MIYAKEJIMA CHURCH

8月28日の説教要旨

使徒言行禄10:21~33

「今私たちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」(10:33)

使徒言行禄を読んでいると、教会は聖霊によって創造され、作られていった、ということがわかります。キリストの使徒たち、キリスト者たちが計画を立てて、「教会」と呼ばれるものを作っていったのではなく、聖霊がキリスト者たちに出会いを与え、人間には思いもよらない仕方で福音の広がりを創造していったのです。

預言書イザヤは、幻を見せられ、預言書の中でこう言っています。

「終わりの日に、主の神殿の山は、山々のかしらとして堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と」

イザヤは、平和が完成する「終わりの日」には、国々は「もはや戦うことを学ばない」と言います。

全ての民が、真の神に向かって一つになっていき、平和が完成に向かっていくこの歴史の中で、ペトロとコルネリウスの二人が出会わされました。それは終わりの日の平和の完成のための大切な一歩でした。

今日はキリストの使徒ペトロとローマの百人隊長コルネリウスが、聖霊の導きによって出会った、という場面を読みました。

コルネリウスはカイサリアの町で、ペトロはヤッファの町で、それぞれ神から幻を見せられます。コルネリウスは、「ヤッファに人を遣わしてペトロを招きなさい」と天使から告げられ、ペトロは「迎えに来た人たちと一緒に旅立ちなさい」と霊から告げられました。

先週も話しましたが、ペトロとコルネリウスの出会いは、当時の常識を踏まえると考えられないものでした。ユダヤ人と異邦人の出会いであり、ガリラヤの漁師とローマの百人隊長の出会いです。どう考えても、接点がないのです。

しかし、神は、この二人が出会い、イエス・キリストの下に信仰の友となることをお望みになりました。そしてこの出会いが、キリストの福音が異邦人へと広まっていくために、とても重要な意味を持つことになったのです。

今日私達が読んだ10章には、とても細かく、二人の出会いの様子が描かれています。

ヤッファにいたペトロにまず目を向けます。

コルネリウスが遣わした人が、ヤッファに着き、海岸にある革なめし職人シモンの家に来て、「ここにペトロという人が泊まっていますか」と尋ねました。

ペトロはたった今見せられたばかりの幻について考えていました。幻の中で、天から食べてはならない生き物が見せられ「こんなものは食べられない」と言うと、「神が清めた物を、あなたは清くないと言ってはならない」と言われたのです。

自分が考えてきた基準とは異なる、神の基準が示されたようでした。しかし、それが一体今の自分にとってどういう意味があるのか、と思案に暮れていたのです。

そこに、新たに霊の言葉が与えられました。

「三人の者があなたを探しに来ている。立って下に行き、ためらわないで一緒に出発しなさい。私があの者たちをよこしたのだ」

これまでのペトロだったら、行かなかったのではないでしょうか。「外国人と交際したり、訪問したりすることは律法で禁じられている」、と信じていたのです。しかし、たった今、神から「神が清めたものを汚れていると、あなたは言ってはならない」と幻で言われたばかりでした。そして神ご自身が霊を通して「コルネリウスに会いに行きなさい」とおっしゃったのです。

ペトロは下に行って、コルネリウスの使者に会いました。そして、ローマの百人隊長コルネリウスがペトロを招くに至った次第を聞き、カイサリアに行ってコルネリウスに会うことを決断しました。

この使徒言行禄10章を読んで不思議なのは、この時、自分たちに今何が起こっているのか誰もわかっていない、ということです。コルネリウスは神が自分におっしゃったことに従い、ペトロを招いきました。ペトロは神がおっしゃったため、コルネリウスの使者と共にカイサリアへと旅立ちました。

しかし、コルネリウスも、ペトロも、なぜ自分が相手に会わなければならないか、告げられていなません。ただ、天使から、霊から「相手を招きなさい」「相手に会いに行きなさい」と言われただけです。何のために、相手に会うのか、会ったらどうなるのか、知らされないまま、二人はお互いに会おうとしています。

コルネリウスも、コルネリウスの使者も、ペトロも、ペトロと一緒に旅立ったヤッファのキリスト者たちも、誰も、次に何が起こるのかわかっていません。それでもただ、神がそうおっしゃったので、その言葉にそれぞれが従っていったのです。

ルカ福音書の5章に、こういう場面があります。

主イエスが、漁師であったペトロに、「沖に漕ぎだして網を下ろし、漁をしなさい」とおっしゃいました。ペトロは、「先生、私達は夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と答えました。経験を積んだ漁師ペトロが一晩中漁をしたのに、魚はかからなかったのです。体だけでなく、心も疲れていたでしょう。

しかし、ペトロは続けてこう言います。

「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」

すると、網が破れそうになるほどの魚がかかりました。そこでペトロは、このイエスという方に、自分の経験や知識に勝るものを見出しました。自分の考え方、基準に勝るものを見たのです。

ペトロは舟が沈みそうになるほどの魚を見て、主イエスの前にひれ伏した。

「主よ、私から離れてください。私は罪深い者なのです」

私たちは信仰の不思議を見ます。信仰というのは、不思議なものなのです。自分の期待通りになるとか、自分の将来が全部見えるようになるとか、そんなことではありません。祈りの中で、神の不思議が見せられる、ということです。神を信じたら必ずこうなる、などと言えることは一つもありません。

ペトロにしても、コルネリウスにしても、神の言葉は自分にそう告げている・・・「お言葉ですから」・・・彼らの信仰はそれでした。私たちの信仰も、このような従いではないか。

神がこうお求めになっているから・聖書は神の御心をこのように伝えているから、私たちはその言葉に信頼して自分をゆだねるのです。先に何があるか分からない、しかし、聖霊の導きに信頼して、自分の計画ではなく神のご計画を、その先で見せられるのです。

旧約聖書の士師記にマノアという人が出てきます。サムソンの父親です。子供が生まれなかったマノアの妻に、神は「あなたは身ごもって男の子を産む」と告げられました。

マノアは、主のみ使いに尋ねました。「お名前はなんとおっしゃいますか」主のみ使いは、「なぜ私の名を訪ねるのか。それは不思議と言う」と答えました。

マノアは、「主、不思議なことをなさる方」に捧げものをした、と記されています。私たちにとって神は、「不思議なことをなさる方」なのです。

ペトロとコルネリウスの出会いも不思議だ。

コルネリウスも、ペトロも、昨日まで全く知らなかった者同士でした。

ここにいる私たちも、そうでしょう。同じ教会で礼拝を守り、同じみ言葉を聞いているのは、私たちが「こうしよう」と相談したからではありません。神が、この礼拝をおつくりになり、この礼拝の中に私たちを招き入れ、今この出会いが与えられているのです。

これからも神がお望みになるのであれば、この礼拝は続いていくでしょう。来週も、再来週も、ここに礼拝が創造されるでしょう。私たちは信仰を通して、神がなさる「不思議」を見せられているのです。 Continue reading

8月21日の説教要旨

使徒言行禄9:43~10:20

「『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』」(10:15)

使徒言行禄は、いろんな人に焦点を当て、それぞれの人がどのようにイエス・キリストの福音を伝えて行ったのか、ということを記録しています。復活のキリストに出会った弟子達、弟子達と一緒に祈った人たち、弟子達が伝えたキリストの十字架と復活を知って教会に加わった人たち・・・ペトロ、ステファノ、パウロ、フィリポなど、いろんな人がいろんな場所でイエス・キリストの復活を証言していきました。

使徒言行禄を読んでわかるのは、一人一人の使徒たちが綿密に福音宣教の計画を立て、その計画が実現していったのではない、ということです。使徒たちや、時には教会の迫害者、また迫害によってエルサレムから追い散らされたキリスト者たちに不思議な出会いが与えられ、イエス・キリストの復活を信じる人が増えていったことが記されている。

私達は、福音の広がりは大きな聖霊の力によって導かれていた、ということを知るのです。

今日私たちが読んだのも、そのことがわかる場面です。

神の導きによって、ガリラヤの漁師であったユダヤ人ペトロと、ローマの百人隊長コルネリウスが出会わされることになるのです。この二人が出会うということは、普通では考えられないことでした。

この後、ペトロ自身が言っていますが、「ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられている」、と考えられていたのです。ユダヤ人が、イスラエルの神を知らない異邦人と接触すると、自分たちの信仰が悪い影響を受けてしまう、と思っていたようです。

しかし、これからペトロは神に導かれてコルネリウスに会うことになります。そして、コルネリウスをはじめとする異邦人の上に聖霊が降るのを見ます。ペトロは、「神は、人を分け隔てなさらない」ということを見せられることになるのです。

ペトロとコルネリウスの出会いは、後のキリスト教会にとってとても重要な意味を持つことになりました。神は、ユダヤ人だけでなく、異邦人も、つまり、この世界の全ての人をご自分の元へと集めようとなさっていることが教会に示されたのです。

二人がどのように出会ったのか、見て行きましょう。

ペトロはエルサレムを出て方々を巡り、リダ、ヤッファと導かれて来ました。彼は、「ヤッファの革なめし職人の家に滞在していた」、とあります。方々を歩き廻って来たペトロでしたが、今はヤッファに留まって、神が自分に次の場所を示してくださるのを待っていました。

革なめし職人の家は、どうしても臭いを出してしまうので、普通は町はずれに建てられます。ヤッファは港町だったので、皮なめし職人の家は海岸にありました。

今、ペトロは、地中海にいます。ガリラヤの漁師だったペトロは、キリストから「あなたを人間をとる漁師にしよう」と言われて弟子になりました。ガリラヤ湖で漁師をしていたペトロが、今、人間をとる漁師へと変えられ、地中海へとやってきました。

