを待ち受けている」と示してきました。しかしそれでも、「自分の苦難を通してもっと何か福音の実りがあるのでは」、と考えたのではないかと思います。

兵営に連れて行かれて、一人になり、夜になった時、パウロは何を考えたでしょうか。

「この苦難は一体何なのか。神に見捨てられた、ということか。エルサレムに戻って来るべきではなかったのか。ヤコブの提案通りに神殿に参拝したのは間違いだったのか。そもそも、自分の福音宣教は神の御心に適っていなかったのか。」

そのような思いが沸き上がって来たでしょう。

パウロに神の声が与えられたのはその時でした。

11節「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない」

パウロは、福音宣教の旅からエルサレムに戻って来て、エルサレムで騒動に巻き込まれることになりました。そこで教会の迫害者であった自分がどのようにイエス・キリストに召し出され、教会のために働き、教会のために迫害されるようになったか、ということを証しすることになりました。

それは、本当はパウロの意志ではありませんでした。不本意な誤解を受け、騒動に巻き込まれ、そうやってキリストを証しせざるを得ないところへとパウロ自身が巻き込まれていったのは、それが、神のご計画だったからだ。

パウロがどうあがいても、何もできなかった時・・・自分の訴えをまともに届けることができず、混乱の中、自分の知識も経験も役に立たず、ただ黙るしかなかった時・・・神の声が聞こえ、神のご計画が示されたのは、その時でした。

信仰者には、神の声が与えられる時があります。自分の知恵も知識も経験も役に立たず、自分が無力になり、もう神に祈るしかない時にこそ、神の言葉は聞こえてきます。自分に自信があり、語るべき言葉をしっかり持っている時には、逆に神の言葉は聞こえない。自分の言葉が雑音となって、神の声を聞かせないのです。

主イエスと弟子達がガリラヤ湖で船に乗っていた時、嵐が起こったことがあります。。弟子達は主イエスを乗せて反対の岸へと舟をこぎ出しました。舟をこいでいた弟子達は、ガリラヤ湖で漁師をしていた人たちでした。舟の扱いには慣れていた人たちです。

しかし、激しい突風が起こり、舟が沈みそうになります。弟子達の漁師としての経験は役に立たない状況になりました。ガリラヤ湖での漁の経験役に立たない状況の中で彼らがしたことは、舟の中で眠っておられた主イエスを起こすことでした。その時出来たのは、それだけでした。

「先生、私たちがおぼれても構わないのですか」

主イエスは弟子達の声を聞き、起き上がって、風を叱り、「黙れ、静まれ」とおっしゃいました。すると風がやんだのです。湖の上で船を操る技術をもった弟子達でした。しかし、この方は、嵐を沈める権威をお持ちの方だったのです。

弟子達は、見せられました。自分たちには太刀打ちできない嵐に勝る方が、同じ船に乗っていらっしゃる、ということを。

「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」

弟子達はそう言われて、返す言葉がありませんでした。

私たちにとって、キリストの声とは、そういうものです。信仰生活の中で何度、このキリストの声を聞くでしょうか。

「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。私が同じ舟に乗っているではないか。私を見ていないのか」

生きる中で嵐に吹かれる時、私たちの自信も、知識も経験も吹き飛ばされることがあります。その時に求めるのは、嵐を沈めてくださる方の声です。

また別の時に、弟子達だけで湖に乗って、反対の岸に行こうとして、逆風で渡れなかったことがあります。舟は逆風で進むことが出来ず、夜通し船をこいでも、湖の真ん中で立ち往生しました。

夜が明けるころ、弟子達は、湖の上を歩く人の姿を見ました。そしてその姿を見て、幽霊だと思い、恐怖で叫びました。主イエスは「安心しなさい。私だ。恐れることはない」とおっしゃって、船に乗り込まれます。そのとたん、風は静まりました。

嵐の中の小舟、また逆風の中の暗闇・・・苦難の中叫ぶしかなかった弟子達に、私たちは自分たちの姿を見るのです。信仰生活の中で感じる逆風の中で、私たちはそのキリストの言葉が与えられます。主イエスは「安心しなさい」とおっしゃいます。その理由は、「私がいるから」ということです。

