MIYAKEJIMA CHURCH

7月25日の説教要旨

マルコ福音書12:1~12

「聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、私たちの目には不思議に見える』」。(12:10~11)

ユダヤの指導者たちは、神殿の境内をまるで自分の家にいるかのように振る舞っているナザレのイエスに腹を立てていました。彼らは、「何の権威であなたはこんなことをしているのか。誰が、そうする権威を与えたのか」と直接詰め寄ります。

指導者たちからの質問に対して、主イエスは「ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか」と、逆に質問されました。「それに答えたら、私も答えよう」。ご自分には、洗礼者ヨハネと同じ権威がある、それは天からものだ、ということを暗に示されたのです。

ヨハネを支持していていた群衆が周りにいたので、指導者たちは、「ヨハネの洗礼が天からのものか人からのものかわからない」と答えました。主イエスは「それなら、私も答えないでおこう」とおっしゃいます。

ユダヤの指導者たちと主イエスとのやり取りは、それだけでは終わりませんでした。続けて主イエスは一つのたとえ話をお聞かせになります。

こういう内容です。

ある人が、農夫たちに、ブドウ園を作り、農夫たちに貸して旅に出ました。

「垣をめぐらし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て」、これを農夫に貸した、とありますので、主人は、農夫たちが作業をするために必要なものを全て整え、ブドウ園の所有者としての責任を全て果たし、農夫たちを信頼して旅に出たのです。農夫たちは、毎年、その年の収穫の内一定の量をブドウ園の所有者、「主人」に納める契約だったようです。

収穫の時期になったので農園の主人は自分の僕を送りました。しかし、農夫たちは次々に送られてくる僕たちを殴ったり、殺したりして、農園の主人に収穫をよこそうとしません。主人は「自分の息子なら、農夫たちも敬ってくれるだろう」と思い、最後には大事な跡取り息子を遣わしました。しかし、農夫たちは、「主人から送られてくる跡取り息子殺せば、相続財産が自分たちのものになる」、と考え、結局殺してしまうのでした。

ひどい内容の話です。この話はたとえ話なので、現実に起こった話ではありません。これは一体何の話なのでしょうか。

エルサレムの指導者たちはこの話を聞いて、「イエスが自分たちに当てつけてこの喩を話した」と気づきました。「イエスは、自分たちのことを、この話に出てくる農夫に当てつけている。」

主イエスがこのたとえ話の中で示されている「農夫たち」が指導者たちであるとするなら、話に出てくる「主人」とは誰なのでしょう。「農園」とは何でしょうか。「主人の僕たち」「主人の息子」とは誰なのでしょうか。

律法や預言の言葉をよく知っているユダヤ人であれば、このたとえ話を聞いたらイザヤ書の5章にある、「ブドウ畑の歌」を思い出したでしょう。神が畑でブドウを育てて収穫を待たれたのに、その畑に実ったのは酸っぱい実だけだった、という悲しみの歌です。神は嘆かれます。「畑のために私がしなければならなかったことがまだあるというのか。」

イザヤの歌の中で言われているブドウ畑というのは、イスラエルのことです。その畑の主人は神です。

このイザヤ預言に照らし合わせて主イエスがお話しなさった「ブドウ園と農夫」のたとえを見ると、主イエスが何をお見せになろうとしたのかがよくわかります。「ブドウ園の主人」は、神であり、「主人の下から遣わされる僕たち」は預言者であり、「主人の愛する一人の息子」は、神の子・メシアです。

主イエスは、このブドウ園と農夫のたとえ話を通して、神とイスラエルの歴史そのものを指導者たちにお見せになっているのです。旧約聖書を読めばわかります。神は、不信仰のイスラエルに何度も預言者を送られました。預言者たちは、歴史の中で何度も「神に立ち返りなさい」という神の言葉をイスラエルに伝えました。しかし、イスラエルは預言者たちの言葉を聞かなかったのです。ある時は無視し、ある時は牢屋に入れ、ある時は殺しました。

この主イエスのたとえ話の中で主人に遣わされた僕たちは、農夫たちによってふくろ叩きにされたり、殴られたり、侮辱されたりしています。ある僕は殺されている。まさに、預言者たちが歴史の中で受けて来た扱いそのものです。

我々はこのたとえ話を読んで、不思議に思うのではないでしょうか。なぜ農夫はここまで主人に反抗したのでしょうか。いやそれ以上に、農夫たちの度重なる反抗にも関わらず、主人はなぜ僕を何人も遣わしたのでしょうか。自分の僕が一人でもこのような目にあわされたのであれば、農夫たちを罰するに十分な理由になるでしょう。

しかし、主人は、この話の中で、ブドウ園の収穫を諦めないのです。農夫たちが心を入れ替えて、自分に収穫をもたらしてくれる、という希望を捨てようとしないのです。

主人は、一人を送ります。すると、その僕は殴られ侮辱されました。主人はさらにもう一人を送りました。その僕は、今度は殺されてしまいます。主人は、それでもまた僕を何人も送り続けました。「ある者は殴られ、ある者は殺された」、とあります。

そして主人は最後に、自分の一人息子を送ることになります。ブドウ園の主人は、もう自分の息子しか残らないほどに、僕を農園に送り続けた、ということです。

なぜこの主人はそれほどまで、農夫たちが変わることに希望を持ったのでしょうか。はっきり言えば、私達にはわかりません。それが、神の愛の深さなのです。私達の理解を超えて、神は私達を愛してくださっているのです。

このたとえ話の「主人」の姿に、神のイスラエルへの愛が現わされています。神は、何人預言者が殺されようとも、イスラエルを取り戻されるのを諦めませんでした。最後には、ご自分の愛する独り子を世に送られたのです。

ユダヤの指導者たちは、ナザレのイエスを殺そうとしていました。それは、イスラエルが、自分たちが信じている神の独り子を殺す、ということなのです。

最後に送られて来た主人の息子は、農夫たちにとって、主人に許してもらう最後の機会でした。主人の息子を敬い、受け入れさえすれば、それまでのことを主人に許してもらえたかもしれません。しかし、農夫たちは、最後の最後まで「この息子さえ殺せば、農園が手に入る」、と考えてしまいました。

主イエスのこのたとえ話で大事な点は、主人の息子が殺されて終わりではない、ということです。実は、話はその後のことに焦点が置かれています。

ブドウ園の主人の息子を殺した農夫たちは、どうなるでしょうか。「ブドウ園の主人は戻って来て農夫たちを殺すにちがいない。そしてブドウ園を他の人たちに与えるに違いない」と主イエスはおっしゃる。

このたとえ話を通して示されたことは明らかでした。今、指導者たちが主イエスを殺そうとしていることは神への反逆だ、と言うことです。ブドウ園の主人が遣わした人を受け入れない、ということは、主人を受け入れない、ということです。そして主人の一人息子を殺した後には、主人自身が来て、農夫たちを裁くことになるのです。

「主人が来た時、農夫たちはどうなるだろうか」

この問いこそ、主イエスのたとえ話の意図です。これから神の子を十字架に上げる、ユダヤの宗教指導者たちが何を見ることになるのか・・・主人の息子が殺されたことによって、このブドウ園はこれまでの農夫とは別の人たちに与えられることになります。神の畑は、もう彼らのものではなくなるのです。

主イエスは「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、私達の目には不思議に見える」と締めくくられました。これは詩編118:23の引用です。

農夫たちに殺され、捨てられた主人の跡取り息子が元になって、何か新しいものが造られる、という謎めいたことが言われています。「不要だ」と思って捨てた石が、皮肉にも、やがて一番大事な家の土台となる石となるだろう、という主イエスの預言です。

主イエスはご自分を待つ十字架の死を見ていらっしゃいます。主イエスの死によって、何かが生まれるのです。ヨハネ福音書で、主イエスがおっしゃったこういう言葉があります。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」

人々から捨てられたキリストの上に、教会が造られていくことになります。罪の許しをキリストに求めて祈る人たちが、聖霊に導かれ捨てられた隅の親石へと招き入れられるのです。

神は、長い長いイスラエルの歴史の中で、預言者たちを通してどれだけ種を蒔いてこられたでしょうか。今、ご自分の独り子、神の子キリスト・イエスを世に遣わして、人間を取り戻そうとなさいます。

これから、神の子は、ご自分の命を使って、神の招きの言葉を世界に聞かせようとなさいます。十字架の上で、ご自身の死を通して神の愛を示されることになるのです。

指導者たちは、自分たちは神のために正しいことをしている、と考えていたでしょう。しかし、主イエスのたとえ話を通して、人間の心の目・霊の目がどれほど曇っているか、ということを思い知らされるのではないでしょうか。

彼らは、「神殿の秩序を守るために、神への信仰を守るために」という思いをもって、神の子を殺そうとしています。 Continue reading

7月18日の説教要旨

マルコ福音書11:27~33

「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。」(11:29)

エルサレムに入られて三日目の火曜日の朝、主イエスはまた神殿の境内に入られました。過越祭に巡礼に来ているのだから、主イエスが神殿の境内に入られるということは、当然のように思えるかもしれません。しかし、よく考えるとこのことは当たり前のことではないと思います。

