MIYAKEJIMA CHURCH

6月18日の礼拝説教

使徒言行禄21:27~40

「『この男は、民と律法とこの場所を無視することを、いたるところで誰にでも教えている。』」(21:28)

神殿に参拝したパウロがユダヤ人たちから誤解されて、神殿から追い出されてしまった、という場面です。パウロは、神殿から締め出されただけでなく、ローマ兵たちによって鎖で縛られてしまいました。

三回目の福音宣教を終えたパウロはエルサレムへと戻って来ました。エルサレムに戻る途中、いろんな人たちから「エルサレムに行かないでほしい」と言われてきました。パウロがエルサレムで「異邦人の手に引き渡される」ということが聖霊によって示されていたのです。

パウロ自身、自分の行く手に待ち受けている苦難について聖霊から告げられていました。エルサレムで「投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」とエフェソ教会の長老たちに言っています。

それでもパウロは、「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことが出来さえすれば、この命すら決して惜しいと思いません。」「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、私は覚悟しているのです」と、自分を引き留めようと他のキリスト者たちに、自分の決意を告げてエルサレムにやって来たのです。

エルサレムに来たパウロは、エルサレム教会に自分の宣教旅行の様子を報告しました。教会の指導者ヤコブも、長老たちも、神がパウロを通してご自分の御業を進めていかれたことを知り、喜びました。同時に、ユダヤ人たちがパウロにもっている誤解を恐れました。「パウロは異邦人の間にいるユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな、慣習に従うな』と言ってモーセから離れるように教えている」という誤解があったのです。

パウロは、割礼という目に見える形でなく、イエス・キリストへの信仰にこそ救いの本質がある、と説いてきました。それがいつの間にか、「パウロは神の律法を捨てるようにユダヤ人たちに教えている」、と誤解されるようになっていたのです。

五旬祭・ペンテコステの祭りの間、パウロは静かに神殿に参拝していました。自分が他のユダヤ人たちと同じように神の神殿を大切に思っている、神の律法を守っているということを示すためです。

祭りが終わろうとしていた時、その誤解によって神殿にいたユダヤ人たちがパウロに対して怒り、騒ぎになりました。その騒ぎの中で、ローマ兵に鎖で縛られてしまうことになったのです。

エルサレムでこうなることを知っていたパウロですが、どんなことを考えながらこの受難に向かって歩みを進めて来たのでしょうか。当然、投獄や苦難に対しての恐れを持っていたでしょう。

しかし同時に、喜びも持っていたでしょう。それは、イエス・キリストの苦しみに倣う、という喜びでした。

イエス・キリストも、エルサレムで御自分待ち受けている十字架という苦難を弟子達に予告なさいました。「人の子はかならず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」

それを聞いた弟子達は驚きました。皆、主イエスが栄光の座に向かって進んでいらっしゃる、と思っていたからです。やがて栄光の座につかれるメシア、主イエスは、自分にも特別な地位を与えてくださるだろう、という期待をもってからこそ従っていたのです。それなのに、主イエスは「私は殺されることになっている」などと突然おっしゃったのです。

ペトロは、主イエスの脇に呼んでいさめました。

「そんなことがあってはなりません。とんでもないことです」

しかし主イエスはペトロを叱って言われました。「サタン、引き下がれ、あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」

そして弟子達全員におっしゃいました。

「私の後に従いたいものは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」

自分の十字架を背負ってイエス・キリストに従う・・・これがキリストに従おうとする人の信仰の姿勢だというのです。何かいいものをもらえる、何か利益をいただける、という思いでキリストに従うのでは、信仰者は失望することになるでしょう。

パウロは、ペトロをはじめとして、キリストの12弟子達からこの言葉を聞いていたことでしょう。パウロは、神の救いの御業のために十字架へと歩んで行かれたキリストの歩みに倣っています。人間のことではなく神のことを思い、自分の十字架を背負ってキリストに従うために、聖霊の導きに身を委ね、わかっていながら投獄と苦難へと進んでいったのです。

さて、パウロはなぜ神殿から追い出されてしまったのでしょうか。ユダヤ人たちは何に突然起こり始めたのでしょうか。

パウロが神殿にいた時、アジア州からやって来たユダヤ人たちもいました。ペンテコステの祭りのために巡礼に来ていた人たちでしょう。彼らは、パウロが以前、エルサレムでトロフィモというエフェソ出身のギリシア人と一緒にいるのを見たことがありました。今、神殿にパウロがいるのを見て、「トロフィモも一緒にいるのだろう」、と思い込んだのです。

エルサレム神殿は、区分があって、異邦人が入れるのはここまで、という線引きがありました。アジア州から来たユダヤ人たちは、パウロがそれを無視して異邦人であるトロフィモを禁止されているところまで連れ込み神殿を汚した、と勝手に思い込んで怒り始めたのです。

彼らは叫びました。「この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところで誰にでも教えている。その上、ギリシア人を境内に連れ込んで、この聖なる場所を汚してしまった」

この言葉は真実ではない。パウロは律法や神殿をないがしろにしたこともないし、本当に異邦人を神殿の境内に連れ込んでもいません。

しかし、誰もそれを確かめようとしませんでした。すぐに騒ぎとなり、パウロは神殿の境内から引きずり出され、門の外に締め出されてしまいました。その騒ぎに気付いたローマ兵がやってきて、パウロを鎖で縛り捕えてしまったのです。ローマの軍隊は、ユダヤの祭りの期間、民族的な思いが高まってローマへの暴動が起きないように、神殿の近くに砦を造り、見張りの場を設けていました。

ローマ兵によって一応は暴徒化したユダヤ人たちから助け出された形になったパウロですが、そこで解放されたわけではありませんでした。パウロは暴動の首謀者だと勘違いされたのです。

ローマの兵営に連れて行かれそうになった時、パウロがギリシャ語で「一言お話ししてもよろしいでしょうか」と千人隊長に言うと、千人隊長は驚きました。

「ギリシア語が話せるのか。それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか」

ローマ兵たちはパウロのことを、最近反乱を起こしたエジプト人と思い込んで勘違いしていて逮捕したようです。

こうして見ると、パウロはいろんな誤解を受けていた、ということがわかります。ユダヤ人たちからは神殿・律法の冒涜者として見られました。ローマ兵たちからはローマ帝国への反乱の首謀者として見られました。どれも誤解です。パウロは全く吟味されることなくユダヤ人たちから非難され、ローマ兵に逮捕されてしまいました。

理不尽な話です。このようなキリストの使徒たちの姿を見ると、「本当に、この中に聖霊の導き・働きはあるのだろうか」と私達は思ってしまうのではないでしょうか。聖霊の守りがないから、パウロにこのような苦難が襲い掛かっているのではないか。

そうではありません。むしろ、聖霊はキリスト者の痛み・苦しみを通して神の御業を現わしていくのです。神はいつでも、信仰者と痛みを共にして人々を招かれるのです。

旧約時代の預言者たちがそうでした。彼らの姿を見れば、パウロは旧約の預言者たちと同じ道をたどっているがわかります。同胞から誤解され、話も聞いてもらえないのです。神の言葉を預かって忠実に預言しているのに、神を信じる人たちから「神がそんなことおっしゃるはずがない」と否定されてしまうのです。

BC8Cに活動した預言者アモスは、神殿で告げた。

「イスラエルはかならず捕らえられてその土地から連れ去られる」

BC7~6Cに活動した預言者エレミヤは、エルサレム神殿の門に立って、神殿の門に入って行くイスラエルの人たちに語るよう神から言われた。 Continue reading

6月11日の礼拝説教

使徒言行禄21:17~26

「この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。いったいどうしたよいでしょうか」

三度目の福音宣教の旅から戻って来たパウロはエルサレム教会に行き、そこで自分がこれまで行ってきた宣教の様子を報告しました。パウロには、その必要があったのです。「自分の宣教が、自分の思いでしたことではなく、聖霊に導かれた神の御業であった」、ということをきちんと伝えなければなりませんでした。

パウロは、どこかの教会から正式に派遣された使徒ではありませんでした。はじめはアンティオキア教会から派遣されましたが、二度目の宣教旅行に向かう際、一緒に宣教の旅に出ようとしたバルナバと決別することになり、それ以来、自分一人の裁量で宣教に従事することになりました。いわば、パウロは「フリーランスの使徒」でした。

そのため、パウロはエルサレム教会の人たちに、好き勝手に活動したのではないことに加えて、自分を通して聖霊が働き、神の御業が行われていったということを報告する必要があったのです。

パウロの三度目の宣教旅行の様子を聞いたエルサレム教会の指導者ヤコブ、長老たちは皆神を讃美しました。あらためて、パウロが神に召され神の御業のために働いた人である、ということを確信しました。

しかし、エルサレム教会の人たちには、パウロに関して一つ大きな心配事がありました。それは、この時パウロが多くのユダヤ人キリスト者たちから誤解されていた、ということです。それは、「パウロが異邦人の間に住んでいるユダヤ人たちに、神の教え・律法から離れるように教えている」、とう誤解でした。

パウロが使徒として召されてからもう20年以上がたち、その間パウロは異邦人への福音宣教の旅を続けていたので、エルサレムで実際にパウロを知っている人は少なくなっていたようです。

