MIYAKEJIMA CHURCH

4月10日の説教要旨

創世記15章

「日が沈みかけた頃、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ」(15:12)

イエス・キリストの十字架の痛み・苦しみを思う時を過ごしています。キリストの十字架は神がキリスト教会と新しく結ばれた愛の契約の儀式でした。キリストの十字架の意味をより深く知るために、先週に引き続き、創世記に遡って聖書を見ていきます。

アブラムは75歳の時に神に召され、自分の一族と故郷から離れ、はるばるカナンの地まで旅をしてきました。神を信頼し従ったアブラムには多くの祝福が与えられ、家が栄え、たくさんの家畜、財産に恵まれます。

しかしアブラムには、自分の祝福を受け継ぐ子供がいない、という空しさがありました。そのことを神に訴えた時、神はアブラムに子供と土地をお与えになることを約束されます。そしてそのしるしとして、契約を結ぶことを神は提案されました。

今日読んだところには、正に、神とアブラムが契約を交わす場面です。

12節を見ると、「日が沈みかけた頃」とあります。アブラムが契約の儀式の準備をしていると夕方になった、ということです。神がアブラムに満天の星をお見せになってから、日が昇り、また日が沈みそうになる時間まで、神とアブラムの語りはずっと続いていた、ということです。

私たちはここに、夜も朝も昼も夕方も、信仰者に祝福を与えようとなさる神のお姿を見ることが出来るのではないでしょうか。

その後すぐに神とアブラムの間に契約が結ばれて、アブラムに子供と土地が与えられる、ということが確かなものになりますが、その契約の儀式が最中、不思議なことが起こります。

契約の儀式をまさに始めようとする時に、アブラムが深い眠りに襲われたのです。アブラムは「恐ろしい大いなる暗黒」を見せられた、と記されています。ただ、眠くなって目を閉じた、というのではありません。祝福の契約の中で、なぜか「恐ろしい大いなる暗黒」が神から見せられた、というのです。

祝福の契約の儀式の中で光が見せられた、というのであればわかります。しかし、神は、アブラムに闇をお見せになったのです。

ここには、どのような御心があったのでしょうか。

神はアブラムに満天の星を見せ、「この星のように、あなたから信仰の民が生まれてくる」とおっしゃって祝福されました。そして、神は同時に、そのアブラムから生まれてくる信仰の民が通ることになる「恐ろしい闇」も、前もってアブラムにお見せになったのです。

アブラムから生まれる信仰の民イスラエルはやがて、400年にも渡って異邦の国で寄留者となり、そこで奴隷生活を・抑圧を体験することになる、と言われます。

神はこの契約の儀式の中で、これから起こることを全て示されたのです。

アブラムから信仰の民が生まれる、ということ。

その信仰の民は苦しい試練を通る、ということ。

そして最後に、その民は信仰の試練という闇の先で解放され、ここへと戻ってくる、ということ。

この夜アブラムに示された祝福は、複雑なものでした。子孫が与えられる、という単純な喜びだけではなかったのです。

アブラムからイスラエルという民が生まれ、イスラエルが苦難を通って祝福へと導かれる、という、アブラム自身が自分の生涯の中で見届けることが出来ないほど壮大な神の祝福のご計画がこの闇の中で示されたのです。

私たちは、「神から祝福をいただける」、と聞くと、すぐに自分の周りから問題がなくなって、すべての悩みと苦難が消えることのように考えてしまうのではないでしょうか。

しかし、神が下さる祝福の中には、私たちにとって必要な試練も含まれているのです。

私たちは、出エジプト記を読んで、イスラエルがエジプトで奴隷にされた時の嘆きを知っています。神はそのイスラエルの嘆きを聞いて、エジプトからイスラエルを解放されました。しかし解放されたイスラエルはその後40年間荒野の旅を続けなければなりませんでした。その試練の先に、約束の地が用意されていたのです。

神の祝福は、人間の側の思いとは全く違った仕方で実現していきます。神の民イスラエルだから、教会だから、神に守られて何の苦も無く豊かになり、何の問題も心配もなく過ごせるようになる、というようなことが祝福ではないのです。

アブラムに示された祝福は信仰の試練・苦難を通った先にある祝福でした。

出エジプトの最後でモーセがイスラエルに荒野の旅の意味を告げます。

「あなたの神、主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわちご自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。」

イスラエルは荒れ野の40年という信仰の試練を通して、自分たちが神によって生かされている民であるということを学ばされたのです。約束の地はその学びの先にありました。

なぜ、神はこんなにも遠くにある祝福をお見せになったのでしょうか。16節の最後で、「アモリ人の罪が極みに達していないからだ」とおっしゃっています。

この時アブラムがいたカナンの地にはアモリ人が住んでいました。つまり、カナン人のことです。神は「アモリ人の罪はまだまだ大きくなる」とおっしゃいます。

アモリ人は偶像礼拝の罪を重ねていました。そして神は、アモリ人の罪が極みに達した時に、アブラムから生まれるイスラエルがこのカナンの地に戻って来て、真の神への信仰をもたらすことになるだろう、とおっしゃるのです。

神の壮大な祝福がここに示されています。

アモリ人の罪が、試練を経たイスラエルによって清められることになる・・・そのようにして真の神の民が増し加えられることになる、という、アブラムには想像もつかないような大きな計画でした。

さて、この、神とアブラムのやりとりを通してわかるのは、神は、信仰者に試練をお与えになる、ということです。そしてその信仰の試練は、祝福に至るための通り道なのです。神は、試練の中で、私たちを祝福を受けるにふさわしい者へと作り変えてくださいます。

私たちにとって、本当にしんどいのは、苦しみの意味が分からない時でしょう。なぜ自分が、なぜ自分の家族が、なぜ自分の愛する者が、なぜ家族の中で自分だけが・・・そのような心の叫びを誰もがもっています。神は、その私たちの心の叫びを聞きながら、荒れ野を共に歩いてくださるのです。

神の試練が無意味だ、ということはありません。荒野の中でこそ、神が共にいてくださることを私たちは見せられるのです。

アブラムに暗闇が臨み、これらの神の言葉が語られた後、二つに裂かれた動物の間を燃え盛る火が通り過ぎました。神とアブラムの間に契約が結ばれた、ということです。

その後、神はもう一度はっきりとおっしゃいました。

「あなたの子孫にこの土地を与える」(18節) Continue reading

4月3日の説教要旨

創世記15:1~11

「アブラムは主を信じた。主イエスはそれを彼の義と認められた」(15:6)

このアブラムという人は、後にアブラハムという名前になり、イスラエルの「信仰の父」と呼ばれるようになった人です。後のイスラエルの人たちは、自分たちのことを「アブラハムの子」と呼ぶようになります。

「アブラハムの子」・イスラエルの一員である、ということは、神とアブラハムの間に交わされたこの契約に加えられている一人・神と共に生きる信仰の民の一員である、ということです。

今日読んだところは、新しいイスラエルである私たちキリスト教会にとって、自分たちの根っこがどこにあるのかが見える大切な場面です。

神はどのような時にアブラムに語り掛け、祝福の契約を結ばれたのか、見ていきましょう。

15:1「これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ」

「これらのこと」というのは、14章に記されている、アブラムが住んでいた地方の王たちの戦いのことです。何人もの王たちが争いに巻き込まれてアブラムの甥のロトが連れ去られてしまいました。アブラムは僕たちを率いて戦い、ロトを、そして財産や女性たちなど、連れ去られた人たち・ものを取り戻しました。

神がアブラムに声をかけられたのは、アブラムが人間たちの争いに巻き込まれて疲れ切っていた時でした。

「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」

「あなたには私の守りがある。この世の愚かな人間同士の争い、戦い・混乱の中にあっても、私はあなたを守る」と神はアブラムに約束してくださったのです。

戦い巻き込まれて疲れていたアブラムが一番聞きたいと思っていた言葉だったのではないか、と誰もが思うのではないでしょうか。

しかし、アブラムは神による守りの約束を聞いても、喜ぶどころか、不満を口にします。

「わが神、主よ。私に何をくださるというのですか。私には子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。ご覧の通り、あなたは私に子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が後を継ぐことになっています」

戦争に巻き込まれること以上に、アブラムの心を占めていたのは、自分に後継ぎとなる子供がいない、ということでした。

神に召されてからここまで、アブラムは神からたくさんの祝福を受けてきました。自分の財産が増え、僕たちを率いて戦えるほどの力をもつことが出来ました。しかし、アブラムには、空しさもあったのです。自分が死んだあと、それを受け継ぐ自分の子がいない、ということでした。

たとえ甥のロトを救い出したとしても、ロトが自分の家を継ぐわけではないのです。アブラムは、神に愚痴をこぼしました。

アブラムの嘆きを聞かれた神はさらに、言葉をお与えになります。

4節 「見よ、主の言葉があった」とあります。聖書は、私達読者に向かって「見よ」と言います。神がこの次におっしゃった言葉には決定的な意味があるのです。

「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ」

アブラムの僕の一人、エリエゼルではなく、これからアブラムに生まれる子供が跡を継ぐ、と神はおっしゃいました。つまりそれは、これからアブラムに子供が与えられる、ということです。

そして神はアブラムにその証拠として、アブラムを外に連れ出して、天の星をお見せになりました。

「あなたから生まれる子孫はこのようになる」

神の招きにこたえて自分の故郷を捨て、ここまで旅をしてきたアブラムは、神の言葉は必ず実現する、ということを知っていました。自分が死んだあとのことを考えて空しさを覚えていたアブラムは、満天の星を見て圧倒されたのではないでしょうか。

