MIYAKEJIMA CHURCH

5月14日の礼拝説教

使徒言行禄19:21~28

「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った」(19:21)

使徒言行禄を読むと、イエス・キリストの十字架と復活の後の二十数年間の福音の広がりの様子、教会の様子がよくわかります。ペトロやパウロといった、キリストの使徒たちの福音宣教の姿が記録されている。

ペトロもパウロも、後に教会に宛てて手紙を書き、その手紙が残されて新約聖書に入れられています。それらの手紙を見ると、当時の教会の内部の問題や、キリスト者としてのあり方について書かれています。「教会は全体でキリストの体を成しており、一教会、また一キリスト者はキリストの体の一部である」、ということが言われ、「キリストの体の一部として、聖く生きなければならない、世の誘惑に流されてはいけない」、と勧められています。

しかし、使徒言行禄では、教会の内部の問題や使徒たちがそれにどう対処したか、ということは書いていない。教会や使徒たちが「外からどう見られていたか」、ということの方に焦点を置いて記録しているのです。キリスト教会は、ある時は、ユダヤ人の信仰共同体の分派のように、ある時は、新しい哲学の学派のように、ある時は不思議な業をつかう新しい信仰集団のように見られました。

今日私たちが読んだところには、パウロがエフェソで感じていた召命と、パウロが伝えていた福音に対するエフェソの商売人たちの反発の様子が記録されています。パウロとエフェソ教会の人たちが、エフェソで女神の神殿模型を作っている職人たちから糾弾され、暴動に発展した、というところです。

私たちはこの事件を通して、今現在にまで続く、教会が向き合わなければならない問題を考えさせられることになります。

19:10にあるように、パウロはアンティオキアからエフェソに行き、そこで福音を語り続け、二年間滞在しました。パウロの福音宣教の中で、一つの町に二年間というのは一番の長期滞在です。パウロがエフェソで二年間福音を語り続けていたので「アジア州に住む者はユダヤ人であれギリシア人であれ、誰もが主の言葉を聞くことになった」と書かれています。

エフェソは、アジア州にある異邦人の大都市です。そのためエフェソ教会は異邦人主体の教会でした。パウロはエフェソのいるこの二年間にたくさんの手紙を諸教会に向けて書きました。それほど、各地の教会内部にいろんな問題が起こっていたのです。

たとえば、コリントの信徒への手紙などがそうです。「コリントの信徒への手紙」を見ると、コリント教会の内部で「私はパウロにつく」「私はペトロにつく」などといった分派争いがあったことがわかります。聖餐の儀式が乱れていたり、キリストの復活を信じない人がいたりして、コリント教会は内側にいろんな問題をはらんでいました。パウロ自身は、エルサレム教会のために献金を募っていて、コリントからそれをエルサレムへと持っていきたいと願っていた、ということもわかります。

しかし、使徒言行禄はこの時期にパウロがそのようなことで悩んでいた、というパウロの内面のことは記録していません。書かれているのはこの時のパウロ自身の召命・使命感です。

パウロは決心しています。

21節 「パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心した」

「エルサレムに行く」、ということは分かりますが、「マケドニア州とアカイア州を通って」という計画には首をかしげます。東にあるエルサレムに行くために、西にあるマケドニア州、アカイア州を通っていく、という行き方です。パウロはエフェソのあるアジア州からヨーロッパ大陸に行って、エルサレムに向かう、という行き方を考えたのでした。

パウロは、自分がヨーロッパ大陸で関わった諸教会を一度訪れて、様子を見て、励ましてからエルサレムに戻ろうと考えたのでしょう。マケドニア州には、フィリピ、テサロニケ、ベレアの教会があります。アカイア州には、コリント、ケンクレアイ、そのほかの小さな町々の教会があります。全て、自分が設立に関わった教会です。そしてパウロは、これが最後の訪問になるであろうことも自分で分かっていました。

エルサレムに行った後のことについて、パウロはこう言っています。

「私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」

パウロは献金をエルサレム教会に届けてから、その先でローマに行くつもりでいるのです。「行くべき道・行かなければならない道」が、聖霊から既に示されていたようです。

23節に「この道」という言葉があります。

「この道のことでただならぬ騒動が起こった」

パウロが伝えるイエス・キリストの福音・教会が信じる福音のことを、使徒言行禄は「この道」という言葉で表現しています。ここで言われている「この道」は、単なる「道路」のことではありません。「神の召し応じた信仰者が歩む信仰の道」「キリスト者がキリストに召され、そこを歩むよう導き入れられた信仰の道」のことです。

パウロは「ローマも見なくてはならない」と言っています。この時のパウロにとっての信仰の道はローマへと至る道でした。使徒言行禄を最後まで読むと分かりますが、パウロは最後には実際にローマに行くことになります。

しかし、それは手放しでは喜ぶことが出来ない信仰の道でした。パウロはローマで逮捕され、捕らわれの身のまま福音を伝える、というところで使徒言行禄は終わことになるのです。

今エフェソにいるパウロにどこまで自分の将来が見えていたのかはわかりません。しかし、自分が神のために働き、キリストのために苦しむための道を行こうという決心を強く持っていました。

使徒言行禄9:15で神はおっしゃっています。

パウロは「私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどれだけ苦しまなければならないかを、私は彼に示そう」

パウロは自分に用意された信仰の道は苦しみの道であることを知っていて、ローマにまで行くことを決断したのです。

ヨハネ福音書の最後で、一番弟子のペトロが復活のキリストに召し出される場面がります。主イエスのことを三度「知らない」と言ったペトロは、復活の主から「私を愛しているか」と三度聞かれました。ペトロは「私はあなたを愛しています」と三度答えました。

それを聞いてキリストはおっしゃいました。

「あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」

聖書は、「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現わすようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである」と書いています。

主イエスはペトロの「死に方」をお示しになった、というのです。このやりとりがあって、主イエスはペトロに「私に従いなさい」とおっしゃいました。私たちにとって、「信仰」とは、キリストに信頼して、キリストがご用意くださる「死に場所」へと導いていただくことだと言っていいかもしれません。

私たちは「行きたくないところ」へと連れて行かれる、と言われています。実際、パウロはローマの牢屋へと続く道が示されています。それでもパウロはその「道」を行こうとしています。

これはペトロやパウロといったキリストの使徒たちだけのことではないでしょう。私たちもそうです。キリストに従う中で私たちは「行きたくないところ」へと連れて行かれることがしばしばあります。これまでの信仰生活を振り返って、「信仰ゆえの犠牲」がどれだけあったことでしょうか。

しかしそれでも、私たちは両手を伸ばして、聖霊の導きに身をゆだねます。私たちのために死んでくださったイエス・キリストの十字架を知っているからでしょう。そして復活の目撃者たちの証言を信じるからです。私たちのために命を投げ出し、死に打ち勝たれたキリストが私の名前を呼び、聖霊によって導いてくださっているという喜びがあるから、希望をもって、思いもよらない場所へと進むことが出来るのです。

パウロは「私はローマも見なくてはならない」と言っています。これは「ローマを『見なければならない・見ることになっている』」という言葉です。 Continue reading

5月7日の礼拝説教

使徒言行禄19:11~20

「悪霊は彼らに言い返した。『イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ』」(19:15)

三度目の福音宣教の旅に出たパウロは、エフェソの町にやって来ました。ユダヤ人の会堂に入り「聖書に預言されていた通り、救い主が来た」と伝えましたが、なかなか受け入れられませんでした。困難を覚えながらも、パウロは結局2年間そこに滞在することになりました。「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた」とあります。このことで、エフェソの人たちはパウロと、パウロが伝える福音を知っていくことになりました。

今日私達が読んだのは、エフェソの町で、ユダヤ人の祭司長スケワという人の7人の息子たちが、主イエスのお名前を使って悪霊を追い出そうとしたけれども、逆に悪霊にやられてしまった、という場面です。

使徒言行禄はスケワのことを「ユダヤ人の祭司長」と書いていますが、「ユダヤ人の祭司長」はエルサレムにしかいません。恐らく彼は「各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たち」の中の一人で、エフェソのユダヤ人たちが、祈祷師スケワの癒しの力に尊敬を払い「ユダヤ人の祭司長」という呼び名で呼んでいたのでしょう。

古代の地中海沿岸の世界では、癒しを行う人たちがいました。スケワの息子たちもそうでした。彼らはパウロという人がイエスという名前をつかって多くの奇跡を行っている、という噂を聞いたのでしょう。パウロの真似して「イエス」という名前をつかって悪霊払いを試みました。

しかし、彼らは逆に悪霊にやられてしまうのです。「イエスのことは知っている。パウロのことも知っている。だが、お前たちは何者だ」と言われ、裸にされ、傷つけられてしまいます。このことを見ると、イエスというお名前は我々人間が安易に利用してはならないものだ、ということがわかる。

エフェソは古代において魔術書の生産地でした。この事件をきっかけに、エフェソの町で魔術を行っていた多くの人は、自分が持っていた魔術書を持ってきて、皆の前で焼き捨てることになりました。銀貨5万枚分にもなる魔術書が焼き捨てられた、と書かれています。

イエス・キリストのお名前を安易に利用した人たちが悪霊に痛い目にあわされたことで、主イエスのお名前が広まった、ということは皮肉なことです。しかしそのような人間の失敗を通しても福音は広まって行く、ということでしょう。

我々は今日読んだ出来事から問われています。キリストのお名前、つまりイエス・キリストという存在を我々自身をどう捉えているでしょうか。

イエス・キリストは、福音宣教の中で多くの癒しや悪霊払いの奇跡を行われました。そのたびに人々からいろんなことを言われました。皆、主イエスが行われる奇跡の力の源は何か、ということを知りたがっていたのです。

