MIYAKEJIMA CHURCH

7月30日の礼拝説教

ローマの千人隊長、クラウディウス・リシアは、エルサレムで騒ぎの原因になったパウロを捕えました。一体なぜエルサレム神殿で騒ぎが起こったのか、その原因を探ろうとしました、最高法院のユダヤ人指導者たちを通してパウロに尋問させても分かりませんでした。

そうこうしているうちに、パウロを殺そうと企むユダヤ人たちが、実際に暗殺を行動に移そうとしていることが明らかになったので、千人隊長はパウロをエルサレムからカイサリアへと送ることにしました。

カイサリアは当時のギリシャ都市であり、国際都市でした。そこにローマの地方行政の本部があり、総督が駐在していたのです。エルサレムではユダヤ人たちが興奮していて、まともに裁判を行えないし、パウロを殺そうとする人たちもいるので大きな暴動に発展する危険性もあります。千人隊長はユダヤ人たちのいないカイサリアにパウロを送り、ローマの総督に裁いてもらおうとしたのです。

パウロは既に神から告げられていました。

「エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」

その神のご計画の通り、パウロはこれからエルサレムを離れ、たくさんの人にキリストを証ししながらローマへと運ばれていくことになります。

カイサリアにはローマの総督フェリクスがいました。千人隊長は、総督への手紙をしたため、パウロを引き渡しました。

パウロがユダヤ人に殺されようとしていること、パウロがローマ帝国の市民権をもつ者であること、パウロはユダヤ人の掟に関することで殺されそうになっているのであってローマの法においては無実であることを手紙の中に書きました。そして総督フェリクスが、ローマの法の下に正しくパウロの裁判を行うことを願いました。

さて、パウロは、公平な裁判を受けることができたのでしょうか。

総督フェリクスは、千人隊長からの手紙を読んでからパウロに一つ質問しました。

「お前はどの州の出身か」

なぜ総督はパウロにこんなことを尋ねたのでしょうか。

恐らくフェリクスは、パウロが自分の管轄でない場所の出身であれば、そっちに回してしまおうと思っていたのでしょう。しかしパウロはキリキア州の出身で、そこはフェリクスの管轄でした。仕方なくフェリクスは自分でパウロの裁判を行うことにします。

千人隊長の手紙を読んだにもかかわらずこのような質問をしたことを見ると、フェリクスはパウロを真剣かつ公正に裁いてくれるような人物ではなかった、ということがわかります。

少し、このフェリクスについて触れておきます。

フェリクスは、もともとは奴隷だった人です。自分の兄弟と共にローマ皇帝クラウディウスに気に入られて、ユダヤを監視する総督にされました。ローマの歴史家タキトゥスは、フェリクスについて、奴隷根性と残酷さと強欲さがむき出しになった人物だったと記録しています。

フェリクスは52~60年まで総督としてカイサリアにいました。その後、紀元66年にユダヤ人がローマに対して反乱を起こすことになりますが、その反乱がおこった時のユダヤの行政官がこのフェリクスでした。

このように歴史の記録や、実際に起こった出来事を見ると、フェリクスという人はユダヤの人たちから反発を買いユダヤ人が反乱を起こすきっかけとなるような悪政を行っていた人だったと考えることが出来ます。

残念ながらカイサリアでパウロの裁判を行ったのは、こういう人だったのです。

ついに、総督の前でパウロの裁判が開かれました。告発者は直接被告の前で罪を言い表して訴え出なければなりません。パウロを訴えていたユダヤの最高法院の代表団が、「弁護人」を連れてやってきました。この「弁護人」というのは雄弁家のことです。

最高法院のユダヤ人たちが自分たちで直接語るのではなく、わざわざ弁の立つ雄弁家テルティロを連れて来て訴えました。テルティロの言葉を見ると、半分はフェリクスに対するへつらい・お世辞の言葉です。

それが終わるとパウロの罪を数え始めました。

世界中のユダヤ人の間で騒動を起こしている、ということ。

ナザレ派の中心的な存在である、ということ。

神殿の立ち入り禁止区域に異邦人を引き入れた、ということをあげつらっています。

この裁判は、おかしなものでした。パウロが逮捕されたのは、神殿で誤解されたからでした。その誤解を利用して、最高法院の人たちは、パウロを有罪にしようとしたのです。総督フェリクスは、真剣に真実を明らかにしようとはしていません。この後を読めばわかりますが、彼はただ裁判を長引かせて、わいろを求めていただけなのです。

今、ここで行われているのは、正しい裁きではありません。ユダヤの最高法院の人たちは、ただパウロを排除しようとしています。ローマの総督フェリクスは、なんとか賄賂を得るためにこの裁判を行っています。それぞれが自分の思いだけを実現しようとして、この裁判が進められているのです。

私達は、この裁判の先で何が起こったか、ということを歴史から学びたいと思います。この裁きの先にあったもの、それは、破滅でした。

「正しい者が正しく裁かれない」・・・その先にあったのは、ユダヤ戦争だったのです。ユダヤ人たちの不満が爆発し、ローマに反乱を起こし、戦争になり、エルサレムは滅びることになります。このパウロの裁判からわずか十数年後のことです。

私達が今日読んだこのパウロの裁判を通して、人間がどのように破滅への道を歩んでしまうのか、ということが示されています。ここに出てくる人たちは、皆、自分が基準なのです。自分が中心であり、全ての物事を、自分の中心に据えようとしているのです。

このような自分中心の思い・罪に支配された人間の思いが、自らを破滅へと向かわせていく・・・このことを我々は歴史を通して聖書を通して学ぶことが出来るでしょう。

善いものを善い、とし、悪いものを悪い、とする・・・「裁き」とは、それだけのことです。しかし、それをせずに、それぞれが自分に有利になることだけを考えて、善・悪を裁くことしなかった結果どうなるでしょうか。このようなことの積み重ねが、双方に不満を高めていき、結局紀元70年のユダヤ戦争、エルサレム陥落へと発展するのです。大きな滅びを招くのは、結局、自分のことしか考えない人間自身なのです。

エルサレムが滅ぼされたのは初めてではありません。紀元前587年に、バビロンによって破壊され、滅ぼされました。その時はどうだったのでしょうか。その時も同じでした。神の前に善悪をただすことなく人間の思いが交錯して、自ら滅びを招いたのです。

エレミヤ書を見れば、その時の様子がよくわかります。イスラエル南王国は、王宮の中でバビロン派とエジプト派に分かれていました。バビロン帝国がどんどん強く大きくなっている中、自分たちはどう生き残ればいいのか、皆考えていました。

バビロン派の人たちは、バビロンと関係を結んで生き残ろうと主張しました。エジプト派の人たちは、エジプトの軍事力に頼り、バビロンに対抗しようと主張しました。イスラエルの王は、その間で揺れていました。

しかし預言者エレミヤだけは、バビロン派でもエジプト派でもありませんでした。預言者はただ神への信頼、神に救いを求めることだけを説いたのです。バビロンにつくか、エジプトにつくか、という議論は、結局人間に救いを求めているに過ぎません。そして神が示された救いは、バビロンに膝をかがめて降伏する、ということでした。

預言者エレミヤは、バビロンは偶像礼拝を続けて来たイスラエルに対する神の裁きの道具であることを説きました。バビロンに降伏することが、神に立ち返る、ということだと言ったのです。

イスラエルの前には命に至る道と死に至る道が置かれました。バビロンに降伏し、全てを明け渡すことが命の道でした。バビロンに抵抗し、剣をもつことが死に至る道でした。

皆が、「誰に頼ろうか」「どの国に頼ろうか」「どうしたら生き残ることができるだろうか」、うろうろする中で、エレミヤだけはその場を動かず、「神の裁きを受けるためにバビロンに降伏しなさい」と言い続けたのです。

結局エレミヤは売国奴とののしられ、牢に入れられてしまいます。預言者の言葉は聞かれず、自分のことだけを考える人たちの主張がぶつかり続け、その結果、エルサレムはバビロンによって徹底的に破壊されることになったのです。 Continue reading

7月16日の礼拝説教

使徒言行禄23:10~30

「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』」(23:11)

パウロが神殿で受けた誤解は騒ぎとなり、その騒ぎは最高法院によるパウロへの尋問となりました。

パウロを捕らえた千人隊長はパウロが何をしたのか、なぜユダヤ人たちがこんなに騒いでいるのかを知ろうとして、ユダヤの最高法院の人たちを呼んで調べさせました。しかしその尋問では、最高法院のファリサイ派とサドカイ派が真っ二つに割れて、復活についての言い合いになってしまいます。そばで聞いていた千人隊長は結局、なぜユダヤ人たちがパウロを殺そうと騒ぎ出したのかわからないまま、パウロを兵営へと連れて帰ることにしました。

パウロは結局その日は釈放されることなく、ローマ軍の兵営の中に捕らえられたままになりました。使徒言行禄には書かれていませんが、パウロも不安になったのではないでしょうか。確かに聖霊は「エルサレムで投獄と苦難がパウロを待ち受けている」と示してきました。しかしそれでも、「自分の苦難を通してもっと何か福音の実りがあるのでは」、と考えたのではないかと思います。

兵営に連れて行かれて、一人になり、夜になった時、パウロは何を考えたでしょうか。

「この苦難は一体何なのか。神に見捨てられた、ということか。エルサレムに戻って来るべきではなかったのか。ヤコブの提案通りに神殿に参拝したのは間違いだったのか。そもそも、自分の福音宣教は神の御心に適っていなかったのか。」