それは、アブラムという一人の信仰者から、天を覆うほどの信仰の民・契約の民が生まれるだろうという予告でした。

アブラムにとっては、思いもかけなかった祝福でした。昨日まで、こんな祝福が自分に突然与えられるなどということは予想もしていませんでした。満天の星を通して神の恵みを見せられたアブラムは「主を信じた」とあります。既にアブラムは75歳を超えていました。しかし、「あなたから生まれる者が後を継ぐ」という神の言葉を疑いませんでした。

なぜアブラムはそんな、信じがたい言葉・約束を受け入れることができたのでしょうか。

神が、そうおっしゃったからです。それをおっしゃったのが、神だったからです。それが神の言葉だったからです。だから彼は受け入れたのです。これまでの神の言葉は全て実現したからです。

旧約聖書の元のヘブライ語では、「言葉」という単語には「言葉」という意味ともう一つ、「出来事」という意味もある。神がそうおっしゃったのなら、もうすでにそれは間違いなく実現する出来事なのです。

旧約聖書では預言者たちの言葉が記録されています。預言者たちが伝えた神の言葉は、歴史の中で必ず実現していきました。言いっぱなしではなく、神の言葉・神が預言者を通しておっしゃったことは全て出来事となっていきました。

神はご自分の言葉を受け入れたアブラムを「義と認められた」とあります。「義」というのは、正しい関係性のことを言う言葉です。神は、アブラムを、御自分が契約を結ぶのにふさわしい、誠実な人としてご覧になった、ということです。私たちはこの神とアブラムとの短いやりとりの中に、神と信仰者の間に結ばれた深い信頼を見るのです。

さて、私たちはこのアブラムという人を見てどう思うでしょうか。信じられないようなことを神から告げられ、アブラムは黙って信じました。

私たちは、ここでのアブラムの姿を見て、「自分には真似できない。『信仰の父』と呼ばれるようなアブラムの真似はできない。自分は疑い深い人間だからアブラムのような上等な信仰を持つことはなかなかできない」、などと思ってしまうのではないでしょうか。

しかし、アブラムも、私たちと同じ、一人の信仰者に過ぎませんでした。私たちと同じなのです。神から祝福をいただきながらも、失望したり、愚痴ったりする私たちと同じなのです。

本当に誠実さを示されたのは神でした。神は、愚痴をこぼすアブラムに忍耐強く寄り添われたように、私たちのような足元の定まらない信仰者を祝福をもって追いかけてくださるのです。

神とアブラムのように、私たちは神と一緒に時間を重ねて、少しずつ信頼を積み重ねていく、その信頼関係が私たちの信仰生活ではないでしょうか。 Continue reading

3月27日の説教要旨

マルコ福音書15:42~47

「アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである」(15:43)

「小さな信仰の業が」

イエス・キリストは金曜日の朝から十字架につけられ、午後三時に大声で叫んで息を引き取られました。十字架刑は見せしめのための処刑法ですので、十字架につけられた人が息を引き取るまで何日も苦しむような刑罰でした。

主イエスは、十字架に上げられる前に夜通し暴力を振るわれ、体を痛めつけられていたので、弱っていらっしゃったのでしょう。朝に十字架につけられ、午後の3時に息を引き取られました。ピラトは、「もう死んだのか」と驚いています。

十字架上で死んだ人の遺体は、その家族が引き取りに来ないのであれば地面にそのまま投げ捨てられることになります。息を引き取られた主イエスの遺体はすぐに十字架から降ろされず、見せしめのために人々の目にさらされたままにされました。

今日読んだ最初の、42節には、「すでに夕方になった」とあります。午後三時から、夕方まで、もうすぐ日が沈もうとする時間までそのままにされていた、ということです。

ユダヤの一日は、日没が区切りとなります。日が沈んだところから一日が始まる、という数え方ですので、日が沈めばユダヤ人にとっての安息日となります。

もうすぐ日没になる、という時間に、アリマタヤという町の出身で、身分の高い議員であったヨセフという人が、勇気を出してポンテオ・ピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるように願い出た、ということが記されています。

ヨセフは、日付が変わって安息日になる前に、主イエスを十字架から降ろし、埋葬しようとした。ユダヤ人にとって、十字架の上に死体をそのままにしてさらしておくことは聖い安息日に相応しいことではなかったからです。

旧約聖書の申命記に、このように記されています。

「ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである。あなたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない」

死体を夜通し木の上にさらすことを神はお喜びになることではない、神がイスラエルにくださった土地を汚すことになる、と律法で言われています。安息日には仕事をすることは禁じられているので、日が沈んでしまうと、主イエスの遺体を十字架から降ろしたり、埋葬したりすることができなくなってしまいます。

ローマ兵にとってそんなことはどうでもいいことでしたので、十字架の罪人を見せしめのためにそのままにしておくつもりでした。しかし、ユダヤ人の議員であったヨセフにとっては我慢できないことでした。彼はイエスの家族が遺体を引き取りに来るのを待っていましたが、主イエスの家族も、弟子達も遺体をとりに来ません。このままだと安息日の間、十字架の上にそのままにされてしまいます。

3時に主イエスが息を引き取られてから、この夕方まで、ヨセフはどうすべきか考え続けていたのでしょう。日没が迫る中、ヨセフは決断しました。覚悟を決めてピラトのところに行き、主イエスの遺体を引き渡していただきたい、と願い出たのです。

「勇気を出して」願い出た、と聖書には記されています。確かに勇気が必要だったでしょう。身分の高いユダヤの議員でありながら、ヨセフはローマ総督ポンテオ・ピラトに、ローマへの反逆者の遺体を引き渡していただきたい、と願い出るのですから、そのことによってローマからも、同胞のユダヤ人からも不審に思われることは間違いありません。「お前もイエスの仲間か」と十字架に上げられるかもしれません。

なぜヨセフは、命の危険を承知でナザレのイエスの遺体を引き取ろうとしたのでしょうか。聖書はその理由について一言、「この人も神の国を待ち望んでいたのである」と記しています。この人も、このイエスという方に神のお姿・メシアのお姿を見出していたのです。

12章28節以下を見ると、ひとりの律法学者と主イエスのやりとりが記されています。エルサレム神殿の境内で、ひとりの律法学者が主イエスに「あらゆる掟の内で、どれが第一でしょうか」と質問しました。

その人自身、悩んでいたのかもしれません。聖書に数多く記されている掟をどう守ればいいのか、何を第一とすればいいのか、迷いがあったのかもしれません。

主イエスは、「あなたの神である主を愛しなさい」という掟と「隣人を自分のように愛しなさい」という掟をおっしゃり、その二つの掟を切り離せない一つのものとしてお示しになりました。

律法学者はそれを聞いて納得しました。霧が晴れて真理が見えました。そして「その二つの掟は、どんな捧げものや生贄よりも優れています」と主イエスに答えます。

「イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、『あなたは、神の国から遠くない』と言われた」と聖書に記されています。

主イエスから「あなたは神の国から遠くない」と言われた律法学者がアリマタヤのヨセフだったかどうかは分かりません。大切なことは、イエス・キリストには、12弟子以外にも、心から従おうとする人たちがいた、ということです。ガリラヤの漁師たちだけでなく、エルサレムの律法学者や議員の中にも主イエスに神の姿を見出した人たちはいたのです。

私達は「イエス・キリストの弟子」と聞くと、12人だけを思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、キリストの直弟子「だけ」がキリストを世界に伝えて行ったのではありません。

主イエスに神の国の到来を期待して、従っていた人たちはたくさんいたのです。聖書の中では描かれていない、もしくは、ほんの少ししか描かれていない無名のキリスト者たちがたくさんいました。アリマタヤのヨセフも、聖書の中では目立たない、小さな存在です。

しかし、このような、誰からも注目されないような小さな信仰者一人一人の、小さな信仰の業を通して、神の御業は進んでいったのです。

小さな信仰者が、小さな信仰の業を行う際には、大きな勇気がいります。主イエスを三度否定したペトロを見ればわかるでしょう。「あなたはナザレのイエスを知っているか。あなたはイエスの仲間か」、そう尋ねられて「そうです」と答えるだけのことにも大きな勇気がいります。

ましてや、アリマタヤのヨセフは、ユダヤ人の中でも、身分の高い議員でした。「ナザレのイエスは死刑にすべきだと言っている」人々の中で、一人だけ皆と違うこと・反対のことをするのに、どれほど勇気が要ったでしょうか。

ヨセフがイエスの遺体を引き取るということは、仲間からの決別であり、ローマへのささやかな抵抗であり、イエス・キリストへの献身でした。どれほどの勇気がいったか、と思います。

彼は、一人の議員として、ではなく、一人の信仰者として決断しました。「死んでもなお、この方は神の子だ」、という信仰があったからこそ、勇気を振り絞ってピラトに「遺体を引き取らせてください」と願い出たのでしょう。

ヨセフは自分の私財を投げうって、主イエスのために墓を買い、そこに遺体を収めました。

そして数人の女性たちが、その埋葬を見ていたことが記されています。この女性たちは、主イエスが十字架に上げられる時から、ずっと見ていました。この人たちは主イエスの死を見届け、埋葬まで見届けました。