ある時、主イエスの悪霊払いを見た人たちが「あの人は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出しているのだ」と言いました。しかし、主イエスは冷静にお答えになった。

「悪霊の力で悪霊を追い出すのであれば、それはサタンが内輪もめしている、ということになる・・・私が神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」

悪霊の力で悪霊を追い出すなどという馬鹿なことはありません。主イエスはご自分の業を「神の指」とおっしゃいます。悪霊に勝る力、悪霊を追い払う力をお持ちの主イエスがあなたのところに来たのであれば、それは神の国・神の支配があなたに及んだ、ということなのです。

主イエスは、加えてこうおっしゃっています。

「人の子の悪口を言う者は皆許される。しかし、聖霊を冒涜する者は許されない」

主イエスがもっていらっしゃる力の源、その権威の源である神・聖霊を冒涜する人は許されません。

私たちが聖書を読む上で一つ踏まえておかなければならないのは、当時の世界には主イエス以外にも奇跡を行う人がたくさんいた、ということです。使徒言行禄にも、何人も魔術師が登場します。

サマリアにはシモンという魔術師が魔術を行い、人々を驚かせていました。そこにペトロがやって来て人々に洗礼を授けると聖霊が降るのを見ます。シモンは、ペトロに金を払って、「私にも聖霊を授ける力を授けてください」と言いますが、「神の賜物を金で手に入れられると思っているのか」と叱られてしまいます。

キプロス島にも、パウロの宣教の邪魔をしたバルイエスというユダヤ人魔術師がいました。彼は目が見えなくされてしまったことが記録されている。

聖書は私たちにはっきりと、天からの力による御業と、人間の手による不思議な業を区別して示しています。そしてその力の源を見分けることを私たちにいつも求めているのです。

さて、スケワの7人の息子たちは、主イエスのお名前を持ち出して悪霊に立ち向かいました。聖書には、こう書かれています。

「試みに主イエスの名を唱えて『パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる』」と言った。

ここに、彼らの信仰の姿勢が現れています。彼らは、「試みに」こんなことをしてみたのです。自分がキリストに救われ、キリストに召され、用いられて悪霊に立ち向かったというのではありません。「パウロにできるのであれば、自分たちもイエスの名前を使って悪霊払いができるのではないか」、という思いでした。浅はかなスケワの息子たちは逆に悪霊に痛めつけられてしまいました。

この出来事は滑稽さを帯びた、笑い話のようにも読めるでしょう。しかし、スケワの息子たちと悪霊のやり取りの中に、私たちの信仰生活の本質が透けて見えます。

この悪霊の質問は、私たちにとっても重要な意味を持っているのではないでしょうか。スケワの息子たちは、「お前たちは何者だ」と悪霊から問われています。彼らは何と答えたでしょうか。何も答えていません。答えることができなかったのではないでしょうか。この時、悪霊が納得できるような答えができたら、悪霊は逃げ去って行ったかもしれません。

我々人間は常に悪霊から「お前は何者だ」と問われているのではないいでしょうか。「イエスのことは知っている。しかしお前は何者だ」、悪霊からそう聞かれて私たちはどう答えるでしょうか。

自分の名前を答えるでしょうか。

自分の社会的な肩書で答えるだろうか。

自分の家系図を持ち出すでしょうか。

悪霊がここで尋ねているのは、もっと霊的なことです。「お前は何者だ」とは、言葉を変えると「お前と神とどういう関係にあるのか。お前とキリストとの関係はどういうものか」ということです。我々はいつでも、神との関係、キリストとの関係を問われているのです。自分は神とどれぐらい近くにいるのか、今自分はキリストからどれくらい離れてしまっているのか・・・

実は、聖書が全体を通して私たちに問いかけているのはそれなのです。創世記の初めで、神は、御自分から身を隠したアダムとエバを「どこにいるのか」とおっしゃって探されたことが書かれています。「あなたはどこにいるのか」という神の声は、今も私たちに向けて発せられています。

「お前は何者だ」という悪霊の問いと、「あなたはどこにいるのか」という神の問いは、結局は同じことでしょう。我々キリスト者は、神との契約関係をいつでも問われているのです。本当に神の御前を生きているか、イエス・キリストの十字架の痛みに対して誠実に生きているか・・・。

パウロはどうだったでしょうか。

パウロは後に、手紙の中でこう書いている。

「思い上がることのないようにと、私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです・・・主は、『私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」

「私たちは・・・宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために」

「このわたしには、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」

悪霊は、私たちに向かって「お前は一体何者か」と問いかけてきます。その問いを通して私たちが問われているのは、「あなたは誰のものなのか、あなたは誰に仕えているのか、あなたは誰の配の中に生きているのか」ということです。

私たちは「イエス・キリストだ」と答えるのです。「私はイエス・キリストのものであり、キリストに仕え、キリストの支配の中に生きている。私はキリストの器であり、私たちの弱さを通してキリストはご自分の栄光を示されるのだ」と。 Continue reading

4月30日の礼拝説教

使徒言行禄19:1~10

「人々はこれを聞いて、主イエスの名によって洗礼を受けた」(19:5)

北アフリカのアレクサンドリアから、エフェソの町にアポロという雄弁なキリスト者が来て、大胆にキリストの福音を語りました。アポロは次に海を渡ってコリントの町へと向かっていきました。

それと入れ替わりで、パウロがエフェソの町に入って来ました。エルサレムとアンティオキアの教会への自分の福音宣教の報告を終えて、ガラテヤ、フリギアの地方にある諸教会のキリスト者たちを励ましながらエフェソにやって来たのです。

エフェソの町にも「12人ほど」の、小さなキリスト者の群がありました。パウロやアポロが来る前に、他のキリストの使徒が福音を既に伝えていたようです。そこに、コリントからパウロと行動を共にするようになったアキラとプリスキラが来て、またその後アポロが来たりして、イエス・キリストを信じる人が少しずつ与えられてきたのでしょう。

これまでパウロは、キリストの福音を知らない人たちに、イエス・キリストの十字架と復活を告げ、神が聖書を通して預言してこられた救いの実現を伝えて来ました。しかしこのエフェソでは、すでに福音を知っている人たちに、更に自分が神から示されたことを伝えることになりました。他の使徒たちがすでに伝えた福音を壊さずに、自分に示された福音の理解を加えていく、ということはこれまでにない難しさがあったでしょう。パウロにとって、新たな試練だったと思います。

パウロはキリストの福音を既に受け入れていたエフェソのキリスト者たちに何を伝えるべきかを探るために、一つの質問をしました。

「信仰に入った時、聖霊を受けましたか」

パウロは「洗礼を受けた時、聖霊を受けたかどうか」、ということを、信仰の一番根本にあることとして、重要視したようです。

エフェソのキリスト者たちは、パウロの質問に対して「聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と答えました。「それならどんな洗礼を受けたのですか」と尋ねると、「ヨハネの洗礼です」と言います。パウロは、エフェソの信仰者たちが知っているのは「ヨハネの洗礼」だけで、「聖霊が本当にあるかどうかも聞いたことがない」、と答えたことを問題視しました。

エフェソ教会で聖書を語ったアポロも、知っているのは「ヨハネの洗礼」でした。「ヨハネの洗礼しか知らない」、ということは、どうやらキリスト者として何かが不足している、ということだったようです。

洗礼者ヨハネは、イエス・キリストが来られる前に、エルサレムの町から少しはずれた荒れ野で人々に洗礼を授けていた人でした。エルサレムからはるか遠く離れた場所で暮らしていたエフェソのキリスト者たちは、「ヨハネの洗礼」だけは伝え聞いていました。しかし、「イエス・キリストの名による洗礼」はまだ知らなかったのです。

パウロはエフェソ教会の人たちに「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです」と説明しました。そして改めて、エフェソの信仰者たちに「主イエスの名による洗礼」を授けました。するとエフェソの信仰者たちの上に聖霊が降り、異言を話したり、預言をしたりしたのです。

さて、私たちは、ここで考えさせられる。「ヨハネの洗礼」と「キリストの名による洗礼」は、何が違うのでしょうか。「ヨハネの洗礼」には、一体何が不足していたのでしょうか。

洗礼者ヨハネ自身は荒れ野でこう言いました。

「私はあなたたちに水で洗礼を授けるが、私よりも優れた方が来られる。・・・その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」

ヨハネは「水」で洗礼を授け、キリストは「聖霊と火」で洗礼を授けられる、と言っています。「水」による清めと、「聖霊と火」による清めの違いがある、ということがわかります。

ヨハネの洗礼は、「水」によって罪のけがれを洗うという儀式でした。神から離れて生きていた自分と決別し、神の元へと立ち返り、神と共に生きる、という「罪の自分」との決別でした。

イエス・キリストの名による洗礼はどうなのでしょうか。「聖霊と火」による洗礼とはどういうことなのでしょうか。聖書で「火」は「神の裁き」を象徴する言葉です。火で金属が精錬されていくように、信仰者も、聖霊と火によって清くされていくことになります。

私たちは、イエス・キリストの名による洗礼を通して、「罪の自分」との決別に加えて、世の終わりにある「神の裁き」へと向かいながら「聖くされていく」ということでしょう。

エフェソのキリスト者たちは、「ヨハネの洗礼」を通して、「罪の自分に死ぬ」、ということは体験していました。しかし、過去に決別した後、これからどこへと向かって行くのか、ということはまだはっきりわかっていなかったようです。

彼らは、主イエスの名による洗礼を通して、「自分たちは世の終わり向かっており、そこに続く道をイエス・キリストと共に、聖霊に導かれて清められながら歩んでいる」ということを知ったのです。その道の上で、日々新たにされていく歩みへと踏み出しました。このことが、「キリストの名による洗礼によって新しく生まれる」、ということだったのです。キリストの名による洗礼を通して、人は新しい道を歩み始めます。これまでの道との決別に加えて、私たちには次の一歩が与えられるのです。