「私がここにいる。あなたと共にいる。だから、安心しなさい、恐れることはない」という声を聞くことが出来る、ということが信仰の恵みです。私たちはそのように、神の声を聞くのではないでしょうか。

弟子達は一緒に旅をする中、昼間、落ち着いてキリストの教えを聞くことはたびたびあったでしょう。しかし本当に弟子達がキリストによる救いを痛感したのは、漁師の経験・知識が役に立たない嵐の中・暗闇の逆風の中でキリストの声を聞いた時だったのではないでしょうか。

逆風の中で、自分の力でどうしようもない時、祈るしかない時にこそ初めて聞こえてくるキリストの声です。私たちは、自分の中から自分の声がなくなった時に、神の御心が静かに示されるのです。信仰とはそういうものではないでしょうか。最後の最後で、どなたに向かって叫べばよいのか、そのことを知っているのが「信仰」というものではないでしょうか。

今、パウロが夜、一人でローマ兵たちの兵営に囚われている姿を見ると、「神の導き」とか「神の守り」がどこにあるのか、疑問に思ってしまうでしょう。しかし、ユダヤ人やローマ人たち、人間が意図せず作り出してしまう混乱の中にあっても、神の導きは確かに流れています。自分の力を手放し、すべてを神に委ねて、全ての雑音が自分の中から消えた時、私たちには神の声が与えられるのです。

さて、千人隊長クラウディウス・リシアは、神殿の暴動に関してパウロが無罪であることを確信していました。しかし、もうパウロを釈放して終わり、というわけにはいきませんでした。パウロを殺そうとする計画するユダヤ人人たちがいたのです。彼らは神の教えを無にし、人々の信仰をダメにする、イスラエルの信仰を壊そうとする背教者・危険人物として見ました。

その殺害計画を、パウロの甥が聞いていました。彼はそれを千人隊長に告げます。千人隊長はパウロをどう扱うべきか、すぐに決めました。パウロをカイサリアに送ることにしたのです。

ローマの市民としてパウロは公平な裁判にかけられる必要がありました。エルサレムでは興奮したユダヤ人たちがいてどうなるか分かりません。カイサリアには、ローマの総督フェリクスがいます。そこで裁いてもらおうと考えたのです。千人隊長は、パウロがローマの法律では全くの無罪であり、ユダヤ人の信仰をめぐる問題でパウロは騒がれているということを手紙で書き送りました。

さて、このようにして見ていくと、ただ神のご計画が着実に進んでいる、ということがわかります。

ユダヤ人たちはパウロが神の教えに反することを言い広めている思い、騒ぎ立てましたが、本当にパウロが何か罪を犯したかどうかは分かっていません。

最高法院の人たちもパウロの罪を見出そうとしましたが、結局、死者の復活をめぐって、ファリサイ派とサドカイ派の言い争いになりました。

ローマの千人隊長はパウロがなぜユダヤ人たちから敵視されているのかを明らかにしようとしましたが、結局何もわからずにパウロをカイサリアへと護送することになりました。

ユダヤの群衆も、最高法院も、ローマ兵も、誰もパウロを思い通りにすることができませんでした。誰もパウロを正しく裁くことが出来ていない Continue reading

7月9日の礼拝説教

使徒言行禄22:30~23:9

「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる」(23:3)

パウロがユダヤの群衆に語り掛けていると、群衆は突然騒ぎ始めました。近くにいたローマ兵たちは、パウロがヘブライ語で話していたので、その理由がわかりませんでした。兵士たちはパウロを鎖で縛り、鞭で打って何を話したのかを正直に言わせようとしたが、パウロが生まれながらのローマ市民であることがわかり、裁判もせずに手荒に聞き出すことができなくなりました。

ローマの千人隊長は、なぜユダヤ人たちがパウロに怒っているのかを正しく知るために、ユダヤの権威である祭司長や最高法院の人たちに尋問をさせることにしました。パウロが、ユダヤ人たちを扇動してローマへの反乱を起こそうとしていたのかどうかを明らかにする必要があったのです。