そのような思いが沸き上がって来たでしょう。

パウロに神の声が与えられたのはその時でした。

11節「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証ししなければならない」

パウロは、福音宣教の旅からエルサレムに戻って来て、エルサレムで騒動に巻き込まれることになりました。そこで教会の迫害者であった自分がどのようにイエス・キリストに召し出され、教会のために働き、教会のために迫害されるようになったか、ということを証しすることになりました。

それは、本当はパウロの意志ではありませんでした。不本意な誤解を受け、騒動に巻き込まれ、そうやってキリストを証しせざるを得ないところへとパウロ自身が巻き込まれていったのは、それが、神のご計画だったからだ。

パウロがどうあがいても、何もできなかった時・・・自分の訴えをまともに届けることができず、混乱の中、自分の知識も経験も役に立たず、ただ黙るしかなかった時・・・神の声が聞こえ、神のご計画が示されたのは、その時でした。

信仰者には、神の声が与えられる時があります。自分の知恵も知識も経験も役に立たず、自分が無力になり、もう神に祈るしかない時にこそ、神の言葉は聞こえてきます。自分に自信があり、語るべき言葉をしっかり持っている時には、逆に神の言葉は聞こえない。自分の言葉が雑音となって、神の声を聞かせないのです。

主イエスと弟子達がガリラヤ湖で船に乗っていた時、嵐が起こったことがあります。。弟子達は主イエスを乗せて反対の岸へと舟をこぎ出しました。舟をこいでいた弟子達は、ガリラヤ湖で漁師をしていた人たちでした。舟の扱いには慣れていた人たちです。

しかし、激しい突風が起こり、舟が沈みそうになります。弟子達の漁師としての経験は役に立たない状況になりました。ガリラヤ湖での漁の経験役に立たない状況の中で彼らがしたことは、舟の中で眠っておられた主イエスを起こすことでした。その時出来たのは、それだけでした。

「先生、私たちがおぼれても構わないのですか」

主イエスは弟子達の声を聞き、起き上がって、風を叱り、「黙れ、静まれ」とおっしゃいました。すると風がやんだのです。湖の上で船を操る技術をもった弟子達でした。しかし、この方は、嵐を沈める権威をお持ちの方だったのです。

弟子達は、見せられました。自分たちには太刀打ちできない嵐に勝る方が、同じ船に乗っていらっしゃる、ということを。

「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」

弟子達はそう言われて、返す言葉がありませんでした。

私たちにとって、キリストの声とは、そういうものです。信仰生活の中で何度、このキリストの声を聞くでしょうか。

「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。私が同じ舟に乗っているではないか。私を見ていないのか」

生きる中で嵐に吹かれる時、私たちの自信も、知識も経験も吹き飛ばされることがあります。その時に求めるのは、嵐を沈めてくださる方の声です。

また別の時に、弟子達だけで湖に乗って、反対の岸に行こうとして、逆風で渡れなかったことがあります。舟は逆風で進むことが出来ず、夜通し船をこいでも、湖の真ん中で立ち往生しました。

夜が明けるころ、弟子達は、湖の上を歩く人の姿を見ました。そしてその姿を見て、幽霊だと思い、恐怖で叫びました。主イエスは「安心しなさい。私だ。恐れることはない」とおっしゃって、船に乗り込まれます。そのとたん、風は静まりました。

嵐の中の小舟、また逆風の中の暗闇・・・苦難の中叫ぶしかなかった弟子達に、私たちは自分たちの姿を見るのです。信仰生活の中で感じる逆風の中で、私たちはそのキリストの言葉が与えられます。主イエスは「安心しなさい」とおっしゃいます。その理由は、「私がいるから」ということです。

「私がここにいる。あなたと共にいる。だから、安心しなさい、恐れることはない」という声を聞くことが出来る、ということが信仰の恵みです。私たちはそのように、神の声を聞くのではないでしょうか。

弟子達は一緒に旅をする中、昼間、落ち着いてキリストの教えを聞くことはたびたびあったでしょう。しかし本当に弟子達がキリストによる救いを痛感したのは、漁師の経験・知識が役に立たない嵐の中・暗闇の逆風の中でキリストの声を聞いた時だったのではないでしょうか。

逆風の中で、自分の力でどうしようもない時、祈るしかない時にこそ初めて聞こえてくるキリストの声です。私たちは、自分の中から自分の声がなくなった時に、神の御心が静かに示されるのです。信仰とはそういうものではないでしょうか。最後の最後で、どなたに向かって叫べばよいのか、そのことを知っているのが「信仰」というものではないでしょうか。

今、パウロが夜、一人でローマ兵たちの兵営に囚われている姿を見ると、「神の導き」とか「神の守り」がどこにあるのか、疑問に思ってしまうでしょう。しかし、ユダヤ人やローマ人たち、人間が意図せず作り出してしまう混乱の中にあっても、神の導きは確かに流れています。自分の力を手放し、すべてを神に委ねて、全ての雑音が自分の中から消えた時、私たちには神の声が与えられるのです。

さて、千人隊長クラウディウス・リシアは、神殿の暴動に関してパウロが無罪であることを確信していました。しかし、もうパウロを釈放して終わり、というわけにはいきませんでした。パウロを殺そうとする計画するユダヤ人人たちがいたのです。彼らは神の教えを無にし、人々の信仰をダメにする、イスラエルの信仰を壊そうとする背教者・危険人物として見ました。

その殺害計画を、パウロの甥が聞いていました。彼はそれを千人隊長に告げます。千人隊長はパウロをどう扱うべきか、すぐに決めました。パウロをカイサリアに送ることにしたのです。

ローマの市民としてパウロは公平な裁判にかけられる必要がありました。エルサレムでは興奮したユダヤ人たちがいてどうなるか分かりません。カイサリアには、ローマの総督フェリクスがいます。そこで裁いてもらおうと考えたのです。千人隊長は、パウロがローマの法律では全くの無罪であり、ユダヤ人の信仰をめぐる問題でパウロは騒がれているということを手紙で書き送りました。

さて、このようにして見ていくと、ただ神のご計画が着実に進んでいる、ということがわかります。

ユダヤ人たちはパウロが神の教えに反することを言い広めている思い、騒ぎ立てましたが、本当にパウロが何か罪を犯したかどうかは分かっていません。

最高法院の人たちもパウロの罪を見出そうとしましたが、結局、死者の復活をめぐって、ファリサイ派とサドカイ派の言い争いになりました。

ローマの千人隊長はパウロがなぜユダヤ人たちから敵視されているのかを明らかにしようとしましたが、結局何もわからずにパウロをカイサリアへと護送することになりました。

ユダヤの群衆も、最高法院も、ローマ兵も、誰もパウロを思い通りにすることができませんでした。誰もパウロを正しく裁くことが出来ていない Continue reading

7月9日の礼拝説教

使徒言行禄22:30~23:9

「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる」(23:3)

パウロがユダヤの群衆に語り掛けていると、群衆は突然騒ぎ始めました。近くにいたローマ兵たちは、パウロがヘブライ語で話していたので、その理由がわかりませんでした。兵士たちはパウロを鎖で縛り、鞭で打って何を話したのかを正直に言わせようとしたが、パウロが生まれながらのローマ市民であることがわかり、裁判もせずに手荒に聞き出すことができなくなりました。

ローマの千人隊長は、なぜユダヤ人たちがパウロに怒っているのかを正しく知るために、ユダヤの権威である祭司長や最高法院の人たちに尋問をさせることにしました。パウロが、ユダヤ人たちを扇動してローマへの反乱を起こそうとしていたのかどうかを明らかにする必要があったのです。

パウロは最高法院の人たちの前に立たされることになりました。それが今日私たちが読んだ場面です。これは、厳密にいえば裁判ではありません。千人隊長の代わりに、最高法院がパウロに行った「取り調べ」です。そしてこれが、パウロにとって最高法院の人たちに、自分の信仰の言い表す機会となりました。

パウロは最高法院の人たちに囲まれても、臆することなく、恥じることなく、「兄弟たち、私は今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました」と言いました。すると突然祭司長であったアナニアが「パウロの口を打て」と言いました。

神殿で騒ぎを起こしたトラブルメーカーが、悪びれもせずにユダヤの権威たちに「兄弟たち」と対等に呼びかけているのが気に入らなかったのでしょう。当時のユダヤ人にとって神殿で騒ぎを起こすことは、危険なことでした。神殿で暴動が起こったりすると、ローマ兵たちは徹底的にユダヤ人を弾圧することになるのです。反省の色が見られないどころか、「私は神の前で正しいことをしている」と言い表したパウロを見て、アナニアは怒って「パウロの口を打て」と言ったのでしょう。

それに対して、パウロは「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる」と言い返しました。「白く塗った壁」というのは、外側はきれいにしているけれども内側には汚いものを隠しているという意味の表現です。

イエス・キリストも、マタイ福音書で、よく似た表現を使っていらっしゃいます。偽善者たちに向かって、あなたたちは「白く塗った墓に似ている」とおっしゃいました。「外側は美しく見えるが、内側は死者の骨はあらゆる汚れで満ちている」という意味です。

さて、実際、大祭司アナニアは「白く塗られた壁」だったのでしょうか。アナニアはユダヤ教の最も高い権威にある大祭司でしたので、当然見た目は立派な人だったでしょう。その中身はどうだったのでしょうか。