小さなガリラヤ湖から、大きな地中海へ・・・ペトロを通して、キリストの福音が新しく広い世界へと広がっていこうとしていることを暗示しています。

ペトロがヤッファに滞在していた時、海沿いのずっと北にあるカイサリアにローマの百人隊長コルネリウスがいました。カイサリアは、ユダヤ地方を治めるローマの総督が普段いる町なので、ローマの軍隊も駐屯していました。カイサリアは貿易港でもあり、いろんな国の人がいた町です。

そのような街にあって、コルネリウスは、「信仰あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」ような人でした。「神を畏れていた人」というのは、イスラエルの神を畏れ、信じていた人、ということです。コルネリウスのは一家そろって、ローマ人でありながら、ユダヤ人たちが信じているイスラエルの神を信じ、信仰者たちを援助していました。

彼は、毎日午後3時に祈っていました。その祈りの中で、コルネリウスは神から幻を見せられます。主の天使が自分の目の前に立って、「ヤッファにいるペトロを招きなさい」と言うのです。コルネリウスこの幻を信仰をもって受け止め、疑うことなく、会ったこともない、顔も知らない、そして本当にそこに居るかどうかわからないペトロという人の元へと自分の部下をヤッファに送りました。

ペトロは、もちろん、遠く離れたカイサリアで、ローマの百人隊長が自分を求めているなどということは知りません。ペトロはただ、ヤッファにいて、次に自分が示される神の導きを待っていただけです。

イエス・キリストは、弟子達にこうおっしゃったことがあります。

「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる」

蒔かれた種が、農夫・人間の知らないところで、土の中で、夜も昼も成長していく様子を、神の国の成長、福音の広がりになぞらえていらっしゃいます。

私たちは、「種を蒔けば芽が出て実がなる」、などということは当たり前すぎて普段はあまり考えないのではないでしょうか。しかし、こんなに不思議なことはないのです。なぜあの小さな種から、土と水によって我々人間の命を、生活を支えるほどの実がなるのでしょうか。そこには人間の力を超えた自然の営みが、神の創造の御業があります。

私たち、神の国がどのように実現していくかわかりません。種を土に蒔いたら芽が出て多くの実を結ぶ、ということが神秘であるように、福音がなぜ広がるのか、なぜ人がキリストを信じるようになるのか、私達には説明できないのです。

聖書は教会のことを、「神の畑」と言っています。福音の種がまかれ、それが神の御業によって、人間には見えない仕方で成長していくのです。

この時のペトロを見ればわかります。自分にまさか起こるはずがない、というようなことが、自分の知らないところで進んでいました。ローマの百人隊長が、ガリラヤの漁師である自分を招こうとしていたのです。

次は、ペトロの番でした。昼の12時ごろに屋上で祈っていたペトロは空腹を覚えました。ペトロにも幻が見せられました。聖書で「食べてはいけない」、と言われている生き物が入った入れ物が天から降りてきたのです。

幻の中でペトロは天からの声を聞きました。

「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」

しかしペトロは「主よ、私は汚れたものは食べません」と答えます。

それに対して神は「神が清めたものを、清くないなどと、あなたは言ってはならない」とおっしゃいました。

ペトロは、幻の中で三度、このやり取りを繰り返しました。

ペトロは思案に暮れた。

「今見た幻は一体何だろうか」

神は、「神が清めた物を、清くないなどと、『あなたは』言ってはならない」とおっしゃっいました。「人間であるあなたが決めることではない、神である私が決めることだ」ということでしょう。

ペトロが、幻の意味を考えているところに、コルネリウスからの使者が到着しました。先ほども言ったように、ペトロにとって、異邦人と会うことは「けがれる」ことでした。それに、自分を迫害しに来た兵士かもしれません。本当は会いたくなかったでしょう。

しかし、そのペトロに聖霊が告げました。「ためらわないで一緒に出発しなさい。私があの者たちをよこしたのだ」

祈りの中で見せられた幻がなかったら、ペトロはコルネリウスからの三人の使者に会わなかったのではないでしょうか。それが神から与えられた出会い・導きだとはわからなかったでしょう。

私たちは今日、神が、二人が出会うように導かれた、という場面を見ました。ローマの百人隊長であったコルネリウスと、ガリラヤの漁師でありキリストの使徒であったペトロ、二人それぞれに神が幻をお見せになり、出会いを準備されました。

コルネリウスとペトロに共通しているのは、祈りの中で神の導きが示された、ということです。神の導きは、信仰者の祈りの中で見せられるのです。 Continue reading

8月14日の説教要旨

使徒言行禄9:31~43

「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」(9:34)

先週まで、私達は、サウロという教会の迫害者がキリストの使徒とされた、という場面を読みました。今日読んだところでは、聖書はまたキリストの一番弟子であるペトロの働きへと目を向けています。

使徒言行禄には、教会がどのように始まり、成長していったのか、ということが記録されています。

復活なさったイエス・キリストは、「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」と、弟子達におっしゃいました。イエス・キリストの復活と昇天を見た弟子達、信仰者たちは、その言葉を信じて祈り続け、その祈りの群れの上に、ペンテコステの日に聖霊が注がれ、キリスト者の群れ・教会が作られました。

人々は使徒たちのキリスト証言を聞いて驚き、自分たちがメシアを十字架で殺したということを知り、罪を悔い改めて洗礼を受け、教会の群へと加わり、教会はとても大きな群れに成長しました。しかし、すぐに、エルサレムにいたキリスト者たちは、迫害され、エルサレムの都から追い散らされることになります。

エルサレムからキリスト者がいなくなってしまった・・・普通ならそこで福音宣教は終わるはずです。教会は、いいところまで成長したが、結局、バラバラに解体されてしまった、ということで終わるでしょう。

しかし、使徒言行禄は、迫害を超えて働く聖霊の導きを記録しています。迫害さえ用いて、聖霊の働きは続くのです。エルサレムから追い散らされたキリスト者たちは、自分が逃げた先で、キリストを証ししていきました。皆、イエス・キリストの出来事を黙ってはいられなかったのです。

キリストの使徒、フィリポはサマリアに行き、そこでキリスト者の群れを作りました。その後、エチオピア人の高官に、ナザレのイエスこそ、イザヤ書で預言されている苦難の僕、受難のメシアであることを伝えました。

キリスト者を迫害したサウロは聖霊に導かれ、キリスト者へと変えられた。

預言者イザヤはこう言っています。

「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道は、あなたたちの道を、私の思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。」

聖書に記録されている教会の成長は、まさにイザヤが預言している通り、人間の思いを超えています。エルサレムの教会が迫害され、無くなってしまったことで、逆に福音が広がるなどと、誰が予想したでしょうか。教会を迫害する人が、たった三日で教会のために働き、教会と共に迫害を受けるようになるなど、誰が考えたでしょうか。

イエス・キリストがおっしゃったように、ユダヤ、サマリアだけでなく、まさに「地の果て」まで、使徒たちは聖霊の不思議な導きによってキリストの証人として遣わされていくのです。

使徒言行禄は、使徒たちが考えた宣教計画が次々に成功した、ということが書かれているのではありません。使徒たちが、自分たちが「あそこに行こう、あの人に会おう」と自分たちで計画を立てて、福音を広めた、ということではないのです。使徒たちが聖霊に導かれ、自分の力を超えた神の計画が実現していく様を見せられていったということが記録されているのです。行く場所も、会うべき人も、使徒たちは全て聖霊から示された・与えられた、という記録なのです。

サマリアで宣教し、エチオピア人にキリストを伝えたフィリポにしても、教会を迫害したサウロに会いに行くよう導かれたアナニアにしても、リダやヤッファへと導かれたペトロにしても、実は、誰一人、自分が行こうと思っていた場所に行った人はいません。

使徒たちが、教会が、キリスト者が持っているイエス・キリストの名前が、迫害から逃げるキリスト者と共に広まっていった、ということに、私たちは神のご計画の深さを見ます。そしてその聖霊の導きが、私たちの思いを高く超えた神のご計画の中で今も教会に働いている、ということを覚えたいのです。

使徒言行禄の使徒たちの姿、教会に与えられる救いの御業を通して、自分たちを導く聖霊の力を見ていきましょう。

さて、今日私たちが見たのは、ペトロです。

ペトロはエルサレムの外に出て行き、地中海の沿岸地域へと歩いていき、キリスト者の共同体の中で癒しと復活の業を行っていました。

方々をめぐり歩き、リダという町にいたキリスト者たちのところに行きます。そこで癒しを行い、アイネアという寝たきりの女性を立ち上がらせました。それを見聞きしたリダとシャロンに住む人たちは「主に立ち返った」、とあります。

更に、ヤッファの町のキリスト者が、リダにペトロがいることを聞いて、人を送り「急いで私たちのところへ来てください」と頼みました。これは、「ためらわずに私たちのところに来てください」という言葉です。

実際のところ、ペトロには、ヤッファに行くことにはためらいがあっただろう。ペトロは、もともとは、ガリラヤの漁師でした。ユダヤ地方の北にサマリア地方があり、ガリラヤ地方は、更にその北です。

ヤッファは、ユダヤの中心のエルサレムから西へ行ったところにある海沿いの町だ。もうここまで行くと、はるか北のガリラヤ湖で漁師をしていたペトロにとっては、未知の地域です。

