MIYAKEJIMA CHURCH

1月29日の礼拝説教

使徒言行禄16:25~40

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」

私たちはここまで、ヨーロッパ大陸に渡って最初のフィリピの町で起こった出来事を読んできました。

使徒たちは、フィリピというローマの植民都市に入り、町の外にいた小さな祈りの群れにキリストの福音を伝えました。占いの霊に取りつかれていた女奴隷を、悪霊から解放しました。しかし、女奴隷に占いをさせて金を設けていた、奴隷の主人たちからパウロたちは恨まれることになってしまいました。

奴隷の主人たちはパウロたちを捕らえられ、町の役人たちにこう言って引き渡しました。

「この者たちはユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」

これを聞いて、町の高官たちはパウロたちを鞭打ち、牢に入れられてしまいます。

ローマ帝国はヨーロッパからアジアにかけて広がっていた巨大な帝国でした。フィリピの人たちからすれば、パウロたちはアジア大陸から海を越えてやってきて死者の復活を伝える怪しげなよそ者たちだったのです。しかも、奴隷の主人たちにとっては、金もうけ手段をつぶされてしまった、という恨みもあります。

パウロとシラスは、人間としての尊厳をはぎ取られ、監獄に放り込まれました。裸にされて鞭で打たれ、足枷をはめられ、一番奥の牢に入れられた、とあります。そして牢の看守は「厳重に見張るように」と、命じられました。

「一番奥の牢」、ということは、一番暑く、暗く、不快な部屋で、なにより、一番逃げにくいところに入れられた、ということです。

使徒たちは聖霊に導かれてヨーロッパ大陸まで渡って来たのに、迫害を受けることになりました。普通であれば、「どうして自分たちにこんなことが起こるのだろうか。自分たちは聖霊の導きに従ってヨーロッパ大陸へと来て、キリストの福音を伝えたのに、どうして牢屋に囚われることになってしまうのか」と怒ったり、嘆いたりするでしょう。。

しかし、私たちは、牢に囚われたパウロとシラスの姿に注目したいと思います。二人は牢屋の中で「讃美の歌を歌って神に祈っていた」、とあります。二人は神を恨むのではなく、このように牢屋に捕らえられるということすらも聖霊の導きの中にあることであり、自分たちは今神の御業の中にある、と信じて、神に感謝していたのです。

そして、「パウロとシラスが讃美の歌を歌って神に祈っていると、他の囚人たちはこれに聞き入っていた」と書かれています。パウロとシラスという二人のキリストの使徒が牢屋に囚われたことで、そこに居た囚人たち、そして看守たちが、神への讃美と祈りの言葉を聞くことになったのです。

使徒たちが牢屋に囚われたということは、神が牢屋の中にまで福音を運ばれた、ということでした。だから使徒たちは、自分たちが起こっているこの苦難も、福音の広がりの中で確かに用いられていること疑わず、喜んでいたのです。

パウロは後に、フィリピ教会の人たちに獄中から手紙を書きました。パウロはその手紙の中で、「私が監禁されているのはキリストのためである」と書いています。「兄弟たち、私の身に起こったことが、かえって福音前進に役立ったと知ってほしい」と言うのです。

自分が牢屋に囚われることで、その牢屋にいる人たちが福音を知るきっかけとなっている、ということをパウロは喜んでいるのだ。ここでのパウロと同じ姿勢です。パウロの信仰の姿勢・神への感謝は、牢獄に囚われても変わりませんでした。神が今、自分の苦難を用いてくださっている、ということを信頼して常に喜んでいるのです。

私たちは辛いことがあると、すぐに信仰の意味を見失ってしまいます。神を信じているのに、なぜ自分に苦しいこと、辛いことが起こるのか、と誰でも考えるでしょう。

しかし、信仰というものは、本当は私たちに苦難の意味を教えてくれるものなのではないでしょうか。今、自分に与えられている苦難を、神が高いところで用いてくださっている、自分の今の苦しみは決して無駄なものではなく、神がご自分の計画のために用いてくださっている・・・そのことをと教えてくれるのが信仰ではないでしょうか。

何の迷いもなく、何の苦しみもなくキリストを信じ、礼拝をするようになった人などいないでしょう。もし御利益を求めて聖書を読むのであれば、誰でも教会で幻滅するでしょう。

イエス・キリストの十字架の苦しみを通して苦難の意味を考え、私たちをはるかに超えた神の恵みのご計画が不思議な仕方で示されるのを見ようとするのが私たちの信仰なのです。パウロがそうでした。シラスがそうでした。キリストの使徒たちは皆、そうでした。

パウロたちの苦難は不思議な仕方で用いられました。二人は牢の一番奥に入れられ、足枷を付けられていて何もできませんでした。讃美の歌と祈りの言葉を紡ぐしかなかった、その中で奇跡は見せられました。大地震が起こり、牢屋の戸が開いて、囚人の鎖も全て外れたのです。

これが、パウロたちの讃美と祈りに対する神の御業でした。神はキリストの使徒を見殺しにはなさいません。信仰者が、自分の力ではどうしようもない中で捧げる祈りに、神がお応えになったのです。

私たちは、この出来事の中に、自分たちの信仰生活を重ねて見たいと思います。足枷を付けられて、牢屋の一番奥に閉じ込められているように、私たちは自分の力ではどうしようもない状況に置かれることがあります。つまり、祈るしかない時というのがあるのです。

道がないところに、道を切り開くのは、最後は祈りなのです。信仰者の歩み、教会の歩みにおいて、道を切り開いていくのは結局は祈りなのです。聖書はそのことを私たちに教えてくれています。

出エジプト記に同じようなことが記されています。エジプトで奴隷とされていたイスラエルは苦しみの叫びを上げていました。神はその叫びを聞かれ、モーセを指導者として選び出し、イスラエルをエジプトから救い出されました。

イスラエルは、エジプトから脱出して、それで終わりはありませんでした。荒野を歩かなければならなかったのです。しかも。エジプトの軍隊が後から追いかけて来ました。イスラエルは海に阻まれてそれ以上進むことが出来なくなります。

前には海。後ろにはエジプト軍。イスラエルはどうしようもなくなりました。その時、人々はモーセに食って掛かります。「一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか」「荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです」

モーセは言いました。

「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」

イスラエルの人々は、海が割れるのを見ました。イスラエルは海の中にできた道を渡り、後から来たエジプト軍は水に飲みこまれました。エジプト軍は「神がイスラエルのためにエジプトと戦っている」、と言って恐れました。

前も後ろも、右も左も塞がれている時、私たちには、上が空いています。天が空いているのです。私たちは自分たちの叫びを、祈りを、天に向ける恵が与えられています。

フィリピの牢屋でも同じことが起こりました。牢屋に閉じ込められたパウロたちは、天に向かって声を上げたのです。神が、無力な信仰者のために祈りを聞き、地震を起こし、解放されました。神が信仰者のために戦ってくださったのです。

この地震の中で一番恐怖を感じたのは、牢屋の看守でした。パウロたちを逃がさないように、と厳しく命じられていた人です。地震によって戸が開き、囚人たちの鎖も外れたので、囚人たちを逃げてしまったと思い、恐ろしくなり、剣を抜いて自殺しようとしました。

それをパウロが止めます。

「私たちは逃げていない」

パウロとシラスはそこに留まっていました。逃げ出す絶好の機会だったのに、使徒たちは逃げませんでした。彼らは、この地震を、逃げ出すための機会ではなく、神の御業を告げるため・福音を告げるための機会としたのです。

看守は、二人の讃美と祈りの声、そして地震が起こっても逃げ出さなかった二人の姿勢に何かを見出して、救いを求めました。

「救われるためにはどうすべきでしょうか」

二人が言ったのは、「主イエスを信じなさい」、これだけでした。看守はパウロとシラスの傷を洗い、自分の家族もキリストの信仰に加わりました。

看守とその家族は「神を信じる者になったことを喜んだ」と書かれています。なぜ看守は喜べたのでしょうか。実際には、看守の問題は解決していません。牢屋の戸が開き、囚人たちの鎖が外れたということを、翌朝になったら責任を問われるでしょう。 Continue reading

1月22日の礼拝説教

使徒言行禄16:16~24

「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」(16:18)

パウロ、シラス、テモテの三人の使徒たちは、フィリピの町の外の川岸という社会の片隅で、神を求めて祈りを捧げていた女性たちにイエス・キリストの福音を伝えました。祈りの群れの中心となっていたリディアという女性は使徒たちを自分の家に招待して、福音を詳しく語ってもらったようです。使徒たちは、リディアの家に滞在し、祈りの場所へと通いながら宣教を続けてました。

ある時、祈りの場所に向かうその途中、パウロたちは「占いの霊」に取りつかれている女奴隷に出会いました。この女奴隷は、名前さえ残されていません。

この女奴隷は主人たちによって、また「占いの霊」によって自分の人生を支配されていました。自分の意志を持つことも許されず、ただ主人のために占いをして金を稼ぐための道具として使われていたのです。当時の世界の感覚では、奴隷というのは主人にとって「生きた道具」でした。主人は奴隷の所有者であり、奴隷は主人の意志によって使われる道具だったのです。

女奴隷は、パウロたちに向かって「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と叫び続けました。何日も繰り返しパウロたちの後についてきて同じことを叫ぶので、パウロはたまりかねて、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」と言って、霊を追い出しました。

さて、ここで考えてみたいと思います。なぜ、パウロがこの女性から占いの霊を追い出したのでしょうか。パウロは、この女奴隷を利用することも出来たと思います。女性を支配していた悪霊はパウロたちのこと正しく言い表しています。「この人たちは神の僕であり、救いの道を宣べ伝えている」

霊は、パウロたちの悪口を言っているのではありません。むしろ、パウロたちが何者か、そして何を伝えているのかを大きな声で叫んで正しく宣伝してくれています。しかし、パウロたちは彼女の叫びを利用しませんでした。