エフェソの12人の信仰者たちは、新しく、どこに向かっているのかをはっきりと知って道を歩み始めました。12は、イスラエルを象徴する数字です。この12人は、エフェソの町によける新しいイスラエル・新しい神の民として聖霊と共に歩み始めたのです。

私たちは改めて洗礼というものを考えたいと思います。自分の洗礼を振り返ってどうでしょうか。何を考えて、何を求めて洗礼を受けたでしょうか。「もう忘れた」こともあるでしょうが、確かなのは、「新しい自分」を求めた、ということでしょう。それまでの自分との決別を求めて、次に新しくなる自分に期待をして受洗したのではないでしょうか。「神を知らず、神から離れて生きる自分」と決別して、「神と共に生きる自分」になりたかったでしょう。キリストなしの人生を考えられなくなったのではないでしょうか。

パウロは後に、コリント教会への手紙にこう書いています。

「世の終わりに、おのおの「火によって吟味される」 そして「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」と言っています。キリストの名によって洗礼を受け、聖霊と火で罪を洗っていただいた私たち自身、聖霊の住まいなのです。私たちは聖い神殿であり、聖い霊の住まいとされたのです。

私たちは、洗礼によって過去と決別しただけではありません。キリストは、十字架へと上げられる直前に、弟子達におっしゃいました。

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私の下に迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこへ行くのか、その道をあなた方は知っている。」

キリストがおっしゃった通り、私たちは、洗礼を受け、聖霊に導かれて、いずれどこにたどり着くのかを知っています。キリストが用意してくださった場所へと今も進んでいるのです。肉体の死を超えてキリストは共にいてくださいます。死を超えたインマヌエルという恵みを私たちはいただきました。

世の終わりには神の裁きがあります。神の前に立って裁かれるその場所へと、私たちは今どう生きるべきでしょうか。キリスト者はそれを考えて日々を生きるのです。

パウロは、「聖霊を受けたかどうか」ということにこだわりました。私たちは、ここでも更に考えさせられるでしょう。

「自分は聖霊を受けているのか。どうやったらそれがわかるのか」

「聖霊」という言葉は聖書の中にたくさん出てきますが、それが一体何なのか、自分にどういう働きを及ぼしているのか、よくわからないのではないでしょうか。

ある人は、「聖霊は私たちに神への恐れを生じさせるものだ」、と言っています。聖霊は、神への恐れを、本当に恐れるべき方を教える力だ、と言うのです。確かにそうでしょう。

聖書で「霊」は、「息」「風」と同じ言葉です。聖霊というのは、聖い息であり、聖い風でもあるのです。創世記にあるように、人は、鼻に神の息を吹き込まれて生きるものとされました。そして人は聖い風に吹かれて、行くべき場所へと導かれていきます。

聖霊は私たちを生かすものなのです。そのことを思うと、この息・風を吹かせてくださる方への恐れへと私たちは導かれるのではないでしょうか。

使徒言行禄の5章に、アナニアとサフィラの夫婦が、土地の代金をごまかしてキリストの使徒たちに献金をしたことが、書かれています。人を騙して得た金を夫婦で神に捧げました。そのことで二人は、主の「霊」に打たれて死んでしまいます。

アナニアが倒れて息が絶えたのを見た「人々は非常に『恐れた』」とあります。妻のサフィラも倒れて息が絶え、「教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に『恐れた』」とあります。 Continue reading

4月23日の礼拝説教

使徒言行禄18:23~28

「彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった」(18:25)

パウロは二度目の宣教旅行で、ヨーロッパ大陸へと聖霊に導かれて来ました。福音宣教の旅を終えて、エルサレム、アンティオキアへと戻っていきました。23節には、パウロがしばらくアンティオキアにしばらく滞在したことが書かれています。アンティオキアで次の福音宣教の旅の準備を整えながら、出発するのにいい時期・季節を待っていたのでしょう。

ここからパウロの三度目の福音宣教の旅が始まることになります。この第三回福音宣教の中でパウロは多くの手紙を書き残すこととなりました。後のそれらの手紙が、新約聖書の中に入れられ、今の私たちの元へと残されることになります。

まず、このことを少し考えておきたいと思います。なぜパウロは、旅をしながらいろんな教会に手紙を書いたのでしょうか。理由は簡単です。それぞれの教会で、いろんな問題が起こっていたからです。

パウロはコリントの信徒への手紙の中でこう書いています。

2コリ11:28 「日々私に迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。誰かが弱っているなら、私は弱らないでいられるでしょうか。誰かがつまずくなら、私は心を燃やさないでいられるでしょうか」

パウロが自分の足で駆けずり回っても解決しきれないほど、諸教会の中に問題が起こっていたのです。パウロはいろんな教会に手紙を書き、教会が純粋な教会として、聖いキリストの体として、誠実な信仰共同体であるよう、訴えていったのです。

パウロが第三回宣教旅行の中で、いろんな教会を心配して書き送ったたくさんの手紙が新約聖書に入れられて、今まで教会で大切に読まれてきました。教会は、パウロの手紙の中に見られる諸教会の問題を他人事とせず、自分たちへの戒めとして読んできました。パウロが当時抱いていた「厄介ごと、心配事」は今の教会にも変わらずある、ということなのです。教会の中に起こってくる問題は、根本的なところでは今も昔も変わらないのです。

教会は「設立されてそこで完成」、自分は「キリスト者となってそれで終わり」、というものではありません。それはスタートであってゴールではないのです。自分がキリスト者になることよりも、キリスト者であり続けること、キリスト者としてまっすぐに歩み続けることの方が実は難しいのです。教会を作ることよりも、教会がキリストの体として正しく立ち続けること、キリストの十字架によって敷かれた道を踏み外さずに歩み続けることのほうが難しいのです。

旧約聖書に記されているイスラエルの歩みを振り返るとよくわかります。何の取柄もない弱小の民イスラエルを、神はただ愛され、御自分の民とされました。イスラエルは神と契約を結び、神と共に生きる道を選び取りました。

しかし、その後のイスラエルを見ると、この世の誘惑の中で、神の民として相応しく歩めなかった、ということがわかります。イスラエルは、神が示された道を何度も踏み外してしまいました。旧約聖書は、そのイスラエルの失敗の歴史の記録です。

イスラエルが出エジプトを終え、これから約束の地に入ろうとする直前で、神はモーセを通しておっしゃいました。

申命記8:11以下 「あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が増え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心驕り、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい」

この言葉は、今の私たちにとっても有益な警告ではないでしょうか。この世には、私たちを神から引き離す誘惑に溢れています。満腹になり、大きな家に住み、財産を得て、心がおごる時、私たちの心はそれでも神に向いているでしょうか。

神は、約束の地に入るイスラエルに、前もって警告なさいました。それにも関わらず、イスラエルは約束の地に入り、すぐに快楽を伴う偶像礼拝へ心惹かれていったのです。

同じ誘惑が今、キリスト教会に、キリスト者に向かいます。私たちは洗礼を受け、そこからキリスト者としての本当の歩みが始まります。それは、誘惑との戦いの日々が始まる、ということです。神が示された道を歩むことが出来ているかどうか、私たちはいつでも聖書から問われるのです。

さて、パウロがアンティオキアに戻っている間、エフェソの町ではアキラとプリスキラの夫婦がそこに留まってパウロ帰りを待っていました。ここでアポロという人が登場します。この人は、アレクサンドリアという北アフリカにあった街からやって来たユダヤ人でした。「聖書に詳しい雄弁家」であった、とあります。

この人がどのようにイエス・キリストのことを知ったのかは書かれていません。使徒言行禄には記録されていないところでも、福音はアフリカにまで何らかの形で広がっていた、ということがわかります。無名の使徒たち・キリスト者たちの、知られていない福音宣教がありました。

アレクサンドリアは、地中海全域に離散して住んでいたユダヤ人の共同体の中で最も栄えていた都市です。非常に洗練された学問の都で、当時、博物館や図書館も建てられていました。ギリシャとユダヤの高度な文化交流がなされていた町です。

アポロはそのような町で生まれ育った、非常に高度な教養のあった人でした。ユダヤ人だったので、聖書に精通していました。それだけでなく、アポロは、「主の道」を受け入れていた、と書かれています。「ナザレのイエスをメシア、キリストとして受け入れ、信じていた」、ということでしょう。

アポロはエフェソの会堂で雄弁に、大胆に聖書とイエス・キリストを正確に語りましたが、ここをよく見るとアポロは「ヨハネの洗礼しか知らなかった」と書かれています。「ヨハネの洗礼しか知らなかった」ということがどういうことなのかはよく分かりませんが、イエス・キリストに関して、何か理解が足りなかったようです。そこで、アキラとプリスキラは、アポロを自分たちの滞在場所に招いて、もっと正確に「神の道」を説明しました。

これは不思議な光景です。学術都市アレクサンドリアから来たエリートの学者アポロに、ローマから追放された革職人のユダヤ人夫婦が聖書を教え、それをアポロが謙虚に聞くのです。

アポロは夫婦から正しく福音を聴き、海を越えてヨーロッパのギリシャのアカイア州、コリントの町に渡って行きました。今日読んだ最後のところを見るとこう書かれています。

「アポロはそこへ着くと、すでに恵みによって信じていた人々を大いに助けた。彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである」

この「ユダヤ人」というのは、パウロをコリントから追い出したユダヤ人たちのことです。そんな人たちを相手に、メシアはイエスであると聖書に基づいて語り、「説き伏せた」というのですから、アポロの言葉はパウロ以上に激しく、説得力があったのでしょう。