そしてこの女性たちは三日後の朝、その墓が空っぽになるのを見ことになります。確かに死んで、確かに埋葬された方が蘇られた、ということの証人となります。そしてこの女性たちの証言が、後のキリスト教会の信仰の礎となっていきます。

この女性たちもまた、小さな信仰者でした。女性たちがしたことは、ただ、キリストを見続けた、ということです。何か人の目をひくような、尊敬されるような社会事業をしたわけではありません。主イエスを遠くから見続けていたこの人たちの小さな目撃証言が、やがて教会の核となっていきます。

私たちは信仰者として日々、何をしているでしょうか。どんな信仰の業をなしているでしょうか。そのように訊かれると誰もが「自分は信仰者として十分なことは出来ていない」と下を向くでしょう。

しかし、取るに足らない、私たちの日々の小さな祈り、小さな信仰の業は、確かに用いられていきます。どんなに小さくても、神がそれを用いてくださるのです。誰か一人の、皆の注目を集めるような立派な信仰の働きによって神の御業が進むのではありません。

使徒パウロは、コリント教会への手紙の中でこう記しています。

「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」

「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」

私たちは、自分の信仰の小ささを恥じる必要はありません。神は、そのような見劣りするような部分を、大いに用いてくださるのです。私たちの小さな信仰の決断が、小さな信仰の勇気が、神の救いの御業のために確かに用いられます。

日が沈む前のヨセフと女性たちの姿・業を見つめたいと思います。

3月20日の説教要旨

マルコ福音書15:33~41

「すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(15:38)

「道が拓かれる」

詩編の22編で、このような嘆きが歌われています。

「私は虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。私を見る人は皆、私をあざ笑い、唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら、助けてくださるだろう』」

「犬どもがわたしを取り囲み、さいなむ者が群がってわたしを囲み、獅子のように私の手足を砕く。骨が数えられるほどになった私のからだを、彼らはさらしものにして眺め、私の着物を分け、衣をとろうとしてくじを引く」

イエス・キリストの十字架はまさに、この詩編の嘆きの言葉が現実になったものでした。そこには、これ以上ない孤独と絶望がありました。ゴルゴタの丘の上、大地は暗くなり、御自分の弟子や仲間もなく、目の前には敵だけがいたのです。

極限の孤独の中、これ以上ない絶望の中で、主イエスは「わが神、なぜ私を見捨てたのですか」と叫ばれました。ゴルゴタの十字架を包んだ暗闇は、神に見捨てられた絶望、そしてキリストが担ってくださった私達の罪そのものでした。

十字架刑を受けた人は何時間も苦しむことになります。十字架の横木に釘で手を打ち付けられ、自分の体重を足で支えないといけないのです。肉体の痛みに加えて、呼吸をすることが出来なくて苦しみます。長い時間痛みに苦しみ、ゆっくりと意識を失っていき、最後には窒息死することになります。

しかし、主イエスの死の瞬間はゆっくりと意識を失っていくようなものではなく、突然でした。「大声を出して息を引き取られた」とあります。

ヨハネ福音書には、主イエスの最後の言葉として「成し遂げられた」という一言が記録されています。「成し遂げられた」・・・それはご自分が神の救いの御業を成し遂げた・自分の使命を果たした、という勝利の言葉とも読めます。

しかし、このマルコ福音書では、ただ、主イエスが大声で叫ばれた、という事実だけが記録されていて、何をおっしゃったのかはわかりません。勝利の叫びだったのか、絶望と苦痛の叫びだったのかわかりません。私たちはマルコ福音書に記録された、キリストの死をどのように受け止め、理解すればいいのでしょうか。

主イエスの死は、一人のユダヤ人が息を引き取った、というだけの出来事ではありませんでした。この方の死は、この世界の歴史の大きな転換点でした。

主イエスの死によって、神殿の奥深くで、異変が起こりました。息を引き取られた瞬間に、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」のです。

エルサレム神殿には垂れ幕が二つありました。一つは、至聖所の入り口にありました。祭司が一人だけで、その垂れ幕を通って中に入り、香をたく場所・至聖所の入り口を垂れ幕が仕切っていたのです。

そして、至聖所の中に、さらにもう一枚、至聖所の中でも最も神聖な空間を区別する垂れ幕がありました。年に一度、祭司がその中に入り、贖罪の捧げものを捧げるのです。

この二枚の垂れ幕の内、どちらが裂けたのかはわからりません。福音書にはそのことは書かれていません。しかし、どちらの垂れ幕が裂けたのか、ということが大事なのではありません。至聖所に至る垂れ幕が裂けた、ということが持つ、その意味が大事なのです。

20メートル近い高さの垂れ幕がただやぶれたというのではありません。「上から」「真っ二つにされた(受身形)」と記されています。聖書は、神が、上から垂れ幕を裂かれた、ということをつたえているのです。

このことを、ヘブ10:19―20ではこう説明しています。

「兄弟たち、私たちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは、垂れ幕、つまり、ご自分の肉を通って、新しい生きた道を私たちのために開いてくださったのです」

十字架の上でイエス・キリストの肉体が裂かれた、ということはすなわち神殿の垂れ幕が裂かれた、ということであり、それは神への道が開かれた、ということだったのです。

祭司だけが入れることになっていた、神との出会いの場所が、祭司以外の人たちにも開かれたのです。神との出会いの場所を遮っていた垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、誰もが神の元へと行けるように、道が拓かれました。

イエス・キリストの死が神殿の中にあった垂れ幕を真っ二つに裂いた、ということ、それは、祈りを失い、「強盗の巣」となっていたエルサレム神殿の中心を破壊した、ということでもあります。ここから、神の目に「強盗の巣」とみなされたエルサレム神殿は、ここから崩壊への道をたどることになります。40年後のローマ軍による破壊への秒読みがここから始まったのです。

そしてキリストの死は、人の手によらない霊の神殿を打ち立てました。キリスト教会です。

イエス・キリストの死と共に、もう一つ、不思議なことが起こっています。ローマの百人隊長が、十字架で死なれたイエス・キリストを見上げて「この人は本当に神の子だった」と信仰を告白したのです。この人は十字架刑の責任者でした。この人の指示で主イエスは十字架へと上げられたのです。

百人隊長にとって、ナザレのイエスは、ユダヤ人の王を自称して逮捕され、ローマへの反逆の罪で十字架に上げられた犯罪人でしかなかったはずです。同じユダヤ人たちからさえも最後まで馬鹿にされ、侮辱され、弱々しく死んでいった、一人の犯罪人でした。

十字架の上で侮辱され、絶望の叫びを上げ、弱々しく死んでいくナザレのイエスを見た百人隊長が、なぜか「本当に神の子だった」と信仰を告白した、というのです。

なぜなのでしょうか。主イエスの十字架での最期を見ると、どこにも神の子だと思えるような要素はありません。イエス・キリストの死の何が、この百人隊長を信仰に導いたのか、百人隊長は何をキリストの死に見出したのか、聖書は何も書いていません。

「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という絶望の叫びがあり、最後に大声を出して死んだ・・・それだけです。主イエスが十字架の上で華々しい奇跡を行われた、とか、主イエスの祈りにこたえて神の声が聞こえてきた、というのならわかります。しかし、ナザレのイエスはこのゴルゴタの丘で、暗くなったゴルゴタの丘で、無残に、誰の助けもなく無残に死んだのです。

百人隊長は、誰よりも、一番近くでナザレのイエスの死を見ました。しかしこの人はナザレのイエスへの信仰告白から一番縁遠い人だったはずです。異邦人の軍人・ローマの百人隊長で、十字架刑の責任者です。その人が、神の子らしくない死に方をしたイエスを見て、「この人はキリストだ」と信仰を告白したのです。

私たちはこのことに、「神殿の垂れ幕が上から真っ二つに裂けた」ということの意味を見ます。ローマの百人隊長は、ユダヤ人でもなく聖書を良く知っている祭司や律法学者でもありませんでした。異邦人の死刑執行人でした。その人が、暗闇のゴルゴタの丘に神の姿を見出したのです。いや、上から見せられた、と言った方がいいかもしれません。信仰の道が「向こう側から」拓かれたのです。神の御手が働いたとしか言いようのないことです。

キリストの十字架の前で、私達は信仰の分かれ道に立たされます。主イエスを侮辱していたユダヤ人たちに神の子の本当のお姿は見えませんでした。そして死刑執行の責任者であった異邦人が「本当にこの人は神の子だった」と信仰を告白しました。

このゴルゴタの十字架をどう見るか、ということが、私たちの信仰の分かれ道となります。この方の十字架を、神に見捨てられて十字架で死んだ罪人と見るか、世の全てを背負い私の身代わりとなって死んでくださったメシアと見るか・・・罪人の死と見るか、神の子による犠牲の死と見るか。

この時、十字架の周りにいた人たちは主イエスの叫びをどのように聞いたでしょうか。この時、主イエスの周りには弟子達はいませんでした。皆、主イエスを見捨てて、どこかに逃げ去っていました。百人隊長のように、強い思いをもって十字架の主イエスを見ていた人はいなかったのでしょうか。

聖書には、主イエスに従って来た女性たちが、遠く離れてこの十字架を見守っていたことが記されています。その中には、「小ヤコブとヨセの母マリア」という人がいました。この人は、主イエスの実の母マリアです。自分の息子の十字架を、マリアはどのような思いで見たでしょうか。

