MIYAKEJIMA CHURCH

9月5日の説教要旨

マルコ福音書12:38~44

「このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」(12:40)

主イエスが神殿の境内で群衆に向かって二つのことをおっしゃいました。一つは「なぜ律法学者たちは、メシアのことをダビデの子と呼んでいるのか」という質問です。もう一つは、「律法学者たちの偽善に気をつけなさい」という警告です。

今日私達は、主イエスの律法学者たちの偽善に対する警告の言葉と、実際にそのことによって苦しむ一人のやもめの姿を見ました。律法学者たちは、自分たちでは「自分は正しく律法を実践している」と考えていました。しかしイエス・キリストの目には、そうは映っていませんでした。

信仰者が、信仰の実践の中で陥る落とし穴がここに潜んでいます。律法学者たちの偽善の姿、また神殿でのやもめの姿から学んでいきたいと思います。

律法学者たちの誤った信仰の実践について主イエスは具体的にこうおっしゃっています。

「彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場であいさつされること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。」

もちろん、当時の律法学者が全員そうだった、というわけではないでしょう。律法学者の中にも主イエスの教えを聞いて、「先生、その通りです」と教えを受け入れた人もいました。

しかし、当時は主イエスがおっしゃったような律法学者が多くいたのでしょう。「このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」と主はおっしゃいます。

私達は福音書を読んでいると、律法学者というのは、悪い人たち・悪意をもった人たちだ、という印象をもってしまいがちです。

しかし、実際はそうではありません。誰かを苦しめようと意図的に悪い行いをしていたわけではありません。誠実に聖書を研究し、神の御心に沿う生き方を真剣に実践しようとしていた人たちです。

しかし、この主イエスの言葉を見ると、多くの律法学者は、自分が神の目にどう映っているか、ということよりも、自分が人の目にどう映っているか、ということに心が向いてしまっていたようです。

自分を大きく見せることに心を奪われてしまい、無意識のうちに偽善がはびこって来て、弱い人たちの姿が目に入らなくなってしまう・・・これが、信仰者が陥る落とし穴ではないでしょうか。

この主イエスの言葉は、信仰者に向けられた、信仰の在り方に対する問いでもあるのです。「あなたの信仰は、どうなのか、人に見せるための信仰になっていないか、弱い者に心は向いているか、見せかけの祈りになっていないか。」

主イエスは、エルサレムに入られる前、誰が神の国に入るのか、ということを弟子達にお教えになった際に、こうおっしゃっています。「先の者が後になり、後の者が先になる」。

エルサレムへの旅の中で弟子達の関心は「誰が一番偉いのだろうか」ということでした。エルサレムに入る直前には、ヤコブとヨハネが抜け駆けして主イエスに「私達二人だけを優遇してください」と願い出たりしました。

そのような弟子達に、主イエスは「あなた方の間で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたいものは、全ての人の僕になりなさい」とおっしゃいました。

なぜ主イエスはご自分の弟子達に「全ての人の僕になりなさい」とおっしゃったのでしょうか。イエス・キリストご自身が、「全ての人の僕」として来られたからからです。

キリストの弟子として生きる、ということは、キリストのように生きる、ということです。

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た」

主イエスの命は、身代金だとご自身でおっしゃいました。そのキリストの弟子達である、ということは、神の御心に従い、神に仕え、人のために命をつかう生き方をしていく、ということなのです。

主イエスは、「神を愛し、隣人を愛する」ということが律法だ、とお教えになりました。神が律法を通してお求めになっているのは、そのことなのです。

律法学者たちの姿は、主イエスの目には律法からかけ離れたものとして映りました。律法学者たちは、主イエスの言葉で言うなら、「先の者」だったはずです。ユダヤ人社会の中で、人々の先頭に立って、律法について聖書についての教えを説き、実践していた人たちでした。しかし、彼らはいつの間にか神の国から遠い生き方をする「後の人」になってしまっていたのです。

長い衣をまとうこと、人から挨拶されること、上席・上座に座ること、長い祈りをすること・・・神に喜んでいただくためではなく、人々から注目と尊敬を集めるための律法になってしまっていたようです。

律法を求めながらも律法から外れてしまったことで、どんな問題が起こっていたのでしょうか。この後、神殿で献金をする一人のやもめが出てきます。

主イエスは、群衆にお語りになった後、賽銭箱に群衆がお金を入れる様子を見ていらっしゃいました。そこは、神殿の中でも「女性の庭」と呼ばれる、たくさんの人が行きかう場所で、13個の賽銭箱が並べられていたそうです。

そこでは「大勢の金持ちがたくさんお金を入れていた」とあります。この賽銭箱にお金を投げ入れる姿は、他の人からも見られることになります。たくさんの献金をする人ほど、注目を浴びるのです。

そのような中で、誰にも注目されない一人の貧しいやもめが献金しようとやって来ました。この人は、レプトン銅貨二枚、本当にわずかな捧げものをしました。ただ彼女は神を愛し、自分が持っているものを心を込めて捧げたのです。この人は、全財産を神殿に献金しました。

主イエスはその姿をご覧になって、弟子達を呼んで「あの女性の姿を見なさい」とおっしゃいました。主イエスがご自分の弟子達に見てほしいと願われたのは、多額の献金をする大勢の金持ちではなく、乏しい中から自分の持っている物・生活費を全部入れたこの女性でした。神のため、隣人のために、ささやかに生きる小さな人でした。

主イエスは「あの女性は誰よりも多く捧げた」とおっしゃいました。「先の者か後の者か」ということでは、この女性は、この世では「一番後の者」でした。しかし、このわずかな捧げものをした女性こそ神の国に最も近い人、「一番先の者」だと主イエスはおっしゃいます。この人こそ、天に宝を摘む人だったのです。主イエスが弟子達に見てほしいと願われたのは、この女性でした。

私達は、間違えてはならないと思います。イエス・キリストは、この女性をご覧になって、「立派な信仰だ」と喜んでいらっしゃるのではないのです。むしろ、お怒りになっていらっしゃいます。

この女性は、全財産を献金しました。つまり、破産した、ということです。わずか銅貨二枚の献金によって。

律法にはこう記されています。

「寡婦や孤児は全て苦しめてならない。もし、あなたが彼を苦しめ、彼が私に向かって叫ぶ場合は、私は必ずその叫びを聞く」

弱い者を守れ、と律法は言っています。しかし、この弱く貧しい女性は、律法学者たちから見向きもされていのです。神の家・神殿で、破産しました。しかし、誰もそれに気づいていません。

わずか銅貨二枚を神殿に捧げたことで、この女性はもう食べるものも買うことが出来なくなりました。本当は律法学者が、このような弱く貧しいやもめを守らなければならないということを一番知っているはずの人たちです。その女性の周りには、誰もその苦しみに手を差し伸べる人はいませんでした。

40節で主イエスは律法学者たちは「やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする」とおっしゃっています。この女性の献金の姿に、そのことが現れています。

主イエスが弟子達に「あの女性を見なさい」とおっしゃったのは、「美しい信仰の姿ではないか。あの人を見習いなさい」と言いたかったのではありません。「神殿で、守られなければならない人が守られていない。律法学者たちが律法が求めていることから目を背けている。これで神殿と言えるだろうか」と、弟子達にお見せになるためです。神殿が、祈りの家としての姿を失ってしまっているその有様を弟子達に「見ておきなさい」とおっしゃったのです。

主イエスがエルサレムに入り、神殿に入られてからここまでご覧になったのは、神殿が神殿でなくなっている、という事実でした。弱い女性が神殿で破産するということが起こっている、それこそ、神殿が強盗の巣になっている、ということではないでしょうか。 Continue reading

8月29日の説教要旨

マルコ福音書12:35~37

「ダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか」(12:37)

主イエスがエルサレムに入られてから、祭司長、律法学者、長老といったユダヤの指導者たちが、律法に関する難しい議論を仕掛けて来ました。ガリラヤからやってきたイエスという律法の教師がエルサレムの人たちの注目を集めていたこと、そして神殿がまるで自分の家であるかのようにふるまっていたことに危機感を覚えたのです。

しかし、この人たちは聖書に関する議論を通してナザレのイエスを言い負かすことは出来ませんでした。それどころか、主イエスがファリサイ派やサドカイ派の人たちの議論に立派にお答えになり、「心を尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛する、ということが律法である」とおっしゃったのを聞いて、「先生、あなたがおっしゃっている通りです」と主イエスに聞き従う律法学者まで出て来てしまいました。

もう質問して来る人がいなくなったので、主イエスはそのまま神殿の境内で教えを語られました。群集は喜んで主イエスの言葉に耳を傾けました。

主イエスは、その群衆に向かって、質問をなさいました

「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。」

「聖書を見ると、ダビデ本人がメシアに向かって『主よ』と呼びかけている。『私の子よ』、ではなく、『私の主よ』と呼びかけている。それなら、なぜメシアは『ダビデの子』」なのか、という質問です。