なぜでしょうか。

もしパウロたち悪霊の叫びを利用してキリストの福音を宣教するのであれば、この奴隷の主人たちと変わらないことになるでしょう。そして何より、イエス・キリストが悪霊に取りつかれた人を救われていたからです。

キリストは悪霊に取りつかれた人から悪霊を追い出し、その人を悪霊の支配から解放されていきました。パウロはキリストの業に倣ったのです。イエス・キリストがなさったように、悪霊に取りつかれている人に、自分の人生を取り戻させました。

パウロがどのように悪霊を追い払ったのかをよく見てみましょう。パウロは「イエス・キリストの名によって命じる」という言葉と共に「この人から出て行け」と霊に命じました。悪霊は女性から出て行きました。それはイエス・キリストがそうなるように望まれた、ということです。

使徒言行禄3章には、ペトロによる癒しの業が記録されていますが、その際、ペトロも同じ言葉をつかっています。

「私たちには金や銀はないが、持っているものをあげよう。イエス・キリストの名において立ちなさい」。その言葉によってエルサレム神殿の境内にいた足の悪い人は癒され、立ち上がりました。

ペトロも、パウロも、キリストの使徒たちはイエス・キリストがお望みになることを行っていったのです。キリスト者には、悪霊・誘惑との霊的な戦いがあります。「神ではなく、自分を頼りにしなさい」「自分が神になればいいではないか」という声との戦いです。

その際キリスト者が持っている唯一の武器は「イエス・キリストの名」です。信仰者は、キリストを信じて「自分自身が」強くなるのではありません。キリストという「強い方」が弱い自分と共にいてくださるという強さです。

キリスト者は、「イエス・キリストの名において」生きます。それは、キリストがお望みになることをなしていく、ということです。キリストがお望みになることであれば、私たちの小さな信仰の技を通して、何かしらの奇跡が起こっていくのです。

イエス・キリストは、女奴隷を支配していた悪霊による証を必要とはされませんでした。むしろ、キリストの使徒を通して、御自分のお名前が、悪霊の支配から解放する道であることを示されたのです。

それにしても、なぜ女性に取りついていた悪霊は、なぜパウロたちのことを「いと高き神の僕だ」とか「この人たちは救いの道を伝えている」などと叫んだのでしょうか。

以前、イエス・キリストが宣教の旅をなさった時に、異邦人の土地でレギオンという悪霊の大群に取りつかれた人と出会われたことがあります。レギオンは主イエスの前にひれ伏して、「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい」と言いました。悪霊は、主イエスの前にひざまずいて命乞いをしました。このイエスという人が、神の子であり、自分たち悪霊が束になって勝つことはできないことを知っていたのです。

恐らく、女奴隷に取りつきパウロたちの後ろで叫び続けた占いの霊も、パウロたちが持つイエス・キリストのお名前を恐れ、負けを認めてこのように叫んでいるのではないでしょうか。そうでなければ、パウロたちに立ち向かって来たでしょう。

この世で悪霊ほど神のことを、キリストのことを正しく理解し、恐れている存在はありません。誰よりも神を理解し、キリストを恐れているのは、実は悪霊なのです。

私たちはどのように、私たちを支配しようとする悪しき力、罪の力、神から引き離そうとする誘惑の力に対抗すればいいのでしょうか。私たちが持っている武器はただ一つ、イエス・キリストのお名前です。キリストが共にいてくださる、ということです。

繰り返しますが、信仰者の強さは、ただイエス・キリストのお名前を知っている、ということです。そしてキリストのお名前を知っているというそれだけのことが、私たちを信仰者としてどれだけ強くするか、ということを、この場面から学びたいと思います。

パウロたちは、悪霊を女奴隷から追い出し、女性を解放しました。しかし、この女性の主人たち恨みを買うことになりました。自分たちの金儲けの道具をダメにされてしまったのだ。奴隷の主人たちは、パウロたちをローマの役人へと引き渡しました。

当時、ローマ帝国では宗教に対しては寛容でした。しかし、「貿易や商売の邪魔をしなければ」、という条件がありました。自分たちの商売を邪魔された主人たちは、仕返しとしてローマの役人たちに、「この者たちユダヤ人で、私たちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民である私たちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」と訴え出ました。このことで、パウロたちは逮捕され、鞭うたれ、牢に入れられてしまいます。

使徒たちにとっては不本意だったでしょう。しかし、不思議なことに、パウロたちは一言も弁明をしていません。いくらでも弁明することはできたはずなのに、パウロたちはむしろ甘んじてこの信仰の苦難を受け入れています。

「なぜなのだろうか」、と思わされます。

キリストの使徒たちは、イエス・キリストの苦しみに与ろうしているのではないでしょうか。彼らはまるで、十字架に上げられていったときのイエス・キリストのようです。

ユダヤの最高法院は、主イエスをローマ総督ポンテオ・ピラトの元へと連れて行ったとき、こう言いました。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」。これは、でっちあげです。しかし主イエスはご自分のために弁明をなさいませんでした。

ローマ総督ポンテオ・ピラトも、ユダヤの領主だったヘロデも、主イエスにいろいろと質問しましたが、主イエスは何も言い返さず、苦難の僕として、毛を刈られる子羊のように沈黙をもってご自分の受難へと身を捧げられたのです。

ご自分の十字架へと身を捧げていかれるイエス・キリストのお姿と、ここでのパウロ達の姿は重なります。神の救いのご計画を信じて、自分たちの身を沈黙のうちにゆだねていく信仰の姿です。

パウロは、一回目の宣教旅行の最後で、自分に従う人たちに向かって言いました。「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。」

パウロたちは、その言葉通り、神の国に入るための苦しみを担い、イエス・キリストの痛みに倣おうとしたのではないでしょうか。霊に取りつかれた女奴隷は、パウロたちが「救いの道を宣べ伝えている」と叫びました。「救いの道」とは、つまり神の国へと続く道のことです。その道を切り開くためにイエス・キリストはご自分の命を捧げられました。パウロたちは使徒として、キリストの歩みに倣い、神の国への道を示そうとしているのでしょう。

主イエスは、御自分に従う人に向かって、「自分の十字架を背負いなさい」とおっしゃいました。信仰者は自分の十字架を背負います。しかし、「自分の十字架を背負う」とはどういうことなのでしょうか。キリストがご自分の命をかけて通してくださった道を、私たちも歩き続ける、ということです。

キリストが歩まれた道は、苦難の道でした。逆風が吹く道です。しかし、その道は確かに、神の国へと続いていることをキリストは命をかけてお示しくださいました。神の国へと続く道を示すために、私たちはその道の上を歩くのです。どんなに逆風が吹いても。その道を歩くことで、その道を世に示していくのです。

キリストが敷いてくださった道の上には、多くの苦難があります。私たちがキリストのために働こうとすればするほど、罪の力は私たちに逆風として向かってきます。それでも、教会は逆風の中立ち続けます。キリストの使徒たちがそうだったように、教会は、神の国に入るための苦しみに勝る喜びを知っているからでしょう。

私たちにはこの地上の富に勝る天の宝があります。ペトロが言った通り、私たちには

金や銀はありません。しかし、イエス・キリストのお名前という天の宝を持っています。私たちキリスト教会がもっているイエス・キリストのお名前は、何よりも豊かな財産です。地上の富をどれだけ積んでも売り買いできる財産ではありません。

パウロたちは、逮捕されても、イエス・キリストのお名前という宝を手放すことはありませんでした。鞭打たれ、一番奥の牢に入れられ、足枷をはめられても、使徒たちは救いの道を捨てませんでした。

この後パウロたちは牢から救い出されることになります。そして、その出来事を通して、牢屋の看守たちが神を信じるようになり、洗礼を受けることになるのです。使徒たちの苦しみは、不思議な仕方で用いられていきます。私たちの信仰の痛みは、新たな信仰者を生みだすための、「生みの苦しみ」として用いられるのです。

私たちに与えられ、歩かせていただいているこの「救いの道」の上で、私たちが逆風に対して持っている武器は一つだけだ。イエス・キリストのお名前だけです。私たちはイエス・キリストのお名前をもって生きるしかありません信仰者が受ける苦難は、聖霊の導きの下にある苦難であり、キリストがくびきを共に担ってくださっている、インマヌエルの歩みです。苦難は忍耐を生み、忍耐は練達を生み、練達は希望を生む。私たちは希望に向かっていることを忘れてはいけません

1月15日の礼拝説教

使徒言行禄16:11~15

「安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。」(16:13

パウロたちは、不思議な仕方で聖霊に導かれ、アジア大陸の西の端、トロアスという港町まで来ました。そこでパウロたちは、幻を見せられます。一人のマケドニア人が、「海を渡ってここまで来て私たちを助けてください」とパウロに訴える幻でした。パウロ、シラス、テモテの三人は、「神が私たちを召されているのだ」という確信を得てトロアスから船に乗り、ヨーロッパ大陸へと渡って行きました。

16:11を見ると、「私たちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした」とあります。「パウロたちは」ではなく「私たちは」と聖書は書いているのです。

この書き方に関してはいろいろと議論はありますが、おそらく聖書は、今ここを読んでいる私たち読者を、このパウロたちの福音宣教の旅の中に身を置くように招いているのでしょう。この「私たち」という言葉の中に、文字通り、今ここにいる私たちも含まれているのです。

私たちは、使徒言行禄に記録されているキリストの使徒たちの福音宣教を、客観的に、他人事のように眺めることは許されません。ここに記録されているキリストの使徒たちの福音宣教を、まさに「私たちの」福音宣教として見るように我々は招かれているのです。

ヨーロッパ大陸へと渡り、福音を告げる使徒たちと共に旅を続けていきましょう。

パウロたちは、ヨーロッパに渡り、まずフィリピという町に入りました。聖書には、「マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピ」と書かれています。この町は、「植民都市」でした。ローマ軍がそこに居て、ローマ帝国の一員であるという意識を植え付けようとしていた町でした。