歴史的な記録では、アナニアは強欲で、裏では汚職にまみれて莫大な富を手にしていた、と言われています。そしてアナニアはこの後、紀元66年に起こったユダヤ戦争の際に、ユダヤ人たちの手で暗殺されることになるのです。

その歴史を踏まえてこのパウロの言葉を読むと、私たちは真実を見出すことが出来るのではないでしょうか。

「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる。」

このパウロの言葉の十数年後、実際に、アナニアは打たれることになるのです。

パウロはユダヤ人たちから誤解を受け、神殿から追い出され、ローマ兵に逮捕され、最高法院で大祭司と向き合うことになりましたが、パウロは、自分の意志とは全く違った仕方で、神の言葉を預言することになったのです。

「白く塗った壁」・・・外側はよく見えても内側は汚れているアナニアに与えられる神の裁きをパウロは預言しているのです。深いところで聖霊がパウロを導いていることが見えるのではないでしょうか。

私たちはここで、パウロがこの大祭司に向かって言った「白く塗った壁」という言葉を通して、自分自身を顧みなければならないのではないでしょうか。「自分はどうだろうか」、ということです。一人の信仰者として、「白く塗った壁」になっていないかどうか、一度立ち止まって自分を吟味しなければならないのではないでしょうか。

旧約時代、外側を取り繕い、内側は腐敗していたイスラエルに、神は預言者エゼキエルを通してこうおっしゃいました。

「平和がないのに、彼らが『平和だ』と言って私の民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。漆喰を上塗りする者に言いなさい。『それは剥がれ落ちる』と。・・・お前たちが漆喰を塗った壁を私は破壊し、地面に打ち付けて、その基礎をむき出しにする」

イスラエルは神に選ばれた民でした。神の元へと立ち返るために選ばれた民です。その立ち返りの歩みの中へと他の人たちを招き入れることを求められていたのに、イスラエルは偶像礼拝に走ってしまいました。他の神へと向かってしまったのです。

外側は「神の民」として飾ることができていたかもしれません。「平和だ、平和だ」と言葉だけは言えたかもしれません。しかし中身は、「偶像の民」となっていました。

そのイスラエルに、神はエゼキエルを通しておっしゃいます。

「漆喰を上塗りする者に言いなさい。『それは剥がれ落ちる』」

その言葉通り、エルサレムはバビロンよって破壊されました。

旧約時代のエルサレム、そして今日読んだところに出て来た大祭司アナニアを通して、私達は自分自身を、そして教会としての内実を省みなければならないのではないでしょうか。

もし、私たちが、外側だけきれいで、内側に醜いものを抱えるような教会であったとしたら・・・「白い壁」「白く塗られた墓」になってしまったとしたら、神ご自身がキリスト教会を裁かれることになるのです。ここで、聖書から示されている信仰の警告を受けとめたいと思います。

さて、大祭司とのこのようなやりとりがあってから、パウロは最高法院に対して弁明してこう言いました。

「兄弟たち、私は生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、私は裁判にかけられているのです」

なぜパウロがこんなことを言ったのか我々は不思議に思うのではないでしょうか。実際には、これは裁判ではないし、「死者が復活するという望みを抱いている」ということでパウロはここに引き出されているわけではありません。

実際には、パウロが神殿で禁止されている場所に異邦人を連れ込んだと勘違いして群衆が騒いだだけです。そしてパウロを逮捕したローマ兵が、ローマ市民であるパウロを裁けないから最高法院が尋問しているだけなのです。

しかしパウロはここで「死者の復活」ということをいきなり持ち出しました。周りを見回して、ここでは正しく話を聞いてもらうことはできない、と知って最高法院全体を巻き込んだ議論へと向かわせようと機転をきかせたのです。

ここで最高法院の中で議論が割れました。同じユダヤ教であってもファリサイ派とサドカイ派は、聖書の解釈が違っていたからです。

サドカイ派は今の旧約聖書の初めの5つ、モーセ五書と呼ばれている言葉だけを自分たちの信仰の基準にしていました。「もう神の啓示はモーセ五書で終わっている」という立場でした。モーセ5書の中には、死者の復活は出てこないので、サドカイ派の人たちは、復活を信じていませんでした。

それに対して、ファリサイ派の人たちは、「まだ神は我々に御心を示し続けてくださっている」と信じていました。ファリサイ派は、モーセ五書だけでなく預言書や知恵文学などを加えた、今私たちが旧約聖書と呼んでいる書物の言葉を信仰の基準としていたので、復活を信じていました。

パウロの言葉を聞いて、復活はあるのかないのか、ということをファリサイ派とサドカイ派の人たちが議論を始め、その議論が激しくなったので、結局パウロはそこからまた兵営に連れて行かれることになりました。

マタイ福音書16章で、ファリサイ派とサドカイ派の人々が主イエスに「天からのしるしをみせてほしいと言ってきた場面があります。「本当にナザレのイエスは天からのメシアなのか、証拠がほしい」、と言って来たのです。

それに対して主イエスはこうおっしゃいました。

「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」

そしてその場を立ち去られました。

「与えられるのは、ヨナのしるしだけ」とはどういうことなのでしょうか。旧約聖書のヨナ書を見ると、ヨナは大きな魚に飲み込まれ、三日目に吐き出され、異邦人に神の言葉を伝えに行った人です。 Continue reading

7月2日の礼拝説教

使徒言行禄22:22~29

「パウロの話をここまで聞いた人々は、声を張り上げて言った。『こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない』」(22:22)

パウロは、自分が書いた手紙の中で「キリストに召され、異邦人への使徒とされたパウロより」と自己紹介しています。使徒言行禄を読むと、パウロがイエス・キリストによって召されたのは、「異邦人に福音を告げる」という使命のためだったことが確かに記録されています。

異邦人への福音宣教ということにおいては、パウロは適任だったでしょう。彼は当時の国際人でした。異邦人の町で生まれ、エルサレムで育ち、ガマリエルという当時尊敬されていた教師から聖書を学び、生まれながらにローマの市民権を持っていたユダヤ人です。ユダヤ的、ギリシア的、ローマ的な背景を兼ね備えた国際的知識人でした。

パウロは、柔軟にユダヤ人に対して、異邦人に対して福音を伝えていきました。コリントの信徒への手紙の中でこう書いています。

「私は、誰に対しても自由な者ですが、全ての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。・・・律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。全ての人に対して全てのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、私はどんなことでもします」

相手がユダヤ人であっても異邦人であっても、相手が聖書の教えを知っていても知らなくても、相手が強い人であっても弱い人であっても、パウロはその人に合わせて福音を伝えることができたのです。

イエス・キリストは、十字架に上げられる直前、弟子達に、終わりの日が近づくしるしをお話しなさったさい、こうおっしゃいました。。

「これらのことが全て起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、私の名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証をする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、私があなたたがに授けるからである」

キリストは「前もって弁明の準備をするな」とおっしゃいます。パウロは、エルサレムに来る前に、「エルサレムでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきりと告げてくださっています」と言っていました。エルサレムで自分に苦難がある、ということを知っていて、「それでも行く」と決断していました。

なぜでしょうか。「たとえ捕らえられても、自分には完全な弁明ができる」、という自信があったからでしょうか。そうではないでしょう。キリストの、「前もって弁明の準備をするな」という言葉を信じたからです。イエス・キリストがその時自分に言葉と知恵を授けてくださることを信じ、その言葉がキリストを証しすることになる、という信仰をパウロは持っていたからです。

語るべき言葉が与えられる・・・今日私たちが読んだ場面にはそのことが示されているのではないでしょうか。

パウロはエルサレムに戻ると、同胞のユダヤ人から非難され、ローマの兵士に捕らえられてしまいました。彼はその機会を捉えて、キリストを証ししました。パウロの苦難を通して、キリストご自身が福音を語られたのです。このような混乱の中にも、聖霊の不思議な導きを見ることが出来ます。

さて、パウロは、ユダヤ人たちにヘブライ語で語り掛けました。自分の生まれ、育ち、そして聖書の言葉・神への信仰に対する熱心さ、神からの召し出した時の話です。ユダヤ人たちは静かに聞いていました。熱心に教会を迫害していたパウロが、神に召し出されて、迫害していた教会のために働くようになったというのです。自分が思ってもいなかった仕方で神に出会い、天の声を聞き召し出される、ということは、旧約の預言者たちが経験したことでした。ユダヤの群衆にとって、それは興味深い話でした。

しかし、パウロの話を聞いていたユダヤ人たちは、パウロがあることを言った途端に怒って騒ぎ始めました。「神が私を異邦人に遣わした」という言葉です。

ユダヤ人の群衆は、「神はユダヤ人の神であって、異邦人を招くはずがない」、と思っていたのです。静かに真剣に話を聞いていた人たちは、「神が私を異邦人に遣わされた」という言葉を聞いて、パウロが嘘を言っている、と思ったのでしょう。

当時のユダヤ人たちにとって、異邦人をイスラエルの神の元へと招くことよりも、自分たちと異邦人を区別することのほうが重要でした。当時のユダヤ人にとって、異邦人との交わりは、自分を汚すことでした。

キリストの一番弟子であったペトロでさえそう思っていました。ローマの百人隊長コルネリウスに招きを受けた時、ペトロは正直に言っています。

「あなたがたもご存じの通り、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神は私に、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。」

なぜ当時のユダヤ人は、異邦人と距離を置こうとしていたのでしょうか。外国の支配・異邦人の支配の中にあって、必死に聖書の教えを守っていたからです。異邦人の王から神の言葉である律法を捨てるよう迫られたこともありました。