今日私たちが読んだところに出てくるリダ、シャロン、ヤッファという地名は、いろいろな意味において、「端っこ」にある町々でした。

リダは、ユダヤの丘陵地の一番端にある町です。

シャロンはヤッファとカイサリアの間にある森林地域。

そしてヤッファは地中海沿岸の港町、つまり、陸の端っこでした。

ペトロにしてみれば、ガリラヤで漁師をしていた自分が、まさかを訪れることになるなどとは思ってもみなかったような町々なのです。ヤッファはユダヤ地方でありながら、ギリシャ・ローマ世界の影響が色濃く、ギリシャ人が多く住んでいたので、外国に来たような感じを覚えたでしょう。

なぜペトロはそんな町々に赴いたのか・・・ペトロが綿密に計画を立てて行ったことではありません。ペトロは次々と行く場所が示され、そこでなすべき業が示されていったのです。目に見えない導きによって、自分の意に反して、どんどん見知らぬ場所へと運ばれていったのです。

そしてそのことによって、イエス・キリストのお名前が、ペトロの思ってもみなかった仕方で広まっていったのです。

ペトロは自分の足で方々を歩き、イエス・キリストのお名前を伝えました。ペトロがしたことは、イエス・キリストご自身がなさったことでした。神の国を求める人のところに、神の国を届ける、キリストを求める人のところに、キリストの名を届ける、という宣教の旅です。

ペトロは、リダの町でアイネアを癒す際、こう言っています。

「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる。起きなさい」

「私が癒してあげよう」と言ったのではありません。

「イエス・キリストが癒してくださる」と言ったのです。

ペトロはただ、イエス・キリストのお名前をそこへと運んだだけでした。アイネアはペトロが口にした「イエス・キリスト」というお名前によって癒され、人々は、そこにキリストの臨在を見ました。人々はその業の中にイエス・キリストを見て、ペトロが告げる福音は真実だと知って、神へと立ち返ったのです。

イエス・キリストは、ガリラヤで弟子達を宣教へとお遣わしになったことがあります。その際、弟子達に。悪霊に打ち勝ち、病気を癒す力と権能をお授けになって、あとは、「何も持たずに行け」とおっしゃいました。

ペトロは今、あのガリラヤ宣教と同じことをしています。ペトロは何も持っていないのです。持っていたのは、キリストのお名前だけでした。

ペトロが癒しを通して示したのは、「キリストがあなたのところに今来られている」「キリストはあなたを求めていらっしゃる」ということでした。キリスト者がキリストのお名前を大切に抱いてその場に生きる、ということがどれだけ大きな意味をもっているか、私たちは学ぶことが出来るのではないでしょうか。 Continue reading

8月7日の説教要旨

使徒言行禄9:19~31

「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた」(9:26)

誰よりも熱心に教会を迫害したサウロは、復活のイエス・キリストによって目を見えなくされました。その三日後、神に遣わされたアナニアから「あなたの目が見るようになるように、あなたが聖霊で満たされるように」と言われると、サウロの目は見えるようになりました。サウロは、ナザレのイエスがキリストであること、そして、キリストは本当に復活なさった、ということを知り、身を起こして洗礼を受け、自分もキリスト者となりました。

私たちはこれから、イエス・キリストを信じ、キリスト者となったサウロがどのように変わったのか、使徒言行禄を通して見ていくことになります。彼はすぐにあちこちの会堂で「イエスこそ神の子である」と宣べ伝え始めました。自分がやってきたことを恥じて、誰にも知られず身を隠した、というのではありません。三日前まで、「イエスは神の子だ、イエスはキリストだ」と言う人たちを迫害していた人が、キリスト者と同じことを言い始めたのです。

このサウロの変わり身を見て、彼を知っている人たちは当然皆驚きました。サウロがエルサレムからダマスコにやって来たのは、キリスト者迫害のためでした。その迫害者が、たった三日間で、迫害する側から迫害される側に身を置いたのです。

サウロは、ユダヤ人からも、キリスト者たちからも驚かれ、そして不信感を抱かれました。キリスト者を迫害していたユダヤ人たちからすれば、サウロは裏切り者です。

結局、以前は仲間だったユダヤ人たちから殺意を抱かれるようになってしまいました。サウロは、自分の弟子達に助けられて、夜の間にかごに載せられて町の城壁伝いにつり下ろされ難を逃れました。

サウロは、後に自分の手紙の中でもこの時のことを書いています。

「ダマスコでアレタ王の代官が、私を捕えようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていた時、私は、窓からかごで城壁づたいに下ろされて、彼の手を逃れたのでした」

教会を迫害する者が、教会と共に迫害される者へと変わり、夜、町から命からがら逃げるようなことになっても、イエス・キリストへの信仰を捨てませんでした。私たちは、このサウロに起こった変化を通して、イエス・キリストの復活という事実が、これほど人を変える力をもっている、ということを知ります。

私達も今、キリストの復活を信じて、この礼拝の中に身を置いています。サウロのように、劇的ではないかもしれませんが、私達は、どこかで復活のキリストと出会い、確信し、そして今、礼拝を捧げる者として生きるようにされて、今があります。

私たちは、人々を驚かせたこのサウロの変化を通して、キリストとの出会い・キリスト信仰がどれほど人を変えることになるのか、また人の人生にどれほど意味をもたらすものとなるのかを見ていきたいと思います。

サウロは、後にガラテヤの信徒の手紙の中で、キリストに出会う前の自分について、こう書いています。

「あなたがたは、私がかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。私は、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年頃の多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。」

サウロは、以前の自分のことを「熱心」だった、と言っています。神が望まれることをしよう、という熱心さを「誰よりも強く持っている」、という自負をもっていました。それは神に反している人たちを迫害し、滅ぼそうというほどの熱心さでした。

しかし、サウロは、復活のイエス・キリストと出会い、以前自分が持っていた「熱心さ」が誤ったものであることを知ります。彼は、自分を誇ることに熱心でした。

サウロは、以前の自分のことを「イスラエルの中のイスラエル、ヘブライ人の中のヘブライ人であり、律法に関しては非の打ちどころのない者だった」、と手紙の中で書いています。しかし、復活のキリストに出会い、「キリストを知るあまりのすばらしさに、自分を誇ることをやめた」、と言うのです。

サウロは、キリストに出会ってから、自分を誇ることをやめ、キリストを自分の誇りとするようになりました。キリストとの出会いは、そのように人を変えていくのです。

旧約聖書の創世記に、ヤコブという人が出てきます。

兄のエサウから長子の権利を奪い、更に、エサウが受けるはずだった祝福までだまし取った人です。兄エサウの怒りをかったヤコブは逃げました。

別の土地に逃げたヤコブは、妻を娶り、やがてエサウのいる故郷に帰ることになります。ヤコブは兄の怒りを恐れていたので、隊列の一番後ろから進みました。自分の身を守ろうと一番安全だと思われるところにいたのです。

いよいよ明日エサウに再会する、という日の夜、ヤコブの前に神が現れました。そしてヤコブは神と一晩中格闘しました。

二人は朝まで戦い、神はヤコブに「もう放してくれ」とおっしゃいます。しかし、ヤコブは、「私を祝福してくださるまでは放しません」と言いました。神はその場でヤコブを祝福され、「あなたは神と戦った。これからはイスラエルと名乗りなさい」と言われます。

イスラエルとなったヤコブは、変わりました。翌日、群れの一番後ろにいた彼は、先頭に立って、エサウの前に進み出たのです。ヤコブは兄エサウとの再会を果たし、兄弟は和解しました。ここからイスラエルという神の民が始まっていくことになります。

このヤコブの物語は、実は信仰者一人一人の物語なのです。「イスラエル」という言葉には、「神と戦う者」という意味があります。ヤコブは神と戦ってイスラエルとなりました。群れの一番後ろにいたヤコブは、イスラエルとなって群れの先頭に立ちました。

サウロも、イエス・キリストと戦って、キリスト者となり、教会を迫害する者から、教会のために戦う者となりました。

信仰者は、ヤコブやサウロが変えられた姿をして、神との出会い・キリストとの出会いを通して変えられた自分を顧みることが出来るのではないでしょうか。私たちも、聖書を読んだり、神に向かって祈ったりする中で、信仰の戦いがあったでしょう。「ここに書かれていることは本当だろうか。キリストを信じようとしても自分にはいいことなど起こらないではないか」と、誰もが思ったことがあるでしょう。

しかし、それでも、私たちは聖書の言葉を求め続けます。ヤコブが神と格闘したように、私たちも祈りを通して、キリストと戦うのです。「主よなぜですか」、「キリストは本当に共にいてくださるのですか」、そう言ってぶつかっていきます。それでいいのです。

サウロは、目が見えなくなった三日間、自分のそれまでの間違った熱心さを振り返り、また自分に語り掛けてきたナザレのイエスとの内なる対話を続けたでしょう。罪なる自分との決別のため、また新しくキリスト者として生きるため、誰でももがく時間が必要なのです。そして、キリストに身をゆだねた時、キリストが自分を片時も見放さず導いてくださっていたことを知るのです。

サウロは、ユダヤ人たちからも、キリスト者たちからも、不信に思われました。そのサウロを、エルサレムの教会へと仲介した人がいました。バルナバという人です。

聖書には、こう書かれている。

「バルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語り掛けられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。」