この女性たちが、後に、キリストの復活の目撃者となり、弟子達にキリストの復活を伝える証言者となります。彼女たちはこの時、自分たちの目で、確かに主イエスの十字架の死を見届けました。三日後に、この方の空っぽの墓も、自分たちの目で実際に見ることになります。そしてこの数人の女性たちの証言が、後のキリスト教会の信仰の拠り所となるのです。

ローマの百人隊長と、女性たち・・・この人たちは、主イエスの十字架の死に何かを見ました。それを見せたのは、聖霊ではないでしょうか。神殿の垂れ幕を真っ二つに裂いた力が、彼らの心の中にあった垂れ幕を裂いて、信仰の目を開かせたのです。このちいさな信仰の証言者たちから、イエス・キリストへの信仰は世界へと広まっていくことになります。

ヘブ6:19―20「私たちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入っていくようなものなのです。」

私たち教会は荒波の中でも錨をおろしてじっと耐える船のようなものです。イエス・キリストという方に魂の錨を下ろし、日々天の故郷へと向かうのです。天の故郷への道は、上から拓かれました。今、私たちも、聖書を通してゴルゴタの丘に立ち、百人隊長や女性たちと一緒に、キリストの十字架に神の子の尊い犠牲を見ています。

イエス・キリストの十字架の死からの復活という、誰にも信じられないようなことを証言した人たちがいて、今の私達の信仰生活があります。誰も信じてくれないことを、声高に「あの方は本当に十字架の死から蘇られた」と伝え続けた人たちがいて、今の私達の礼拝があります。

我々は、日々の信仰の試練の中で、キリスト者たちが伝え続けたキリストの十字架と復活の証言へと立ち返ります。そして、キリストの証言者として用いてくださる聖霊に身を委ねるのです。

3月13日の説教要旨

マルコ福音書15:33~41

「昼の12時になると、全地は暗くなり、それが3時まで続いた」(15:33)

「十字架の闇」

ゴルゴタの丘の十字架上でイエス・キリストがイエス・キリストが息を引き取られた瞬間です。神の救いの御業が現れた、この歴史の中で最も神聖な場所・瞬間です。

ゲツセマネでイエス・キリストは「できることなら、苦しみの杯を私から取り除けてください。しかし、私が望むことではなく、あなたの御心のままに」と何度も祈られました。それは、イエス・キリストが地上の生涯で神と向き合って祈られた最後の時間でした。しかしその祈りの中で示されたのは、神は自分に十字架の死を望んでおられる、ということでした。

主イエスは救い主キリストとして、神の御業のために自分を差し出すために、祈りの戦いを続け、御自分が与えられた苦しみの杯を飲み干すために十字架の死へと進んで行かれたのです。

私達はこの十字架の主イエスの死を見て不思議に思うのではないでしょうか。

「なぜ神の子が十字架で死ななければならなかったのか。なぜ神の子が神に向かって絶望的な叫びを上げなければならなかったのか。なぜこの方の十字架は暗闇に包まれたか」

これらのことについて、考えていきたいと思います。

死の直前、主イエスは十字架の上で叫ばれました。

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」

これは主イエスが実際に話されていたアラム語で、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味の叫びです。神に向かって放たれた、祈りとも、恨み言ともとれる叫びです。これが主イエスの地上での最後の言葉でした。

ここまで主イエスは沈黙を貫いてこられました。最高法院のユダヤ人たちの裁判の中でも、ピラトの尋問に対しても、黙って有罪の判決を受け、言い返すことなく、抵抗することなく十字架へとご自分の身をゆだねてこられた方です。群衆が「イエスを十字架につけろ」と叫んだ時も、ローマ兵から鞭で打たれた時も、兵士たちから嘲りと侮辱を受けた時も、十字架に打ち付けられた時も、主イエスは徹底して沈黙を貫いてこられました。

しかし、息を引き取られる瞬間、沈黙を破り、叫ばれます。

「わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」。その一言は絶望の叫びでした。信仰者の最後の希望である神を見失った叫びです。

この時主イエスが確かに十字架の上で叫ばれた言葉を、周りで聞いていた人たちは正確に記憶して、聖書にそのまま「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」と記録されました。

なぜ神の子が、神に向かって絶望の叫びを上げて死んでいかなければならなかったのでしょうか。私たちにとって、そのことは大きな謎です。

ここまで、ガリラヤからエルサレムに至るまで、この方は神のために働いてこられました。神の国の教えを説き、神の業を行ってこられた方です。

私たちは、ここに神に見捨てられた神の子、という究極の矛盾を見ます。「神の子ですら神から見捨てられる」ということを見ると恐怖を感じます。

主イエスはこの福音書の中で神に向かって「父」と呼びかけてこられました。しかしここで初めて、神を「父」と呼ばず、「神」と呼びかけていらっしゃいます。神と主イエスとの間に、距離があるのです。

主イエスが最後に叫ばれたこの一言は、詩編22編の最初の言葉です。それは自分をむち打ち、嘲る人たちの中で神を求める祈りの言葉です。

神に背を向けたイスラエルは何度も、罪がもたらす苦しみの中で神に向かって祈り叫んできました。

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」

これは罪の中から救いを求める叫びだ。

私たちはこのキリストの叫びをどう捉えればいいのでしょうか。

聖書は、キリストの十字架の死は、私達罪人の身代わりの死であった、ということを証ししています。そうであるなら、十字架の上のキリストの死は、本当は私たち罪びとがそうなるはずのものであったことであり、「わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という叫びは、本当は罪びとが十字架の上で叫ぶはずの叫びだった、と言っていいのではないでしょうか。

この方は、この罪の絶望・罪の孤独・罪の悲惨を、十字架の上で身に引き受けてくださり、本当は、私たちが死ぬ際、最後の一息で叫ぶ絶望の言葉を代わりに叫んでくださったのではないでしょうか。

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」という言葉は本当は神の子キリストが叫ぶようなことではありません。あの方は、私達の罪の叫びを十字架の上まで持って上がっくださったのです。私達が「わが神、なぜ私を見捨てたのですか」と叫ばなくてもいいように。

キリストの十字架の死に関して、もう一つ不思議なのは、全地が暗くなった、ということです。

「12時頃、全地が暗くなり、3時まで、主イエスが息を引き取られるまで闇が続いた」、とあります。

日食が起こったのでしょうか。それは考えられません。日蝕は3時間も続かないし、過越祭はそもそも満月の時期なので、日食が起こらない季節です。

偶然3時間もの間太陽が厚い雲に覆われたか、偶然嵐が3時間続いたのか、それは分かりません。

しかし私たちにとって、どんな自然現象によって暗くなったのか、ということが重要なのではないのです。キリストが十字架に上げられた際に起こった「闇」にはどんな意味があったのか、ということが重要なのです。

旧約の預言者アモスがこんな預言を残しています。

アモス8:9

「その日が来ると、と主なる神は言われる。私は真昼に太陽を沈ませ、白昼に大地を闇とする。私はお前たちの祭りを悲しみに、喜びの歌をことごとく嘆きの歌に変え、どの腰にも粗布をまとわせ、どの頭の髪の毛もそり落とさせ、独り子をなくしたような悲しみを与え、その最後を苦悩に満ちた日とする。」

ゴルゴタの神の子の十字架を包む暗闇、それはまさに、アモスが預言した「独り子をなくしたような悲しみの闇、喜びの祭りを悲しみに変える闇」でした。

アモスが預言した「その日」、つまり「裁きの日」が、来たということです。。

真昼に太陽が沈み、白昼に大地が闇となる時。

祭りの喜びが悲しみに、喜びが嘆きになる時。 Continue reading

3月6日の説教要旨

マルコ福音書15:21~32

「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」(15:30)

二千年前に、エルサレムのゴルゴタの丘でナザレのイエスというユダヤ人青年が十字架刑で処刑されたこ出来事の中に、私たちはどれだけのことを見ているでしょうか。

1世紀のユダヤ人の歴史家、ヨセフスという人は、「紀元30年ごろ、エルサレムでイエスという人が十字架で殺された」と記録しています。ただ、それだけを書いています。歴史家ヨセフスにとっては、「そういうことがあった」という、一言で片付く出来事だったのでしょう。

しかし、一世紀のキリスト者たちは、この方の十字架を単なる「罪人(ざいにん)の処刑」では終わらせませんでした。彼らはナザレのイエスという方に関して膨大な証言を集め、福音書を紡ぎあげ、この方の十字架が神の許しと招きの御業であったことを後の世に残したのです。

我々は、このイエスという方の十字架を私たちはどう見るでしょうか。改めて考えたいと思います。

極限の痛みの中、キリストは最後まで、誰からも憐みを受けることなく黙ってすべてを甘んじてお受けになりました。私たちはゴルゴタの丘の光景を通して、神の子が罪人のためにどれだけの痛みを引き受けてくださったのか、そして罪びとの目にどれだけ神の子の本当のお姿が見えていなかったのか、ということを知ります。

人々はここまで、主イエスのことを「ダビデの子」と呼んできました。強いイスラエルを築き上げたダビデ王の再来として期待したのです。しかし主イエスは人々が期待した強いユダヤの王ではなく、羊飼いとしてのダビデの再来でした。ユダヤ人を指導してローマに反乱を起こすメシアではなく、イスラエルのために自分を犠牲にして、神の元へとすべての人を招くメシアでした。