そのような異邦人・外国人の偶像礼拝から、律法によってきちんと自分たちを正しい神への信仰を守ろうとしていた時代でした。

旧約聖書の創世記12章を見ると、神はアブラハムに最初におっしゃっています。

「私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める・・・地上の氏族は全てあなたによって祝福に入る」

「地上の全ての氏族」、つまり、世界の全ての人は、アブラハムを通して、またアブラハムの子孫・イスラエルを通して神の元に招かれるということが言われているのです。

パウロはその神の御心を、自分の歩んできた道を語りながら伝えようとしました。今や、神が異邦人を招かれる計画を進めていらっしゃる、と。しかし、ユダヤの群衆は、神が異邦人を招いていらっしゃるということを受け入れることはできませんでした。

ローマの兵士たちは、パウロがヘブライ語で話していたので、なぜ群衆が突然怒り始めたのかわかりませんでした。収まりがつかないので、兵士たちはパウロを自分たちの兵営へと連れて行くことにしました。

兵士たちは、パウロを兵営に連れて行き、パウロを鞭打って、群衆に何を話したのかを聞き出そうとしました。群数をあおってローマへの反乱を起こさせようとしたのではないかと疑ったのでしょう。

しかし、パウロはここで、「ローマ市民を裁判にもかけずに鞭打っていいのですか」と言いました。これを聞いて兵士たちは驚きます。

ローマ帝国では、ローマ市民は法によって守られていました。裁判もせずに鞭打ったり処刑したりすることは禁じられていました。誰かがパウロを訴えるのであれば、その訴える人が直接ローマの役人に訴え出なければならなりませんでした。それらの手続きを一切なしで、ローマ兵たちはローマの市民であったパウロを鎖でつないで連行してしまったのです。ローマ兵たちはそのことを恐れました。

千人隊長は「私は多額の金を出してこの市民権を得た」と言いました。それに対してパウロは「私は生まれながらローマ帝国の市民です」と言いました。そのことで、千人隊長とパウロの立場が逆転します。ローマの市民権を金を出して獲得したローマの千人隊長が、生まれながらのローマ帝国の市民のパウロを縛ってしまったことを知って、恐れが生じました。

不思議です。普通で考えると、千人の兵士を束ねる千人隊長の方が、何の後ろ盾もないキリストの使徒パウロよりもはるかに強いのです。しかし、パウロの一言を聞いて突然恐れるようになったのです。

私たちは考えさせられるのではないでしょうか。地上の人間の権威などそれほど脆いものなのです。

旧約聖書のエレミヤ書を読むと、捕らえられていた預言者エレミヤの下に、イスラエル南王国の王ゼデキヤが言葉を求めた場面があります。

紀元前6世紀、エレミヤはバビロンに降伏するよう人々に預言しました。神がバビロンの軍隊を用いてイスラエルの罪を裁こうとなさっているのだから、皆バビロンに降伏して神に立ち返れ、と伝えました。バビロンに降伏することが「命の道」であり、バビロンに抵抗することは「死の道」である、と説きました。

当時のイスラエル南王国はバビロン派とエジプト派に分かれていました。エジプトと手を組んでバビロンに対抗しようとしていた人たちは、エレミヤを「売国奴」とみなして憎み、エレミヤを水溜めに投げ込み、牢屋につないでしまいます。

バビロン派とエジプト派の間で板挟みになったゼデキヤ王は、牢の中にいたエレミヤに神の言葉を求めました。

「主から何か言葉があったか」

たとえ一国を支配する王であっても、神の言葉を求めざるを得ない瞬間が訪れるのです。どれだけ人間がこの地上で権威を持っていたとしても、人は神の権威を恐れ、神の言葉を求めざるを得ないのです。人は、自分が地上でもっている権威など一時のものであり、一瞬でなくなってしまうはかないものである、ということを思い知る瞬間が与えられます。

イスラエルの祭司であったイザヤは、ある時天の声を聞きました。

「草は枯れ、花はしぼむが、私たちの神の言葉はとこしえに立つ」 Continue reading

6月25日の礼拝説教

使徒言行禄22:1~21

「私はこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に当時、殺すことさえしたのです」(22:4)

パウロはユダヤ人たちから誤解されていました。

「あのパウロという者はイスラエルの神と、神の教えである律法からユダヤ人たちを引き離そうとしている」

その誤解を解くために、パウロは誓願を立てた人たちと一緒にエルサレム神殿に参拝しました。それだけでなく、誓願を立てた人たちのために、誓願の費用を立て替えることまでしました。その費用は決して安いものではなかったでしょう。エルサレム教会の長老たちの、「パウロに対する誤解は解いておいた方がいいだろう」、という提案を受け入れて、自分が他のユダヤ人たちと同じように神殿と律法を重んじていることを示そうとしたのです。

しかし、パウロは神殿にいた、アジア州から来ていたユダヤ人たちから勘違いされてしまいます。異邦人の立ち入りが禁止されている場所に知り合いの異邦人を連れ込んでエルサレム神殿を汚した、と思われ、それが騒動になり神殿から追い出されてしまいました。

神殿で騒いでいるユダヤ人たちの声を聞きつけたローマ兵たちがやって来て、パウロはユダヤ人たちから守られる形で助け出されました。ローマ兵の兵営に連れて行かれる途中で、パウロはローマの千人隊長にギリシャ語で話しかけ、ユダヤ人たちに語りかけることを願い出で許されます。

今日私たちが読んだのは、パウロが同胞であり、同時に自分を誤解しているユダヤ人たちに向けてヘブライ語で語り掛けたという場面です。

今日読んだ言葉は、パウロの弁明です。「弁明」と言っても、パウロは「自分が無実である」とか、「自分は神殿で何も悪いことをしていない」とか「あなたたちは誤解している」というような、自己弁護をしたのではありませんでした。

パウロはもっと大きなことを語っています。自分がどこで生まれ、どこで育ち、誰によって教育を受けたのか・・・自分の人生そのものを語ったのです。

パウロがユダヤ人の群衆に語ったのは、自分がどのようにイエス・キリストに出会い、神のご計画のために用いられるようになって今ここにいるのか、ということでした。自分が以前はどのような人間だったのか、そしてキリストとの出会いによってどのように今の自分になったのか・・・その根本のところを伝えなければ、自分の無実・自分に対する誤解を解くことができない、と思ったのでしょう。

3節 「私は、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました」

パウロは自分がタルソスという異邦人の町で生まれたユダヤ人であり、エルサレムで育ち、ガマリエルという当時もっとも尊敬されていた教師に聖書を学んだ、熱心なユダヤ人であることを告げました。

「私はあなたたちユダヤ人と同じだ。同じものを大切にしている。神の掟である律法を大切にして、熱心に神に仕えている」ということを言おうとしたのです。どれほどパウロが熱心な信仰をもっていたか・・・その後のパウロの言葉を見ればわかります。「私はこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです」

教会の人たち、キリスト者たちを熱心に迫害し、縛り上げて殺すことまでした・・・それがパウロの信仰の「熱心さ」だった。そしてその「熱心さ」は、今パウロを神殿から引きずり出したユダヤ人たちと同じ「熱心さ」でした。パウロはここで、「あなたたちが私に抱いている感情は、よくわかる。私もかつてはそうだった」と伝えているのです。

このことは後にパウロ自身、フィリピ教会への手紙の中で書いています。

「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした」フィリ3:5~6

パウロは自分がどれほど神に対して律法に対して熱心で、そして自分がユダヤ人であることに誇りを持っていか、ということを書いています。「自分ほど完璧なユダヤ人はいない」という自負を持っていました。

パウロは、神のために熱心に教会を迫害していた自分を変えたのは、その神ご自身だった、と語るのです。「私が信じているのは、あなたたちと同じ神であり、あなたたちと同じ熱心さを持っている。そして今、自分をここへと導き、ナザレのイエスをメシアであると伝えるようになさったのは、あなたがたがた皆信じているイスラエルの神ご自身なのだ」、言うのです。

私たちはパウロがどのように神に召されたのか、その時の様子を既に読んで知っています。教会の迫害者パウロはもっと教会を迫害しようと意気込んでダマスコに向かっていました「神のために、教会の人たち、キリスト者たちを牢に入れよう。神のためだ」しかし、途中で、復活のキリストから声をかけられました。

「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」

十字架で殺されたはずのナザレのイエスが天の光に包まれ、自分に出会ってくださったのです。パウロはその時、自分が迫害していたのは神の教会であり、キリスト者を迫害していた自分は神のメシアを迫害していたということを知りました。

パウロは、群衆に向かって、復活のキリストから呼びかけられて、自分が教会の迫害者からキリストの使徒へと召された次第を語りました。これこそが、パウロが群衆に訴えたことだった。「自分は無実だ」ということよりも、このことの方が重要なことだったのです。

なぜ教会の迫害者サウロが、キリストの使徒パウロへと変わったのか・・・私たちは何度もこのことを考えてきた。信じがたいことです。極端な変わりようです。パウロにとって、何の得にもならないようなことでした。迫害する側から、迫害される側になる、それも一番の矢面に立つようになる、ということでした。

パウロが一人で聖書を勉強してそのように結論を出したのではありません。彼は、自分が行く道を自分で見つけたのではなく、神・キリストによって道を与えられ、その道を歩かされるようになったのです。自分では、「主の道・神の道」を正しく歩んでいると思っていました。しかし、神は、キリストは「その道ではない」とおっしゃって、パウロの行く道・方向を変えられたのです。