律法学者だけでなく、この時代の人々は皆、「あのダビデ王のようなメシアが来る、メシアはダビデの再来である」と信じていました。聖書にそう預言されていたからです。

例えば、エゼキエル書にこういう預言があります。

「私は彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。・・・私は彼らと平和の契約を結ぶ」。

このように、いろんな預言書の中に、「メシアが来る、再びダビデが来る」、という預言が残されていたのです。

そのことから、人々はやがて来るとされているメシアのことを、「ダビデの子」という称号で呼ぶようになり、メシアはダビデの再来として、自分たちを救いだしてくれる、と期待していました。

「なぜ律法学者たちは、メシアをダビデの子と呼んでいるのか」

この質問は、群衆にとって面食らうものだったと思います。

「律法学者がそう呼んでいるのだから、メシアはダビデの子なのだろう、ダビデの再来なのだろう」、人々はそう理解していたのではないでしょうか。しかし、主イエスはあえてそのことを人々に考えさせようとなさいました。当時の人たちにとって当然だったことを、根本から問い直されたのです。

主イエスは、エルサレムへの旅を始める際に、弟子達にも質問されています。

「人々は私のことを何者だと言っているか」

弟子達は、「皆、あなたのことを預言者だと言っています」と答えました。主イエスはさらに弟子達に問われます。「それでは、あなた方は私を何者だと言うのか」

ペトロは弟子達を代表して答えた。「あなたは、メシアです」。

主イエスは、ここで同じことを人々に問いかけていらっしゃいます。

「律法学者を始めとして、あなたがたはメシアのことをダビデの子と呼んでいる。

あなたがたが期待しているダビデの子とは何者なのか。」

人々はダビデが成し遂げたことを自分たちの時代に成し遂げてくれるだろう、と期待していました。

ダビデはサウル王の後イスラエルの指導者になり、先頭に立って戦い、エルサレムをイスラエルの首都に定め、イスラエルを国として築き上げ人です。剣をもち、敵と戦い、イスラエルを導いた英雄でした。イスラエルの人たちにとってダビデという名前は、戦争に勝つ王様のイメージでした。

主イエスの時代の人たちは、「ダビデの子」、と聞くと、ローマ帝国を打ち破る英雄を思い浮かべたでしょう。主イエスの時代、人々はそのように、自分たちの先頭に立って軍を率い、外国の支配からイスラエルを救ってくれる指導者であるメシアを待っていたのです。

その人々の期待に対して、主イエスは、「あなたたちが考えているダビデの子は、本当にそのような、戦争を指導する救い主なのだろうか」と問われるのです。

人々は、「このイエスという人こそ、ダビデの子ではないか」という期待を抱いていました。エリコの町で、バルティマイという目の見えない人が、主イエスに向かって「ダビデの子」と叫び、その信仰に応えて主イエスがその人の目を癒されたのを見ました。

エルサレムに入る際には、ガリラヤからの群衆が主イエスを前後から「我らの父ダビデの鍛えるべき国に、祝福があるように。いと高き所にホサナ」と叫びました。

「この方こそダビデの子なのではないか」という強い期待をもって、群衆はこの方のおっしゃることに耳を傾けていたのだ。

確かに、主イエスはダビデの子、メシアでした。聖書はそのことを証ししているし、私達もこの方のことを、メシア、つまりキリストであると信じています。

しかし、大切なことは、「それでは主イエスはどのようなダビデの子・キリストなのか」、ということなのです。人々が期待していたように、軍馬に乗って軍隊を指揮し、敵を倒すメシア・ダビデなのでしょうか。

主イエスのお姿は、むしろ、逆でした。馬ではなく、子ロバにのってエルサレムに入られました。強く、威厳のある王としてではなく、柔和で謙遜で平和な王としてエルサレムに入って来られました。そもそも、主イエスは弟子達に、「私はエルサレムで殺されることになっている」とおっしゃっています。主イエスの使命は、人々を戦争へと駆り立て、その先頭に立つ、ということではなかったのです。

主イエスの弟子達への問い、また群衆への問いは、今、聖書を読んでいる私達への問いかけです。私達は、自分勝手な期待を、自分に都合のいい期待を主イエスに対して持っていないでしょうか。

「あなたがたは私にどのような救いを期待しているのか」と問われています。

もしイエス・キリストが、自分が欲しいもの・自分に都合のいいものをくださる救い主であれば、信じることは簡単でしょう。信じたらすぐにいいことがたくさん起こって、自分の人生に問題が何もなくなる、というのであれば、誰でもキリストをすぐに信じるでしょう。

しかし、イエス・キリストを信じて従う・信じて従い続ける、ということは、そんなに簡単なことではありません。キリストに従う、ということは、ご利益がたくさんもらえる、ということではないのです。「私に従う者は自分の十字架を背負って私に従いなさい」と主はおっしゃいました。キリストに従うということは、キリストの十字架の御業に加わる、ということなのです。

私達は本当に主イエスがもたらしてくださった救いを正しく見据えることが出来ているでしょうか。そもそも聖書には、ダビデの子について、どのように預言されているでしょうか。

エゼキエル書34章で、神はこうおっしゃっている。

「見よ、私は自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊が散り散りになっている時に、その群れを探すように。私は自分の羊を探す。」 Continue reading

8月22日の説教要旨

マルコ福音書12:28~34

「イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、『あなたは、神の国から遠くない』と言われた」(12:34)

神殿の境内で、主イエスはファリサイ派、ヘロデ派、サドカイ派の人たちから議論を仕掛けられました。

「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているかどうか」

「世の終わりの復活は本当にあるのか。もし復活があると言うのなら、世の終わりにこんな困ったことになるのではないか」

主イエスは皇帝への税金に関しても、復活の信仰に関しても、明確に聖書に基づいてお答えになりました。「立派にお答えになった」のを見て、一人の律法学者が質問をして来ます。

この人は、ファリサイ派やサドカイ派の人たちのように、主イエスを陥れようとしたのではありません。これまでのファリサイ派、サドカイ派の人たちとの議論を聞いて、「この方こそ神の言葉・律法を最もよく知る方ではないか」、と思い、期待して質問をしたのです。

「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」

これだけたくさんある聖書の言葉の内、一番大事な言葉はどれか、一言でまとめると聖書は我々に何を求めているのか、という質問です。これだけたくさんある神の教えの中から、一番大切なものを一つ抜き出すということは困難なことのように思えます。しかし、これは難しい質問のように見えて、実は一番初歩的なものではないでしょうか。

私達もこのような質問を受けることがあると思います。イエス・キリストことを全く知らない人であれば、「聖書はどんなことが書かれているのですか」とか「イエス・キリストは、一言で言うと、どのような人物のですか」と尋ねるでしょう。それを考えると、この人の質問は、律法に関する最も初歩的なものだと言っていいと思います。

しかし、ここで面白いのは、そのような初歩的な質問を律法の専門家である律法学者が主イエスに尋ねた、ということです。一体なぜ、この人は、主イエスにこのようなことを聞いたのでしょうか。

考えられるのは、この律法学者は、日々聖書を研究する中で、聖書の本質がだんだん見えなくなっていたのではないか、ということです。一所懸命に律法に向き合い、律法の奥深さを知れば知るほど、逆に真理が見えづらくなってしまった。それで改めて、ファリサイ派やサドカイ派の人たちからの律法に関する難題に立派にお答えになった主イエスに聞いてみよう、と思ったのではないでしょうか。

恐らく、この人は、恥を忍んでこの質問をしたのではないでしょうか。自分の渇きを抱えて、律法の原点についてイエスというガリラヤの教師に尋ねたのでしょう。

主イエスのお答えは、こうでした。

「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、私達の神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』」

これは申命記6:4~5の言葉で、当時のユダヤ人たちは、毎日この言葉を暗唱して祈っていました。「どれが第一の掟ですか」という質問をされると、おそらく多くの人がこの申命記の言葉を答えたのではないでしょうか。これを聞いて、律法学者は、「やはり、この人もそう思うのだな」、と納得したと思います。

しかし、主イエスは「第二の掟はこれである」と続けられました。「第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つに勝る掟は他にない」

主イエスは一つのことを聞かれて、二つのことを答えとされました。律法学者の、「どれが第一でしょうか」という質問に対して、主イエスは「第一の掟は、これで、第二の掟はこれである」、こういう答え方をなさったのです。

「心を尽くして神を愛しなさい」という第一の掟と、「隣人を自分のように愛しなさい」という第二の掟と切り離せない、ということです。この二つの掟は、二つで一つなのです。

「神を愛する」ということと「隣人を愛する」ということは、一体なのです。主イエスが律法学者にお示しになった大きな真理はこれでした。心を尽くして神を愛しても、隣人を自分のように愛することがなければ聖書が求めていることを実践しているとは言えません。逆に、隣人を自分のように愛しても、心を尽くして神を愛することが無ければ、律法を満たしているとは言えません。

律法学者は、主イエスの答えを聞いて、感動しました。そしてすぐに主イエスがおっしゃったことを受け入れました。

「先生は、おっしゃる通りです。『神は唯一である。他に神はない』とおっしゃったのは本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす捧げものやいけにえよりも優れています。」