パウロが一回目の福音宣教の旅から、異邦人伝道の拠点であったアンティオキア教会に戻った時、ユダヤからあるキリスト者たちがやって来て、「あなたがた異邦人もユダヤ人と同じように割礼を受けなければ救われない」、と言って来ました。ユダヤ人にとって、割礼こそ神の民の一員とされたことの徴であり、異邦人・異教徒と区別される徴だったのです。それなのに異邦人キリスト者たちは、神への信仰をもったにもかかわらず割礼を受けないでいる、ということを懸念したのです。

パウロ自身もユダヤ人で割礼を受け、モーセの律法に従う者の一人でしたがそれに反対しました。キリストを信じ洗礼を受けた異邦人たちの上に、割礼を受けていないにも関わらず聖霊が降るのを見たからです。異邦人キリスト者たちは、割礼を受けないまま聖霊を受け、神の救いに入れられていました。

パウロはバルナバと一緒にエルサレムに行き、「キリストの信仰があれば神はその人を受け入れられる。異邦人に割礼は強要しなくてもいいのです」と主張しました。反対する人たちもいましたが、ペトロもその場でパウロと同じことを言ったので、皆が納得して、異邦人キリスト者たちを悩ませないように、異邦人キリスト者には割礼は強要されないという原則を手紙に書いて、諸教会に送りました。

パウロは「割礼ではなく、キリストへの信仰によって神に受け入れられるのだ」と言い続けてきた人でした。時間が経ってエルサレム教会の中にもいろいろと変化があったようです。まず、今日読んだところを見ると、エルサレム教会にペトロがいません。恐らく、どこかに宣教の旅に出かけていたのでしょう。そしてヤコブがエルサレム教会の指導者となり、長老たちと一緒に教会の秩序を守るようになっていました。

時間が経つにつれてエルサレムのユダヤ人たちから、「昔教会を迫害していたパウロは、ユダヤ人律法から引き離そうとしている」という誤解ができてしまったのです。

一世紀当時のユダヤ人の間には、律法に対する民族的な熱心さがありました。その熱心さには、ローマに対する政治的・宗教的な反発も含まれていました。神からユダヤ人に与えられた律法の言葉こそ、彼らのアイデンティティでした。

そのような中で、パウロは誤解されてしまうようになったのです。実際は、パウロは律法を捨てなさいなんてことは言っていません。「神に救われるために必要なのは、キリストへの信仰である」「割礼以上に信仰が大事なのだ」、という単純な真理を伝えてきただけでした。神の教えを捨てるようなことを勧めたことなどありません。

エルサレム教会の指導者であったヤコブ、そして長老たちは、パウロに対する誤解を解かなければならない、と考えました。彼らはパウロに一つの提案をしました。教会の中に、誓願を立てた人たちがいるので、その人たちと一緒に神殿に行き、彼らの誓願のために費用を出してほしい、というものです。

そうやって、「パウロは律法を守って正しく生活をしている者である」「パウロは神の教えを大切にしている」、ということを皆に見てもらおうとしたのです。これは一種のパフォーマンスです。姑息なやり方にも思えますが、そんなつまらないことをしなければならないほど、パウロに対する誤解は大きかった、ということでしょう。

私たちはここを読みながら、どうして当時のユダヤ人はそんなに割礼にこだわったのか、また、そのことが教会にとってもどうしてそれほど大きな問題となったのか、ということに戸惑うのではないでしょうか。

一世紀のユダヤ人にとって、割礼は神の民イスラエルの一員であるしるしでした。それはアブラハム以来続いてきた、信仰のしるしでした。しかし、神は、ユダヤ人でなくても、割礼を受けていなくても、キリストを求める人に聖霊を注がれ、御自分の息を吹きかけ、身元へと召されました。割礼無しで誰かが神に受け入れられるということは、最初はキリスト教会にとっても大きな驚きでした。それほど、イスラエルの民は割礼に重きを置いて、神の民として生きて来たのです。

私たちは聖書を読む際に、ユダヤ人と非ユダヤ人・異邦人の間にあった壁はそれほど大きなものであった、ということを踏まえなければならないのです。そして、私達は何より、その「隔ての壁」を取り除いてくれるのが、イエス・キリストへの信仰である、ということを教えられているのです。

パウロはエフェソの信徒への手紙の中で、異邦人キリスト者に向けてこう書いています。

「あなたがたは以前は肉によれば異邦人であり、・・・割礼のない者と呼ばれていました。・・・しかし、あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近いものとなったのです。実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し・・・十字架を通して両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」

イエス・キリストが世に来られ、十字架で全ての壁・敵意を取り壊してくださった今、もう「ユダヤ人かどうか」「何人なのか」「割礼は必要かどうか」ということは問題にはなりません。

イエス・キリストへの信仰は「何人か」「割礼を受けているかどうか」という自分一人の問題ではなく、自分と誰かの間にある壁を壊す大きな平和の力であるということを覚えたいと思います。

パウロは、人と人の間にある壁と戦った人だったと言っていいでしょう。そしてその壁を壊すのはイエス・キリストのお名前だけなのです。イエス・キリストという一つのお名前の下に皆が集った時、人は一つになれるのです。

パウロはユダヤ人でありながら、ユダヤ人が持つ偏見と闘いました。新しい信仰集団を作ろうとしたわけではありません。

パウロ自身は、ローマの信徒への手紙の中でこう書いている。

「神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のないものをも信仰によって義としてくださるのです。それでは、私たちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです」

割礼の有無ではなく、信仰の有無にこそ、私たちの信仰生活の本質なのだ、と言っています。今の私達からすれば、「当たり前ではないか」と思えるようなことかもしれません。

しかし、この時パウロに対して持たれていた誤解を通して、私達は今の自分自身のことを省みることが出来ると思います。キリストへの信仰以上に、何かの見た目であるとか、形であるとか、人からの評価とか・・・そんなものに心を向けていないでしょうか。

旧約時代、イスラエルが堕落した時に、神は預言者イザヤを通してイスラエルにおっしゃった。

「見よ、断食の日にお前たちはしたいことをし、お前たちのために労する人々を追い使う・・・そのようなものが私の選ぶ断食・苦行の日であろうか。・・・私の選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと」

割礼にしても、断食にしても、ただそれをすればいい、というものではありません。神が、割礼を通して断食を通してイスラエルに何をお求めになったのか、ということが重要なのです。

詩編の詩人はこう歌っている。

「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす捧げものが御旨にかなうのなら、私はそれを捧げます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません」 51篇

信仰者の業は、割礼であれ断食であれ、神の前に悔い改め、神に立ち返り、神がお求めになる平和を打ち立てるためのものなのです。

今、イエス・キリストが来て、それを伝えてくださいました。キリストはただ、御自分に従って生きることをお求めになりました。

「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父の下に行くことができない」 Continue reading

6月4日の礼拝説教

使徒言行禄20:36~21:17

「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、私は覚悟しているのです」(21:13)

今日私たちが読んだところが、パウロの福音宣教の旅の最後の場面になります。この後も、パウロの旅は続き、エルサレムに向かい、最後にローマに至ることになります。しかし、それは今までのような「福音宣教の旅」ではありません。

これまでのパウロの旅は、新しい町に行って福音を告げ、教会を設立したり、既に設立された教会をめぐって信仰の励ましを伝えて回ったりするものでした。これからは、エルサレムで捕えられ、裁判を受けるためにローマへと護送され囚われの身となる旅となるのです。

これから私たちは、今までとは様子の違ったパウロの旅の姿を追っていくことになります。そこに見られる聖霊の導きに注意して読み進めていきたいと思います。

エフェソの長老たちに別れを告げてからエルサレムまで、パウロの一行がどのようなコースをたどり、どの町に寄ったのか、ということをルカは詳しく記録しています。一行は地中海沿岸を行く貿易船に載せてもらいながら、エルサレムに向かいました。

船はミレトスから出航し、パウロたちはパタラというところで船を乗り換え、ティルスの港に着きます。そこからプトレマイス、そしてカイサリアに行き、そこからエルサレムへと向かいました。

パウロは行く先々でキリスト者と会い、最後の別れをしています。次々と、パウロと親交のあったキリスト者たち・弟子達が出てきます。ティルスやプトレマイス、カイサリアという町々の教会員です。

使徒言行禄には、いつ、どのようにティルスやプトレマイオスやカイサリアに教会が設立されたのか、ということは書かれていません。私たちは、使徒言行禄に記されていることが、教会の歴史の全てではない、ということを踏まえなければなりません。使徒言行禄に書かれていないところでも、福音は聖霊によって広がっていたのです。

ヨハネ福音書の最後は、こういう一文で終わっています。

「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。私は思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」

キリストの言葉、御業を言葉に収めきることはできない、とヨハネは言います。福音書は、イエス・キリストの全てを書き尽くしているのではないのです。

使徒言行禄も同じです。聖霊の業、教会の業、一人一人のキリスト者の名前や無数の業を、全て書き残すことはできません。木が大地に根を少しずつ下ろしていくように、根を広げていくように、人間の目には見えない仕方で聖霊は福音を広げ、深めていたということです。

主イエスは、こういうたとえ話を残されています。

「神の国は、からし種のようなものである。土に蒔く時には、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」