パウロは最高法院の人たちの前に立たされることになりました。それが今日私たちが読んだ場面です。これは、厳密にいえば裁判ではありません。千人隊長の代わりに、最高法院がパウロに行った「取り調べ」です。そしてこれが、パウロにとって最高法院の人たちに、自分の信仰の言い表す機会となりました。

パウロは最高法院の人たちに囲まれても、臆することなく、恥じることなく、「兄弟たち、私は今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました」と言いました。すると突然祭司長であったアナニアが「パウロの口を打て」と言いました。

神殿で騒ぎを起こしたトラブルメーカーが、悪びれもせずにユダヤの権威たちに「兄弟たち」と対等に呼びかけているのが気に入らなかったのでしょう。当時のユダヤ人にとって神殿で騒ぎを起こすことは、危険なことでした。神殿で暴動が起こったりすると、ローマ兵たちは徹底的にユダヤ人を弾圧することになるのです。反省の色が見られないどころか、「私は神の前で正しいことをしている」と言い表したパウロを見て、アナニアは怒って「パウロの口を打て」と言ったのでしょう。

それに対して、パウロは「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる」と言い返しました。「白く塗った壁」というのは、外側はきれいにしているけれども内側には汚いものを隠しているという意味の表現です。

イエス・キリストも、マタイ福音書で、よく似た表現を使っていらっしゃいます。偽善者たちに向かって、あなたたちは「白く塗った墓に似ている」とおっしゃいました。「外側は美しく見えるが、内側は死者の骨はあらゆる汚れで満ちている」という意味です。

さて、実際、大祭司アナニアは「白く塗られた壁」だったのでしょうか。アナニアはユダヤ教の最も高い権威にある大祭司でしたので、当然見た目は立派な人だったでしょう。その中身はどうだったのでしょうか。

歴史的な記録では、アナニアは強欲で、裏では汚職にまみれて莫大な富を手にしていた、と言われています。そしてアナニアはこの後、紀元66年に起こったユダヤ戦争の際に、ユダヤ人たちの手で暗殺されることになるのです。

その歴史を踏まえてこのパウロの言葉を読むと、私たちは真実を見出すことが出来るのではないでしょうか。

「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる。」

このパウロの言葉の十数年後、実際に、アナニアは打たれることになるのです。

パウロはユダヤ人たちから誤解を受け、神殿から追い出され、ローマ兵に逮捕され、最高法院で大祭司と向き合うことになりましたが、パウロは、自分の意志とは全く違った仕方で、神の言葉を預言することになったのです。

「白く塗った壁」・・・外側はよく見えても内側は汚れているアナニアに与えられる神の裁きをパウロは預言しているのです。深いところで聖霊がパウロを導いていることが見えるのではないでしょうか。

私たちはここで、パウロがこの大祭司に向かって言った「白く塗った壁」という言葉を通して、自分自身を顧みなければならないのではないでしょうか。「自分はどうだろうか」、ということです。一人の信仰者として、「白く塗った壁」になっていないかどうか、一度立ち止まって自分を吟味しなければならないのではないでしょうか。

旧約時代、外側を取り繕い、内側は腐敗していたイスラエルに、神は預言者エゼキエルを通してこうおっしゃいました。

「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言って私の民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。漆喰を上塗りする者に言いなさい。『それは剥がれ落ちる』と。・・・お前たちが漆喰を塗った壁を私は破壊し、地面に打ち付けて、その基礎をむき出しにする」

イスラエルは神に選ばれた民でした。神の元へと立ち返るために選ばれた民です。その立ち返りの歩みの中へと他の人たちを招き入れることを求められていたのに、イスラエルは偶像礼拝に走ってしまいました。他の神へと向かってしまったのです。