この人は、神への捧げものとは何か、神への生贄とは何か、ということを日々考え、行き詰って悩んでいたのかもしれません。主イエスの答えは、律法学者の心に光を差し込んだようです。神を愛することと隣人を愛することは一つである、ということが聖書の第一の掟である、と知って、彼の心は晴れました。

律法学者が尋ねた質問は、難しいようでいて、実は難しくない質問だったと思います。聖書の教えというのは、十戒に集約されているのです。十戒は文字通り、十の戒めです。初めの4つは、神を愛するための戒めであり、残りの6つは、隣人を愛するための戒めです。

主イエスの答えは、十戒を単純にまとめたものでした。その当時誰も知らなかった、真新しい教えではありません。むしろ、人々の方が、聖書の一番核になる教えを見失いかけていた、ということでしょう。

私達は、主イエスがお答えになった大切な掟の内容そのものよりも、律法学者がなぜこれほどまでに驚き、感動したのか、ということに注意を向けたいと思います。

律法学者が主イエスの答えを聞いて、これだけ驚いた、ということは、日々聖書を研究していた律法学者でさえ、聖書の本質を見失うことがある、ということです。神が私達にお求めになっていることは、本当は複雑なことではありません。律法学者のように、聖書の専門家でなければ理解できないようなことではないのです。

神が私達にお求めになっているのは、神を愛し、隣人を愛するということです。これだけです。単純なことです。しかし、こんな簡単なことを我々はすぐに忘れてしまうのです。

教会の中でもすぐにそういうことは起こります。ヤコブの手紙にこういう言葉があります。

「もしあなたがたが、聖書に従って、『隣人を自分のように愛しなさい』という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。しかし、人を分け隔てするなら、あなた方は罪を犯すことになり、律法によって、違反者と断定されます。」

このようなことを書いている手紙が残っている、ということは、教会の中で、神への信仰はもっているが、隣人への愛は実践できていなかった、という状況があった、ということでしょう。

主イエスがおっしゃっているのと同じことをパウロも書いています。

「互いに愛し合うことのほかは、誰に対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すね、盗むな、むさぼるな』そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするのです。」(ロマ13:8~10)

私達はなぜ、「神を愛し、隣人を愛する」という単純なことをすぐ忘れてしまうでしょうか。「愛する」ということが難しいからです。いつも、自分だけを愛そうとするからです。神に・隣人に心を向けさせないようにする力が私達に働いています。聖書はその悪しき力を「罪」と呼んで、その働きについて教えてくれています。

「罪」という力がなぜ恐ろしいのかというと、自分だけを愛するように人を仕向けて、神への愛を、隣人への愛を破壊するからです。自分だけを愛させる力、それが罪の力だ。

福音書を読んでいると、主イエスは、律法学者やファリサイ派やサドカイ派の人たちとは仲が悪かったような印象を持ちがちです。しかし、実際は理由もなく敵対していたわけではありません。。それぞれが、律法のことを、聖書のことを真剣に捉えていたからこそ、真剣な議論になっていたのです。

ここを読んでわかるのは、イエス・キリストなしでは、人は迷う、ということです。律法学者も、とてもまっすぐに神の国を求め、神の言葉に従おうとしていたのです。しかし、熱心に研究していた学者であっても、律法の中心が何かわからなくなってしまっていました。

キリストに出会って、この律法学者は変えられたでしょう。この人がこの後イエス・キリストの弟子となったかどうかはわかりません。しかし、自分が向き合う律法とは何なのか、何のための言葉なのかを知って、新しい信仰の姿勢で聖書に向き合い始めたことは間違いありません。

主イエスは律法学者の喜びの言葉を聞いて、「あなたは、神の国から遠くない」とおっしゃっいました。そして、そのやり取りを周りで聞いていた人たちの中に、「もはや、あえて質問する者はなかった」とあります。この律法学者だけでなく、周りで見ていた人たち、主イエスを危険視した人さえも、イエス・キリストを通して、神が何を自分たちにお求めであるか、ということをはっきりと知りました。

質問する人がいなくなった、ということは、皆、はっきりと道が見えた、ということでしょう。はっきりと、自分のあり方、生き方を知った、ということです。イエス・キリストとの出会いは、このように人を変えていくのです。

キリストに出会う、ということは、道を見出す、ということです。ヨハネ福音書で主イエスはおっしゃっています。

「私は、道であり、真理であり、命である」

神を愛し、隣人を愛するというこの単純な真理に生きる、ということが私達に課された信仰の戦いでしょう。聖書の言葉を武器にして罪の誘惑と戦っています。

主イエスがここで律法学者におっしゃっているように、人は、神への愛・隣人への愛に生きることから、神の国に生きることが始まるのです。

8月15日の説教要旨

マルコ福音書12:18~27

「神は死んだ者の神で反買う、生きている者の神なのだ」(12:27)

神殿の境内での出来事の記述が続きます。

ファリサイ派とヘロデ派の人たちは、主イエスを罠にかけることに失敗しました。「皇帝に税金を納めることは、律法に適っているかどうか」という難しい質問で言葉尻を捕えようとしました、主イエスから「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われ、彼らは何も言い返せませんでした。

次に出てきたのは、サドカイ派でした。福音書を読んでいると、ファリサイ派とか、サドカイ派とかヘロデ派など、何々派という言葉がよく出てきます。当時は、同じユダヤ教でも聖書の理解が違ったり、政治姿勢が違ったりしてたくさんの派閥があったのです。

今日私達が読んだところには、「復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスの所へきて尋ねた」と記されています。

サドカイ派の人たちは、は世の終わりに起こるとされている「復活」を信じない人たちでした。

サドカイ派は、「モーセ五書」と呼ばれる、旧約聖書の最初の五つの書物、つまり、創世記から申命記までの五つの書だけを信仰の基準としていました。モーセ5書の中には「復活」に関する信仰は書かれていません。書かれているのは、「預言書」です。そのため、、サドカイ派の人たちは、世の終わりに人間が神によって復活させられる、ということは信じていなかったのです。

ファリサイ派の人たちは、「預言書」も信仰の基準としていたので、復活を信じていました。ファリサイ派とヘロデ派の人たちが、イエスを言い負かすことが出来なかったと聞いて、サドカイ派の人たちは、「よし、それでは自分たちがイエスを言い負かしてやろう」と意気込んだのでしょう。主イエスの下にやって来て「復活」に関する議論を持ち出しました。

主イエスに質問して言い負かし、同時に、ファリサイ派の人たちが信じていた「復活」の信仰も否定しようとしたのでしょう。

さて、その質問の内容です。サドカイ派の人たちは「もし終わりの日に復活が本当に起こるのであれば、こんな困ったことになるのではないですか」、と言ってきました。

申命記25章に記されている規定を持ち出してきました。そこには、男性が子供を残さずに死んだなら、その妻は、夫の兄弟の妻となり、家の名前を残していかなければならない、ということが記されています。

「もし、男性とその兄弟が次々に死んでしまう、ということになると、一人の女性が複数の夫に次々に嫁ぐ、と言うことになる。それでは、世の終わりに復活した時に、その女性にとって一体だれが自分の夫になるのか」という質問です。

これは素朴な疑問だと思います。サドカイ派の人たちの言うことは筋が通っています。確かに、そのようにして一人の女性が夫の死と共に夫の兄弟に嫁ぐということになれば、復活の時には、自分は誰の妻になるのか、自分の夫は誰なのか、ということになるでしょう。「だから、世の終わりに復活などということが起こることはおかしいですよね」、と言うのです。

このサドカイ派の質問は、私達にとっても興味深いものではないでしょうか。私達キリスト教会は、イエス・キリストの復活を信じています。パウロは、「イエス・キリストは復活の初穂です」と言っています。つまり、私達自身にも、キリストに起こった復活が与えられる、と聖書は伝えているのです。実際私達は、礼拝ごとに使徒信条の中で「我は死人の蘇りを信ず」と告白しています。

復活は、キリスト教信仰の中心です。信仰者にとって、復活の信仰は、肉体の死を超えたところにある究極の希望です。

しかし、私達は、実際に自分の目でキリストの復活を目撃したわけではありません。誰かが墓の中から出てくるのを見たこともありません。

だから思うのです。「キリストは世の終わりに復活を約束してくださっているが、それは一体どのようなものなのだろうか。」復活というのは、我々にとって信仰の中心であり、希望であると同時に、一番の謎でもあります。

世の終わりに自分が墓の中で名前を呼ばれた時、一体、何が起こるのか。

自分はどのように復活するのか。

復活した後に与えられる永遠の命とはどのようなものなのか。

私達にとって、このサドカイ派の質問で示された復活に関する疑問は、誰もが、素朴に感じていることでもあるのです。

主イエスがサドカイ派に対してまずおっしゃったのは、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか」という言葉でした。サドカイ派の人たちが「世の終わりの復活の際にはこんな問題が起こるのではないか」と考えるのは、聖書も神の力もわかっていないからだ、とおっしゃるのです。