キリストから使徒たちに託された福音の種は小さいものでした。使徒たちが蒔き、小さな信仰者の群れが少しずつ芽を出し、育っていきました。福音の小さな種は、無数の小さな信仰者たちの手に受け継がれていったのです。福音書にも、使徒言行禄にも名前が残っていない、小さな信仰者たちの、小さな信仰生活が、福音の種まきとなり、水やりとなり、福音に生きる人たちを新しく生みだしてきたのです。

無数の信仰者の、誰にも知られていない信仰生活が、聖霊によって用いられていった、だからこそ、パウロが行く所行く所でキリストを信じる人たちが待っていたのです。

ティルスも、カイサリアも、ユダヤ人の土地ではありません。旧約聖書ではティルスやカイサリアはむしろイスラエルの敵として出てくる異邦人の町々です。旧約時代の誰が、ティルスやカイサリアにイスラエルの神を信じ、メシアの下に集うキリスト教会が出来るなどと考えたでしょうか。

町々でパウロを迎えるキリスト者たちの姿こそ、人間には成し遂げることのできない聖霊の働きの証しです。私たちは、今日のような場面を通して、使徒言行禄に記録しきれなかった神の御業を見ることが出来るのです。

さて、パウロはエルサレムへの旅の途中に会う全てのキリスト者たちから警告を受けることになりました。ティルスのキリスト者たちから「エルサレムに行かないでほしい」と言われます。彼らも聖霊を通してパウロの行く道に苦難があることを知っていたからです。

カイサリアでもそうでした。キリストの使徒の一人、フィリポの家に滞在しました。フィリポには四人の娘がいて、四人とも預言者だったようですが、直接パウロが行く道に警告を発したのは、ユダヤ地方から来たアガボという預言者でした。この人は、以前、ユダヤからアンティオキアに行って大飢饉を預言した人でもあります。11:28

このアガボが、不思議なことをしました。

「パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。『聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ちに主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す』』」11節

これは象徴預言というもので、「こういうことになる」ということを自分の身をもって示す預言の仕方です。

キリスト者たちはみんな、このままエルサレムに行くと捕らえられてしまうことを知って、パウロに「行かないように」、と懇願しました。パウロ以外の全員が、このまま進むことに反対だったのです。

しかしパウロは既に、エフェソ教会の長老たちとも同じやり取りをしていました。エフェソ教会の長老たちにこう言っています。

「今、私は霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」20:23

パウロは自分に「行くな」と言う人たちに、告げました。

「泣いたり、私の心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか、死ぬことさえも、私は覚悟しているのです」

「あなたの道の際には受難が待っている」と言っても、パウロは「知っている。それでも行くのだ」と答えるのです。

パウロは自分が行きたいからそこに行こうとしているのではありません。神が行けとおっしゃっているから、聖霊がそこへと導いているから行こうとしているのです。それが神の御心だから、行くのです。

パウロはイエス・キリストの歩みに倣っています。キリストはご自分の前に受難があることをご存じで、それでも歩みを進めていかれました。私達はキリストが十字架へと引き渡される夜、オリーブ山でどのように祈られたかを知っています。

「父よ、御心なら、この杯を私から取り除けてください。しかし、私の願いではなく、御心のままに行ってください・・・イエスは苦しみ悶え・・・汗が血の滴るように地面に落ちた」と書かれている。

受難に向けて歩む、ということは簡単ではありません。パウロだって淡々と進んでいたのではないでしょう。パウロもキリストのように必死に神の御心が自分を通して行われることを祈りつつ、歩んでいたでしょう。行く道が暗くても信仰に留まれるように、彼は何度祈ったでしょうか。

パウロは遂にエルサレムに入りました。そこでムナソンという人の家に泊まった、とあります。「パウロがムナソンの家に泊まった」ということには、大きな意味があります。

ムナソンは、「キプロス島出身の人」であり、「ずっと以前から弟子」であったキリスト者と書かれています。ムナソンというのはユダヤ名ではなく、ギリシャ名です。おそらく、キプロス島出身の、「ギリシャ語を話すユダヤ人」でしょう。

キリストの使徒、ステファノが殺された時、教会の人たちはエルサレムから追い散らされました。恐らくムナソンも、その時エルサレムから追放されたキリスト者の一人だったのではないでしょうか。

その時エルサレムから追放されたキリスト者たちは、追い散らされた先で、異邦人に福音を伝えていきました。そうやって、迫害を受けたキリスト者たちは、逃げながらキリストの福音を広めていったのです。キリスト者は、そういう仕方でキリストの受難の歩みを担っていきました。

ステファノが迫害され、ムナソンが追放されたであろう時、パウロはまだ教会の人たちを迫害し、追放する側の人間でした。その時教会の迫害者だったサウロが今、キリストの使徒パウロとして、迫害されたであろうムナソンの家に受け入れられ、キリストの受難に倣う道へと踏み出そうとしていることに、聖霊の導きの不思議を見るのではないでしょうか。

使徒言行禄を見ていると劇的な使徒たち・教会の姿があります。しかし、パウロだけが劇的なのではない。劇的なのは聖霊の働きです。私たちも、この不思議な聖霊の働きの中に置かれている一人とされていることを忘れてはなりません。 Continue reading

5月28日ペンテコステ礼拝説教

使徒言行禄20:17~35

「今、神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます。この言葉は、あなたがたを作り上げ、聖なるものとされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることが出来るのです」(20:32)

使徒言行録は、文字通りキリストの使徒たちの言葉と行いを記録したものです。しかし、はじめから丁寧に読んでいくと、その使徒たちを導いた聖霊の働きの記録である、ということがわかります。

使徒たち召し出し、最初の教会を作り、今の私達まで導いてきた聖霊の働きに思いを向け、私達キリスト教会がもっている本当の「強さ」とは何か、私達の強さは何に根差しているのか、ということを捉えて行きたいと思います。

パウロの、最後の旅の様子を私達は見ています。聖霊はパウロに、これからエルサレムに行き、その後ローマに行く、という道を示していました。神のご計画を信じてエルサレムに向かう途中で、パウロたちを乗せた船はミレトスの港に停泊しました。その時間を使って、パウロはエフェソ教会の長老たちを呼び寄せて最後の別れをします。

パウロは自分がこれまでどのようにイエス・キリストに仕えて来たか・聖霊に導かれてきたか、ということを語り、その生き証人であるキリスト者として自分と同じようにキリストへの信仰に留まるよう励ましました。

パウロは、次に何が起こるのかを知らないままに、それでも聖霊の導きを信頼して「神の道・主の道」を歩いてきました。これまで苦難、投獄、嘲笑、暴力がありました。それでもパウロは、自分に与えられた様々な痛みをも、「自分に必要な神から与えられた試練」として、「神のご計画の実現のために必要な試練」として向き合って来たのです。試練のたびに、神はパウロのために新しい道を切り開いてくださってきたのです。

その自分の信仰の体験を踏まえた上で、パウロは、エフェソ教会の長老たちに言っています。

22節 「今、私は、霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるのか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきりと告げてくださっています。」

聖霊は、パウロを、困難の無い道へと恵みをもって導いて下さる、というのではありませんでした。「困難と投獄」が待ち受けている道へと導こうとしていたというのです。

パウロは以前から、教会の人たちに伝えて来ました。

14:22 「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」

そもそも、神がパウロを召された時、パウロの行く道についてこうおっしゃっっています。

9:15 「私の名のために、どんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」

パウロは「キリストを信じれば辛いことがなくなる、楽に生きられる」などというご利益を伝えません。「罪びとのために苦しんでくださったキリストに倣い、神の元へと立ち返ること」を教えるのです。

パウロは、自分の役割を、後に手紙の中でこう書いています。

フィリピ3:13「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」

パウロは信仰の歩みの先に、「賞・ご褒美」があることを言っています。信仰の試練・苦難の先に、神が私たちのために用意してくださっている何かがあるのです。だから、パウロは自分が苦難の中にありつつ、「皆一緒に私に倣う者になりなさい」と手紙に書くのです。「キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです・・・しかし、私たちの本国は天にあります」

パウロはエフェソ教会の長老たちに別れを告げ、もう二度と会うことはないことを知っていました。彼はここで、少し突き放したような言い方をしています。

26節「今日はっきり言います。誰の血についても、私には責任がありません。私は、神のご計画を全て、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです」

自分のやるべきことは全てやったのだから、あとはあなたたちの責任だ、という言い方で、少し冷たく感じます。

パウロは自分の手紙の中でもこう書いている。

ロマ15:19「私は、エルサレムからイリリコン州まで巡って、キリストの福音をあまねく宣べ伝えました」

今のイスラエルからバルカン半島までの範囲を巡り、福音を全て語り尽くした、と断言しています。

パウロが「福音を語り尽くした」と言っているのは、自分が大きな群れを作った、ということではありません。パウロが関わって来た諸教会は、家の教会で、今のように何百人もいるような規模のものではありませんでした。たかだか数十人です。ある群れは数人でした。誰かの家に集まって、肩を寄せ合って福音を聴き、キリストに従っていた人たちです。

パウロが神から与えられた責任は、大きな教会を作ることができたかどうか、ではなく、示された場所で語るべき言葉を全て語ったかどうか、ということでした。イエス・キリストの十字架と復活を語り尽くしたかということだったのです。