主イエスの十字架の罪状が「ユダヤ人の王」と掲げられたことは、これ以上ない皮肉です。主イエスはローマへの反乱者と一緒に十字架に上げられました。「二人の強盗」というのは、主イエスの代わりに釈放された反乱の指導者バラバの配下の者たちでしょう。まるで、ローマに反乱を起こしたユダヤ人の王であるかのように扱われています。主イエスの本当のお姿とはまるでかけ離れています。人々がどれだけこの方のことを理解できていなかったか、ということがわかります。

しかし、この人間の無理解さえも神の救いのご計画の中に入っていました。主イエスご自身は、御自分がお受けになる痛みについて、「すでに聖書に書かれている」と何度もおっしゃってきました。

ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人を連れて山に登り、モーセとエリヤと共に話された後、山を下りるときに、主イエスは三人におっしゃいます。「人の子は苦しみを重ね、辱めを受けると聖書に書いてある」

ユダがご自分を裏切ろうとしていた過ぎ越しの食卓では、「人の子は、聖書に書いてある通りに、去って行く」とおっしゃいました。

ゲツセマネの園にご自分を逮捕しに来た人たちには、「これは聖書の言葉が実現するためである」とおっしゃいました。

主イエスは何度も何度も、ご自分に与えられる痛み、侮辱、すべての人から与えられる死について、「すでに聖書に書かれている・預言されている」とおっしゃって来ました。ゴルゴタの丘でこの方がお受けになった痛みは全て神のご計画の内にあったのです。

主イエスは弟子達に受難を予告されました。

「人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人のことを侮辱し、唾をかけ、鞭うったうえで殺す」

全て、その通りになっています。

ユダヤの指導者たちから有罪とされ、ローマ兵からは鞭で打たれ、いばらの冠をかぶせられ、頭をたたかれ、唾を吐かれました。そして今、十字架の上でユダヤ人からの痛みをお受けになっています。

それだけではありません。

「そこを通りがかった人」から、「祭司長たちと律法学者」たちから、そして「一緒に十字架につけられた人たち」からののしられました。

主イエスの十字架の周りには誰一人味方はいなかったのです。「たとえ死ぬことになってもあなたを見捨てることはありません」、と言った弟子達でさえ一人もいません。近くにいて主イエスの受難の予告を聞いていた弟子達でさえそうでした。

聖書の言葉をよく知っていた祭司長、律法学者たちですら、主イエスの十字架に神の御心を見出すことはありませんでした。十字架に上げられたナザレのイエスを初めて見るユダヤ人たちならなおさら、この方のことを理解することはなかったでしょう。

さて、もし私たちが、この時ゴルゴタの丘のキリストの十字架を見たら、なんと声をかけたでしょうか。「この方は神の子で、今私たちの罪を背負って死のうとしてくださっているのだ」と言えたでしょうか。頭を振りながら、周りにいた人たちと一緒に、この方に向かって侮辱の言葉を吐いたのではないでしょうか。

キリストは十字架で血を流すご自分のお姿を通して、私たちの罪を教えてくださっている。

十字架に上げられた主イエスに向かってユダヤ人たちは様々な侮辱の言葉を吐きました。

「神殿を打ち倒しし、三日で建てる者」

「メシア、イスラエルの王」

彼らが侮辱するために吐いた言葉は皮肉にも、真実でした。

この方はエルサレム神殿を打ち倒し、霊の神殿を三日でお建てになる方でした。この方は本当にメシアであり、イスラエルの王でした。

イエス・キリストの十字架の死は、確かにエルサレム神殿の終わりでした。古い神殿はここで滅びるのです。この後、キリストが息を引き取られた瞬間に、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けます。キリストはご自分の命と引き換えに、神へと通じる道を拓かれるのです。

十字架の死から三日後、キリストは復活され、「人の手によらない」神殿、霊の神殿、神の畑を新しく打ち立てられます。キリスト教会です。

人々は少しずつ、自分たちが十字架で殺したナザレのイエスが実はメシアであり、イスラエルの王、この天地の王・神であることに気づいていくことになります。

「他人は救ったのに、自分は救えない」と人々は十字架のキリストに向かって叫びました。確かに、主イエスはこれまで多くの人を奇跡の業で癒し、悪霊を追い出してこられました。「あれだけの力があったのだから、十字架から降りることだってできるはずだ」、そう考えたのでしょう。

主イエスは以前、ご自分に与えられる痛みの意味について弟子達にこうおっしゃいました。

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである」

「これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である」

この方は、自分を救えないのではないのではありません。救わないのです。自分を救うことが許されていないのです。十字架から降りることは許されないのです。神が、御自分に十字架で死ぬことをお求めになっているからです。今、身代金としてご自分の命を自ら差し出すことが神から与えられた使命であるということをご存じだったのです。契約の血をご自分の体から流すことが求められているのです。

イエス・キリストは十字架の周りで御自分を侮辱する一人一人を、その罪から救いだすために、今痛みを引き受けていらっしゃいます。主の十字架の周りで叫ぶ人たちは、自分たちの罪をこの方にどんどん負わせています。

この十字架の三日後に、人々は墓の中からよみがえられた主イエスを見ることになります。一人や二人ではありません。キリストの弟子達だけではありません。多くの人が殺されたはずのイエスを見ました。

復活なさったキリストにペトロはもう一度招かれ、宣教へと押し出されました。そしてエルサレムの人たちに告げました。 Continue reading

2月27日の説教要旨

マルコ福音書15:21~32

「兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴタという所に連れて行った。」(15:21-22)

イエス・キリストは鞭で打たれ、その後600人ものローマ兵たちから暴力をお受けになりました。いよいよ、ここからキリストの十字架刑が始まります。

十字架刑とはどのような刑だったのでしょうか。十字架に上げられる囚人は、十字架に釘で打ち付けられる前にまず鞭で打たれます。十字架刑を宣告されたイエス・キリストも、鞭で打たれました。

当時ローマ兵がつかっていた鞭の中には、痛みが増すように鞭の先にガラスや陶器の破片などがつけられたりしていて、肉をえぐるように作られているものもありました。むち打ちの段階で死んでしまう囚人も多くいました。

十字架刑は奴隷やローマに反乱を企てた暴徒のための処刑法でした。みせしめのための処刑法なので、すぐには囚人を殺しません。十字架に上げられた人は、十字架の上で何時間も、人によっては何日も苦しむことになります。

紀元前1世紀を生きたローマの文筆家のキケロは十字架について、「最も残酷で不快な処刑法」と記しています。

紀元1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは十字架による死のことを「最も哀れな死」と記しています。

囚人は自分が打ち付けられることになる十字架の横木を処刑場まで運ばされます。主イエスは、鞭打ちの刑と兵士たちからのリンチによって、もうご自分で横木を運ぶ力が残っていませんでした。

弱り切った主イエスの代わりに横木を運んだのは、キレネ人シモンという人でした。総督の官邸から外へと主イエスが引き出された時、偶然そこを通りかかり、無理やり主イエスの十字架の横木を運ぶようローマ兵から命じられたのです。

シモンが「イエスの十字架を運べ」と言われてどう思ったか、どんな気持ちで十字架を運んだのか、聖書には何も記されていない。しかし、書かれていなくても私たちはすぐに想像できるだろう。「無理矢理運ばされた」とあるので、当然シモンは喜んで運んだわけではありませんでした。

シモンにとっては、見ず知らずのナザレのイエスという犯罪人の十字架を無理やり背負わされた不運でした。犯罪人の十字架を運ばされるということはシモンとって不名誉極まりないことでした。「なぜ自分が」、と運の悪さを呪ったことでしょう。

しかし、このことは、のちにシモンの栄誉となりました。

聖書はシモンのことを随分詳しく記録しています。アレクサンドロとルフォスという二人の息子たちの名前まで書かれています。

マルコ福音書が記された1世紀の教会では、「あのアレクサンドロとルフォス」の父親という知られ方をしていたのでしょう。アレクサンドロとルフォスは、福音書が記された時代には教会の指導者として皆に名が知られていたのでしょう。だからこそ、マルコ福音書はシモンのことを「あの二人の父親であるシモンが」という書き方をしているのです。

シモンは、後に主イエスの復活を知り、自分があの時背負った十字架はキリストの十字架だった、ということを知ったのでしょう。自分の肩に重く食い込んだあの十字架の痛みは、キリストのための痛みだった・・・そのことがシモンの恥を信仰の誇りへと変えたのです。

シモンは自分の二人の息子たちに、あのイエス・キリストのゴルゴタの道行きの時の話を何度も話して聞かせたのでしょう。ゴルゴタまで、見ず知らずの囚人の十字架を運んだ、ということがシモンの信仰の誇りとなり、そしてそのことが、彼をキリストの証人へと変えたのです。

私たちにとっての信仰の誇りは何でしょうか。それは、私たちがどのようにキリストの十字架を担ったか、そして、今、私たちがどのようにキリストのために自分の十字架を担っているか・・・そういうことではないでしょうか。

私たちの信仰の誇りというのは、人から拍手をもらうような、人間としての誇りではありません。シモンはゴルゴタまで、人間として立派なことをしたのではありません。誰もが嫌がることを、偶然そこを通ったというだけで嫌々やらされただけです。

シモンは主イエスを見ても、メシアだとはわかりませんでした。言われたので、仕方なく運びました。信仰者としては褒められることではありません。ここにシモンの立派さなんてものはありません。むしろシモンの信仰の弱さ・霊的な弱さが現れています。