この前の日、神殿の境内、つまり「異邦人の中庭」と呼ばれるこの場所で、主イエスは激しく暴れ、そこで売り買いをしていた人たちを追い出されました。両替人の台やハトを売る者の腰掛をひっくり返し、境内を通って物を運ぶこともお許しになりませんでした。そしてそのままその場所で、主イエスは夕方になるまで神殿の境内で群衆に神の国の教えを説かれたのです。

いい目立ち方ではありません。これを見たユダヤの指導者たちは、主イエスを殺す相談を始めました。この月曜日の事件は、当然たくさんの人が見ていたでしょうし、噂になったでしょう。普通なら、捕らえられてしまう危険性を考えて、もう二度と同じ場所に戻ってくることはしないのではないでしょうか。しかし、主イエスはまるで何事もなかったかのように、月曜日と同じように、火曜日にも神殿の境内に入って来て歩いていらっしゃったのです。

ユダヤの指導者たちも驚いたでしょう。ナザレのイエスが昨日あんなことをしておいて、まさかまた同じ場所にやってくるとは思ってもみなかったのではないでしょうか。この機会を逃さず、詰め寄りました。

「あなたは何の権威で、このようなことをしているのか。誰が、そうする権威を与えたのか」

この人たちは、ユダヤで一番権威のある宗教指導者たちです。最高法院の構成員であり、ユダヤの宗教的な教えの秩序を保つ責任を負っていました。当然、神殿の境内から人々を追い出し、その場所で勝手に群衆に教えを説いたナザレのイエスを調査する責任がありました。神殿の境内で暴れたり、群衆に教えを説いたりすることは、危険極まりないことだったのです。過越祭の時期にそんなことをされると、ローマへの暴動が起こるかもしれません。

主イエスは、彼らの質問に対して、悪びれた様子をお見せになっていません。主はエルサレムに入られてから、一つの姿勢を貫かれています。それは「エルサレム神殿は、私の家だ」、という姿勢です。

「ここは私の家なのだから、ここに来る人は誰でも、私が望むように振る舞いなさい。ここで両替や生贄の売買を行ってはいけない。それは、私の家でするべきことではない。私の家は祈りの家でなければならない」主イエスの神殿での振る舞いは、そのような姿勢に基づいています。

主イエスは昨日暴れた神殿の境内に、また今日もごく自然に入って、歩かれたのは、そこがご自分の家だったからです。神殿は、神の家です。そしてそこをご自分の家として歩いていらっしゃるイエス・キリストは、正に、神殿に来られた神のお姿なのです。

私達は、まず、このことをきちんとここで踏まえておかなければならないと思います。

主イエスは彼らの質問に対して、質問で返されました。

「ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい」

なぜ、質問に対して、質問で返されたのでしょうか。

なぜ突然、洗礼者ヨハネの名前を出されたのでしょうか。

この言い方はつまり、主イエスの権威は洗礼者ヨハネと同じところから来ている、ということでしょう。「私の権威は洗礼者ヨハネと同じところから来ている。あなた方は、それを天からだと思うか、それとも人からだと思うか。」そう問われたのです。

主イエスはあえて質問なさいました。なぜでしょうか。彼の信仰の姿勢を確かめるためです。もし彼らが、「洗礼者ヨハネの権威が人からのものだ」と考えているのであれば、主イエスがいくら「私の権威は天からのものだ。私はキリストだ」とおっしゃっても彼らは受け入れることが出来ません。

もしも彼らが「ヨハネの洗礼は天からのものです」と心から信じ答えれば、主イエスは「あなた方の考えは正しい。私の権威も天からのものだ。あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃるでしょう。

しかし、指導者たちの答えは「わからない」でした。この質問は、指導者たちにとって大きな声ではっきりと答えたくないものでした。

指導者たちは、洗礼者ヨハネのことをもちろん知っていました。ヘロデに向かって、「あなたは律法に反する結婚をしている」と非難して、最後には首を切られてしまった人です。人々は、洗礼者ヨハネのことを、「天から権威を与えられた預言者である」と信じていましたし、多くの人がヨハネから洗礼を受けていました。

指導者たちも、洗礼者ヨハネがヘロデに向かって行った抗議は聖書の教えに基づく正しいものだったことがわかっていたでしょう。洗礼者ヨハネには、人間を超えた権威が天から与えられている、ということもうすうすは感じていたはずです。

しかし彼らは、この場では、はっきりと答えたくなかったのです。ヨハネのことを預言者だと信じていた人たちが周りに多くいたからです。

もし指導者たちがヨハネの権威は天からのものだと言えば、「ではなぜヨハネを信じなかったのか、なぜヨハネの味方をしなかったのか」、と言われてしまいます。ヨハネの権威が人からのものだと言えば、ヨハネを天からの預言者だと信じている群衆から非難されてしまいます。彼らが気にしたのは、人々からの評価、自分たちの保身でした。答えに困った彼らは、その場をしのぐために、「わからない」と言いました。

主イエスは、「それでは、私も答えるのをやめよう」とおっしゃいました。少し意地悪な言い方にも思えます。しかし、洗礼者ヨハネの権威について、それが天からか人からかわからない、と言うのであれば、主イエスが何とおっしゃっても、彼らにはわからないのです。

指導者たちの質問は、ナザレのイエスが本当に天から来られたキリストかどうか、ということを知るためではありませんでした。「どうすれば、この男を殺すことが出来るか、言葉尻をとらえてやろう」という思いからです。

そのような人たちには、主イエスが何をおっしゃっても正しくは伝わりません。「わからない」と言う指導者たちに、主イエスは「何も言うまい」とおっしゃいました。

この時、指導者たちが経験したことは、主イエスを求める人が誰でも経験することではないでしょうか。

「イエスとは何者だろう」と問いながら聖書を読んでも、よくわからないでしょう。「イエスとはあなたは何者なのか。本当に救い主なのか」と問いながら聖書を読んでも、私達は逆に聖書の中からキリストに問い返されるのです。

「あなたは、私を何者だと言うのか」

これまで、ファリサイ派の人たちは、主イエスに向かって「しるしを見せてほしい」と言ってきました。あなたは預言者なのか、メシアなのか、一体何者なのか、それがわかる徴、証拠を見せてほしい、と言ってきました。しかし、主イエスは、徴をお見せになることを拒まれました。信じていない人、信じようとしない人に徴を見せても、通じないからです。

主イエスがキリストである、ということは、説明されてわかるものではありません。上手に説明ができたら、皆この方をメシアと信じるようになるか、というとそうではありません。

逆なのです。説明されて理解するのではなく、信じた先でイエス・キリストに出会う、というのが信仰なのです。

主イエスは以前、ご自分の弟子達に対して「あなたがたは私を何者だと言うのか」と問われました。「私はメシアだから、そのように信じなさい」と説明したりなさいませんでした。主イエスはいつでも、ご自分を求める人に対して問われるのです。

「私に何をしてほしいのか」

「私にできると信じるのか」

「あなたは私を何者だと信じているのか」

私達は、信仰を通して答えをいただきます。この方をメシアであると信じたその先に、信仰の答えがあります。逆に、信仰もなくこの方を見ても、何もわかりません。結局、頭の中でキリストをこねくり回して終わるだけです。

主イエスは、ヨハネと同じ、天からの権威をお持ちでした。ヨハネと同じ天の権威を託されている、ということは、ヨハネと同じ運命を天から課されている、ということでもありました。それは、人々を神へと立ち返らせるため・導くために自分の命を使うということでした。

ヨハネは荒野で神への立ち返りを叫んでキリストの到来の前触れとなりましたが、同じように、ヨハネの死はキリストの死の前触れとなりました。

聖書が私達に示す一番の謎は、これだと思います。なぜ、洗礼者ヨハネは神の救いのご計画のために死ななければならなかったのか。なぜ、イエス・キリストは、神の子でありながら、十字架で死ななければならなかったのか。

この時の指導者たちの姿を通して、私達は考えたいと思います。彼らは、ナザレのイエスを殺す、という「自分たちの計画」だけを見て、自分たちを救おうとしてくださっている「神の計画」が見えなくなっていました。

私達が、人々の目や評価や、自分の立場といったものを超えて、真剣に、「なぜ天からの権威をもったキリストが殺されなければならなかったのか」、ということを考えた時、必ずそこに自分の罪の問題を見出すことになります。

悔い改めの中、救いへの渇望をもってキリストの十字架を見上げてはじめて、私達は、このイエスという方が何者であったのか、そしてその死の本当の意味を見出していくことになるのです。

7月11日の説教要旨

マルコ福音書11:18~26

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」(11:24)

主イエスが神殿の境内から商人たちを追い出されたのを見て、祭司長・律法学者。長老たちといったユダヤの指導者たちは、「あのイエスをどのようにして殺そうか」と相談を始めました。