これはパウロだけではありません。旧約の預言者たちを見ても、皆、神が出会ってくださることによって、新しい道を歩み始めたことがわかります。いや、歩まされるようになりました。神との出会いが無ければ、預言者としての働きなどなかったのです。

アモスという人は、BC8C、イスラエル南王国のテコアという村の羊飼いでした。家畜を飼い、いちじく桑を栽培していた彼は、突然神に召し出され、羊やイチジクを後に残して、北王国に行って神の言葉を伝えて回りました。

イザヤという人は、BC8C、神殿の中で神の姿を見、神の声を聞きました。イザヤは恐れのあまり死を感じます。しかし「あなたの咎は取り去られ、罪は許された」と天使から言われました。そして天からの声が聞こえて来ました。

「誰を遣わすべきか」

イザヤは「私がここにおります。私を遣わしてください」と言いました。自信があって「私を遣わしてください」と言ったのではありません。神に出会った自分には、もうその道しかなかったのです。彼は預言者としての道を歩み始めました。

エレミヤという人は、BC7C、エルサレムで祭司として働いていました。20歳になるかならないかぐらいの若い時に時に、神から呼ばれて預言者とされた人です。初め、エレミヤは嫌がりました。「私は若者にすぎません」と神に訴えました。しかし神はお許しにならなりませんでした。「若者に過ぎないと言ってはならない。私があなたを、誰の所へ遣わそうとも、行って、私が命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。私があなたと共にいて必ず救い出す」。その後40年間、エレミヤは涙を流しながら神の言葉を同胞に伝え続けることになりました。

エゼキエルという人は、BC6C、バビロンに捕囚として連れて行かれました。捕囚としての生活が5年間続いたある日、バビロンで幻を見せられ、預言者として召されました。エゼキエルは、自分の妻が死んでも、黙ることは許されませんでした。それでも神の言葉を語り続けることを神から求められたのです。

このように、旧約の預言者たちは、自分の崇高な決心や、自分の頑張りで神の言葉を伝えようとしたのではありませんでした。自分の意思で預言者となったのでもありません。彼らは、皆召し出されたのです。神の言葉を伝える道へと引きずり出されたのです。

旧約時代の預言者たちやキリストの使徒たちは、強靭な意思で神の言葉を伝え、キリストを証ししていったのでしょうか。そうではないでしょう。生きた神との出会いが、一人の人を変えた・・・そういうことです。キリストとの出会いが、人の生きる道を全く変えてしまうのです。

私達もそうなのです。私達はこの道・信仰の道へとキリストによって召されました。自分で聖書を読んで、全て理解して、全て納得して、自分の力でキリスト者になったという人はどれだけいるでしょうか。むしろ、「召された」としか言えないようなことが、それぞれにあったのではないでしょうか。

イエス・キリストに出会った人は、新しい道を歩み始めます。そして神への礼拝と祈りの中に身を浸していきます。礼拝の中で、祈りの中で新しい道が示されていくのです。 Continue reading

6月18日の礼拝説教

使徒言行禄21:27~40

「『この男は、民と律法とこの場所を無視することを、いたるところで誰にでも教えている。』」(21:28)

神殿に参拝したパウロがユダヤ人たちから誤解されて、神殿から追い出されてしまった、という場面です。パウロは、神殿から締め出されただけでなく、ローマ兵たちによって鎖で縛られてしまいました。

三回目の福音宣教を終えたパウロはエルサレムへと戻って来ました。エルサレムに戻る途中、いろんな人たちから「エルサレムに行かないでほしい」と言われてきました。パウロがエルサレムで「異邦人の手に引き渡される」ということが聖霊によって示されていたのです。

パウロ自身、自分の行く手に待ち受けている苦難について聖霊から告げられていました。エルサレムで「投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」とエフェソ教会の長老たちに言っています。

それでもパウロは、「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことが出来さえすれば、この命すら決して惜しいと思いません。」「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、私は覚悟しているのです」と、自分を引き留めようと他のキリスト者たちに、自分の決意を告げてエルサレムにやって来たのです。

エルサレムに来たパウロは、エルサレム教会に自分の宣教旅行の様子を報告しました。教会の指導者ヤコブも、長老たちも、神がパウロを通してご自分の御業を進めていかれたことを知り、喜びました。同時に、ユダヤ人たちがパウロにもっている誤解を恐れました。「パウロは異邦人の間にいるユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな、慣習に従うな』と言ってモーセから離れるように教えている」という誤解があったのです。

パウロは、割礼という目に見える形でなく、イエス・キリストへの信仰にこそ救いの本質がある、と説いてきました。それがいつの間にか、「パウロは神の律法を捨てるようにユダヤ人たちに教えている」、と誤解されるようになっていたのです。

五旬祭・ペンテコステの祭りの間、パウロは静かに神殿に参拝していました。自分が他のユダヤ人たちと同じように神の神殿を大切に思っている、神の律法を守っているということを示すためです。

祭りが終わろうとしていた時、その誤解によって神殿にいたユダヤ人たちがパウロに対して怒り、騒ぎになりました。その騒ぎの中で、ローマ兵に鎖で縛られてしまうことになったのです。

エルサレムでこうなることを知っていたパウロですが、どんなことを考えながらこの受難に向かって歩みを進めて来たのでしょうか。当然、投獄や苦難に対しての恐れを持っていたでしょう。

しかし同時に、喜びも持っていたでしょう。それは、イエス・キリストの苦しみに倣う、という喜びでした。

イエス・キリストも、エルサレムで御自分待ち受けている十字架という苦難を弟子達に予告なさいました。「人の子はかならず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」

それを聞いた弟子達は驚きました。皆、主イエスが栄光の座に向かって進んでいらっしゃる、と思っていたからです。やがて栄光の座につかれるメシア、主イエスは、自分にも特別な地位を与えてくださるだろう、という期待をもってからこそ従っていたのです。それなのに、主イエスは「私は殺されることになっている」などと突然おっしゃったのです。

ペトロは、主イエスの脇に呼んでいさめました。

「そんなことがあってはなりません。とんでもないことです」

しかし主イエスはペトロを叱って言われました。「サタン、引き下がれ、あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」

そして弟子達全員におっしゃいました。

「私の後に従いたいものは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」

自分の十字架を背負ってイエス・キリストに従う・・・これがキリストに従おうとする人の信仰の姿勢だというのです。何かいいものをもらえる、何か利益をいただける、という思いでキリストに従うのでは、信仰者は失望することになるでしょう。

パウロは、ペトロをはじめとして、キリストの12弟子達からこの言葉を聞いていたことでしょう。パウロは、神の救いの御業のために十字架へと歩んで行かれたキリストの歩みに倣っています。人間のことではなく神のことを思い、自分の十字架を背負ってキリストに従うために、聖霊の導きに身を委ね、わかっていながら投獄と苦難へと進んでいったのです。

さて、パウロはなぜ神殿から追い出されてしまったのでしょうか。ユダヤ人たちは何に突然起こり始めたのでしょうか。

パウロが神殿にいた時、アジア州からやって来たユダヤ人たちもいました。ペンテコステの祭りのために巡礼に来ていた人たちでしょう。彼らは、パウロが以前、エルサレムでトロフィモというエフェソ出身のギリシア人と一緒にいるのを見たことがありました。今、神殿にパウロがいるのを見て、「トロフィモも一緒にいるのだろう」、と思い込んだのです。

エルサレム神殿は、区分があって、異邦人が入れるのはここまで、という線引きがありました。アジア州から来たユダヤ人たちは、パウロがそれを無視して異邦人であるトロフィモを禁止されているところまで連れ込み神殿を汚した、と勝手に思い込んで怒り始めたのです。

彼らは叫びました。「この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところで誰にでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった」

この言葉は真実ではない。パウロは律法や神殿をないがしろにしたこともないし、本当に異邦人を神殿の境内に連れ込んでもいません。

しかし、誰もそれを確かめようとしませんでした。すぐに騒ぎとなり、パウロは神殿の境内から引きずり出され、門の外に締め出されてしまいました。その騒ぎに気付いたローマ兵がやってきて、パウロを鎖で縛り捕えてしまったのです。ローマの軍隊は、ユダヤの祭りの期間、民族的な思いが高まってローマへの暴動が起きないように、神殿の近くに砦を造り、見張りの場を設けていました。

ローマ兵によって一応は暴徒化したユダヤ人たちから助け出された形になったパウロですが、そこで解放されたわけではありませんでした。パウロは暴動の首謀者だと勘違いされたのです。

ローマの兵営に連れて行かれそうになった時、パウロがギリシャ語で「一言お話ししてもよろしいでしょうか」と千人隊長に言うと、千人隊長は驚きました。

「ギリシア語が話せるのか。それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか」

ローマ兵たちはパウロのことを、最近反乱を起こしたエジプト人と思い込んで勘違いしていて逮捕したようです。

こうして見ると、パウロはいろんな誤解を受けていた、ということがわかります。ユダヤ人たちからは神殿・律法の冒涜者として見られました。ローマ兵たちからはローマ帝国への反乱の首謀者として見られました。どれも誤解です。パウロは全く吟味されることなくユダヤ人たちから非難され、ローマ兵に逮捕されてしまいました。

理不尽な話です。このようなキリストの使徒たちの姿を見ると、「本当に、この中に聖霊の導き・働きはあるのだろうか」と私達は思ってしまうのではないでしょうか。聖霊の守りがないから、パウロにこのような苦難が襲い掛かっているのではないか。