しかし、この不名誉が、キリストの十字架の意味を知った時に、名誉に変わるのです。キリストを恥としていた人が、キリストを誇りにするようになるのです。自分の霊の弱さが神の御業の中で用いられた、ということがシモンの誇りとなり、彼はキリストの証人となりました。

使徒パウロはコリント教会にこう書いている。

「私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱い時にこそ強いからです」

なぜパウロはこんなことを言ったのでしょうか。自分の弱さが神に用いられている、ということ、そして自分が自分の力で福音を伝えているのではないということを知ったからでしょう。

パウロは「私をもっと強くしてください、私の中から弱さをなくしてください」と祈りました。しかし、祈りの中で神から言われます。

「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ発揮されるのだ」

これを聞いてパウロは、強さを求めることをやめました。

「キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と言っています。

パウロは自分の弱さを聖霊がキリストのために用いてくださっていることを知ったのです。私たちの信仰の誇りは、私たちの人間的な弱さを通して生み出されていくものなのです。

イエス・キリストを見捨てた弟子達は、のちにキリストの証人として用いられることになった。弱い罪びとに過ぎなかった弟子達でした。その罪の弱さまでも用いられることになりました。

キリストの十字架を運ぶつもりなど全くなかった、田舎から出てきたキレネ人シモンがしたことが、のちに教会の中で記憶され、聖書の中に記録されることになりました。シモンはゴルゴタの道行きの中で、キリストをキリストとして見ることはできなかった、信仰的には弱い人でした。しかし、シモンのその弱さを通して神の御業は進んだのです。

さて、私たちが今日読んだキリストの十字架への歩み、そして十字架の上での死は、聖書が私たちに描き出す救いの歴史の頂点です。聖書は十字架の残酷さを詳細に描くよりもむしろ、キリストの十字架の意味を伝えることの方に重点を置いています。

キリストが没薬を混ぜた葡萄酒を差し出されてもお飲みにならなかった、ということ、そして兵士たちがキリストの服を分け合った、ということを記しています。それほど重要に思えないようなことを、聖書はわざわざ記録しています。これは何なのでしょうか。

没薬を混ぜた葡萄酒は、痛みを緩和させるためのものでした。しかしキリストはそれをあえて拒絶され痛みを全てお受けになる道を選ばれました。

そしてキリストは服を奪われ、裸で十字架へと上げられ、十字架の下ではその服を兵士たちがくじを引いて分け合った、ということが記されています。

なぜ聖書はそのようなことをわざわざ記録しているのでしょうか。十字架に向かわれる主イエスがお受けになった痛みはすべて聖書の言葉の実現であることを示そうとしているのです。

詩編69:21「嘲りに心を打ち砕かれ、私は無力になりました。望んでいた同情は得られず、慰めてくれる人も見出せません。人は私に苦いものを食べさせようとし、渇く私に酢を飲ませようとします」

詩編22:18「骨が数えられるほどになった私の体を、彼らはさらし者にして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く。」

メシアに与えられることになっている苦しみ、孤独、嘲りは全て預言されていました。福音書は、私たちに、旧約聖書を通して預言されていたことは全て、この方の十字架だった、と伝えているのです。 Continue reading

2月20日の説教要旨

マルコによる福音書15:16~20

「兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを弾いていき、部隊の全員を呼び集めた」(15:16)

ローマ兵からキリストが暴力を振るわれた、という場面です。イエス・キリストは夜中に逮捕されてから十字架に上げられるまで、あらゆる仕方で暴力を振るわれてきました。

ユダヤの最高法院の人たちによって有罪とされた際には「ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで殴りつけ、『言い当ててみろ』と言い始めた。また、下役たちは、イエスを平手で打った」とあります。

ローマ総督ポンテオ・ピラトに引き渡されて十字架刑の宣告を受ると、鞭で打たれました。そしてその後、主イエスはローマ兵たちへと引き渡され、さらに、たたかれたり侮辱されたりしたのです。

これから主イエスは十字架にくぎで打ち付けられて殺されることになります。兵士たちの役目は、このイエスという人を十字架に上げて処刑することでした。しかし、兵士たちは、連れてこられたイエスという人をすぐに十字架へと送りませんでした。王の格好をさせ、侮辱し、暴力を加えてから十字架へと送ったのです。

この兵士たちは、ユダヤの大きな祭りである過越祭の警備にあたっていた人たちでした。過越祭から暴動が起きたりしないようにらみを利かすのが仕事でした。緊張する役目であると同時に、何もなければ暇を持て余す役目でもありました。退屈して時間を持て余していたところに、「ユダヤ人の王」を自称したイエスという男が連れてこられます。

兵士たちにとって、このナザレのイエスは、愚かにもローマへの反逆を企て事前にそれが発覚し、捕らえられて自分たちのところへと連れてこられた人物にしか過ぎませんでした。ユダヤ人の反乱を主導しようとして失敗した、ただの愚か者です。兵士たちにはこのイエスという人物を大事に扱う理由、愛する理由などありません。どうせこれから死刑になる人間です。

兵士たちがどんな思いで、そしてどのように、また、どれほど主イエスのことを痛めつけたのか、すぐに想像できるのではないでしょうか。

彼らは自分たちの楽しみのために主イエスに侮辱と暴力を加えました。ただ自分たちの楽しみのためだけに、主イエスを使って自分たちを満足させたのです。

ここでは「部隊の全員」が呼び集められた、と書かれています。この「部隊」というのは600人の部隊でした。全員が集められた、ということは、イエス・キリストは600人の兵士たちから侮辱され、たたかれ、唾を吐かれた、ということです。どれほどすさまじい暴力だったか、ということがわかります。

さて私たちは主イエスを侮辱して痛めつける兵士たち、そしてそれを黙って甘んじてお受けになる主イエスご自身の姿に、何を見るでしょうか。

異邦人兵士たちがここで侮辱し、頭をたたき、唾を吐きかけた方は、「ユダヤ人の王」でも、「神への冒涜者」でもありません。聖書はこの方をキリスト・メシアとして証しています。神の右に座し、全世界を統治する権威を神から託される「人の子」と呼ばれるメシアとして伝えています。ユダヤの支配者であっても、ローマの支配者であっても、この方が本当は誰なのかを知ったら青ざめるほどの権威を持った方でした。

その方を兵士たちは今楽しんで侮辱しています。自分の罪を背負い、死んでくださるメシア・この世界の王を、彼らは何も知らず殴り、唾を吐きかけています。

しかし、誰も自分が何をしているのか分かりませんでした。このことは旧約の預言者イザヤはすでに預言していました。

イザヤ書53:1~4

「私たちの聞いたことを、誰が信じ得ようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼は私たちに顔を隠し、私たちは彼を軽蔑し、無視していた。彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。」

「私たちの聞いたことを、誰が信じ得ようか」

まさにイザヤが預言した通りです。誰も、自分が痛めつけ、侮辱している相手が神のメシアだと、誰も気づきませんでした。ローマの兵士たちはもちろん、聖書の言葉をよく知っているユダヤの大祭司や律法学者ですら気づきませんでした。何も知らずに自分たちの王を侮辱し、痛みを与える罪びとの姿がここにあります。

まさか自分の目の前に全世界の支配者、神がいるとは誰も思いませんでした。私たちも同じでしょう。何も知らず、神のメシアを侮辱する兵士たちを通して、私たちは神の御心に自分がどれだけ鈍感であるか、ということを見せつけられるのではないでしょうか。

「神の御心」とか「神のご計画」と聞いても、自分の日常からかけ離れた、どこか自分から遠いところにあるように思ってしまうのではないでしょうか。私たちはどこかで、キリストは遠いところにいらっしゃる方だ、遠い時代の方だ、と決め込んでいるのではないでしょうか。

今も目の前にキリストが共にいてくださるということ、キリストが私と一緒の歩幅で歩いてくださっている、ということをどれだけ現実味をもってとらえているだろうか。目に見えない聖霊の力を、導きを、守りを、どれだけ見ようとしているでしょうか。私たちの霊は乏しいのです。だからこそ、聖書を通して、キリストに痛みを与えた人たちの姿を通して反省しなければならないのではないでしょうか。

弱々しく、無抵抗に痛めつけられるイエス・キリストのお姿を見て、「これが本当に全世界の統治者・メシアなのだろうか」、と思わせられます。

エルサレムにお入りになる前に、キリストは弟子達にすでにご自分の受難を予告されていました。

「今、私たちはエルサレムへ上っていく。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭うったうえで殺す」

キリストはエルサレムでご自分を待ち受けている痛みを、侮辱を全てご存じでした。そしてエルサレムに入る前に弟子達を呼び寄せて、ご自分がなぜ殺されるのか、という神の救いのご計画の本質をお話になりました。

「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者とみなされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力をふるっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたいものは、皆に仕える者になり、一番上になりたいものは、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである」

ローマの兵士たちから侮辱され、たたかれ、唾を吐かれ、鞭うたれるお姿は、実は、ご自分の命を罪人のために身代金として捧げていらっしゃる、キリストの勝利のお姿なのです。

しかし、この時、異邦人の兵士たちから無抵抗に侮辱され、痛めつけられている主イエスの姿の中に、誰が神の勝利を見出すことができたでしょうか。イザヤが「誰が信じ得ようか」と預言した通りなのです。

キリストは弟子達に「人のために仕える」ということをお教えになりました。「私がそうしたように、君たちも、そうしなさい。私が生きたように、君たちも生きなさい」とお教えになりました。つまり、「神と隣人の僕として生きなさい」ということです。