「聖書も神の力も知らない」とはどういうことなのでしょうか。それはつまり、人間の知恵で、知識で全て考えようとしている、ということでしょう。聖書の言葉は、神の言葉です。私達人間が、自分の力では知ることが出来ないことを、神がお教えくださった、その神の教えが記されています。聖書には、我々が知りえないことが書かれているのです。これは聖書の言葉について考える際に、とても大切な前提だ。

サドカイ派の人たちのは、この世の終わりの復活を、今の自分たちの生活の延長として捉えています。復活の神秘を、自分たちの常識で捉え、復活の命を、今の生活の延長だと決めつけて考えています。

主イエスは彼らにおっしゃいました。「死者の中から復活する時には、めとることもなく嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。」私達の今の生活とは全く違う世界、違う命になる、ということです。 Continue reading

8月1日の説教要旨

マルコ福音書12:13~18

「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(12:17)

ユダヤの指導者たちは、ナザレからやって来たイエスという人をなんとか捕えようと、考えました。人々から褒め称えられながらエルサレムに入場してきたり、神殿の境内から商人を追い出して人々に教えを説いたりして、過越祭のエルサレムでやってほしくないことをしていたからです。

過越祭に巡礼に来ている人たちを刺激してほしくないし、ローマから目を付けられるようなこともしてほしくない。一番いいのは、このイエスという人を自分たちで捕らえてしまう、ということでした。

彼らは、なんとかしてナザレのイエスの捕えるための罠を考え出しました。それは、一つの質問でした。「皇帝に税を納めるのは、律法にかなっているかどうか」

少し、この質問の背景を踏まえておきます。彼らが聞いてきた「皇帝への税金」とは何か、ということです。

主イエスの時代、ユダヤ地方はヘロデ・アルケラオという領主によって治められていました。ヘロデ・アルケラオの父親は、主イエスがお生まれになった際、メシアの誕生を恐れ、ベツレヘムの地方の2歳以下の男の子を殺させた、あのヘロデ王です。

ヘロデ大王の死後、ヘロデ大王が支配していた地域は、三人の息子たちに分割されて統治されました。その一人が、ヘロデ・アルケラオで、彼はユダヤ地方の領主となったのです。

ローマ皇帝はヘロデ・アルケラオが領主として治めるユダヤ地方の人たちに税を課しました。それは人頭税だった。

人頭税というのは、文字通り「一人頭いくら」、という風に、無条件に課される直接税です。この人頭税は、ユダヤ地方に住むユダヤ人たちにとっては屈辱的なものでした。自分たちの国を占領している外国の王に、ただそこに住んでいるだけで税金を払わなければなりません。ローマ皇帝はユダヤ地方の人たちにとって異邦人・異教徒の王なのです。

実際、歴史を見ると、紀元6年にローマに対する暴動が起こっている。その暴動からまだ二十年ちょっとしか時間が経っていません。このユダヤ人に課せられていたローマへの人頭税が、ローマ帝国に対する火種となっていました。

このような中で、「皇帝に納める税金は律法に適っているか、適っていないか」と尋ねる、ということは、「ローマ皇帝と神と、どちらがあなたにとって大事か」、と公に尋ねるようなものです。

この質問をするために、ファリサイ派とヘロデ派の数人が主イエスの元に遣わされた、とある。

ファリサイ派は、神の律法を厳しく守り、実践していた人たちです。彼らはローマ皇帝への税金に対しては否定的だったでしょう。

ヘロデ派というのは、ユダヤ地方を支配していた、ヘロデ王家の政治の支持者たちです。彼らは、ヘロデ王家の政治を維持するためには、皇帝への税金はやむを得ないと考えていたでしょう。

そのような、それぞれの考えを持つファリサイ派とヘロデ派の人たちが一緒にやって来て主イエスに向かって質問したのです。

「先生、我々はあなた真実な方で、誰をもはばからない方であることを知っています」

主イエスが言い逃れ出来ないように、彼らはへつらいながら、ローマ皇帝への税金は神の律法に照らし合わせて、納めるべきか、納めてはならないのかをはっきり教えてほしい、と言ってきました。

これは聖書に書かれているように、主イエスの「言葉尻を捕えて陥れるため」に、律法の専門家が考えた質問です。主イエスがどう答えても、不利な立場になってしまうよう、よく練られています。

もし主イエスが「皇帝に納める税金は律法に適っている」と言えば、それを聞いていた人たちは、「イエスは神よりもローマ皇帝を選ぶのか」、と思い、主イエスはユダヤの人々からの支持を失ってしまいます。

もし「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っていない、納めるべきではない」、と言えば、ローマの兵士たちから反乱分子として危険視されることになります。

これに対して、主イエスはどう対応されたでしょうか。主イエスは、「皇帝に納税すべきだ」とも「皇帝に納税すべきではない」ともおっしゃいませんでした。

主イエスがまずおっしゃったのは、「デナリオン銀貨を見せなさい」ということでした。デナリオン銀貨は、ローマへの人頭税を支払うために用いられた硬貨です。

その銀貨には、皇帝の肖像が刻まれており、そして皇帝の像と一緒に「神の子」という称号も銘打たれていました。

当時のユダヤ人の人たちにとって、ローマ皇帝・異教徒の王様を「神の子」と讃えているデナリオン銀貨を用いることは屈辱でしたので、ささやかな抵抗として、日常ではデナリオン銀貨ではなく、皇帝の像が刻まれていない銅貨を用いていました。

主イエスはガリラヤ地方の人でしたから、ユダヤ地方の人のように人頭税を払う必要はありません。デナリオン銀貨を持ち歩く必要はなく、この時もお持ちではありませんでした。だから、「デナリオン銀貨を見せなさい」とおっしゃったのです。

しかし、「皇帝への税金は神の律法に適っているか」と聞いてきたファリサイ派とヘロデ派の人たちは、皇帝を「神の子」と讃えている銀貨を持っていたのです。

何気ないやりとりだが、これはとても大事な意味を持っています。このことで、ファリサイ派・ヘロデ派の人たちの下心は丸裸にされてしまいました。周りで見ていた人たちから、「なんだ、あの人たちは皇帝の像が刻まれた銀貨を持ち歩いているのか」と見られたでしょう。

彼らは主イエスから「(君たちが常日頃から持ち歩いている)これは誰の肖像と銘か」と聞かれました。彼らは「肖像と銘」を聞かれましたが、「皇帝のものです」と肖像についてだけ答えています。皇帝のことを「神の子」と讃えている銘については答えていません。恥ずかしかったのでしょう。せめて、皇帝を「神の子」と呼ぶことは控えました

主イエスは、ここまでおっしゃると、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と一言おっしゃって、このやり取りを終えられました。

さて、我々は、この主イエスの言葉を聞いてどう思うでしょうか。ファリサイ派とヘロデ派の人たちに、皇帝への納税が律法に適っているか、適っていないか、はっきり白黒つける答え方はされませんでした。ローマ皇帝のみか、神のみか、というような答えをされなかったのです。

神の子イエス・キリストであれば、「この世の王ではなく、ただ神のみに従いなさい。ローマ皇帝に税金など納めなくてもいい」とおっしゃってもおかしくなかったと思います。しかし、主イエスは、信仰生活とこの世での日常生活を全く分けて考えてはいらっしゃらないのです。

この主イエスの言葉は、この世で信仰生活をしている私達にとって、とても大切な指針を示していると思います。私達は、「信仰生活の中で、どうすれば神に従うことができるのか」、ということを考えます。信仰における義務と、この世で生きていくための義務を、相容れないもの・相反するものとして考えてしまうことはないでしょうか。

そのように突き詰めていくと、「神に従う、ということは、この世の誰にも従わない、ということではないか。自分が生きている社会の中で神だけを見て、社会の秩序には従わない、ということではないか」という極端な考えに流れてしまいます。こうなると、「神に従う、キリストに従う」、ということが「人とは関わらない」ということになりかねなません。

新約聖書のヤコブの手紙の中に、こういう言葉があります。

「私の兄弟たち、自分は信仰を持っているという者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。」

神への義務を果たしても、隣人に対しては何もしない、となるとその信仰は本末転倒でしょう。神はお喜びになりません。

主イエスの言葉は、信仰者としての在り方と、この世の社会に生きる、一人の社会人としての在り方を矛盾するものとして捉えられていません。 Continue reading

7月25日の説教要旨

マルコ福音書12:1~12

「聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、私たちの目には不思議に見える』」。(12:10~11)

ユダヤの指導者たちは、神殿の境内をまるで自分の家にいるかのように振る舞っているナザレのイエスに腹を立てていました。彼らは、「何の権威であなたはこんなことをしているのか。誰が、そうする権威を与えたのか」と直接詰め寄ります。

指導者たちからの質問に対して、主イエスは「ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか」と、逆に質問されました。「それに答えたら、私も答えよう」。ご自分には、洗礼者ヨハネと同じ権威がある、それは天からものだ、ということを暗に示されたのです。