パウロたちはこれまで、ユダヤ人が住んでいて礼拝共同体を形成している町々に入り、ユダヤ人の礼拝堂に入って聖書の言葉を解き明かしてきたが、ここはエルサレムから遠く、海峡を越えたヨーロッパ大陸にあってユダヤ人ほとんどすんでいなかったのでしょう。どうやらフィリピにはユダヤ人の礼拝堂はなかったようです。フィリピでは、聖書を知っている人たちに福音を語る、ということはできませんでした。

聖書には、パウロたちはフィリピの町に着いて、「数日間滞在した」とあります。数日間、どうすればいいのか考えていたのでしょう。宣教のきっかけをつかめなかったようだ。

パウロたちは、「安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った」とあります。「フィリピの町の中に祈りの場所がなさそうだ。次の町に行こう」、と言ってあきらめたのではありませんでした。

町の中になければ、町の外に行って、祈りの場所があると思われるところを探したのです。そして町の外の川岸に女性たちが祈りを中心に集まっているのを見て、彼女たちにキリストの話をしました。

私たちは、フィリピの「町の外」でキリストの使徒と祈りの群れが出会った、ということに注目したいと思います。神を求める心を持ち寄る人たちは、「町の外」に行ってまで祈りを共にしていたのだ。キリストの福音を知らせたいと思う使徒たちは、「町の外」にまで祈りの群を探しに行ったのだ。

どの町にも、祈りを求める群れがいます。どんなに聖書を知っている人が少なく、街中に建物を建てることすらできないほど人数が少なくても、祈る心・神を求める心を持つ人はいるのです。

街中がダメなら、外で礼拝しようという礼拝者たち。

町の中に礼拝者がいなければ、町の外にまで探しに行く使徒たち。

たとえそこが植民都市で、ローマ帝国への同化政策がとられているような中にあっても、神の真理を求める人々の心を奪い去ることはできません。

ここを読めばわかるように、パウロたちが見た女性たちの集まりは、とても礼拝とは言えないようなものでした。川岸に集まっていた、というだけです。建物もない、聖書もない、ただ神を求め祈るだけの小さな群れでした。

ここに集まっていた女性たちはおそらく一度も聖書を自分で読んだことがなかったでしょう。文字を読むこともできなかったのではないでしょうか。それでも祈る心を持ち寄って神を求めて川岸に集まり、共に祈っていたのです。

神がヨーロッパ大陸で使徒たちにまずご準備なさったのは、このような小さな祈りの群れとの出会いでした。このことは、私たちにとって大きな意味を持っているのではないでしょうか。

消え入りそうな群れであっても、神は福音をお聞かせになるのです。キリストが弟子達にお話しなさった種まきのたとえ話のように、種を蒔く人は、石だらけの土地でもいばらの土地でも丁寧に種を蒔くのです。

このリディアたちの祈りの姿の中に、私たちは自分たちの姿を重ねて見ることが出来るでしょう。私たちは確かに小さい、島の教会です。しかし神の言葉との出会いは、間違いなくここにあります。私たちの上にキリストは種を蒔いてくださっています。聖書がいう「私たち」の中に、ここにいる私たちも含まれているのです。希望をもっていいでしょう。

さて、この群の中に、リディアという女性がいました。「ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという人」と書かれています。

この一文からわかるのは、リディアはティアティラというところからの移住者であった、ということ、独立して商売をする職業婦人であった、ということ、そして、そのような働き方をするということは夫を失った未亡人である、ということです。

布を扱っていたということなので、リディアの仕事場は川岸にあったのでしょう。夫はおらず、よそから来た移住者で、町の外の川岸にいた・・・このようにして見ると、この人はフィリピでは町の片隅、社会の端っこで生きていた人でした。フィリピにいた、神に祈る人たちは、おそらくリディアが自分の仕事場に集まって、祈っていたのでしょう。

この時川岸に集まって祈りを共にしていた女性たちは、皆、リディアのような境遇にあった人たちだったのではないでしょうか。移住者とか、未亡人とか、祈る時には町の外にまで来なければならないような人たちではなかったでしょうか。

そのような、生きる厳しさの中にあっても、彼女たちは祈ることをやめませんでした。

いや、生きる厳しさの中にあったからこそ、彼女たちは祈ることをやめなかったのでしょう。

神は、その祈りの群れに、福音を携えた使徒を送られたのです。祈る群れに聖霊を注いで教会をお創りになったように、神は、祈る群れに宣教者をおつかわしになりました。

「主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた」とあります。神が、リディアの心をお開きになり、リディアの心の中へとご自分の言葉をお与えになったのです。神は彼女の祈りにお応えになりました。

彼女は家族と一緒に洗礼を受け、パウロたちを強引に家に招待しました。もっとイエス・キリストのことを聞かせてもらおうとしたのでしょう。

フィリピ教会は、この時川岸で祈っていた女性たち、またこのリディアから始まっていきました。たった数人の女性が核となり、やがて福音を求める人たちが集っていたところから小さな祈りの群れはフィリピ教会として成長を続けていくことになったのです。

新約聖書の中にはパウロが書いた、「フィリピの信徒への手紙」が入っています。「フィリピの信徒への手紙」を読むと、その後のフィリピ教会の様子が見えてきます。

パウロがフィリピの町を去った後、牢に捉えられることがあったようです。パウロはその牢屋の中でフィリピの信徒たちに向けて手紙を書きました。

牢獄で書いた手紙なので悲壮感に溢れているかというと、そうではありません。獄中書簡でありながら、「喜びの手紙」と呼ばれています。パウロが、牢屋の中にいながら、フィリピ教会の人たちと喜びを分かち合っている内容の手紙なのです。

パウロとフィリピのキリスト者たちが共有していた喜びとは何だったのでしょうか。それは、「イエス・キリストのために、自分は自分の十字架を背負うことが出来ている」ということでした。

パウロはこう書いている。

「あなた方には、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。あなたがたは、私の戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです」

パウロは、「キリストのために苦しむ恵み」ということを言っています。そして、フィリピ教会の人たちが「キリストのために苦しむ」ことを「恵み」として受け入れていることを喜んでいるのです。 Continue reading

1月8日の礼拝説教

使徒言行禄16:6~10

「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテア地方を通って行った。」(16:6)

バルナバと決別し、シラスと一緒に二度目の福音宣教の旅に出発したパウロは、途中でテモテという青年を宣教の仲間に加えました。今日私たちが読んだのは、その後の宣教の旅の様子です。

今日の場面を読んで驚くのは、パウロたちが、聖霊によって何度も伝道を禁止された、ということです。自分たちが「ここに行ってイエス・キリストを宣教しよう」と進もうとするたびに、聖霊から、また主イエスの霊から止められてしまったのです。

パウロたちは、アンティオキアの教会の人たちによって送り出されました。15:40を見ると、アィオキア教会の人たちはパウロとシラスを「主の恵みに委ねて」送り出した、ということが書かれています。教会の人たちは、二人を「主の恵みにゆだねて」見送ったのです。それは、聖霊に委ねて、送り出した、ということでしょう。

アンティオキア教会の人たちは、「福音宣教に必要なものを十分持たせてパウロたちを送り出した」というのではありません。「主の恵みに委ねて」、聖霊に委ねて送り出したのです。

教会の人たちは知っていました。これからパウロたちが行く道は、自分たちの援助があってどうこうなるものではないということ、行く先々で「主の恵み」である聖霊の助けがなければ進まないものである、ということを。

だから彼らはただ「主の恵みに委ねて」祈り、パウロたちを福音宣教の旅へと送り出したのです。パウロたちにとって、最終的に頼ることが出来るのは、主の恵み、聖霊による導きでした。

それなのに、パウロたちが宣教のために行こうとする道が、聖霊によってことごとく閉ざされていったというのです。これはどういうことなのでしょうか。

私達は、今日の場面を通して、パウロたちが考えていた福音宣教の計画を超えた、神のご計画を見せられることになる。

パウロの当初の計画は、自分とバルナバが一緒に宣教した町々にもう一度戻って、どうなっているか様子を見よう、というものでした。シラスと一緒にそれらの町々に行って、エルサレム教会が決めた、「異邦人に割礼は強要されない」「偶像に捧げられた肉と血を避ける」「性的にみだらな行いを避ける」という決定を伝えるつもりでした。

パウロとシラスは、最初の旅で回ったデルベとリストラの町に行きました。しかし次にイコニオンの町に向かおうとすると、不思議なことが起こります。

6節にはこう書かれている。「彼らはアジア州でみ言葉を語ることを聖霊から禁じられた」

パウロたちは、純粋に、イエス・キリストの福音を伝えようと次の町に向かおうとしたのに、聖霊がそれを止めた、というのです。

南に向かう予定だったが、聖霊から止められたので、仕方なくパウロたちは西に向かいました。しばらく西に進んで、「南がダメなら、北に行こう」とビティニア州に入ろうとしました。すると今度は「イエスの霊がそれを許さなかった」のです。

パウロたちは戸惑ったと思います。私たちも、ここを読んで、戸惑うのではないでしょうか。「神のための福音宣教」なのに、なぜ聖霊は、イエス・キリストの霊は、それを止めるのでしょうか。

北にも南にも行くことを禁じられたパウロたちは、仕方なく西に向かって行きました。そして最後に、トロアスという港町へと導き入れられたのです。トロアスは、もちろん、パウロたちの計画には無かった町でした。

パウロたちの足取りを地図で確認すると、真っすぐ西へと導かれていることがわかります。なぜ神は、パウロたちをトロアスへと導かれたのでしょうか。

トロアスは、アジア大陸からヨーロッパ大陸へと渡るための船が出ている港町です。神は、パウロが行こうとした道とは別の道をご準備されていました。それは、ヨーロッパ大陸へと続く道だったのです。

パウロ達は、自分たちが行こうとした道が神によって何度も閉ざされたので、「自分たちが立てた計画は失敗に終わるのだろうか」と不安になったかもしれません。しかし、神は、パウロたちをまっすぐ、御自分の計画に従って導いて来られたのです。