過越祭の時期は、ユダヤ人指導者が神経をとがらせていました。エルサレムに世界中からユダヤ人が巡礼に集って来て、イスラエルが外国の支配からの解放を記念するのです。ユダヤ人の愛国精神が高まる時期でした。些細なきっかけで過越祭のエルサレムからローマへの暴動が起きかねません。

そんな中で、ナザレからイエスという人がやって来てエルサレムの都の中で人々から注目を浴びるようになっていました。ナザレのイエスは、日曜日にエルサレムに到着し、ガリラヤからの巡礼者たちから「ホサナ」と讃えられながら入場してきました。翌日の月曜日にはエルサレム神殿の境内で両替や生贄を売っていた商人たちを追い出しました。そして今やエルサレムの人たちは、このイエスという人が語る言葉に熱心に耳を傾けるようになっていました。

ユダヤ人の指導者であった祭司や律法学者たちは、誰にもエルサレムで目立つことをしてほしくありませんでした。巡礼者たちには、静かに過ごしてほしかったのです。ナザレのイエスの振る舞いは、目に余るものがありました。何とか、ナザレのイエスがこれ以上目立つことのないように、暴動の芽を早いうちに摘んでおく必要を感じました。

指導者たちは、群衆の知らないところでナザレのイエスを殺すしかない、と計画を立て始めます。いよいよ、イエス・キリストの十字架に向かって事態が動き始めることになります。

さて、今日私達は、キリストが呪われたイチジクの木が枯れ、それを見た弟子達が驚いた、というところを読みました。

聖書は一本のイチジクの木のことを何度も書いています。大人気ない八つ当たりのようにも見える、主イエスのイチジクの木に対する呪いの言葉、そしてその言葉によって木がどうなったのか、そしてそれを見た弟子達の反応と、聖書はイチジクの木を巡って起こったことをとても丁寧に描いています。たかが一本のイチジクの木がそれほど大事なのでしょうか。

旧約聖書を見ると、イスラエルの不信仰を神が嘆かれている言葉がたくさんあります。神は不信仰のイスラエルを、実をつけないイチジクや、実を結ばないブドウに例えていらっしゃいます。

紀元前8世紀、イスラエル南王国の預言者であったミカが、このような神の言葉を伝えています。

「悲しいかな、私は夏の果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく、私の好む初なりのイチジクもない。主の慈しみに生きる者はこの国から滅び、人々の中に正しい者はいなくなった。」

神が、信仰者を探そうとなさっても、見つからなかった、と言うのです。イスラエルの中に正しい信仰者を探すのは、季節外れの時期にイチジクの木に果実を探すようなものだ、とおっしゃいます。

預言者ミカと同じ時期にエルサレムで預言をしていたイザヤも、イザヤ書の5章に「ぶどう畑の歌」と呼ばれている神の言葉を残しています。神が、肥沃な丘をよく耕して石を除き、良いブドウを植えられたのに、そのブドウ畑に実ったのは酸っぱいブドウの実だった、という内容の歌です。その歌の中で神はおっしゃいます。「私がブドウ畑のためになすべきことで何か、しなかったことがまだあると言うのか。」

イザヤが伝えるこの「ブドウ畑」というのは、紀元前8世紀にエルサレムに住む人たちのことでした。神が愛情を注ぎ、イスラエルの人々を、そしてエルサレムの都にご自分の愛を注がれたのに、イスラエルはそれに答えなかった、神は、そのようなエルサレムの不信仰を「農夫に収穫の実をつけないぶどう畑」とおっしゃいます。

これらの旧約の預言を踏まえて、キリストによって枯らされてしまったイチジクの木を見ると、その象徴的な意味がよくわかると思います。このイチジクの木は祈りを無くしてしまったキリストの時代のエルサレム神殿でした。キリストは、このイチジクを枯らすことによって、弟子達に不信仰の末路をお示しになったのです。

これは、主イエスから弟子達は強烈なメッセージでした。しかし、弟子達は、主イエスがこのイチジクの木を通してお伝えになろうとしたことを、きちんと受け止めることができたでしょうか。

弟子達は確かにイチジクの木が枯れていることに驚きました。しかし、彼らが驚いたのは、祈りの家であるはずのエルサレム神殿の不信仰ではなく、単に、主イエスの言葉によって「イチジクの木が枯れた」、という事実でした。

弟子達はこれまでに何度も、主イエスが奇跡を行われるのを見て来ました。主イエスは病の人を癒したり、悪霊を追い出したりしてこられました。彼らが見て来た奇跡は全て、病や悪霊から誰かを救いだすための、救いの御業でした。

しかし、このイチジクの木を枯らしてしまう、という奇跡は、今までの主イエスが行われてきたこととは全く種類が違います。人間相手ではなく、木が相手です。救い業ではなく呪いの業です。弟子達は、なぜ主イエスがこのようなことをなさったのか、この時は理解できなかったでしょう。

驚く弟子達に、主イエスはおっしゃった。

「神を信じなさい。はっきり言っておく。誰でも、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、その通りになる。」

主イエスはただ、祈りが持っている力、信仰が持っている力を弟子達にお伝えになりました。

「少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、その通りになる。」

私達はこの言葉を聞いてどう思うでしょうか。

「本当だろうか」と思うのではないでしょうか。信仰者であれば、誰だって神に祈ります。そして信仰者であるなら、「祈ったら何でも叶うなんていうことはない」、ということもよくわかてっているでしょう。たくさん祈る人ほど、そのことをよく知っているのではないでしょうか。

私達には、どんなに真剣に祈っても、実現しない願い事はたくさんあるのです。私達にとって祈り・信仰とは、都合のいいことを起こしてくれる魔術のようなものではありません。

ここを読む際に大事なことは、主イエスがここでおっしゃっている「この山」とは何か、と言うことです。主イエスがここでおっしゃっている「この山」というのは、エルサレムのある山のことです。もっと言えば、神殿のことです。

そのことを踏まえて主イエスの言葉を読むと、「心からの祈りは、強盗の巣になっている神殿に勝っている」、ということであることがわかります。神殿の建物に力があるのではない。祈りに、信仰に力がある、と言うことです。単純なことですが、これは見た目にすぐに影響されてしまう私達にとって大事なことだと思います。

主イエスが弟子達におっしゃったことは、とても単純でした。

「神を信じなさい」

この単純なイエス・キリストの一言が、後の弟子達にとってどれだけ大きな支えになったかわかりません。

十字架の死から復活なさった主イエスが天に昇られる際、弟子達は地の果てまでイエス・キリストの復活を証しするよう命じられました。「自分たちにそんな大それたことが出来るだろうか、この人数でできるだろうか」、と恐れたでしょう。

しかし、弟子達は神を信じました。自分たちではなく、神を信じました。そして祈り続け、聖霊を受け、世界へとキリストの復活を一生かけて伝え続けました。弟子達は主イエスがおっしゃった言葉の意味を、後々まで何度も思い出して考えたのではないでしょうか。「神を信じなさい」「祈り求める者は全て既に得られたと信じなさい」というキリストの言葉が、彼らの心に残り、彼らを支えていったのです。

主イエスは、最後に弟子達にこうおっしゃいました。

「立って祈る時、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、許してあげなさい。そうすれば、あなた方の天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる」

我々キリストを信じる者の祈りとは何なのか、ということがこの一言に現れています。私達が祈りを通して神の求める究極のもの、それは「許し」です。人を許すこと、人に許してもらうこと、そして神に許していただくことです。

ルカ福音書に、放蕩息子のたとえと呼ばれるキリストのたとえ話があります。家を捨てて放蕩の限りを尽くした息子は、放蕩の果てに全てを無くし、最後に求めたのは、父の家に帰ることでした。彼が最後の最後で求めたのは、財産ではなく、放蕩でもなく、父の許しだったのです。

「お父さん、私を許してください」と言って父の下に帰る息子の姿こそ、信仰者の祈りの姿です。 Continue reading

07月04日の説教要旨

マルコによる福音書11:11~18

「葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなっていないかと近寄られたが、葉の他は何もなかった。」(11:13)

 過越祭への巡礼のため、主イエスと弟子達は、エルサレムの近くにあるベタニアという村に宿を取られました。

主イエスは日曜日に子ロバに乗って、武器も持たず、柔和で謙遜な姿でエルサレムに入場されました。それは、預言者ゼカリヤが預言したエルサレムの王の入場の姿そのものでした。

 エルサレムに入られる直前に主イエスはご自分の使命について弟子達におっしゃいました。「人の子は、仕えられるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た。」

罪にとらわれている人たちを取り戻すために、身代金としてご自分の血を流されるキリストの十字架への秒読みが始ました。その秒読みの中で、主イエスが何をなさったのか、ということを見ていきたいと思います。

私達が今日読んだのは、エルサレム入場の翌日のこと、月曜日の出来事です。

エルサレムに向かうためにベタニアの村から出ようとされた時、主イエスは葉っぱが茂っているイチジクの木をご覧になりました。それは遠くから見たらたくさん実をつけているように見える木でした。しかし、近づいてみると、その木にはイチジクの実が一つもなっていませんでした。主イエスは、その木を呪われます。