しかし、エルサレムのキリスト者たちは、誰もサウロを受け入れようとしませんでした。あれだけ教会を迫害したサウロなのだから、キリスト者になったふりをして、自分たちをそうやって騙そうとしているのではないか、と疑っていたのかもしれません。

「しかし」バルナバはサウロを信じました。彼をエルサレム教会へと連れて行き、サウロがイエス・キリストと出会い、どのように変わったのかを伝え、執成しました。

サウロが後に記した手紙と合わせて考えると、バルナバは、サウロがキリストに召されてから17年後に、サウロを迎えに行き、エルサレムに連れて行った、と推測できる。サウロは17年間、一人でキリストを伝え続けていたということだ。そしてバルナバは、サウロのことを17年間、覚えていたということです。

私達は、このバルナバがしたことの意味に目を向けたいと思います。もし、バルナバがサウロを信じなかったとしたら、また、サウロという人を忘れてしまったとしたら、どうだっただろうか。

後のパウロの福音宣教はなかったでしょう。キリストの福音がエルサレム周辺から、アジア大陸からヨーロッパ大陸へと渡り、あんなに短期間に広まっていくことはなかっただろう。

このバルナバとサウロのことを考える時、私達は自分がキリスト者になった時のことを思い返すことが出来ます。必ず、自分を聖書へと、教会へと導いた誰かがいたはず、もしくは、何かがあったはずです。

自分一人で聖書を手に取るところから、その自分を教会へと執り成し、そして時間をかけてイエス・キリストの名による洗礼へと導いた存在があったはずです。牧師だったかもしれない、キリスト者の友人だったかもしれない、家族だったかもしれない、何かの本を読んで、ということだったかもしれない・・・とにかく、教会と自分を結び付けてくれた、キリストと自分を結び付けてくれた仲介者がいたはずです。

それは決して偶然ではないのです。自分が教会へとキリストへと向かう道の上に、神が仲介者を、導き手を備えてくださっていたのです。 Continue reading

7月31日の説教要旨

使徒言行禄9:10~19

「『わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう』」(9:16)

ある人は、「キリスト者の使命は神がなさろうとすることをしっかりと見ることだ」と言っています。私達は自分の信仰生活を省みる時に、自分を見ようとします。「自分に何ができるか、どれだけのことができるか」ということを考えたりするのではないでしょうか。

しかし、使徒言行禄を通して示されているのは、「神が何をなさろうとしているのか」、ということです。そして私たちの信仰は、その神の御業をしっかりと見ようとすることなのだ、と言うのです。

使徒言行禄を読みながら、私たちは予想を裏切られる展開を見せられているのではないでしょうか。

キリストの使徒にとても相応しいとは思えない人たちに聖霊が注がれて教会が作られました。

一度はキリストを見捨てた人たちがエルサレム神殿に言って堂々とキリストを証ししたりするようになりました。

「イエスを十字架に上げろ」と叫んだ人たちが使徒たちの証しを聞いて、何千人も洗礼を受け、キリストの招きに応じました。

迫害を受けたキリスト者たちはエルサレムの外へと追い散らされ、そこで教会が終わるかと思うと、キリスト者たちは、それぞれが逃げていった場所で、キリストを証しして、福音はむしろ広まっていきました。

サマリアの人たちやエチオピア人の高官といった、ユダヤ人以外の人たちにもキリストの福音が告げられ、福音は広まっていきました。

聖書を見ると、信仰者たちは、いつも神の御業に驚いています。イエス・キリストは弟子達にこうおっしゃったことがある。

「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」

神は私たち信仰者が望むよりも前に、本当に必要なものをご存じです。そして私たちが求めるよりも先に、私たちの予想を超えた仕方で備えてくださっています。私たちは使徒言行禄を通してそのことを見せられる。

私たちも、このキリストの言葉が真理であることを、自分たちの信仰生活の中で何度も見せられます。私たちは祈りを通して、自分が欲しいものではなく、神が私に必要である、と思われたものをいただいているのです。

教会の迫害者、サウロの姿を見ましょう。サウロは、キリスト者をもっと迫害しようとしてダマスコへと向かっていました。その道の途中で復活のイエス・キリストに声を掛けられ、目を見えなくされてしまいます。目が見えなくなったサウロは人々に手を取ってもらい、ダマスコの家の中に入り、三日間食べも飲みもしませんでした。

サウロはこの後、キリストの使徒パウロとなり、アジアからヨーロッパへと渡りキリストを証しする旅を続けることになる。

サウロが使徒とされるために、三日間、目が見えなくされ、飲み食いすらできない時間が与えられました。このことには大きな意味があった。

復活の主は、すぐにでもサウロを使徒とすることが出来たはずです。しかし、キリストはサウロにこの三日間をお与えになりました。サウロにとってこの三日間というのは、何もできなかった、何も見えなかった「無駄な」「無意味な」三日間ではありませんでした。

サウロにとってこの三日間は闇の中で救いを待つ時間でした。目を見せなくされたことによって、神の言葉に聞くことを学ぶ時となったのです。サウロは、神を待つ時間を与えられました。

サウロは後に、伝道の同労者であったテモテへの手紙の中で、こう振り返っているます。

「私を強くしてくださった、私たちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、私を忠実な者とみなして務めにつかせてくださったからです。以前、私は神を冒涜する者、迫害する者、暴力をふるう者でした。しかし、信じていない時知らずに行ったことなので、憐みを受けました。」

サウロを通して、自分自身のことを振り返ると、私たちもそれぞれ、このような時間を過ごしたことがあるのではないでしょうか。自分が正しいと思っていた道がいきなり見えなくなり、どこからか救いがもたらされるのを待たなければならない中へと放り込まれる時です。前に進むことが出来なくて、ただ、神に答えを求め続けた時間、神を待つ時間を過ごしたことはないでしょうか。その時は「停滞」のように思えたかもしれません。しかしあとで振り返ると、それは神に聞くことを学ぶ時間であった、ということがわかるのです。

サウロにとってのこの三日間の意味、そしてなぜなぜ神がサウロをキリストの使徒としてお選びになったのか、サウロを迎えに行くアナニアに、神ご自身の言葉で語られています。

「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」

この時サウロ本人が聞いたら驚くような言葉です。「異邦人にイエス・キリストキリストの福音を伝えるために召された」、と言われています。この時、サウロはイエスをキリストであると信じるキリスト者たちを迫害していました。そして、サウロは自分がユダヤ人であることに誇りをもっていました。「自分は神を知らない異邦人とは違う」、という誇りを持っていました。

神はそのようなサウロを、「異邦人に」「イエスがキリストである」、と伝える使命へと召されたのだ。

そして、もう一つの理由が驚きです。

「私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」

神のため・キリストのために苦しむためにサウロは召されたのです。

この神の言葉は、私たちに、信仰者としての使命について新しい視点を示すのではないでしょうか。キリスト者の信仰生活は、「苦しみがなくなる生活」ではないのです。洗礼を受けてキリストを知った人は、何の苦しみもなくなる、ということではありません。生きていればしんどいこともあり、うれしいこともあり、山があり谷があります。それはキリスト者もキリスト者でない人も同じです。

それでは、キリスト者としての喜びとは、信仰の喜びとは何なのか、ということです。

神はサウロが、「私の名のためにどれだけ苦しまなければならないかを示す」とおっしゃいました。サウロが神・キリストのために苦しむ道を歩くことになる、とおっしゃるのです。

それでは、信仰をもつということは、ただ苦しい思いをする、損をすることだ、ということなのでしょうか。

サウロは、イエス・キリストを知って、後悔したでしょうか。そんなことはありません。サウロは後に、「キリストを伝えないことは私にとって不幸なのです」と言っています。サウロにとって、「キリストのために苦しむ」ということが「喜び」となったのです。

イエス・キリストは、人々におっしゃった。

「重荷を負うて苦労している者は私の元に来なさい。休ませてあげよう。」

キリストのもとに行けば重荷がなくなる、というのではありません。キリストが共に担ってくださる、ということです。

ここにキリスト者の喜びがあります。どんなにしんどいことがあっても、キリストが共に担ってくださっているということを知っている・・・それが信仰の喜びです。キリストが共に担ってくださっているのであれば、その重荷には意味があるのです。

サウロが後に使徒となって様々な迫害や苦難に会っても、なぜキリストを伝えるために歩きつづけたのでしょうか。キリストが自分と共に歩いてくださり、苦難を共にしてくださっていることを知っていたからでしょう。

私達の信仰生活も同じです。今、キリストが共に歩んでくださり、共に重荷を担ってくださっているからこそ、喜びがあるのです。 Continue reading

7月24日の説教要旨

使徒言行禄9:1~9

「サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った」(9:8)

教会の迫害者サウロは、イエス・キリストから声を掛けられ、キリストの使徒として召され、後にパウロと呼ばれるようになりました。もし、使徒パウロがいなかったら、今の教会の姿は随分違ったものになっていたのではないでしょうか。少なくとも、新約聖書の中身は全く違ったものになっていたでしょう。

サウロは、ステファノに石を投げて殺した民衆の中にいました。ステファノを殺害することを正しいことだと信じていたのです。サウロはキリスト者たちをもっと迫害しようと、ダマスコに向かう途中で復活のキリストから呼びかけられました。このことが、サウロのその後の人生を大きく変えることになりました。

迫害者サウロが使徒パウロとなり、ユダヤ人の地域を超えて異邦人へと福音を伝え、アジアからヨーロッパへとキリスト者の群れが広まっていくことになります。そのことを考えると、今日読んだサウロとキリストの出会いというのは、キリスト教会にとって、つまり私達一人一人にとって、大きな意味を持つ出来事だと言っていいでしょう。