外側は「神の民」として飾ることができていたかもしれません。「平和だ、平和だ」と言葉だけは言えたかもしれません。しかし中身は、「偶像の民」となっていました。

そのイスラエルに、神はエゼキエルを通しておっしゃいます。

「漆喰を上塗りする者に言いなさい。『それは剥がれ落ちる』」

その言葉通り、エルサレムはバビロンよって破壊されました。

旧約時代のエルサレム、そして今日読んだところに出て来た大祭司アナニアを通して、私達は自分自身を、そして教会としての内実を省みなければならないのではないでしょうか。

もし、私たちが、外側だけきれいで、内側に醜いものを抱えるような教会であったとしたら・・・「白い壁」「白く塗られた墓」になってしまったとしたら、神ご自身がキリスト教会を裁かれることになるのです。ここで、聖書から示されている信仰の警告を受けとめたいと思います。

さて、大祭司とのこのようなやりとりがあってから、パウロは最高法院に対して弁明してこう言いました。

「兄弟たち、私は生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、私は裁判にかけられているのです」

なぜパウロがこんなことを言ったのか我々は不思議に思うのではないでしょうか。実際には、これは裁判ではないし、「死者が復活するという望みを抱いている」ということでパウロはここに引き出されているわけではありません。

実際には、パウロが神殿で禁止されている場所に異邦人を連れ込んだと勘違いして群衆が騒いだだけです。そしてパウロを逮捕したローマ兵が、ローマ市民であるパウロを裁けないから最高法院が尋問しているだけなのです。

しかしパウロはここで「死者の復活」ということをいきなり持ち出しました。周りを見回して、ここでは正しく話を聞いてもらうことはできない、と知って最高法院全体を巻き込んだ議論へと向かわせようと機転をきかせたのです。

ここで最高法院の中で議論が割れました。同じユダヤ教であってもファリサイ派とサドカイ派は、聖書の解釈が違っていたからです。

サドカイ派は今の旧約聖書の初めの5つ、モーセ五書と呼ばれている言葉だけを自分たちの信仰の基準にしていました。「もう神の啓示はモーセ五書で終わっている」という立場でした。モーセ5書の中には、死者の復活は出てこないので、サドカイ派の人たちは、復活を信じていませんでした。

それに対して、ファリサイ派の人たちは、「まだ神は我々に御心を示し続けてくださっている」と信じていました。ファリサイ派は、モーセ五書だけでなく預言書や知恵文学などを加えた、今私たちが旧約聖書と呼んでいる書物の言葉を信仰の基準としていたので、復活を信じていました。

パウロの言葉を聞いて、復活はあるのかないのか、ということをファリサイ派とサドカイ派の人たちが議論を始め、その議論が激しくなったので、結局パウロはそこからまた兵営に連れて行かれることになりました。

マタイ福音書16章で、ファリサイ派とサドカイ派の人々が主イエスに「天からのしるしをみせてほしいと言ってきた場面があります。「本当にナザレのイエスは天からのメシアなのか、証拠がほしい」、と言って来たのです。

それに対して主イエスはこうおっしゃいました。

「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」

そしてその場を立ち去られました。

「与えられるのは、ヨナのしるしだけ」とはどういうことなのでしょうか。旧約聖書のヨナ書を見ると、ヨナは大きな魚に飲み込まれ、三日目に吐き出され、異邦人に神の言葉を伝えに行った人です。 Continue reading

7月2日の礼拝説教

使徒言行禄22:22~29

「パウロの話をここまで聞いた人々は、声を張り上げて言った。『こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない』」(22:22)

パウロは、自分が書いた手紙の中で「キリストに召され、異邦人への使徒とされたパウロより」と自己紹介しています。使徒言行禄を読むと、パウロがイエス・キリストによって召されたのは、「異邦人に福音を告げる」という使命のためだったことが確かに記録されています。

異邦人への福音宣教ということにおいては、パウロは適任だったでしょう。彼は当時の国際人でした。異邦人の町で生まれ、エルサレムで育ち、ガマリエルという当時尊敬されていた教師から聖書を学び、生まれながらにローマの市民権を持っていたユダヤ人です。ユダヤ的、ギリシア的、ローマ的な背景を兼ね備えた国際的知識人でした。