 そしてそのままエルサレムの町に入り、神殿の境内に入って行かれました。そこで商人たちが台を置いて、巡礼者たちを相手に、両替をしたり、生贄を売ったりしていたのをご覧になって、お怒りになって台や腰掛をひっくり返されました。

 ここを読んで、どう思うでしょうか。

月曜日に主イエスがなさったことは、私達にとっては首をかしげるようなことではないでしょうか。イチジクの木を、実がなっていないからと言って呪ったり、神殿で大暴れしたり・・・これまで私達が見て来た穏やかなイエス・キリストのお姿からは考えられないような振る舞いではないでしょうか。

イエス・キリストのこれらの振る舞いは、一体何だったのでしょうか。マルコ福音書は、この11章全体を通して、イチジクと神殿を交互に描いています。聖書は、イチジクの木に、その時代のエルサレム神殿を重ね合わせて私達に見せようとしているのです。

イチジクの木は、少し離れたところからだと、葉が茂っていたのでたくさんの実がついているように見えました。しかし、近くで見ると一つも実がなっていませんでした。

エルサレム神殿もそうだったのです。確かに遠くから見れば、立派な建築物でした。しかし、神殿の中では両替が行われ、生贄の売買が行われていたのです。

主イエスにとって、そのようなエルサレム神殿はもはや「祈りの家」ではありませんでした。離れたところから見てどんなに立派に見えたとしても、主イエスに言わせれば、その中身は「強盗の巣」だったのです。

イチジクの木はキリストご自身によって呪われ、枯らされてしまいます。それはエルサレム神殿の運命を暗示しています。実際にエルサレム神殿は、この出来事の約40年後、紀元70年にローマ軍によって破壊されることになるのです。

私達は、この月曜日のイエス・キリストの振る舞いを、「子供じみみた振る舞いだ」と言って、軽んじてはいけないと思います。

イエス・キリストが実を結ばないイチジクの木を呪われた、ということ、そして祈りがなかったエルサレム神殿から商人たちを追い出されたということ・・・これらのことを通して、信仰者は、自分の信仰を吟味しなければならないのではないでしょうか。

神殿は、ダビデ王の後のソロモン王の時代に建てられました。神殿の建築が完成した時、ソロモンはこのように祈りました。

「あなたの民イスラエルに属さない異国人が、御名を慕い、遠い国から来て、この神殿に来て祈るなら、あなたはお住まいである天にいましてそれに耳を傾け、その異国人があなたに叫び求めることを全てかなえてください。こうして、地上の全ての民は御名を知り、あなたの民イスラエルと同様にあなたを畏れ敬い、私の建てたこの神殿が御名をもって呼ばれていることを知るでしょう」

それに対して、神はこうお答えになりました。

「もしあなたたちとその子孫が私に背を向けて離れ去り、私が授けた戒めと掟を守らず、他の神々の元に行って仕え、それにひれ伏すなら、私は与えられた土地からイスラエルを断ち、私の名のために聖別した神殿も私の前から捨て去る。」

神はエルサレム神殿を無条件に守られる、などと言うことはおっしゃいません。

「あなたがたが私を捨てるのであれば、私は神殿を捨てる」とおっしゃるのです。

キリストが呪われたイチジクの木が枯れた、ということには深刻な信仰の問題が隠されています。神殿がもし、「祈り」という実を結ばないのであれば、神ご自身によって呪われ、倒されてしまう、ということです。

主イエスにとって、神殿の境内に両替のための台を置いたり、ここで生贄を売ったりすることは冒涜でした。主イエスは、境内にいた人たちに向かって叫ばれます。

「こう書いてあるではないか「『私の家は、全ての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』」

『私の家は、全ての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』とは、イザヤ書56章に書かれている言葉です。預言者イザヤは、ユダヤ人だけでなく、異邦人たち、全世界の人たちが真の神にもとに集められる日が来ることを預言しました。 Continue reading

06月27日の説教要旨

マルコ福音書11:1~11

 「もしだれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい」(11:3)

ついに主イエスのエルサレムへの旅が終りました。これから私達は、エルサレムに到着し、入場されたイエス・キリストのお姿を見ていくことになります。そしてそれはイエス・キリストの最後の7日間のお姿ということになります。

主イエスがエルサレムに入場されたのは日曜日でした。この日から、ちょうど一週間後の日曜日の朝、過越祭の中で子羊が屠られる時間に、主は十字架に上げられて殺されることになります。

いつ、なんのために主イエスがエルサレムに来られたのか、ということを踏まえて、これからキリストの最後の七日間を見ていきたいと思います。

主イエスがエルサレムへと旅をされたのは、過越祭に参加するためでした。

過越祭は、イスラエルが昔、エジプトでの奴隷生活から神によって救いだされたことを記念する祭りです。エジプトから脱出する夜、イスラエルの人たちは、家の鴨居に子羊の血を塗りました。神の裁きは子羊の血を塗ったイスラエルの家を過越し、エジプトを打ちました。

神の裁きの過越しによって自分たちの先祖がエジプトから救いだされた、という解放を記念するための祭りです。ユダヤ人にとってとても大切な祭りでしたので、この時期、エルサレムには世界中からユダヤ人たちが巡礼に来ていました。過越祭の前後1~2週間は、エルサレムには大勢の巡礼者が訪れるため、普段の人口の6倍になったと言われています。

大勢のユダヤ人が世界中から巡礼にやって来て集まり、外国の支配からの救いを記念する祭りを祝うのですから、ユダヤのナショナリズム・愛国主義が高まる時でもありました。ローマによる支配に対する反感が高まる時期であった、ということです。

そのため、この時期にはユダヤを占領していたローマ軍は、ユダヤ人たちが暴動を起こさないように警戒を強めていました。ユダヤ人の指導者たちも、ローマとのささいな衝突から反乱や戦争という大きな問題が起きないように、神経をつかっていました。

そのような中、「この方は預言者ではないか」と人々から期待されていたナザレのイエスが、ガリラヤからの巡礼者たちと共にエルサレムの都に入場してきたのです。ユダヤ人指導者たちからすれば、このイエスという人は、要注意人物でした。人々がナザレのイエスを担ぎ上げるようなことが無いように、イエスには、目立つことをしてほしくなかったのです。

当然、これからエルサレムの町の中で、主イエスとユダヤ人指導者たちとの間には緊張が高まっていくことになります。

さて、まず主イエスがどのようにエルサレムに入って行かれたか、ということを見ましょう。主イエスはベタニアという村に宿を取られた。ここは、エルサレムから3キロメートルほどのところにある村で、過越祭の巡礼者たちは、ここに宿をとってエルサレムに通っていました。

主イエスは、この最後の3キロメートルを、ご自分の足で歩いて、ではなく、弟子達にロバを借りて来させ、自分の服をロバの上にかけ、それに乗って入ってエルサレムに入場されました。

なぜそんなことをなさったのでしょうか。ガリラヤからここまで長く旅を続けてきて、最後の最後で疲れてしまったからでしょうか。

もちろん、そうではありません。これこそ、エルサレムの王の入場の姿でした。

旧約聖書のゼカリヤ書に、神が王としてエルサレムに来られる、という預言があります。

「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ロバの子であるロバに乗って。私はエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を断つ。戦いの弓は断たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海は、大河から地の果てにまで及ぶ」

主イエスのエルサレム入場のお姿は、ゼカリア書に預言されているエルサレムの王、ダビデの子そのものそののです。ついにメシアがエルサレムに来たのです。

ガリラヤからの巡礼者たちは主イエスがなさることを見て、不審に思ったのではないでしょうか。主イエスは、エルサレムへの旅の初めに、弟子達にお尋ねになりました。「あなたがたは、私を何者だと言うのか」

弟子達は、そして人々は、ここでロバに乗ってエルサレムに入られる主イエスのお姿から問われことになります。

エルサレムに子ロバに乗って入場する私を見て、あなたは、私を何者だと言うか。」

子ロバに乗ってエルサレムに入場する、という、一見奇妙な主イエスの行動ですが、私達はゼカリヤの預言の実現を見ます。「エルサレムの王が来る、子ロバに乗って。王は戦車も武器もなくし、平和をもたらす」

何百年もの時を超えて、ゼカリヤの預言が実現しました。弟子達は主イエスの言葉通りに、ロバを探しに行くと、そこロバがいました。そしてそこにいた人たちに主イエスから言われたように伝えると、ロバを貸してくれました。

全て、主イエスがおっしゃった通りに物事が進んで行きます。決して偶然ではありません。全て、神のご計画でした。この弟子達と、ロバの持ち主との小さな会話まで、神は何百年も前から預言者の口を通してご準備されていたのです。

イエス・キリストがエルサレムにロバに乗って入場された姿というのは、滑稽だったと思います。普通、王様というのは、立派な馬に乗って兵隊を引き連れて、威厳をもって自分の城に入場するのです。