ヨハネを支持していていた群衆が周りにいたので、指導者たちは、「ヨハネの洗礼が天からのものか人からのものかわからない」と答えました。主イエスは「それなら、私も答えないでおこう」とおっしゃいます。

ユダヤの指導者たちと主イエスとのやり取りは、それだけでは終わりませんでした。続けて主イエスは一つのたとえ話をお聞かせになります。

こういう内容です。

ある人が、農夫たちに、ブドウ園を作り、農夫たちに貸して旅に出ました。

「垣をめぐらし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て」、これを農夫に貸した、とありますので、主人は、農夫たちが作業をするために必要なものを全て整え、ブドウ園の所有者としての責任を全て果たし、農夫たちを信頼して旅に出たのです。農夫たちは、毎年、その年の収穫の内一定の量をブドウ園の所有者、「主人」に納める契約だったようです。

収穫の時期になったので農園の主人は自分の僕を送りました。しかし、農夫たちは次々に送られてくる僕たちを殴ったり、殺したりして、農園の主人に収穫をよこそうとしません。主人は「自分の息子なら、農夫たちも敬ってくれるだろう」と思い、最後には大事な跡取り息子を遣わしました。しかし、農夫たちは、「主人から送られてくる跡取り息子殺せば、相続財産が自分たちのものになる」、と考え、結局殺してしまうのでした。

ひどい内容の話です。この話はたとえ話なので、現実に起こった話ではありません。これは一体何の話なのでしょうか。

エルサレムの指導者たちはこの話を聞いて、「イエスが自分たちに当てつけてこの喩を話した」と気づきました。「イエスは、自分たちのことを、この話に出てくる農夫に当てつけている。」

主イエスがこのたとえ話の中で示されている「農夫たち」が指導者たちであるとするなら、話に出てくる「主人」とは誰なのでしょう。「農園」とは何でしょうか。「主人の僕たち」「主人の息子」とは誰なのでしょうか。

律法や預言の言葉をよく知っているユダヤ人であれば、このたとえ話を聞いたらイザヤ書の5章にある、「ブドウ畑の歌」を思い出したでしょう。神が畑でブドウを育てて収穫を待たれたのに、その畑に実ったのは酸っぱい実だけだった、という悲しみの歌です。神は嘆かれます。「畑のために私がしなければならなかったことがまだあるというのか。」

イザヤの歌の中で言われているブドウ畑というのは、イスラエルのことです。その畑の主人は神です。

このイザヤ預言に照らし合わせて主イエスがお話しなさった「ブドウ園と農夫」のたとえを見ると、主イエスが何をお見せになろうとしたのかがよくわかります。「ブドウ園の主人」は、神であり、「主人の下から遣わされる僕たち」は預言者であり、「主人の愛する一人の息子」は、神の子・メシアです。

主イエスは、このブドウ園と農夫のたとえ話を通して、神とイスラエルの歴史そのものを指導者たちにお見せになっているのです。旧約聖書を読めばわかります。神は、不信仰のイスラエルに何度も預言者を送られました。預言者たちは、歴史の中で何度も「神に立ち返りなさい」という神の言葉をイスラエルに伝えました。しかし、イスラエルは預言者たちの言葉を聞かなかったのです。ある時は無視し、ある時は牢屋に入れ、ある時は殺しました。

この主イエスのたとえ話の中で主人に遣わされた僕たちは、農夫たちによってふくろ叩きにされたり、殴られたり、侮辱されたりしています。ある僕は殺されている。まさに、預言者たちが歴史の中で受けて来た扱いそのものです。

我々はこのたとえ話を読んで、不思議に思うのではないでしょうか。なぜ農夫はここまで主人に反抗したのでしょうか。いやそれ以上に、農夫たちの度重なる反抗にも関わらず、主人はなぜ僕を何人も遣わしたのでしょうか。自分の僕が一人でもこのような目にあわされたのであれば、農夫たちを罰するに十分な理由になるでしょう。

しかし、主人は、この話の中で、ブドウ園の収穫を諦めないのです。農夫たちが心を入れ替えて、自分に収穫をもたらしてくれる、という希望を捨てようとしないのです。

主人は、一人を送ります。すると、その僕は殴られ侮辱されました。主人はさらにもう一人を送りました。その僕は、今度は殺されてしまいます。主人は、それでもまた僕を何人も送り続けました。「ある者は殴られ、ある者は殺された」、とあります。

そして主人は最後に、自分の一人息子を送ることになります。ブドウ園の主人は、もう自分の息子しか残らないほどに、僕を農園に送り続けた、ということです。

なぜこの主人はそれほどまで、農夫たちが変わることに希望を持ったのでしょうか。はっきり言えば、私達にはわかりません。それが、神の愛の深さなのです。私達の理解を超えて、神は私達を愛してくださっているのです。

このたとえ話の「主人」の姿に、神のイスラエルへの愛が現わされています。神は、何人預言者が殺されようとも、イスラエルを取り戻されるのを諦めませんでした。最後には、ご自分の愛する独り子を世に送られたのです。

ユダヤの指導者たちは、ナザレのイエスを殺そうとしていました。それは、イスラエルが、自分たちが信じている神の独り子を殺す、ということなのです。

最後に送られて来た主人の息子は、農夫たちにとって、主人に許してもらう最後の機会でした。主人の息子を敬い、受け入れさえすれば、それまでのことを主人に許してもらえたかもしれません。しかし、農夫たちは、最後の最後まで「この息子さえ殺せば、農園が手に入る」、と考えてしまいました。

主イエスのこのたとえ話で大事な点は、主人の息子が殺されて終わりではない、ということです。実は、話はその後のことに焦点が置かれています。

ブドウ園の主人の息子を殺した農夫たちは、どうなるでしょうか。「ブドウ園の主人は戻って来て農夫たちを殺すにちがいない。そしてブドウ園を他の人たちに与えるに違いない」と主イエスはおっしゃる。

このたとえ話を通して示されたことは明らかでした。今、指導者たちが主イエスを殺そうとしていることは神への反逆だ、と言うことです。ブドウ園の主人が遣わした人を受け入れない、ということは、主人を受け入れない、ということです。そして主人の一人息子を殺した後には、主人自身が来て、農夫たちを裁くことになるのです。

「主人が来た時、農夫たちはどうなるだろうか」

この問いこそ、主イエスのたとえ話の意図です。これから神の子を十字架に上げる、ユダヤの宗教指導者たちが何を見ることになるのか・・・主人の息子が殺されたことによって、このブドウ園はこれまでの農夫とは別の人たちに与えられることになります。神の畑は、もう彼らのものではなくなるのです。

主イエスは「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、私達の目には不思議に見える」と締めくくられました。これは詩編118:23の引用です。

農夫たちに殺され、捨てられた主人の跡取り息子が元になって、何か新しいものが造られる、という謎めいたことが言われています。「不要だ」と思って捨てた石が、皮肉にも、やがて一番大事な家の土台となる石となるだろう、という主イエスの預言です。

主イエスはご自分を待つ十字架の死を見ていらっしゃいます。主イエスの死によって、何かが生まれるのです。ヨハネ福音書で、主イエスがおっしゃったこういう言葉があります。

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」

人々から捨てられたキリストの上に、教会が造られていくことになります。罪の許しをキリストに求めて祈る人たちが、聖霊に導かれ捨てられた隅の親石へと招き入れられるのです。

神は、長い長いイスラエルの歴史の中で、預言者たちを通してどれだけ種を蒔いてこられたでしょうか。今、ご自分の独り子、神の子キリスト・イエスを世に遣わして、人間を取り戻そうとなさいます。

これから、神の子は、ご自分の命を使って、神の招きの言葉を世界に聞かせようとなさいます。十字架の上で、ご自身の死を通して神の愛を示されることになるのです。

指導者たちは、自分たちは神のために正しいことをしている、と考えていたでしょう。しかし、主イエスのたとえ話を通して、人間の心の目・霊の目がどれほど曇っているか、ということを思い知らされるのではないでしょうか。

彼らは、「神殿の秩序を守るために、神への信仰を守るために」という思いをもって、神の子を殺そうとしています。 Continue reading

7月18日の説教要旨

マルコ福音書11:27~33

「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。」(11:29)

エルサレムに入られて三日目の火曜日の朝、主イエスはまた神殿の境内に入られました。過越祭に巡礼に来ているのだから、主イエスが神殿の境内に入られるということは、当然のように思えるかもしれません。しかし、よく考えるとこのことは当たり前のことではないと思います。

この前の日、神殿の境内、つまり「異邦人の中庭」と呼ばれるこの場所で、主イエスは激しく暴れ、そこで売り買いをしていた人たちを追い出されました。両替人の台やハトを売る者の腰掛をひっくり返し、境内を通って物を運ぶこともお許しになりませんでした。そしてそのままその場所で、主イエスは夕方になるまで神殿の境内で群衆に神の国の教えを説かれたのです。