パウロたちは、自分たちが行こうとした道を行くことはできませんでした。しかし、自分たちの思いを超えた道が示されました。海を越えて、アジア大陸からヨーロッパ大陸へと向かう道が神から示されたのです。

旧約聖書のイザヤ書55章にこういう言葉がある。

「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なる、と主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道は、あなたたちの道を、私の思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。」

パウロは、結局、一回目の宣教旅行で巡った町々には行くことはできませんでした。自分たちの計画は実現しなかったのです。しかし、パウロたちの計画を超えた神のご計画が、今、パウロたちを通して実現しようとしています。

この後、パウロたちはヨーロッパ大陸へと向かうことになります。そしてヨーロッパの各地で福音宣教をした後、またアンティオキア教会に戻り、また宣教の旅に出ることになります。その三度目の宣教旅行の際に、パウロは、初めに回ろうとした町々に行くことになるのです。

このように、使徒言行禄を読んでいくと、全て神のご計画のうちに、パウロの計画も実現していった、ということがわかります。このことは、私たちにとって大きな信仰の学びとして示されています。全て人が考える道筋で実現していくのではないのです。神が備えられた道の上で、神が備えられた時に、信仰の実りが生まれていくのです。

神は、まずパウロたちにご自分の道を行かせました。そしてその先で、パウロたちの計画も実現しました。パウロ自身が考えていた計画よりも広く深い計画の中で、福音は広がっていったのです。

聖霊は、パウロたちに何度も伝道禁止命令を出しました。「その道に行くな」という聖霊の声に、パウロたちは従いました。パウロたちは、自分たちの宣教旅行の意味を何度も問い直したのではないでしょうか。「自分たちがしていることは無駄ではないか」、と不安にもなったでしょう。しかし、神は全てにおいて、時と場所を備えていらっしゃいました。

パウロ自身、後に手紙の中でこう書いています。

「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています」

イエス・キリストも、山上の説教の中でおっしゃっています。

「あなたがたの父は、願う前から、あなた方に必要なものをご存じなのだ」

聖霊は、時に、私たちを遠回りとも思えるような道へと導きます。しかし、神は、御自分の畑の収穫のための最短距離を私達に行かせてくださるのです。

教会にも、礼拝の中で、祈りの中で、道が示されます。神は、私たちのために、私たちが考えるよりも大きなご計画をお持ちです。

パウロは、後にコリント教会の人たちに、手紙でこう書きました。

「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」

「教会は神の畑、神の建物なのです」

教会は神の畑であり、そこに作物を実らせるお方は神ご自身だ、と言っています。実現するのは、私たち人間を超えた、神の御心なのです。

イエス・キリストは、こんなたとえ話をなさった。 Continue reading

1月1日の礼拝説教

ルカ福音書1:26~38

「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(1:38)

天使ガブリエルが、ガリラヤ地方にあるナザレという町にいるマリアのところに行き、「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」と告げました。

26節には「六か月目に」こういうことが起こった、とあります。何から数えて六か月目にこのようなことがあったのでしょうか。

マリアに現れる六か月前、天使ガブリエルは、エルサレムの祭司であったザカリアという人に現れていたのです。ザカリアとその妻エリサベトは既に高齢でした。しかし天使はザカリアに「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい」と告げたのです。

私達は今日、イエス・キリストがお生まれになった際にはどのようなことが起こったのか、そしてその出来事は、どのような歴史の流れの中で起こったのか、ということを見ていきたいと思います。

マリアの前に、まずザカリアへの天使の告知を見たいと思います。エルサレム神殿の一番奥にある至聖所で、ザカリアが祭司として香をたいていた際に天使は現れました。「子供を授かる」という天使の告知を、ザカリアはそのまま信じることが出来ませんでした。

「私は老人ですし、妻も年をとっています」と答えます。ザカリアは、天使の言葉、つまり神の言葉を信じることはできなかったために、神の言葉が実現するまで口がきけなくされてしまいました。そしてエリサベトは天使が告げた通り、男の子を身ごもったのです。

なぜザカリアは神から与えられた言葉をすぐに信じることが出来なかったのでしょうか。至聖所の中で天使に告げられた言葉を、神殿で神に仕える祭司がすぐに信じることが出来なかった、というのです。

祭司であったとしても、人間にとって自分の知識や経験にそぐわないことは、たとえ神から告げられたことでも簡単には受け入れられないのです。それだけ、人間は自分がもっている常識に縛られている、ということでしょう。

私たちはここで、ガブリエルがザカリアに告げた最初の言葉に注目します。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた」。天使は「あなたの願いは聞き入れられた」と言っています。つまり、ゼカリアとエリサベトはこれまで祈り続けて来た、願い続けて来た、ということです。子供を授かることを願って二人は神に祈り続けてきたのです。

それなのに、ザカリアは天使が告げた言葉をすぐに受け入れることができませんでした。この時のザカリアの言葉はとても現実的だ。「私も、妻も、年老いています」

このザカリアの応答は、神がなさる奇跡を前にした人間の姿です。確かに自分は神にそう祈り続けてきたけれども、実際にそれが実現するとなると、なんだか信じられない思いになる、それが実現することに恐れが生じるのです。

私たちも当然祈っているでしょう。しかし、実際に祈りが聞かれると、なんだか信じられない思いになるのではないでしょうか。「私の祈りは本当に神に聞かれていた」という畏れに打たれます。逆説的だが、私たちの信仰にはそのような驚きがあるのではないでしょうか。

ザカリアやマリアのように実際にこんな風に直接天使からのお告げを聞いた人はいないでしょう。しかし、祈りが聞かれた際の驚きというのは理解できるでしょう。神が私たちの祈りを聞いてくださるということは、喜びであると同時に、私達に恐れを感じさせることなのです。

もし、ザカリアとエリサベトが、祈っていなかったとしたら、どうだったでしょうか。少なくとも、天使から「あなたの願いは聞き入れられた」という言葉を聞くことはなかったでしょう。

私達は祈りの力というものを甘く見てはいけないのです。祈る本人の思いを超えた仕方で、神はその祈りを聞いて下さいます。そして私達の思ってもいないような時に、思ってもいなかった場所、「まさか」という仕方で答えてくださるのです。

マリアに天使が現れたのは、そのザカリアの驚きの六か月後のことでした。天使は、神殿のあるエルサレムではなく、「異邦人の地」と呼ばれたガリラヤ地方のナザレという小さな村に現れました。それも、ザカリアのような祭司ではなく、何も特別な身分をもっていない一人の女性、少女と言っていいでしょう、マリアの元に現れました。

マリアにとっては、これは突然の天使のお告げでした。ザカリアとエリサベトのように、長年の祈りが聞かれて神の言葉が告げられた、ということではなかったのです。マリアはまだ結婚していません。それなのに、子供が自分の中に宿った、と言われます。しかも、その子は聖霊によって宿った子で「いと高き方の子、神の子と呼ばれ、神の支配をこの世にもたらすだろう」、と告げられたのです。

当然マリアは戸惑い、「私はまだ男の人を知りません」と言いました。天使は、これは聖霊によることであり、マリアの親類であるエリサベトにも同じことが起こっていることを告げました。そして最後に、「神にできないことは何ひとつない」と言いました。

マリアはこの天使の一言を聞いて、全てを受け入れました。「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」

マリアは、この時、14、5歳の少女だったと言われます。天使の言葉に驚きつつも最後にはその言葉を受け入れました。マリアが少女だったから、純粋な信仰の持ち主だった、あまり考えなかった、ということなのでしょうか。そうではないでしょう。

マリアの最後の言葉に、マリアの信仰の姿勢が現れています。

「私は主のはしためです」

「はしため」、と訳されているのは、「奴隷・僕」という言葉です。「私は主の奴隷・僕です」という言葉なのです。

「奴隷」と聞くと、我々はあまりいい響きに感じないでしょう。人間が同じ人間を奴隷としたとき、私たちは嫌悪感を覚えます。

しかし、聖書では、神に仕える者・神の御心に従う者、という信仰的な意味で「奴隷」という言葉がつかわれます。

使徒パウロはロマ6:16でこう言っています。「あなたがたは罪に仕える奴隷となって死に至るか、神に従順に仕える奴隷となって義に至るか、どちらかなのです」

神に従順に仕える奴隷となるということ、それは神を自分の支配者とすることです。神の恵みの支配に信頼して身をゆだねることです。マリアが選んだのはそちらでした。

神を信じ、自分を神に委ねることで、信仰者は自分では作り出すことのできない奇跡を見せられることになります。マリアは、自分のことを「神の奴隷・僕です」、と言いました。この信仰が、やがて神の子イエス・キリストの誕生につながるのです。

私たちはマリアという女性を何か特別な人のように思うのではないでしょうか。自分と同じ人間ではないのではないか、自分にはマリアのような特別なことは起こらないのではないか、と考えてしまうのではないでしょうか。

しかし、そうではありません。マリアも一人の信仰者でした。神によって選ばれたから、特別に見られるようになっていますが、私達と変わらない、同じ一人の人間でした。

そして私達も一人の信仰者として、神の奇跡によって選ばれ、今ここにいるのです。マリアがそうだったように、神の尊いご計画の中で私達も用いられているのです。

イエス・キリストは、ある時、一人の女性からこういうことを言われました。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は」

女性は、主イエスの母マリアのことをそう讃美しました。主イエスの母であるマリアをうらやましがったのかもしれません。

しかし、主イエスはその女性に向かって、こうおっしゃいました。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である」

マリアは主イエスを生むために選ばれた「幸せな女性」のように思われていたのかもしれません。しかし、主イエスご自身は、「本当に幸せなのは、神の言葉を聞き、それを守る人だ」、とおっしゃるのです。

そうであるなら、私たちが今ここで、神の言葉・聖書の言葉を聞き、守ろうとしていることが、実はどれだけ特別で、幸せなことなのか、今一度再認識する必要があるのではないでしょうか。