全ての人がイエス・キリストのように生きる・・・すべての人が神の僕として神に仕え、隣人の僕として互いに仕えあう・・・それが、キリストが世に示された神の国なのです。神の支配、神の国とはそういう世界です。全ての人がイエス・キリストの支配の下に生きる、ということで全ての人が神と隣人に仕えて生きる平和の国が実現していきます。

さて、キリストはご自分の受難を予告された際、最後にこうおっしゃいました。

「そして人の子は三日の後に復活する。」

メシアは死に勝る支配をもたらしてくださいます。ご自分を殺す罪びとたちに永遠の命という恵みを下さるのです。

イザヤ書56章のイザヤの預言を最後に引用します。

「主のもとに集って来た異邦人は言うな、主はご自分の民と私を区別される、と。・・・主のもとに集って来た異邦人が主に仕え、主の名を愛し、その僕となり、安息日を守り、それを汚すことなく私の契約を固く守るなら、私は彼らを聖なる私の山に導き、私の祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。・・・私の家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。追い散らされたイスラエルを集める方、主なる神は言われる。すでに集められたものに、さらに加えて集めよう、と。」

イザヤは、異邦人への神の招きを預言しました。異邦人の兵士たちはイエス・キリストに唾を吐き、侮辱し、痛めつけた。しかしこの兵士たちでさえ神は招かれているのです。

「自分はあの時キリストに唾を吐いた、私はキリストを侮辱した、だから、自分は神に愛される資格などない」・・・そんなことはありません。もしそこで終わりなら、誰一人神に許されることはないでしょう。私たちは生きてきた中で何度キリストに唾を吐き、キリストを知らないと言い、キリストを鞭打ってきたでしょうか。

神はご自分の独り子を鞭で打ち、唾を吐き、侮辱した異邦人たちの罪を許すために、そんな私達のために、独り子の命をお与えになったのです。

パウロはコリント教会にこう記しています。

「罪と何のかかわりもない方を、神は私たちのために罪となさいました。私たちはその方によって神の義を得ることができたのです。」2コリ5:21

私たちが自分自身の罪の深さを知れば知るほど、それを赦してくださる神の愛の深さを知ることになります。自分の罪を嘆く罪びとの声の大きさよりも、神の招きの声の方が大きいのです。

招きのみ言葉へと霊の耳を開いていたいと思います。イエス・キリストをただ、キリストと信じ、許しの招きに身を委ねた先で、祈りの家に生きることができるのです。

2月13日の説教要旨

マルコ福音書15:1~15

「群衆はまた叫んだ。『十字架につけろ』」(15:13)

ユダヤの最高法院の人たちは、神であると自称したナザレのイエスを死刑にしてもらおうと、ローマ総督、ポンテオ・ピラトのところへと連れて行きました。ローマの支配下において、ユダヤ人たちは誰かを死刑にすることを許されていなかったのです。誰かに死刑の判決を下し、刑を執行するのは、ローマの権威よらなければならなりませんでした。

彼らはローマの総督であったピラトに、「この者はユダヤ人の王と自称しています」と言って引き渡したようです。それはつまり、「この者はローマへの反乱を企てています。十字架刑に処してください」ということです。

ピラトは、自分のところに連れてこられたナザレのイエスを見て、「これは、祭司長たちがナザレのイエスの人気を妬んでやっていることだ。イエスは何も罪を犯していない、ローマにとっても何の危険もない」とすぐに見抜きました。

ピラトは、ユダヤ人たちの問題に振り回されたくはありませんでした。ユダヤ人たちの思惑のために、ローマ総督の権威を利用されたくありません。無実の人間を死刑にすることは、ピラトにだって後味のいいものではなかったでしょう。

しかし、この日はユダヤの祭り、過越祭の当日でした。ユダヤ人たちの民族意識・愛国心が燃え上がる時です。ナザレのイエスをめぐって、ユダヤ人たちの感情が高ぶり、エルサレムで暴動が起こるようなことだけは避けたい、という思いも持っていました。

ピラトは本当はローマ総督の権威をもって「この者は無罪だ。死刑にはしない」と言うこともできました。しかし、それではユダヤ人たちの感情を損ねる、ということを恐れてもいました。

ピラトは現実主義者でした。ユダヤ人たちの感情を損ねずに、ナザレのイエスを解放する方法を考えます。祭りのたびごとに囚人を一人解放する、という習慣を用いることにしました。ピラトは「ユダヤ人の王を自称した」という、ナザレのイエスを助けるよう人々が願い出るだろうと踏んでいました。

しかし、その狙いは外れることになります。群衆が押しかけてきて、いつものように囚人を一人解放してほしいと要求し始めました。

ピラトは言いました。「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」

ピラトは、群衆が「そうです」と言うかと思っていました。しかし、「イエスではなくバラバを釈放してほしい」と群衆は答えたのです。ピラトが主イエスを取り調べている間に、祭司長たちが、群衆をそう言うように扇動していたのです。

聖書には、「暴動の時人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた」とあります。これだけ読むと、極悪非道な犯罪者という印象を受ける。

しかし、バラバは、普通の犯罪者とは違いました。「暴動に加わっていた」ということは、ユダヤのためにローマ帝国と戦った、ということです。「人殺しをして」というのは、ローマ兵を殺した、ということです。

ローマ帝国の支配・抑圧に不満をもっていたユダヤ人たちにとってバラバは、犯罪者ではなく、自分たちの自由のために戦ってくれた英雄だったのです。

それに対して、ナザレのイエスはどうだったでしょうか。この人は、自分で自分のことをユダヤ人の王だと言っているが武器をとってローマと戦うことをしていないじゃないか・・・そのような思いもあったでしょう。

ナザレのイエスは、エルサレムの民衆にとってガリラヤ地方から来た、田舎教師に過ぎませんでした。ユダヤ人のために武器を戦ってもいないのに、そしてエルサレムの人間でもないのに、ユダヤ人の王だと自称しているなんてお笑い草です。

愛国の英雄バラバが釈放されるのであれば、ナザレのイエスを死刑にすればいい。エルサレムの群衆は皆そう思いました。

エルサレムに入って来られた主イエスに対して、人々は様々な反応を示しました。ガリラヤから来た巡礼者たちは、主イエスに向かって「ホサナ」と叫び、歓声をもって一緒にエルサレムに入場してきました。

しかし、エルサレムの人たちは、神殿の境内から商人を追い出したり、律法学者たちと論争したり、神殿の境内で巡礼者たちに神の国の教えを説いたりする「この人は何者だろう」と見ていました。

ここで「イエスを十字架につけろ」と叫んだのは、エルサレムの人たちです。この人たちは、ピラトが主イエスを取り調べている間に、ナザレのイエスは死刑にすべき人間だ、ということを祭司長たちから説得されてしまっていました。

私たちは、これまで、主イエスの受難予告を見てきました。「私はエルサレムで殺されることになっている」と聞かされても弟子達は信じられませんでした。なぜこの方が十字架刑で殺されることになるのか、その理由が見当たらなかったからです。

私たちもそうではないでしょうか。ここまで、この方は何も悪いことをしていません。十字架刑というのは、ローマへの反逆者への見せしめの刑です。主イエスが武器を取って民衆を煽り立て、反乱軍のリーダーとして戦った、というのであれば、十字架刑に処せられる理由になりますが、実際にはそんなことはなさっていません。

ただ、神の国の福音を人々にお教えになっただけです。それなのに、なぜこの方は十字架に上げられることになったのでしょうか。

イエス・キリストは、ピラトによって有罪とされたわけではありません。この方はローマの裁判の中で有罪とされたわけではないのだから、別に「釈放」などされなくてもいいはずなのです。

それがなぜ、最後に十字架へと上げられることになったのでしょうか。「ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した」とあります。主イエスに罪を見出したからではありません。ローマの総督が、ユダヤの群衆を満足させるために、この方は十字架へと上げられることになったのだ。

聖書を読んでいて、なぜイエス・キリストが十字架へと上げられたのか、明な理由を私たちは見出すことはできません。主イエスは洪水に押し流されるように、十字架へと上げられていきます。弟子達に見捨てられ、最高法院で有罪判決を下され、群衆に突き上げられたピラトによって十字架刑の宣告をお受けになりました。

どの段階を見ても、正当な手続きは踏まれていません。そして誰一人として、この不当な十字架刑に対して否を唱えていないのです。

我無実の主イエスが次々にいろんなところで有罪とされ、十字架へと追いやられている姿が描かれています。あれだけ力強く奇跡をおこない、人を癒し、悪霊を追い払い、律法学者たち相手に一歩も引かなかった方が、無抵抗に負けていかれるのです。

イザヤ書53章には、神の子が人間の手によって殺されることになる、という預言があります。その預言は、「誰が信じることができただろうか」という言葉で始まっています。

確かにそうでしょう。なぜ、神の子・メシアが、罪人の手によって殺されるのか、そしてなぜそれが罪人にとっての救いなのか、私たち人間の理屈で考えてもわかりません。主イエスが弟子達に見捨てられ、ユダヤ人たちから排斥され、ローマ軍の手によって殺された、ということは、人間が神に勝利したように見えます。

もしも、イザヤ書の預言がなければ、イエス・キリストの十字架刑は、誰もこの方のことを理解せず、歴史の中で記憶されることもなかったのではないでしょうか。一人の犯罪者の処刑として終わっていたのではないでしょうか。