いい目立ち方ではありません。これを見たユダヤの指導者たちは、主イエスを殺す相談を始めました。この月曜日の事件は、当然たくさんの人が見ていたでしょうし、噂になったでしょう。普通なら、捕らえられてしまう危険性を考えて、もう二度と同じ場所に戻ってくることはしないのではないでしょうか。しかし、主イエスはまるで何事もなかったかのように、月曜日と同じように、火曜日にも神殿の境内に入って来て歩いていらっしゃったのです。

ユダヤの指導者たちも驚いたでしょう。ナザレのイエスが昨日あんなことをしておいて、まさかまた同じ場所にやってくるとは思ってもみなかったのではないでしょうか。この機会を逃さず、詰め寄りました。

「あなたは何の権威で、このようなことをしているのか。誰が、そうする権威を与えたのか」

この人たちは、ユダヤで一番権威のある宗教指導者たちです。最高法院の構成員であり、ユダヤの宗教的な教えの秩序を保つ責任を負っていました。当然、神殿の境内から人々を追い出し、その場所で勝手に群衆に教えを説いたナザレのイエスを調査する責任がありました。神殿の境内で暴れたり、群衆に教えを説いたりすることは、危険極まりないことだったのです。過越祭の時期にそんなことをされると、ローマへの暴動が起こるかもしれません。

主イエスは、彼らの質問に対して、悪びれた様子をお見せになっていません。主はエルサレムに入られてから、一つの姿勢を貫かれています。それは「エルサレム神殿は、私の家だ」、という姿勢です。

「ここは私の家なのだから、ここに来る人は誰でも、私が望むように振る舞いなさい。ここで両替や生贄の売買を行ってはいけない。それは、私の家でするべきことではない。私の家は祈りの家でなければならない」主イエスの神殿での振る舞いは、そのような姿勢に基づいています。

主イエスは昨日暴れた神殿の境内に、また今日もごく自然に入って、歩かれたのは、そこがご自分の家だったからです。神殿は、神の家です。そしてそこをご自分の家として歩いていらっしゃるイエス・キリストは、正に、神殿に来られた神のお姿なのです。

私達は、まず、このことをきちんとここで踏まえておかなければならないと思います。

主イエスは彼らの質問に対して、質問で返されました。

「ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい」

なぜ、質問に対して、質問で返されたのでしょうか。

なぜ突然、洗礼者ヨハネの名前を出されたのでしょうか。

この言い方はつまり、主イエスの権威は洗礼者ヨハネと同じところから来ている、ということでしょう。「私の権威は洗礼者ヨハネと同じところから来ている。あなた方は、それを天からだと思うか、それとも人からだと思うか。」そう問われたのです。

主イエスはあえて質問なさいました。なぜでしょうか。彼の信仰の姿勢を確かめるためです。もし彼らが、「洗礼者ヨハネの権威が人からのものだ」と考えているのであれば、主イエスがいくら「私の権威は天からのものだ。私はキリストだ」とおっしゃっても彼らは受け入れることが出来ません。

もしも彼らが「ヨハネの洗礼は天からのものです」と心から信じ答えれば、主イエスは「あなた方の考えは正しい。私の権威も天からのものだ。あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃるでしょう。

しかし、指導者たちの答えは「わからない」でした。この質問は、指導者たちにとって大きな声ではっきりと答えたくないものでした。

指導者たちは、洗礼者ヨハネのことをもちろん知っていました。ヘロデに向かって、「あなたは律法に反する結婚をしている」と非難して、最後には首を切られてしまった人です。人々は、洗礼者ヨハネのことを、「天から権威を与えられた預言者である」と信じていましたし、多くの人がヨハネから洗礼を受けていました。

指導者たちも、洗礼者ヨハネがヘロデに向かって行った抗議は聖書の教えに基づく正しいものだったことがわかっていたでしょう。洗礼者ヨハネには、人間を超えた権威が天から与えられている、ということもうすうすは感じていたはずです。

しかし彼らは、この場では、はっきりと答えたくなかったのです。ヨハネのことを預言者だと信じていた人たちが周りに多くいたからです。

もし指導者たちがヨハネの権威は天からのものだと言えば、「ではなぜヨハネを信じなかったのか、なぜヨハネの味方をしなかったのか」、と言われてしまいます。ヨハネの権威が人からのものだと言えば、ヨハネを天からの預言者だと信じている群衆から非難されてしまいます。彼らが気にしたのは、人々からの評価、自分たちの保身でした。答えに困った彼らは、その場をしのぐために、「わからない」と言いました。

主イエスは、「それでは、私も答えるのをやめよう」とおっしゃいました。少し意地悪な言い方にも思えます。しかし、洗礼者ヨハネの権威について、それが天からか人からかわからない、と言うのであれば、主イエスが何とおっしゃっても、彼らにはわからないのです。

指導者たちの質問は、ナザレのイエスが本当に天から来られたキリストかどうか、ということを知るためではありませんでした。「どうすれば、この男を殺すことが出来るか、言葉尻をとらえてやろう」という思いからです。

そのような人たちには、主イエスが何をおっしゃっても正しくは伝わりません。「わからない」と言う指導者たちに、主イエスは「何も言うまい」とおっしゃいました。

この時、指導者たちが経験したことは、主イエスを求める人が誰でも経験することではないでしょうか。

「イエスとは何者だろう」と問いながら聖書を読んでも、よくわからないでしょう。「イエスとはあなたは何者なのか。本当に救い主なのか」と問いながら聖書を読んでも、私達は逆に聖書の中からキリストに問い返されるのです。

「あなたは、私を何者だと言うのか」

これまで、ファリサイ派の人たちは、主イエスに向かって「しるしを見せてほしい」と言ってきました。あなたは預言者なのか、メシアなのか、一体何者なのか、それがわかる徴、証拠を見せてほしい、と言ってきました。しかし、主イエスは、徴をお見せになることを拒まれました。信じていない人、信じようとしない人に徴を見せても、通じないからです。

主イエスがキリストである、ということは、説明されてわかるものではありません。上手に説明ができたら、皆この方をメシアと信じるようになるか、というとそうではありません。

逆なのです。説明されて理解するのではなく、信じた先でイエス・キリストに出会う、というのが信仰なのです。

主イエスは以前、ご自分の弟子達に対して「あなたがたは私を何者だと言うのか」と問われました。「私はメシアだから、そのように信じなさい」と説明したりなさいませんでした。主イエスはいつでも、ご自分を求める人に対して問われるのです。

「私に何をしてほしいのか」

「私にできると信じるのか」

「あなたは私を何者だと信じているのか」

私達は、信仰を通して答えをいただきます。この方をメシアであると信じたその先に、信仰の答えがあります。逆に、信仰もなくこの方を見ても、何もわかりません。結局、頭の中でキリストをこねくり回して終わるだけです。

主イエスは、ヨハネと同じ、天からの権威をお持ちでした。ヨハネと同じ天の権威を託されている、ということは、ヨハネと同じ運命を天から課されている、ということでもありました。それは、人々を神へと立ち返らせるため・導くために自分の命を使うということでした。

ヨハネは荒野で神への立ち返りを叫んでキリストの到来の前触れとなりましたが、同じように、ヨハネの死はキリストの死の前触れとなりました。

聖書が私達に示す一番の謎は、これだと思います。なぜ、洗礼者ヨハネは神の救いのご計画のために死ななければならなかったのか。なぜ、イエス・キリストは、神の子でありながら、十字架で死ななければならなかったのか。

この時の指導者たちの姿を通して、私達は考えたいと思います。彼らは、ナザレのイエスを殺す、という「自分たちの計画」だけを見て、自分たちを救おうとしてくださっている「神の計画」が見えなくなっていました。

私達が、人々の目や評価や、自分の立場といったものを超えて、真剣に、「なぜ天からの権威をもったキリストが殺されなければならなかったのか」、ということを考えた時、必ずそこに自分の罪の問題を見出すことになります。

悔い改めの中、救いへの渇望をもってキリストの十字架を見上げてはじめて、私達は、このイエスという方が何者であったのか、そしてその死の本当の意味を見出していくことになるのです。

7月11日の説教要旨

マルコ福音書11:18~26

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」(11:24)

主イエスが神殿の境内から商人たちを追い出されたのを見て、祭司長・律法学者。長老たちといったユダヤの指導者たちは、「あのイエスをどのようにして殺そうか」と相談を始めました。

過越祭の時期は、ユダヤ人指導者が神経をとがらせていました。エルサレムに世界中からユダヤ人が巡礼に集って来て、イスラエルが外国の支配からの解放を記念するのです。ユダヤ人の愛国精神が高まる時期でした。些細なきっかけで過越祭のエルサレムからローマへの暴動が起きかねません。

そんな中で、ナザレからイエスという人がやって来てエルサレムの都の中で人々から注目を浴びるようになっていました。ナザレのイエスは、日曜日にエルサレムに到着し、ガリラヤからの巡礼者たちから「ホサナ」と讃えられながら入場してきました。翌日の月曜日にはエルサレム神殿の境内で両替や生贄を売っていた商人たちを追い出しました。そして今やエルサレムの人たちは、このイエスという人が語る言葉に熱心に耳を傾けるようになっていました。