神が誰か一人を召し出される、ということが時代を超えてどれだけ大きな意味を持っているのか、ということに、私達は思いをはせたいと思います。そして、私達が信仰者として誰かに出会う、ということ、また、私達の今の信仰生活が、実は次の時代にどれほど大きな意味を含んでいるのか、ということも考えたいと思います。

神が誰かを預言者・使徒へと召し出される時、その選びには不思議があります。聖書を読んで面白いのは、神に選ばれた人は皆、なぜ自分が選ばれたのか分かっていない、ということです。むしろ、選ばれた方の人間は神に向かって「いや、私ではないでしょう。私はあなたの働きにはふさわしくありません」と言うのです。しかし、神は「いや、あなただ。私は弱いままのあなたを求めている。私はあなたを通して働くのだ」とおっしゃって、召し出されます。

旧約聖書に預言者エレミヤという人が出てきます。エレミヤは若くして神から声を掛けられ、預言者として召されました。19か20歳ぐらいの時だったと言われています。エレミヤは、自分が神の言葉をイスラエルに伝える預言者として働くなど、自分には無理だ、と言いました。「自分は若者に過ぎない」、と。

しかし、神はおっしゃいます。「自分は若者に過ぎない、と言ってはならない・・・私はあなたが母の胎にいるときから選んでいた。」

パウロも手紙の中で、「自分は母の胎にいる時から選ばれていた」と、エレミヤと同じことを書いています。パウロも、エレミヤと同じように、なぜ自分が選ばれたのかはわかりませんでした。

「私は教会を迫害したのですから、使徒の中で最も値打ちのない者です」と書いている。確かにそうでしょう。神はなぜ教会を迫害していたサウロを使徒として選ばれたのでしょうか。神の選びの不思議は、本人たちにも、そして聖書を読む私達にも、隠されています。間違いなく言えるのは、「神にはご計画をもってその人をお選びになった」ということです。

今ここにいる私たちも「なぜ、自分が今ここにキリスト者として召されているのか」は、自分ではわかっていないでしょう。ただ神が私をご覧になり、選び分け、時を備えて、ご自分の元へと招いてくださり、私を通して・用いて何かを行おうとなさっている・・・それだけしか言えないのではないでしょうか。

教会の迫害者サウロが、どのように変えられていくのか、しっかりと見て行きたいと思います。サウロに起こったことが、私たちに起こったことでもあるからです。

キリストを知ることによって、パウロはどう変わったでしょうか。一言でいうと、パウロの中で誇るものが変わりました。キリストに出会うまで、パウロが誇りにしていたのは、「自分」でした。

パウロはいろんな手紙の中で、キリストに出会うまでの自分は、自分自身を誇っていた、とガラテヤの諸教会に書いています。

「先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年頃の多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」

聖書の教えを守るのに、同じ年頃の誰よりも徹底していた、と自負しているのだから、ものすごい自信です。

フィリピ教会にはこう書いています。

「私は・・・イスラエルの民に属し・・・ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした。」

自分こそイスラエルの中で最も聖書の教えを熱心に守っている者だったと言い切っています。実際、神の教えを守るために、キリスト者・教会を迫害するほどの熱心さをもっていました。彼は、自分ではそれが正しいことだと思っていたのです。

しかし、キリストに出会った後、パウロは変わった。

「しかし・・・私の主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています」

キリストに出会う前は自分自身を誇りにしていたことを、パウロは「肉の誇り」と表現しています。そして、キリストを知ってからは、律法の知識をたくさん持っていることや、自分が民族的に純粋なユダヤ人であるといった「肉の誇り」など、塵芥となった、と書いています。

パウロは、キリストを知ることによって、自分を誇る者からキリストを誇る者となりました。「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」

これは、キリストに出会った人が皆体験することではないでしょうか。誰もが、「強くなりたい」と思い、自分を誇れるようにもがき、他者と自分を比較して思いあがったり落ち込んだりします。しかしキリストとの出会いがそれを変えます。

実際パウロは、強い人でした。「私には聖書の知識がある。ヘブライ人の中のヘブライ人だ。誰にも負けない」と言えるほどの人でした。しかし、キリストを知ってからは、自分を誇る人から、「誇る者は主を誇れ」と言う人へと変わりました。イエス・キリストを知っている・イエス・キリストに知られている、ということが、信仰者の誇りとなるのです。

サウロは後に、パウロと呼ばれるようになります。サウロはヘブライ語の名前で、イスラエルの最初の王様となったサウルと同じ名前です。

しかし、サウロは、「パウロと」いうギリシャ語で小さき者という意味の名前で呼ばれるようになります。

王様のように自信に満ちていたサウロは、キリストに出会い、「いと小さき者・パウロ」と名乗るようになったのです。パウロはキリストに出会って、小さきものへと変えられました。

私たちもそうです。キリストを知る、ということは、神の前に自分がいかに小さいか、ということを知る、ということでしょう。自分を誇ることの愚かさを恥じ、キリストを誇る喜びを知る、ということです。

今まで自分が誇りとしていたこと、価値を見出していたことが突然塵芥になってしまうと、普通は、空しさを覚えます。「今までの自分は何だったのか」、と悩むでしょう。しかし、イエス・キリストとの出会いによるその変化は、新しい誇りを見出す、ということなのです。

サウロはキリストとの出会いを通して、何を見せられたのでしょうか。キリスト者たちを迫害しようとして意気込んでいたサウロに天から光が照らされました。パウロは天からの光に向かって「あなたはどなたですか」と聞きます。

「あなたが迫害しているイエスである」

サウロは自分が正しいことをしていると思っていました。キリスト者たちの道が間違っていて、自分の道が正しいと思っていました。教会を迫害すれば神は喜んでくださると思っていました。

しかし、キリストはそのサウロの道を絶たれました。それがサウロの召命でした。神から「あなたの道は違う。あなたに私の道を歩ませる」と方向を変えられたのです。それが神の召しです。

そしてこれが、キリストとの出会いの中で私達に起こることなのです。

道を変えられる、ということ。

サウロは目が見えなくされてしまいました。人々に手を引いてもらわなければならなくなりました。

「自分が民衆の信仰を正す・導くのだ」、という自負を持っていたサウロが、逆に、誰かに導いてもらわなければならなくなりました。あの、自分を完全無欠だと自信をもっていたサウロが、自分では何もできなくなってしまったのです。

サウロは、その無力さの中で神から教えられました。「結局自分を導くのは神である」「神に導いていただかなければ、自分は正しい道を歩くことが出来ない」、ということを。サウロは、自分の誇りを無にされ、その上で、自分が神から導きが与えられなければ何もできないものである、ということを無力さの中で学ばされました。 Continue reading

7月17日の説教要旨

使徒言行禄8:26~40

「主の天使はフィリポに、『ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け』と言った。そこは寂しい道である。」(8:26)

使徒言行禄は「旅の記録」と呼んでいいものでしょう。キリストの福音を携えたある人が、旅の途中で誰かに出会い、そこで福音を伝える、ということが連続して起こっています。

福音が誰かから誰かに手渡される時には、必ずそこには聖霊の働きがあります。一人の信仰者が生まれることは偶然に起こることではなく、私達の知恵や思いを超えた聖霊の働きがそこある、ということを聖書は私達に伝えているのです。私達自身、自分の信仰生活を振り返ると、単なる偶然に思える出会いも、実は聖霊による必然であった、と思わされることはいくつもあるのではないでしょうか。

私たちが今日読んだ場面も、聖霊の導きの不思議さに満ちています。ステファノの殉教をきっかけに、エルサレムで教会に対する迫害が起こり、キリスト者たちはエルサレムから追い散らされました。迫害から逃げた人たちは、逃げながらイエス・キリストの福音を伝えていった、と記されています。

キリストの使徒の一人、フィリポはサマリアに行き、そこでしるしを行い、言葉を語ってイエス・キリストを証しました。フィリポはサマリアでとても重要な働きをした、サマリア伝道の中心人物と言っていいでしょう。

しかしフィリポは、後から来たペトロとヨハネにサマリアでの宣教を任せ、次の宣教の場所へと向かいました。正確に言うと、「主の天使」によっ、新しい場所が示されたのでそこへと向かっていきました。

今日は、サマリアを離れたフィリポの姿を追っていきたいと思います。

主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ降る道に行け」と命じました。聖書には「そこは寂しい道である」と記されています。フィリポにとってそれは唐突で、不可解な導きだったでしょう。聖書を読んでいる我々にとっても、「なぜ、フィリポはそんなところに行かなければならないのだろう」と思わせられます。

フィリポはサマリアでたくさんの人たちをキリストの元へと導きました。サマリアの人たちはフィリポを慕い、キリストを証してくれる使徒として頼りにしていたでしょう。普通に考えると、フィリポはサマリアに留まり福音宣教の業を続けた方がいいのではないだろうか。新しい誰かがサマリアでの宣教活動に入っていくよりは、フィリポがそこに居た方が、効率がいいのではないか。

「どうして自分がそんな寂しい場所に行かなければならないのか。サマリアに、こんなにたくさんのキリストを求める人たちがいるのに」という思いは、フィリポの中にだってあったと思います。

フィリポ自身も、「そこに行け」、と言われただけで、そこで何が自分を待っているのかは知りませんでした。行って見なければ、わかりませんでした。しかし彼は聖霊に従いました。