「神に従順に仕える奴隷となって義に至る」、ということにおいては、全ての信仰者は平等です。ザカリアやマリアを包んだあの祝福は、私たちも同じように届いているのです。 Continue reading

12月18日の説教要旨

創世記21:1~22

「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱きしめてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする」(21:17~18)

神はこれまで何度もアブラハムとサラの二人に、「あなた方の間に男の子が生まれるだろう」と予告して来られました。15章、17章、18章にそのことが記されています。神は、男の子の誕生だけでなく、「その子をイサクと名付けなさい」と、名前まで備えていらっしゃいました。

しかし、その神の言葉をきいたアブラハムもサラも、「年老いた自分たちに子供が生まれるはずがない」と、笑って来ました。笑い飛ばしてきた、と言ってもいいでしょう。

しかし、私たちが今日読んだ創世記21章で、神がおっしゃった通りアブラハムとサラの間にイサクが生まれたことが記されています。人間には考えられないことを神は成し遂げられました。年老いた夫婦の間に、命を創造されたのです。

イサクが生まれてサラは「神が私に笑いをくださった」と喜び、神の御業を讃美しています。サラのこれまでの笑いは不信仰の笑いでした。しかし今、不信仰の笑いが、信仰による笑いへと神によって変えられたのです。

アブラハムとサラという年老いた夫婦の間に神の恵みによって男の子が生まれた・・・そのことだけを見れば、これは喜びの出来事であり、私たちを神への賛美へと導く奇跡だと、手放しで言えるでしょう。

しかし、イサクの誕生は単なる喜ばしい出来事として終わるものではありませんでした。今日私たちは、イサクの誕生の場面だけでなく、その後に起こった出来事も見ました。イサクが誕生したことにより、ハガルとイシュマエルという親子がアブラハムの下から追放されることになってしまうのです。

イサクが誕生したことによって生み出される悲劇、そしてそれを超えて働いて行かれる神の御業を、視野を広くもって見ていきましょう。

さて、イサクの誕生の場面を読むと面白いことに気づきます。アブラハムが出てこないのです。イサクの誕生の際に、「アブラハムとサラが一緒に喜んだ」、という書き方はされていません。イサクが乳離れした日に、アブラハムが盛大な祝宴を開いた、ということだけが8節に書かれています。イサクが2歳か3歳になったぐらいで、ようやくアブラハムが登場するのです。

21章の最初を見ると、「主は、約束された通りサラを顧み、先に語られた通りサラのために行われた」とあります。「サラを顧み、サラのために」行われた、とあるように、聖書は、アブラハムではなくサラの方に焦点を当てています。そして、イサクが誕生して喜んだサラの言葉だけがここに記されているのです。

私たちはここで、サラという女性に注目したいと思います。それほど、このサラという人は、神の祝福に相応しい人だった、ということなのでしょうか。

サラがこれまで何をしてきたのか、どんな人だったのかを見返すと、とても「神の祝福に相応しい人だ」と断言することはできないでしょう。サラは、アブラハムの家庭をかき乱してきたような人でした。

サラは、自分に子供ができないので、自分の女奴隷であったハガルを夫のアブラハムに側女として差し出し、跡継ぎを得ようとしました。ハガルはアブラハムとの間に子供を宿すと、サラのことを軽んじるようになり、これに怒ったサラは、「ハガルが私を軽んじるのはあなたのせいだ」と夫アブラハムを非難して、ハガルに辛く当たるようになりました。あまりにサラがハガルにつらく当たったのでハガルはサラの下から逃げ出してしまったほどでした。

逃げ出したハガルはサラの下に戻ってきました、サラの下にイサクが生まれ、ハガルの息子イシュマエルがイサクをからかっているのを見ると、サラは不安になり、またハガルを追い出そうとします。

サラはアブラハムに言いました。「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、私の子イサクと同じ跡継ぎなるべきではありません。」アブラハムは悩んだ末に、ハガルとイシュマエルと追放することにしました。

サラは、そのような人でした。ハガルにつらく当たったり、ハガルとイシュマエルを追い出したりするサラを見ると、妻としても母としても自己中心的で、わがままし放題の人に見えるのではないでしょうか。

それなのに、聖書をよく読んでみると、神はそのようなサラを中心にご自分の計画を進めていかれるのです。

ハガルが女主人サラにいじめられて逃げ出した時、神はハガルに出会ってこう言われた。「女主人の下に帰り、従順に仕えなさい。」神は、自分をいじめる女主人サラの下に帰りなさい、とおっしゃるのです。残酷な命令のように聞こえるのではないでしょうか。

それだけではありません。「ハガルとイシュマエルの親子を追い出してください」とサラから言われて苦しむアブラハムにも、神は「全てサラが言うことに聞き従いなさい」とおっしゃいました。サラが望む通りハガルとイシュマエルを追い出しなさい、とおっしゃるのです。

このようにして見ていくと、私たちは戸惑うのではないでしょうか。神はなぜサラのような身勝手で、残酷なことを言う女性の味方をなさるのでしょうか。私たちの目には不思議に見えます。

私たちが今日読んだアブラハムの一家に起こったことを見ると、人間の醜さや愚かさ、冷酷さが見えてきます。太古の昔の人たちの家庭は複雑で厳しいものだった、と思えるのではないでしょうか。

しかし、家族の難しさ、人間関係の複雑さというのは、昔も今も変わらないだろう。形を変えて、いろんなむつかしさがあります。家族だから当然お互い愛し合い、受け入れあうことが出来る、などということはありません。それが現実ですし、その現実を聖書は私たちに見せつけます。

しかし、聖書を読む私たちが忘れてならないのは、その人間の営みの中に、神の働きが流れている、ということなのです。創世記のアブラハム物語をよく読んでいくと、悩み苦しんでいる一人一人に、神が確かに寄り添っていらっしゃることがわかります。

ハガルがサラから逃げ出した際、神はハガルを追いかけ、「あなたが生む男の子にイシュマエルと名付けなさい。イシュマエルから大きな国民が生まれる」と祝福を告げられました。その祝福と共に、ハガルはサラの元へと帰ったのです。

アブラハムの下から追い払われたハガルとイシュマエルがベエル・シェバの荒れ野で死ぬのを待ちながら泣いていた時、神がまた追いかけてきてくださいました。「ハガルよ、恐れることはない。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱きしめてやりなさい。私は、必ずあの子を大きな国民とする」と再び祝福なさいました。

神には、大きなご計画があった。

イサクとイシュマエルという二人の男の子から大きな国民を生みだす、というご計画でした。

逃げ出したハガルはサラの下に戻る必要があった、そしてハガルとイシュマエルはイサクから離れる必要があったのです。神は、悩んだり苦しんだり泣いたりするアブラハムの家族一人一人に寄り添いつつ、ご自分の計画のためにそれぞれを導かれていますハガルにもサラにも、イサクにもイシュマエルにも、それぞれに道を用意していかれるのです。

そしてその道は、イエス・キリストの誕生へとやがてつながるのです。

ヘブライ人への手紙に、こういう言葉がある。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」

そして、旧約聖書に出てくる信仰者たちの名前を挙げられ、こう書かれています。

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声を上げ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」

「彼らは天の故郷を熱望していたのです」

アブラハムも、サラもハガルも、イサクもイシュマエルも、神のご計画の実現を自分の目で見ることはできませんでした。自分の目で、「大きな国民」を見ることはできませんでした。しかし、自分の思いをはるかに超えた神の祝福の計画を信じて、それぞれの地上での命を生き抜いたのです。

イエス・キリストは、「神の国はいつ来るのか」と尋ねられた時、こうお応えになりました。

「神の国は、見える形では来ない。ここにある、あそこにある、と言えるものでもない。実に、神の国はあなた方の間にあるのだ」

私たちは、アブラハムの家庭内で起こった醜い争いの中に、神の恵みの支配、神の国を見出すことはむつかしいでしょう。祝福されたはずのアブラハムの一家には衝突や葛藤がありました。 Continue reading

12月11日の説教要旨

創世記19章

「こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。」(19:29)

ソドムで起こったこと、そしてソドムに起こったことを続けて読みました。

ソドムの町に入った二人の旅人を暴力で自分たちの支配会に置くために、町中の男たちがロトの家にやって来ました。ロトはなんとか旅人たちを守ろうとした、守り切ることはできませんでした。戸が破られようとしたその時、二人の旅人たちが出てきてロトを家の中へと引き入れ、ソドムの男たち全員に目つぶしを食らわせ、戸口がわからないようにしました。

この二人の旅人たちは、神のみ使いでした。男たちが目を開けられなくなった隙に、使いたちはロトに自分たちが何者であるかを告げ、身内の人たちを連れてソドムの町から逃げるように伝えました。

ロトは嫁いだ娘たちの婿たちのところへ行き、「ここから早く逃げよう。主がこの町を滅ぼされるのだ」と言いましたが、婿たちは冗談だと思い、従いませんでした。ロトは一晩中婿たちを説得し続けていたようです。

夜明け近くなると、み使いたちはロトを急き立てました。「早く、妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に降る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう」

16節を見ると、まだ「ロトはためらっていた」、とあります。婿たちがロトの言葉を信じない、ということは、婿たちに嫁いだ自分の娘たちもソドムの町から出ない、ということです。娘たちも滅びに巻き込まれてしまう、ということでした。

16節には、「主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた」とあります。どうやら三人目の旅人、主なる神ご自身が、アブラハムとのやりとりを終えて、追いつかれたようです。主はロトのためらいをご覧になって、「憐れまれ」ました。神は、ロトの痛みをご存じでした。

しかしそれでも、正しい人ロトが滅びに巻き込まれることを良しとされませんでした。アブラハムに「正しい人を巻き込むことはしない」、と約束された通り、神は正しい人ロトの一家をみ使いに手を取らせて町の外へと連れて行かれました。