これこそ、神が預言者にお求めになったことでした。旧約の預言者エゼキエルに神はこうおっしゃっています。

3:18 「もしあなたが悪人に警告して、悪人が悪の道から離れて命を得るように諭さないなら、悪人は自分の罪のゆえに死ぬが、彼の死の責任をあなたに問う。しかし、あなたが悪人に警告したのに、悪人が自分の悪と悪の道から立ち返らなかった場合には、彼は自分の罪ゆえに死に、あなたは自分の命を救う。」 Continue reading

5月21日の礼拝説教

使徒言行禄20:13~24

「今、私は霊にうながされてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるのか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(20:22~23)

パウロはエフェソに二年間留まり、ティラノという人が持っていた会堂で、毎日イエス・キリストの福音を語り伝えてきました。彼は、「エルサレムに行き、その後、ローマに行かなくてはならない」、という使命感を抱くようになっていました。

パウロが、まさにこれからエフェソを離れてエルサレムに行こう、という時に、エフェソの町の中で暴動が起こりました。アルテミスの女神の神殿の模型を作って利益を得ていた銀細工師が、パウロが「手で造ったものは神ではない」と言っているのを聞いて人々を煽り、エフェソの教会、パウロに対する暴動を起こしたのです。

エフェソの町の書記官が、この騒動を収めました。「訴え出たいことがあれば、正式な訴えを法廷に出しなさい。創でなければ、暴動の罪に問われる恐れがある」と言われて人々が解散するとすぐに、パウロは弟子達に別れを告げてヨーロッパのマケドニア州へと出発しました。自分がこれ以上エフェソに留まっていたらまた暴動が起こり、キリスト教会が危険にさらされることを憂慮したのでしょう。

パウロはギリシャから舟に乗ってエルサレムに向かうつもりでしたが、そこでもユダヤ人からの妨害があり、計画を変えて、陸路を行くことにしました。パウロは、自分の旅に同行していた人たちを先に行かせ、一人フィリピに残り、フィリピ教会の人たちと除酵祭・過越祭を祝いました。

今日私達が読んだのは、その後のことです。

除酵祭・過越祭が終わってエルサレムへと向かうパウロは急いでいました。

16節 「できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである」

パウロとその仲間たちは、途中のアソスという港町で、合流し、パウロも船に乗りました。当時は今のように、定期航路船が出ているわけではありませんでした。商人たちの貿易船に載せてもらう、という形で海を進んでいたのです。載せてもらっているので、当然自分たちの都合で急いでもらうことはできません。商人たちの商売に合わせて、船は港から港へと進んでいきます。

船はミレトスの港に寄港しました。どうやら、少し長くここで船は停泊することになったようです。パウロはその時間を使って、ミレトスの港からエフェソに人をやり、エフェソ教会の長老たちを呼び寄せました。

これが、パウロとエフェソ教会の長老たちとの最後の別れとなります。

パウロは、これがエフェソ教会の長老たちに会える最後の機会になることを聖霊を通して知っていました。その最後の機会に、パウロは何を伝えたのか。パウロが一人の牧会者として、二度と会うことの無い信仰の友たちに、何を伝えたのか、そのことに注目したいと思います。

パウロはこれまで、教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せてきました。これは、ユダヤ人の会堂での組織の在り方、つまり、イスラエルの組織運営を踏襲したものです。エフェソ教会は、12人ほどの小さな教会でしたが、群れの運営を中心的に担う長老が任命され、信仰生活を営んでいたのです。

パウロはエフェソ教会の長老たちに、自分の使徒としてのこれまで働きがどういうものであったのかを話しました。

18節以下 「アジア州に来た最初の日以来、私があなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。」

パウロは、「試練の中で、主に仕えて来た」と言っています。「エフェソ教会の人たちのために」ではなく、「主にお仕えしてきた」と言っています。エフェソ教会の長老たちは、自分たちがパウロと過ごした日々を思い出して、パウロの言葉を頷きながら聞いたでしょう。

パウロとエフェソ教会の人たちは、イエス・キリストを証言することに自分の生活を費やしてきました。それは、キリストのために苦しむ日々でした。たった12人ほどの小さな群れが、異邦人の町でキリストを信じて生きることがどんなに大変だったか、すぐに想像できるでしょう。パウロと諸教会のキリスト者は、「成功を共にした」のではありません。イエス・キリストのための苦しみを共にしてきたのです。

パウロはエフェソ教会の長老たちとキリストのための苦しみを共にしてきたことを伝えました。それは、キリストのための苦しみを、これからも担い続けるよう伝えるためでした。パウロは、「これから自分はいなくなるが、どんなことが行く手に待ち受けていようとも、キリストの道を行く自分に倣いなさい」と、エフェソの長老たちに伝えようとしたのです。

「私はいなくなるが、これからも苦しい道をそのまま行きなさい」というパウロの教えは、一見残酷にも聞こえます。しかし、それこそ、イエス・キリストがご自分に従おうとする人たちにお求めになったことでした。

「自分の十字架を背負って、私に従いなさい」

使徒言行禄には、キリストを知らない人たちに福音を伝える「福音宣教者」としてのパウロの姿が多く記録されています。しかし、ここでは、長老を任命し、その長老を呼んで信仰の励ましを伝える「牧会者」としてのパウロの姿を見ることが出来ます。

牧会者としてのパウロの実際にどんな言葉をもって教会を励ましたり叱責したりしたのか、ということは、新約聖書に入れられているパウロの手紙を見ればわかります。パウロはいろんな問題を抱えていた諸教会、ある時は叱責し、ある時は解決策を与えようとしました。

なんのためか、というと教会のキリスト者たちが、正しく信仰に留まるためです。パウロがあれだけたくさん手紙を書かなければならなかったほど、当時の教会は常に問題を抱え、迫害に苦しみ、忍耐の中で歩んでいたのです。

使徒言行禄のパウロの旅の記述を読むと、「励ます」と言う言葉が何度も出てきます。パウロは、これまでの宣教活動の中で、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、キリスト者たちを励ましてきました。なぜ教会には、キリスト者には「励まし」が必要だったでしょうか。皆、キリストへの信仰ゆえに、苦しんでいたからです。

パウロは、「なんとかしんどい思いをしなくて済むやり方はないか。教会が上手く世渡りができる上手いやり方はないか」などとは考えなかった。キリスト者の信仰生活は「逃げ隠れできない」ものだからです。

主イエスご自身がおっしゃっています。

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることが出来ない。・・・そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい」

キリスト者は、隠れることが許されない光として生きることが求められているのです。

そのキリストの教えを踏まえて、パウロは呼び寄せたエフェソ教会の長老たちに「その苦難の生活を続けなさい」、と励ましました。パウロは、「エフェソの教会にはこんな問題があるから、こうして解決していきなさい」というような目先の、細かい指示を出しているのではありません。もっと根本的な、信仰の姿勢を言うのです。

イエス・キリストは弟子達におっしゃいました。

「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」

パウロはキリストに従う苦難の中で、キリストが自分と共にいてくださっていることを何度も体験していきました。そして苦難の中に喜びを見出していきました。このことは、パウロだけではありませんでした。使徒言行禄5章の最後を見ると、ペトロたち、キリストの使徒が鞭打たれた後釈放された際、「使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜」んだ、とある。

「キリストのために苦しむほどの者にされた喜び」を、キリスト者は信仰生活の中で知って行くのです。主イエス・キリストのための苦しみを共にする、ということが教会の喜びです。そこに信仰の不思議があります。 Continue reading

5月14日の礼拝説教

使徒言行禄19:21~28

「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った」(19:21)

使徒言行禄を読むと、イエス・キリストの十字架と復活の後の二十数年間の福音の広がりの様子、教会の様子がよくわかります。ペトロやパウロといった、キリストの使徒たちの福音宣教の姿が記録されている。

ペトロもパウロも、後に教会に宛てて手紙を書き、その手紙が残されて新約聖書に入れられています。それらの手紙を見ると、当時の教会の内部の問題や、キリスト者としてのあり方について書かれています。「教会は全体でキリストの体を成しており、一教会、また一キリスト者はキリストの体の一部である」、ということが言われ、「キリストの体の一部として、聖く生きなければならない、世の誘惑に流されてはいけない」、と勧められています。

しかし、使徒言行禄では、教会の内部の問題や使徒たちがそれにどう対処したか、ということは書いていない。教会や使徒たちが「外からどう見られていたか」、ということの方に焦点を置いて記録しているのです。キリスト教会は、ある時は、ユダヤ人の信仰共同体の分派のように、ある時は、新しい哲学の学派のように、ある時は不思議な業をつかう新しい信仰集団のように見られました。

今日私たちが読んだところには、パウロがエフェソで感じていた召命と、パウロが伝えていた福音に対するエフェソの商売人たちの反発の様子が記録されています。パウロとエフェソ教会の人たちが、エフェソで女神の神殿模型を作っている職人たちから糾弾され、暴動に発展した、というところです。

私たちはこの事件を通して、今現在にまで続く、教会が向き合わなければならない問題を考えさせられることになります。

19:10にあるように、パウロはアンティオキアからエフェソに行き、そこで福音を語り続け、二年間滞在しました。パウロの福音宣教の中で、一つの町に二年間というのは一番の長期滞在です。パウロがエフェソで二年間福音を語り続けていたので「アジア州に住む者はユダヤ人であれギリシア人であれ、誰もが主の言葉を聞くことになった」と書かれています。