主の天使は、フィリポを「寂しい」場所へと導きました。たくさん人たちがキリストの福音を待っている場所ではなく、誰もいない、寂しい場所へと導きました。我々人間には予想もしない導きです。

その従いの先で、フィリポは、神がこんな「寂しい場所」で、大切な出会いを用意されていた、ということを知りました。

彼は、主の天使の言葉を信頼し、サマリアを離れ、ガザに向かう寂しい道へと向かい、エルサレムからペリシテのガザへと続く寂しい道で、フィリポは、アフリカのエチオピアからの巡礼者と出会ったのです。

当時の地中海沿岸に住む人たちにとって、エチオピアは「世界の果て」と言っていいような国でした。エチオピアの女王の高官だったその巡礼者は、ユダヤ人が信じるイスラエルの神への信仰を持っていました。その人は、エチオピアからエルサレムまで巡礼し、聖書を読みながら車の中で自分の国へ帰っていたのです。

このエチオピア人との出会いは、フィリポにとっても驚きでした。こんな寂しい場所に、聖書の真理を求める人がやって来たのです。しかも、エルサレムから遠く離れた、アフリカのエチオピアの人で、聖書に証しされているイスラエルの神を求めている人に出会ったのです。

この人は、車の中で聖書を読んでいました。普通は、聖書の言葉を一人で読んだって、よくわからないでしょう。このエチオピア人にとっては外国の神であり、読んでいたイザヤ書は、何百年も昔の言葉です。しかし、それでも彼は聖書の真理を求めていました。

フィリポは、エチオピアの宦官がヘブライ語でイザヤ書を読んでいるのを見て驚き、「読んでいることがお分かりになりますか」と言いました。この人は宦官として女王に仕える人だったので、当然博識な人でした。エチオピア人でありながら、ヘブライ語で書かれた聖書のイザヤ書を読んでいたのです。

当時のユダヤ人は、アラム語を話していました。ユダヤ人でさえ、ヘブライ語をアラム語に直さなければ読めなかったのに、その人はヘブライ語で聖書を読んでいたのです。ものすごい知識人です。

フィリポは、「ここで、読んでいることがお分かりになりますか」と言ったのは、「ヘブライ語がわかりますか」、と言うことではありません。聖書に記されているその預言が、一体何のことを言っているのか、誰のことを預言しているのかわかりますか、と尋ねたのです。。

エチオピア人の宦官は、イザヤ書に書いていることは読めました。ヘブライ語で書かれていても、それを文字としては読むことが出来ました。しかしそれは「ただ、読める」、というだけのことでした。

書かれているイザヤ書の言葉の内容が一体何を指しているのか、誰のことを預言しているのかは、どれだけ読んでも理解できませんでした。

イザヤ書53章は謎に満ちています。そこには、「神の苦難の僕」と呼ばれる人の受難が預言されています。「神はこの僕に全ての罪を背負わせられる」、ということが言われているのです。

誰かが子羊のように殺されてしまう、ということが言われていますが、子羊のように殺されるその人が、一体誰なのか、全く解説されていません。このイザヤの預言の言葉に隠された意味を知りたい、神のご計画を知りたい、と思っているところにフィリポという人が突然現れたのです。

フィリポは、ナザレのイエスという方の十字架と復活をこのエチオピアの宦官に語って聞かせました。何百年も前に語られたイザヤの預言は、自ら苦しみを背負い、自分の命を捨てて人々を罪から救う、受難のメシア、イエス・キリストのことであることを伝えました。宦官はそれを聞いて、イザヤ書の預言を理解しました。

フィリポとエチオピア人の出会いは、エチオピア人がイザヤ書の預言を理解した、というだけでは終わりませんでした。聖霊によって二人が出会わされ、それによって、受洗者が生まれたのです。

このエチオピア人は、イザヤ預言を理解し、信じ、フィリポに言った。

「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」

そして彼はフィリポから洗礼を受けます。

聖書の言葉を読んで、「これは自分に起こったことなのだ」と悟った時、人は洗礼へと導かれます。そして、新しい自分として生きることになるのです。

聖書の言葉、聖書の預言は、理解して終わり、ではありません。人は聖書の言葉が真実である、ということを知った時、「これは自分に起こったことなのだ」と知ります。「イエス・キリストが自分のために死んでくださったのだ」ということを知ることであり、「キリストは復活されて今自分を求めてくださっている」ということを知ることです。

そして、人は洗礼へと導かれるのです。キリストを知らなかった自分に別れを告げ、キリストと共に生きる新しい自分へと生まれ変わります。

使徒パウロは、ローマの信徒たちに、洗礼についてこう書いている。

「我々は洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。・・・私たちも新しい命に生きるためなのです」

さて、その後、フィリポとエチオピアの高官はどうなったでしょうか。二人は一緒にエチオピアに行ったのか、というそうではありません。またフィリポは別の場所へと連れ去られました。

そして一人残された宦官は、「喜びにあふれて旅を続けた」とあります。彼には、フィリピとの別れがあった。しかし、それでも、この宦官にとって、エチオピアへと帰っていく旅は、新しい「喜びに満ちた旅」となりました。それは故郷へと戻る旅だったが、同時に、キリスト者として踏み出す新しい出発の旅でもありました。この人にとって人生という旅が全く新しい喜びに満ちたものとなったのです。

キリストを信じて生きることは、私達を日々新しくします。

パウロは手紙の中でこう書いている。 Continue reading

7月10日の説教要旨

使徒言行禄8:1~25

「散っていった人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」(8:4)

ステファノの殉教をきっかけに、エルサレムのキリスト者たちに対して大迫害が起りました。エルサレムで大きく成長したキリスト教会でしたが、一日でバラバラにされてしまいました。そして迫害を受けたキリスト者たちはエルサレムの外へと追い散らされてしまったのです。

しかし、教会はここから不思議な成長を遂げていくことになります。エルサレムから逃げ去ったキリスト者たちは、ただ逃げたのではありませんでした。逃げながら、その先々でイエス・キリストの福音を告げ知らせ、そのことによってエルサレムの外へと福音が広まっていったのです。

私達は、今日読んだところで、ユダヤ人とは交流がなかったサマリア人たちへとキリストの福音が伝えられていった、ということをみました。教会への迫害を通して、福音はエルサレムの外へと、全世界へと広まっていったのです。人間の知恵や力を超えた神の摂理をここに見ることが出来ます。

エルサレムから追い散らされた人たちは、サマリアへと逃げました。エルサレムから逃げて来たユダヤ人たちによって、サマリア人に福音が語られ、多くの人がそれを受け入れ、洗礼を受けることになりました。

キリストの福音がユダヤからサマリアへともたらされた、ということ、そしてサマリアの人たちがユダヤ人たちがもたらした福音を受け入れた、ということ・・・そこにはとても大きな意味があります。

ユダヤとサマリアは、もともとは一つのイスラエルでした。それが、ソロモン王が死んだ後、北と南に分裂してしまいます。そしてBC722年に首都サマリアがアッシリア帝国によって滅ぼされ、北王国は滅亡しました。その後は南のユダ王国だけが細々と生き残って来ました。

昔は一つだったイスラエルだったが、歴史の歩みの中で、北と南に別れ、民族的に、信仰的に別々の歩みをするようになっていきました。教会が生まれた時代紀元1世紀には、サマリアとエルサレム、サマリア人とユダヤ人の間には大きな断絶があったのです。

それが今、イエス・キリストの十字架と復活を通して、ユダヤの人とサマリアの人がキリストへの信仰の中で一つになっていった、というのです。それは、二つに引き裂かれたイスラエルが、もう一度神の元に一つとされたという、神の平和を象徴するような出来事でした。

私たちはここに、福音が持つ力を見ます。人間の努力だけでは壊すことが出来ない壁・埋めることが出来ない溝を超えさせる福音の力です。仲間同士、似た者同士、内輪だけでまとまって強くなっていくようなものではありません。

イエス・キリストの福音は敵対する者同士を一つにします。神の元に全ての人を一つにしていく平和の力です。

エフェソの信徒への手紙の中で、パウロはこう書いています。

「実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊します」

これが、聖書が伝えている「神の救い」です。救いとは、「和解」のことです。壊れていた関係が、イエス・キリストへの信仰によって回復させられることです。

神との関係が壊れていた罪びとは、キリストの許しを知り、悔い改めることで神の元へと立ち返ることが出来ました。そして今、壊れていたユダヤ人とサマリア人の関係も、キリストの福音によって回復しています。

神との関係が、隣人との関係が、イエス・キリストを信じることによって回復されていきます。全ての人が神の元に集められ一つになる「救いの完成・和解の完成」に向けて、聖霊は今も教会に注がれ、私たちを通して働いています。

さて、サマリアでの様子を見ていきたいとおもいます。ここで大きな働きをしたのが、フィリポという使徒でした。「フィリポ」というのは、ギリシャ語の名前なので、教会の中でもギリシャ語を話すユダヤ人の一人でした。つまり、ステファノと一緒に、選ばれた7人の使徒の内の一人でした。

サマリアの人たちはエルサレムから逃げて来たフィリポが語るイエス・キリストの出来事を知りました。そしてフィリポの行う奇跡の業を見て、驚き、イエス・キリストを信じ、神の国の福音を信じ、洗礼を受けました。

その中にシモンという魔術を行う人もいました。このシモンという人は「魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた」とあります。

シモンとフィリポを比べてみると、面白いと思います。シモンもフィリポも、二人とも、「人々を驚かせた」、という点では同じでした。しかし、人々は魔術師シモンではなく使徒フィリポの業と言葉を求めました。そして魔術師シモン自身も、「信じて洗礼を受け、フィリポに付き従い、素晴らしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた」とあります。