しかしイエス・キリストという王様は、小さなロバに乗って、とぼとぼとエルサレムに入って行かれます。とても強そうには見えません。弱く、低く、柔和で謙遜な王としてエルサレムに入られました。この方はイスラエルに軍事的な強さをもたらす救い主ではありませんでした。ゼカリアが預言していた、「平和の王」の姿です。

預言者ゼカリヤは、その王によってもたらされる救いについて、こう預言しています。「万軍の主はこう言われる。その日、あらゆる言葉の国々の中から、10人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。『あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ』。」

キリストがこの世にもたらしてくださったのは、全ての人が本当の神を知って生きるという平和でした。ゼカリヤ書には、このような預言がある。

「人々は羊のようにさまよい、羊飼いがいないので苦しむ。」 Continue reading

06月20日の説教要旨

マルコによる福音書10:46~52

「『行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。』盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。」(10:52)

マルコ福音書は、イエス・キリストの公の生涯を大きく三つに分けて伝えています。ガリラヤ地方での宣教、エルサレムへの旅、エルサレムでの最後の7日間です。今日の場面は福音書の第二部、キリストと弟子達のエルサレムへの旅の最後の所になります。

主イエスのエルサレムへの旅は終わろうとしています。エルサレムの手前にある町エリコに到着しました。これからエルサレムに入り、キリストの受難への秒読みが始まろうとするまさにその時、一人の目の見えない人が主イエスのお名前を叫びました。

バルティマイという名前の人でした。「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください。」バルティマイは人々から「黙れ」と叱られても、主イエスを求めて叫び続け、その声は主イエスの耳にまで届き、バルティマイは目を開かれるのです。

イエス・キリストの旅は、ベトサイダという村で目の見えない人を癒されるところから始まっています。そしてこの旅は、エルサレムに到着する直前にバルティマイという人の目が癒されることで終わっています。

主イエスのエルサレムへの旅が、盲人の癒しで始まり、盲人の癒しで終わっている、ということには、象徴的な意味があります。イエス・キリストと共に歩む・生きるということは、「目が開かれる」、ということであり、霊の目が開かれた人はキリストと共に人生の旅を続けるということです。

皮肉なことですが、イエス・キリストの弟子達は、ガリラヤからエルサレムまで主イエスと旅を共にしながらキリストの教えの本当の意味、キリストの本当のお姿がまだ見えていませんでした。弟子達はまだ霊の目は開いておらず、信仰の道は見えていません。

エルサレムに入る直前になっても、弟子達が求めていたのは、主イエスが栄光の座にお着きになる時に自分もそのそばにおいてほしい、自分にも栄光の分け前が欲しいという、この世での偉さでした。

主イエスはこの旅の中で弟子達に繰り返し神の国の教えを語ってこられました。「神の国に入るには子供のようにキリスト・神を求め、受け入れなければならない」「この世で偉いとされている人は、神の国では偉いとはみなされない」「先にいる者が後になり、後にいる者が先になる」

しかし、そう言われても弟子達は理解できませんでした。弟子達がこの旅の間考えていたことは、「誰が一番偉いのか」ということでした。神の国に入るために小さい者になろう、皆に仕える者になろう、そして子供のようにイエス・キリストを求めよう、と考えるには至りませんでした。キリストのことを理解しないまま、エルサレムの手前まで来てしまったのです。

エリコは、エルサレムへと向かう巡礼者が止まる最後の町です。エリコに来るまでに、主イエスの一行にはたくさんの巡礼者たちが加わりました。もうすぐ過越祭があるのです。彼らは早く神の都エルサレムに入りたいと思っていました。それなのに、一人の目の見えない物乞いが大声を上げて主イエスを引き留めようとします。弟子達も巡礼者たちも、バルティマイを叱りました。このバルティマイという人が、これからエルサレムに巡礼に向かう人たちに、本当に求めるべき霊の宝を示すことになるのです。

この人は、イエスという方がガリラヤで語られた神の国の福音について、また行われた数々の不思議な業について、エリコの町で物乞いをしながら伝え聞いていたのでしょう。そして、「そのイエスという方こそイスラエルのメシア」に違いない、と主イエスに会える時を待っていたのです。

「その方は過越祭のためにガリラヤからエルサレムに登って来るに違いない。その時には、エリコの町を通るはず。自分の目の前を通るはず。その時、自分の思いをぶつけよう。主イエスの足音を聞き逃してはいけない」と、道端で耳をすましていたのでしょう。

バルティマイは、キリストが目の前を通り過ぎる瞬間を逃しませんでした。そしてただ主イエスのお名前を呼び続けました。人々から「黙れ」と言われても。「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫び続けました。

バルティマイは、「ダビデの子」と繰り返し叫びます。「ダビデの子」というのは、預言者エゼキエルを通して預言されていた、イスラエルを導いて神の元に連れ戻す羊飼い、救い主のことです(エゼ34章)。神は、預言者エゼキエルの口を通して、「ダビデの子孫からイスラエルの羊飼いを起こす」、とおっしゃいました。

バルティマイは、ナザレのイエスこそ、その「ダビデの子、イスラエルの羊飼い」である、見抜きました。彼は確かに目の見えない人でしたが、誰よりも、霊の目はキリストに対して開いていたのです。

バルティマイの信仰の叫びは、イエス・キリストの足を止めました。そしてキリストの元に招かれ、目を癒していただいきます。キリストの足を止め、バルティマイに救いをもたらしたものは何だったのでしょうか。イエス・キリストは、「あなたの信仰が、あなたを救った」とおっしゃいました。

バルティマイがキリストを求める姿というのは、無様だったと思います。なりふり構わず叫ぶのです。彼は目の見えない、一人の物乞いに過ぎませんでした。有名な律法学者だったのではありません。

自分で主イエスの下に行くことが出来ないのです。近づいて、普通に自分の信仰を伝えることが出来ないのです。彼は、自分が物乞いをしている場所から大声を上げて、キリストを求めるしかありませんでした。無様に自分をさらけ出し、人々から「黙れ」と言われても、嫌われても、キリストを求め続けるしかなかったのです。そしてそのことが、バルティマイ自身を救った、とキリストはおっしゃいます。彼の人生を変えたのは、彼自身のキリストを求める心、彼自身の信仰でした。

そしてバルティマイの信仰は、自分だけでなく、周りにいた人たちも変えています。人々は初めはバルティマイに「黙れ」と言いました。巡礼者たちにとって、主イエスの歩みを止めようとするこの物乞いは、邪魔でしかなかったのです。

しかし、キリストがバルティマイの叫びを聞き、「あの人をここに連れて来なさい」と招かれると、人々のバルティマイに対する言葉が変わります。人々の「黙れ」と言う言葉が、「安心しなさい」という言葉に変わるのです。「安心しなさい。立ちなさい。あの方がお呼びだ。」拒絶の言葉から、励ましの言葉に変わりました。

救いを求める一人の信仰者の姿が、キリストを足をそこに止め、周りの人たちの心をも変えたのです。キリストへの信仰は、自分を変えるだけでなく、人々をも変えるのです。

私達は自分の信仰を振り返って、自分の信仰が持つ力の小ささに嘆くことがあるのではないでしょうか。「もっと影響力を持てないか、もっと自分に力があったら、キリストをたくさんの人に知ってもらえるのではないか」、などと思うのです。

しかし信仰の業というのは、このバルティマイの叫びのようなものなのです。沈みそうで溺れそうになっているその中からキリストに助けを求める叫び、祈り。その不格好な信仰者の業が、実は用いられるのです。

バルティマイは、雄弁に聖書を解釈して語れるような律法学者ではありませんでした。彼は、ただ物乞いしながら、みじめさを抱えながら、キリストの足跡が聞こえた時に叫ぶべき祈りの言葉を温めていました。そして叫ぶべき時に、「私を憐れんでください」と叫んだのです。これが、信仰の業です。このことが周りの人を変えるのです。

無様でもいい、いや、無様だからこそ、私達は祈るのではないでしょうか。その必死になって神の救いを求める人の姿が、キリストの憐れみを求める祈りの姿が、周りの人たちをも変えていきます。

バルティマイは、癒されました。それだけでは終わりませんでした。「盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った」とあります。

キリストに出会い、目を開かれたその人は、その後、自分が歩むべき道が目の前に現れるのです。それはキリストが進まれる道です。信仰者はキリストの後ろを歩くようになります。羊飼いが羊飼いを先頭に立って導くようにキリストが信仰者を神の国に通じる道を先に立って導いて下さいます。

バルティマイが主イエスの後に従った、というのは、ただエルサレムに付いて行った、ということではありません。それはキリストの道を歩き始めた、そして一生キリストの道を歩きとおした、ということです。

「道」というのは、イエス・キリストに従う道のことです。使徒言行録にも「道」と言う言葉が使われています。単なる「道路」ということではなく、イエス・キリストに従う信仰の道という意味で用いられています。主の道、神の道などとも言われています。

バルティマイに起こったことは、全ての信仰者に起こることです。キリストを求める人がキリストに出会って霊の目を開かれ、歩むべき道に従っていく・・・それこそが、私達が洗礼によってキリストと契約を結び、共に歩むと決めた道なのです。