パウロはコリントの町にこう手紙を書いています。

1コリ3:4以下 「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」

教会の成長は不思議です。その時その時で、必要な働き手が与えられるのです。コリントの町では、初めにパウロが行き、福音を伝えましたが、途中でユダヤ人たちによって追い出されてしまいました。しかしその後にアポロが来て、そのユダヤ人たちを説き伏せるのです。そうやって、必要な時に必要な仕方で福音の種がまかれ、水が注がれ、神による成長が与えられるのです。

パウロは、こう書いています。

1コリ3:9 Continue reading

4月16日の礼拝説教

使徒言行禄12~22

「『神の御心ならば、また戻ってきます』と言って別れを告げ、エフェソから船出した。」(18:21)

神は、教会の迫害者であったパウロをキリストの使徒として召し出す時、こうおっしゃいました。

「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに私の名を伝えるために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、私は彼に示そう」使徒言行禄 9:15 

教会の迫害者サウロは、「神の名のために苦しむ器」として召し出され、使徒パウロとなりました。神に選ばれる、ということは、特別に「いい思い」をさせてもらえる、ということではないことがわかります。むしろ、神に召し出されるのは、神のために苦しみながら働くためなのです。

このことは、パウロだけでなくキリストの使徒たち、そしてキリスト者にも言えることでしょう。パウロ自身、キリストに従う人たちに、「神の国に入るには多くの苦しみを経なくてはならない」と言っています。キリストに従う、ということは、キリストのために、キリストと共に苦しむということでもあるのです。

パウロは、教会を迫害する者から教会のために迫害される者となりました。わざわざ、「苦しめる側」から「苦しめられる側」に回りました。なぜ、自ら進んで苦しい道を歩み始めたのでしょうか。私たちはパウロの姿に、信仰の不思議を見ます。

パウロや、キリストのために厳しい道を行く他の使徒たちの姿や、迫害を受けながらもキリストに従い抜こうとする教会の姿を通して、今自分を導いている力の不思議を考えさせられると思います。

パウロたちはここまで、聖霊によって導かれてきました。異邦人教会の拠点であったアンティオキア教会を出発し、アジアの町々を巡り、ヨーロッパ大陸にまで導き入れられました。ヨーロッパに渡ってから、フィリピ、テサロニケ、ベレア、アテネ、コリントとめぐって来ましたが、パウロ、シラス、テモテは、どの町でもキリストの名のもとに迫害を受け、追い出されてきました。

しかし、そのような迫害の中で、イエス・キリストを信じるようになった人たちもわずかに与えられてきたのです。福音を聞いた人たちが皆感動して、大勢の人が信じるようになり、いきなり大きなキリスト教会ができた、というのではありません。迫害の中で、わずかにキリストを受け入れる人たちが与えられ、その少数のキリスト者たちがパウロたちがいなくなっても信仰に留まり、キリストの使徒たちのようにキリストのために共に苦しむ道を選んでいきました。その小さな群れが教会の芽生えとなっていったのです。

信仰に留まり、キリストの名を抱いて生き抜いた信仰者たちの足跡が、神の国を求める人たちにとっての道しるべとして残っていくことになりました。使徒たち、キリスト者たちのその時代、その時代の信仰の痛みは無意味なものではなかったのです。キリスト者たちの小さな信仰の歩みは、確かに神の国へと続く道に足跡を残し、後から来る人たちの道しるべとなっていきました。キリストの十字架の痛みが神殿の垂れ幕を真っ二つに割いて神の国への道を拓いたように、キリスト者の信仰の歩みが、神の国への道筋を、それぞれの時代で示すことになっていったのです。

今日私たちが読んだ場面でも、使徒たち、また教会の人たちが受けた困難を見ることが出来ます。パウロはコリントの町に腰を据えて、1年6ヶ月福音を伝えてきました。コリントは、ギリシャのアカイア州の首都です。ここはローマの地方総督が駐在するところでした。

コリントの町に、新しいローマ総督ガリオンが着任しました。するとユダヤ人の一団がパウロを襲い、コリントに新しくやって来たローマの総督に訴えました。ガリオンがコリントにいた時期を踏まえると、今日読んだ出来事は、紀元51年ごろに起こったことと考えられます。

パウロは、同胞であるユダヤ人たちによって訴えられました。ユダヤ人たちは、「ナザレのイエスこそ、聖書が到来を預言して来たメシアである」、と言うパウロを信じることが出来なかったのです。「十字架で殺されるような者がなぜメシアなのか。しかもそのイエスは墓の中から復活した、などと言っている。そんなことを自分たちの会堂の近くでいいふらしている。危ない思想だ」・・・そういう思いだったでしょう。

コリントの町に住んでいたユダヤ人たちは、総督ガリオンに向かって、「この男は、律法に違反するような仕方で神を崇めるようにと、人々をそそのかしております」とパウロを訴えました。「ローマ帝国内では許されない信仰だ、帝国を転覆しようとしている、新しい王を立てようとしている危険思想だ」ということです。

当時のローマ皇帝は、ユダヤ人に対していい感情を持っていなかったようです。紀元49年、ローマ皇帝は、ローマの町からの「ユダヤ人を追放令」を出したばかりなのです。ユダヤ人たちは、パウロをローマ帝国にとって危険な人物として逮捕させようとしました。

しかし、ローマ総督ガリオンは、彼らの訴えを聞いても関わろうとしませんでした。「問題がユダヤ人の教えとか律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい」と冷たくあしらうのです。それはユダヤ人共同体内部の問題であり、ローマ帝国の問題ではない、「私はそんなことの審判者になるつもりはない」と取りありませんでした。

結局ユダヤ人たちは、訴えを聞いてもらえませんでした。彼らは自分たちのうっ憤を晴らすために、パウロたちに自分の家を礼拝の場として提供していたソステネという人をつかまえ、法廷の前で殴りつけました。

私たちはこの場面を通して、イエス・キリストの裁判を思い出すことができるのではないでしょうか。主はユダヤ人に捕らえられ、「律法に反している」と言われ、ローマの権力の元へと引っ張って行かれました。「この者はユダヤ人の王であると自称した危険人物だ」とユダヤ人たちが訴えても、総督のポンテオ・ピラトは相手にしませんでした。ここでのガリオンは、その時のピラトのようです。キリストの使徒パウロは、裁判にかけられた際のキリストに重なって見えます。

私たちは、ここに教会が背負う十字架を見ます。主イエスは、「あなたがたには世で苦難がある」とはっきりおっしゃいました。キリスト者・教会には、この世で自分たちが背負う十字架があるのだ。

なぜキリスト者はこの世から迫害を受けるのでしょうか。何も悪いことをしていないのに。ただ、キリストがおっしゃった「神を愛し、隣人を愛する」という律法を守ろうとしているだけなのに。ただ、キリストに向かって祈り、礼拝しているだけなのに。

私たちは何か悪いことをしているから迫害されるのではない。ただ、「キリストのために」迫害されるのです。キリストを信頼し、キリストが示してくださった道を行こうとしている・・・ただそれだけで迫害されることになるのです。

なぜでしょうか。キリストを憎み、キリストを恐れる力があるからです。イエス・キリストを憎み、神から私たちを引き離そうとして、神の国を見えなくさせる罪の力があります。罪の誘惑の力が一番に襲うのは、教会であり、キリスト者です。キリスト者として生きる、ということは、実は、一番この世の誘惑の逆風を強く受けるところを歩く、ということなのです。

旧約の預言者たちがそうでした。キリストの使徒たちがそうでした。代々の教会がそうでした。彼らはそれでも、神が共にいてくださって逆風の中を歩みぬいてきたのです。

さて、コリントの町でこのような苦難があったパウロですが、この後、コリントの町を去ることにしました。これ以上そこにいたら暴力が広がることを心配したのでしょう。そして宣教の拠点であるアンティオキアに一度戻ることにしました。パウロとシラスがアンティオキアを出発して3年が経過していたので、一度戻って、宣教の報告をしようと考えたのでしょう。

コリントの町でパウロの生活と宣教を支えたプリスキラとアキラも同行することになりました。この時から、この夫婦は、キリストの使徒としてパウロと共に働くことになります。

パウロはアンティオキアに戻る際、コリントのすぐ近くのケンクレアイの町で、「誓願を立てていたので髪の毛を切った」、とあります。男であれ、女であれ、特別の誓願を立てて神に自分を捧げる人のことをナジル人と呼びますが、パウロは恐らく「ナジル人」として神を伸ばしていたのでしょう。おそらく、この旅の間、神のために、キリストのために自分を捧げ尽くす、という誓願を立てていたのでしょう。

パウロは最初の宣教旅行でも、いろんな町で迫害を受けました。それにもかかわらず、二度目の宣教旅行に出かけました。いろんな嫌な思いをしながら、なぜパウロはそこまでキリストのために働くことが出来たのでしょうか。

旧約聖書にエレミヤという預言者のことが書かれています。エレミヤは、若い時、20歳になるかならないかぐらいの時に、神に召されました。エレミヤは神から呼びかけられるとこう言いました。

「ああ、わが主なる神よ。私は語る言葉を知りません。私は若者にすぎませんから」

しかし神はおっしゃいます。

「若者に過ぎないと言ってはならない。私があなたを、誰のところへ遣わそうとも、行って私が命じることを全て語れ。彼らを恐れるな。私があなたと共にいて、必ず救い出す」

神は繰り返しおっしゃいます。

「私があなたと共にいて、救い出す」

エレミヤは迫害に苦しみながらイスラエルの人たちに神の言葉を伝え続けました。彼はある時、こう叫びました。

「主の言葉ゆえに、私は一日中、恥とそしりを受けねばなりません。主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい、と思っても、主の言葉は、私の心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃えあがります。押さえつけておこうとして私は疲れ果てました。私の負けです」