ユダヤ人の指導者であった祭司や律法学者たちは、誰にもエルサレムで目立つことをしてほしくありませんでした。巡礼者たちには、静かに過ごしてほしかったのです。ナザレのイエスの振る舞いは、目に余るものがありました。何とか、ナザレのイエスがこれ以上目立つことのないように、暴動の芽を早いうちに摘んでおく必要を感じました。

指導者たちは、群衆の知らないところでナザレのイエスを殺すしかない、と計画を立て始めます。いよいよ、イエス・キリストの十字架に向かって事態が動き始めることになります。

さて、今日私達は、キリストが呪われたイチジクの木が枯れ、それを見た弟子達が驚いた、というところを読みました。

聖書は一本のイチジクの木のことを何度も書いています。大人気ない八つ当たりのようにも見える、主イエスのイチジクの木に対する呪いの言葉、そしてその言葉によって木がどうなったのか、そしてそれを見た弟子達の反応と、聖書はイチジクの木を巡って起こったことをとても丁寧に描いています。たかが一本のイチジクの木がそれほど大事なのでしょうか。

旧約聖書を見ると、イスラエルの不信仰を神が嘆かれている言葉がたくさんあります。神は不信仰のイスラエルを、実をつけないイチジクや、実を結ばないブドウに例えていらっしゃいます。

紀元前8世紀、イスラエル南王国の預言者であったミカが、このような神の言葉を伝えています。

「悲しいかな、私は夏の果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく、私の好む初なりのイチジクもない。主の慈しみに生きる者はこの国から滅び、人々の中に正しい者はいなくなった。」

神が、信仰者を探そうとなさっても、見つからなかった、と言うのです。イスラエルの中に正しい信仰者を探すのは、季節外れの時期にイチジクの木に果実を探すようなものだ、とおっしゃいます。

預言者ミカと同じ時期にエルサレムで預言をしていたイザヤも、イザヤ書の5章に「ぶどう畑の歌」と呼ばれている神の言葉を残しています。神が、肥沃な丘をよく耕して石を除き、良いブドウを植えられたのに、そのブドウ畑に実ったのは酸っぱいブドウの実だった、という内容の歌です。その歌の中で神はおっしゃいます。「私がブドウ畑のためになすべきことで何か、しなかったことがまだあると言うのか。」

イザヤが伝えるこの「ブドウ畑」というのは、紀元前8世紀にエルサレムに住む人たちのことでした。神が愛情を注ぎ、イスラエルの人々を、そしてエルサレムの都にご自分の愛を注がれたのに、イスラエルはそれに答えなかった、神は、そのようなエルサレムの不信仰を「農夫に収穫の実をつけないぶどう畑」とおっしゃいます。

これらの旧約の預言を踏まえて、キリストによって枯らされてしまったイチジクの木を見ると、その象徴的な意味がよくわかると思います。このイチジクの木は祈りを無くしてしまったキリストの時代のエルサレム神殿でした。キリストは、このイチジクを枯らすことによって、弟子達に不信仰の末路をお示しになったのです。

これは、主イエスから弟子達は強烈なメッセージでした。しかし、弟子達は、主イエスがこのイチジクの木を通してお伝えになろうとしたことを、きちんと受け止めることができたでしょうか。

弟子達は確かにイチジクの木が枯れていることに驚きました。しかし、彼らが驚いたのは、祈りの家であるはずのエルサレム神殿の不信仰ではなく、単に、主イエスの言葉によって「イチジクの木が枯れた」、という事実でした。

弟子達はこれまでに何度も、主イエスが奇跡を行われるのを見て来ました。主イエスは病の人を癒したり、悪霊を追い出したりしてこられました。彼らが見て来た奇跡は全て、病や悪霊から誰かを救いだすための、救いの御業でした。

しかし、このイチジクの木を枯らしてしまう、という奇跡は、今までの主イエスが行われてきたこととは全く種類が違います。人間相手ではなく、木が相手です。救い業ではなく呪いの業です。弟子達は、なぜ主イエスがこのようなことをなさったのか、この時は理解できなかったでしょう。

驚く弟子達に、主イエスはおっしゃった。

「神を信じなさい。はっきり言っておく。誰でも、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、その通りになる。」

主イエスはただ、祈りが持っている力、信仰が持っている力を弟子達にお伝えになりました。

「少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、その通りになる。」

私達はこの言葉を聞いてどう思うでしょうか。

「本当だろうか」と思うのではないでしょうか。信仰者であれば、誰だって神に祈ります。そして信仰者であるなら、「祈ったら何でも叶うなんていうことはない」、ということもよくわかてっているでしょう。たくさん祈る人ほど、そのことをよく知っているのではないでしょうか。

私達には、どんなに真剣に祈っても、実現しない願い事はたくさんあるのです。私達にとって祈り・信仰とは、都合のいいことを起こしてくれる魔術のようなものではありません。

ここを読む際に大事なことは、主イエスがここでおっしゃっている「この山」とは何か、と言うことです。主イエスがここでおっしゃっている「この山」というのは、エルサレムのある山のことです。もっと言えば、神殿のことです。

そのことを踏まえて主イエスの言葉を読むと、「心からの祈りは、強盗の巣になっている神殿に勝っている」、ということであることがわかります。神殿の建物に力があるのではない。祈りに、信仰に力がある、と言うことです。単純なことですが、これは見た目にすぐに影響されてしまう私達にとって大事なことだと思います。

主イエスが弟子達におっしゃったことは、とても単純でした。

「神を信じなさい」

この単純なイエス・キリストの一言が、後の弟子達にとってどれだけ大きな支えになったかわかりません。

十字架の死から復活なさった主イエスが天に昇られる際、弟子達は地の果てまでイエス・キリストの復活を証しするよう命じられました。「自分たちにそんな大それたことが出来るだろうか、この人数でできるだろうか」、と恐れたでしょう。

しかし、弟子達は神を信じました。自分たちではなく、神を信じました。そして祈り続け、聖霊を受け、世界へとキリストの復活を一生かけて伝え続けました。弟子達は主イエスがおっしゃった言葉の意味を、後々まで何度も思い出して考えたのではないでしょうか。「神を信じなさい」「祈り求める者は全て既に得られたと信じなさい」というキリストの言葉が、彼らの心に残り、彼らを支えていったのです。

主イエスは、最後に弟子達にこうおっしゃいました。

「立って祈る時、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、許してあげなさい。そうすれば、あなた方の天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる」

我々キリストを信じる者の祈りとは何なのか、ということがこの一言に現れています。私達が祈りを通して神の求める究極のもの、それは「許し」です。人を許すこと、人に許してもらうこと、そして神に許していただくことです。

ルカ福音書に、放蕩息子のたとえと呼ばれるキリストのたとえ話があります。家を捨てて放蕩の限りを尽くした息子は、放蕩の果てに全てを無くし、最後に求めたのは、父の家に帰ることでした。彼が最後の最後で求めたのは、財産ではなく、放蕩でもなく、父の許しだったのです。

「お父さん、私を許してください」と言って父の下に帰る息子の姿こそ、信仰者の祈りの姿です。 Continue reading

07月04日の説教要旨

マルコによる福音書11:11~18

「葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなっていないかと近寄られたが、葉の他は何もなかった。」(11:13)

 過越祭への巡礼のため、主イエスと弟子達は、エルサレムの近くにあるベタニアという村に宿を取られました。

主イエスは日曜日に子ロバに乗って、武器も持たず、柔和で謙遜な姿でエルサレムに入場されました。それは、預言者ゼカリヤが預言したエルサレムの王の入場の姿そのものでした。

 エルサレムに入られる直前に主イエスはご自分の使命について弟子達におっしゃいました。「人の子は、仕えられるためではなく、仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た。」

罪にとらわれている人たちを取り戻すために、身代金としてご自分の血を流されるキリストの十字架への秒読みが始ました。その秒読みの中で、主イエスが何をなさったのか、ということを見ていきたいと思います。

私達が今日読んだのは、エルサレム入場の翌日のこと、月曜日の出来事です。

エルサレムに向かうためにベタニアの村から出ようとされた時、主イエスは葉っぱが茂っているイチジクの木をご覧になりました。それは遠くから見たらたくさん実をつけているように見える木でした。しかし、近づいてみると、その木にはイチジクの実が一つもなっていませんでした。主イエスは、その木を呪われます。

 そしてそのままエルサレムの町に入り、神殿の境内に入って行かれました。そこで商人たちが台を置いて、巡礼者たちを相手に、両替をしたり、生贄を売ったりしていたのをご覧になって、お怒りになって台や腰掛をひっくり返されました。

 ここを読んで、どう思うでしょうか。

月曜日に主イエスがなさったことは、私達にとっては首をかしげるようなことではないでしょうか。イチジクの木を、実がなっていないからと言って呪ったり、神殿で大暴れしたり・・・これまで私達が見て来た穏やかなイエス・キリストのお姿からは考えられないような振る舞いではないでしょうか。