エフェソは、アジア州にある異邦人の大都市です。そのためエフェソ教会は異邦人主体の教会でした。パウロはエフェソのいるこの二年間にたくさんの手紙を諸教会に向けて書きました。それほど、各地の教会内部にいろんな問題が起こっていたのです。

たとえば、コリントの信徒への手紙などがそうです。「コリントの信徒への手紙」を見ると、コリント教会の内部で「私はパウロにつく」「私はペトロにつく」などといった分派争いがあったことがわかります。聖餐の儀式が乱れていたり、キリストの復活を信じない人がいたりして、コリント教会は内側にいろんな問題をはらんでいました。パウロ自身は、エルサレム教会のために献金を募っていて、コリントからそれをエルサレムへと持っていきたいと願っていた、ということもわかります。

しかし、使徒言行禄はこの時期にパウロがそのようなことで悩んでいた、というパウロの内面のことは記録していません。書かれているのはこの時のパウロ自身の召命・使命感です。

パウロは決心しています。

21節 「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心した」

「エルサレムに行く」、ということは分かりますが、「マケドニア州とアカイア州を通って」という計画には首をかしげます。東にあるエルサレムに行くために、西にあるマケドニア州、アカイア州を通っていく、という行き方です。パウロはエフェソのあるアジア州からヨーロッパ大陸に行って、エルサレムに向かう、という行き方を考えたのでした。

パウロは、自分がヨーロッパ大陸で関わった諸教会を一度訪れて、様子を見て、励ましてからエルサレムに戻ろうと考えたのでしょう。マケドニア州には、フィリピ、テサロニケ、ベレアの教会があります。アカイア州には、コリント、ケンクレアイ、そのほかの小さな町々の教会があります。全て、自分が設立に関わった教会です。そしてパウロは、これが最後の訪問になるであろうことも自分で分かっていました。

エルサレムに行った後のことについて、パウロはこう言っています。

「私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」

パウロは献金をエルサレム教会に届けてから、その先でローマに行くつもりでいるのです。「行くべき道・行かなければならない道」が、聖霊から既に示されていたようです。

23節に「この道」という言葉があります。

「この道のことでただならぬ騒動が起こった」

パウロが伝えるイエス・キリストの福音・教会が信じる福音のことを、使徒言行禄は「この道」という言葉で表現しています。ここで言われている「この道」は、単なる「道路」のことではありません。「神の召し応じた信仰者が歩む信仰の道」「キリスト者がキリストに召され、そこを歩むよう導き入れられた信仰の道」のことです。

パウロは「ローマも見なくてはならない」と言っています。この時のパウロにとっての信仰の道はローマへと至る道でした。使徒言行禄を最後まで読むと分かりますが、パウロは最後には実際にローマに行くことになります。

しかし、それは手放しでは喜ぶことが出来ない信仰の道でした。パウロはローマで逮捕され、捕らわれの身のまま福音を伝える、というところで使徒言行禄は終わことになるのです。

今エフェソにいるパウロにどこまで自分の将来が見えていたのかはわかりません。しかし、自分が神のために働き、キリストのために苦しむための道を行こうという決心を強く持っていました。

使徒言行禄9:15で神はおっしゃっています。

パウロは「私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどれだけ苦しまなければならないかを、私は彼に示そう」

パウロは自分に用意された信仰の道は苦しみの道であることを知っていて、ローマにまで行くことを決断したのです。

ヨハネ福音書の最後で、一番弟子のペトロが復活のキリストに召し出される場面がります。主イエスのことを三度「知らない」と言ったペトロは、復活の主から「私を愛しているか」と三度聞かれました。ペトロは「私はあなたを愛しています」と三度答えました。

それを聞いてキリストはおっしゃいました。

「あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」

聖書は、「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現わすようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである」と書いています。

主イエスはペトロの「死に方」をお示しになった、というのです。このやりとりがあって、主イエスはペトロに「私に従いなさい」とおっしゃいました。私たちにとって、「信仰」とは、キリストに信頼して、キリストがご用意くださる「死に場所」へと導いていただくことだと言っていいかもしれません。

私たちは「行きたくないところ」へと連れて行かれる、と言われています。実際、パウロはローマの牢屋へと続く道が示されています。それでもパウロはその「道」を行こうとしています。

これはペトロやパウロといったキリストの使徒たちだけのことではないでしょう。私たちもそうです。キリストに従う中で私たちは「行きたくないところ」へと連れて行かれることがしばしばあります。これまでの信仰生活を振り返って、「信仰ゆえの犠牲」がどれだけあったことでしょうか。

しかしそれでも、私たちは両手を伸ばして、聖霊の導きに身をゆだねます。私たちのために死んでくださったイエス・キリストの十字架を知っているからでしょう。そして復活の目撃者たちの証言を信じるからです。私たちのために命を投げ出し、死に打ち勝たれたキリストが私の名前を呼び、聖霊によって導いてくださっているという喜びがあるから、希望をもって、思いもよらない場所へと進むことが出来るのです。

パウロは「私はローマも見なくてはならない」と言っています。これは「ローマを『見なければならない・見ることになっている』」という言葉です。 Continue reading

5月7日の礼拝説教

使徒言行禄19:11~20

「悪霊は彼らに言い返した。『イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ』」(19:15)

三度目の福音宣教の旅に出たパウロは、エフェソの町にやって来ました。ユダヤ人の会堂に入り「聖書に預言されていた通り、救い主が来た」と伝えましたが、なかなか受け入れられませんでした。困難を覚えながらも、パウロは結局2年間そこに滞在することになりました。「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた」とあります。このことで、エフェソの人たちはパウロと、パウロが伝える福音を知っていくことになりました。

今日私達が読んだのは、エフェソの町で、ユダヤ人の祭司長スケワという人の7人の息子たちが、主イエスのお名前を使って悪霊を追い出そうとしたけれども、逆に悪霊にやられてしまった、という場面です。

使徒言行禄はスケワのことを「ユダヤ人の祭司長」と書いていますが、「ユダヤ人の祭司長」はエルサレムにしかいません。恐らく彼は「各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たち」の中の一人で、エフェソのユダヤ人たちが、祈祷師スケワの癒しの力に尊敬を払い「ユダヤ人の祭司長」という呼び名で呼んでいたのでしょう。

古代の地中海沿岸の世界では、癒しを行う人たちがいました。スケワの息子たちもそうでした。彼らはパウロという人がイエスという名前をつかって多くの奇跡を行っている、という噂を聞いたのでしょう。パウロの真似して「イエス」という名前をつかって悪霊払いを試みました。

しかし、彼らは逆に悪霊にやられてしまうのです。「イエスのことは知っている。パウロのことも知っている。だが、お前たちは何者だ」と言われ、裸にされ、傷つけられてしまいます。このことを見ると、イエスというお名前は我々人間が安易に利用してはならないものだ、ということがわかる。

エフェソは古代において魔術書の生産地でした。この事件をきっかけに、エフェソの町で魔術を行っていた多くの人は、自分が持っていた魔術書を持ってきて、皆の前で焼き捨てることになりました。銀貨5万枚分にもなる魔術書が焼き捨てられた、と書かれています。

イエス・キリストのお名前を安易に利用した人たちが悪霊に痛い目にあわされたことで、主イエスのお名前が広まった、ということは皮肉なことです。しかしそのような人間の失敗を通しても福音は広まって行く、ということでしょう。

我々は今日読んだ出来事から問われています。キリストのお名前、つまりイエス・キリストという存在を我々自身をどう捉えているでしょうか。

イエス・キリストは、福音宣教の中で多くの癒しや悪霊払いの奇跡を行われました。そのたびに人々からいろんなことを言われました。皆、主イエスが行われる奇跡の力の源は何か、ということを知りたがっていたのです。

ある時、主イエスの悪霊払いを見た人たちが「あの人は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのだ」と言いました。しかし、主イエスは冷静にお答えになった。

「悪霊の力で悪霊を追い出すのであれば、それはサタンが内輪もめしている、ということになる・・・私が神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」

悪霊の力で悪霊を追い出すなどという馬鹿なことはありません。主イエスはご自分の業を「神の指」とおっしゃいます。悪霊に勝る力、悪霊を追い払う力をお持ちの主イエスがあなたのところに来たのであれば、それは神の国・神の支配があなたに及んだ、ということなのです。

主イエスは、加えてこうおっしゃっています。

「人の子の悪口を言う者は皆許される。しかし、聖霊を冒涜する者は許されない」

主イエスがもっていらっしゃる力の源、その権威の源である神・聖霊を冒涜する人は許されません。

私たちが聖書を読む上で一つ踏まえておかなければならないのは、当時の世界には主イエス以外にも奇跡を行う人がたくさんいた、ということです。使徒言行禄にも、何人も魔術師が登場します。

サマリアにはシモンという魔術師が魔術を行い、人々を驚かせていました。そこにペトロがやって来て人々に洗礼を授けると聖霊が降るのを見ます。シモンは、ペトロに金を払って、「私にも聖霊を授ける力を授けてください」と言いますが、「神の賜物を金で手に入れられると思っているのか」と叱られてしまいます。