エレミヤは「涙の預言者」と呼ばれる人です。神の言葉を伝えることは苦しかった、しかし、やめることはできなかったのです。 Continue reading

4月9日の礼拝説教(イースター礼拝)

ルカ福音書23:26~43

「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです』」(23:34)

イースターの朝を迎えました。十字架で殺されたはずのナザレのイエスの墓が空になり、人々が驚き怪しんだ朝です。そしてそれは同時に、イエス・キリストを信じ従っていた人たちが、復活なさったキリストに出会い、永遠の命の信仰を確かなものにした朝でもあります。

今日私たちは、ルカ福音書に記された、主イエス・キリストの十字架のお姿を見つめたいと思います。そして、この方の十字架によって私たちがどのように死の力から救われたのか、ということを学んでいきましょう。

主イエスが十字架に上げられたのは、「されこうべ」と呼ばれている処刑場でした。アラム語で「ゴルゴタ」、ラテン語で「カルバリア」と呼ばれています。なぜそこが「されこうべ」と呼ばれていたか、というと、その処刑場が崖の上にあって、その崖が、少し離れたところから見ると骸骨に見えたからです。死を連想させる恐ろしい名前が付けられた場所でした。

古代の歴史家は、十字架刑のことを「最も憐れむべき死」とか、「奴隷に課せられる一番の拷問」という表現で記録しています。それだけ壮絶な苦しみを伴う処刑法だったということです。

十字架の罪人は自分が釘で打ち付けられる木を自分で処刑場まで運ばされました。イエス・キリストは9時に十字架に釘で打ち付けられ、それから6時間もの間苦しんで、死なれました。

この方の死は何だったのでしょうか。なぜこの方は死ななければならなかったのでしょうか。

私たちは、この方のことを、「犯してもいない罪で有罪とされ十字架に上げられた不運な人・悲劇の人」として見ることもできます。しかし聖書は、この方の十字架の死について、「非業の死を遂げた英雄」のようには伝えていません。預言によって伝えられてきた神の救いの御業の実現であると教えています。

はじめて福音書を読む人は、主イエスが十字架で殺されてしまったことを、不可解な悲劇として受け止めるのではないでしょうか。しかし、旧約聖書を見ると、この方の死は決して不可解なものでも、偶然でもなく、神が時を選んでご準備されていた救いの御業であったことがわかります。

旧約聖書の詩編の中に、信仰者が苦しみの中から神に祈り求める言葉があります。詩編22編や69編を見ると、このような詩人の嘆きの言葉があります。

詩編22:7~9「私は虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。私を見る人は皆、私をあざ笑い、唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう』」

詩編22:19「骨が数えられる程になった私の体を彼らはさらし者にして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」

詩編69:21~22「嘲りに心を打ち砕かれ、私は無力になりました。望んでいた同情は得られず慰めてくれる人も見出せません。人は私に苦いものを食べさせようとし、渇く私に酢を飲ませようとします」

十字架の上のイエス・キリストこそ、詩編で歌われ預言されていたる苦しみの信仰者の姿でした。

キリストの十字架の周りにいた人たちはどうだったでしょうか。民衆、ユダヤの指導者たち、ローマ兵たち、そして主イエスと一緒に十字架に上げられた二人の強盗がいました。

35節では、「民衆は立って見つめていた」とあります。日曜日に主イエスがエルサレムに入場された時には、民衆は歓喜の歌をもって、迎え入れました。しかし、金曜日の朝、たった五日で、民衆の喜びは消えました。「メシアではないか」と喜びをもって迎えたその人が十字架に上げられているのです。民衆は黙って主の十字架の前に立ち、そのお姿を黙って見つめるしかありませんでした。

民衆とは対照的なのが、ユダヤの指導者たち、ローマ兵、そして主イエスと一緒に十字架に上げられた二人の強盗の内の一人でした。ユダヤの指導者たちも、ローマ兵も、強盗の一人も、皆同じことを主イエスに向かって言いました。

「自分を救ってみろ」

確かにそうでしょう。これまで主イエスはたくさんの人たちを救ってこられました。病気を癒し、悪霊を追い払い、「あなたのもとに神の支配は届いている」と伝えて来られました。

「神からのメシアなら、選ばれた者なら、ユダヤ人の王なら、自分自身を救ってみろ。他の人たちのことは救えたではないか」と言うのが普通でしょう。世界に救いをもたらすメシアであれば、十字架で殺されるなんてことがあるはずがないのです。

しかし、御自分を嘲る人たちのために、主イエスは神にこう祈られました。

「父よ、彼らをお許しください。自分が何をしているのか知らないのです」

彼らが「知らなかったこと」とは何だったのでしょうか。

ヘブライ人への手紙9:12にこうあります。

「キリストは・・・ご自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです・・・ご自身を傷のないものとして神に捧げられたキリストの血は、私たちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです」

人々は、自分たちが十字架に上げて殺そうとしているこの方はキリストであり、御自分の血を流して、神との契約へと導き入れようとしてくださっているということを「知らなかった」のです。

イエス・キリストはご自分に苦しみを与える人たちのために執成して祈られました。

「父よ、彼らをお許しください」

この執り成しの祈りの言葉を、二人の強盗は隣で聞きました。強盗の一人は、主イエスを馬鹿にしました。自分が十字架に上げられているくせに、「彼らをお許しください」などと祈っているのが滑稽だったのでしょう。

しかし、もう一人の強盗は、その主イエスの姿に何かを見出しました。そして主イエスを馬鹿にするもう一人の強盗をいさめ、自分の罪を告白します。

「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」

この強盗は、主イエスと面識があったわけではないのです。十字架の上で捧げられた主イエスの壮絶な執り成しの祈りの言葉を聞いて、この方こそメシアであると確信したのです。

この二人の強盗を比べて見ると対照的です。主イエス罵った強盗は、「自分と我々を助けろ」と言いました。しかし、もう一人の強盗は、「私を助けてください」ではなく、「イエスよ、あなたの御国においでになる時には、私を思い出してください」という言葉でした。

この人が望んだことは、自分の命が助かることではなく、このイエスという方に自分を思い出してもらうことでした。この人は、自分の地上の命以上に価値のあることを、十字架上のイエスという方の中に見出したのです。

主イエスはこの人に向かって「あなたは今日私と共に楽園にいる」とおっしゃいました。イエス・キリストは、最後の最後まで、十字架の上においてまで、神との和解・神への立ち返りを罪びとにお与えになり、御国への道を拓かれたのです。

十字架の上にも、楽園はあるのです。イエス・キリストが共にいて、自分のことを思ってくださるのであれば、たとえ十字架の上であってもそこは楽園となるのです。

ヘブライ人への手紙にこう書かれている。

「イエスは、神の御前において憐み深い、忠実な大祭司となって、民の罪をつぐなうために、全ての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがお出来になるのです」 Continue reading

4月2日の礼拝説教

創世記2:4~15

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(2:7)

創世記1章には、「天地創造の七日間」が描かれています。神が六日かけて、この世界と、そこに生きる人間を創造されました。そして七日目に休まれ、その一日を聖別され天地創造の御業は終わりました。

今日私たちは、その続きを読みました。創世記を1章、2章と続けて読むと、少し混乱するかもしれません。1章で語られた神の天地創造の御業は、2章に入ってもう一度語りなおされているのです。

しかも、2章では1章で語られたのとは違う仕方・違う視点で語られているのです。1章では、神が七日かけて一日一日、このように天地に秩序を造って行かれた、ということを順を追って描かれます。2章では、不毛の大地に人間が造られ、その人間を中心に世界の秩序が創造されていく、という描き方がされているのです。

創世記が世界の始まりを違う角度で二度語り伝えている、ということを踏まえて、この2章の創造の記事から学ぶべき信仰の教訓を見出していきたいと思います。

2章では、神が不毛な世界に人間をお創りになった、というところから始まります。2章の創造物語では、とにかく人間という存在に目を向けているのです。人間が何から造られ、どのように生きるものとされたのか・・・私たちは人間の本質について考えさせられることになります。

2:7「主なる神は、土の塵で人を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きるものとなった」

元のヘブライ語では神が「アダマからアダムを造った」という表現がされています。多くの人は、最初に「アダムという名前の男性の人間」が造られた、と理解しているのではないでしょうか。しかし、聖書を細かく見ると、そんなに単純なことではないことがわかります。

1:27で既に、人間は神にかたどられ「神の似姿」として「男と女に創造された」ことが書かれています。そして2章に入り、神の創造をもう一度語りなおす段階にきて初めてこの「アダム」という言葉が出てくるのです。

ある神学者は、主なる神が「アダマからアダムを形作った」というこの一文を「土の塵で『人』を形作った」と訳すのは、訳しすぎている、と言います。この2:7の「アダム」という言葉は「人」ではなく、「土から造られたもの」と訳すべきだ、と言うのです。

私達は創世記を読みながら、「女性よりも男性の方が先に造られた、ということを聖書は伝えているのだろう」と考えるのではないでしょうか。しかし、聖書は、人の原材料は土である、ということをまず私達に示しているのです。

人間存在の一番根本的なこととして、「人間は土から造られた、この大地の生き物である。土から離れて生きることはできない存在であり、土と共に生きて行かなければならない存在なのだ」ということを私たちに教えているのです。

神は、陶芸家のように「土から造られたもの・アダム」を形作られました。それは、単なる土の器・置物として造られたのではありませんでした。神がその「土の産物・アダム」にご自分の息を吹き入れて、アダムは初めて、土の塊から「人間・アダム」となり、生きるものとされたのです。

この短い記述から私たちは「人間とは何か」、ということを聖書から教えられます。人間は土から造られ、やがて、土に返るものなのです。このことを我々はどれだけ考えているでしょうか。知識としては知っていても、どれだけそのことを意識して自分の生き方を選択しているでしょうか。土の器に聖い息を吹き入れ、私達を人間として生きるものとしてくださっている方にどれだけ思いを向けているでしょうか。