そして言われます。

「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない」

ソドムの町から出て行く、ということはロトにとって降ってわいたような話でした。昨日まで、この町から出て行くなどということは考えてもいませんでした。しかし、いつの間にかソドムの罪は膨らみ、もう滅びるしかないところまで来ていたのです。

ソドムからの脱出のためにロトに与えられた時間は一晩だった。私たちはここで、出エジプトの思い出すことが出来るのではないでしょうか。

エジプトでの奴隷生活に苦しんでいたイスラエルの民の叫びを聞かれた神は、モーセをお選びになり、イスラエルの民をエジプトから救い出されましたが、その際、イスラエルの民がエジプトから出て行くために与えられた時間は、やはり、一晩でした。あわただしく、ほとんど何も持たず、イスラエルはただ神の導きを信じて出て行くしかありませんでした。そこからイスラエルにとって長く、不安な旅が始まったのです。

この時のロトは、まさに、エジプトから出て行こうとするイスラエルそのものです。ロトはソドムから出て行くことをためらいました。「命がけで山に逃れよ」とおっしゃる主に対して「主よ、できません」と言いました。まだソドムに未練があったのです。

ソドムは肥沃な土地で、ロトも豊かな生活が出来ていました。ここまで自分の生活を築き上げてきたのに、突然町を離れ、肥沃な低地から山に移って新しく厳しい環境で生活をまた築いていくということは大変なことでした。ソドムから出て行ったら次はどんな土地で、どんな生活になるか分からないのです。

「山に逃れなさい」とおっしゃる神に対して、ロトは、「できません。あそこにある小さな町なら近いので、あそこで私の命を救ってください」と言いました。ロトは豊かな低地の生活を捨てきれなかったのではないでしょうか。

しかし、交渉してくるロトの願いを神は聞き入れられました。ロトの一家がその小さな町ツォアルに着いた時、主はソドムとゴモラの上に天から、硫黄の火を降らせ、滅ぼされました。こうしてロトの一家は、罪に対する滅びから神ご自身の手によって救い出されたのです。

これで全てが終わったか、というとそうではありませんでした。ロトの妻が、「振り返ってはいけない」と言われていたにも関わらず、後ろを振り向いたので塩の柱になってしまったのです。

聖書はこのことを26節でただ一言、「ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった」と簡潔に書き記している。ロトの妻に起こったことを、聖書は全く何も解説を加えていません。しかし、塩の柱とされたロトの妻の姿は、大きな警告となって私たちの目の前に示されているのではないでしょうか。

ロトの妻は、ただ、後ろを振り向いた、というだけのことでした。しかし、神の救いの中で、後ろを振り向いいてしまうということがどれほど恐ろしいことなのか、ということを聖書は伝えているのではないでしょうか。

出エジプトの際、旅の中でイスラエルは何度もエジプトを振り返りました。「荒野を旅するよりも、エジプトで奴隷であった時の方がマシだった」、と何度もモーセに訴えました。そのたびに、イスラエルは神から罰を受けました。

神はエジプトから脱出したイスラエルを荒れ野で養いつつ、その後もイスラエルに40年間寄り添って共に歩み、約束の地まで導き入れられました。そしてモーセは、40年の荒れ野の旅を最後に振り返り、「この荒れ野の40年は、神に委ねることを学ぶための旅だったのだ」、とイスラエルに語りました。

ロトの一家がソドムから救い出されたのは、ある意味で小さな出エジプトでした。罪の支配から、神が救い出してくださり、神の御手の内に、恵みの支配へと立ち帰って行く旅でした。しかし、ロトの妻は、ソドムの町を振り返ってしまいました。それは、罪の支配を振り返ってしまった、ということでしょう。

イエス・キリストは弟子達に、ソドムの出来事についてお教えになっている。

「ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失うものは、かえって保つのである」

キリストは、ソドムの滅びの出来事を、過去のこととしてお話しなさっていません。「人の子」、つまり御自分が世に再び来られる時に、同じことが起こる、とおっしゃっているのです。私たちは、ソドムの滅びを、むしろ将来自分たちに起こることとして見つめなければならないのです。

そのようにして見ると、塩の柱とされたロトの妻の姿は、私たちにとって大きな教訓となるのではないでしょうか。ロトの妻は、み使いの救いの導きに全てをゆだねることが出来ず、後ろを振り返ってしまいました。その一瞬の迷い・未練が、どんなに恐ろしいことになるのか、を私たちはここで学びたいと思います。

さて、ソドムの滅びを離れたところから見た人がいました。アブラハムです。アブラハムは朝早く起きて、神と語り合った場所に行き、山の上から低地を見ました。昨日までそこにあった町が、なくなり、地面から煙が立ち上っている光景が目に飛び込んできました。

聖書は、このことも非常に簡略に書いています。神による滅びを見たアブラハムが何を思ったのか、ということは何も記されていません。私たちはただアブラハムの心情を想像するしかありません。

ソドムの町には10人の正しい人すらいなかったのか、という虚脱感があったのではないでしょうか。そして罪に対する神の裁きの厳しさも、アブラハムの心を打ったのではないでしょうか。

私たちは、聖書が、創世記が、我々読者に何を伝えようとしているのか、アブラハムの立ち位置に立って、しっかりここで見つめなければならないと思います。創世記には、人間の罪が描かれています。神が裁きを行われ、罪を滅ぼし、そして罪の中から信仰者を救い出す様が描き出されています。そして創世記は私たちに不信仰の結末を生々しく見せるのです。

神は人の罪を決して見逃すということはなさいません。信仰が豊かな霊の実を結ぶように、不信仰も、罪の実を結ぶのです。不信仰が結ぶ実、それは、滅びです。

不信仰の町ソドムは神によって滅ぼされました。今一度、ソドムの罪とは何だったのかを振り返りたいと思います。

預言者たちが、このソドムの滅びについて書いている。

紀元前626年ごろ、預言者ゼファニヤがこんな預言を残しています。

「金も銀も彼らを救い出すことはできない。主の憤りの火に、地上はくまなく主の熱情の火に焼き尽くされる」 Continue reading

12月4日の説教要旨

創世記19:1~11

「彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、わめきたてた。(19:4)

アブラハムの元に三人の旅人が訪れました。彼らはアブラハムに男の子の誕生を予告し、自分たちがソドムに向かっていることを告げました。「ソドムで正義を求める叫びの声が聞こえる。これからソドムに行って、どうなっているのか様子を見に行く。」

アブラハムは、この旅人たちがソドムの町にはびこる悪をぼしに行こうとしていることを知りました。しかし、ソドムの町には、自分の甥のロトが住んでいたので、旅人に詰め寄ります。「あなたは、正しい人たちを、悪い人たちと一緒に滅ぼしてしまうのですか。」旅人は、「もしソドムの町に正しい人が10人いたら、その人たちのために、町全部を赦そう」と約束してくれました。

三人の旅人の内二人が、先にソドムに到着しました。ここで聖書は初めて二人の旅人のことを「み使い」と書いています。二人の役目は、自分たちの元にまで届いた叫びの通りかどうか、ソドムの町の様子を確かめることでした。夕方にソドムの町に到着した二人の旅人はどうやら、どうやら、町に入ったところにある広場で夜を迎え、朝まで過ごすつもりだったようです。

この二人の神のみ使いを最初に見つけたのは、アブラハムの甥のロトでした。ロトは、ソドムの町の門のところに座っていたのです。町の門の入り口に座っていた、ということは、ロトがこの町の指導的な立場にあった、ということを意味します。

神と二人のみ使いがアブラハムの元を訪ねた時、アブラハムは天幕の入り口にいて三人を招き入れましたが、それはアブラハムが、天幕の指導者だったからです。

同じように、ロトも町の指導者の一人として、ソドムの町の門、入り口に座っていました。指導者として、町を出入りする人たちを把握しておく責務があった、ということでしょう。

しかし、ソドムの町の門のところに座っていたのはロト一人だけだったようです。ソドムの町の他の指導者たちは誰一人、そこにいませんでした。このことが、その時のソドムの町の様子を物語っているのではないでしょうか。ソドムの町の指導者たちが、指導者としての責任を果たしていなかったということです。町の秩序は、それほど乱れていた、ということが、このことだけでもわかります。

古代のオリエント社会では、旅人をもてなすという掟がありました。ロトは、二人の旅人を見ると立ち上がって迎え、地にひれ伏して、自分の家に泊まることを勧めました。「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊りください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください」

このロトのこの言い方だと、「この町の中では誰にも姿を見られないようにした方がいい」「そしてできるだけ早くこの町から立ち去った方がいい」、と言っているようにも聞こえます。ソドムの人たちがこの二人の旅人に何か害を及ぼすことを恐れているようです。ロトは、この町の広場で夜を過ごすことが安全ではないことをよく知っていたのです。二人のみ使いは、ロトの家に泊まることにしました。

2人がロトの家で食事をして、また床に就かないうちに、ソドムの町の男たちがロトの家を取り囲みました。ロトの家に旅人たちが入った、ということが町の中で知れ渡ってしまったようです。

男たちは「旅人たちを出せ」と言いました。「なぶりものにしてやる。」ソドムの男たちは、旅人たちに対して性的な暴力をふるおうとしてやってきたのです。「若い男も、年老いた男も」、つまり、街中の男たちがそう言いながらロトの家に詰めかけて来たというのです。

なぜソドムの男たちはそんなことをしようとしたのでしょうか。ソドムの男たちは、全員が同性愛者で、暴力的な手段を使って自分たちの性的な欲求を満たそうとしたのでしょうか。

そうではありません。この場面を読むと、「ソドムの罪は、同性愛ということだった」と安易に結論づけてしまいそうですが、そうではありません。

相手に対して性的な暴力をふるう、ということは、相手を自分の支配下に置く、ということを意味しました。自分たちが支配者である、ということを相手に知らしめるための手段だったのです。