そうではありません。むしろ、聖霊はキリスト者の痛み・苦しみを通して神の御業を現わしていくのです。神はいつでも、信仰者と痛みを共にして人々を招かれるのです。

旧約時代の預言者たちがそうでした。彼らの姿を見れば、パウロは旧約の預言者たちと同じ道をたどっているがわかります。同胞から誤解され、話も聞いてもらえないのです。神の言葉を預かって忠実に預言しているのに、神を信じる人たちから「神がそんなことおっしゃるはずがない」と否定されてしまうのです。

BC8Cに活動した預言者アモスは、神殿で告げた。

「イスラエルはかならず捕らえられてその土地から連れ去られる」

BC7~6Cに活動した預言者エレミヤは、エルサレム神殿の門に立って、神殿の門に入って行くイスラエルの人たちに語るよう神から言われた。 Continue reading

6月11日の礼拝説教

使徒言行禄21:17~26

「この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったいどうしたよいでしょうか」

三度目の福音宣教の旅から戻って来たパウロはエルサレム教会に行き、そこで自分がこれまで行ってきた宣教の様子を報告しました。パウロには、その必要があったのです。「自分の宣教が、自分の思いでしたことではなく、聖霊に導かれた神の御業であった」、ということをきちんと伝えなければなりませんでした。

パウロは、どこかの教会から正式に派遣された使徒ではありませんでした。はじめはアンティオキア教会から派遣されましたが、二度目の宣教旅行に向かう際、一緒に宣教の旅に出ようとしたバルナバと決別することになり、それ以来、自分一人の裁量で宣教に従事することになりました。いわば、パウロは「フリーランスの使徒」でした。

そのため、パウロはエルサレム教会の人たちに、好き勝手に活動したのではないことに加えて、自分を通して聖霊が働き、神の御業が行われていったということを報告する必要があったのです。

パウロの三度目の宣教旅行の様子を聞いたエルサレム教会の指導者ヤコブ、長老たちは皆神を讃美しました。あらためて、パウロが神に召され神の御業のために働いた人である、ということを確信しました。

しかし、エルサレム教会の人たちには、パウロに関して一つ大きな心配事がありました。それは、この時パウロが多くのユダヤ人キリスト者たちから誤解されていた、ということです。それは、「パウロが異邦人の間に住んでいるユダヤ人たちに、神の教え・律法から離れるように教えている」、とう誤解でした。

パウロが使徒として召されてからもう20年以上がたち、その間パウロは異邦人への福音宣教の旅を続けていたので、エルサレムで実際にパウロを知っている人は少なくなっていたようです。

パウロが一回目の福音宣教の旅から、異邦人伝道の拠点であったアンティオキア教会に戻った時、ユダヤからあるキリスト者たちがやって来て、「あなたがた異邦人もユダヤ人と同じように割礼を受けなければ救われない」、と言って来ました。ユダヤ人にとって、割礼こそ神の民の一員とされたことの徴であり、異邦人・異教徒と区別される徴だったのです。それなのに異邦人キリスト者たちは、神への信仰をもったにもかかわらず割礼を受けないでいる、ということを懸念したのです。

パウロ自身もユダヤ人で割礼を受け、モーセの律法に従う者の一人でしたがそれに反対しました。キリストを信じ洗礼を受けた異邦人たちの上に、割礼を受けていないにも関わらず聖霊が降るのを見たからです。異邦人キリスト者たちは、割礼を受けないまま聖霊を受け、神の救いに入れられていました。

パウロはバルナバと一緒にエルサレムに行き、「キリストの信仰があれば神はその人を受け入れられる。異邦人に割礼は強要しなくてもいいのです」と主張しました。反対する人たちもいましたが、ペトロもその場でパウロと同じことを言ったので、皆が納得して、異邦人キリスト者たちを悩ませないように、異邦人キリスト者には割礼は強要されないという原則を手紙に書いて、諸教会に送りました。

パウロは「割礼ではなく、キリストへの信仰によって神に受け入れられるのだ」と言い続けてきた人でした。時間が経ってエルサレム教会の中にもいろいろと変化があったようです。まず、今日読んだところを見ると、エルサレム教会にペトロがいません。恐らく、どこかに宣教の旅に出かけていたのでしょう。そしてヤコブがエルサレム教会の指導者となり、長老たちと一緒に教会の秩序を守るようになっていました。

時間が経つにつれてエルサレムのユダヤ人たちから、「昔教会を迫害していたパウロは、ユダヤ人律法から引き離そうとしている」という誤解ができてしまったのです。

一世紀当時のユダヤ人の間には、律法に対する民族的な熱心さがありました。その熱心さには、ローマに対する政治的・宗教的な反発も含まれていました。神からユダヤ人に与えられた律法の言葉こそ、彼らのアイデンティティでした。

そのような中で、パウロは誤解されてしまうようになったのです。実際は、パウロは律法を捨てなさいなんてことは言っていません。「神に救われるために必要なのは、キリストへの信仰である」「割礼以上に信仰が大事なのだ」、という単純な真理を伝えてきただけでした。神の教えを捨てるようなことを勧めたことなどありません。

エルサレム教会の指導者であったヤコブ、そして長老たちは、パウロに対する誤解を解かなければならない、と考えました。彼らはパウロに一つの提案をしました。教会の中に、誓願を立てた人たちがいるので、その人たちと一緒に神殿に行き、彼らの誓願のために費用を出してほしい、というものです。

そうやって、「パウロは律法を守って正しく生活をしている者である」「パウロは神の教えを大切にしている」、ということを皆に見てもらおうとしたのです。これは一種のパフォーマンスです。姑息なやり方にも思えますが、そんなつまらないことをしなければならないほど、パウロに対する誤解は大きかった、ということでしょう。

私たちはここを読みながら、どうして当時のユダヤ人はそんなに割礼にこだわったのか、また、そのことが教会にとってもどうしてそれほど大きな問題となったのか、ということに戸惑うのではないでしょうか。

一世紀のユダヤ人にとって、割礼は神の民イスラエルの一員であるしるしでした。それはアブラハム以来続いてきた、信仰のしるしでした。しかし、神は、ユダヤ人でなくても、割礼を受けていなくても、キリストを求める人に聖霊を注がれ、御自分の息を吹きかけ、身元へと召されました。割礼無しで誰かが神に受け入れられるということは、最初はキリスト教会にとっても大きな驚きでした。それほど、イスラエルの民は割礼に重きを置いて、神の民として生きて来たのです。

私たちは聖書を読む際に、ユダヤ人と非ユダヤ人・異邦人の間にあった壁はそれほど大きなものであった、ということを踏まえなければならないのです。そして、私達は何より、その「隔ての壁」を取り除いてくれるのが、イエス・キリストへの信仰である、ということを教えられているのです。

パウロはエフェソの信徒への手紙の中で、異邦人キリスト者に向けてこう書いています。

「あなたがたは以前は肉によれば異邦人であり、・・・割礼のない者と呼ばれていました。・・・しかし、あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近いものとなったのです。実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し・・・十字架を通して両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」

イエス・キリストが世に来られ、十字架で全ての壁・敵意を取り壊してくださった今、もう「ユダヤ人かどうか」「何人なのか」「割礼は必要かどうか」ということは問題にはなりません。

イエス・キリストへの信仰は「何人か」「割礼を受けているかどうか」という自分一人の問題ではなく、自分と誰かの間にある壁を壊す大きな平和の力であるということを覚えたいと思います。

パウロは、人と人の間にある壁と戦った人だったと言っていいでしょう。そしてその壁を壊すのはイエス・キリストのお名前だけなのです。イエス・キリストという一つのお名前の下に皆が集った時、人は一つになれるのです。

パウロはユダヤ人でありながら、ユダヤ人が持つ偏見と闘いました。新しい信仰集団を作ろうとしたわけではありません。

パウロ自身は、ローマの信徒への手紙の中でこう書いている。

「神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のないものをも信仰によって義としてくださるのです。それでは、私たちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです」

割礼の有無ではなく、信仰の有無にこそ、私たちの信仰生活の本質なのだ、と言っています。今の私達からすれば、「当たり前ではないか」と思えるようなことかもしれません。

しかし、この時パウロに対して持たれていた誤解を通して、私達は今の自分自身のことを省みることが出来ると思います。キリストへの信仰以上に、何かの見た目であるとか、形であるとか、人からの評価とか・・・そんなものに心を向けていないでしょうか。

旧約時代、イスラエルが堕落した時に、神は預言者イザヤを通してイスラエルにおっしゃった。

「見よ、断食の日にお前たちはしたいことをし、お前たちのために労する人々を追い使う・・・そのようなものが私の選ぶ断食・苦行の日であろうか。・・・私の選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと」

割礼にしても、断食にしても、ただそれをすればいい、というものではありません。神が、割礼を通して断食を通してイスラエルに何をお求めになったのか、ということが重要なのです。

詩編の詩人はこう歌っている。

「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす捧げものが御旨にかなうのなら、私はそれを捧げます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません」 51篇

信仰者の業は、割礼であれ断食であれ、神の前に悔い改め、神に立ち返り、神がお求めになる平和を打ち立てるためのものなのです。

今、イエス・キリストが来て、それを伝えてくださいました。キリストはただ、御自分に従って生きることをお求めになりました。

「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父の下に行くことができない」 Continue reading