この2章の創造物語では、1章とは少し違う呼び方で神のことを呼んでいる。

1章では、神は「神」と呼ばれていますが、2章では神のことを「主なる神」と呼んでいます。

人が神によって土から造られ、神の息が吹き込まれて生きるものとされことを見ると、神は我々人間にとって、文字通り、主なる神、主(あるじ)であることがわかるのではないでしょうか。聖書は私達の真の支配者へとまず立ち返らせるのです。

このように、1章の創造物語と2章の創造物語は、まったく違った角度から天地創造を描いています。人間の創造については今見た通りです。それでは、2章ではどのように神が世界をお創りになったと語っているでしょうか。

2:4「主なる神が地と天を造られた時」とあります。1章では「天と地」です。2章では逆になって「地と天」と言っています。1章では「天」の方にまず焦点を当てていますが、2章では「地・大地」の方に焦点を当てているのです。

2章の創造物語が伝える神の創造以前の世界は「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった」ということでした。大地は「不毛」という「無秩序・混沌」に支配されていたのです。

なぜ大地が不毛だったのか、聖書は理由を二つ書いています。一つは、主なる神が地上に雨をお送りにならなかったから、そしてもう一つは土を耕す人がいなかったからです。

以前話したことの繰り返しになりますが、この創世記の天地創造の物語は、科学の論文や理科の教科書のように読むべきものではありません。イスラエルが今の私たちに神への信仰の本質を伝えている「信仰の物語」として向き合わなければならないのです。

神の秩序を正しく保つものは何でしょうか。それは、大地に雨を降らせてくださる神の御業と、その雨を受けた大地を耕す人の業である、というのです。聖書は、世界の秩序は、神が下さる恵みと、恵みに応える人間の調和に根差していることを我々に教えているのです。

神はその秩序のために、アダム・人間に二つのことをなさいました。人が生きるための場所をお創りになったことと、人に生きる目的をお与えになったことです。神は、エデンというところに「園」をお創りになって、人をそこに置かれました。そして人がエデンの園を「耕して守る」ことをお求めになりました。

神が不毛の大地の中に園を造られ、大地の土から造られた「土の生き物・アダム」をそこに置き、土を耕すものとされた・・・これが、創世記二章が伝えている創造の秩序なのです。

我々は土の上に生きています。当たり前のことです。その当たり前のことが、神によって与えられた神秘の恵みであることをどれだけ認識しているでしょうか。自分が、今踏んでいる土からできていて、土が生みだす恵みによって生きていて、その土を潤す雨が天から与えられている、ということが当たり前すぎて、そのことがどんなに深い神秘であるか、本当に意識して考えることは少ないのではないでしょうか。

聖書の創造物語は私たちをその根源的な神秘へと引き戻すのです。「あなたの原点はここにある。ここが、世界について神について自分について考える出発点なのだ」と私たちに示しています。

さて、2章の創造物語を見ると、1章の創造物語には書かれていない、不思議ものを神はお創りになっています。9節の最後に、神がエデンの園の中央に「命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた」とある。神が何のためにこの二本の木を園に置かれたのか、まだこの段階では明らかではありません。

この後蛇の誘惑を受けて人は善悪を知る木の実を食べてしまいます。そのことで神は人が善悪を知る者となったことを嘆かれ、次に「手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となる恐れがある」と人を楽園から追放されることになります。

どうやら、どちらも人が食べてはならない木だったようです。「なぜ神は人が食べてはならない二本の木をわざわざ園の中央に生えさせられたのだろうか」と素朴に疑問に思うのではないでしょうか。しかし聖書が伝えようとしているのは、単純に「人が土足で侵してはならないものがある」、ということではないでしょうか。

善悪を知る木の実を食べて、人は「神のように」なろうとしました。それに加えて人が更に「永遠に生きる者」になろうとすることを神は、良しとされませんでした。

「神のようになりたい」「命を好きなように操作したい」、という欲望が人間の心の奥底にあることを聖書は指摘しているのです。誰も否定することができない罪です。そのような人間の思いが世界の秩序をどんなに崩してしまうか、私たちは知っています。神の領域として私たちが踏み入れるべきではないものがこの世界にはあるのです。

忘れてならないのは、この創世記の言葉を書き残したのは、偶像礼拝によってエルサレムの都を失ったイスラエルの民である、ということです。これは「善悪を知る木」の実を食べ、神のようになろうとして神から離れ、偶像礼拝に走り、滅んだ信仰の民によって書かれた物語なのです。そのようにして読むと、この創造物語を単なる空想の産物として軽んじることはできないでしょう。

さて、この創世記2章を読むと、私たちにはまだ「命の木」が残されている、ということになります。このことをどう考えればいいのでしょうか。

「命の木」は新約聖書のヨハネ黙示録の最後に出てきます。ヨハネ黙示録はこの世の終わりの様子を描いている言葉ですが、22:14にこう記されています。

「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである」 Continue reading

3月26日の礼拝説教

創世記1:1~2:3

「この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された」(2:3)

聖書にはこの天地がどのように神によって造られたのか、そして神が人間にこの世界でどう生きてほしいと願われたか、ということが記されています。我々人間にとってのこの世界の意味と、この世界に生きる自分という存在の意味ということから描き始めるのです。

今日私たちは六日目と七日目の神の創造の御業に注目していきます。

神は人間を祝福してこうおっしゃいました。

「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物を全て支配せよ」

神が人間にこの大地を「従わせること」と、この世界に生きる生き物を「支配する」ことをお求めになっています。「従わせる」とか「支配する」という言葉がつかわれているので、ここを読んで誤解してしまう人は多いのではないでしょうか。「人間は神から大地を『従わせる』ことと、生き物を『支配する』ことが許されているのだから、この世界の中で自分たち本位で何をしてもいいのだ、人間さえよければいいのだ」という誤解です。

果たして聖書は、この世界における人間至上主義のようなことを伝えているのでしょうか。「地を従わせよ」とは、我々人間が土に対して何をしてもいいということなのでしょうか。「生き物を支配せよ」とは、人間はこの世界で特別な存在として造られたから、他の生き物に対して人間の優位にふるまっていい、人間だけがこの世界で尊厳をもつものである、ということなのでしょうか。

29節の神の言葉を見ると、そうではないことがわかる。

種を持つ草、種を持つ実をつける木が人間に与えられ、土に育った大地の実りで世界の生き物が養われていく・・・神がお創りになった世界の秩序はそういうものでした。人間が大地の土を食いつぶすということは自分の命を食いつぶすことである、ということはすぐにわかります。土は人間だけのものではないのです。大地は、全て命あるものを生かすために恵みを実らせていくものなのです。

「従わせる」「支配させる」という表現を理解する上で、天地創造の第四の日の神の御業を見ておきましょう。神は、天の大空に光る物を造り、昼と夜を分け、季節・日・年のしるしとして、大地を照らされました。二つの大きな光る物と星を造って、大きな方に昼を「治めさせ」、小さな方に夜を「治めさせられた」とあります。「従わせる」「支配させる」という言葉は、「治めさせる」という言葉と似ています。

太陽は昼を、月は夜をどのように治めているでしょうか。太陽は昼を昼とし、月は夜を夜としている・・・それぞれが昼の秩序、夜の秩序を守る、という治め方です。

このように、「支配させる」とか「従わせる」というのは、ここでは、人間が神の創造の秩序の中で、人間が大地に対して、生き物に対して重要な責任を与えられている、ということなのです。太陽と月が、昼と夜という神の秩序を正しく治めているように、人間は大地を、土を、種を実を、青草を、そして空、陸、海の生き物の営みを、神の光の秩序の中に正しく支配しなければならない、ということなのです。

創世記は誤解されやすい書物だと思います。一つ一つの言葉を丁寧に見て、神が一日一日創造の御業を振り返る際に「よし」とされた、ということを踏まえると、人間至上主義・人間中心主義がこの世界の秩序を壊してしまう、ということが分かります。

人間も、この世界の秩序の中に置かれているのですから、人間が創造主・被造物に対する敬いをなくした時、自分たちが秩序の崩壊に巻き込まれることになる・・・その当たり前のことがここで警告されているのです。

「人間は男と女に創造された」、とあります(26節)。男と女は神に「かたどって」造られた、神の似姿ででした。

ここも、いろんな誤った読み方がされるところではないでしょうか。「神に似せて男と女に造られた、というのであれば、男と女、どちらが神に似ているのか」、「そもそも神は男なのか、女なのか」などという議論になってしまうのです。創世記を読みながらそんなことを議論することは無意味です。人間の性別をいきなり神に当てはめて考えても答えは出ません。

神の似姿として男と女が造られた、ということは、人間は男も女も全ての人が神の祝福のもと造られ、神の栄光を与えられ、この世界の「支配」に等しく責任を持っている、ということです。神の創造の光に即して、世界を守り、世界を天地創造以前の「混沌の闇」に戻さないという厳粛な使命を、男・女、という性別にかかわらず持っている、ということなのです。

神は六日かけて天地の秩序を整えられました。1章の最後、31節を見ると、「神はお創りになった全てのものをご覧になった。見よ、それは極めてよかった」とあります。御自分の発する言葉によって造られたこの世界を、わが子のように、御自分の分身のように愛された、ということだ。

創世記1章を読むと、この天地の形は実際には6日間で造られた、ということがわかります。しかし天地創造にはあと一日、七日目がありました。七日かけて神が天地を創造された、ということは有名なことですが、実際は六日で造られ、七日目に神は何もお創りになっていません。7日目に神がなさったのは、休む、ということでした。