これは、古代の多くの社会で行われていたことでした。特に戦争の中で、侵略した場所で、男・女関係なくなされていたことでした。

ソドムの人たちを止めようとしたロトに対して、男たちは言いました。「よそ者のくせに指図して。彼らより先に、お前に痛い目に遭わせてやる。」これはつまり、男たちがよそ者であるロトを性暴力を振るい、そのことによってロトを支配しようとした、ということです。

さて、ソドムにはびこっていた罪とは何だったのでしょうか。我々は、丁寧にここを見ないといけないと思います。ソドムの男たちが、同じ男性に対して性的に暴力をふるおうとしたということで、「神は同性愛というものに罰を下されたのだ」、などと言われたりします。

しかし、聖書はソドムの罪は同性愛であった、とは言っていません。

預言者イザヤは、ソドムの罪のことを、「主に敵対し、その栄光のまなざしに逆らった」ことだと語っています。

預言者エゼキエルは、ソドムについて、神からこう言われています。「食物に飽き、安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。彼女たちは、傲慢にも、私の目の前で忌まわしいことを行った。そのために、わたしが彼女たちを滅ぼしたのは、お前の見たとおりである。」

イザヤやエゼキエルといった預言者たちの言葉を見ると、ソドムの罪とは、神に敵対したこと、貧しい人たちを軽蔑し、暴力をもって支配していたことである、というのがわかります。

ソドムの町には平和がありませんでした。旧約聖書が書かれたヘブライ語で、平和のことをシャロームと言います。シャロームというのは、神の元にある平和のことです。

イエス・キリストは、「律法の掟の中でどれが一番大事なものか」と聞かれ、「一番大事な掟は、神を愛し、隣人を愛することだ」、とおっしゃいました。聖書の言葉は全て、神を愛し、隣人を愛するための教えだ、とまでおっしゃいました。神を愛し、隣人を自分のように愛すること、それが聖書が伝えているシャローム、平和なのです。

ソドムには、それが全くありませんでした。神を愛するどころか、神のみ使いを性的な暴力で支配しようとしています。普段から、ソドムの男たちは、旅人がソドムの町に入ると、男であろうが女であろうが、このような仕方で相手を支配していたのでしょう。だからロトは「朝早く出立してください」と旅人に伝えたのではないでしょうか。

この町には、神に対する愛も、隣人に対する愛もありませんでした。あるのは、暴力による支配でした。それがソドムの罪です。神の元にまで聞こえたソドムの叫びとはその暴力の中で正義を求める、弱い者たちの祈りの叫びだったのです。

さて、この暴力による危機の中で、ロトがこんなことを言いました。「私には娘が二人います。皆さんに二人を差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください」

私達は、このロトの言葉をどう見るでしょうか。家族を犠牲にしてまで旅人を守ろうとした美談として読むことはできるでしょうか。そんなことはないでしょう。

旅人を守るためとはいえ、愚かな申し出です。どんな理由であれ、自分の娘を町の男たちに「好きにしてください」と差し出す、ということが信仰の美談だとはとても思えません。

私たちはここで、ロトという人一個人を見るだけでなく、もう少し広い視点をもちたいと思います。聖書は、このロトの姿を通して私たちに何を見せようとしているのか、ということです。自分の娘を身代わりに差し出す、と言ったロトの姿の中に、私たちは罪に対する人間の無力さを見るのではないでしょうか。

私たちはここを読みながら、ロトをいくらでも批判することができます。しかし、聖書がいつでも、私たち自身の姿を見せようとしているということを忘れてはならないでしょう。

ロトの家にやってきた人たちは、旅人たちを暴力で支配すること、自分たちのものにするためにやってきました。人々は、ロトの娘を求めていたのではありません。ロトが言ったことは、実は的外れなのです。「娘たちを好きにしてください」と言っても、何の解決にもならないし、これではただ、娘たちが傷ついて終わるだけなのです。

しかし、これこそ、罪に飲み込まれそうになった人間の姿ではないでしょうか。何かしなければならないのは分かっている、しかしどうしていいのかわからない。人の痛みなど顧みずにその場しのぎで窮地から逃げようとするのです。

進退窮まったロトの姿は、まさに、罪に飲み込まれようとする無力で無理解な人間の姿ではないでしょうか。この時ソドムの町で起こったこと、そしてソドムの男たちとロトの間でのやり取りは、今でも起こっていることなのです。個人と個人の間で、国と国の間、そして人類全体で、暴力による支配があり、その中でて理不尽に差し出される犠牲があるのです。

私たちは、ロトの家に集まって来た人たちを通して、神を見失った人間がどれほど残虐なことをしてしまうのかを見せられます。そしてロトの姿を通して、私たちが罪の力に対してどれほど無力で、的外れな判断をしてしまうのか、ということを見せられるのです。

ソドムにあったのは、混乱でした。無秩序でした。神への愛も、隣人への愛もありません。神への叫びは、このような中で発せられるのです。そして、その叫びは、必ず神の元にまで届きます。

ロトの家に集まった人たちが、家の戸を破ろうとした時、二人の旅人、つまり神のみ使いはロトを家の中に引き入れて戸を閉め、人々に向き合われました。神は、信仰者を、御自分の背中の方に回し、罪の力から身を挺して守られたのです。神は、襲い掛かる罪の力と信仰者の間にご自身の身を置かれました。

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11月27日の説教要旨

創世記18:16~33

「主は言われた。『もしソドムの町に正しい者が50人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう』」(19:26)

アドベントに入ったので、しばらく旧約聖書を見ながら、イエス・キリストがお生まれになった意味を考えて行きたいと思います。

今日私達が読んだのは、創世記の、アブラハムと神との間に交わされた、ソドムの町の滅びに関しての駆け引きの場面です。アブラハムが99歳の時のことです。

少しこの出来事の文脈を踏まえておきます。

ある日、アブラハムが天幕の入り口に座っていた時、ふと目を上げてみると、三人の人が立っていました。アブラハムは「私のところに立ち寄ってください」と言って、この旅人たちをもてなしました。

3人の旅人たちの一人がアブラハム向かって言いました。「私は来年の今頃、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」すぐ後ろの天幕でそれを聞いたサラは、ひそかに笑いました。「そんなこと、あるはずがない」、と思ったのです。

旅人は、アブラハムに「なぜサラは笑ったのか。なぜ年を取った自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか」と言いました。どうやら、この旅人の言葉は、主なる神の言葉だったようです。

「なぜサラは笑ったのか」という言葉を聞いて、サラは恐ろしくなり、「私は笑いませんでした」と言いましたが、旅人は、「いや、あなたは確かに笑った」と断言しました。

年を取ったアブラハムとサラに子供が生まれると告げられたのは、これが最初ではありませんでした。

15章では、「私には子供がありません」と言うアブラハムに向かって、神が「あなたから生まれる者が後を継ぐ」とおっしゃって満天の星をお見せになり、「星を数えることが出来るなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこうなる」とおっしゃっています。

17章17節でも「私はサラを祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう」とおっしゃっています。アブラハムはその時ひれ伏してその言葉を聞きましたが、サラと同じようにひそかに笑いました。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。90歳のサラに子供が産めるだろうか。」

神は、アブラハムとサラに繰り返し、「あなたがたに男の子が生まれる」とお告げになって来たのです。しかしそれを聞いてもアブラハムもサラも、ひそかに笑って信じてこなかったのです。

やがて、旅人たちが告げたように、アブラハムとサラの間に男の子が生まれることになりました。創世記21章まで読むと、そのことが書かれています。旅人たちは、「主に不可能なことがあろうか」と言ったとおり、神はご自分にできないことはない、ということをアブラハムを通して示されたのです。

男の子にはイサクという名前がつけられました。イサクとは、「笑い」という意味の名前です。

アブラハムとサラは、神の言葉を笑って来ました。「あざ笑ってきた」と言ってもいいのではないでしょうか。たとえ神がそうおっしゃったとしても、「年を取った自分たちに子供が生まれるはずはない」と、神の言葉を鼻で笑って来たのです。

しかしイサクの誕生は、二人の笑いを変えました。「そんなことはありえない」という不信仰の笑いが、「真に神がおっしゃったことは真実だった、神にできないことはない」という信仰の笑いへと変えられたのです。

神を信じず笑う者が、信仰の喜びに笑う者へと変えられていく様子が、この創世記には記録されています。

この一連のアブラハムとサラの物語を通して考えさせられるのではないでしょうか。私達の信仰の姿勢というのは、神の前に自分がどのような笑いをもっているか、ということなのではないでしょうか。

神を疑い、信仰をあざ笑う「不信仰の笑い」というものがあります。一方で、聖書の言葉が真理であることを知って、本当に聞くべき方の言葉・従うべき方を見出して喜びに満たされた「信仰の笑い」もあります。

私達は今、神の御前に、どのような笑いをもっているでしょうか。

このアブラハムとサラの夫婦の間に与えられた喜びの笑い共感できるのであれば、私達は、イエス・キリストがこの世にお生まれになった喜びに笑うことが出来るでしょう。

どうして我々はクリスマスの喜びを知るために、クリスマスの本当の意味を知るために旧約聖書を読むのでしょうか。実は聖書の初めにある創世記に、すでにキリストの誕生の喜びの原型ともいうべき出来事が描かれているからです。逆に言えば、旧約聖書を見なければ、クリスマスの本当の意味、本当の喜びを知ることはないのです。

キリストがお生まれになる何百年も前から、神は、全ての人を御自分のもとへと連れ戻すために導く大牧者・メシアの到来を預言して来られました。アブラハムに、「来年の今頃、サラは男の子を産むだろう」とおっしゃったように、「やがて、イスラエルの大牧者が生まれ、その者は全ての人の罪を背負うだろう」と告げて来られました。

そして今、キリストの誕生という信じがたいことが起こったのです。「信じられないと言ってあざ笑う人」が、イエス・キリストに出会う時、「神の言葉は真だった」、と信仰の笑いを知るようになります。クリスマスとは、そういう出来事なのです。