キプロス島にも、パウロの宣教の邪魔をしたバルイエスというユダヤ人魔術師がいました。彼は目が見えなくされてしまったことが記録されている。

聖書は私たちにはっきりと、天からの力による御業と、人間の手による不思議な業を区別して示しています。そしてその力の源を見分けることを私たちにいつも求めているのです。

さて、スケワの7人の息子たちは、主イエスのお名前を持ち出して悪霊に立ち向かいました。聖書には、こう書かれています。

「試みに主イエスの名を唱えて『パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる』」と言った。

ここに、彼らの信仰の姿勢が現れています。彼らは、「試みに」こんなことをしてみたのです。自分がキリストに救われ、キリストに召され、用いられて悪霊に立ち向かったというのではありません。「パウロにできるのであれば、自分たちもイエスの名前を使って悪霊払いができるのではないか」、という思いでした。浅はかなスケワの息子たちは逆に悪霊に痛めつけられてしまいました。

この出来事は滑稽さを帯びた、笑い話のようにも読めるでしょう。しかし、スケワの息子たちと悪霊のやり取りの中に、私たちの信仰生活の本質が透けて見えます。

この悪霊の質問は、私たちにとっても重要な意味を持っているのではないでしょうか。スケワの息子たちは、「お前たちは何者だ」と悪霊から問われています。彼らは何と答えたでしょうか。何も答えていません。答えることができなかったのではないでしょうか。この時、悪霊が納得できるような答えができたら、悪霊は逃げ去って行ったかもしれません。

我々人間は常に悪霊から「お前は何者だ」と問われているのではないいでしょうか。「イエスのことは知っている。しかしお前は何者だ」、悪霊からそう聞かれて私たちはどう答えるでしょうか。

自分の名前を答えるでしょうか。

自分の社会的な肩書で答えるだろうか。

自分の家系図を持ち出すでしょうか。

悪霊がここで尋ねているのは、もっと霊的なことです。「お前は何者だ」とは、言葉を変えると「お前と神とどういう関係にあるのか。お前とキリストとの関係はどういうものか」ということです。我々はいつでも、神との関係、キリストとの関係を問われているのです。自分は神とどれぐらい近くにいるのか、今自分はキリストからどれくらい離れてしまっているのか・・・

実は、聖書が全体を通して私たちに問いかけているのはそれなのです。創世記の初めで、神は、御自分から身を隠したアダムとエバを「どこにいるのか」とおっしゃって探されたことが書かれています。「あなたはどこにいるのか」という神の声は、今も私たちに向けて発せられています。

「お前は何者だ」という悪霊の問いと、「あなたはどこにいるのか」という神の問いは、結局は同じことでしょう。我々キリスト者は、神との契約関係をいつでも問われているのです。本当に神の御前を生きているか、イエス・キリストの十字架の痛みに対して誠実に生きているか・・・。

パウロはどうだったでしょうか。

パウロは後に、手紙の中でこう書いている。

「思い上がることのないようにと、私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです・・・主は、『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」

「私たちは・・・宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために」

「このわたしには、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」

悪霊は、私たちに向かって「お前は一体何者か」と問いかけてきます。その問いを通して私たちが問われているのは、「あなたは誰のものなのか、あなたは誰に仕えているのか、あなたは誰の配の中に生きているのか」ということです。

私たちは「イエス・キリストだ」と答えるのです。「私はイエス・キリストのものであり、キリストに仕え、キリストの支配の中に生きている。私はキリストの器であり、私たちの弱さを通してキリストはご自分の栄光を示されるのだ」と。 Continue reading

4月30日の礼拝説教

使徒言行禄19:1~10

「人々はこれを聞いて、主イエスの名によって洗礼を受けた」(19:5)

北アフリカのアレクサンドリアから、エフェソの町にアポロという雄弁なキリスト者が来て、大胆にキリストの福音を語りました。アポロは次に海を渡ってコリントの町へと向かっていきました。

それと入れ替わりで、パウロがエフェソの町に入って来ました。エルサレムとアンティオキアの教会への自分の福音宣教の報告を終えて、ガラテヤ、フリギアの地方にある諸教会のキリスト者たちを励ましながらエフェソにやって来たのです。

エフェソの町にも「12人ほど」の、小さなキリスト者の群がありました。パウロやアポロが来る前に、他のキリストの使徒が福音を既に伝えていたようです。そこに、コリントからパウロと行動を共にするようになったアキラとプリスキラが来て、またその後アポロが来たりして、イエス・キリストを信じる人が少しずつ与えられてきたのでしょう。

これまでパウロは、キリストの福音を知らない人たちに、イエス・キリストの十字架と復活を告げ、神が聖書を通して預言してこられた救いの実現を伝えて来ました。しかしこのエフェソでは、すでに福音を知っている人たちに、更に自分が神から示されたことを伝えることになりました。他の使徒たちがすでに伝えた福音を壊さずに、自分に示された福音の理解を加えていく、ということはこれまでにない難しさがあったでしょう。パウロにとって、新たな試練だったと思います。

パウロはキリストの福音を既に受け入れていたエフェソのキリスト者たちに何を伝えるべきかを探るために、一つの質問をしました。

「信仰に入った時、聖霊を受けましたか」

パウロは「洗礼を受けた時、聖霊を受けたかどうか」、ということを、信仰の一番根本にあることとして、重要視したようです。

エフェソのキリスト者たちは、パウロの質問に対して「聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と答えました。「それならどんな洗礼を受けたのですか」と尋ねると、「ヨハネの洗礼です」と言います。パウロは、エフェソの信仰者たちが知っているのは「ヨハネの洗礼」だけで、「聖霊が本当にあるかどうかも聞いたことがない」、と答えたことを問題視しました。

エフェソ教会で聖書を語ったアポロも、知っているのは「ヨハネの洗礼」でした。「ヨハネの洗礼しか知らない」、ということは、どうやらキリスト者として何かが不足している、ということだったようです。

洗礼者ヨハネは、イエス・キリストが来られる前に、エルサレムの町から少しはずれた荒れ野で人々に洗礼を授けていた人でした。エルサレムからはるか遠く離れた場所で暮らしていたエフェソのキリスト者たちは、「ヨハネの洗礼」だけは伝え聞いていました。しかし、「イエス・キリストの名による洗礼」はまだ知らなかったのです。

パウロはエフェソ教会の人たちに「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです」と説明しました。そして改めて、エフェソの信仰者たちに「主イエスの名による洗礼」を授けました。するとエフェソの信仰者たちの上に聖霊が降り、異言を話したり、預言をしたりしたのです。

さて、私たちは、ここで考えさせられる。「ヨハネの洗礼」と「キリストの名による洗礼」は、何が違うのでしょうか。「ヨハネの洗礼」には、一体何が不足していたのでしょうか。

洗礼者ヨハネ自身は荒れ野でこう言いました。

「私はあなたたちに水で洗礼を授けるが、私よりも優れた方が来られる。・・・その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」

ヨハネは「水」で洗礼を授け、キリストは「聖霊と火」で洗礼を授けられる、と言っています。「水」による清めと、「聖霊と火」による清めの違いがある、ということがわかります。

ヨハネの洗礼は、「水」によって罪のけがれを洗うという儀式でした。神から離れて生きていた自分と決別し、神の元へと立ち返り、神と共に生きる、という「罪の自分」との決別でした。

イエス・キリストの名による洗礼はどうなのでしょうか。「聖霊と火」による洗礼とはどういうことなのでしょうか。聖書で「火」は「神の裁き」を象徴する言葉です。火で金属が精錬されていくように、信仰者も、聖霊と火によって清くされていくことになります。

私たちは、イエス・キリストの名による洗礼を通して、「罪の自分」との決別に加えて、世の終わりにある「神の裁き」へと向かいながら「聖くされていく」ということでしょう。

エフェソのキリスト者たちは、「ヨハネの洗礼」を通して、「罪の自分に死ぬ」、ということは体験していました。しかし、過去に決別した後、これからどこへと向かって行くのか、ということはまだはっきりわかっていなかったようです。

彼らは、主イエスの名による洗礼を通して、「自分たちは世の終わり向かっており、そこに続く道をイエス・キリストと共に、聖霊に導かれて清められながら歩んでいる」ということを知ったのです。その道の上で、日々新たにされていく歩みへと踏み出しました。このことが、「キリストの名による洗礼によって新しく生まれる」、ということだったのです。キリストの名による洗礼を通して、人は新しい道を歩み始めます。これまでの道との決別に加えて、私たちには次の一歩が与えられるのです。

エフェソの12人の信仰者たちは、新しく、どこに向かっているのかをはっきりと知って道を歩み始めました。12は、イスラエルを象徴する数字です。この12人は、エフェソの町によける新しいイスラエル・新しい神の民として聖霊と共に歩み始めたのです。

私たちは改めて洗礼というものを考えたいと思います。自分の洗礼を振り返ってどうでしょうか。何を考えて、何を求めて洗礼を受けたでしょうか。「もう忘れた」こともあるでしょうが、確かなのは、「新しい自分」を求めた、ということでしょう。それまでの自分との決別を求めて、次に新しくなる自分に期待をして受洗したのではないでしょうか。「神を知らず、神から離れて生きる自分」と決別して、「神と共に生きる自分」になりたかったでしょう。キリストなしの人生を考えられなくなったのではないでしょうか。