「仕事の手を止めて、休む」ということまでが、神の天地創造の業に含まれる、ということは不思議に思えるのではないでしょうか。しかし実はこのことが、大事なのです。天地創造の御業の中で、7日目に神が休まれた、そしてその日を特別に「聖別された」ということが、実は創世記が描いている天地創造の場面で一番大切なことなのです。

我々は神がお疲れになるとか、神にも休みが必要だった、などということはあまり考えないのではないでしょうか。「神なんだから言葉一つで簡単に世界を造った」ように決めつけてしまいがちです。

しかし、この世界の秩序をお創りになる神のお言葉の一つ一つにどれほどの重みがあったのか、ということもまた考えなければならないことではないでしょうか。

神は言葉によって世界を六日間かけて創造され、そして御自分が世界にお与えになった言葉、そしてその世界を、手を止めて見つめるための特別な一日を加えて初めて「天地創造」の完成とされました。逆に言えば、その7日目がなければ、6日間の創造の業は本当の意味では完成してはいなかったということです。

それではこの7日目にはどのような意味があるのでしょうか。「仕事の手を止めて休む、ということには、何の生産性もないではないか」、と考えるかもしれません。しかし、この7日目の「安息」こそが、他の6日間の創造の業に意味を与えるものなのです。

神が人間のために働かれた六日間と、神がご自分のために休まれた一日が、「天地創造の七日間」となりました。この七日間が、私たちがこの世界に生きる時間の秩序となっています。七日が一週間となり、私たちは七日をひとまとまりとして時間を数えています。

天地創造の7日目は、神がこの世界に礼拝を創造された日であると言いでしょう。私たちは自分たちのために日々働き、そして週に一度、働く手を止めて礼拝の時を持っています。私たちは礼拝の中で神の安息に倣い、この世界とその中に生きている自分自身を見つめ、そしてこの世界と自分を造られた神に心を向けます。神が手を休めてこの世界を見つめられたように。私たちは礼拝を通して、この創世記一章に記されている原点に戻るのです。

もしも、天地創造の7日目にもたれた神の安息がなかったとしたらどうでしょうか。人間は、自分たちだけのために生きて、土も、種も、実も、生き物も、自分のためだけにあるものだ、と人間至上主義に陥り、時間の秩序も作れず、滅びに至るのではないでしょうか。

我々は、自分を生かすために働く手を止め、本当に自分を生かしてくださっている神に心を向けます。そうやって、この世界を、自分を、神を見つめています。私たちが本当に人間らしくあれるのは、この時間が神から与えられているからなのです。

「人はパンだけで生きるのではない」、という神の律法、イエス・キリストのみ言葉は、私たちが神の安息に入れられ、礼拝の静けさの中で教えられていく真理なのだ。

そして私たちが忘れてならないのは、聖書が伝えているのは、人間がこの天地創造の光の秩序を壊してしまっているのではないか、という警告である、ということだ。聖書は、「あなたは創造の秩序を正しく『支配』しているか」と問いかけています。

使徒パウロは、ローマの信徒への手紙で書いています。

「世界が造られた時から、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることが出来ます」

だから、私たちには弁解の余地がない、とパウロは言います。

「神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなった・・・自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです」ロマ書1:18以下

創世記は、天地創造の場面を通して、「あなたは神の秩序を壊していないか」と問いかけてきます。この天地創造で、神がご覧になって「極めてよかった」と思われた世界は、実は人間が失ってしまった世界なのです。

この世界は、神がお創りになったものなのだから、パウロが言うように、神の栄光に満ち溢れています。しかし、人間はどれほどそれを見出しているでしょうか。

聖書は、この世界に神の栄光を見失って空しさを覚えている人に立ち返るべき世界・立ち返るべき創造主を示し、希望を与えようとしています。

イエス・キリストは人間が神から離れた罪を全て十字架で担ってくださいました。御自分の肉を裂かれ血を流し、それによって神殿の垂れ幕を真っ二つに裂いて、創造主へと立ち返る道を拓いてくださいました。

私たちは創世記の天地創造を読みながら、キリストが痛みをもって示してくださった神の国を見せられているのです。今、この礼拝へと、そしてこの天地創造の景色へと導いてくださったイエス・キリストに感謝したいと思います。私たちが立ち返るのは、ここなのです。

3月19日の礼拝説教

創世記1:1~2:3

「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」(1:26)

聖書は神がこの世界を七日かけて創造されたことをはじめに描いています。

1日目には「光あれ」という言葉と共に、昼と夜を創造されました。二日目には大空と水とを分けられ、三日目には、水を一つの所へとお集めになり、海と地を分け、地には草木が芽生えるようにされました。

四日目には天の大空に光るものをお創りになって、昼と夜を治めるようにされ、五日目に、水に生きるものと空に生きるものをお創りになり、それらの生き物を祝福されました。

神が六日目にお創りになったのは、地の上に生きるものでした。地の獣、家畜、土を這うものをお創りになり、それをご覧になって神は「よし」とされました。六日目の創造の業はそれだけでは終わりませんでした。続けて、神は人間という存在をお創りになったのです。

私達は今日、天地創造の六日目に目を止めて、神がどのような存在として私達人間をこの世界にお創りになったのか、そして神が我々人間に何を期待して、どんな使命をお与えになっているのか、ということを見て行きたいと思います。

創世記は、24節から31節まで、神が人間という存在をどんな思いでお創りになったのか、そして人間に何を期待してお創りになったのか、という六日目の創造の様子を、ほかの被造物の創造よりも詳しく書いています。神が人間という存在を、他の被造物と区別して、特別な存在として創造された、ということがわかります。

私達は、神がどんな思い・決心をもって人間をお創りになったか、神の心の声が記されています。

26節 「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うすべてを支配させよう」

この神の声を見ると、人間がこの世界の中に造られた、というよりも、世界が人間のために造られた、ということがわかります。世界にある全てのものが人間に与えられているというのです。

神は人間が生きるための秩序を整えて「よし」とされ、そこに人間の命を造られました。神は、ただ天地をお創りになったのではありません。人間が生きるための世界をお創りになったのです。

神は、人間をお創りになる際、「我々にかたどり、我々に似せて人を造ろう」とおっしゃっています。そして27節で、「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」と、人間が神の似姿として造られたことを強調しています。

「人間は神の似姿である、」とはどういうことなのでしょうか。私達は自分について何か考える際には、そこから始めなければならないのです。この世界に今生きている自分という存在について考える際、「今、ここで生きている自分とは一体何者なのか。」という問いを持ちます。それに対して、聖書は、「あなたは神の似姿なのだ」と答えるのです。

それでは自分が神にかたどられて造られた「神の似姿」である、とはどういうことなのでしょうか。簡単に言えば、人は神からいただいていないものはない、ということです。身体も心も、全て神から与えられた聖いものであり、それは社会的な身分や民族などには関係なく、全ての人が、神の栄光を映し出す聖い器である、ということです。

古代においては、その国の王様が「神の似姿」と見られていました。王が、神の権威をもって自分の国を支配している、と考えられていたのです。

しかし、創世記で明らかになっているのは、特定の人だけでなく、この世界に生きる全ての人間が神にとって特別であり、神は全ての人に等しくそれぞれに聖い使命を託していらっしゃるということなのです。

ある人には特別に価値があり、ある人には全く価値がない、というようなことはありません。人間はそう考えたくなるでしょう。自分は誰かよりも上だ、とか優れているとかいうことに目が向いてしまいます。

しかし、創世記は、全ての人間は神の手によって造られた者であり、神の祝福を受け、それぞれが神の栄光を映し出す器としてこの世界に生かされていることを伝えているのです。

「人間が神の似姿に造られた」ということを読んで間違えてならないのは、人間がこの世界で自分が神のように振る舞ってもいい、ということではない、ということです。

この後、創世記を読んでいくと、アダムとエバが蛇の誘惑に負け、楽園を追放されることが書かれています。

「アダム」は、ヘブライ語では「人間」という言葉であり、エバは「命」という意味の言葉です。アダムとエバが楽園を失った物語は、「人間の命」が神の光から離れてしまった、という私たちの罪の現実を描き出しているのです。

これは今の私達に向けて発せられている警告の物語です。「神の似姿である人間・神に造られた人間が、創造主を忘れて自分が神になろうとすると滅びを招く」という敬称なのです。

蛇の誘惑は、「あなたはその実を食べると神のようになれる」というものでした。アダムもエバも「神の似姿・神の聖さをいただいた者」でした。神に造られた命が神になろうとしたとき、どんな破滅を迎えるのかを創世記は教えているのです。

聖書が私達のことを「神の似姿」と言っているからと、この世界で神のように振る舞っていい、ということではありません。神の栄光を映し出す器が、神になろうとしたとき、その器は耐えられなくなって壊れてしまうのです。

パウロは手紙の中でこう言っている。

「私達は神のために力を合わせて働くものであり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。・・・イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、誰もほかの土台を据えることは出来ません。・・・あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」1コリ3:9~

「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、私達の心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。・・・私達はこのような宝を土の器に納めています。・・・私達は、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために。」2コリ4:7~

これらのパウロの言葉から考えると、人が「神の似姿」であるとは、私達が創造主の栄光を現わす器であり、イエス・キリストの命が現れる器である、ということがわかります。

そのことを踏まえると、私達は創世記に向き合いながら神に造られた者としてどうあるべきか、考えさせられるのではないでしょうか。他の被造物とは区別され、特別に祝福されたからと言って、思いあがって神のように振る舞うとどうなるのでしょうか。