生きる中でいろんな試練や苦難があり、右往左往する私達であっても、先を行かれるキリストに付いて道を歩む限り、それは、まっすぐ神の国へと近づいているということなのです。

06月13日の説教要旨

マルコ福音書10:35~45

「イエスは一同を呼び寄せて言われた。『あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者とみなされている人々が民を支配し、偉い人達が権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない』」(10:42)

主イエスが「私はこれから殺されることになっている」とおっしゃったすぐ後に、弟子であったヤコブとヨハネの兄弟が、的外れな願い事をしました。「あなたが栄光の座にお着きになる時は、私達の一人を右に、もう一人を左においてください。」つまり、自分たち兄弟を他の弟子達よりも優遇してください、という申し出です。

このことは他の10人の弟子達にすぐにばれてしまいました。

他の10人の弟子達は怒りました。ヤコブとヨハネが、主イエスがお伝えになってきた神の国の教えが全く分かっていなかったからではありません。自分たちが求めていたものを、この二人の兄弟が誰よりも早く抜け駆けして求めたからです。ヤコブとヨハネが願い出なかったら、他の誰かが同じことを願ったのではないでしょうか。ヤコブとヨハネだけではなく、12人の弟子達全員が、イエス・キリストがおっしゃる神の国の教えを全く理解できていなかったのです。

ご自分の十字架が待つエルサレムを前にして、まだこんなことで言い争う弟子達をご覧になって、主イエスはどのような気持ちでいらっしゃったでしょうか。

あらためて、12人の弟子達全員におっしゃいました。

「あなたがたも知っているよう縫い、異邦人の間では、支配者とみなされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたいものは、皆に仕える者になり、一番上になりたいものは、全ての人の僕になりなさい」

弟子達と一緒に過ごす時間がほとんど残されていない中、主イエスはとても厳しい口調でこのことをおっしゃったのではないでしょうか。

キリストの弟子として求めるべきものは、この時弟子達が求めているものと反対のものでした。誰かよりも上に立って、支配しようとすることではなく、誰かのために自分をひくくして仕える、ということ。権威をもって人を支配するのではなく、隣人の奴隷となってお互いに仕えあう、ということ。

主イエスは「異邦人はそうしているが、あなたがたはそうあってはいけない」という言い方をなさっている。異邦人と同じではダメだ、という言い方です。異邦人というのは、聖書の神を知らない人たち、ということです。特に、ここで主イエスがおっしゃる「異邦人」というのは、この時代ユダヤを占領し、ユダヤ人を支配していた、ローマ人のことです。

この時代、ユダヤ人たちは屈辱の中を生きていました。ローマの兵士たちが自分たちの国に駐屯し、自分たちを見張り、支配し、ローマに税を納めるよう求めていたのです。

キリストの弟子達もユダヤ人です。異邦人によって支配され、屈辱を感じていた者の一人だったはずです。ローマの軍隊に支配されて屈辱を感じているはずなのに、結局自分たちもそのローマ人と同じものを求めてしまっている・・・弟子達はまだそのことに気づいていません。

ローマ人であっても、ユダヤ人であっても、人は支配されるよりも支配する側にいたいと願います。その方が安心できるからです。しかし人間が同じ人間を自分の下に置くと、下に置かれた人間は、屈辱に耐えるしかなくなります。それが「人間の支配(人間の国)です。

しかし、イエス・キリストがお伝えになる神の支配(神の国)はそうではありません。皆、同じ神の支配のもとに生きるのです。皆同じ神の元に、上も下もなく生き、優越感も屈辱もありません。羊飼いに守られる羊のように、そこにはただ平等に安心と平和があります。

主イエスはおっしゃいます。「あなた方の中で偉くなりたいものは、皆に仕える者になりなり、一番上になりたいものは、全ての人の僕になりなさい」

そこから、神の国に生きる、ということが始まるのです。

全ての人が互いに、僕になって仕えあう・・・そう聞くと、確かに美しい世界のように思う。しかし、本当にそんな世界は実現可能なのか、と思ってしまうのではないでしょうか。言葉としては、理念としては美しいが、そんなことは理想論ではないか・・・。

だからこそ、イエス・キリストは、まずご自分が十字架を通して、誰よりも低くなって仕える、ということの模範を世に示されました。私達は今日読んだところのキリストの最後の言葉を特に心に留めたいと思います。

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た」

主イエス・キリストがこの世に来られた理由がはっきりと言われています。

主イエスはご自分のことを、「人の子」とおっしゃいます。ご自分が、旧約聖書のダニエル書に、この世界の全ての支配を神から任される「人の子」であることを示されています。

しかし、天と地を支配する王として世に来られた「人の子」であるイエス・キリストの支配は、ローマがユダヤを支配していたように、軍事力によるものではありませんでした。羊飼いが自分の羊を柵の中に入れ、守りの中に置く・・・愛の支配です。

このイエスという方がなぜ十字架にかけられて殺されなければならなかったのか、ということは、謎でした。何も悪いことをしていません。むしろ人々を癒し、悪霊から救い、神の国の教えを説いて来られた方です。だから弟子達も主イエスの受難予告を真剣に捉えることが出来ませんでした。

イエス・キリストの十字架の苦しみの意味を預言しているのが、イザヤ書です。イザヤ書には、「苦難の僕の歌」と呼ばれる、いくつかの歌があります。神が、一人の僕を世に遣わされ、その僕が、罪人の罪を全て身代わりとなって背負って死ぬ、ということが歌われています。

イザヤ書53章

「わたしたちは羊の群れ。道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。その私たちの罪を全て主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみこみ、彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる子羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」

「私の僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。」

「多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった」

人々は、やがてキリストの十字架に、イザヤが預言していた苦難の僕の姿を見るようになりました。

私達は、キリストの十字架を見つめなければならないと思います。「ほかの人よりも偉くなりたい」というこの時の弟子達こそ、生身の人間の姿です。教会の中でさえ、私達は、この時の弟子達のように、「誰が一番偉いのだろうか」などということを気にしてしまいます。

使徒パウロは、フィリピ教会にこう書き送っている。

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。それはキリスト・イエスにも見られるものです」

主イエスはご自分の十字架を前にして、弟子達に最も大事なことを、お伝えになりました。

弟子達が互いにどうあるべきか、そしてご自分の十字架の死の意味は何か。ということを。

イエス・キリストの救いの御業を歌い上げる「キリスト讃歌」と呼ばれる歌があらいます。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じものになられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものが全て、イエスの御名に跪き、全ての舌が『イエス・キリストは主である』と公にのべて父である神をたたえるのです」(フィリピ2章)

人に仕える、という神の御心に命をかけて、最後まで従順になる、ということをキリストは見せてくださいました。そして、そのお姿が人々を神の元へと招いたのです。

この後、この世の偉さをも求めたヤコブとヨハネ、そしてほかの10人の弟子達も、キリストの十字架と復活を見ることになります。彼らは変わります。この世の偉さ以上に、「あの方こそ主である」と世に伝えることに価値を見出し、そのことに一生をささげました。

神の御心に従い人に仕えるキリストの「苦難の僕」としてのお姿が私達の信仰の模範です。私達は弟子達のように、十字架に至るまで従順であられたキリストのお姿を見据える中で、この世の偉さよりも尊いものを見出していきます。

この世の宝に勝る天の宝を求めて私達がイエス・キリストの前に低くなる時、それを見た世の人々は、イエス・キリストがもたらしてくださった、神の愛による支配を見るのです。

06月06日の説教要旨

マルコ福音書10:35~40

「イエスは言われた『あなたがたは、自分が何を願っているのか、わかっていない。この私が飲む杯を飲み、この私が受ける洗礼を受けることが出来るか』」(マルコ福音書10:38)

主イエスはエルサレムへの旅の最初に、「私は殺されることになっている」と弟子達におっしゃいました。そのことで、弟子達の間の雰囲気が変わります。弟子達は主イエスがいなくなった後のことを現実的に考え始めたのです。

「主イエスがいなくなったら自分たちはどうなるのだろう」、それは、この時の弟子達にとっては、「自分たちの序列はどうなるのだろう」ということでもありました。12人はやがて、「弟子達の中で誰が一番偉いのだろう」ということを歩きながら議論するようになります。

そのような弟子達に、主イエス何度も「神の国では先の者が後になる」「子供のように神の国を求めなさい。神の前に子供のようになりなさい」とおっしゃってきました。しかし弟子達は神の国以上に、この世での偉さというものに心を支配され、主イエスの神の国の教えが入らなくなっていました。

いよいよ主イエスと弟子達の旅は、目的地であるエルサレムが近づいた時、ヤコブとヨハネの兄弟が行動を起こします。ヤコブとヨハネは「あなたが栄光の座におつきになる時には、私達をあなたの右と左においてください」いう厚かましいお願いをしたのです