パウロは後に、コリント教会への手紙にこう書いています。

「世の終わりに、おのおの「火によって吟味される」 そして「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」と言っています。キリストの名によって洗礼を受け、聖霊と火で罪を洗っていただいた私たち自身、聖霊の住まいなのです。私たちは聖い神殿であり、聖い霊の住まいとされたのです。

私たちは、洗礼によって過去と決別しただけではありません。キリストは、十字架へと上げられる直前に、弟子達におっしゃいました。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私の下に迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなた方は知っている。」

キリストがおっしゃった通り、私たちは、洗礼を受け、聖霊に導かれて、いずれどこにたどり着くのかを知っています。キリストが用意してくださった場所へと今も進んでいるのです。肉体の死を超えてキリストは共にいてくださいます。死を超えたインマヌエルという恵みを私たちはいただきました。

世の終わりには神の裁きがあります。神の前に立って裁かれるその場所へと、私たちは今どう生きるべきでしょうか。キリスト者はそれを考えて日々を生きるのです。

パウロは、「聖霊を受けたかどうか」ということにこだわりました。私たちは、ここでも更に考えさせられるでしょう。

「自分は聖霊を受けているのか。どうやったらそれがわかるのか」

「聖霊」という言葉は聖書の中にたくさん出てきますが、それが一体何なのか、自分にどういう働きを及ぼしているのか、よくわからないのではないでしょうか。

ある人は、「聖霊は私たちに神への恐れを生じさせるものだ」、と言っています。聖霊は、神への恐れを、本当に恐れるべき方を教える力だ、と言うのです。確かにそうでしょう。

聖書で「霊」は、「息」「風」と同じ言葉です。聖霊というのは、聖い息であり、聖い風でもあるのです。創世記にあるように、人は、鼻に神の息を吹き込まれて生きるものとされました。そして人は聖い風に吹かれて、行くべき場所へと導かれていきます。

聖霊は私たちを生かすものなのです。そのことを思うと、この息・風を吹かせてくださる方への恐れへと私たちは導かれるのではないでしょうか。

使徒言行禄の5章に、アナニアとサフィラの夫婦が、土地の代金をごまかしてキリストの使徒たちに献金をしたことが、書かれています。人を騙して得た金を夫婦で神に捧げました。そのことで二人は、主の「霊」に打たれて死んでしまいます。

アナニアが倒れて息が絶えたのを見た「人々は非常に『恐れた』」とあります。妻のサフィラも倒れて息が絶え、「教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に『恐れた』」とあります。 Continue reading

4月23日の礼拝説教

使徒言行禄18:23~28

「彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった」(18:25)

パウロは二度目の宣教旅行で、ヨーロッパ大陸へと聖霊に導かれて来ました。福音宣教の旅を終えて、エルサレム、アンティオキアへと戻っていきました。23節には、パウロがしばらくアンティオキアにしばらく滞在したことが書かれています。アンティオキアで次の福音宣教の旅の準備を整えながら、出発するのにいい時期・季節を待っていたのでしょう。

ここからパウロの三度目の福音宣教の旅が始まることになります。この第三回福音宣教の中でパウロは多くの手紙を書き残すこととなりました。後のそれらの手紙が、新約聖書の中に入れられ、今の私たちの元へと残されることになります。

まず、このことを少し考えておきたいと思います。なぜパウロは、旅をしながらいろんな教会に手紙を書いたのでしょうか。理由は簡単です。それぞれの教会で、いろんな問題が起こっていたからです。

パウロはコリントの信徒への手紙の中でこう書いています。

2コリ11:28 「日々私に迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。誰かが弱っているなら、私は弱らないでいられるでしょうか。誰かがつまずくなら、私は心を燃やさないでいられるでしょうか」

パウロが自分の足で駆けずり回っても解決しきれないほど、諸教会の中に問題が起こっていたのです。パウロはいろんな教会に手紙を書き、教会が純粋な教会として、聖いキリストの体として、誠実な信仰共同体であるよう、訴えていったのです。

パウロが第三回宣教旅行の中で、いろんな教会を心配して書き送ったたくさんの手紙が新約聖書に入れられて、今まで教会で大切に読まれてきました。教会は、パウロの手紙の中に見られる諸教会の問題を他人事とせず、自分たちへの戒めとして読んできました。パウロが当時抱いていた「厄介ごと、心配事」は今の教会にも変わらずある、ということなのです。教会の中に起こってくる問題は、根本的なところでは今も昔も変わらないのです。

教会は「設立されてそこで完成」、自分は「キリスト者となってそれで終わり」、というものではありません。それはスタートであってゴールではないのです。自分がキリスト者になることよりも、キリスト者であり続けること、キリスト者としてまっすぐに歩み続けることの方が実は難しいのです。教会を作ることよりも、教会がキリストの体として正しく立ち続けること、キリストの十字架によって敷かれた道を踏み外さずに歩み続けることのほうが難しいのです。

旧約聖書に記されているイスラエルの歩みを振り返るとよくわかります。何の取柄もない弱小の民イスラエルを、神はただ愛され、御自分の民とされました。イスラエルは神と契約を結び、神と共に生きる道を選び取りました。

しかし、その後のイスラエルを見ると、この世の誘惑の中で、神の民として相応しく歩めなかった、ということがわかります。イスラエルは、神が示された道を何度も踏み外してしまいました。旧約聖書は、そのイスラエルの失敗の歴史の記録です。

イスラエルが出エジプトを終え、これから約束の地に入ろうとする直前で、神はモーセを通しておっしゃいました。

申命記8:11以下 「あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が増え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心驕り、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい」

この言葉は、今の私たちにとっても有益な警告ではないでしょうか。この世には、私たちを神から引き離す誘惑に溢れています。満腹になり、大きな家に住み、財産を得て、心がおごる時、私たちの心はそれでも神に向いているでしょうか。

神は、約束の地に入るイスラエルに、前もって警告なさいました。それにも関わらず、イスラエルは約束の地に入り、すぐに快楽を伴う偶像礼拝へ心惹かれていったのです。

同じ誘惑が今、キリスト教会に、キリスト者に向かいます。私たちは洗礼を受け、そこからキリスト者としての本当の歩みが始まります。それは、誘惑との戦いの日々が始まる、ということです。神が示された道を歩むことが出来ているかどうか、私たちはいつでも聖書から問われるのです。

さて、パウロがアンティオキアに戻っている間、エフェソの町ではアキラとプリスキラの夫婦がそこに留まってパウロ帰りを待っていました。ここでアポロという人が登場します。この人は、アレクサンドリアという北アフリカにあった街からやって来たユダヤ人でした。「聖書に詳しい雄弁家」であった、とあります。

この人がどのようにイエス・キリストのことを知ったのかは書かれていません。使徒言行禄には記録されていないところでも、福音はアフリカにまで何らかの形で広がっていた、ということがわかります。無名の使徒たち・キリスト者たちの、知られていない福音宣教がありました。

アレクサンドリアは、地中海全域に離散して住んでいたユダヤ人の共同体の中で最も栄えていた都市です。非常に洗練された学問の都で、当時、博物館や図書館も建てられていました。ギリシャとユダヤの高度な文化交流がなされていた町です。

アポロはそのような町で生まれ育った、非常に高度な教養のあった人でした。ユダヤ人だったので、聖書に精通していました。それだけでなく、アポロは、「主の道」を受け入れていた、と書かれています。「ナザレのイエスをメシア、キリストとして受け入れ、信じていた」、ということでしょう。

アポロはエフェソの会堂で雄弁に、大胆に聖書とイエス・キリストを正確に語りましたが、ここをよく見るとアポロは「ヨハネの洗礼しか知らなかった」と書かれています。「ヨハネの洗礼しか知らなかった」ということがどういうことなのかはよく分かりませんが、イエス・キリストに関して、何か理解が足りなかったようです。そこで、アキラとプリスキラは、アポロを自分たちの滞在場所に招いて、もっと正確に「神の道」を説明しました。

これは不思議な光景です。学術都市アレクサンドリアから来たエリートの学者アポロに、ローマから追放された革職人のユダヤ人夫婦が聖書を教え、それをアポロが謙虚に聞くのです。

アポロは夫婦から正しく福音を聴き、海を越えてヨーロッパのギリシャのアカイア州、コリントの町に渡って行きました。今日読んだ最後のところを見るとこう書かれています。

「アポロはそこへ着くと、すでに恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである」

この「ユダヤ人」というのは、パウロをコリントから追い出したユダヤ人たちのことです。そんな人たちを相手に、メシアはイエスであると聖書に基づいて語り、「説き伏せた」というのですから、アポロの言葉はパウロ以上に激しく、説得力があったのでしょう。

パウロはコリントの町にこう手紙を書いています。

1コリ3:4以下 「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」

教会の成長は不思議です。その時その時で、必要な働き手が与えられるのです。コリントの町では、初めにパウロが行き、福音を伝えましたが、途中でユダヤ人たちによって追い出されてしまいました。しかしその後にアポロが来て、そのユダヤ人たちを説き伏せるのです。そうやって、必要な時に必要な仕方で福音の種がまかれ、水が注がれ、神による成長が与えられるのです。

パウロは、こう書いています。

1コリ3:9 Continue reading

4月16日の礼拝説教

使徒言行禄12~22

「『神の御心ならば、また戻ってきます』と言って別れを告げ、エフェソから船出した。」(18:21)