キリスト教会が、イエス・キリストから離れ、キリスト者がまるで自分がキリストであるかのように振る舞ったらどうなるのか・・・聖書は私達に警鐘を鳴らしている。

神の救いのご計画のために用いていただく器として謙遜に自分を差し出すことこそが、神に造られた者・キリストに救われた者として一番「人間らしい」生き方なのだ。

神は、ご自分にかたどってお創りになった人間に、「生き物を全て支配せよ」とおっしゃいました。

28節  Continue reading

3月12日の礼拝説教

創世記1:1~2:3

「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(1:2)

導入

聖書を読みながらあまり考えないかもしれませんが、聖書の言葉はいつ、どこで、誰が、何のために書いたのか、ということを踏まえることは、誤った読み方をしないために大切なことです。私たちが読んでいる聖書は、突然天から降って来たものではありません。歴史の激動の中でイスラエルが旧約聖書の言葉を残し、キリスト教会が新約聖書を残してきました。信仰の民は、聖書の言葉を「人間に与えられた神の言葉・啓示」として大切に伝えて来ました。

今私たちが読んでいる旧約聖書の言葉は、紀元6世紀、バビロン捕囚という苦しみの中において書かれ、文書として編纂されて今の形になって行ったものです。BC587、エルサレムの町、そしてエルサレム神殿は、バビロンという巨大な帝国に破壊され、滅ぼされました。イスラエルの人たちはエルサレムからバビロンへと連れて行かれ、そこで囚われて生活することになったのです。

イスラエルはそれまで何百年も偶像礼拝を続けていました。そのイスラエルに、何人もの預言者たちが「真の神から離れてはいけない。神はあなたがたがしている偶像礼拝にお怒りになっている」と警告を発し続けてきました。

バビロンに滅ぼされる直前、エルサレムでエレミヤという預言者がこう言っています。

「まことに、ユダの人々は私の目の前で悪を行った、と主は言われる。私の名によって呼ばれるこの神殿に、彼らは憎むべき物を置いてこれを汚した。彼らはベン・ヒノムの谷にトフェトの聖なる高台を築いて息子、娘を火で焼いた。このようなことを私は命じたこともなく、心に思い浮かべたこともない。・・・私はユダの町々とエルサレムの巷から、喜びの声と祝いの声、花婿の声と花嫁の声を断つ。この地は廃墟となる」エレ7:30以下

偶像礼拝というものが、私たちが考えているよりも恐ろしいものであり、人間を狂わせてしまうものであったことがわかるのではないでしょうか。イスラエルの人たちは、偶像礼拝の儀式の中で自分の子供を火で焼いて捧げたりしていた、というのです。

預言者エレミヤは、「神はそのようなことをお命じになっていない。お怒りになっている。このままではエルサレムは神によって裁かれる」と言い続けました。そして、「神は偶像礼拝を続けるイスラエルを、バビロンの軍隊を用いて裁かれるだろう。だからバビロンに降伏して、素直に神の罰を受け入れなさい」と、伝えたのです。

しかし、イスラエルの人たちは「バビロンに降伏しなさい」と言うエレミヤを売国奴とみなし、預言を受け入れませんでした。エルサレムは神の都であり、自分たちは神の民イスラエルなのだから滅びるはずがない、という根拠のない信仰をもっていたのです。

結局、預言者の言葉は聞かれず、偶像礼拝を続けていたエルサレムにバビロンが攻めて来ました。街も、神殿も徹底的に破壊されました。エルサレムの人々はバビロンへと連行され、そこで囚われの身として生きることになったのです。

私たちが今日読んだ旧約聖書の創世記の言葉は、そのような中で書かれました。創世記から列王記まで、聖書は世界の始まりからバビロン捕囚までのイスラエルの歴史を描いています。この歴史を書いたのは、国を失い、神殿を失い、バビロンへと連れて来られたイスラエルの祭司たちだと言われています。イスラエルの信仰の責任を負っていた人たちです。

彼らには自責の念があったでしょう。自分たちは、祭司としてイスラエルの民の信仰を正しく導くことができなかった・・・預言者の言葉を聞き入れることもせず、偶像礼拝を排除することもできなかった・・・自分たちで神の怒り招き、エルサレムを失い、バビロンで生きることになってしまった・・・。

イスラエルの祭司たちが、「どうして神の民イスラエルがこんなことになってしまったのか」という思いをもって、世界の始まりからバビロン捕囚までの歴史をまとめなおしたのが、この旧約聖書の言葉なのです。

創世記から列王記までを読むと、どこを切っても「私たちは神から離れた。だから滅びたのだ」という反省の教訓に満ちています。どこを読んでも、バビロンで囚われの身として生きる苦しみ、屈辱、そしてその原因となった偶像礼拝への反省が透けて見えるのです。神の裁きを受けた者の悔い改めに満ちた書なのです。

イスラエルの祭司たちは、国を失って初めて預言者エレミヤの言葉が正しかったことを悟りました。エレミヤはエルサレムの滅びを前もって預言してこう言っています。

「多くの国の人々がこの都を通りかかって、互いに訪ね、『なぜ主はこの大いなる都にこのようになさったのか』と聞くならば、『彼らがその神、主の契約を捨てて他の神々を拝み、仕えたからだ』と答えるであろう。」エレ21:8

バビロンに連れて来られたイスラエルの人たちは、信仰の危機にありました。エルサレム神殿を失って、どのように自分たちが先祖から受け継いできた神への信仰を後世に伝えていけばいいのか・・・祭司たちは、言葉を紡いでいったのです。自分たちが聞いた預言の言葉を踏まえ、語り伝えられてきた様々な信仰の物語を一つにまとめていき、それが、今の「聖書」となりました。

バビロンへと連れて行かれたイスラエルの人たちには一つの大きな問いがありました。それは、「なぜこんなことになったのか。イスラエルがバビロンに滅ぼされたのは、イスラエルの神がバビロンの神に負けたからなのだろうか」ということです。バビロンで捕囚とされたイスラエルの民は、エルサレムを失った悲しみ、バビロンで生きる苦しみの意味を求めていたのです。

聖書はその問いに答えます。世界の初めという根源にまで遡って人々に教えるのです。

「イスラエルが国を失い、バビロンで生きるようになったのは、イスラエルの神がバビロンの神に劣っていたからではない。イスラエルが天と地を創られた創造主から離れ、神に裁かれたからだ」

聖書はイスラエルの罪を、世界の初めにまで遡って教え、苦難の中での神への立ち返りを励ますのです。

先週、「初めに、神は天地を創造された」という聖書の最初の言葉で、「初め」というのは、「根源」という意味がある、と話しました。今日私たちが読んだ天地創造の場面は、全ての信仰者にとって、物事を考える上での原点・根源となるところなのです。神に対して、世界に対して、人間に対して、自分に対して疑問がわいた時、私たちは実はここに立ち返って考えて行かなければならないのです。「そもそも自分は、そして自分が生きているこの世界は神がお創りになったものである」ということから考え始めていかなければわからないのです。

バビロンで捕囚とされた人たちにとってだけでなく、時代を超えて、全ての信仰者は聖書から問われます。

「天地創造の神の前に、あなたは今どう生きているのか、どう向き合っているのか。」

実は、この天地創造を描いた創世記一章というのは、過去の歴史としてのみ書かれているのではありません。創世記は、まさに私たちの今を描き出し、今の私達に問いかけている書物なのです。

私たちは大きな問の下に立たされています。聖書に向き合うということ自体、神に向き合うということであり、自分に向き合う、ということです。そしてそれは自分の原点に立ち返るということであり、全ての根源が創造主にあることを思い出すということなのです。

紀元前6世紀にバビロン捕囚を体験したイスラエルの人たちは、この天地創造の言葉をどう読んだのでしょうか。この創世記のどこに、自分の姿を見出したでしょうか。

「初めに、神は天地を創造された」という言葉で始まっています。天地創造というのだから、天と地をお創りになった、ということはわかりますが、2節を見ると、「天」ではなく「地」の方に、焦点が当てられています。

「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」

何度読み返しても、よくわからない表現ではないでしょうか。旧約聖書はヘブライ語で書かれていますが、元のヘブライ語原典を見ると、ここは言葉が韻を踏んでいて、詩的な表現がつかわれています。聖書は、人が言葉で説明しきれないような混沌、無秩序を、詩文学の言葉遣いで、「詩的に」表現しているのです。

それはどのような混沌だったのでしょうか。「地は混沌であった」という詩的な表現を聞いて、バビロンで囚われていたイスラエルの人たちにとってすぐに理解できただろう。「これは自分たちの今だ、自分たちが置かれている闇だ」。それは形もなく、中身も空っぽな、創造主から離れた闇でした。

神を見出すことが出来ず、生きる意味も見失い、自分が見ている景色に意味を見出せないでいたバビロン捕囚民こそ、「混沌・「闇」という言葉を理解できたでしょう。

さて、私達が考えなければならないのは、聖書がここで言っている「混沌」は今どこにあるのか、ということです。BC6世紀のバビロン捕囚が終わったら、この混沌は地上からなくなった、ということでしょうか。そうではありません。私たちが生きる今でも、神から離れた闇は存在し続けてます。

創世記が始めに言っている「深淵の闇」は、どれだけまぶしく電気を使って光らせて照らすことはできるものではありません。神がお与えになる光でしか照らしだすことのできない闇です。

同じ景色を見たとしても、生きる意味をもっている人と、生きる意味を見失った人では、見え方が違います。生きる意味を見出せないでいる人にとっては、この世界がどんなに美しくても無意味で空しいものになってしまいます。

生きる根源である神を見失い、そのことで生きる意味を見失っている人がいるのであれば、創世記が言っている「混沌・闇」は、現代的な問題として今も存在しているのです。

創世記は、絶望を描いているのでしょうか。世界の無意味さを伝えているのでしょうか。そうではありません。逆です。混沌とした地、意味を失ったかのように見えるこの世界を照らす光の存在を伝えているのです。

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