パウロは、柔軟にユダヤ人に対して、異邦人に対して福音を伝えていきました。コリントの信徒への手紙の中でこう書いています。

「私は、誰に対しても自由な者ですが、全ての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。・・・律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。全ての人に対して全てのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、私はどんなことでもします」

相手がユダヤ人であっても異邦人であっても、相手が聖書の教えを知っていても知らなくても、相手が強い人であっても弱い人であっても、パウロはその人に合わせて福音を伝えることができたのです。

イエス・キリストは、十字架に上げられる直前、弟子達に、終わりの日が近づくしるしをお話しなさったさい、こうおっしゃいました。。

「これらのことが全て起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、私の名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証をする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、私があなたたがに授けるからである」

キリストは「前もって弁明の準備をするな」とおっしゃいます。パウロは、エルサレムに来る前に、「エルサレムでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきりと告げてくださっています」と言っていました。エルサレムで自分に苦難がある、ということを知っていて、「それでも行く」と決断していました。

なぜでしょうか。「たとえ捕らえられても、自分には完全な弁明ができる」、という自信があったからでしょうか。そうではないでしょう。キリストの、「前もって弁明の準備をするな」という言葉を信じたからです。イエス・キリストがその時自分に言葉と知恵を授けてくださることを信じ、その言葉がキリストを証しすることになる、という信仰をパウロは持っていたからです。

語るべき言葉が与えられる・・・今日私たちが読んだ場面にはそのことが示されているのではないでしょうか。

パウロはエルサレムに戻ると、同胞のユダヤ人から非難され、ローマの兵士に捕らえられてしまいました。彼はその機会を捉えて、キリストを証ししました。パウロの苦難を通して、キリストご自身が福音を語られたのです。このような混乱の中にも、聖霊の不思議な導きを見ることが出来ます。

さて、パウロは、ユダヤ人たちにヘブライ語で語り掛けました。自分の生まれ、育ち、そして聖書の言葉・神への信仰に対する熱心さ、神からの召し出した時の話です。ユダヤ人たちは静かに聞いていました。熱心に教会を迫害していたパウロが、神に召し出されて、迫害していた教会のために働くようになったというのです。自分が思ってもいなかった仕方で神に出会い、天の声を聞き召し出される、ということは、旧約の預言者たちが経験したことでした。ユダヤの群衆にとって、それは興味深い話でした。

しかし、パウロの話を聞いていたユダヤ人たちは、パウロがあることを言った途端に怒って騒ぎ始めました。「神が私を異邦人に遣わした」という言葉です。

ユダヤ人の群衆は、「神はユダヤ人の神であって、異邦人を招くはずがない」、と思っていたのです。静かに真剣に話を聞いていた人たちは、「神が私を異邦人に遣わされた」という言葉を聞いて、パウロが嘘を言っている、と思ったのでしょう。

当時のユダヤ人たちにとって、異邦人をイスラエルの神の元へと招くことよりも、自分たちと異邦人を区別することのほうが重要でした。当時のユダヤ人にとって、異邦人との交わりは、自分を汚すことでした。

キリストの一番弟子であったペトロでさえそう思っていました。ローマの百人隊長コルネリウスに招きを受けた時、ペトロは正直に言っています。

「あなたがたもご存じの通り、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神は私に、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。」

なぜ当時のユダヤ人は、異邦人と距離を置こうとしていたのでしょうか。外国の支配・異邦人の支配の中にあって、必死に聖書の教えを守っていたからです。異邦人の王から神の言葉である律法を捨てるよう迫られたこともありました。

そのような異邦人・外国人の偶像礼拝から、律法によってきちんと自分たちを正しい神への信仰を守ろうとしていた時代でした。

旧約聖書の創世記12章を見ると、神はアブラハムに最初におっしゃっています。

「私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める・・・地上の氏族は全てあなたによって祝福に入る」