神は、教会の迫害者であったパウロをキリストの使徒として召し出す時、こうおっしゃいました。

「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」使徒言行禄 9:15 

教会の迫害者サウロは、「神の名のために苦しむ器」として召し出され、使徒パウロとなりました。神に選ばれる、ということは、特別に「いい思い」をさせてもらえる、ということではないことがわかります。むしろ、神に召し出されるのは、神のために苦しみながら働くためなのです。

このことは、パウロだけでなくキリストの使徒たち、そしてキリスト者にも言えることでしょう。パウロ自身、キリストに従う人たちに、「神の国に入るには多くの苦しみを経なくてはならない」と言っています。キリストに従う、ということは、キリストのために、キリストと共に苦しむということでもあるのです。

パウロは、教会を迫害する者から教会のために迫害される者となりました。わざわざ、「苦しめる側」から「苦しめられる側」に回りました。なぜ、自ら進んで苦しい道を歩み始めたのでしょうか。私たちはパウロの姿に、信仰の不思議を見ます。

パウロや、キリストのために厳しい道を行く他の使徒たちの姿や、迫害を受けながらもキリストに従い抜こうとする教会の姿を通して、今自分を導いている力の不思議を考えさせられると思います。

パウロたちはここまで、聖霊によって導かれてきました。異邦人教会の拠点であったアンティオキア教会を出発し、アジアの町々を巡り、ヨーロッパ大陸にまで導き入れられました。ヨーロッパに渡ってから、フィリピ、テサロニケ、ベレア、アテネ、コリントとめぐって来ましたが、パウロ、シラス、テモテは、どの町でもキリストの名のもとに迫害を受け、追い出されてきました。

しかし、そのような迫害の中で、イエス・キリストを信じるようになった人たちもわずかに与えられてきたのです。福音を聞いた人たちが皆感動して、大勢の人が信じるようになり、いきなり大きなキリスト教会ができた、というのではありません。迫害の中で、わずかにキリストを受け入れる人たちが与えられ、その少数のキリスト者たちがパウロたちがいなくなっても信仰に留まり、キリストの使徒たちのようにキリストのために共に苦しむ道を選んでいきました。その小さな群れが教会の芽生えとなっていったのです。

信仰に留まり、キリストの名を抱いて生き抜いた信仰者たちの足跡が、神の国を求める人たちにとっての道しるべとして残っていくことになりました。使徒たち、キリスト者たちのその時代、その時代の信仰の痛みは無意味なものではなかったのです。キリスト者たちの小さな信仰の歩みは、確かに神の国へと続く道に足跡を残し、後から来る人たちの道しるべとなっていきました。キリストの十字架の痛みが神殿の垂れ幕を真っ二つに割いて神の国への道を拓いたように、キリスト者の信仰の歩みが、神の国への道筋を、それぞれの時代で示すことになっていったのです。

今日私たちが読んだ場面でも、使徒たち、また教会の人たちが受けた困難を見ることが出来ます。パウロはコリントの町に腰を据えて、1年6ヶ月福音を伝えてきました。コリントは、ギリシャのアカイア州の首都です。ここはローマの地方総督が駐在するところでした。

コリントの町に、新しいローマ総督ガリオンが着任しました。するとユダヤ人の一団がパウロを襲い、コリントに新しくやって来たローマの総督に訴えました。ガリオンがコリントにいた時期を踏まえると、今日読んだ出来事は、紀元51年ごろに起こったことと考えられます。

パウロは、同胞であるユダヤ人たちによって訴えられました。ユダヤ人たちは、「ナザレのイエスこそ、聖書が到来を預言して来たメシアである」、と言うパウロを信じることが出来なかったのです。「十字架で殺されるような者がなぜメシアなのか。しかもそのイエスは墓の中から復活した、などと言っている。そんなことを自分たちの会堂の近くでいいふらしている。危ない思想だ」・・・そういう思いだったでしょう。

コリントの町に住んでいたユダヤ人たちは、総督ガリオンに向かって、「この男は、律法に違反するような仕方で神を崇めるようにと、人々をそそのかしております」とパウロを訴えました。「ローマ帝国内では許されない信仰だ、帝国を転覆しようとしている、新しい王を立てようとしている危険思想だ」ということです。

当時のローマ皇帝は、ユダヤ人に対していい感情を持っていなかったようです。紀元49年、ローマ皇帝は、ローマの町からの「ユダヤ人を追放令」を出したばかりなのです。ユダヤ人たちは、パウロをローマ帝国にとって危険な人物として逮捕させようとしました。

しかし、ローマ総督ガリオンは、彼らの訴えを聞いても関わろうとしませんでした。「問題がユダヤ人の教えとか律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい」と冷たくあしらうのです。それはユダヤ人共同体内部の問題であり、ローマ帝国の問題ではない、「私はそんなことの審判者になるつもりはない」と取りありませんでした。

結局ユダヤ人たちは、訴えを聞いてもらえませんでした。彼らは自分たちのうっ憤を晴らすために、パウロたちに自分の家を礼拝の場として提供していたソステネという人をつかまえ、法廷の前で殴りつけました。

私たちはこの場面を通して、イエス・キリストの裁判を思い出すことができるのではないでしょうか。主はユダヤ人に捕らえられ、「律法に反している」と言われ、ローマの権力の元へと引っ張って行かれました。「この者はユダヤ人の王であると自称した危険人物だ」とユダヤ人たちが訴えても、総督のポンテオ・ピラトは相手にしませんでした。ここでのガリオンは、その時のピラトのようです。キリストの使徒パウロは、裁判にかけられた際のキリストに重なって見えます。

私たちは、ここに教会が背負う十字架を見ます。主イエスは、「あなたがたには世で苦難がある」とはっきりおっしゃいました。キリスト者・教会には、この世で自分たちが背負う十字架があるのだ。

なぜキリスト者はこの世から迫害を受けるのでしょうか。何も悪いことをしていないのに。ただ、キリストがおっしゃった「神を愛し、隣人を愛する」という律法を守ろうとしているだけなのに。ただ、キリストに向かって祈り、礼拝しているだけなのに。

私たちは何か悪いことをしているから迫害されるのではない。ただ、「キリストのために」迫害されるのです。キリストを信頼し、キリストが示してくださった道を行こうとしている・・・ただそれだけで迫害されることになるのです。

なぜでしょうか。キリストを憎み、キリストを恐れる力があるからです。イエス・キリストを憎み、神から私たちを引き離そうとして、神の国を見えなくさせる罪の力があります。罪の誘惑の力が一番に襲うのは、教会であり、キリスト者です。キリスト者として生きる、ということは、実は、一番この世の誘惑の逆風を強く受けるところを歩く、ということなのです。

旧約の預言者たちがそうでした。キリストの使徒たちがそうでした。代々の教会がそうでした。彼らはそれでも、神が共にいてくださって逆風の中を歩みぬいてきたのです。

さて、コリントの町でこのような苦難があったパウロですが、この後、コリントの町を去ることにしました。これ以上そこにいたら暴力が広がることを心配したのでしょう。そして宣教の拠点であるアンティオキアに一度戻ることにしました。パウロとシラスがアンティオキアを出発して3年が経過していたので、一度戻って、宣教の報告をしようと考えたのでしょう。

コリントの町でパウロの生活と宣教を支えたプリスキラとアキラも同行することになりました。この時から、この夫婦は、キリストの使徒としてパウロと共に働くことになります。

パウロはアンティオキアに戻る際、コリントのすぐ近くのケンクレアイの町で、「誓願を立てていたので髪の毛を切った」、とあります。男であれ、女であれ、特別の誓願を立てて神に自分を捧げる人のことをナジル人と呼びますが、パウロは恐らく「ナジル人」として神を伸ばしていたのでしょう。おそらく、この旅の間、神のために、キリストのために自分を捧げ尽くす、という誓願を立てていたのでしょう。

パウロは最初の宣教旅行でも、いろんな町で迫害を受けました。それにもかかわらず、二度目の宣教旅行に出かけました。いろんな嫌な思いをしながら、なぜパウロはそこまでキリストのために働くことが出来たのでしょうか。

旧約聖書にエレミヤという預言者のことが書かれています。エレミヤは、若い時、20歳になるかならないかぐらいの時に、神に召されました。エレミヤは神から呼びかけられるとこう言いました。

「ああ、わが主なる神よ。私は語る言葉を知りません。私は若者にすぎませんから」

しかし神はおっしゃいます。

「若者に過ぎないと言ってはならない。私があなたを、誰のところへ遣わそうとも、行って私が命じることを全て語れ。彼らを恐れるな。私があなたと共にいて、必ず救い出す」

神は繰り返しおっしゃいます。

「私があなたと共にいて、救い出す」

エレミヤは迫害に苦しみながらイスラエルの人たちに神の言葉を伝え続けました。彼はある時、こう叫びました。

「主の言葉ゆえに、私は一日中、恥とそしりを受けねばなりません。主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、私の心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃えあがります。押さえつけておこうとして私は疲れ果てました。私の負けです」

エレミヤは「涙の預言者」と呼ばれる人です。神の言葉を伝えることは苦しかった、しかし、やめることはできなかったのです。 Continue reading