この二人の違いは何だったのでしょうか。

魔術師シモンは自分のために力を使っていました。そして「自分が偉大である」、ということを自分で言っていました。彼は、自分が偉大な人物であることを示すために魔術を行い、人々を自分へと引き付けようとしていたのです。

フィリポは違っていました。全てがその反対でした。フィリポはイエス・キリストのために力を使い、言葉を語ったのです。自分ではなく、自分に言葉と力を与えてくださったイエス・キリストが偉大であるということを伝えるためです。フィリポが使う力、語る言葉は全て人々をキリストへと導くためでした。

もし、フィリポが自分の名声を高めるために語り、働いていたのであれば、人々はシモンとフィリポを同じように見たでしょう。ただ、驚いて見るだけで終わったでしょう。

しかし、サマリアの人々は、フィリポの業と言葉を求めました。人々は、フィリポが自分の名声のためではなく、自分たちサマリア人をキリストへと導くために誠心誠意キリストの福音を伝えている、ということを感じたのでしょう。フィリポが伝える福音を聞き、フィリポが行う奇跡を見て、サマリアの人たちは「喜んだ」とあります。

魔術師シモンと、フィリポの違いはここにあります。シモンの働きは自分への注目を集めるためのものでした。そこに人々の喜びはありません。あるのは、シモンの喜びだけです。

フィリポが伝える福音は、サマリアの人たちに喜びをもたらしました。そもそも「福音」というのは「喜びの知らせ」という意味の言葉です。サマリアの人たちは、フィリポの癒しや悪霊払いの業を通して、神の恵みの支配が自分たちのところにも及んだことを知って喜んだのです。

「ここに神の国がある。ここにまで神の恵みの支配が、神の招きが及んだ」と。

魔術師シモン自身も、フィリポを通してイエス・キリストの福音を知り、洗礼を受けました。しかし、シモンはこの後、過ちを犯します。彼は、フィリポの後からサマリアにやって来たペトロとヨハネが人々に手を置くと聖霊が降るのを見ました。そして「自分にもあの力が欲しい」、と思い、お金を差し出して、「私にも力を授けてください」と申し出ました。うらやましかったのでしょう。

ペトロはシモンにこう言いました。

「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を、金で手に入れられると思っているからだ」

シモンは恐れて、「おっしゃったことが何一つ私の身に起こらないように、主に祈ってください」と言いました。

このシモンの姿は滑稽で、何となく憎めません。とても人間臭いと思います。シモンはたくさん金を持っていたようです。お金には価値があり、お金で神の賜物も買うことが出来る、と当然のように思っていたようです。

人がやっていることをうらやましく思い、お金を出して欲しがる浅ましいシモンでした。しかし、当たり前のことですが、この世にはお金をいくら積んでも買えないものがあります。そしてお金・この世の財産が、福音が持つ価値を見る目を曇らせることがあります。

私たちは、一人の若者を思い出すことが出来ると思います。子供のころから律法を正しく守って来た若者が、「完全になるにはどうすればいいですか」とキリストに尋ねてきたことがあります。

キリストは「完全になりたいのであれば、財産を貧しい人たちに与え、それから私に従いなさい」とおっしゃいました。しかし、その若者はそれを聞いて悲しみながら去って行きました。その若者は「金持ちだったからである」と聖書には記されています。若者は、財産を手放すことが出来なかったのだ。自分が持っている財産以上に、イエス・キリストに価値を見出すことができなかったのです。

天に富を積もうとする私たちの目を、地上の富がどれほど曇らせるのかということを教えてくれる出来事だと思います。

魔術師シモンの姿を通して、私達は、福音が持っている価値の質について、考えさせられます。それは、地上の富で買うことのできない、天の宝でした。シモンは、自分が受けた洗礼は、地上の財産に勝る価値があることを思い知らされました。私達も、このシモンの姿を通して、自分が信じる福音・自分が受けた洗礼の価値を改めて捉え直すべきでしょう。

フィリポが語るイエス・キリストの福音を聞いた、サマリアの人たちは洗礼を受けました。フィリポの業と言葉に感動して賞賛した、感謝した、ということで終わったのではないのです。洗礼を受けたのです。 Continue reading

7月3日の礼拝説教

使徒言行禄7:54~8:3

「『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ」ステファノはこう言って、眠りについた。(7:54)

何千人もの規模になった教会は、12人の使徒たちだけでは秩序を保つことができなくなりました。そこで教会は新しく7人の世話係を選び出し、12人の使徒たちがみ言葉の奉仕に専念できるようにしました。

選ばれた7人は、ただの世話係ではなく、キリストの復活を伝える使徒としての働きも担いました。7人の内の一人、ステファノもまた、民衆の間でイエス・キリストの証言を続けていました。

民衆の一部の人たちは、ナザレのイエスという人が復活したということを疑い、死者の復活を聞くことを快く思わず、ステファノに議論を仕掛けてきました。しかし、ステファノが「知恵と霊とによって語るので、歯が立たなかった」と記されています。

そこでステファノに言い負かされた人たちは、民衆をそそのかして「私たちは、ステファノがモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせたのです。もちろん嘘の情報です。このことで、ステファノは逮捕され、最高法院へと連行されてしまいます。

ステファノは、大祭司から「訴えの通りか」と尋ねられました。彼は神がどのようにモーセを導かれたのか、そして、どの時代のイスラエルの指導者も、モーセのように神がお選びになった預言者たちの言葉を受け入れなかったことを語ります。そして、最後に、イエス・キリストの復活を受け入れない最高法院の人たちに向かって厳しくこう言いました。

「あなたがたはいつも聖霊に逆らっています」

「預言者を迫害した先祖と同じように、今や、あなたがたは律法に背く者となっています」

イエス・キリストの復活を信じようとしない最高法院の人たち・イスラエルの指導者たちは「預言者を迫害して来た先祖と同じだ」と言い切ったのです。

ステファノは人々の怒りを買い、石を投げられ、殺されてしまいます。ステファノの処刑をきっかけに、この日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、キリスト者たちは皆エルサレムの町からユダヤとサマリアの地方へと追い散らされてしまいました。ここまで成長を遂げてきたキリスト教会は、ついにここにきて、大迫害を受け、解体されてしまったのです。

教会はもうここで終わりなのでしょうか。

そうではありませんでした。

ステファノの殉教は、不思議な仕方で聖霊に用いられていくことになります。私たちは、不思議な福音の広がり、不思議な教会の成長を、この使徒言行禄の中に見ていくことになります。

ヨハネ福音書に、こういうキリストの言葉があります。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」

キリストを信じ、教会のために働いた結果、ステファノがこのような悲劇的な殺され方をした、ということは私たちに様々なことを考えさせるでしょう。信仰者が、その信仰ゆえに殺されてしまうとは、なんと報われないことか、と思います。

しかし、ステファノの殉教は、何かを新しく生み出しています。ステファノの死を通して、新しいキリストの証人が生みだされていきました。そしてこの日を境に、福音がエルサレムから外へと、世界へと広まっていったのです。

ステファノが殺されるのを、一人の若者が見ていました。サウロという人です。彼はステファノに石を投げる人たちの上着の番をしていました。サウロは、ステファノを殺すことに賛成していたのです。

この人は後にキリストに召され、キリストの使徒となって働き、殉教するその日まで、教会のために生涯をささげることになります。後のパウロです。ステファノという一人の殉教者が、パウロという新しい一人の殉教者を生みだすことになったのです。

神は、サウロを召される際、こうおっしゃいました。

「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」

教会を迫害したサウロは、「キリストのために苦しむため」に召し出されることになる。サウロは、やがてパウロと呼ばれるようになり、その言葉通り、キリストのために苦しみながら身を捧げました。鞭で打たれたり、石を投げられたり、船で難破したり、盗まれたり、ということが数えきれないほどあったことを、自分の手紙の中で書いています。

しかし、パウロは後に、手紙の中でこうも書いています。「キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」

パウロは教会を迫害する者から、教会のために苦しむ者へと変えられました。それを彼は「神に召された恵み」であると言います。そして「福音を告げ知らせないなら、私は不幸なのです」とも言っています。

「私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのないものです。神の恵みによって今日の私があるのです」

ステファノは一粒の種となり、地に落ち、一人の使徒を実らせました。ステファノの死は、パウロという新しい使徒を生みだしたのです。教会を迫害していた人を、教会のために働き苦しむことを喜ぶキリストの使徒へと変えていきました。

それだけではありません。ステファノを殺した人たちは、キリスト者たちをエルサレムから追い散らしました。しかし散らされたキリスト者たちは、迫害から逃れた先で、キリストの十字架と復活を伝えていったのです。その福音は、サマリア地方にまで伝えられました。

当時、ユダヤとサマリアの人たちは、お互いに交流がありませんでした。しかし、サマリアの人たちは、ユダヤから来たキリスト者たちが行う業を見、キリスト者たちの証を聞いて、喜んで福音を受け入れたのです。

教会に対して迫害が起こり、キリストの使徒が殺され、せっかく何千人にまで大きくなった群れが散り散りにされてしまったのを見ると、大きな損失のように見えます。しかし、それで終わりではありませんでした。聖霊の働きは、そこから、新しい芽吹きを生み出していったのです。