「地上の全ての氏族」、つまり、世界の全ての人は、アブラハムを通して、またアブラハムの子孫・イスラエルを通して神の元に招かれるということが言われているのです。

パウロはその神の御心を、自分の歩んできた道を語りながら伝えようとしました。今や、神が異邦人を招かれる計画を進めていらっしゃる、と。しかし、ユダヤの群衆は、神が異邦人を招いていらっしゃるということを受け入れることはできませんでした。

ローマの兵士たちは、パウロがヘブライ語で話していたので、なぜ群衆が突然怒り始めたのかわかりませんでした。収まりがつかないので、兵士たちはパウロを自分たちの兵営へと連れて行くことにしました。

兵士たちは、パウロを兵営に連れて行き、パウロを鞭打って、群衆に何を話したのかを聞き出そうとしました。群数をあおってローマへの反乱を起こさせようとしたのではないかと疑ったのでしょう。

しかし、パウロはここで、「ローマ市民を裁判にもかけずに鞭打っていいのですか」と言いました。これを聞いて兵士たちは驚きます。

ローマ帝国では、ローマ市民は法によって守られていました。裁判もせずに鞭打ったり処刑したりすることは禁じられていました。誰かがパウロを訴えるのであれば、その訴える人が直接ローマの役人に訴え出なければならなりませんでした。それらの手続きを一切なしで、ローマ兵たちはローマの市民であったパウロを鎖でつないで連行してしまったのです。ローマ兵たちはそのことを恐れました。

千人隊長は「私は多額の金を出してこの市民権を得た」と言いました。それに対してパウロは「私は生まれながらローマ帝国の市民です」と言いました。そのことで、千人隊長とパウロの立場が逆転します。ローマの市民権を金を出して獲得したローマの千人隊長が、生まれながらのローマ帝国の市民のパウロを縛ってしまったことを知って、恐れが生じました。

不思議です。普通で考えると、千人の兵士を束ねる千人隊長の方が、何の後ろ盾もないキリストの使徒パウロよりもはるかに強いのです。しかし、パウロの一言を聞いて突然恐れるようになったのです。

私たちは考えさせられるのではないでしょうか。地上の人間の権威などそれほど脆いものなのです。

旧約聖書のエレミヤ書を読むと、捕らえられていた預言者エレミヤの下に、イスラエル南王国の王ゼデキヤが言葉を求めた場面があります。

紀元前6世紀、エレミヤはバビロンに降伏するよう人々に預言しました。神がバビロンの軍隊を用いてイスラエルの罪を裁こうとなさっているのだから、皆バビロンに降伏して神に立ち返れ、と伝えました。バビロンに降伏することが「命の道」であり、バビロンに抵抗することは「死の道」である、と説きました。

当時のイスラエル南王国はバビロン派とエジプト派に分かれていました。エジプトと手を組んでバビロンに対抗しようとしていた人たちは、エレミヤを「売国奴」とみなして憎み、エレミヤを水溜めに投げ込み、牢屋につないでしまいます。

バビロン派とエジプト派の間で板挟みになったゼデキヤ王は、牢の中にいたエレミヤに神の言葉を求めました。

「主から何か言葉があったか」

たとえ一国を支配する王であっても、神の言葉を求めざるを得ない瞬間が訪れるのです。どれだけ人間がこの地上で権威を持っていたとしても、人は神の権威を恐れ、神の言葉を求めざるを得ないのです。人は、自分が地上でもっている権威など一時のものであり、一瞬でなくなってしまうはかないものである、ということを思い知る瞬間が与えられます。

イスラエルの祭司であったイザヤは、ある時天の声を聞きました。

「草は枯れ、花はしぼむが、私たちの神の言葉はとこしえに立つ」 Continue reading

6月25日の礼拝説教

使徒言行禄22:1~21

「私はこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に当時、殺すことさえしたのです」(22:4)

パウロはユダヤ人たちから誤解されていました。

「あのパウロという者はイスラエルの神と、神の教えである律法からユダヤ人たちを引き離そうとしている」

その誤解を解くために、パウロは誓願を立てた人たちと一緒にエルサレム神殿に参拝しました。それだけでなく、誓願を立てた人たちのために、誓願の費用を立て替えることまでしました。その費用は決して安いものではなかったでしょう。エルサレム教会の長老たちの、「パウロに対する誤解は解いておいた方がいいだろう」、という提案を受け入れて、自分が他のユダヤ人たちと同じように神殿と律法を重んじていることを示そうとしたのです。