イエス・キリストのこれらの振る舞いは、一体何だったのでしょうか。マルコ福音書は、この11章全体を通して、イチジクと神殿を交互に描いています。聖書は、イチジクの木に、その時代のエルサレム神殿を重ね合わせて私達に見せようとしているのです。

イチジクの木は、少し離れたところからだと、葉が茂っていたのでたくさんの実がついているように見えました。しかし、近くで見ると一つも実がなっていませんでした。

エルサレム神殿もそうだったのです。確かに遠くから見れば、立派な建築物でした。しかし、神殿の中では両替が行われ、生贄の売買が行われていたのです。

主イエスにとって、そのようなエルサレム神殿はもはや「祈りの家」ではありませんでした。離れたところから見てどんなに立派に見えたとしても、主イエスに言わせれば、その中身は「強盗の巣」だったのです。

イチジクの木はキリストご自身によって呪われ、枯らされてしまいます。それはエルサレム神殿の運命を暗示しています。実際にエルサレム神殿は、この出来事の約40年後、紀元70年にローマ軍によって破壊されることになるのです。

私達は、この月曜日のイエス・キリストの振る舞いを、「子供じみみた振る舞いだ」と言って、軽んじてはいけないと思います。

イエス・キリストが実を結ばないイチジクの木を呪われた、ということ、そして祈りがなかったエルサレム神殿から商人たちを追い出されたということ・・・これらのことを通して、信仰者は、自分の信仰を吟味しなければならないのではないでしょうか。

神殿は、ダビデ王の後のソロモン王の時代に建てられました。神殿の建築が完成した時、ソロモンはこのように祈りました。

「あなたの民イスラエルに属さない異国人が、御名を慕い、遠い国から来て、この神殿に来て祈るなら、あなたはお住まいである天にいましてそれに耳を傾け、その異国人があなたに叫び求めることを全てかなえてください。こうして、地上の全ての民は御名を知り、あなたの民イスラエルと同様にあなたを畏れ敬い、私の建てたこの神殿が御名をもって呼ばれていることを知るでしょう」

それに対して、神はこうお答えになりました。

「もしあなたたちとその子孫が私に背を向けて離れ去り、私が授けた戒めと掟を守らず、他の神々の元に行って仕え、それにひれ伏すなら、私は与えられた土地からイスラエルを断ち、私の名のために聖別した神殿も私の前から捨て去る。」

神はエルサレム神殿を無条件に守られる、などと言うことはおっしゃいません。

「あなたがたが私を捨てるのであれば、私は神殿を捨てる」とおっしゃるのです。

キリストが呪われたイチジクの木が枯れた、ということには深刻な信仰の問題が隠されています。神殿がもし、「祈り」という実を結ばないのであれば、神ご自身によって呪われ、倒されてしまう、ということです。

主イエスにとって、神殿の境内に両替のための台を置いたり、ここで生贄を売ったりすることは冒涜でした。主イエスは、境内にいた人たちに向かって叫ばれます。

「こう書いてあるではないか「『私の家は、全ての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』」

『私の家は、全ての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』とは、イザヤ書56章に書かれている言葉です。預言者イザヤは、ユダヤ人だけでなく、異邦人たち、全世界の人たちが真の神にもとに集められる日が来ることを預言しました。 Continue reading

06月27日の説教要旨

マルコ福音書11:1~11

 「もしだれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい」(11:3)

ついに主イエスのエルサレムへの旅が終りました。これから私達は、エルサレムに到着し、入場されたイエス・キリストのお姿を見ていくことになります。そしてそれはイエス・キリストの最後の7日間のお姿ということになります。

主イエスがエルサレムに入場されたのは日曜日でした。この日から、ちょうど一週間後の日曜日の朝、過越祭の中で子羊が屠られる時間に、主は十字架に上げられて殺されることになります。

いつ、なんのために主イエスがエルサレムに来られたのか、ということを踏まえて、これからキリストの最後の七日間を見ていきたいと思います。

主イエスがエルサレムへと旅をされたのは、過越祭に参加するためでした。

過越祭は、イスラエルが昔、エジプトでの奴隷生活から神によって救いだされたことを記念する祭りです。エジプトから脱出する夜、イスラエルの人たちは、家の鴨居に子羊の血を塗りました。神の裁きは子羊の血を塗ったイスラエルの家を過越し、エジプトを打ちました。

神の裁きの過越しによって自分たちの先祖がエジプトから救いだされた、という解放を記念するための祭りです。ユダヤ人にとってとても大切な祭りでしたので、この時期、エルサレムには世界中からユダヤ人たちが巡礼に来ていました。過越祭の前後1~2週間は、エルサレムには大勢の巡礼者が訪れるため、普段の人口の6倍になったと言われています。

大勢のユダヤ人が世界中から巡礼にやって来て集まり、外国の支配からの救いを記念する祭りを祝うのですから、ユダヤのナショナリズム・愛国主義が高まる時でもありました。ローマによる支配に対する反感が高まる時期であった、ということです。

そのため、この時期にはユダヤを占領していたローマ軍は、ユダヤ人たちが暴動を起こさないように警戒を強めていました。ユダヤ人の指導者たちも、ローマとのささいな衝突から反乱や戦争という大きな問題が起きないように、神経をつかっていました。

そのような中、「この方は預言者ではないか」と人々から期待されていたナザレのイエスが、ガリラヤからの巡礼者たちと共にエルサレムの都に入場してきたのです。ユダヤ人指導者たちからすれば、このイエスという人は、要注意人物でした。人々がナザレのイエスを担ぎ上げるようなことが無いように、イエスには、目立つことをしてほしくなかったのです。

当然、これからエルサレムの町の中で、主イエスとユダヤ人指導者たちとの間には緊張が高まっていくことになります。

さて、まず主イエスがどのようにエルサレムに入って行かれたか、ということを見ましょう。主イエスはベタニアという村に宿を取られた。ここは、エルサレムから3キロメートルほどのところにある村で、過越祭の巡礼者たちは、ここに宿をとってエルサレムに通っていました。

主イエスは、この最後の3キロメートルを、ご自分の足で歩いて、ではなく、弟子達にロバを借りて来させ、自分の服をロバの上にかけ、それに乗って入ってエルサレムに入場されました。

なぜそんなことをなさったのでしょうか。ガリラヤからここまで長く旅を続けてきて、最後の最後で疲れてしまったからでしょうか。

もちろん、そうではありません。これこそ、エルサレムの王の入場の姿でした。

旧約聖書のゼカリヤ書に、神が王としてエルサレムに来られる、という預言があります。

「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ロバの子であるロバに乗って。私はエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を断つ。戦いの弓は断たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海は、大河から地の果てにまで及ぶ」

主イエスのエルサレム入場のお姿は、ゼカリア書に預言されているエルサレムの王、ダビデの子そのものそののです。ついにメシアがエルサレムに来たのです。

ガリラヤからの巡礼者たちは主イエスがなさることを見て、不審に思ったのではないでしょうか。主イエスは、エルサレムへの旅の初めに、弟子達にお尋ねになりました。「あなたがたは、私を何者だと言うのか」

弟子達は、そして人々は、ここでロバに乗ってエルサレムに入られる主イエスのお姿から問われことになります。

エルサレムに子ロバに乗って入場する私を見て、あなたは、私を何者だと言うか。」

子ロバに乗ってエルサレムに入場する、という、一見奇妙な主イエスの行動ですが、私達はゼカリヤの預言の実現を見ます。「エルサレムの王が来る、子ロバに乗って。王は戦車も武器もなくし、平和をもたらす」

何百年もの時を超えて、ゼカリヤの預言が実現しました。弟子達は主イエスの言葉通りに、ロバを探しに行くと、そこロバがいました。そしてそこにいた人たちに主イエスから言われたように伝えると、ロバを貸してくれました。

全て、主イエスがおっしゃった通りに物事が進んで行きます。決して偶然ではありません。全て、神のご計画でした。この弟子達と、ロバの持ち主との小さな会話まで、神は何百年も前から預言者の口を通してご準備されていたのです。

イエス・キリストがエルサレムにロバに乗って入場された姿というのは、滑稽だったと思います。普通、王様というのは、立派な馬に乗って兵隊を引き連れて、威厳をもって自分の城に入場するのです。

しかしイエス・キリストという王様は、小さなロバに乗って、とぼとぼとエルサレムに入って行かれます。とても強そうには見えません。弱く、低く、柔和で謙遜な王としてエルサレムに入られました。この方はイスラエルに軍事的な強さをもたらす救い主ではありませんでした。ゼカリアが預言していた、「平和の王」の姿です。

預言者ゼカリヤは、その王によってもたらされる救いについて、こう預言しています。「万軍の主はこう言われる。その日、あらゆる言葉の国々の中から、10人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。『あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ』。」

キリストがこの世にもたらしてくださったのは、全ての人が本当の神を知って生きるという平和でした。ゼカリヤ書には、このような預言がある。

「人々は羊のようにさまよい、羊飼いがいないので苦しむ。」 Continue reading