アドベントに入った今日、そのことを、改めてアブラハムと神とのやりとりの中に見て行きたいと思います。

さて、今日読んだのは、アブラハムとサラの間にまだイサクが生まれていない時、まだアブラハムが神の言葉を心から信じ切れていなかった時のことです。

アブラハムが3人の旅人をもてなし、これからその三人の見送ろうとした時のことでした。

聖書は、この三人の旅人が一体何者なのか、はっきりとは書いていません。22節には、二人の旅人がソドムに向かって行ったが、一人が後に残ってアブラハムと話をした、その一人が、主なる神であった、ということを書いています。

はっきりした書き方ではありませんが、三人のうちの一人が神であった、という書き方です。その旅人は「私は神だ」とは言っていませんが、アブラハムはこの方は主なる神であるとうっすら分かっていたようです。

神はアブラハムの元を去るに当たり、思いを巡らしていらっしゃいます。「私が行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。」アブラハムに何も言わずにソドムに向かうか、それとも、これからどこに行って何をしようとしているのかを伝えるか、神はここまで迷ってこられたようだ。

神は御自分の計画をアブラハムにお話になった。

「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は降って行き、彼らの行跡が、果たして、私に届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」

神はアブラハムに、御自分がこれからソドムの町がどんな様子なのかを見に行く、とおっしゃいました。ソドムで実際に何をするか、ということははっきりおっしゃっていない。しかし、アブラハムには神がそこで罪に対して滅びの業を行われるだろう、いうことが分かりました。

ソドムの町にはアブラハムの甥のロトとその家族が住んでいるのです。アブラハムは驚いたでしょう。

神は、ご自分の旅の目的をアブラハムに告げると当然心配する、ということがわかっていらっしゃいました。だから、アブラハムにご自分の計画を告げるべきかどうか迷われたのです。しかし、アブラハムはご自分の裁きの計画を知るべきだ、と判断されました。

その理由が、17節で言われています。神がこの世にお与えになろうとする祝福は、アブラハムを通して与えられる、アブラハムは自分の息子、子孫に神の正義を伝え、主の道を守らせることになります。神がおっしゃる「主の道」は、神の裁き・滅びとと無縁の道ではありません。むしろ、神の裁きへの恐れを知って歩むべき道なのです。 Continue reading

11月20日の説教要旨

使徒言行禄15:30~16:5

「パウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた」(15:38)

「異邦人キリスト者も割礼を受けなければ、神に受け入れられないのか」ということが、アンティオキア教会とエルサレム教会との間で議論になり、エルサレムで会議が開かれました。

この会議を通して、異邦人キリスト者は割礼を強要されることはない、一番大切なのは、イエス・キリストを信じる信仰である、ということがはっきりしました。

エルサレム教会の決定を聞いたアンティオキア教会の異邦人キリスト者たちは、皆喜びました。アンティオキア教会にまた平穏が戻ってきました。

その騒動があってから数日して、パウロがバルナバに言いました。

「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えた全ての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか」

パウロは、バルナバと一緒に福音を告げてできた教会の人たちのことが気になっていたのです。バルナバも同じ思いだったので、一緒に旅に出ようとしました。しかし、ここで事件が起こります。

バルナバは「マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたい」とパウロに言いました。しかし、パウロはこれに反対しました。前回の福音宣教の旅で、マルコだけが途中で帰ってしまったからです。

マルコが途中で帰ったのは、やむを得ない事情ではなかったようです。宣教の途中で病気になってしまったとか、後に残してきた家族に何か問題が起こったとか、そういうことではなく、マルコは途中で気持ちが折れてしまったのでしょう。

パウロは、「福音宣教を途中で投げ出したような者をまた連れて行くべきでない」と言って反対しました。しかしそれでも、バルナバはマルコを連れて行くことを主張しました。バルナバは、まだマルコに期待していたのです。マルコがバルナバのいとこだった、ということもあるかもしれません。

とにかく、パウロとバルナバの間で意見が激しく衝突し、ついに二人は別行動をとるようになってしまいました。

使徒言行禄は、エルサレム教会とアンティオキア教会の間に起こった論争や、パウロとバルナバというキリストの使徒同士に起こった衝突をそのまま記録しています。教会は、穏やかに成長していったのではありませんでした。教会の中にはユダヤ人もいれば異邦人もいました。使徒たちの中にも、いろんな考え方がありました。当然衝突が起こります。異なった慣習、異なった意見が、教会の中にはたくさんあったのです。

しかし、そのような数々の衝突を超えて教会は成長していきました。使徒言行禄が描いているのは、そのことなのです。

復活のイエス・キリストを実際に見た人たちに聖霊が注がれ、教会が生まれました。しかし、教会が初めから静かに一致して何の問題もなく歩んで行ったか、というとそうではありませんでした。福音が広まるにしたがっていろんな問題が、衝突が、論争が起きました。しかし、それらを超えて神のご計画は進んで行く様子が記録されているのです。

決別したバルナバとパウロは、それぞれが別の人を連れて宣教に出かけることになりました。バルナバはマルコと一緒に宣教することになり、パウロはシラスという人と一緒に宣教することになりました。

使徒言行禄はこれからパウロに焦点を当てて、福音が広がっていく様子を描いていくことになります。もうバルナバもマルコも、この使徒言行禄には出てきません。

我々は少し、このことについて考えたいと思います。使徒言行禄がバルナバとマルコのことをもうこの後描かなくなったのは、二人の宣教がこの後失敗したからなのでしょうか。

そうではありません。

パウロから「宣教者としてふさわしくない」と言われてしまったマルコはその後どうなったのでしょうか。そのことが新約聖書の中に垣間見えるところがあります。後に、ペトロが書いた手紙の中にマルコの名前が出てくるのです。トロの手紙の最後、結びの文で、「マルコがよろしくと言っています」と一言書かれています。どうやらマルコは、後にペトロと一緒にキリストの福音宣教のために働くようになったようです。

マルコはパウロの一回目の福音宣教の旅の途中で心が折れて、途中で帰ってしまいました。そのことでパウロから「マルコは福音宣教に一緒に連れて行くべきではない」と判断されてしまいます。しかし、「マルコは信仰の失格者だった、落ちこぼれの使徒だった」、と言い切ってもいいのでしょうか。

少なくともバルナバはそうは思いませんでした。そしてマルコは、やがてペトロのそばに身を置いて、キリストのために働くことになったのです。

私たちは思い出したいと思います。リストの弟子達は皆、信仰の失格者、落ちこぼれの弟子でした。キリストの弟子は、キリストが逮捕された夜、全員がキリストを見捨てたのです。12人は誰一人「キリストの弟子」と呼ばれるのにふさわしくない人たちでした。その内の一人はキリストを裏切りました。また、他の一人は「私はナザレのイエスなど知らない」と三度繰り返しました。

しかし、キリストは彼らの弱さを全て前もってご存じで、それにも関わらず彼らをご自分の弟子とされたのです。キリストは「今日、あなたがたは私を捨てて逃げてしまう。しかし、復活した後、私はあなたを迎える。ガリラヤで会おう」と弟子達に前もっておっしゃいました。そしてイエス・キリストに従い切れなかった弟子達は、復活の主に、もう一度迎え入れられることになったのです。

マルコのことを「宣教者として相応しくない」と言ったパウロだって、もとは教会を迫害した人でした。パウロは自分の手紙の中で書いています。

「私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でも一番小さなものであり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日の私があるのです」

マルコは、バルナバとパウロの宣教の旅に最後までついて行けなかったことを、負い目として感じていたのではでしょうか。信仰者として劣等感を感じていたのではないでしょうか。

しかしそれは、皆同じではないでしょうか。

神は、イエス・キリストに相応しいとは思えないような人をお選びになり、弱いまま用いられます。そう考えると、我々は、自分の信仰の姿勢を顧みて、「自分はキリストに相応しい人間かどうか」などと考える必要はない、ということがわかるのではないでしょうか。私達はただ、神はこのような私を愛してくださっている、ということを知り、感謝すればいいだけなのです。

さて、使徒言行禄は、意見が衝突したパウロとバルナバが、それぞれシラスとマルコを連れて二人一組になって宣教に出発したということを書いている。パウロもバルナバも、一人で行ったのではありませんでした。

キリストの使徒たちは、二人一組で福音宣教へと出かけて行ったのです。なぜでしょうか。イエス・キリストが弟子達を派遣なさる時に、そのようにされたからでしょう。

主イエスは弟子達を二人一組にして遣わされました。それぞれが、助け合い、励ましあって宣教を続けることが出来るように、という配慮ではないでしょうか。

イエス・キリストは、弟子達におっしゃっています。「あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、私の天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」

使徒たちがなぜ二人一組で福音宣教に出かけたのか・・・それはイエス・キリストの名の下に集う「共同体」として送りだされた、ということではないでしょうか。「個人」が派遣されたのではなく「共同体」が派遣されたのです。「二人で」キリストのお名前を伝える、そこにはイエス・キリストが共にいらっしゃる、ということでしょう。

私たちはなぜイエス・キリストの名のもとに集まり、教会という共同体の中で「共に」礼拝するのでしょうか。なぜ個々人で好き勝手に聖書を読んで、一人で好きなように神を礼拝する、ということをしないのでしょうか。キリストが私たちをそのようにお集めになり、そのようにこの世に遣わしていらっしゃるからでしょう。キリストはこの共同体と共に働かれた、だから福音は広まったのです。

このことは、私たちのように小さな群れであればこそ感じることではないでしょうか。イエス・キリストはおっしゃいました。

「あなた方の父は、あなた方に必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなた方の父は喜んで神の国を下さる」

主イエスは「小さな群れよ、恐れるな」とおっしゃいました。小さな群れは、確かに恐れてしまいます。不安になります。「これだけの人数で大丈夫なのだろうか。本当にキリストから託された福音を伝えていくことが出来るのだろうか」と考えてしまいます。

だからこそキリストは言ってくださいます。

「小さな群れよ、恐れるな」 Continue reading