しかし、パウロは神殿にいた、アジア州から来ていたユダヤ人たちから勘違いされてしまいます。異邦人の立ち入りが禁止されている場所に知り合いの異邦人を連れ込んでエルサレム神殿を汚した、と思われ、それが騒動になり神殿から追い出されてしまいました。

神殿で騒いでいるユダヤ人たちの声を聞きつけたローマ兵たちがやって来て、パウロはユダヤ人たちから守られる形で助け出されました。ローマ兵の兵営に連れて行かれる途中で、パウロはローマの千人隊長にギリシャ語で話しかけ、ユダヤ人たちに語りかけることを願い出で許されます。

今日私たちが読んだのは、パウロが同胞であり、同時に自分を誤解しているユダヤ人たちに向けてヘブライ語で語り掛けたという場面です。

今日読んだ言葉は、パウロの弁明です。「弁明」と言っても、パウロは「自分が無実である」とか、「自分は神殿で何も悪いことをしていない」とか「あなたたちは誤解している」というような、自己弁護をしたのではありませんでした。

パウロはもっと大きなことを語っています。自分がどこで生まれ、どこで育ち、誰によって教育を受けたのか・・・自分の人生そのものを語ったのです。

パウロがユダヤ人の群衆に語ったのは、自分がどのようにイエス・キリストに出会い、神のご計画のために用いられるようになって今ここにいるのか、ということでした。自分が以前はどのような人間だったのか、そしてキリストとの出会いによってどのように今の自分になったのか・・・その根本のところを伝えなければ、自分の無実・自分に対する誤解を解くことができない、と思ったのでしょう。

3節 「私は、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました」

パウロは自分がタルソスという異邦人の町で生まれたユダヤ人であり、エルサレムで育ち、ガマリエルという当時もっとも尊敬されていた教師に聖書を学んだ、熱心なユダヤ人であることを告げました。

「私はあなたたちユダヤ人と同じだ。同じものを大切にしている。神の掟である律法を大切にして、熱心に神に仕えている」ということを言おうとしたのです。どれほどパウロが熱心な信仰をもっていたか・・・その後のパウロの言葉を見ればわかります。「私はこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです」

教会の人たち、キリスト者たちを熱心に迫害し、縛り上げて殺すことまでした・・・それがパウロの信仰の「熱心さ」だった。そしてその「熱心さ」は、今パウロを神殿から引きずり出したユダヤ人たちと同じ「熱心さ」でした。パウロはここで、「あなたたちが私に抱いている感情は、よくわかる。私もかつてはそうだった」と伝えているのです。

このことは後にパウロ自身、フィリピ教会への手紙の中で書いています。

「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした」フィリ3:5~6

パウロは自分がどれほど神に対して律法に対して熱心で、そして自分がユダヤ人であることに誇りを持っていか、ということを書いています。「自分ほど完璧なユダヤ人はいない」という自負を持っていました。

パウロは、神のために熱心に教会を迫害していた自分を変えたのは、その神ご自身だった、と語るのです。「私が信じているのは、あなたたちと同じ神であり、あなたたちと同じ熱心さを持っている。そして今、自分をここへと導き、ナザレのイエスをメシアであると伝えるようになさったのは、あなたがたがた皆信じているイスラエルの神ご自身なのだ」、言うのです。

私たちはパウロがどのように神に召されたのか、その時の様子を既に読んで知っています。教会の迫害者パウロはもっと教会を迫害しようと意気込んでダマスコに向かっていました「神のために、教会の人たち、キリスト者たちを牢に入れよう。神のためだ」しかし、途中で、復活のキリストから声をかけられました。

「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」

十字架で殺されたはずのナザレのイエスが天の光に包まれ、自分に出会ってくださったのです。パウロはその時、自分が迫害していたのは神の教会であり、キリスト者を迫害していた自分は神のメシアを迫害していたということを知りました。