ヤコブとヨハネの兄弟が主イエスにこう願い出たのは、主イエスによる最後の受難予告の直後でした。二人は何を聞いていたのでしょうか。主イエスがもうすぐお受けになるであろう痛みや苦しみに関して、まったく心に留めていません。主イエスのことを全く考えていません。他の弟子達のことも考えていません。主イエスがこれまでお伝えになって来た神の国の教えも、心に残っていません。二人は、ただ、自分たちだけの栄達だけを考えています。

主イエスはあらためて二人に質問されました。「この私が飲む杯を飲み、この私が受ける洗礼を受けることが出来るか」。二人は簡単に「できます」と答えました。ヤコブもヨハネも、主イエスがおっしゃる「杯・洗礼」についてよく考えて返事をしたのではありません。上辺だけの答えです。

主イエスがおっしゃる杯とは何か・・・この後福音書を読んでいくとわかります。それは十字架の苦しみのことでした。

ヤコブとヨハネは、祝福の杯、祝杯のようなものを考えていたのでしょう。主イエスが栄光の座に着いて、その栄光を自分たちも分けていただける、そして勝利の杯もって一緒に乾杯する・・・そのような情景を思い描いていたのでしょう。

エルサレムで逮捕される直前、ゲツセマネで面にひれ伏し、震えながら祈られました。「御心ならばこの杯を過ぎ去らせてください」。本当は、主イエスがヤコブとヨハネにお尋ねになった「杯」というのは、そういうものなのです。

ヤコブとヨハネの目を曇らせてしまったものはなんだったのでしょうか。自分だけを見つめるエゴイズムです。人は結局、自分、自分、自分なのです。主イエスが「私は十字架で殺されることになっている」とおっしゃっても、弟子達が最終的に気にしたのは、「それでは、自分はどうなるのか」ということでした。

この世には真理を見えなくさせるものが多いのです。この世の栄達、富の誘惑、地位、名誉、財産、名声・・・弟子達の目を曇らせていたのは、「自分だけを見ていればいい、自分のことだけを考えていればいい」という誘惑の声です。

福音書を読んでいると、「ヤコブとヨハネは愚かだ」と私達は思うでしょう。しかし、この二人こそ、私の本当の姿ではないでしょうか。ヤコブとヨハネの願いから2千年たった今、私達は神の国の価値観を自分のものにどれだけできているでしょうか。価値観から抜け出せないでもがいているはずです。

学ばない罪人の姿、それが人間です。そういう私達だからこそ、救いが必要なのです。立派で、救いなど必要としない人たちではなく、このどうしようもない、自分のことしか考えられない、神に向かって目を上げることを知らない人間だからこそ、キリストは命を投げうってくださったのです。

私達を変えるのは、イエス・キリストの十字架です。自分の罪を背負って十字架の上に死んでくださったそのキリストのお姿を見る時、私達の目から曇りが取り去られ、視界が開け、神の救いの御業が見えてきます。

ヤコブもヨハネも、まだ主イエスの十字架を見ていません。まだ自分のことしか考えていません。しかし、もうすぐ二人は、主イエスの十字架と復活を見て、この時言われた「杯」とは何だったのかを悟ることになります。

ヤコブとヨハネは、それが「苦しみの杯」であるとわかっても、その杯を捨てませんでした。イエス・キリストが飲まれた杯を自ら飲むことを選んびます。使徒言行録12:2で、ヤコブの殉教が記録されています。ヨハネも、言い伝えによれば、パトモス島の牢獄で死んだ、と言われています。

キリストへの信仰を貫いて、二人は最後には殺されてしまったのです。それでは信仰というのは、結局は空しいだけのものなのでしょうか。そうではないでしょう。この世の栄達・繁栄以上に価値のあるものを、彼らはイエス・キリストに見出したのです。そして二人は自分の一生・自分の命をキリストのために使うことを、自分で決めたのです。

彼らの人生は空しいものではありませんでした。命をかけるだけの価値があるものを見出した人生でした。弟子達はイエス・キリストを通して、死に勝るものを見たのです。

私達が何よりも見なければならないのは、キリストの十字架と復活です。

ヤコブとヨハネを変えたものが、私達をも変えました。

「子供のようにならなければ神の国には入れない」

「小さい者が大きい者になる」

「先の者が後になり、最後の者が先になる」

キリストの言葉が響きます。

05月30日の説教要旨

マルコによる福音書10:32~34

「一行がエルサレムへ上っていく途中、イエスは先頭に立って進んでいかれた。それを見て、弟子達は驚き、従う者たちは恐れた。」(10:32)

なぜ先頭に立ってエルサレムへと向かわれる主イエスのお姿を見て、弟子達は驚き、恐れたのでしょうか。弟子達は、主イエスがなさった二度の受難予告を思い出したからです。

これまで弟子達は、主イエスの受難予告を聞いても信じられませんでした。なぜこれほど力があり、人のために尽くし、人々から信頼を得ている方が、「私はエルサレムで殺されることになっている」などとおっしゃるのか・・・弟子達はあえてその話題には触れず、思い出さないようにしていたようです。

しかし、エルサレムに近づき、一行の先頭に立たれた主イエスのお姿を見ると、嫌でもこれまでの受難予告を思い出さざるを得ませんでした。

今日私達が読んだのは主イエスの最後の受難予告です。主イエスは、驚き恐れる弟子達を集めて最後に念を押されました。

「今、私達はエルサレムへ上っていく。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭うった上で殺す。そして、人の子は三日の後に復活する」

弟子達は一言も言葉を発していません。何も言えなかったのでしょう。

弟子達は少なくとも、これから入って行くエルサレムには主イエスに対する敵意が待ち受けている、ということはわかっていたでしょう。これまで、エルサレムからやって来た律法学者たちと主イエスは激しく議論を交わして来たからです。

しかし、それでも、主イエスはエルサレムに向かわれるのです。なぜ「私は殺されるだろう」などと敗北宣言のようなことを前もっておっしゃるのか・・・しかも、エルサレムには危険があるとわかっているのに、なぜエルサレムにまっすぐ向かって行かれるのか・・・弟子達は驚き・恐れ、一言も言葉を発することが出来ませんでした。

弟子達は、主イエスと一緒に旅をして、長い時間を共にしてきたのに、主イエスがおっしゃること、なさろうとしていることがまだわっていません。無理解な弟子達の姿が福音書に記録されています。

しかしこの無理解な弟子達こそが、我々人間の等身大の姿なのです。聖書は、人間がどれだけ神のご計画に対してどれだけ鈍感で無知のか、どれだけ神のことを理解せず、信頼せず、神に背を向けて生きて来たのかという、罪の歴史の記録です。

そしてそれは同時に、愚かな人間を神がどれだけ愛し、ご自分から離れて破滅に向かおうとする人間を呼び戻そうとしてくださったのか、という神の人間に対する愛の歴史の記録でもあります。

驚き、恐れる弟子達への最後の受難予告の中で、主イエスはご自分のことを「人の子」という謎めいた呼び方をされました。「私」ではなく、「人の子」です。

これは、旧約聖書のダニエル書に出てくる呼び方です(ダニエル書7:13-14)。預言者ダニエルが、ある晩、夢の中で幻を見ました。

「人の子のようなものが天の雲に乗り、日の老いたる者の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた」

「日の老いたる者」・・・これは神のことです。その神から「人の子」と呼ばれる存在が全世界を支配する権能を受ける、という幻です。

ダニエル書には、地上の王が次々と起こって来るが、最後には、「人の子」と呼ばれる方に世界の全ての支配が与えられる、ということが預言されています。

そして今主イエスは弟子達の前でご自分のことを「人の子」と呼ばれました。「私こそ、神の権威をもつ『人の子』、全世界の支配者として世に到来したメシアなのだ」と、弟子達に示されているのです。

これから弟子達は、主イエスがエルサレムで逮捕され、有罪判決を受け、ユダヤ人から排斥され、ローマ人に十字架刑を宣告され、無残に死んでいくのを見ることになります。

主イエスは、ご自分の十字架が偶然に起る悲劇ではなく、神が歴史の中で準備をしてこられた救いの業である、ということをお伝えになっているのです。これから弟子達が見ることになる主イエスの十字架は、神から全ての権威を託された「人の子」による救いでした。

なぜ、キリストは「私はエルサレムで殺されることになっている」と言いながら、なおエルサレムへと進んでいかれたのか・・・それは、この世の罪人の罪を全てご自分が十字架で背負われるためでした。

神は、独り子に、十字架で死ぬことをお求めになりました。私達の罪を十字架の上で全て背負うことをお求めになったのです。そうやって神は私達をご自分の下に取り戻そうとされたのです。キリストが十字架で苦しまれる姿は、本来は、私がそうなるべきものでした。しかしイエス・キリストは、我々の罪を十字架で背負うために自らご自分を生贄として捧げてくださいました。

主イエスのご自分の十字架のことを「身代金」とおっしゃいます。神は独り子の血を身代金として払って我々を罪の支配から取り戻されました。大きな犠牲、大きな神の愛です。

パウロは、「イエス・キリストによって今日の私がある」と言っています。これこそ、全てのキリスト者が思うことでしょう。皆、キリストに出会う前は、「イエス・キリストの十字架など知らない、自分には必要ない、罪の許しなど信じなくても生きていける」と思っていたはずです。