さて、私たちは、今日読んだステファノの姿を通して、信仰を抱いてこの地上の命を終える「殉教」ということについて考えたいと思います。ステファノは、キリスト教会で最初の殉教者でした。

殉教というのは、信仰のために命を落とすことです。今の世界では、狂信的な思想に囚われて、他の人たちを巻き添えにして自分が死ぬことまでが殉教と考えられがちですが、それは聖書が記している殉教の姿ではありません。

そもそも、聖書で言われている「殉教者」という言葉は、「目撃者」という意味を持っています。自分自身を超えた真理を目撃した人、キリストを見た人、神を見た人、という意味が含まれているのです。神から見せられた真理に自分の命・生涯をかけた人、という意味で、ステファノは、「殉教者」でした。

ステファノは何を目撃したのでしょうか。人々から石を投げられる際、ステファノは天上のイエス・キリストを見ました。最高法院の中でイエス・キリストを証したステファノの顔は、「天使のようだった」、と記されています。そして最高法院の人たちに言葉を語り終えると、「聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見た」と記されています。

ステファノは確かに殉教者でした。しかしそれは単に、「信仰のために殺された人」、ということではなく、「自分の命に勝る永遠の命を目撃した人」という意味で殉教者だったのだ。

私たちは信仰を通してしか見えない何かがあります。キリストを信じた先でしか見えてこない世界があります。

ヘブ11:1「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」「(信仰者たちは)自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです・・・すなわち天の故郷を熱望していたのです」

信仰者たち・殉教者たちは、天の故郷を見ていた人たちでした。私達にも、キリストを信じなければ、決して歩むことがなかった道・選択することがなかった決断があったでしょう。そのように、キリストを信じなければ、見えてこない天の故郷があるのです。

聖霊は、私たちをキリストへと導き、そして私たちがやがて帰る天の故郷へと導きます。聖霊は、私たちを目撃者としてくださいます。私たちの信仰の目を通して見せてくださるのです。信仰を通してしか見えない、天上へと続く道を見せてくださいます。

聖霊を通して天の故郷を見た人は、その生涯を通じて神に用いられます。その命が尽きたとしても、私たちの信仰の足跡は、後に続く人たちのために道しるべとなります。イエス・キリストがそうだったように、ステファノがそうだったように。 Continue reading

6月26日の説教要旨

使徒言行禄6:1~7

「私たちは、祈りとみ言葉の奉仕に専念することにします」(6:4)

キリストの使徒たちは、「ナザレのイエスのことを話してはいけない」と言ってくる最高法院の権力に屈しませんでした。イエス・キリストの十字架と復活を人々に伝え続けます。キリストの使徒たちの証を聞いたたくさんの人は洗礼を受け、教会に入って来ました。

2:47を見ると、「主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされた」とあります。その他にも、「その日に三千人ほどが仲間に加わった」とか、「男の数が五千人ほどになった」などと記されています。

教会は120人が祈るところに聖霊が注がれるところから始まりました。それが、短期間のうちに何千人もの信仰者の群れとなったのです。

エルサレム周辺だけでなく、ローマ帝国全域のユダヤ人が、ナザレのイエスの十字架と復活を聖書の預言の実現として信じるようになり、何千人もの人たちが使徒たちのところに来て、自分たちの財産を神への捧げものとして持ってくるようになりました。

このように見て行くと、教会の成長の勢いはものすごいものだったことがわかります。

しかし、教会にとって人が集まって大きな群れになる・豊かな財産を持つ、ということは、手放しで喜べることではありませんでした。

教会が大きくなるにつれ、当然様々な問題が起きてきます。人の数が増えれば増えるほど、今までなかった問題が生じてくるようになります。

今日読んだところを見ると、分配のことで問題が起きた、ということが書かれています。

教会の中には、ヘブライ語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人がいました。

「ヘブライ語を話すユダヤ人」は、エルサレムを中心とした、ユダヤ地方に住んでいたユダヤ人たちのことです。

「ギリシャ語を話すユダヤ人」というのは、地中海全域に離散して住んでいて、当時のローマ帝国で使われていたギリシャ語を話していたユダヤ人、ということです。

エルサレムに形成されたキリスト教会には、今や、ローマ帝国全域・地中海全域に散らばって住むギリシャ語をユダヤ人たちも含む大きな信仰共同体となっていたのです。

ヘブライ語を話すユダヤ人に対して、ギリシャ語を話すユダヤ人たちから分配のことで苦情が出ました。ギリシャ語を話すユダヤ人たちのやもめたちが軽んじられ、その女性たちが受け取る分配が少なくされていた、というのです。

このように、教会の人数が増えると、当然、12人の使徒たちだけでは全体をまとめきれなくなってきます。一人一人に目が届かなくなってきました。そこで教会は新しく7人を選び出し、その人たちが教会の食事の世話などが任されることになりました。

私たちが今日読んだのは、教会の中で新しく世話係が選び出された、というところだ。読んでみると、小さな出来事のように思えます。

しかし、これは、教会が、一つの組織として形を整え始めるきっかけとなった、とても重要な出来事です。教会の成長は新しい段階を迎えたのです。

私たちは、今日読んだ出来事を通して、「教会が成長する」とはどういうことか、様々なことを考えていくことが出来ると思います。そもそも「教会の成長とは何か」、そして「教会を成長させるものは何か」、このことを改めて考えていきましょう。

ペンテコステの後、教会には多くの人がキリストへの信仰を告白し、洗礼を受け、キリストへの捧げものをもって入って来ました。短期間で教会は人数が増え、財産も増えました。

しかし、改めて「人数と財産が増える」、ということだけが教会の成長なのか、ということが問われるのではないでしょうか。確かに、洗礼者が多くいることはキリスト者としてうれしいことですし、教会の財産が潤沢にあれば、安定した運営ができます。

しかし、「教会の成長」というのは、それだけのことではないでしょう。今日の場面で私たちが見たように、人が増え、財産が増えることによる問題が出てくるのです。

「教会の成長の本質とは何か」、「信仰共同体としての成長の本質とは何か」、考えなければなりません。

教会の人数の多さや少なさ、また、教会がもつ財産の大きさや小ささ以上に、神の御心を本当に行えているかどうか、そのことの方が、私たちにとっては大切なことなのです。

イエス・キリストを信じる人たちがその教会の群の中で、正しく神を愛し、正しく隣人を愛することが出来ているかどうか、ということが何より大切なことになってきます。

ギリシャ語を話すユダヤ人のやもめたちにとって、「自分たちに正しく食べ物が分配されなかった」は問題でした。それは、彼女たちだけの問題ではありませんでした。それは、教会全体の問題だった。キリスト教会の中で重んじられる人たちと軽んじられる人たちの線引きができてしまっていた、ということです。

どんなに教会が豊かで、人数が多くても、立場の弱い人が軽んじられている、というのであれば、その教会は成熟していません。「未熟」なのです。そのような教会をご覧になってもキリストはお喜びになりません。

エルサレムの人が、エルサレム以外の人たちを、社会的に弱い人たちを軽んじる、ということが教会の中で起こりました。キリスト教会の中で、神を愛し、隣人を愛する、ということが実践できていないのであれば、教会にどれだけ人が集まり、財産を積み上げても、意味はないのだ。

イエス・キリスト以は前おっしゃいました。最も大切な律法は、「心を尽くして神を愛すること、そしてもう一つは隣人を自分のように愛することである」。全ての律法の掟は、この二つの言葉に集約される、とおっしゃいました。

旧約聖書の律法を見ると、神は「やもめ、寄留者、みなしごを守れ」、と最初に言われています。

聖霊を注がれて出来た教会なのに、早くも神の掟、律法が壊れ始めていました。先に教会の一員となっていた人たちが、後から来た人たちを軽んじる、ということが起こっていたのです。

キリストの使徒たちは、驚いたのではないでしょうか。イエス・キリストの福音を語り、それを聞いて洗礼を受けた人たちの間で、早くもそんな俗っぽい問題が起こったのです。

私たちも、ここを読んで、「キリストの十字架の救いを知った人たちの間で、どうしてこんなことが起こるのか」と不思議に思うのではないでしょうか。

しかし、これが人間なのです。この事件を通して私たちは、自分たちの教会のことを振り返る必要があるでしょう。

旧約聖書を通してイスラエルを見ても、新約聖書を通して教会を見ても、その信仰共同体の中に起こるのは全て、とても人間的で、俗っぽい問題でした。派閥争いや、嫉みあいとか、不平等といったことです。

出エジプトの際、荒れ野の旅の中、モーセだけが神と話をすることを妬んだ人たちがいました。しかも、それはモーセの兄弟たちでした。イスラエルの指導者・預言者・祭司でありながら、兄弟同士で妬みあっていたのです。

パウロの手紙を見ても、パウロの使徒としての権威を妬む人たちが教会の中にいたことがわかります。

教会の人数が増えると、「私たち」と「あの人たち」という風に、小さなきっかけで派閥が生まれ始めます。コリント教会がそうでした。同じ教会の中で、「私はペトロにつく」「私はパウロにつく」などという争いが起こっていたのです。パウロは、「イエス・キリストはいくつにも分かれてしまったのですか」と厳しく戒めています。

私たちは聖書を通して、信仰共同体の中に、どれだけ簡単に人間の思いが入り込んでくるかを見ることが出来ます。信仰共同体は本当にささいなことで、単なる人間の集まりに堕落してしまう危険性をはらんでいるのです。

さて、ここで大切なのは、キリストの使徒たちがどのようにこの問題に取り組み、乗り越えたのか、ということです。 Continue reading