しかし、旧約の預言は、神の救いは、神の子が罪人の罪を担い、身代わりとなって殺されることによって成し遂げられることをあらかじめ伝えていました。

キリストは初めからご自分が十字架にかかることをご存じでした。弟子達に何度もそのことを予告されていました。この十字架の死こそがキリストの勝利だったのです。

キリストが予告した通り、まっすぐに十字架へと歩んでいかれます。弟子達に見捨てられ、ペトロに「そんな人は知らない」と否定され、ユダヤ人たちに逮捕されて有罪とされ、群衆によって「十字架につけろ」と言われ、ピラトに十字架刑を宣告される・・・全て、キリストの計画通り、すべて、神の御心の通りにことが進んでいます。

私たちは、この方が飲み干していらっしゃる苦難の杯に、どれだけ自分の罪を見出しているでしょうか。

イザヤ書53:4

「彼が担ったのは私達の病、彼が負ったのは私達の痛みであったのに、私達は思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだと」

キリストは一人一人の罪を背負っていかれます。

弟子達から見捨てられることで、弟子達の罪を背負われました。ペトロに知らないと言われることでペトロの罪を背負われました。 Continue reading

2月6日の説教要旨

マルコ福音書14:66~72

「ペトロは、『鶏が二度なく前に、あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう』とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣き出した」

聖書は、大祭司の屋敷の中と外で同時に起こったことを私たちに描いて見せています。大祭司の屋敷の中では、主イエスが「私こそがメシアだ」と言い現わされ、やがて栄光の雲にのってやってくる神であることを示されました。その時、屋敷の外では「あなたはナザレのイエスの仲間だ」と言われたペトロが自分の身を守るために、「私はそんな人は知らない」と嘘をついていました。

罪人のために命をお捨てになったイエス・キリストと、自分の命を救うためにキリストとは無関係であると偽ったペトロの姿が対照的です。

今日私たちが読んだところは、ペトロに焦点が当てられています。ペトロの姿を通して、我々は、自分のイエス・キリストに対する信仰の姿勢を顧みたいと思います。そして、このペトロのために、この私たちのために命をなげうってくださったキリストの恵みをかみしめていきましょう。

主イエスから離れながらも、遠くからここまでついてきていました。

主イエスは、オリーブ山で弟子達におっしゃいました。

「あなたがたは皆私につまずく。『私は羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ」

弟子達が散り散りに逃げていく羊のようにご自分を見捨てることを予告されていました。

弟子達は「そんなことはしない」と言い、ペトロは「たとえ、みんながつまずいても、私はつまずきません」と言いました。それに対して主イエスは「あなたは、今日、今夜、鶏が二度なく前に、三度私のこと知らないというだろう」とおっしゃいました。

ペトロは心外だと言わんばかりに食い下がって、力を込めて言います。「たとえご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは申しません」しかし、オリーブ山に主イエスを逮捕する群衆がやってきた時に、皆主イエスを見捨てて逃げてしまいます。

我々は、ナザレのイエスの弟子であることを否定し、「イエスなんて人は知らない」と言ってしまったペトロのことを弱い信仰者の姿として見がちです。しかし、12人の弟子達の中で、唯一ペトロだけが、この大祭司の屋敷の中庭まで従って来ていたのだ。ペトロは、まだ主イエスを見捨てていません。

しかし、ここでペトロは、「あなたはイエスの弟子ではないのか・あなたはイエスと一緒にいたのではないか」と三度聞かれ、三度否定してしまうことになります。

よく見てみると、ペトロの否定は一度目よりも二度目、二度目よりも三度目の方が強くなっています。

はじめに、一人の女中がペトロを見て何気なく「あなたもナザレのイエスと一緒にいた」と言いました。この「女中」というのは、まだ少女だったでしょう。一人の少女が相手だから、「なんのことだ」と言って、ペトロは相手にせず簡単に逃げることが出来ました。

しかし、その女中は今度はペトロではなく周りの人たちに言います。「この人は、イエスの仲間です」

今度はペトロは聞こえないふり、知らないふりができなくなりました。ペトロがイエスの弟子かどうか、ということが公の問題となってしまったのです。はっきりと言わなければならなくなりました。ペトロはもう一度打ち消します。これで、公に自分がイエスの仲間・弟子ではない、ということを宣言しまうことになります。

周囲にいた人たちは、ペトロのガリラヤのなまりを聞いたのでしょう、「確かにお前はガリラヤ人だ」と言って、ガリラヤのナザレのイエスの仲間かどうかを追求しました。

ここまで言われるとペトロは更にはっきりと、そこにいる全員に対して強く主イエスとの関係を否定しなければならなくなります。

「呪いの言葉さえ口にしながら」とありますが、これは、「誰かを呪う」、という言葉です。ペトロは、誰かを呪いました。もちろん、主イエスのことです。ペトロは確かに主イエスのことを呪いながら、「私はイエスの弟子ではない。私はイエスなど知らない」と言い切ってしまいました。

ペトロは自分がこの場から逃れるのに必死で、オリーブ山でのイエス・キリストから「あなたは今日、今夜、鶏が二度なく前に三度私を知らないと言うだろう」と言われたことを忘れていたようです。呪いとともに主イエスとの関係を否定したその時、鶏の声が聞こえ、オリーブ山での記憶を呼び戻しました。

ペトロは死ぬまで、何度この夜の自分を思い出したでしょうか。そしてそのたびにどれだけ自己嫌悪に陥ったでしょうか。ガリラヤ湖で漁師をしていたペトロは、自分の家を、舟を、家族をあとに残してまで主イエスに従って来ました。ペトロにとって主イエスは自分の家族以上の方でした。この方こそ神の子・メシアだと信じて、そう告白しました。

しかし家族以上に大切に思い、神の子・メシアだと信じた方を、自分の口で呪い、「自分とあの人は関係ない」、と言い切ってしまいました。

ペトロがご自分のことをメシアであると言い現わした時、主イエスは弟子達におっしゃいました。

「神に背いたこの罪深い時代に、私と私の言葉を恥じるものは、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる」

ペトロは鶏の声を聴いて、泣き崩れてしまいました。

さて、もうペトロは終わりでしょうか。「イエスなど知らない」と言ってしまったペトロのことを、イエス・キリストは「お前のことなど知らない」とおっしゃるでしょうか。

そうではありません。キリストはペトロに、弟子達に、「あなたがたは皆私につまずく」と前もっておっしゃっていました。キリストはペトロが、弟子達がご自分をお見捨てになることをご存じでした。ご自分を離れ、さまよう羊のように道を失ってしまうことを前もってご存じでした。

だからこそ、前もって、私は復活したのち、あなたがたより先にガリラヤへ行く」と、再会を約束されたのだ。信仰のつまずきによって、キリストから離れることによって道を見失うことになる弟子達に、行くべき道を、彼らを待っている希望をお示しになっていました。

その言葉通り、十字架で殺され、三日目に復活なさったイエス・キリストは弟子達のために、ご自分の墓の中に言葉を残されていました。空になったキリストの墓で、光り輝くみ使いが告げます。

「さあ、行って、弟子達とペトロに告げなさい。『あの方はあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われた通り、そこでお目にかかれる』と」

み使いは、「弟子達とペトロに」と言います。特別にペトロの名前を言うのです。誰よりも最後までイエス・キリストに従おうと近くについて行ったのに、最後に呪いの言葉を口にしなければならないところまで追い込まれてしまいまい、鶏の鳴き声を聞いて崩れたペトロの苦しみを知っていたからでしょう。

ペトロは泣き崩れました。しかし、その涙は復活のキリストへと立ち返ったところで、喜びと感謝の涙へと変えられます。後悔の涙が喜びと感謝の涙へと変えられる、それが信仰がもつ意味ではないでしょうか。

私たちも何度、これまでの歩みの中でペトロが聞いた鶏の声を聴いてきただろうか。何度、キリストから離れ、キリストを否定する自分を見せつられてきただろうか。そして、これから何度、鶏の声を聞くことになるでしょうか。

私たちの躓きの先には、復活のキリストの招きがあります。つまずきで終わりではありません。私たちの自己嫌悪と涙は何度でも、喜びと感謝の涙へと変えていただけるのです。キリストに従うということは、そういうことなのです。

さて、最後に考えたいと思います。ペトロをはじめ、弟子達はこのつまずきの先で、キリストの招きと召しを受けて、使徒として働き始めることになります。しかし、12弟子の中で一人だけ、使徒になれなかった人がいます。イスカリオテのユダです。

ユダと、他の11人の道を分けたのは一体何だったのでしょうか。マルコ福音書には、もうユダは出てこない。彼がどうなったのかはわかりません。他の福音書を見ると、ユダは自殺した、ということが記されています。

キリストの使徒として生きる道と、自らの命を閉ざす道・・・ユダと他の11人の違いはなんだったのでしょうか。一つだけはっきりしているのは、ユダはキリストに立ち返らなかった、ということです。彼は立ち返る場所にイエス・キリストを見出だしませんでした。キリストを見ようとしなかったユダは、キリストから離れた後、生きる道を失いました。キリストの許しの言葉を、回復の希望を、ユダは自ら断ってしまったのです。

ここに、信仰の分かれ道があります。

キリストの復活の予告に希望を見出し、復活のキリストの許しを得た11人の弟子達は、そしてペトロは、新たに使徒としての道を歩み始めます。命を捨ててくださった方のことを、今度は自分が命を懸けて伝え始めることになったのです。キリストに立ち返ったからです。 Continue reading