6月4日の礼拝説教

使徒言行禄20:36~21:17

「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、私は覚悟しているのです」(21:13)

今日私たちが読んだところが、パウロの福音宣教の旅の最後の場面になります。この後も、パウロの旅は続き、エルサレムに向かい、最後にローマに至ることになります。しかし、それは今までのような「福音宣教の旅」ではありません。

これまでのパウロの旅は、新しい町に行って福音を告げ、教会を設立したり、既に設立された教会をめぐって信仰の励ましを伝えて回ったりするものでした。これからは、エルサレムで捕えられ、裁判を受けるためにローマへと護送され囚われの身となる旅となるのです。

これから私たちは、今までとは様子の違ったパウロの旅の姿を追っていくことになります。そこに見られる聖霊の導きに注意して読み進めていきたいと思います。

エフェソの長老たちに別れを告げてからエルサレムまで、パウロの一行がどのようなコースをたどり、どの町に寄ったのか、ということをルカは詳しく記録しています。一行は地中海沿岸を行く貿易船に載せてもらいながら、エルサレムに向かいました。

船はミレトスから出航し、パウロたちはパタラというところで船を乗り換え、ティルスの港に着きます。そこからプトレマイス、そしてカイサリアに行き、そこからエルサレムへと向かいました。

パウロは行く先々でキリスト者と会い、最後の別れをしています。次々と、パウロと親交のあったキリスト者たち・弟子達が出てきます。ティルスやプトレマイス、カイサリアという町々の教会員です。

使徒言行禄には、いつ、どのようにティルスやプトレマイオスやカイサリアに教会が設立されたのか、ということは書かれていません。私たちは、使徒言行禄に記されていることが、教会の歴史の全てではない、ということを踏まえなければなりません。使徒言行禄に書かれていないところでも、福音は聖霊によって広がっていたのです。

ヨハネ福音書の最後は、こういう一文で終わっています。

「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。私は思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」

キリストの言葉、御業を言葉に収めきることはできない、とヨハネは言います。福音書は、イエス・キリストの全てを書き尽くしているのではないのです。

使徒言行禄も同じです。聖霊の業、教会の業、一人一人のキリスト者の名前や無数の業を、全て書き残すことはできません。木が大地に根を少しずつ下ろしていくように、根を広げていくように、人間の目には見えない仕方で聖霊は福音を広げ、深めていたということです。

主イエスは、こういうたとえ話を残されています。

「神の国は、からし種のようなものである。土に蒔く時には、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」

キリストから使徒たちに託された福音の種は小さいものでした。使徒たちが蒔き、小さな信仰者の群れが少しずつ芽を出し、育っていきました。福音の小さな種は、無数の小さな信仰者たちの手に受け継がれていったのです。福音書にも、使徒言行禄にも名前が残っていない、小さな信仰者たちの、小さな信仰生活が、福音の種まきとなり、水やりとなり、福音に生きる人たちを新しく生みだしてきたのです。

無数の信仰者の、誰にも知られていない信仰生活が、聖霊によって用いられていった、だからこそ、パウロが行く所行く所でキリストを信じる人たちが待っていたのです。

ティルスも、カイサリアも、ユダヤ人の土地ではありません。旧約聖書ではティルスやカイサリアはむしろイスラエルの敵として出てくる異邦人の町々です。旧約時代の誰が、ティルスやカイサリアにイスラエルの神を信じ、メシアの下に集うキリスト教会が出来るなどと考えたでしょうか。

町々でパウロを迎えるキリスト者たちの姿こそ、人間には成し遂げることのできない聖霊の働きの証しです。私たちは、今日のような場面を通して、使徒言行禄に記録しきれなかった神の御業を見ることが出来るのです。

さて、パウロはエルサレムへの旅の途中に会う全てのキリスト者たちから警告を受けることになりました。ティルスのキリスト者たちから「エルサレムに行かないでほしい」と言われます。彼らも聖霊を通してパウロの行く道に苦難があることを知っていたからです。

カイサリアでもそうでした。キリストの使徒の一人、フィリポの家に滞在しました。フィリポには四人の娘がいて、四人とも預言者だったようですが、直接パウロが行く道に警告を発したのは、ユダヤ地方から来たアガボという預言者でした。この人は、以前、ユダヤからアンティオキアに行って大飢饉を預言した人でもあります。11:28

このアガボが、不思議なことをしました。

「パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。『聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ちに主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す』』」11節

これは象徴預言というもので、「こういうことになる」ということを自分の身をもって示す預言の仕方です。

キリスト者たちはみんな、このままエルサレムに行くと捕らえられてしまうことを知って、パウロに「行かないように」、と懇願しました。パウロ以外の全員が、このまま進むことに反対だったのです。

しかしパウロは既に、エフェソ教会の長老たちとも同じやり取りをしていました。エフェソ教会の長老たちにこう言っています。

「今、私は霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」20:23

パウロは自分に「行くな」と言う人たちに、告げました。

「泣いたり、私の心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか、死ぬことさえも、私は覚悟しているのです」

「あなたの道の際には受難が待っている」と言っても、パウロは「知っている。それでも行くのだ」と答えるのです。

パウロは自分が行きたいからそこに行こうとしているのではありません。神が行けとおっしゃっているから、聖霊がそこへと導いているから行こうとしているのです。それが神の御心だから、行くのです。

パウロはイエス・キリストの歩みに倣っています。キリストはご自分の前に受難があることをご存じで、それでも歩みを進めていかれました。私達はキリストが十字架へと引き渡される夜、オリーブ山でどのように祈られたかを知っています。

「父よ、御心なら、この杯を私から取り除けてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください・・・イエスは苦しみ悶え・・・汗が血の滴るように地面に落ちた」と書かれている。

受難に向けて歩む、ということは簡単ではありません。パウロだって淡々と進んでいたのではないでしょう。パウロもキリストのように必死に神の御心が自分を通して行われることを祈りつつ、歩んでいたでしょう。行く道が暗くても信仰に留まれるように、彼は何度祈ったでしょうか。

パウロは遂にエルサレムに入りました。そこでムナソンという人の家に泊まった、とあります。「パウロがムナソンの家に泊まった」ということには、大きな意味があります。

ムナソンは、「キプロス島出身の人」であり、「ずっと以前から弟子」であったキリスト者と書かれています。ムナソンというのはユダヤ名ではなく、ギリシャ名です。おそらく、キプロス島出身の、「ギリシャ語を話すユダヤ人」でしょう。

キリストの使徒、ステファノが殺された時、教会の人たちはエルサレムから追い散らされました。恐らくムナソンも、その時エルサレムから追放されたキリスト者の一人だったのではないでしょうか。

その時エルサレムから追放されたキリスト者たちは、追い散らされた先で、異邦人に福音を伝えていきました。そうやって、迫害を受けたキリスト者たちは、逃げながらキリストの福音を広めていったのです。キリスト者は、そういう仕方でキリストの受難の歩みを担っていきました。

ステファノが迫害され、ムナソンが追放されたであろう時、パウロはまだ教会の人たちを迫害し、追放する側の人間でした。その時教会の迫害者だったサウロが今、キリストの使徒パウロとして、迫害されたであろうムナソンの家に受け入れられ、キリストの受難に倣う道へと踏み出そうとしていることに、聖霊の導きの不思議を見るのではないでしょうか。

使徒言行禄を見ていると劇的な使徒たち・教会の姿があります。しかし、パウロだけが劇的なのではない。劇的なのは聖霊の働きです。私たちも、この不思議な聖霊の働きの中に置かれている一人とされていることを忘れてはなりません。 Continue reading

5月28日ペンテコステ礼拝説教

使徒言行禄20:17~35

「今、神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます。この言葉は、あなたがたを作り上げ、聖なるものとされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることが出来るのです」(20:32)

使徒言行録は、文字通りキリストの使徒たちの言葉と行いを記録したものです。しかし、はじめから丁寧に読んでいくと、その使徒たちを導いた聖霊の働きの記録である、ということがわかります。

使徒たち召し出し、最初の教会を作り、今の私達まで導いてきた聖霊の働きに思いを向け、私達キリスト教会がもっている本当の「強さ」とは何か、私達の強さは何に根差しているのか、ということを捉えて行きたいと思います。

パウロの、最後の旅の様子を私達は見ています。聖霊はパウロに、これからエルサレムに行き、その後ローマに行く、という道を示していました。神のご計画を信じてエルサレムに向かう途中で、パウロたちを乗せた船はミレトスの港に停泊しました。その時間を使って、パウロはエフェソ教会の長老たちを呼び寄せて最後の別れをします。

パウロは自分がこれまでどのようにイエス・キリストに仕えて来たか・聖霊に導かれてきたか、ということを語り、その生き証人であるキリスト者として自分と同じようにキリストへの信仰に留まるよう励ましました。

パウロは、次に何が起こるのかを知らないままに、それでも聖霊の導きを信頼して「神の道・主の道」を歩いてきました。これまで苦難、投獄、嘲笑、暴力がありました。それでもパウロは、自分に与えられた様々な痛みをも、「自分に必要な神から与えられた試練」として、「神のご計画の実現のために必要な試練」として向き合って来たのです。試練のたびに、神はパウロのために新しい道を切り開いてくださってきたのです。

その自分の信仰の体験を踏まえた上で、パウロは、エフェソ教会の長老たちに言っています。

22節 「今、私は、霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるのか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきりと告げてくださっています。」