しかし、私達が自分の罪を知った時、自分の罪と本当に正面から向き合わされた時、私達はあのイエス・キリストの無残な十字架のお姿に向き合わされます。

あのエルサレムのゴルゴタの丘での十字架は私の罪の身代わりだったのだ、と知った時、自分が今生きることが許されているのは、あの主イエスの痛みによるのだ、と思い知るのです。

パウロは「誰が神の御心を理解しつくすことが出来ようか」と言います。そして「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私達救われる者には神の力です」と言います。

イエス・キリストを信じる私達は、愚かでしょうか。信じない人たちから見れば、愚かでしょう。しかし、愚かでいいのです。自分の罪を知り、キリストの十字架の許しを知っている、それで愚かと呼ばれるのであれば、それでいい。イエス・キリストが十字架に上げられる前に馬鹿にされたように、私達も、馬鹿にされればいいのです。

さて、最後に見ておきたいのは、主イエスが弟子達になさった受難予告の最後で、「ご自分が殺された後、三日後にご自分が復活する」、ということをおっしゃっていることです。これは、受難予告であり、復活予告でもあったのです。

皆の先頭に立って歩まれる主イエスの先にあるのは、死は罪に対する勝利である十字架と、それは永遠の命につながる勝利としての復活でした。

今、私達はここで礼拝しています。ここにキリストの十字架によって生かされていることを賛美する群れがあります。これはキリストの勝利だ。

キリストは人々から馬鹿にされ、殺されました。同じように、キリストを信じる私達は、馬鹿にされ、自分の十字架を背負います。そして、キリストが復活なさったように、痛みの向こうにある希望へと信仰をもって進みます。私達の信仰の痛みは、勝利への行進そのものなのです。

05月23日の説教要旨

使徒言行録2:14~21

「これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る』」(2:16~17)

ペンテコステは、「五旬祭」と呼ばれるお祭りでした。収穫のお祝いであると同時に、エジプトから脱出したイスラエルが、シナイ山で律法を与えられたことを祝う祭りでした。過越祭の安息日の翌日から数えて50日目に当たる日、つまり、イエス・キリストの十字架と復活の出来事から50日を数えた時に起こった出来事が記されています。聖霊が降り、教会が造られた瞬間です。

イエス・キリストが十字架で殺されてから三日目の朝、その墓が空になり、そのことがキリストの弟子達に伝えられました。しかし「あの方は墓の中から、死人の中から蘇られました」と伝えられても弟子達は、はじめは信じられませんでした。

復活なさったキリストは弟子達と、ご自分を信じて従っていた人たちにご自分を現わされました。

主イエスは弟子達におっしゃいました。「あなた方は間もなく聖霊による洗礼を授けられる」

これを聞いた弟子達は期待しました。「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」

弟子達にとって、主イエスが、当時ローマに占領されていたイスラエルをローマから解放して、自分たちに支配を取り戻してくださることが「救い」だったようです。

しかし、主イエスはこうおっしゃいました。「父がご自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなた方の知るところではない。あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、地の果てに至るまで、私の証人となる。」

神が歴史の中で用意してくださっていた「救い」と、弟子達が期待していた「救い」は、どうやら違っていたようです。

天に昇って行かれる主イエスを見送った弟子達、また主の復活を見た人たちは、その後一か所に集まって祈り始めました。その祈りはペンテコステの日まで続きます。その祈りの群れの上に、聖霊が注がれたのです。

こうして見ると、教会というのは、人間が作ったものではない、ということがわかります。主イエスを慕っていた人たちが、「一緒に教会というものを作ろう」と相談して、計画してできたものではありません。教会は、我々人間の力で建ち上げたものではなく、神の創造の御業によって創造されたものなのです。そして神に造られた教会が今日までイエス・キリストへの祈りを捧げ続けて来た、ということも、時代を超えた聖霊の働きによるものなのです。

三宅島伝道所は、昨年度から毎週の主日礼拝を再開しています。38年間、三宅島伝道所には定住の牧師がいませんでした。それでも三宅島のクリスチャンは信仰をすてず、祈り続けました。その間、噴火があり、避難生活がありました。伝道所の礼拝堂は溶岩で燃えてしまい、礼拝の場所を失った三宅島のキリスト者は一人、二人と減っていきました。

しかし、今、こうして、新しい礼拝堂が備えられ、牧師が招聘され、新しい信仰者も導かれ、こうして三宅島伝道所の礼拝が新たに創造されたのです。

信じられないような奇跡だと思います。もちろん、三宅島伝道所を支えるためにたくさんの人たちの働きがありました。東京の諸教会が三宅島伝道所のために祈り、支え、牧師たちが御言葉を伝えるために島に通い続けてくれました。

しかし、三宅島伝道所を支えてくださったそのたくさんの信仰者を起こしたのは、聖霊の働きなのです。もし、教会が人の手によって、人間の力、人間力によって造られていくものだったとしたら、世代が変わるとすぐにダメになってしまうでしょう。教会は上から造られたものであり、上から造られ続けるものである、ということを覚えたいと思います。

さて、ペンテコステに聖霊が注がれ、炎のような舌が与えられたキリストの弟子達、信仰者たちは、突然それぞれがいろんな国の言葉で話し始めました。それを周りで見た人たちは驚きました。

この時、周りにいたのは、過越祭や五旬祭を祝うために世界中からエルサレムへと巡礼に来ていたユダヤ人たちでした。

当時、ローマ帝国のいろんな場所にユダヤ人たちは散らばって住んでいましたが、彼らはこの時、過越祭やペンテコステの祭りを祝うために、それぞれ住んでいた場所から巡礼に来ていたのです。

その人たちは、キリストの弟子達がいろんな言葉で話しているのを見て、「あの人たちは酒に酔っているのだ」と言いました。そのように考えて納得するしかなかったのでしょう。

しかし、それを聞いた主イエスの一番弟子であったペトロは、立ち上がって言いました。「我々は酒に酔っているのではありません。我々がいろんな言葉で神の御業について語っているのは、預言者が残していた預言の実現なのです。」

ペトロは、旧約聖書の預言書の一つ、ヨエルの預言を周りの人に言って聞かせます。「神は言われる。終わりの時に、私の霊を全ての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る・・・。」

彼らがいろんな言葉で神の偉大な御業について語り始めた、ということ、それはまさに「終わりの時に神が全ての人に霊を注がれ、神の言葉を語り始める」というヨエル預言の実現だったのです。

ヨエルが預言した「終わりの時」とは裁きの時のことです。神の前に全ての人が立たされ、裁かれる時・・・ペトロは「それが今なのだ」と言います。

私達が今日読んだこのペンテコステの出来事は、今でもキリスト教会に起こっていることです。私達が今ここに集まり、祈りを一つにする、そして聖書の言葉を聞き、賛美を神に捧げる・・・これは周りの人達から見たら、「あの人たちは一体何をしているのか」と笑われるようなことかもしれません。

しかし、私達は、あの時のペトロのように、自分たちの礼拝。祈りを通して、この裁きの時にどう生きるべきか、人々に示すのです。そして、今こそ神を知り、神に立ち返って、神と共に生きることが求められているのだ、ということを伝えるのです。

今、私達は岐路に立たされています。神の前に立たされた今、イエス・キリストの許しの御業を見上げ、招きの言葉に耳を傾けるか、それとも、キリストに背を向け、神を捨てて生きるか、問われているのです。神の裁きの時を迎えている、ということを我々はどれだけ真剣に捉えているでしょうか。

復活なさった主イエスは弟子達にご自分のことを「地の果てまで」伝えなさい、とおっしゃいました。そしてペンテコステの日に聖霊が注がれ、キリストの弟子達はいろんな言葉で福音を語り始めました。いや、「語らされた」と言った方がいいでしょう。

神が、地の果てまで語り伝えるべき言葉を教会に注ぎ込んでくださったのです。福音はそこから世界中に、地の果てまで広まっていくことになります。

そして、あの時、ペンテコステの際に人々が聞いた福音は、ここにまで届いています。「地の果てまで告げなさい」とキリストがおっしゃった福音は、時代を超えて、三宅島にまで届けられました。

教会の外にいる人たちから見れば、「礼拝堂に集まって毎週礼拝など捧げて何の得になるのだろうか」、と思われるかもしれません。しかし、私達は何か得になるようなことがあって、教会に集まっているのではないのです。神が独り子の命を犠牲にして私達の罪を救いだしてくださった、その神の愛にすがっている、ただそれだけです。

神と共に生きるのか、神に背を向けて生きるのか、私達は選択の時を過ごしています。今こそ、神の裁きの時であり、神の許しの言葉に耳を傾ける時だ、とペトロは伝えました。私達はこの島で、あの時のペトロのように、イエス・キリストの復活の証し人として聖霊に用いられて、「主の名を呼び求める者は皆、救われる」というヨエルの預言を伝えるために用いられます。