パウロは、群衆に向かって、復活のキリストから呼びかけられて、自分が教会の迫害者からキリストの使徒へと召された次第を語りました。これこそが、パウロが群衆に訴えたことだった。「自分は無実だ」ということよりも、このことの方が重要なことだったのです。

なぜ教会の迫害者サウロが、キリストの使徒パウロへと変わったのか・・・私たちは何度もこのことを考えてきた。信じがたいことです。極端な変わりようです。パウロにとって、何の得にもならないようなことでした。迫害する側から、迫害される側になる、それも一番の矢面に立つようになる、ということでした。

パウロが一人で聖書を勉強してそのように結論を出したのではありません。彼は、自分が行く道を自分で見つけたのではなく、神・キリストによって道を与えられ、その道を歩かされるようになったのです。自分では、「主の道・神の道」を正しく歩んでいると思っていました。しかし、神は、キリストは「その道ではない」とおっしゃって、パウロの行く道・方向を変えられたのです。

これはパウロだけではありません。旧約の預言者たちを見ても、皆、神が出会ってくださることによって、新しい道を歩み始めたことがわかります。いや、歩まされるようになりました。神との出会いが無ければ、預言者としての働きなどなかったのです。

アモスという人は、BC8C、イスラエル南王国のテコアという村の羊飼いでした。家畜を飼い、いちじく桑を栽培していた彼は、突然神に召し出され、羊やイチジクを後に残して、北王国に行って神の言葉を伝えて回りました。

イザヤという人は、BC8C、神殿の中で神の姿を見、神の声を聞きました。イザヤは恐れのあまり死を感じます。しかし「あなたの咎は取り去られ、罪は許された」と天使から言われました。そして天からの声が聞こえて来ました。

「誰を遣わすべきか」

イザヤは「私がここにおります。私を遣わしてください」と言いました。自信があって「私を遣わしてください」と言ったのではありません。神に出会った自分には、もうその道しかなかったのです。彼は預言者としての道を歩み始めました。

エレミヤという人は、BC7C、エルサレムで祭司として働いていました。20歳になるかならないかぐらいの若い時に時に、神から呼ばれて預言者とされた人です。初め、エレミヤは嫌がりました。「私は若者にすぎません」と神に訴えました。しかし神はお許しにならなりませんでした。「若者に過ぎないと言ってはならない。私があなたを、誰の所へ遣わそうとも、行って、私が命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。私があなたと共にいて必ず救い出す」。その後40年間、エレミヤは涙を流しながら神の言葉を同胞に伝え続けることになりました。

エゼキエルという人は、BC6C、バビロンに捕囚として連れて行かれました。捕囚としての生活が5年間続いたある日、バビロンで幻を見せられ、預言者として召されました。エゼキエルは、自分の妻が死んでも、黙ることは許されませんでした。それでも神の言葉を語り続けることを神から求められたのです。

このように、旧約の預言者たちは、自分の崇高な決心や、自分の頑張りで神の言葉を伝えようとしたのではありませんでした。自分の意思で預言者となったのでもありません。彼らは、皆召し出されたのです。神の言葉を伝える道へと引きずり出されたのです。

旧約時代の預言者たちやキリストの使徒たちは、強靭な意思で神の言葉を伝え、キリストを証ししていったのでしょうか。そうではないでしょう。生きた神との出会いが、一人の人を変えた・・・そういうことです。キリストとの出会いが、人の生きる道を全く変えてしまうのです。

私達もそうなのです。私達はこの道・信仰の道へとキリストによって召されました。自分で聖書を読んで、全て理解して、全て納得して、自分の力でキリスト者になったという人はどれだけいるでしょうか。むしろ、「召された」としか言えないようなことが、それぞれにあったのではないでしょうか。

イエス・キリストに出会った人は、新しい道を歩み始めます。そして神への礼拝と祈りの中に身を浸していきます。礼拝の中で、祈りの中で新しい道が示されていくのです。 Continue reading