聖霊は、パウロを、困難の無い道へと恵みをもって導いて下さる、というのではありませんでした。「困難と投獄」が待ち受けている道へと導こうとしていたというのです。

パウロは以前から、教会の人たちに伝えて来ました。

14:22 「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」

そもそも、神がパウロを召された時、パウロの行く道についてこうおっしゃっっています。

9:15 「私の名のために、どんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」

パウロは「キリストを信じれば辛いことがなくなる、楽に生きられる」などというご利益を伝えません。「罪びとのために苦しんでくださったキリストに倣い、神の元へと立ち返ること」を教えるのです。

パウロは、自分の役割を、後に手紙の中でこう書いています。

フィリピ3:13「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」

パウロは信仰の歩みの先に、「賞・ご褒美」があることを言っています。信仰の試練・苦難の先に、神が私たちのために用意してくださっている何かがあるのです。だから、パウロは自分が苦難の中にありつつ、「皆一緒に私に倣う者になりなさい」と手紙に書くのです。「キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです・・・しかし、私たちの本国は天にあります」

パウロはエフェソ教会の長老たちに別れを告げ、もう二度と会うことはないことを知っていました。彼はここで、少し突き放したような言い方をしています。

26節「今日はっきり言います。誰の血についても、私には責任がありません。私は、神のご計画を全て、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです」

自分のやるべきことは全てやったのだから、あとはあなたたちの責任だ、という言い方で、少し冷たく感じます。

パウロは自分の手紙の中でもこう書いている。

ロマ15:19「私は、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました」

今のイスラエルからバルカン半島までの範囲を巡り、福音を全て語り尽くした、と断言しています。

パウロが「福音を語り尽くした」と言っているのは、自分が大きな群れを作った、ということではありません。パウロが関わって来た諸教会は、家の教会で、今のように何百人もいるような規模のものではありませんでした。たかだか数十人です。ある群れは数人でした。誰かの家に集まって、肩を寄せ合って福音を聴き、キリストに従っていた人たちです。

パウロが神から与えられた責任は、大きな教会を作ることができたかどうか、ではなく、示された場所で語るべき言葉を全て語ったかどうか、ということでした。イエス・キリストの十字架と復活を語り尽くしたかということだったのです。

これこそ、神が預言者にお求めになったことでした。旧約の預言者エゼキエルに神はこうおっしゃっています。

3:18 「もしあなたが悪人に警告して、悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、彼の死の責任をあなたに問う。しかし、あなたが悪人に警告したのに、悪人が自分の悪と悪の道から立ち返らなかった場合には、彼は自分の罪ゆえに死に、あなたは自分の命を救う。」 Continue reading

5月21日の礼拝説教

使徒言行禄20:13~24

「今、私は霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるのか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(20:22~23)

パウロはエフェソに二年間留まり、ティラノという人が持っていた会堂で、毎日イエス・キリストの福音を語り伝えてきました。彼は、「エルサレムに行き、その後、ローマに行かなくてはならない」、という使命感を抱くようになっていました。

パウロが、まさにこれからエフェソを離れてエルサレムに行こう、という時に、エフェソの町の中で暴動が起こりました。アルテミスの女神の神殿の模型を作って利益を得ていた銀細工師が、パウロが「手で造ったものは神ではない」と言っているのを聞いて人々を煽り、エフェソの教会、パウロに対する暴動を起こしたのです。

エフェソの町の書記官が、この騒動を収めました。「訴え出たいことがあれば、正式な訴えを法廷に出しなさい。創でなければ、暴動の罪に問われる恐れがある」と言われて人々が解散するとすぐに、パウロは弟子達に別れを告げてヨーロッパのマケドニア州へと出発しました。自分がこれ以上エフェソに留まっていたらまた暴動が起こり、キリスト教会が危険にさらされることを憂慮したのでしょう。

パウロはギリシャから舟に乗ってエルサレムに向かうつもりでしたが、そこでもユダヤ人からの妨害があり、計画を変えて、陸路を行くことにしました。パウロは、自分の旅に同行していた人たちを先に行かせ、一人フィリピに残り、フィリピ教会の人たちと除酵祭・過越祭を祝いました。

今日私達が読んだのは、その後のことです。

除酵祭・過越祭が終わってエルサレムへと向かうパウロは急いでいました。

16節 「できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである」

パウロとその仲間たちは、途中のアソスという港町で、合流し、パウロも船に乗りました。当時は今のように、定期航路船が出ているわけではありませんでした。商人たちの貿易船に載せてもらう、という形で海を進んでいたのです。載せてもらっているので、当然自分たちの都合で急いでもらうことはできません。商人たちの商売に合わせて、船は港から港へと進んでいきます。

船はミレトスの港に寄港しました。どうやら、少し長くここで船は停泊することになったようです。パウロはその時間を使って、ミレトスの港からエフェソに人をやり、エフェソ教会の長老たちを呼び寄せました。

これが、パウロとエフェソ教会の長老たちとの最後の別れとなります。

パウロは、これがエフェソ教会の長老たちに会える最後の機会になることを聖霊を通して知っていました。その最後の機会に、パウロは何を伝えたのか。パウロが一人の牧会者として、二度と会うことの無い信仰の友たちに、何を伝えたのか、そのことに注目したいと思います。

パウロはこれまで、教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せてきました。これは、ユダヤ人の会堂での組織の在り方、つまり、イスラエルの組織運営を踏襲したものです。エフェソ教会は、12人ほどの小さな教会でしたが、群れの運営を中心的に担う長老が任命され、信仰生活を営んでいたのです。

パウロはエフェソ教会の長老たちに、自分の使徒としてのこれまで働きがどういうものであったのかを話しました。

18節以下 「アジア州に来た最初の日以来、私があなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。」

パウロは、「試練の中で、主に仕えて来た」と言っています。「エフェソ教会の人たちのために」ではなく、「主にお仕えしてきた」と言っています。エフェソ教会の長老たちは、自分たちがパウロと過ごした日々を思い出して、パウロの言葉を頷きながら聞いたでしょう。

パウロとエフェソ教会の人たちは、イエス・キリストを証言することに自分の生活を費やしてきました。それは、キリストのために苦しむ日々でした。たった12人ほどの小さな群れが、異邦人の町でキリストを信じて生きることがどんなに大変だったか、すぐに想像できるでしょう。パウロと諸教会のキリスト者は、「成功を共にした」のではありません。イエス・キリストのための苦しみを共にしてきたのです。

パウロはエフェソ教会の長老たちとキリストのための苦しみを共にしてきたことを伝えました。それは、キリストのための苦しみを、これからも担い続けるよう伝えるためでした。パウロは、「これから自分はいなくなるが、どんなことが行く手に待ち受けていようとも、キリストの道を行く自分に倣いなさい」と、エフェソの長老たちに伝えようとしたのです。

「私はいなくなるが、これからも苦しい道をそのまま行きなさい」というパウロの教えは、一見残酷にも聞こえます。しかし、それこそ、イエス・キリストがご自分に従おうとする人たちにお求めになったことでした。

「自分の十字架を背負って、私に従いなさい」

使徒言行禄には、キリストを知らない人たちに福音を伝える「福音宣教者」としてのパウロの姿が多く記録されています。しかし、ここでは、長老を任命し、その長老を呼んで信仰の励ましを伝える「牧会者」としてのパウロの姿を見ることが出来ます。

牧会者としてのパウロの実際にどんな言葉をもって教会を励ましたり叱責したりしたのか、ということは、新約聖書に入れられているパウロの手紙を見ればわかります。パウロはいろんな問題を抱えていた諸教会、ある時は叱責し、ある時は解決策を与えようとしました。

なんのためか、というと教会のキリスト者たちが、正しく信仰に留まるためです。パウロがあれだけたくさん手紙を書かなければならなかったほど、当時の教会は常に問題を抱え、迫害に苦しみ、忍耐の中で歩んでいたのです。

使徒言行禄のパウロの旅の記述を読むと、「励ます」と言う言葉が何度も出てきます。パウロは、これまでの宣教活動の中で、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、キリスト者たちを励ましてきました。なぜ教会には、キリスト者には「励まし」が必要だったでしょうか。皆、キリストへの信仰ゆえに、苦しんでいたからです。

パウロは、「なんとかしんどい思いをしなくて済むやり方はないか。教会が上手く世渡りができる上手いやり方はないか」などとは考えなかった。キリスト者の信仰生活は「逃げ隠れできない」ものだからです。

主イエスご自身がおっしゃっています。

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることが出来ない。・・・そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」

キリスト者は、隠れることが許されない光として生きることが求められているのです。

そのキリストの教えを踏まえて、パウロは呼び寄せたエフェソ教会の長老たちに「その苦難の生活を続けなさい」、と励ましました。パウロは、「エフェソの教会にはこんな問題があるから、こうして解決していきなさい」というような目先の、細かい指示を出しているのではありません。もっと根本的な、信仰の姿勢を言うのです。

イエス・キリストは弟子達におっしゃいました。

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」

パウロはキリストに従う苦難の中で、キリストが自分と共にいてくださっていることを何度も体験していきました。そして苦難の中に喜びを見出していきました。このことは、パウロだけではありませんでした。使徒言行禄5章の最後を見ると、ペトロたち、キリストの使徒が鞭打たれた後釈放された際、「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜」んだ、とある。

「キリストのために苦しむほどの者にされた喜び」を、キリスト者は信仰生活の中で知って行くのです。主イエス・キリストのための苦しみを共にする、ということが教会の喜びです。そこに信仰の不思議があります。 Continue reading